2015年6月30日火曜日

15年上半期映画雑感

 珍しく、今年の上半期映画まとめでもやってみようかと。全く記録をとっておらずこれまで何作観たのかが分からない体たらく、且つ優柔不断なのでランキングというより印象に残ってもう一度映画館で観たいと思う作品を列記していきたいと思います。
 折角なので、NTライブ等のスクリーニングも含めました。


・『イミテーション・ゲーム』
 欲目と贔屓目を無しで見ても良い作品だったと思うんです。アラン・チューリングの半生を描きつつ、歴史の評価とは? 人間性とは? 個性とは? というテーマをも薄ら浮かびあがらせてもいたようで。なにより、主演のベネディクトをはじめとする素晴らしい役者のバランスの良い素晴らしい演技には感嘆し目を奪われました。何度でもじっくりみて、じっくり味わいたい作品です。

・『パレードへようこそ』 
 炭鉱のおばちゃん達がとにかく好きです。セクシャル・マイノリティだけじゃなく女性や社会的弱者がきちんと手を抜かず 描かれていた作品でもあるように思ってます。一つのきっかけから、一歩踏み出し背筋を伸ばし前を向いて立つことができる、そんな力強さや優しさが 詰まってたなぁとも。 何よりも、おばちゃん達の同性愛者に対するフラットな姿(初対面でぶつける質問やゲシンくん家のベッドでのキャッキャしてる様なんか)から、躊躇いない無く受け入れる美しさと強さを見た気もしてすごい好き。

・『マッドマックス』 
 まさかですが(笑) 暴力と性搾取を始めとするあらゆる搾取を血と汗と埃とアクションで描いてるのに、それと真っ向から向 き合って批評して、その価値観の浅さを暴露して思いっきりブン投げて、自分で立つことや「生きる」ことや育てることを描いた凄い作品でし た。また、女性の魅力は若さや容姿だけじゃないんだぜ! ヒャッハー!! だったし、男性の魅力は優しさや賢さにあるんだぜ! ドンドコドコ、ギュィィーン! だったのも好き(笑)。女性も男性も同じように優しくて賢くてカッコよい映画はいい作品なんだと思います(握拳突き上げながら)
 あと、この作品は音響のいい (ここ大事)映画館で何度も何度も見返したい。

・『バードマン』 
 あのシームレスでまるでその場を歩いてるかのよう映像は劇場で何度も見たいです。何がどこが好きかに対する言葉が明瞭に出てこ ないもどかしさなんですが...。作品全体の雰囲気や映像が好きで、役者陣の演技が好きなんだろうなぁ。

《スクリーニング分》
・『ビリー・エリオット 映画「ビリー・エリオット ミュージカルライブ』 
 スクリーニングで見て鷲掴みされて、ブルーレイ予約して、秋にはロンドンで舞台観るくらい好きになりました。この作品もおばちゃん と婆がカッコいいんですよね~。勿論、ビリーもビリーの友人もカッコよくて可愛くて素晴らしいんですが!! 
 逆境で自分のやりたいことを見つけて向かっていく少年たちと、それを影
に日向に応援する大人たちの静かな温かさ。と同時に、現実の厳しさが可不足無く折り 込まれていて強く印象に残りました。

・『二十日鼠と人間』 
 台詞が台詞ではなく「言葉」として、演技が演技でない「反応」であることの凄さに圧倒されました。もう一度、じっくり観たい作品です。NTLiveさん再上映してくれないかなぁぁ。

 こうやってまとめてて、やっぱりいつ何を観たかを殆ど忘れてるので下期からはスケジュールに記録残しておこうと思いました(笑)

2015年5月16日土曜日

NTLive 『二十日鼠と人間』雑感

 スタインベックの原作は未読且つ映画化作品も未鑑賞です。ただ、文学史で『怒りの葡萄』についてざっくり触れた記憶があったため、多分こんな作品なんだろうなぁと予想してましたが、その通りの流れと結末でした。それなのに、2時間40分が濃密に感じられ、物語に集中し登場人物の言動に心揺さぶられる鑑賞ができたのは、偏に原作、演出、役者達が素晴らしかったからでないかと。特に、登場してきた瞬間から「物語に血肉をもって存在してる」と観てる側が感じる役者陣の素晴らしさ!! 彼らの言葉はセリフであるのに、その瞬間に生まれる言葉であるのと思わせる技術の凄さ! ほんとコレに尽きます。

以下まとまりのない雑感

2015年4月12日日曜日

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』雑感

レイト・ショーで鑑賞。
かなり期待して観に行ったんですが、高い期待を裏切らないどころか期待以上に面白く刺激的な作品でした。虚と実が曖昧というか渾然一体になった感じで、何よりも舞台と映画と役者、裏で支える人、批評する人たちへの沢山の愛情と皮肉を詰め込んでる作品だったように思います。
 Twitter上でレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を事前に観ておいたほうがいいよとか散見し若干の緊張もありました。が、正直その予習や舞台や映画についての予備知識がなくても、少しでも興味があったり好きだったりすると楽しく観れる気がします(勿論、好分、き嫌いや作品との相性はあると思うので、一概に言えないのは分かってるんですが^^;)。加えて、演技が素晴らしいので好きな役者さんが一人でも出演してるならそれ目当てでみても良いのでとも思います。

