2004年12月30日木曜日

【どんとこい 新選組!】雑感

 有り難うNHK!流石本家本元お膝元ですよ!!
 番組が開始してるにも関わらず「鋭意編集中」と言う辺りに、現場の混乱ぶりが伺えましたが、それすらもここまできたら愛おしいです(笑)。しかし、2004年アンコールの第2部としては些かどうかと思う内容ではありましたが(笑)、それでもやっぱり嬉しい楽しい有難い『どんとこい 新選組!』でした。

 座談会そのものは全編ツボだらけでどうしようもなく、益々彼らに対する愛おしさが増しました。これがNHKの罠であっても、こんな罠なら喜んで嵌らせてもらいますよ!

以下雑感の雑感

○NHKに驚いた
・OP、グタグタな藤原君の後で「いちゃついてる」(え)カップル3組。
 OPと言えども「あれ」を電波に乗せた事に吃驚です(最近NHKには驚かされてばっかり)。「皆様のNHK」「受信料で番組作成するNHK」として大丈夫なのかと、流石に心配になりました(笑)
・脚本家の「(山本君と香取君)いっそのこと一緒に生活すれば」とか「土方は近藤に恋をして。山本耕史は香取慎吾に恋をして破れた」発言。それらに引っ張られて各人が「恋か・・・」とか口々に呟いてるのは・・・それは良いのかNHK的に・・・と。TVナビ等で「山本香取愛の軌跡(違)」を知ってる人は良いけれど、初めて知った人はかなり驚く発言じゃないのか?!大丈夫なのか?!と驚きました。
・NHKも大盤振る舞いしたよな〜有り難うって事です。
・何を狙ってるNHK?!(何も狙ってないと思います)

○OP
・藤原君のグタグタな様子が「試衛館」時代の総司を彷彿させて、可愛いったらありゃしませんよ。まったく(笑)
・いちゃつきカップル達(違)。それぞれ特色があってやたら可笑しかったです。
 「局長&副長」一番しっくり見えたのは「流石」というか「やはり」と言うべきか(何?!)。ここまで来たら好きなだけいちゃこいて(え)下さいと思わせたのは、やはり山本君の努力の賜物でしょうか?(違うと思います)
 「左之&新八」は如何にもごつい感じがして、なんとも言えず微妙な雰囲気を醸し出してたような気がしなくもないです(^^;;
 「総長&源さん」いや〜まさかこの二人のあんな場面を見せてもらえるとは!!なんか縁側でのんびりお茶してる近所の世代の違う茶飲み友達な感じがして、和みそうになったんですが、源さんが総長の肩へしっとりしなだれかかってるの見た瞬間、吹き出しました。あの二人もなんかある意味しっくりでしたね〜(何を伝えたい私?!)

○座談会本編
・佐藤浩市氏ネタの局長・副長の仲良し振りが微笑ましくて。そうか・・・打ち上げの確認連絡だったのか、皆仲良かったんだな〜と。しかし、その確認が山本君にあるあたり、彼の宴会部長としての存在感を今更ながら思い知らされました(笑)
・意外にも司会者として頑張ってた藤原君。
・京香さんは皆のアイドル(古っ)だったのが、大変良く解りました。
 そして、山本君が藤原君を焚きつけてたってのは、ホントにもうどうしようもなく土方らしくて微笑ましくも可笑しい。そしてまた、その話を振られた藤原君の何とも言えない表情と体の動きが、可愛くて可愛くて。
・香取君が山本君の頭を叩く様子すら、山本君良かったね・・・としみじみ眺める事になろうとは(周囲の楽しそうな雰囲気も相まって、見てて幸せでした。)
・話の振り方等はぐっさんや山本太郎君は巧いな〜と感心することが多かったです。
・映画『壬生義士伝』で総司を演じた堺さんから見た、藤原沖田はどうでした。の質問に悔しそうな表情で舌打ちした堺さんの小芝居に、「この人このメンバーのことホント好きなんだよな・・・」とふと思ったり。小芝居後の笑顔で「冗談冗談」というのが非常に大好きです(っていきなり告白)
・また堺さんからの言葉をドギマギしながら待ってる、藤原君の表情が素晴らしく可愛らしくて・・・
・役のシャッフルについて、堺さんの「僕は悔いないな」発言がツボでした。だからそんな事を聞いてるんじゃなくてさ・・・と。その後三谷さんに「芹沢鴨」と言われたときの嬉しそうな驚いた表情が!ホントに彼にとって意外だったんでしょうね。しかし、堺鴨も見てみたです。どんな鴨を作ってくれるのか、期待させるモノを持っておられる役者さんですよね。
・香取君から三谷さんへの「3人(局長・副長・総司)の中で誰が一番好きですか」質問から派生した「香取・山本・藤原のなかで誰が一番嫌いか。(間をおかず)山本耕史だね」の三谷氏の発言。この回答は絶対「山本君」だと思ってましたよ(既にネタと化してる感あり/笑)。ただ、三谷さんの場合それが本音じゃないのが、これまたなんとも(恐らく絶対的な信頼関係を築いた上に、言っても大丈夫な相手に言う方だと思うので)。
・藤原君の台詞についての言及に、藤原竜也が持つ「天才性」が作り手に与える影響の一端を見た気がします。
・山本君の「演技は二の次で。香取君がどれだけ楽しめるか(中略)が最優先だった」の言葉に涙ぐみ。その後出演者全員が山本耕史の公私に渡った「仕事」への、最大限の賛辞にまた涙ぐんだ辺り、もうどうしようもなく彼らが大好きだと改めて思いました。


年末の最後までこうやって楽しませてくれた「新選組!」に心からの感謝を捧げたい所存です。

2004年12月29日水曜日

年の瀬にふと

 私にとって本を読む行為は、興味を持った物事に対し近づこうとする際に取る最短の方法なんだと、気づきました(苦笑)。

 というのは、「喪服の似合うエレクトラ」をISBMを頼りに書店で探し、入手できないとなったら速攻図書館に走ったのが、大昔に独眼流政宗に嵌った時や三銃士に嵌った時の行動と一緒やなと思ったんです(多少調べる方法等は進化しましたが/笑)。
 しかもついでに「喪服〜」のベースになってる「ギリシャ悲劇も読んじゃおう」と一緒に探して予約する辺もどうやら一緒のようで・・・。結局、気になるモノに対しては最初に「文字(書籍)」ありきなんですよね、幾つになっても(笑)。それが戯曲であろうと小説であろうと解説本であろうと、気になる要素が含まれてたら読みたくなる。
 もし、手にとって触れて更に魅了されたら、あちこちに手を伸ばしてみて何かしらを「読んでみる」。そうして嵌ればしめたもの。もし途中でこれは合わないかもな〜と思っても無駄は無いと思える。だって、手に入れた本なら「残せる」し、一度だけしか読んでなくても、記憶として辛うじて曖昧で微々たるモノとしてであっても(苦笑)なんとか残る。だから、少しでも引っ掛ったら行ける所まで行って見よう、とことん触れてみよう、読んでみよう。
 気になったもの(や諦めきれないもの)に対しては、そんな風な近づき方しか出来ないんだと、妙に納得しました。

 ふと振り返れば、氷室冴子の小説に散りばめられてる「古典」達に興味を抱き、それらを貪るように読んだりもしたし・・・本に関して言えば、どこでもどんな形でも出会いがある。そんな風に自然と思ってるんでしょうね(ただ、勢いで読んでたので記憶の表に出てこないのが問題です/^^;;)。

 ある時期、物凄く嫌だったんですよ、こういうのが(苦笑)。で、色々試してみた時期もあるんですが、結局、元にに戻りました(笑)。
 色々楽しむのは楽しめたんですが、「本を読む」「文字を追いかける」という快感が何よりも勝ったし、やはり一番しっくりするだろうな、と思ったりしてます(ただ、その時期にLIVEや観劇といった生モノと出会え、違った部分での気持ち良さを味わえた。その事は幸せな出会いだったな〜と思ってます。そこから更に広がっていくことも出来たし)。

【スペシャル編】感想

 近藤勇だけに視点を当てると、これほどまで「オーソドックスな大河」になるんだ・・・と感じました。そして、近藤の物語としては確実に1つの軸があり、その軸は一切ぶれることがなかったと再確認させられたスペシャル編でした。
 色んな要素があったドラマを、(近藤勇にとって)不要な部分を削って必要な箇所を過不足無く編集し、あの時間内に纏めた編集の方の力量には頭が下がる思いすらします。

 ただ仕方ないとは思うんですが、山南さんの死以降駆け足で、河合や武田なんかの死が1ショットだったりしたのは心底勿体ないと思いましたよ。特に山崎や尾形の影すらなかったのは、個人的に寂しかったです(涙)

 初見時には、この台詞があの場面で回収されるんだ、とか、佐久間象山の「30になったら国のことを感がえる」の台詞に「そうか、近藤は『国のことを考えて』死んでいったんだ、これも伏線だったのか・・・」とボロボロ泣いておりました(最近涙腺が弱くて仕方ない)。

以下雑感

・「多摩の誇りとは」で近藤が初めて人を殺める場面の香取を見て、大丈夫かも・・・巧くいったら大化けしてくれるかも・・・と思った事を思い出しました(その次が本庄宿での鴨との対峙場面)。
・勇とつねちゃん夫婦の可愛らしさというか初々しさに、ジタバタしたくなりました。なやっぱり、あの二人ホント愛らしい夫婦ですよねぇ。あぁ可愛い。
・佐藤鴨が画面に入ると空気や画面が締まるのを見て、その存在感に圧倒されました。やっぱり佐藤鴨は格好良いです。
・今見ると、相島新見と佐藤鴨の関係が微妙なバランスで成立してるのが何となく見た気がしました。元来鴨はもしかして「参謀」向なのじゃないのか、それが何かの拍子で「頭」に立たなきゃならなかった。鴨のそういう志向を知りつつも「頭」としての役割を支持し、巧く機能させるように働いたのが新見なんじゃないのかも。鴨もその事を理解しつつ新見に任せつつも、志向と現状の矛盾の狭間で二進も三進もいかなくなってるのかも。と今更な事をつらつらと思っておりました(ホント今更です)。
・山南さんの「なんかしらんが浮いてる」感が楽しいのは何故?!(愛だとは思います)
・カット場面が何個かあった様な気がするんですが・・・しかも何故それをカットしてる?と聞きたくなるような・・・
・不評であったと思われる「無意味な」CGが悉くカットされてたのが、嬉しかったですよ!出来ることなら完全版からも省いてもらえないでしょうか?!(酷)
・変わっていく試衛館メンバーの中で、変わらなかったのが左之と新八だった。だから彼らは離反せずには居られなかったんだと、改めて感じました。
・やっぱり、「池田屋大騒動」からの場面はなかったんですねぇ。「みんなそれなりにありがとう」は名台詞だと思うんですが(笑)
・しかし・・・ここまで女気の少ない大河総集編って珍しいかも(笑)
・彼らのコルク。良かった・・・離ればなれのままじゃなくて・・・。おみつさんの手元で共にある、それだけで嬉しくてならないんです。

座談会
・短っとは思いましたが、総集編のおまけと考えるとあの位の時間で良かったのかもと思います(総集編だけ見る人も居ると思うので・・・)。
・藤原君の「剛州」(手書き)シャツには何の意味が?!(笑)
・何故、三谷さん一人が手持ちマイクなんでしょうか??
・頑張って「司会」をしてる藤原君が可愛くて可愛くて。途中からお酒で舌が回ってないのか、言ってることが良く解らない事もありましたが、それはそれで充分可愛いから(え)
・藤原君は出演者やスタッフから可愛がられてたんだろうな〜と思わされる雰囲気が伝わってきて、微笑ましいものがありました。
・堺さんが頑張って話を振って回そうとしてる(のか?!)は、失礼ながら意外でした。
・山本君も堺さんが、佐藤浩市さん話をしてる時の嬉しそうな、ちょっと自慢気な顔ったら(笑)佐藤さんの事、役者として尊敬というか好きなんだな〜
・しかし、何故香取君が山本君の受信履歴を知ってるのか?!その時の二人の受け答えが、余りにも自然過ぎて、非常にツボでした(笑)
・「男の話は良いから」って山本君(笑)その堺さんへの鋭い突っ込みは何故に?!(いや突っ込みたくなる気持ちは判りますがね/笑)。
・で京香さん話で盛り上がる面々。そして、藤原君はやっぱり最強だったということで。
全員が悔しそうな表情だったのが、ホント可笑しいというか微笑ましかったですよ。藤原君一人勝ち誇ったような感じなのも、更に可笑しくてなりませんでした(堺さんは自棄に神妙な表情で腕組みしてるし/笑)
・実は2部後の座談会が一番面白かったです。なんか、前室の雰囲気が一番伝わって来たような。こんな感じで盛り上がって、スタッフ巻き込んでワイワイしてたんだろうな〜ってのが垣間見えた気がします。(つうかホントに男子校って感じで、「こいつらあほや〜」と笑いながら見ておりました)
・3部の最後の香取君の言葉には、涙しました。こちらこそ有り難うと彼らに言いたいです。
・香取君の言葉を神妙な顔で聞いてる面々、中でも山本君の表情には何とも言えないものがありました。
・カメラさん達が段だら姿で、時折スタッフの笑い声が入ってるなんて、大河のみならずNHKの番組としては前例が無いんじゃないのか?!と正直吃驚しました。それだけ「一致団結」して纏まってた現場だったんでしょうね。凄いですよ「チーム新選組!」って・・・

