2012年8月12日日曜日

『アメリカのゲイたち―愛と解放の物語』栗木千恵子/著

某所にて8/12公開、8/14転記。

 Webの書評で知った1冊です。読書メータにも感想を残したのですが、若干書き足りなかったのでこちらで雑感残します。

 まず、この本を読もうと思ったのは、BL寄りのFanficを読むのだったらキチンと背景らしきものを知っといた方がいいんじゃないか、というものです。そして、やっぱり知らないことなのに、知ってるつもりなって、それが偏見や差別になてるんじゃないのか。もしそうだとしたら、それを私は知っておいた方が良いんじゃないのかとも思ったからです。

 まず前者の理由ですが、きっかけはやっぱり『SHERLOCK』です。シャーロックとジョンの関係がブロマンスやプラトニック若しくはそれ以上であれ、今の社会における「同性愛」関係と切り離せない気がしたんです。勿論Fanficもそういう関係性で書いてるのが殆どだし。ただ、彼らの場合「恋愛」とも「性的」とも言えない感じがあって…。単なる物凄く深い「愛情」な気もして…。そんなこんなが、ここまで深みにハマってる原因の一つなんですが(苦笑)。
 もしかしたら本編やFanficを楽しむ上で何かの手がかりというか、考える基準のひとつになるんじゃないかと。そういう背景をきちんと抑えた上で、フィクションとしてBLなりを楽しんだほうが健康的なんじゃないのかと思ったんです。
 これは、よしながふみ著『愛がなくても喰っていけます』内で、ゲイの友人にSながFみさんが言った台詞に感化された部分もあります。これを読んだ時、よしながふみの誠実さとか問題意識の高さに驚いたし、己の浅はかさに気付かされました。
 
 次に後者の理由。恥ずかしい話、私も偏見があるのかもしれないと思ったんです。口では理解あることを言ってたりするけれど、それは単なる見栄だったり人とは違うんだと見せたいが為なんじゃないのかと。または、彼らを直接知らないから、綺麗な部分だけしか知ろうとしてないから、話題だけで知ってる気になってるから「寛容」になれてるんじゃないのかと。
 もしそうだとしたら、それはそれとして自覚した方がいいんじゃないかと。自覚した上で次の視点をどこに置くのかを見つけた方がいいと。あやふやに知ったつもりになってるよりは、ある程度彼らが語る言葉を読んで、そこを起点にもう一度自身に問いかけたほうがいいような気がしたのです。

 先に結論を言うと、Fanficを楽しむ上で現実はやっぱり知っておいたほうが良いと思いました。知っている上でフィクションと理解して楽しむのと、知らずに楽しむのとではやっぱり少し違う気がします。特に、ジョンが本編で「僕はゲイじゃない」と言ってるのには何か意図がある筈ですし(まぁ色々 大人の事情があるんでしょうが^^;;)、そこを無視しちゃいけないなぁと改めて思ったりしました。いや、かと言って二人がそういう関係になってる作品も好きなんですが(ヲイ)。
 そして、偏見云々については、やっぱりどこかにあるなぁと自覚しました。けれど、どこぞの首長たちみたいにホモフォビア的なものでなく、知らないから(知ろうとしないから)のそれだと。本邦では悲しいかな根強い偏見が強いから隠れてて、彼らの声は聞こうとしなければ聞こえない。だから、こういう形で他国の声であっても聞けたことで、少し彼らを知ることができた気になったのは良かったように思います。
 知らない事は恐怖で、その恐怖から偏見や差別が生まれる。知れば恐怖がなくなり向き合える。的な言葉は真実だとつくづく感じます。

 各国で同性愛者に対する社会保障や法整備はかなり異なる上、アメリカ一国しかもLA、NY、ワシントンDCといった大都市棲む方たちのインタビュー集。更に、出版されたのが1998年(15年前)と若干古いっちゃ古い。かも、インタビュー当時はエイズの爪痕が生々しく残ってる時期。そいういった意味では、現状とはかなり異なってる部分も多々あると思います。しかし、抱えてる問題や内容は然程大きく変化は無いような気がします。
 というのは、異性愛者の同性愛者に対する差別、同性愛者内での微妙な階層、宗教観、社会保障や法整備、権利運動という部分は大なり小なり今も残ってると思われるからです。そして、インタビューでもその辺はかなり突っ込んであって、彼らの置かれてるホントに複雑で微妙な位置が痛いほど分かりま す。