以下、まとまりのないネタバレ雑感。

2015年3月23日月曜日

距離感についてぼーっと思ったこと。

 昨日から今日にかけて、TLでチューリング役で素顔のべディクトが見えて物語に入れなかったというのをちらほら見かけました。それが切っ掛けでファンとしての距離感について昨日からぼーっと考えてます。また、日々TLで流れてくるベネディクトについてだけでなく好きな役者さんの素(だと思われる顔を)見ることで、作品鑑賞にどう影響があるのかもウロウロと。
 案の定、結論は出ないのですが、自身の気持ちを整理するために思いくまま書き散らかしてみようかと。また、あくまでも自身の感じ方見方でしかないので不快に思われる方がいらしたらすみません。
 いくつかのTwで「ベネディクトの素や過去作品の役柄や演技の癖が透けて見える」と仰ってることについては、なんとなくわかる部分もあります。が、それらの呟きを拝見して「えぇ...そうなの?? 」とちょっと驚いたんです。と言うのは、私も勿論ネットや雑誌等でベネディクトの素顔やら何やらを積極的に沢山見てます。が、それは作品鑑賞中には全く思い出しもしなかったからなんです。多分、クレジットが流れる段階で無意識に切り離してるんじゃないかという気がします。
 また、今作に関してのみ言えば、私はあまりそれを感じずに鑑賞してたように思い返してます。どちらかというと、ベネディクトを通して作品が描きたい「アラン・チューリング像」の方をより強く観ていた感じです。

 私が鑑賞中の作品に役者本人や過去の役柄を投影する(思い出す)時は、作品や役が魅力的でなかったり役が作品で生きてないと思う時が多い気がします。そう言った意味では、『イミテーション・ゲーム』におけるベネディクトは、作中で見事にアラン・チューリングとして存在していたし、素や過去演じた役柄を感じさせる要素はあまりなかったように思いました。
 細かく表情や仕草を追っていけば、当然「役者としての癖」も出てるだろうし、過去に演じた役柄から共通する何か、役柄に引きずられたことで出てる 「素」も見える気もします。が、作品を観る上でそこまでする必要があるのかと...いう疑問も浮かび。
 限られた時間内で描かれる「物語」内で確かな立体感をもって存在していれば、そんな微細な共通項なんて個性の一つとして処理できるんじゃないかと。
 と同時に矛盾してるかもしれませんが、役者がいろんな役柄を演じることで身に着いた「何か」が、違う役柄に反映されるのも個性になりえるんじゃないかと思うんです。同じことしかできない役者でない限り、一つの役柄は次に出会う役の糧となるんじゃなかろうかとも。だからこそ、ファンは常に新鮮な気持ちや驚きをもって新しい役や作品を観れるのではないかとも思ったりして...。
ただ、ほんとそう思えるのは距離感次第な気もします。

 ベネディクトの婚約結婚妊娠(妊娠は語弊がある...^^;;)で見受けられた様々な反応を眺めつつ、私は対象者と距離があるんじゃないかと思うようになりました。勿論、ベネディクトは大好きだし、ヘタしたら遠縁の婆さんや小さい時を知ってる近所のおばちゃんみたいな心境になる事も度々ありますが、この数ヶ月の慌ただしい(笑)出来事に対しては喪失感や悲しさは全くと言っていいほどなかったんです。
 そして、TLに流れてくる可愛いベネディクトもしつこいほど見てるけど、それが作品に投影されない距離感なような...。どんなに可愛い素顔を垣間見ても、直接の知り合いになれるわけでも、本当の「ベネディクト・カンバーバッチ」を深く知ることができるわけじゃないのも分かってる。だって、所詮はモニターやスクリーン越しの人なんですもの。それさえ弁えておけば、作中の役と本人が易々繋がりはしないような気がしてます。
 逆に、プロの演者に対して「素が、前にやった役が見えてるから入り込めなかった」と言うのは、ちょっと失礼なのかなあと思わなくもなくて...。勿論、箸にも棒にもかからないくらい下手だっり、過去作品で自らが演じた役の深化の見えない模倣であったりしたら、それは批評の一つとして有りだと思いますが、今作でそれは当てはまらないんじゃかとその辺ではモヤモヤしてます。
 ほんと距離感って難しい...と改めて感じさせられました。

  (余談になりますが、ファンとしての距離感という意味において、イベントや街で偶然出会って等というとても幸せな機会があって、直接会って話してという素晴らしい出来事は自身の範囲で可能ならば積極的に行きたいしそういう偶然に恵まれてみたいし、行ってる方や出会われた方達を羨ましく微笑ましく思ってます。てか、直接会って声にならない声上げたいですよ!!! 笑)

 強引に結論付けるなら、自分がしんどくない範囲で適度な距離感をもってキャーキャー好きな人を追っかけられたらいいなってことですかね^^

2015年3月1日日曜日

蜷川幸雄演出『ハムレット』鑑賞雑感

 とある事情で急遽、蜷川『ハムレット』2/27昼公演に行ってきました。折角なのでまとまらない雑感などを残したいと思います。

 蜷川版のみならず『ハムレット』を生で見たのが初めてなので、解釈など間違っているかとは思いますがご容赦いただきたくお願いします(蜷川幸雄演出の両手で数える程度、『ハムレット』の映像物は数種類、戯曲は数度再読してはいますが、如何せんライブは異なるものだと思うので^^;)。