さぁ明日は今年最後の「組!」放映です!
年末まで楽しませてくれる「組!」に感謝♪

2004年12月28日火曜日

秋田旅行記

 12/23-25の2泊3日で、秋田県乳頭温泉に行って来ました。目的は、『関西では味わえない雪見温泉を堪能しよう!in秘湯』でした(笑)。また、お宿にはTVが無く、また山奥の為携帯が私用できずネット環境すら無い、そんなアナログな環境に、とっぷり浸ることが出来ました。。

<初日>
 この暖冬でもしかすると雪には御目文字叶わないかもしれない…と思ってたんですが、出発前日にどうらやどっさりと降り積もったらしく、秋田空港は真っ白な銀世界でした。

 で、レンタカーで秋田市内で昼食を取った後、角館へ移動(ずっと"つののだて"と読んでましたが、"かくのだて"だったんですね/恥)。移動中に見る雪景色には感嘆の声しかなく。車中で「鶴女房とか、笠地蔵とかのお話ってこういう場面なんやねぇ」と呟いてしまうくらい、長閑で美しい風景でした。恐らく地元の方にとっては「辛くやっかいな」時期だと思いつつも、その雪景色の美しさや愛らしさにはうっとりしてしまいました。

雪の角館観光。
 観光シーズンには程遠い季節らしく、閑散としてました(桜の季節がメインシーズンらしいです)。ただ、武家屋敷と桜の木々にほっこり積もってる雪が美しく、雪の季節でも充分角館の町並みの美しさは堪能できると思われます。あと、桜細工(樺細工)がオフシーズン価格で、1〜2割引だったのが嬉しかったです(笑)。
 軽く観光して、田沢湖経由で乳頭温泉へ移動しました。

 移動中も雪は降り続いており、滅多に雪なんぞにお目にかかれない私にとっては、雪の中を走るという経験は珍しくて。車中はずっと「凄いね...綺麗ね...」と通常でさえ少ない語彙が、ますます片言になっておりました。また、山へ近づくにつれて気温の変化とともに、雪質が変わっていくのが非常に興味深かったです。

 立ち寄った田沢湖ですが、ホント人っ子一人居ませんでした(^^;;。積もった雪に足跡すらない情景でして、流石に唖然としました(笑)。密かに「遊覧船観光」計画があったんですが、遊覧船が出るような状況じゃなかったです。
 ただ、日が落ちていく時間に立ち寄ったため、湖と周囲の山々が見せる風景は美しく。来て良かった…と心から感じました。

乳頭温泉郷
 同じ宿に2連泊したんですが、お宿も温泉も申し分なく。思う存分に、のんびりとした時間を過ごすことができました。食事は囲炉裏端で山菜&川魚中心としたお料理でしたが、非常に美味しかったです。何より「味噌鍋」が絶品でした!!(元来味噌好きなもので/^^;;)
 また、初日にエゾシカの刺身という珍しいものを頂きましが、鹿の味って意外に淡白なんだな、としか思わなかった味音痴です(ごめんなさい)。
 2日目は、丁度クリスマス・イブということで、食堂入口にある鹿の剥製が「似非」赤鼻のトナカイになってたり、お宿の方が皆サンタ衣装を着けてたり、お料理もシャンパンや鶏肉が出たりと趣向をこらされてました。そんな雰囲気も相まって非常に楽しく美味しいお食事でした。

メインの温泉。
 ほのかな硫黄臭と濁り湯で「温泉に来た〜」感が非常に高まるものでした(笑)。お湯の温度はそれほど熱くは無く、ゆっくり長時間入ってられ芯から体が温まる感じがします。
 さて、当初目的であった「雪見温泉」ですが、想像以上に素晴らしく、雪が降る中で雪景色を眺めつつの露天風呂は本当に最高でした!!

<二日目>
 早朝露天風呂!と意気込んでたんですが、見事に寝過ごしました(笑)

 朝食後、本日の予定会議を開催。
 会議の結果、観光地である小岩井農場に行き会社関係の土産を買う。小岩井が余りにもシケシケだったら、お宿近くのスキー場に行ってみる、と相成りました。

小岩井農場
 えぇ予想通り観光客は殆んど居ませんでした(^^;;。恐らく通常季節であればやってる筈の、シープドックショー等のイベントも全て無く(楽しみにしてたのに/涙)。犬小屋で丸まってる状態の犬たちや、小屋で集まって暖を取ってる毛狩り後の羊の群れなんかをただ眺めてるだけでした(泣)。小岩井自体は広々とした農場、後ろに聳え立つ岩木山が非常に美しくて、目にも心も満足しました(ただ、余りにも人が少なかったのに呆然としただけです/笑)。

 お土産だけ買って(幸いにもお土産物売り場はやってました!)小岩井を去り、スキー場へ向いました。

 このスキーは全く想定外のことでしたが、初日の移動中に宿付近の「スキー場」と、貸スキーの文字を見つけた相方が反応し、急遽、二日目の予定に組み込まれることになったんです。
 が、実は私が一度もスキーをした事が無く、まさかこんな旅行の最中に初体験となるとは、予想もしてませんでした(泣笑)

 齢31にしての初スキーは、
板の履き方からリフトの乗り降り、滑り方止まり方等々相方及びスキー場の方たちに迷惑かけっぱなしでした(笑)皆さん親切にして下さって、物凄く有り難かったです。
 ただ、雪が新雪の粉雪で人が少なくて(2-3組しか居なかった)と非常に「超初心者」には快適な環境だったのは幸いでした。思う存分コケテ雪溜りにぶつかり(それでしか止まれない/涙)、意思とは無関係に滑る(え)事ができたのは、ホント幸せでした。きっと、人が多い中だったら大顰蹙な状態であったと、断言します。ホントに(^^;;。
 また、罪悪感を持つことなく思う存分コケテ埋ってもがけたのは、本当に良かったと。実は、腹筋が無いので一度倒れると、自力では起き上がれず、雪の中でもがいて、相方に救ってもらってました(恥)

 また、人の少ない時期にスキー挑戦できたら良いな〜と無謀な野望を抱いております。相方宜しくね〜(勘弁してくれと言う声が聞こえてきそうです)。

<最終日>
 朝食後、宿周辺にあった「自然道」を散策したんですが。まぁ誰一人足を踏み入れてない銀色の世界が広がっておりまして。時折見かけるのは、野兎や狐らしき動物の足跡だけ。膝上まである雪を漕ぎつつ最後の雪を堪能し、冷えた身体を最後の温泉で温めて帰路に着きました。

 帰途中に「遺跡のBIGNAME(By相方)」らしい、「払田の柵」まで行く事になりました。
(余談ですが、相方と国内旅行すると大概「BigName」な遺跡に連れて行かれます。島根旅行の時は「遺跡巡り旅行」と化した位です/涙)
 県埋蔵文化財センターに車を止め、資料館を見学し、調査員さんにお話しを伺った後、復元されてる南門から政庁まで吹雪の中歩きました(^^;;。
 しかし、名前から想像していたものとは全く違って、平安朝が北まで勢力を伸ばす拠点となった場所、というものを強く意識させられる遺跡でした。柵はあくまでも「政庁=中央」を守るためだけに作られてたんだと思うと、なんとなく当時の中央と地方との勢力関係が薄っすらと思えるような気もしたり…

 その後、再度角館に戻り若干観光し、空港に向いました。が、空港に着いたら濃霧。その為、もしかしたら欠航の可能性もあるとのアナウンスが流れましたが、結果何とか10分遅れで出発しました。ただ、待ってる間の緊張感は堪らないものがありました。

 今回の旅行、色んな「初」体験もあり楽しく幸せな時間でした。
そして、温泉は東北に限る!と再認識した旅行でもありました(青森の蔦温泉といい最高です!)。

ノーベル文学賞受賞作品でしたか...

 旅行中、持参していった「喪服の似合うエレクトラ」を読んでました。「ノーベル賞文学全集20」の中の1篇という、ある意味仰々しいご本。Webで調べた岩波文庫版が何処にもなく、図書館で検索したらこれしか無かったんです。
 この本、表紙画がピカソ、編者が川端康成という、何ともまぁ...凄い本でした。借りた瞬間「どうしよう...」と妙にオロオロした程です。堺さんが関っておられなかったら、絶対手にすることはなかった本だと思います(笑)。ただ、何かしらの縁があってこの「本」と出会い、また静かでゆっくりとした空間で読む事ができたのは、幸せだったと思います。
 
 読書感想ですが、アメリカにとって南北戦争は、大きな「瑕」であり「古き良き時代」なのかもな、というのが第一印象です。
 私が不朽の名作と信じて疑わない「風と共に去りぬ」もそうですが、南北戦争を下敷きにした文学には「家の責任」「罪」「死」そして「再生」といったものが強く感じられてなりません。それだけアメリカにとって、古く新しい瑕であり(国土内で且つ国内で戦争した最後じゃないかと思うんですが...。これ以降国際的な戦争はしてるけど、アメリカ国内では戦闘は無かった筈)尚且つ「家族」が家族として機能していた時代でもある。
 だからこそ、家族の繋がりを通して「責任」を語り、罪を語ることができる。その根底があるからこそ、家族が(内部及び外部からの)要因で崩壊させることで、視点を「個」を写し個々の「罪」や「責任」語り得るんだと思うんです。
 また、更に「個が持つ罪や責任」を一度壊す(揺るがす)ことによって、個々の死と再生がある。その事は個の中に確かに存在してるであろう「家」そのもののを再認識させ、死か再生かを選択させる。
が、それらは元来の「家」とは性質が異なった「家」や「個」でしかない。

 それらに「復讐」という味付けを施す事により、更に深く太古からある人の「業」を描いてる重層的な物語なんじゃないかと、そんな気がしてます。

 また、彼等が常に言葉にする「罪」とは家族の「裏切り」という他に、「絶対的な神」の前に人が持つ根源的な「罪」をも意味してるんだろうな...とおぼろげながら感じました(哀しいかな一神教と多神教文化の違いで、やはりすっきり判りませんが...)。

 今、図書館で「喪服〜」の元になっている「ギリシャ悲劇」を予約してるんですが、そっちを読んだ後にはもう少し違った思いを抱けるんじゃないかと思ってます。

 でも、やっぱり堺さんのオリンと大竹さんのラヴィニアは観たかった。感情が上下し気持ちが揺れ動き、変化しつづけるこの二人。どう彼等が演じてどう表現してるのか、どんなテンポで音で「言葉」を伝えてるのか、そして実際に生きて動いてる彼等を体感してどう「感想」が生まれるのか、非常に興味が尽きません(戯曲はやはり「人が舞台で演じてこそのもの」だと思うようになりました)。
本当に観たかった。恐らく今年最大の思い残しかもしれない(笑)

2004年12月21日火曜日

この一年をほんの少し振り返って

 「一年」が、歳と共に年々早く過ぎてく気がする年末です。が、この一年程充実して、気持ちいい早さで過ぎた一年は久し振りでした。何より、何も無い日曜をもてあます様になるとは予想外の一年となったような気がします。

