2012年8月11日土曜日

『ドリアン・グレイの肖像』 (光文社古典新訳文庫) 雑感

某所にて8/11公開、8/14転記

 読書メータの方に残したのですが、文字数とあそこでは流石に憚れた雑感をこちらに。

 想像してた以上に、官能的でお喋りで面白かった古典でした。ざっくりとした粗筋はなんとなく知ってたんですが、まさかここまでうっとり、妄想の海に漂うことができる小説だったとは!。これは学生時代に読んでおくべきだった…と後悔したくらい、楽しい小説でした。だって、ドリアン、ヘンリー卿、バジルの関係というか雰囲気が素晴らしく耽美で、それぞれの立位置の微妙さとかにトキメキまくれたんですよ。  
 読みながら、これが書かれた時代にはこれでも「かなりやばい」小説だわと何度思ったことか。色々ぼかした表現だったり、逆説若しくは諧謔的に、 装飾的に語られる言葉で見えないものの、軸はどう考えてもドリアン、ヘンリー、バジルの三角関係でしかない。勿論、ドリアン・グレイの悪徳や「美」と「若さ」に対する執着、そこから人の「善」「美」とは?とか言ったことも語られてるし、読み取れるとは思います。が、やっぱりどうしても耽美っちくな小説としか読めなかったんです(^^;;。 


 そう考えると、この当時の同性愛が「罪」であったイギリスに於いて、これはホントにギリギリな表現で書かれた小説なことに気づきました。決して直截的な描写も台詞もないのに、三人の感情が薄くふわふわと漂ってるのが感じられるんです。しかも、中心にいるドリアン・グレイがなんともまぁ小悪魔的で。この小悪魔さもそういう描写は一切ないのに、読んでる方が自然とのめり込む感じになるというのか、そんな退廃的かつ耽美さがが漂ってるというのがもう堪りませんでした。肖像との関係とかもあって、そりゃこれは映像化される作品だわと納得しました。
 あとがきを読むと、この作品がきっかけ(恋人だったダグラス卿がこの作品の熱烈なファンだったとか)になってオスカー・ワイルドは投獄されてるとか。この作品はハマる奴はどこまでもハマるわなぁ…と納得しました。

 タイトル・ロールの美少(青)年ドリアン・グレイ。
 肖像が彼の「悪徳」と「年齢」を吸い取って、彼はいつまでも「若々しく魅力的」で在り続ける。そこに、美と善や若さやに対する欲望(渇望)を見い出すことはできます。彼を通して「欲望」の浅ましさや愚かさを見ることも。けれど、描写される彼は 魅惑的で蠱惑的。底なしの暗さがあったとしても、恐らく観た瞬間に魂を奪われそうだと思うくらいでした。その彼が、己の悪行を自覚し己と向き合った時に生じる暗転。果たして彼は幸福だったのだろうか?と。あの幕切れが彼に与えられた「罰」とするならば、それまでの彼の「生」とは一体なんだったのだろうかと。
 彼で印象深いのは、冒頭と半ばの彼が愛してる品物を語る章です。前者はこんな美少年が居たのか?!な驚きや、彼の輝かんばかりの美しさ善良さ愚かさ傲慢さがこれでもかと描写されます。その描写に心躍る事ができれば、この作品は楽しめる気がします。
 そして後者。ここは彼の大仰な言葉で語られる物達に圧倒されたんです。正直、彼が語る品々に囲まれて息苦しさを覚えました。お喋りで饒舌で装飾的。色鮮やかとかじゃなく、色んな色がぶちまけられた中に置かれたかのような印象でした。けど、それがドリアンの心象だったりすることを思うと、かなりゾッとしたりします。なんだろう上っ面の言葉だけで実がないというのか…。

 次にドリアンを悪徳の道へ導いたヘンリー卿。
 この方の語りは逆説と諧謔に満ちてるため、非常に困惑しました。言葉や思想がどれだけ軽薄なのかを体現するかのような人。台詞や描写で一番面白く興味を引かれたのは、実はヘンリー卿でした。映像化された作品は一切観てないので分からないのですが、演じるのが一番おもしろくて難しいのはこの人だろうなと思いながら読んでました。
 全編通してこの人の本心がどこにあるのか、全く見えないんです。それが、物凄く魅力的というかなんというか。ドリアンを導いたのも単なる暇つぶ しとか好奇心だけだったんじゃないかとか、単に年下の恋人への影響力を試しただけじゃないのかとか。色々フワフワ思うんですが、何一つ掴めた感じがしませんでした。当時のあの階級において異端であろうと無理やりしてる感じもあったりして、ほんと謎な人物でした。