 読んでいて思ったのは、ゲイの世界ってもしかしたら女性より大変なのかもしれないということ。「理想的なゲイ」であるために日々努力して、容姿を整えブランド物を着こなしてジムに通って理想的な「外見」と「若さ」を維持する。それが必須だとか(特にNYなんかでは)言われると…。そこまで追い込まなきゃいけない社会って、ただでさえ追い込まれてるのになんで?!と思わずにいられませんでした。
 また、SEX関係の積極性も正直驚きました。確かに、ハンター同士なわけだから性衝動も大きいしそうなるのも必然だと言われればそうなんですが…。それに、肉食系なアメリカ人ですしね(←偏見)。
 ただ、それらが全てでないことは当然インタビューの中で語られます。
 年齢を重ねることで落ち着いた関係を求めるのは、同性異性愛者ともに一緒なんだなと当たり前のことに気付かされてたりもしました。

 法整備と社会保障についてはやっぱり異性愛者と同等であるべきだと、これを読んで改めて思いました。長年一緒に愛情をもって生活した人が亡く なった時、何一つ残らないってやっぱりおかしいと思うんです。それは金銭だけじゃなくて、最期まで寄り添う事ができないことだったり、遺族として彼らの家 族と悼みを共有できない辛さとか、況やパートナーの家族から締め出されるとか。勿論、こういうことは異性愛でも愛人とか妾という立場はそうなると思うんで す。けど、それはあくまでも法的配偶者との関係でしかない。
 けど、同性愛者の場合は限定された社会で配偶者として認められてたとしても、一般社会や法的に配偶者で無い以上遺族の「情」一つで対応が変わるという辛さ。自身に置き換えたら、その状況はやっぱり想像するだけで辛いです。最期を看れない看てもらえない、何も残せない残して貰えない。残るのは一緒に生活したという 「記憶」だけ。記憶だけでもいいじゃないかと思える人は良いです。けど、やっぱり欲深いから欲しいんです、形が。それが、同性同士だけって理由で認められ ないのは、やっぱりホント理不尽なんだと思うんです。

 また、これが無いから刹那的な関係を結ぶ結果になる、というは目からうろこでした。確かに、保障がないから刹那的にならざるをえない。安定できないから不安が強くなって衝動的になる。それが不特定多数との性交渉やドラッグに結びついた結果、エイズの蔓延となった…。いやもうそれって、ホントに社会問題だったんだわと初めて認識しました。恐らくこういう流れって、日本でも若年層あたりで見受けられるんじゃないのか?とかすら思いましたもの。だから、やっぱり同性異性愛関係なく、セーフセックスはちゃんと教えなきゃいけないと思うんですよね。

 そして、権利運動。彼の国のああいう運動ってホント凄いです。紆余曲折や様々な挫折を経てるとは思うのですが、確実に実を取りに行ってるってのが。しかも、 反対派との一進一退の攻防を繰り返しつつ、着実に社会に根を張って行ってるのが凄いとしか言いようがないです。勿論、その土壌ができるまでには辛酸を嘗めたり、かなり激しい攻撃があったのは理解します。
 彼らの運動を受けて政治なり法が少しずつ変化していく過程が、民主主義の良い面だと改めて思いました。まぁ運動に携わっている方やインタビュー を受けておられる方が、高学歴、高所得、社会的地位の高い人達ばっかりなので、そういう印象を受けるのかもしれませんが(^^;;。

 しかし、インタビューを読んでて人の恋話ってどんな形であっても美しいと思いました。勿論、家族間の確執とか、自身を受け容れるまでの葛藤や不 安や苛立も語られており、それは非常に心が痛みました。また、社会で受けた差別や侮蔑、それらによって失われたあらゆる事柄に関しても、やっぱり語れ るようになるまでの過程には色々あったと思います。それでも、いやそれだからこそ彼らが語る「幸せな恋や愛」の美しく優しいこと!!幸せな「恋愛」は例え終わったものであっても、こんなに第三者をも幸せにしてくれるんだと思ったのです。
 
 人が人を好きになって、その思いが通じて、心と身体が触れ合えて、激しい感情から静かな思いへと変化していくのは、絶対同性異性愛関係なく幸せです。単に好きになる対象が異なるだけで、その思いや幸福感、それに纏わる負の感情、全部一緒なんですよね。そう思えただけでも良かったのかもしれないで す。