 去年の今頃は、三谷脚本&香取主演で個人的な期待が高まって、それこそ「わくわく」しながら新年を迎えようとしてました。何があっても1年頑張って見よう!という気合もあったし。
 いや正直、期待だけじゃなくて色んな不安もありました(苦笑)。失礼ながら、脚本落とすんじゃなかろうかとか、NHKから横槍入って三谷さんらしさが消えるんじゃないだろうかとか、脚本若しくは主役交代があるんじゃなかろうかとか。今になっては全て杞憂に終ったことをあれやこれや、思ってました(ただ、NHK的演出とは結果として合わなかったのは予感的中というか、何というか/苦笑)

 そうこうしてる内に各種「大河ドラマ」本を取り揃え(笑)、大晦日には三谷審査員目的で紅白を観続け (の癖に隊士達の応援を見逃してる辺り・・・)、元日は「スタジオパーク」を鑑賞ししっかり応援体勢ではありました(その頃は、三谷氏目当てで、堺山南や山本土方は眼中に無かったです。それが今じゃ.../悔)。

 で始まった第一回。
 初っ端の「顔見世御用改め」場面で「見続けられる」確信が持てました(早っ)。あんなに隊士が居るにも関らず、三谷新選組における各隊士個性が見えることに驚いて。
 それまで、新選組隊士の名前は「近藤・土方・沖田」しか知らなかったんです。それが、個性豊かな隊士を見て瞬時に顔と名前がある程度一致し、「これなら面白いかもしれない」と思えた瞬間でした。

 ただ、終始肩で息をする香取の芝居には不安を感じたのも事実(結局この不安や焦燥感みたいなのもは、30話前後まで残りました)。言っちゃ悪いけれど、当初の香取は「担ぎ上げられる人物」には見えませんでした。何処となく不安感や自信の無さが表立ってるという感じがあって。それでも「きっと大化けしてくれる筈」とか「大丈夫 長丁場だからきっとなんとかなる」と祈るような気持ちを抱かせたのは、香取の人徳だったかもと今になっては思います(笑)。
 しかし、その状態で半年以上過ごすことになるとは、ホント辛かったです(苦笑)。大体バッシングの片翼が香取の演技だったりしたし、もっと頑張ってくれと思いましたよ。香取がなんとかなったらこのバッシングも多少は静かになるんだからさ…とまで思った時期もありました。

 それが、秋以降あそこまで化けてくれるとは!!ホント嬉しかったです。もう少しスタートダッシュさえ早かったら、文句無かったのに、と思えるほど大化けしてくれたことが堪らなく嬉しかったし、愛しくさえなりましたよ(^^;;
 今じゃ、香取でよかったと心から言えます!
 
 で戻って、第一回終了後に案の定、雨後の筍の如く出てくるバッシング。目にする批評にほとほと疲れて(何故に?!)、「マスコミ」では見えない「評価」を求めてネットを彷徨い始めたのが2月頃でした。
 それが、今以て頻回させていただいている、ブロクさんと出会えた契機でした。そこで数々のレビュや考察、史実の新選組の姿についての文章達を拝見し、より深くドラマを楽しめ、何より人知れず連帯感を抱かせていだいた事は、私にとって大きな支えであり収穫だったと思っています。

 そして勢いの余りブロクを始め(笑)「好きとういう想い」を共有することや、繋がっていく楽しさを知ることができました。飽き性の私が半年近く続けられたのは、お世話になってるブロガ-の方達、足を運んでくださる方達のお陰だと感謝してます。皆さん本当に有難うございますm(_)m

寄り道な思いをつらつらと。

 撮影開始から絶え間なくあったバッシング。特に「史実」(若しくは「過去のとの創作物」)との兼ね合いについて、あちらこちらの掲示板に書かれ続けた様な感すらあります。

 昨年のこの時期、まだ始まってもいないドラマへのバッシングが余りに理不尽に感じ、歴史関係の仕事に携わってるしてる相方(史学科出身)に連日「史実とは何ぞや?!」、「歴史と歴史を扱う『創作物』との関係とは如何にあるべきなのか?!」と食って掛かっていた時期でもありました。(相方には当初から迷惑掛けてるな、私)

 1年経った今でも「史実」と「虚構」の兼ね合いとか、虚と実の関係について私なりの答えは出ないままです。ただ、これは当初から思ってることなんですが、所詮歴史ある大河と謂えども「ドラマ」でしかない。そして、描ける範囲(時間や時間軸)が限られてるんだったら、今ある「実」を巧くつかって「虚」を描けば良い。
 その虚構の世界で描かれる「人物や出来事」生きてると思えるのであれば、その世界は成功なんじゃ無いのか。巧く「人」が描ければ、巧く「世界」が構築(勿論最低限の「事実」や「歴史の時間軸」の中で)されれば良いんじゃ無いのか、と。
 今回の大河はそういった意味で、良く出来た「ドラマ」だったと思うのです。

 大上段から「史実とはこう」「歴史とはこう」と言わずに、細かな「実」を「虚」に織り交ぜることで「歴史」の曖昧さ、人が作るからこそ見える歴史の「面白さ」(学問としても、事象としても)なんかを久し振りに味わわせてくれたドラマだったと思います。また、ナレーションが無いが故に「人物」の本音と建前を慮ることが出来、より作られた世界に入り込めたドラマだったとも思うんです。
 だからこそ、此処まで楽しく、満足しながら深みに嵌ることができた。

 ただ矛盾してた思いもあることはあります。
 それは、「歴史ドラマ・時代劇」というには、今一つ違和感、乃至、消化不良な感が残った事は否めない事。こうダイナミックさが足りなかったからなのか、時代のうねりが見えなかった所為なのか、視点が余りにも「ミクロ」的過ぎたのか、拮抗する勢力内部が描かれなかった所為なのか、編集の所為なのか解りませんが。結果として、恐らく時代劇としての「評価」は為されないドラマだろうとは感じました。

 相方がこの1年言い続けた「これならなんで『時代劇』にする必要がある。歴史的背景や設定だけ巧く借りて、変化させた『現代劇』にした方がより切迫感も出ただろうし、物語としてもより面白くなったんじゃ無いのか。三谷の才能ならそれくらいできるだろうに」という言葉が離れませんでした。
 また、その言葉に対して「時代劇」である意義なり根拠を示して、理論立てた抗弁が出来なかったことが、ある意味このドラマの私なりの評価かもしれません。
(ちょっと穿ってみたら、三谷氏が描きたかった何かが、現代劇ではなく「時代劇」という枠を借りてしか表現し得なかったのかも、とふと思ってみたりもします)

 ただこうやって、あれやこれや思いを馳せられるドラマであることは間違いないし、こういった事ができるドラマに出会えたことが嬉しく、幸せなことなんだと実感した週明けでした。

2004年12月15日水曜日

なんとなく呟いてみたい。

 最終話から3日経ちました。悲嘆に暮れてどうしようもなくなるかと思ってたのに、落ち込んでも凹んでも浮ついてもない、普通の状態なのに驚いてます。
 でもこの状態なのは、「新選組!」が綺麗な終わりであったからこそだと。
 ある意味、物凄く幸せな最後を見せてもらえ、充分満ち足りてるからなんだと、そう思ってます。

 「近藤勇の斬首」という史実なり結果は決して「幸せ」ではないし、彼にとっては哀しく無念だったろうし、残された者にとっては辛い結果だったと思います。それは間違いではない。ただ、大河で三谷幸喜が描いた「香取近藤の斬首」は、静かで美しく穢れがなかった。
 誤解を招く言い方かも知れませんが、天命によって定められた生を悔いなく生きた後に訪れる「満ち足りた死」のような趣すら感じられます。

 近藤の斬首直前の表情に、「未来」と「希望」「安らぎ」を見た気すらしました。それほど満ち足りた「死」だったと思うのです。

 更に、残された者誰一人として「近藤の死」を悔いていない。それは「諦め」では決してなく、彼等の未来の糧になってると思うんです。近藤の生き様そのものを「受け止めて昇華」し、己の中で再生産してる。
だからといって、近藤の死を彼等は決して忘れることは無い。
 そんな確信すら抱かせられました。

 そう思える最後だったから、土方が転戦する意義や意思や思いが、島田が生涯「新選組」を忘れなかった事が、永倉が近藤らの慰霊碑を建てたのが朧気にでも解るような気がするんです(遥か遠くに霞んでる蜃気楼を見てるような、そんな遠い遠い感覚です)。

 最初から最後まで、「史実を捻じ曲げてる」とか「史実と違う」とか、果てには「実際の人物はもっとこうだった」とまで言われ続けた、物凄く珍しい(苦笑)大河であったと思います。多少の虚構があったり、史実と異なる部分はあったにせよ、彼等は決して「史実」を蔑ろにも無碍にもしてはいない。逆に史実やこれまで創られた物語に対して、このドラマの作り手は謙虚であったり、敬意を払ってるとすら思います(愛情すら感じる)。
 キャストの発言からでもそう感じます。実際に生きてた人の「生」と「死」を演じることの「深さ」や「重さ」を理解し、彼等の「生と死」に対して敬意を払ってる。だからこそ、役と同化し得「抜けない」という言葉が出てくるんだと。じゃなきゃ、たった1年のドラマで、実際の土方や島田や永倉が残したエピソード等に対して思いを馳せる事はできないです。それも「畏敬の念」を抱きながらなんて事できません。

 そんな最終話だったから、あのカーテンコールで幕を下ろせたんだと。大河枠でなきゃ作られなかったであろう「新選組」という物語を、TVという「劇場」を使った「舞台」を、心行くまで堪能出来た事が本当に満足だと思えることが嬉しいです。
(そうか・・・TV「ドラマ」じゃなくTVを使った「舞台」だったんだよね。やっぱり・・・)

2004年12月13日月曜日

良くやったテレ朝。

 有り難うテレ朝!
 これはNHK制作か?!と思うような『新選組!』映像を使いまくった番組作り(つうかNHKが良く許可したよな、放映中だったのに)、あ〜んど、FANのツボを押さえ尽くした、充実且つ見事な「スマステ4」を有り難うございましたm(_ _)m
 しかも、全員スーツ姿という眼にも麗しい姿を堪能させて下さるなんて!(堺さんのスーツはやっぱり微妙でした/^^;)

 地方公演中の魅惑の「総長&副長コンビ」は、中継ではありましたが(やはり荒技は無かったか/^^;)それでも充分満足でした。副長の心底寂しそうな様子、総長の相変わらず「知的」なのに「天然」な発言なんかを、あそこまで徹底的に見せてくれるなんて…何と言っていいのか…嬉しい(え)

 ツボは全部ですよ!
 冒頭の香取局長の何とも言えない「嬉しそうな」笑顔や山本土方やぐっさん(三谷氏)に楽しそうに突っ込む様子とか、堺さんが話すたびに「山南さんだ…」といちいち反応する姿とか。
 堺山南さんの皆(特に年少組)を見守ってるような微笑と腕組みと、「(山南さんが切腹された部屋を訪れた際)何も感じなかった」とか、役が抜けてるか聞かれてるのに「確かに声が遅れるのが気になる」という、何処まで「天然」なのか解らないご発言(笑)とか。
 山本土方の「ぐったりしてる(by香取局長)」状態で、現場の乗りが掴めず寂しさと相まって少々憮然とした感じなのに、飲み会の話になると「俺が仕切るから!」と突然積極的になる様とか。
 藤原総司の無邪気さ、ちょこちょこ落ちつきなく、堺山南さんが写ってるモニターに悪戯してる様とか(彼はホントに総司だよ…)。
 勘太郎平ちゃんのやっぱり「平ちゃん」な笑顔で礼儀正しい様とか。
 ぐっさん新八の物真似やさり気ない鋭い突っ込みとか(ずっと「ここはテレ朝」と言ってるのが可笑しい)。
 山本左之の豪放磊落で、此処まできて三谷さんに駄目だしされてる様とか。
 小林源さんのさり気なく皆の傍にいて穏やかに見守ってる「源さん」な様とか。
 照英島田の熱い思いとか「時代劇」に対する思いとか(笑)。
 吉弥山崎の不可思議なスーツ姿(笑)とか、やっぱり木曜に飲みに行った話とか。
 三谷氏のラメ入りスーツとか(最近のブームなんでしょうか?あの手のスーツ。『なにわバタフライ』の発表の時もラメ入りだったような…妙に似合ってない気がします/苦笑)、「お金が無かった」発言とか、この期に及んでも駄目出ししてる様子とか。