 そんな二人を蚊帳の外で眺めてる画家バジル。最初から最後まで可哀想な人だったなぁ。ただ、彼がいなければドリアン・グレイもその肖像も無くて、ドリアンが悔い改める原因にならないと考えると、一番重要なポジションなんですよ。なのに、凄く普通の人で可哀想な人な印象しかない(^^;;。
 この人で印象深いのは、ドリアンとヘンリー卿を引き合わせる場面です。嫉妬というのか不安が表に出てて、それが二人を近づかせる結果になる。階級とかの違いもあるのでしょうか、手をこまねくこともできず只眺めてなきゃいけない、見てることしかできない。その焦燥感がリアルでした。また、その自信の無さや焦燥感によって、身を滅ぼすというなんとも切ない人生。彼を見てると「凡庸」であることは「罪」なのかもしれない、とも思ってしまいます。

 関係性で言うと、ヘンリー卿→←ドリアン←バジル(ってヲイ)。
 ドリアンを見初めて心から彼の「美」と「善」を愛してるバジルと、ドリアンの「美」と「若さ」(もしかすると愚かさ)に興味を抱いてちょっかいを出すヘンリー卿の対比とか、ドリアンがヘンリー卿に興味を示した時のバジルの嫉妬や苛立がもうね…これってなんの恋愛小説か?!って思ったくらいでした。また、この時の風景描写がキラキラで少女漫画も真っ青!なくらいなんです。しかもこの関係が最後まで続くんですから、楽しくないわけがないと。
 途中、ドリアンが誰かに「名前で呼んでくれないの?」と強請る場面があります。これはこれで物凄く色っぽかったんです。が、それを読んだ時、 あぁそうかあの階級で男性同士が名前で呼ぶってことは…と腑に落ちたんです。この辺は、『SHERLOCK』でお邪魔したサイトさん達で、19世紀英国の風習について書いてらした中にありました。なので、年をとるって悪くないよなぁ、無駄な知識ってないよなぁと改めて感じた瞬間でした(無知をさらけ出して すみません)。
 他にも、ドリアンが若い子に何を教えたのか、脅迫の内容はなんだったのか?とか興味をそそられる部分も多々ありまして、映像化作品を観たいなぁと。
 もっと言えば、密林さんで見つけた『オスカー・ワイルド』(映画)も見たくなりました(笑)。だって、スティーブン・フライがオスカー・ワイルドで、若かりし頃のジュード・ロウがダグラス卿なんですよ。DVDはUK版しかないようなので躊躇ってるんですが、もしかすると買うかもしれません(ってまた字幕と格闘かよと…)。しかし、なんで私はこれを上映されてる時に行かなかったのかと。同時期に公開された『太陽と月に背いて』は行ったのに…と悔やまれてなりません(ヲイ)。

 これを読んでる間の脳内キャストです(笑)。普段あまり脳内で置き換えしないのですが、今回ばかりはなんともあっさり配置されたのが我ながら吃驚でした。そうなったのは、ヘンリー卿の描写で「低い魅力的な声」とあったから他ならない。 その一文(かなり冒頭)を読んだ瞬間、もうベネディクトしか出てこなくてね…。一体何の病気なのだろうか、としばし凹んだくらいです。いや多分病気なんですきっと。
 でヘンリー卿はベネディクトな声とイメージで読んでおりました。お陰で、ヘンリー卿の結構酷い所業も楽しく読めたという恐ろしさです。
 こうなったら他も置き換えだ!てか、いっそのこと『SHERLOCK』組で置き換えだ!ということで色々遊んでみました。こんな読み方したの久しぶりというか初めてじゃないのだろうか…。

 絶世の美少(青)年なドリアンは、何故かアンドリュー・スコットで(笑)。いや、きっと彼ならやってくれるに違いない!と妙な確信が。ただ彼の場合、冒頭のキャハハウフフがちょっとイメージじゃないかなぁと思ったり。それ以外は案外嵌りそうな気がするんです。
 ただ真っ当に考えると、『ステイト・オブ・プレイ』時期のジェームズ・マカヴォイとかが落ち着く気がしますです。いや、マカヴォイ君は小悪魔だからある意味ハマると思うんだよなァァ。
 そして、可哀想な画家バジルは、ここまできたらマーティンだろうと(笑)。ぶっちゃけマーティンで置き換えて読んでも違和感無かったのがちょっと自分でもビックリでした。
 
 冷静に考えて上記のキャストだと、シャーロックとジョンがモリアーティを取り合いするという凄い状況(笑)。