 一昨日の晩大阪で「朝まで」飲んだ吉弥山崎の「暴露」が可笑しかったです。つうか、大阪まで『新選組!』のビデオ持参するって事も大概驚きましたが、一晩で5回も見る山本君って…何者?! 君は今「はらはら時計」のリーダーじゃないのかい?!
 それにお付き合いされた吉弥さん、お疲れ様でした(そりゃ「この人」呼ばわりもしたくなるわ/^^;)。

 結論:みんな仲良し過ぎ(笑)きっと前室もこんな感じだったんだろうな、と思わせられました(あんな状態じゃ確かに女性陣は入れませんよ/笑)。こんな半プライベートな映像を公共放送で流して良いんでしょうか?と思うほど、皆さんリラックスしてたような(笑)

 ところで、香取の京都ロケ中の言葉には胸を打たれました。
 偉そうな表現ですが、「何か変わった。一皮どころか何皮も剥けた香取慎吾が現れたんじゃ無かろうか…」とすら思うほど。特に三条河原でのコメントは言葉を失いました。晒された近藤首級と己の今の姿を重ね合わせられる、そしてその状況を思いながら橋の上の人々を眺められる。その「強さ」には脱帽しました。

 そして、VTRを食い入る様に見つめる出演者の姿に「プロ」としての姿勢と、作品に対する愛情や誇りを感じましたよ(そして「香取局長」に対する愛情も)。

 しかし、やっぱりお金なかったんですね…NHK(涙)。山崎の水葬は映像として見たかったぞ!!
 けど、今回は地方ロケも群衆シーンも馬の数も例年と比べて少なかった筈だし、ロケセットも余り組まなかったと思うんですが…一体何故そこまでお金がなかったのか?疑問です(苦笑)

さぁこの様子だと、座談会期待できそうですよ!!(期待の方向が違うのは解ってます^^;)

新選組!最終話【愛しき友よ】感想

有り難う。
有り難う。
有り難う。
一年間、本当に有り難う。
その言葉と涙しかありません。

いつも以上に感情だだ漏れの纏まりのない感想です。

○香取近藤
・冒頭の近藤の静謐な佇まいから最後の「とし」まで涙溢れて仕方なく。
・最後まで託された役割と期待から目をそらすことなく、ただまっすぐに実直に、死すらも己に託された役割と受け入れる近藤。
・そして、軟禁されてるお宅の娘さんを見て、僅かながらも「生きよう」とする姿に、残さざるを得ない「家族」への思いを感じてしまいました。そして、まさか拳骨を口に入れる場面が、これほど切なくなるとは春先には思いもしなかった…。
・徳川からは切り捨てられ、勝のみならず西郷にも「意味ある死を託され」た時の近藤の表情があまりにも、透明で全てを受け止める、そんな言葉では表現できない何かもっと大きな器を見た気がします。
・ただ一番切なく哀しかったのは、転がるコルクでした。何故、ここまでの孤独を香取近藤に与えるのか…せめてせめてコルクだけでも…愛しそうに懐かしそうに慈しむようにコルクを持ち眺めてる近藤の目と、転がったコルクを見るなんと言えない瞳が切なく哀しかった(この場面、声あげて泣きました…)。
・つねちゃんと無言で見つめ合う場面。京へ旅立つ時と同じ構図は止めて下さい…切なさが倍増するから…と呟いたほどです。つねちゃんと近藤にとって、京へ向かうも刑場へ向かうのも同じ重さだった。ただ、「確実に」戻ってこれない事しか違いは無いのでは。
・左之の「尽忠報国の志あっぱれなり!新選組は不滅だ!」に懐かしく暖かく僅かの時間でも「安堵」を与えられたのでは。
・そういえば「尽忠報国〜」って、桜田門外の変で鴨が亡くなった浪士達に言った言葉なんだよな…それを左之が近藤に掛ける…なんかもう
・「とし」
・解釈も感想もありません。ただ、彼が発した言葉を受け入れて残しておくだけです。

 前回からですが香取近藤の姿や纏う雰囲気全てに、ある種の神性すら感じました。これこそ一年間描いてきた「香取近藤」が揺るがず、貫き通した結果だと思います。
 三谷が何処まで計算して描いてきたのかは解りませんが、この最終回が香取と三谷の描く近藤像が巧く合致した結果だと。長い長い助走を経て、走り切った場所が「此処」だと思うと。感慨深いのか着地が見事すぎる所為なのか、言葉がありません。
 香取君、ホントによく頑張ったと思います。最初〜初夏まで「どうなる、香取慎吾。このままで行くのか?頼むわ…」とどうしようもなくマイナスな印象しかありませんでした。それが、ここまで新選組局長「近藤勇」になってくれるとは。大河ドラマ常とは云え役者の成長するときの勢いなり、求心力をまさざまに見せてくれたこと感謝します。
 有り難う。そして、お疲れ様でした。

○山本土方
・最後まで戦って、何かにぶつかって、けれど絶対喪わない「柔らかな、大切な部分」が魅力的でした。
・勝に助命嘆願する歳の表情が、最初から泣いてるんですよね…なのに、勝に「死に場所=生きる意味」を与えられた時は、近藤と同じように勝の言葉の裏を理解し受け入れる。そして、拠を与えられたことに安堵を覚えた感のある表情が、絶品でした。
・逆に、実兄の前で「土方家に泥を塗った」と辛い心情を吐露し、兄に京の出来事や今や未来を肯定されて、受け入れられた瞬間の静かな涙。かれの6年間が昇華した瞬間じゃないかと思います。
・これがあったから、彼は「変わること」を許され、函館まで「指揮官」としてやっていけたのかとすら感じました。
・戦場で総司に馬鹿にされると呟き、コルクを眺める姿が漸く何かから解放され、本来の土方として成長を始めたと思わせられます。あぁ続編見てみたくなりました(笑)
・しかし、女性を見る目は相変わらず細かいことも忘れず描写され、僅かですが癒されました。

 この土方は、休むこと(歩みを止めること)を許されない役だったと思うんです。しかも感情の振り幅も割合大きく、多くの顔も見せなきゃいけなかった。そんな土方を1年以上にも渡って「三谷脚本」と「演出」と「己の演技」とを見事に摺り合わせた技量には脱帽します(恐らく彼の基準は「三谷脚本」だったとは思いますが…)。本当に素晴らしい吸引力と魅力的な土方を有り難う。
そして何より『チーム新選組!』の要で居てくれて有り難う。
 長丁場、ホントにお疲れ様でした!

○藤原総司
・救いのない孤独
・誰からも愛されて、才能もあって本当なら幸せな生涯の筈なのに。
・過去も今も皆、総司の臥せっても喪われない明るさや、無邪気さ、聡さに癒されてるんです。ただ、総司自身が余りにも生き急ぎ、聡すぎるから。最後には救われない彼自身が痛々しく切なくてなりません。
・刀を奪われた孤独と、心通い始めた矢先に「大切な女性を」喪った孤独、仲間が去って行く孤独、誰からも真実を告げられない孤独。けれど、彼が感じる孤独は皆が彼を「大切に」掌中の玉の如く慈しみ、愛してるからこそだと、彼が識ってる事が一番彼の幸せであり不幸な所なんだろうな…

 藤原君については、これまでも散々書いてきてますが。天才だよ…とか決してTVに収まる役者ではないよな…と納得させられた1年でした。あらゆる矛盾と成長を混ぜ合わせた「沖田総司」を、なんとも軽々と演じてる藤原竜也を見れただけでもこの1年嬉しかったです。
 撮影初盤と終盤には蜷川シェークスピアの舞台と重なっていたそうで、お疲れ様でした。そして有り難う。

この調子で書いていくとキリが無いので…

・新八の「近藤さんを悪く言って良いのは、苦楽を共にしたものだけだ」は、新八最後の名台詞だと思います。そして、新八が新選組に対して抱いてる思いの複雑さも感じました。ぐっさん、大人な新八、お疲れ様でした。ぐっさんの物真似ネタで裏話がどれだけ楽しかった事か(新八への思いとは違う方向に行きそう…)。有り難うございました!
・左之。左之の明るさに近藤は救われたはず。本当に有り難う…山南さんの遺志を大切にしてくれて。本当に本当に有り難う。きっと、大河の左之は馬賊の首領になってると思います。
じゃなきゃ、おまさちゃんと茂があんなに暖かで穏やかな表情してないもの…
山本太郎さんお疲れ様でした。そして、楽しい突っ込みどころの多い左之を有り難うでした!
新八&左之コンビにどれだけ楽しませてもらったことか!お二方お疲れ様でした。
・つうか山南さん卑怯ですよ…あんな所に何時の間にあんな落書きしたんですか…(大泣)
・斉藤一。容保公から虎徹を押し頂く姿に涙しました。そして、関で名乗りを上げる姿が「人」として生まれ変わった斉藤を見た思いを強く。
 自らの意志で何処にも属さなかった一ちゃんが、誇らしげに名乗りを上げた。そして、恩でも義理でもなくただ自らの思いを軸に、京へ向かう。胸が熱くなりました。
 オダギリ君、可愛くて頼もしい斉藤一役お疲れ様でした。当初「捨て犬や…わんこや…」としか思えなかったのが、どんどん「人」として生まれ変わって行く。そんな不思議な過程を見せて貰いました。有り難う。
・捨助。最後までどうしようもなかったけれど、かっちゃんが大好きで、傍にいたかったのに居れなかった
。哀しいけれど、滑稽な役だったと思います。獅堂さん、お疲れ様でした。
・野田勝。幕引き役としては最高でした…野田さんが勝で良かったとしか云えません。
・宇梶西郷。懐の深さと深謀遠慮と「情」が見える台詞。最高でした!正直、宇梶さんで西南戦争を見てみたい気がしてます。
・古田有馬。最後まで「武士」として近藤を扱い、旧来の武士階級が持っていた「情け」を捨てること無かった有馬が格好良いとすら思いました。そして、己の力が及ばなかった悔しさも含めて「古田有馬」は強烈な印象を残しました。あぁ古田さん(熊さんみたいだけど)格好良かったです。
・筒井容保公。筒井君の「人の好さ」が最後が近づくに連れ悲劇的に見えて仕方無かったです。
・石黒桂(木戸)。まさか最終話に出てくるとは思ってなかったので、吃驚しました。これで見てる方も綺麗に落ち着きました。
・今は亡き源さんこと、小林源さん、お疲れ様でした。

○以下最終回のくせに愚痴ってます(愛溢れるあまりの…だと思ってもらえたら嬉しいです^^;)
・捨助の最後に関して。捨助の存在狂言回しというか、道化役という理解をしてます。ただ、最終点が「死」であった、その事は殉死と捉えざるを得ないとは思うんですが、それでもやはり唐突感が拭えず。もの凄く勿体なかったな…と感じてます。
・最後までしつこいようですが。今回はもっと全体というか、ロングショットで見たかったです。こうも「顔・顔・顔」ばかりのアングルだと、リズムが悪く感じるし折角のお芝居が…で、画面の切り替えも違和感があって…言葉は悪いですが、紙芝居みたいだと何度か感じました。ホント最後だけに勿体ないし、悔しくて仕方ないんですよ…
・最後まで三谷脚本とNHK的演出が咬み合わなかったんだろうな…と思ったりします。ドラマ半ばにはこれは相性良いやん、と思う演出家さん達も居たのにな〜何で最終回が…
・最後までしつこいようですが、その2。藤原君おねだり山南さん追加撮影場面は結局カットでしたか?!それとも藤原君の悪戯か?!その辺どうなんでしょうか…

と愚痴ってはみましたが、心から満足し素晴らしいと云える作品だと思ってます。
ふでさんの「近藤勇良く戦いました」ではありませんが。
三谷さんとキャスト、スタッフの皆さんに…
「チーム新選組!素晴らしい作品を有り難う!」と申し上げます。
視聴率という「記録」には残らないでしょうが、視聴者の心に「記憶」に刻まれた作品だと思います。
そんな作品を有り難うございました。
そして、一年間以上に渡っての制作お疲れ様でした。

最後に、三谷さん!
お疲れ様でした、そして有り難うございます。
なんか、ホントこの一年間三谷さんが紡ぎ出す言葉の流れに飲み込まれ、翻弄されました。
それが心地よい流れで、思う存分翻弄されたことが嬉しくてなりません。
そして、素晴らしい役者さんを集めて下さった事も感謝です。

みんな大好きです!!!

『リンダ・リンダ』

 一言で纏めるなら、副長もといヒロシに魅了された3時間でした(笑)。山本君のお芝居のみならず、説得力のある歌、声、アクロバティックな動き、ダンス全てが魅力的で視線を外すことが出来ないほどでございました。水を得た魚の様な姿を見るに付け、彼は「舞台」の人で、舞台でこそ「輝く」人だと改めて感じることが出来ました。
 また、役者さんの勢いと絶え間なく流れる音楽に飲み込まれて、感情も何もかも翻弄され良い疲労感の残った舞台でした。

 話については、あらゆる場所で詳細且つ丁寧なレビュが上がってるかと思うので、省略します。
 鴻上さんの舞台初めてだったんですが(サードステージの舞台はDVD等で鑑賞してますが、鴻上さん作・演出ではなかった)、テーマ深さと舞台の明るさが対照的で衝撃を受けました。何より、台詞が度々突き刺さって。鴻上氏が持つ「柔らかい鋭さ」が己が触れたくない部分を的確に刺激してるから感じる、痛さ、それらを再認識する心地良さすらありました。
 恐らく精算されないまま今日まで残され、うやむやになってる学生闘争、過激派の過去と現在。その後の経過や現状が表舞台から消えた感のある、(諫早湾干拓に代表される)公共事業の在り方。
 男女の関係性。
 才能と限界。
 個人の過去の精算。

 決して簡単に答えは出ず、個にも社会にも還元できそうなそんな事が織り交ぜられながら、個の集まりであるバンドを軸にし、個々の動きを追う視点がぶれない。個々の動きも「矛盾が無い」事、そんな「当然」の事に驚きを感じます。また、物語であるのに、個や舞台で語られる事情の「現実感」に鳥肌が立つ程でした。特に諫早湾の堤防が落とされる映像には眼をそらしたくなるほどの、恐怖を感じました。と同時にそれらを「一時の話題」として扱い、今はすっかり「過去」の出来事として扱っている私自身に腹立ちすら覚えました…。

 出演者ですが、山本耕史の一人勝ち(笑)状態はさておき。もう一人の主役でもある、松岡君。流石歌手!ソロで歌うときなんか「美しい」とすら思えました。けど、哀しいかな山本君の艶と説得力の前にはもう「少し頑張れ!」と思うほど生彩を欠いていたかと思ったり(初舞台であれなら「素晴らしい!」とは思いますし、底力はある方とお見受けしたので…今後の飛躍を期待する意味での言葉だと思って下さいませ^^;)。

 この舞台、舞台を生業とされてる方と、そうで無い方の「柔軟性」や「瞬発力」の違いを垣間見た気がしました。恐らく「何かトラブル」があった際の対処は当然ながら「舞台役者」さんの方が慣れてる分、タイミングを誤ることなく流れを元に戻せるんだろうな…、と何度か思わせられました(台詞を噛んでも巧く誤魔化す山本君とか/笑)。

 で何度も出てきてる山本耕史君、一人勝ち状態(笑)ですが。舞台が小さく思える程、動き回って人一倍多いであろう台詞を言い、ここぞとばかり歌い踊る。そして、奥の方で小芝居(笑)も忘れない。ホント、舞台(ミュージカル)役者でした。歌も決して技巧的では無いと思うんですが、何かしら説得力があるんです。恐らく「芝居」の流れに乗り、その役として歌ってるからだと思うんですが。思わず聞き惚れる、そんな感じの歌でした。

 踊りは、流石「体作り師匠(って何?)」。体の動きでしっかり魅せてくれました!バック転に始まる一連のアクロバティックな動きも、流石だ〜と(笑)妙な感動すら覚える程。しかも、時折「強気」で「俺様」な台詞や様子がある度に、「土方がおる」「俺様何様土方様ヒロシ様山本様がおる」と的外れな感想を抱くほど素晴らしかったです(何処が素晴らしいのか?!)。というか、まだ「土方」抜けてないのとちゃうのか?と思う瞬間が度々ありました(翌日のスマステ4で抜けてないことが発覚しましたが/笑)。

 そして、カーテンコール。都合4回ありまして。一番最後には山本君が「もう終わりで〜す」と言う程でございました(あまりにも可愛らしい様子で嬉しかったのは内緒です/^^;)

 しかし、今回何が一番印象強いって…。斜め後ろの席に鴻上さんが座られた事ですよ(笑)。開演直前に座られ、思わずサイン求めに行き「サインはお断りしてるんです。握手でも良いですか」とおっしゃって下さり、図々しくも握手していただいた事が一番嬉しかったです(あんな間近で演出の方見たのはホント初めてで、吃驚しましたよ…)。
 しかし、斜め後ろに鴻上さんが居られると思う、やたら緊張した観劇時間ではありました(笑)

2004年12月9日木曜日

古典芸能初体験とな。

 昨夜、山崎蒸こと桂吉弥さんに引き寄せられ、行ってきました「駅寄席 第6弾」。

 前売りどころか当日券も開演前には売切れだと知った時には、恐るべし「『組!』効果」と思いました(笑)が、予想に反して客層は老若男女と幅広く(桂山崎効果で若い女性ばかりかと思っていたもので^^;;)、皆さん「落語」そのものを楽しみにされてた感じがあり、とても落ち着いた感じを受けました。
 また、会場自体は旅行会社の受付周辺の一角を使っており、時折電車の音が聞こえたりもしましたが、50
席とこじんまりとしており、それが寄席が持つ身近な雰囲気を醸しだしてるようで、居心地の良い空間となっていたかと思います。
 あと、お囃子が(当然ながら)生だったのが嬉しかったです。

 で、肝心の演目。
 最初に高座に上がられたのは、桂阿か枝さん。噺は「牛誉め」。
 粗筋(っていうのか?)は、物覚えと口の悪い「あほ」が、普請されたばかりの家の大黒柱にある節の隠し 方を教えて駄賃をもらおうとする(子供のお使い程度の小遣いです)。で、友人(若しくは目上の知りい)に教えられたとおり(カンペを見つつ)屋敷を誉め節の隠し方を教え、計画(そんな大層なものではないですが・・・)どおり駄賃をもらう。で、最後に誉めた牛に…
 という、噺でした(解り難い粗筋ですみません)。

 この噺、何が凄いって、滔々と出てくる「誉め言葉」の数々。特に普請に対する言葉は、こんなにあったのか?!と驚く程でした。言葉自体は30%くらいしか理解できなかったんですが(苦笑)、言葉の音とリズムだけで「その場に立って見てる」ような感覚になったのが、これまた凄いというかなんというか。

 ただ、時代設定が今一つ安定してなかったのが僅かですが辛かったです(^^;;。言葉使いや普請の様子、小道具からして、恐らく昭和初期までなんだろうと思ったんですが、もらったお駄賃の金額が、1000円だったのが..。これは噺家さんの苦肉の策なんだろうな、と解るだけに本当に惜しまれました。
 確かに、貨幣価値なんかは時代によって大きく変わるし、「○銭」と言われても実際如何ほどの価値があるかなんて瞬時に解りません。なので、そういった部分は変化しても良いと思うんです。けど、折角の雰囲気がなぁと思ったのは事実でした(偉そうですみせん)。
 その部分以外は、本当に楽しませていただきました(^^)

 次が、我等が(え)桂吉弥さん。噺は「蛇福草」。
 粗筋は、夏真っ盛りに餅好きな男が立ち寄った友人宅で、売り言葉に買い言葉の結果「餅箱一箱の餅」を食べる羽目になり、帰宅後もらった蛇福草(人を呑んだうわばみの胃腸薬で人を溶かす草)を飲んだら...、
というある意味ファンタジックともホラーともいえるような不思議な噺でした。

 吉弥さんに関しては、長くなります(笑)。
「米朝一門のルー・大柴。桂吉弥です」(そう言われれば確かに似てる/笑)から始まった吉弥さんの高座。
吉弥さんの大師匠であり人間国宝でもある桂米朝さんの話から、米朝さんのところで修行されてた際の弟子と師匠との遣り取り(師匠への気遣いだったのに、突っ込まれたみたいな)の話。そして、寒くなってきたらイルミネーションが多くなりますね、という時候の話をされた後、「寒いので真夏の噺を」との一言で、一気に季節も時代も飛び越えました。

 浅はかながら、『組!』関係のお話されるかな〜と思っていたんですが、一切ありませんでした。それはそれで、「駅寄席」という場では当然だと思うので「何で無いの〜」消化不良にはなりませんでした(ちょっと残念でしたが/笑)。

 で、生吉弥さんを見た印象は、当然ながら「山崎やない」でした。
 あの役は「吉弥さんの抽斗の一つ」でしかないことや、落語家さんとしての「何か」をきちんと持って構築される方なんだと思った事が、なんかとても嬉しくて。本職に対して「真摯」できちんとされてる方の存在感や、凛々しさは美しいと思うので、それを見させていただいたのが、嬉しくてなりませんでした。

 落語をされてる桂吉弥さんは、予想以上に「動く」方でした。特に、「餅の曲芸食べ」を披露されるんですが、それが非常に大振で(曲芸だから仕方ないです)さも楽しそうにされてる姿なんかは、上半身がお座布団の外にあった程です。
 そういうのを見ていて、恐らく見当外れとは思うんですが、なんか桂枝雀さんっぽいな〜という印象を受けました(枝雀さんの高座での行動範囲の広さとか、表情豊かななのに「きちんと」されてる噺が好きでした。全集欲しいな/え)。

 しかし、餅の食べ方が本当に美味しそうで美味しそうで。思わず、「今すぐ、焼きたてのお餅を食べたい...」と思うくらい美味しそうでした(笑)。それより何より、無いはずのお餅が見えるんですよね〜
落語の表現力って凄いな…と感心しました。

 で総括(え?)
 枕から小噺、そして噺に入っていく意味が、生で聞いて初めて理解できました。導入部で、やる噺の大まかな構造や補足的な事を説明するから、噺が始まったら「違和感無く」「すんなり」その世界に身をおけるんだな…と体感させてもらいました。
 更に、落語は下地が要ると改めて感じました。特に「江戸〜戦後」までの風俗を知ってるか知らないかでは、楽しさ(可笑しさ)が絶っ対違う筈(今回のだと、和風建築の作りとか装飾とか)。ただ、決して堅苦しい「伝統芸能」では無い。噺家さんが連れって行ってくれる、世界で「遊ぶ」事が一番大切なんだな〜と思えたこと。
それが一番の収穫でした。

また、こういう機会があったら「寄席」に足運んでみようと思ったり。

2004年12月6日月曜日

むっちゃ複雑な気分です。

「まるごと 川原泉」第3号を捲って驚きました。

 『笑う大天使<ミカエル>』映画化ですって!しかも、実写で...。2006年公開予定らしいですが。

 喜ぶ前に「ネタじゃないのか?!」と疑うあたり駄目ですね。ってか、何で今頃映画化なんでしょうか?
 肝心のキャスティングは、史緒だけしか載ってなくて上原樹里嬢。映画『スゥイング・ガールズ』での彼女を見る限り、なるほどな、良いかも、と納得です。

 が、その他のキャストは??。ねぇ??
 身長154センチでコロッボクルな柚子は?
 ぼーっとしたオスカルの和音は?

 和臣殿下は?
 サー・ロレンスは?
 アンドレこと(違)俊介は?

 なによりダミアンは一体どうするんだ?!

 と物凄く気になって仕方ないです…。

 実写だと、あのお呑気な世界や珠玉の言葉達はどうなるんだろうか、と非常に複雑な心境です。蓋を開けてみないとどうとも言えないのは、重々承知してるんですが、川原作品の中でも、一番好きな作品だけに。
複雑な気分です。

 あぁ。キャストが気になります。せめてせめて猫かぶり3人組だけでも早く知りたい・・・

一夜明けて。

 年末に向けてカタルシスを味わうのが、大河ドラマの本来あるべき姿なんじゃないのか?!
 こんな風に一場面一場面に声をあげて泣きたくなるような終盤じゃなくてさ...
 もっとこう紗が掛かった過去を穏やかに「回想」するのが、大河の終盤じゃないんですか?!
 そんな回想場面すらなく(いや・・・回想場面が挟まるたびに「冗長じゃないか・・・」と思う私が言う事じゃない)、この期に及んで「未来」を語る大河って・・・。
 しかも、台詞や役者の佇まいだけで過去が振り返れる、しかもそれらが全て「明るい」ってどういう作りなんですか?!

 何度も言うようですが、多摩編と鴨編に費やした半年は決して無駄じゃなかった。あの時期が緩やかで明るかったからこそ、今のドラマがある。
 死んでいった隊士達のみならず、生き延びる者達も、死に赴く人達も、敵である筈の薩長側の面々も、全員が活きてる。誰一人として無駄にせず、どの台詞も無駄じゃない。
 近藤・土方・沖田の中で全てが息づいて、新しい何かを産んでる気すらしてます。

 あぁ、もう・・・三谷さんに平伏しますよ。ホント…ホント色んな部分で悔しくてなりません(何者)。
 
 確かに、新選組!は紛れも無く「大河ドラマ」でした。
 当初吉川チーフプロデューサががおっしゃっていたという、「古い器に新しい酒を入れる」の言葉通りの大河だったと思います。この新酒はホント美味しかった。器に負けない美味しさと品格があったと思います。
 けど、結局「鬼っ子」な存在であることには変わりないと、そうも思います。鬼っ子で在るが故に、強烈な存在感と吸引力があった。だから、ここまで深く受け入れられ愛された存在に成り得たんじゃないかと。
作り手と受け手との関係が、信頼と密接な愛情を保ちつづけた大河は珍しいんじゃないかと思います。
 なんか、双方向の関係というのか、互いに受け止めあったというのか、そんな気すらしてます。

 大きな河の流れに翻弄されつづけた、この一年。楽しかった!! 
 まだまだ総集編もDVDも残ってる!
 今月一杯といわず来年も充分翻弄させてもらいます!!

2004年12月5日日曜日

新選組!48話【流山】感想

 彼らの過去や関係を重ねながら終焉に向かっての下地を作り、それぞれの最後の「歩み」を意識させられた回でした。

 最終回に近づくのがこんなに辛く哀しい「大河ドラマ」になるとは、当初は思いもしませんでした。これまの「大河」は「栄華」を極めた余韻がある中、どちらかと言えば「大往生」に向かう流れがあったと思うんです。なのに今回と言えば、栄華を極めた時も短ければ、その余韻すらくただただ「破滅と死」に向かっていくのみ。それなのに、彼らの歩んだ過程(人生)に対して、どこかで「満たされた」感すら抱いています。哀しく辛いけれど何かに満たされた最後を共に歩んでいる、最終回を目前にそんな不思議な思いを抱いています。

以下雑感

○旗の後
・何も変わらない歳の姿が、愛しい。
・そしてそれを呆れつつ眺めてるかっちゃんも愛しいです。
・場所の由来を説明する周平が、水を得た魚のように活き活きとしてて、近藤ならずとも目を細めますよね。彼にとっての京都〜勝沼の日々は辛かったんだろうな、と思わせられる場面でした。
・幹部会議の人数の少なさが…。空間の広さが…。もう勘弁して下さいです。
・斉藤は注目されることにも慣れてなくて、話題になるのも慣れてなく、感情のまま動くことも無かった。それが見える場面が微笑ましくてなりませんでした。
 だからと言って、照れを誤魔化すために尾形君に向かっていっちゃ駄目ですよ(^^;;。尾形君が余りにも可哀想だから。
・近藤に「流山」と、しかも期待感を込めて言わしますか(涙)

○勝meets西郷
・良いモノ見せていただいて、お腹いっぱいです(^^
・勝の言わんとしてることを、無言で察し答える西郷に、政治家というより「人」としての器の大きさを感じます。そして、それが出来るであろうと「確信」し相手の懐(陣地)に飛び込んだ勝の肝の据わり具合や、才覚にも「凄さ」を感じます。
・「器」の素材も質感も違う二人なのに、人としての「器」が近似してるが故に多くの言葉を費やさなくても、分かり合えるんだろうなと感じる場面でした。

○総司と近藤
・来るはずのない未来を楽しそうに語る二人。儚くて暖かくて優しくて、だから哀しい。
・そういえば野試合。助太刀の総司、楽しそうだったよね…。左之が勢いで参加しちゃうくらい楽しそうで。きっと、そんな過去を共有してて相似形の未来を二人で描けた事が、あの瞬間の二人にとっては濃密で幸せな時間だったんだろう。
・そんな時間を共有させてくれて、有り難う。
・あれは過去を振り返ってるんじゃなく、これから続いて行く未来への約束なんだと思います。

○総司と斉藤
・彼らの間にも「友情」が存在していた事。そこに救われました。
・彼らの友情は、総司と平助が築いたモノとは違うけれど、同じ目線で語れるモノになったことが嬉しいのか、語れる期間が余りにも短いことが哀しいのか…。ただ涙が溢れた場面です。
・斉藤の優しさと総司の覚悟。斉藤の覚悟と総司の優しさ。どれも京都の過酷な日々で培われたもので。それが瞬間でも交叉して、互いをまっすぐ受け止めている彼らが「汚れない」存在に見えました。
・願わくは斉藤が再び訪れる時まで、総司の命が喪われないように…(涙)

○流山
・歳の前向きな態度が、痛々しいのか喜ばしい事なのか良く解らなくなってきました…。ただ彼にとって、組織作りはある種生き甲斐となってるんだろうな、とも思ったり。

○古田さん登場!
・すみせん…………振り返った瞬間、何とも言えないあの格好と表情に笑ってしまいました(^^;無茶無茶インパクト大きかったです、古田さん…
・しかし、独特の存在感や眼力は素敵です。

○新八&左之
・この二人も別れ別れになるんですね…
・宇八郎の挿話も浮いたままにならず、きっちり着地したことに安堵しました(苦笑)
・左之。おまさちゃんと茂が京都で待ってるから!寄り道せずに帰って〜(涙)

○流山その2
・有馬と近藤の駆け引きが始まり、画面中の空気が引き締まった事に吃驚しました(この期に及んでまだ香取の力量を見誤ったようです/謝)。
・大久保大和が有馬に「近藤勇の想い」を伝える場面。古田有馬の受け方も素晴らしかったんですが、まさか香取近藤があれほど感情を抑えつつも迸る何か含みつつ、切迫感と緊張感、怒りや諦めなんかを綯い交ぜにした表現をするとは思いませんでした。
 あの場面中ずっと体が震えており、それ程の衝撃を香取近藤から受け、心から素晴らしいと思いました。
・捨ちゃんが出てきたときには、土方じゃないですが。ほんとこいつどうしようか…(笑)
・しかし、捨ちゃんも成長したよな…あそこであれだけの口上述べるなんて!(失礼な驚きです)
・捨をこっそり撃とうする土方に、笑みを誘われるって、すっかり末期症状かと思います。
・周平との別れが、穏やかで良かった。周平の未来が幸多きモノであるように…
 近藤の言葉が「遺言」だと周平は理解してたんだろうな。聡い子だから…
 香取近藤と浅利周平が親子に見えました。それって凄いことだよね、ホント。

○かっちゃんと歳
・近藤の前に平伏隊士達と立ちつくす近藤・土方。あぁ彼らは多摩の百姓から「直参」になってたんだと。 隊士達にとって彼らは仰ぎ見る存在だったんだと、改めて感じました。
・最後まで近藤の「未来」は土方が見て、土方は近藤の未来へ続く路を整備してる。
 これからも、土方は近藤の前後を警戒しつつも、共にその道を歩んでいくつもりだったんでしょうね。
・一人柱に向かってる歳。覚悟が決められないのは、かっちゃんに対する思いが強すぎるから。かっちゃんと歩んだ道が険しくても、彼にとって満たされたモノだったんだろう。
・かっちゃんの覚悟を聞く前から、目が赤くなっている歳。以心伝心って言葉が浮かびました。
・縁側でコルクを見せ合う二人の姿。それだけで泣けて仕方なかったです。
・縁側の二人の台詞は、三谷が香取に対して聞きたい言葉でもあり、一年間近藤・土方を演じた二人への労いの言葉のような気がしてなりませんでした。
・かっちゃんと歳が語ってるのか、香取と山本が語ってるのかが解らなくなり。よく分からない…何が何だか解らない…と泣きながら呟き続けてました。
ホント、何でこんな風に入り混じって見えるのか。全くもって悔しいです(泣)

○大久保大和
・門前で立っている有馬の姿が清々しく感じ。近藤や土方が追い求めた「武士」の姿はこういうモノだったのかも、とすら思わせる雰囲気がありました。
・加納と大久保はどう処理するのか。加納が一方的に近藤と宣言するのか、と思ってたんです。なのに…
・加納の表情が揺らいでるんです。きっと、伊東先生の最期とか新選組にいた日々とか思い出してるんだろうな、そして辛くても幸せだった頃を振り返ったが故に、彼は「近藤です」と言えなかったんだろうと思えるんです。
・加納にとって新選組局長であった近藤勇は、恨んではいるけれど憎むべき相手じゃなかったのかと。きっと、伊東先生の遺志を彼は思ったんじゃないかと。
・加納を認めた香取近藤の表情が…徐々に笑んでいく、その表情が…何かを下ろした様な安堵した表情だったのが印象的でした。
・「加納君ご無沙汰」との言葉が何の邪心も無く、己の運命をただあるがままを受け入れた感じがして。表情、空気、眼等何もかもが「澄み切ってる」としか表現できません。
・加納が跪き「局長 ご無沙汰しております」と言わざるを得なかったのが、辛い。

遂に…来週、最終回なんですね…
山南さんが遂にご出演だそうで、それを楽しみに乗り切りたいと…
(書いてて虚しい/苦笑)

『ANGELS IN AMERICA』

 Wowowで昨夜から放映されてる『ANGELS IN AMERICA』、全6話中2話の感想です。

 このドラマを見ようと思ったきっかけは、主演がアル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソンらアカデミー俳優。作品が舞台原作で、トニー賞、ピュリッツア賞、エミー賞を受賞。
 という、如何にも権威に弱い日本人的な発想でした(笑)。

 ただ、テーマが非常に重いといいますか、レーガン政権時下でのHIV患者(同性愛者)と、彼らの周辺の人々の人間模様が描かれてます。
 単にカミングアウト出来ないとか社会から疎外されるという描写ではなく、彼らの内面と信仰との葛藤、家族との生半可で無い関係、司法内部での権力抗争等も描かれるため非常に見てて引き込まれる作品でした。

 やはりアル・パチーノは名優だと唸らされます。何なのかあの俳優は…。彼演じる弁護士は法曹界のフィクサーであり、いわば権力の頂点に位置する存在。で隠れゲイでもある。権力への執着や誇示する際に見せる「闇」と「迫力・怖さ」。対して、寵を与えようとする時に見せる「艶」。それらが、分離せずに「同居」してる瞬間ってのがホント素晴らしいです。しかも「声色」すらも様々で…。
 正直、たかだたTVドラマでここまで演じていいのか?!と思うほど。

 また、この作品が元は舞台で演じられてた事にも衝撃を受けました(見せ方も脚本も多少変えるんでしょうが、それでも凄いです)。ブロードウェイって一言では括れない場所だと、認識を新たにしました。

 問題は来週。スマステと20分被るんですよね。しかも我が家、ビデオ経由じゃないとWowow観れないし。
困った…

2004年12月2日木曜日

わんこ 順位決まる

 昨日、母から「田舎から蜜柑が送られてきたので取りにおいで」との呼び出しがありました。で、仕事帰りに相方と「わんこと戯れられる!!」と大喜びで行ってきました。

 で、一日5食なわんこはすっかり大きく(丸々と)なり、やんちゃパワーも倍増してました(^^;;。相変わらず、人の手(指)&靴にじゃれてまくり、其処にあんた専用のぬいぐるみあるやんか・・・と思い。
 ハタと気づきました。手と足を「しつこく」かまれてるのは私だけだということに・・・
 そうです、彼女にとって私は「彼女より下」だと認識されたようです。

 彼女の順位付けが、母→父→相方→わんこ→私 となってると気づいたときの物悲しさったらありませんでした(泣)。両親の順位には異論を挟む余地は無いと思ってます(餌をやってるのが母なので)。
 が、なんで私が相方より下やねん・・・(悔)。しかも最下位ですか…(涙)

 そりゃ確かに相方は、会ってる時は思う存分遊んでくれて、教育的指導もしてくれる「上位者」かもしれません。けど、2週間毎しか来ないのに・・・。それでも上位者なんですか?

 私なんか、毎週通院に付き合って、彼女の犬小屋を組み立てて、シャンプーまでしてるっていうのに。これって、彼女の嫌なことの大半だわ・・・。それを私が主体でやってるって事ですか(愕然)
 この状況が余りにも悔しいので、相方に「良いよな~良いよな~」と絡みまくってました(とりあえず迷惑です)。だって、相方ってば、彼女に足元で遊んでくれるっていう可愛らしいオプション(違)まで体験したんですよ~、羨ましいじゃありませんかっ(>^<)

 今度の注射の待ち時間には、絶っ対足元で遊んでもらうんだ!
(既に主体がわんこなあたり、すっかり駄目です)


 

2004年11月29日月曜日

新選組!47話【再会】感想

 既に軍組織ですらなく単なる「敗者の集団」が持つ暗さ、勝(=旧幕府)の掌を返した様な冷たい切り捨て方と、彼等を迎える故郷の人々の明るさと温かさ、そこにいる彼らの 穏やかさと言ったコントラスに涙するしかありませんでした。

 「もうあの頃には戻れない」の言葉がやけに現実感があり、5年がやけに昔に感じ、多摩時代の「明るさ」が懐かしく暖かいのに、何故か哀しく思います。そして、彼らは本当に彼ら自身の力で「遠くまで」歩き、成長したんだと改めて感じました。
 また、そこに至るまでには多くの犠牲が有り、多くの「友」や「仲間」を喪い、彼ら自身も傷つき歩んできた道程でもあった事を今更ながらに思いました。

 さて、今回最大のお楽しみ(違)であった土方の洋装。余りの格好良さに言葉もなくただ画面を見つめるばかりでした(笑)。洋装の第一場面で、山本土方はやっぱり男前だと駄目押しさせられた気すらしました(黄色い歓声が聞こえそうだった/^^;)

以下雑感

○勝海舟!!
・岩倉や西郷とは、趣と色合いの違う底知れぬ怖さと奥深さ、そして知性と理性を感じます。
・もしかして、この作品で一番「怖い」人物は勝じゃないかと思うくらい、一言一言がじんわりと刺さって抜けないんです。きっと「毒(しかも即効性の物じゃなく、遅効性)のある言葉」ってのを表現したら、今回の野田勝なのではとすら思うくらい。言葉の一つ一つが重いんだよな・・・
・切り捨てる時期の的確さや相手に合わせた言葉を発する勝に、「徳川の幕引きをする」幕臣としての才と器を見せられました。更に相手を受け入れているようで、実は己の意志に沿うよう誘導していく…とてつもなく政治的で嫌らしい行為なのに、どこか清冽さを感じさせらる。それは、勝が見ている物や語る言葉が余りにも「正道」で「大局」だからかも知れません。
・野田さんの飄々とした様子に、冷たさや鋭利さを感じました。
・どなたかが書かれておりましたが、野田勝と中村岩倉の舌戦をほんっとに見てみたい(笑)。その場に、嬉々として居そうな堺山南さん&山本土方、オロオロしてそうな筒井会津公が居てくれたら最高に楽しそうかも・・・(無駄な妄想ですごめんなさい--;;)
・ただ、この方。良くも悪くも己が興味を持った人間には、積極的に関って行くのが好きなんじゃないかと思ったりします。懐が深いというか、好奇心が 勝ってるというのか…。決して感情や知性だけで発言したり、動いたりする人じゃないなというのが感じられて(野田さんのイメージなのかもしれませんが)。対面することで相手の器量を測るというか。相手の器量すら取り込もうとしてるのか・・・
・また見据えてるものが全く違うというか。一人「歴史の渦」に巻き込まれず冷静に見つめてる感すらあって。しかも、その渦から離れた場所から、歴史が求める時に必要な人・モノ・言葉を的確に取捨選択してるようなそんな感じがしてなりません。う~ん、どんどん勝海舟のイメージが妖怪じみてきました(苦笑)
・こんな感じで、野田勝はとても興味深いです。これって、野田さんについてのなのか、勝についてなのか自分でも解ってませんが(汗)
・今度野田さんの舞台が来阪した暁には、絶対チケット取って行ってやる!とか、海音寺潮五郎の「勝海舟」読んでみようかな・・・と思う程に(お二人を分けても充分)興味深いということです(笑)

○洋装土方初お目見え
・なんかもう山本土方の男前度が、これ以上は無理って位UPした瞬間(笑)
・けどネタはどうやら下ネタに近く、良くNHKが放送した、とちょっと吃驚。(山本土方の所作がやけに色っぽいので、どうしようかと思いました←どう もしなくて良いです^^;;)
・近藤と総司の呆れ方が非常にツボで、久しぶりにこの3人で無理なく笑えたなって感じでした。
・やっと「故郷」に帰った彼らに出会えたなとも感じた場面でした。

○おみつさんと総司
・有り難う、貴女が居てくれて本当に良かった……
・おみつさんが名前を挙げる度に、彼らの死に様や生き様を思い出しました。
・そして、おみつさんが最後に「みんな元気で良かった」の言葉に、何処かに居るであろう彼らの姿が浮かび、切なく暖かい気持ちになるなんて。
・おみつさんの気丈さと優しさがこれほど懐かしく、暖かく哀しいとは思いませんでした。
・総司への言葉「しわしわのおじいちゃんになって、昔はいい男だったんだって言われるのよ。あの時死んでればってね。」「私より先に死ぬなんて許さない から」には、ただ涙しか無く。
・また、それを受ける総司の表情が何とも………。きっと姉の思いも己の寿命も何もか「悟って」、だからそこ受け止めて、達観したような表情が…何度も言う ようですが、藤原沖田最高です!!
・しかしこの姉弟でこれほど涙するとは、多摩時代には想像もしませんでした。
・一環の場面は、沢口さんの本領発揮だとすら思いました(そういやこの方、朝ドラ出身だったんだと改めて思いましたよ/苦笑)。
・林太郎さんへ見せる「おきゃん」さは彼女なりの優しさだったんですよね…

○多摩の宴会
・えぇ。「婚礼の日」を思い出しました(涙)
あれから、何かが変わった彼らの姿が誇らしい筈なのに、どこか哀しいと思いました。
・けれど、彦さん(=小日向さん)は相変わらずでホントに大好きっ!あの暢気さや空気の読め無さが大好きですよ(笑)
・小島さんの「挨拶ネタ」が懐かしい(ほろ)
・音五郎さんの阿南さんの「大久保大和は似合わん」という台詞に、「彦馬が行く」の近藤を思い出し…、それでまた涙が零れました(間違ってるとは思うんですがね…それでも、彦馬での近藤@阿南さんが良すぎるので…)
・踊れない近藤の照れくさそうな笑顔が「かっちゃん」で、土方の様子が「多摩の歳」で、声を上げて笑う沖田は「試衛館の総司」だったのが、嬉しいのか哀 しいのか解りませんでした。
・葉っぱ隊…びびる大木…(難しいですね/笑)
 ↑なっぱ隊でした…土スタでのネタバレ見てたくせに、思いっきり間違えてました(^^;すみません。
・捨助は何処に居て雑な扱いしかしてもらえないんですね(笑)。けれど、彼なりに京で何かを得、成長してるんだと(希望含/笑)思います。

○宿での三人
・総司はこれが今生の別れになるんだと…
・土方に打ち込む瞬間に纏っている空気が変わったのには、ただただ息を呑みました。凄いよ藤原君…

○甲府での戦い
・もはや「軍」として機能してない姿に唖然としました。誰も火気を扱えないって…
・近藤の「隊を抜けたら切腹」の言葉に、彼等を引き留める言葉がそれしか残ってなかったのかと思うと、近藤の焦燥感や後のない状況が見えた気がしました。そして鳥羽伏見以降の彼が歩み、これから歩むであろう道の険しさは、彼自身の「思い=誠」だけではどうにもならないんだとも。
・今まで軍議の場で、近藤に「切腹」と言わさなかったのが、この回の為だけだととしたらホント計算された作りだと思います(悔←ヲイ)。
・新八の言い分も気持ちも分かるだけに、彼との別れは辛くて仕様がなかった。
・けれど、山南さんは「近藤さんと土方君の傍にいて『組』の行く末を見届けて欲しい」と言ったのに…。確かに「組」は無くなったけれど、土方も近藤も居るんだよ…と思う私が居ました。
・左之が去ることを決めるまでの表情が「揺れまくって」るのが見てて辛かった。
・「楽しいのがどっちなのか。」「今まで楽しかったし。近藤さんには感謝してる」と飾らない左之らしい言葉。なのに過去形で語られるのが、痛くて辛かった。そして、一度も後を振り返る事無く飛び出して行った姿が、美しいとすら思いました。
・彼らは最後まで「食客」や「仲間」でしかなかったんだなと。それは非常に貴重な関係なのに、近藤は何処かで彼らの思いを斟酌できないままだったのかと。そして、近藤・土方が何をもって変わったのか、それを新八・左之が理解してなかった事。彼らの間に横たわっていた溝の深さを、この期に及んで知り愕 然としました。
・ふと…山南さんの死は一体何だったんだろうか?!彼らの溝を綺麗に埋めることも出来ず、逆に彼らの溝を深めた事になったんじゃないか?と思ったりします。
・そして、新八と左之の居場所を無くした深遠な原因は、もしかして「山南さんの死」だったのかもと思うと。なんだかドンドン混乱してきました(何をやっ てるのか…私)
・斉藤の「この旗に拾われた。この旗を守る」の宣言は、胸が熱くなり。

○その他
・壬生大相撲の手形ネタすら回収するとは思いませんでした(笑)。けれど、あの時の賑やかさや華々しさを思い出し、現状との差を思うと泣けてきて仕方なかった。
・山岡様っ!!この方って、清河といい勝といい、なんか才走った皮肉の巧い(え)タイプの方の傍に居る運命なんでしょうか。もしそうだとしたら、気の毒っちゃ気の毒な運命だな…と思います(笑)
・野田勝&羽場山岡の場面は、緊張と弛緩と品が入り交じった絶品だったかと!!(喜)
・総司が連れて行ってくれと言う場面、前とはまったく色合いが違い…まったくもって三谷って脚本家ってやつは何てことしてくれるんだ!と悔しくなりました…(いや誉めてます)
・お琴さん、やっぱ「…」な感想しかなく。美男美女で見た目は完璧なのに(しくしく)
・今回の清水さんの演出は結構好きかもです(^^;

来週は古田さん登場ですね!!嬉しい!!(そんな事でしか楽しみを見いだせなくなってきてます…)
ところで…例のおねだり山南さん回想場面は来週ですかね…(先週からしつこくてすみませんです^^;)

2004年11月26日金曜日

懐かしく幸せな記憶。

 昨年7月の思い出です(古い話題でごめんなさい/^^;)
 今朝、某所でMariahの写真(子供に向ける笑顔)を見て懐かしくなったので、思わず上げました。

 昨年の来日コンサート。
 最終日(名古屋)の最前列及び終演後のGreets&MeatingがFCで当選するという、今までの人生において最大の僥倖がありました。今思い出しても夢の様だとしか思えない程の、幸せで濃密な時間でした。

 で、写真を見て何を思い出したのかと言うと。
 その時、隣になった方(FC当選者)がお嬢ちゃん2人を同行されてたんです。その方は、LIVE中ずっとお嬢さん達を前面に押し出しておられてました(笑)。
 というのは、Mariahは無類の子供好きでして、子供が居る場所には絶対来る!からなんです。予想通り、満面の笑みでMariahは降りてきてくれまして、周囲は大満足(笑)。
 で、己の欲望(愛情)の為には子供すら利用してしまうFAN魂を見せてもらったな~、と懐かしくなったんです(いや、その方のおこぼれをかなりもらったので、ホント嬉しかったです/笑)。 

 最前列は一度味わうと病みつきになりそうでした。最愛のアーティストと近づけるという事も然ることながら、やたらステージとの一体感が味わえるの事の素晴らしさったら!!感動的ですらありました。

 また、終演後のG&Mに至っては…。至福ってはこういうことを言うんだ・・・と、言葉の意味を噛締めるほどの強烈な幸福感でした。時間的には物凄く短くて、写真もサインも駄目という厳しい規制もありました。それでも、10年以上も想い続けた人と直接出会え、言葉を交わせたことの幸福感は、今以て表現できない程です(言葉っても、単語のみで声を掛けるだけが精一杯でしたが/苦笑)。
 しかも、実際に会ったMariahは想像以上に綺麗で、暖かく柔らかな雰囲気を漂わせていて…感動的ですらありました(すみません、FANの戯言だと思ってください/^^;;)。

 そして、私達(6名の集団でした)の時間が終り退室しようとした瞬間に、予想だにしなかった事が!!
 追い立てられる様に退出する直前、Mariahが私と向き合った形になり、その瞬間「Batterfly.」と私が着ていたシャツにコメントしてくれたんです!!。確かに、最前列だしもしかしたら目にとまるかも知れないし、Mariahが好きなモノを身につけていこう!と言うことで、蝶柄(ラインストーンで描線されてる)のシャツを着てたんです。
 が、まさか本当に気付いてもらって、コメントまでしてくれるとは望外の事で。その瞬間、体がふわふわと浮いた感じになり、何がなんだかわからない状態になりました(今思い出しても幸せで震える程です・・・/笑)

 あまりにも突然の事に愕然とし、気の利いた返答すらできず、ただ涙流しながら「Yes・・・」としか返せませんでした。が、心の中では、「生きてて良かった…今までMariah好きで良かった…」と混乱しつつも叫び続けてました(笑)。単なるFANに対してそういうこまやかな目線を配れるMariahだと解ったのが、何よりも嬉しかったです。

 兎にも角にも、G&Mがあると知った瞬間(受付してる最中)に腰を抜かし、Live中は叫んで踊りまくり、体が常に浮き上がってるような状態で、挙句帰路はずっと泣きじゃくるという、理性以上に感情が暴走した日でした。そしてそんな我が子を見つづけた母(同行しておりました/^^;;)は「大丈夫かいな。この子・・・」と本気で不安になったそうです(しかし、その状況見て大笑いしてたのも母ですがね/苦笑)

 さぁ。来年あると思われる来日公演、どうなるのか?!今度もFCで当ってくれないかな~(笑)

2004年11月24日水曜日

U2とDCの新譜感想

 前提:音楽に関する技術的なことも専門的なことも一切知らない、全く素人です。
    単に聴くのが好き、LIVEが好き、っていう単なる音楽好きなもので、深く語れません。

○『Destiny Fulfilled』by Destiny's Child
 初聴時の感想は、「へっ?これで終り?」と「なんかBeyonceのソロアルバムの構成と似た感じやなぁ」いうものでした。
 これは私が期待していたのが2ndや3rdの様な、「力強い」アルバムだったからだと思います。が、何度か聴くうちに心地よくなってくる曲が多くなりました。
 特に1.Lose My Breath~3.Cater 2 Uの流れがホント心地良くてお気に入りです。

 また、3人の声や歌い方が其々特徴があり独立してるのに、見事に融和してる感じを強く受けました。今までは、Beyonceを際立たせる為に他のメンバーが居るのかと思うくらいだったのに。今回初めて、Kellyの声が心地良く、私の好きな声だと改めて認識しました。
 な訳で、BeyonceとKellyが絡む感じが非常に好みです。

 アルバム全体のイメージも、今までのような「尖った」ものでは無く、変わらない芯はあるけれども全体が柔らかく丸みを帯びた感じに変わった気がします。各人がソロ活動した結果が、こうなったと思うと彼女達の今後が益々楽しみに思えます。

○ 『How To Dismantle An Atomic Bomb』by U2
 Fan歴20年の相方の言葉を借りますと、「Edgeがギターで語ってるアルバムだ!これこそU2」だそうです。
(相方、ごめん。おっしゃってる意味がよく解らないです...)

 私の感想は、好きな曲は物凄く「好き」だし、それ以外の曲は「ふ~ん」って感じのアルバムでした。前作の方がアルバムとしては「好き」かもしれませんです。

 で好きな曲ですが、先行シングルの『Vertigo』に止めを刺します。やっぱり格好良いとしか言いようが無いです。曲全体を支配する何とも言えない疾走感が堪らなく好きです。
 2曲目の『Miracle Drug』と3曲目の『Sometimes You Can't Make It On Your Own』は、生理的に気持ち良い感じがあって好きです。
 今回のアルバムで一番ツボに嵌ったのが、5曲目の『City Of Blinding Lights』。メロディーは綺麗だし、疾走感や若さも感じられるし、なんか懐かしい感じもするし、ホント物凄く好きな曲です。

 歌詞とにらめっこしながら聞き込んでいた相方は、どうやら『Sometimes You Can't Make It On Your Own』と11曲目『Yahweh』の歌詞がお気に召されたようです。

2004年11月22日月曜日

新選組!46話【東へ】感想

 時代の変化する速度に目が回りそうな回でした。正直、途中から感情が付いていかず、呆然としまま次回持ち越しです(苦笑)。
 また、認められるのは時間がかかるけれど、失墜する時は雪崩の様だと「擬似体験」させられた回でもありました。

 佐々木様、山崎、大先生が亡くなった回でしたが、彼等の死は彼等の生き様そのもののだったと思えて仕方ありません。

以下雑感

○佐々木様
 佐々木様が撃たれた場面。その瞬間「な・・に・・・っ?」と言葉を失いました。心棒が無くなった感じがしたのか、余りにも無駄死だと感じたからなのかは、よくわかりません。ただ、最後まで「忠誠」を尽くした(恐らく彼自体が矛盾を抱えながらも)佐々木只三郎の死が哀しかった。
 そして、近藤に「徳川を託す」と言い残した事。そして、その言葉を受け止めた近藤。「奇麗事」だと言われる向きもあるでしょうが、私にとっては佐々木様の生き様が最後まで貫かれた場面だと感じてます。それは、あの場面に無念や潔さ、そして何より近藤への「信頼」が伝わってきたからだと。
 このドラマの中で江戸~京都で佐々木様と近藤が築いてきた「関係性」に、齟齬が無かったからこそ、すっと入ってくる場面だった思います。
 伊原さん、お疲れ様でした。(陽兄ちゃん!!大好きっ/違)

○山崎・・・・・(号泣)
 最後まで「務め」を忘れず、確実に仕事ができる唯一の「隊士」だったと思います(このドラマ内でですが/苦笑)。だから、「顔覚えられてしまいます」の言葉に、傷の痛み以上に「監察方の仕事が出来なくなる」事の悲しみや辛さが伝わってきて、どうしようもなく哀しくてなりませんでした。
 そして船上での静かな死。山崎らしいな・・・と思えてなりません。山崎が斬られた場面から近藤・永井会談の場面に移った時、本当に頭が付いていかず「えっ?!なんで城内????なんで永井様が居るの???」と混乱するくらいで・・・そんだけ山崎って大きかったです。

 桂吉弥さん、本当に本当に素敵な存在感のある、山崎蒸を有難うござました。

○周斎先生
 最期まで田中周斎先生だった(笑)。
 周斎先生が勇に言い残したかったこと、つねちゃんとふでさんが「きれにまとめて」(笑)ちゃんと伝えてましたよ。

○八木さんご一家
・あぁもう、為三郎っってば(泣)
・八木ご夫妻。受け入れたばかりの言葉を思い出しました。 
 今回の「何も悪いことしてへん」の言葉に、近しい人にだけでも彼等が理解され信頼を得ていたことを感じ、嬉しかった。
・ひでちゃん、有難う。あの群衆の中で勇気が要った筈。
・京に登って八木さん家にお世話になったのは、僅かな期間(放映回数としても)なのに八木ご一家が画面に出てくるだけで、懐かしい思いがします。
・試衛館メンバーにとって、八木さん家って明るくて懐と情が深くて一番心地良く安らげた「家」なんだろうなと。そして、もしかして再び京に帰ることがあったら、戻りたい場所なんじゃないのかと。今振り返るとそう思います。だから、左之はおまさちゃんに「何かあったら八木さん家に行ってろ」と言えたんだろうと。

○京の女子衆
・お登勢さんっ!!やっぱり一番男気があるのは貴女ですよ(涙)
 戸田さんがお登勢さんで良かったと、ホント思ってます。大好きですよ~!!
・長州を匿っていた時と新選組を匿った今回、ほぼ同じ台詞。回想場面は無くても充分「回想」できる創りと、戸田さんの巧さに感嘆してます。
・小常の最期の言葉が…。
・「ナース」なお孝が活気付いてて、かなり可愛らしいと思います(笑)。優香のああいう雰囲気は好きだな。

○新選組
・漸く土方が踏ん張りだした事に安堵しました。彼の適応力や勘の良さは相変わらず健在で、それが何より嬉しいです。
・でもね、尾形君が書き留めてた文書は焼いちゃ駄目ですっ(涙)。それは、山南さんの遺志なんだよ・・・あんたは何で山南さんが「託した」ものを、こうも無意識に切り捨てていくかな・・・土方(泣)
・3年前の組織図を大切に持ち帰っても、山南さんの思いは残らないんだよ…
・ふと思ったんですが、ここら辺りで例の藤原君おねだり回想場面があったりしたんじゃないんですか????もしかしてカットですか?????(すっかり疑心暗鬼/苦笑)
・斎藤が過去に対して肯定的な発言をしたのは、もしかして初めてなんじゃないでしょうか。
・船上でのあの物真似は一体?(内輪受けに近いと思うんですが/苦笑)
 山本耕史君(あれはもはや土方では無いです・・・)が活き活きしてたので良いとは思いますが(良いのかホントに/笑)。
・左之とおまちゃんの「お茶目」な遣り取り、今回で最後かと思うと笑ってられないんですが。それでもおまちゃんの「(死んで帰ってくるのは)それはいや」には噴出しました(笑)やっぱこの夫婦は可愛くて、大好きですよっ!!
このまま清に渡って、盗賊の親分(違うかな?)になってくれっと思うくらいです(笑)
・左之が隊服着たの初めて見ましたが、似合わないよ~(笑)
・新八は男前ですね・・・しかし、小常との最後は切なかったです。
・ふでさんと勇の場面は、感無量でした。やっぱ野際さん巧いよなぁ。
・つねちゃんと抱き合ってる場面の勇が、前半とは全く違うことに驚きました。香取、凄いよ…

○幕府
・やっぱり野田勝海舟でしょう!!
・この方は本当に読めなくて、この方一人に周囲が翻弄されてるのが見えて何とも言えず楽しいです(^^;
・そういった意味で野田勝海舟は適役だな~と改めて思います。
・しかしながら「新選組では時代の波を止められない」と勝に言わせた事に、「終り」を感じました。
・兎に角、野田勝海舟の台詞は全部好きです!!あの嫌味な台詞をあれほど絶妙な言い回されたら、もう笑うしかないですよ、ホント。三谷さんの野田さんへの信頼とか好意が見えました(笑)
 (野田さんも脚本の意図を確実に理解されてるからこその、勝海舟像だと思う)
・えっと…。とりあえず榎本については、感想なしってことで良いですか(苦笑)
・会津の追い込まれ方が、切なくなってきました。容保公・・・頑張れ・・・

○その他
・あちこちに落としてた台詞の回収速度が早くなって、回収される度に回想させます。
・回想される場面で発せられる言葉の色合いが「輝くばかりの白」とすれば、今は「灰色がかった白」なんですよね。それらが見せるコントラストに彼等が居る場所の変化を感じます。(こういった辺りの巧さは流石だなと思う)
・台詞が回収されるってことは、今まで「無駄」な台詞が無かった事だと思うんです。そして、役者さんもきちんと意図を理解して「言葉として発してた」から、今になって生きてくる言葉が多いんだと。

来週は遂に甲陽鎮部隊ですか…はぁ


○その他(愚痴)
・演出…清水一彦…って見た瞬間から身構えるようになりました(-_-#)
・しつこいのは判ってますが、何度でも言います。
・やっぱり不安的中で「アップだらけの映像」と「無意味な風景」にげんなりです。
・そんなこんなで、カット場面が多かったりしたら本末転倒だと思いますよ。
・特に勝と慶喜の会見には、はっきり言って苛々しましたよ。なんで、野田の全身写して見せない???表情以上に身体表現してるだろうよっ?!彼等なら・・・
・身じろぎ一つにも意味がある筈だし、それらを受ける容保公他幕臣の身体反応を見せたほうが、どれだけ伝わるものが多いか・・・。それを全部無くしてしまうってどういうこと?!
・今回は今まで以上にテンポが遅く感じました。全体が間延びしてるというか、噛み合ってないというか…
・画面見ずに音声だけ聞いた方が、いろんな事が伝わるって一体どういうことなんでしょうかね(やれやれ)

2004年11月18日木曜日

『First Of Vision』By Mariah Carey

 昔むか~し、VHS版の購入を考えあぐねている間に廃盤したMariah最初の映像作品が、漸くDVD化されたので早速購入しました。

 初見の感想ですが、彼女の色褪せない輝きとその才能に圧倒されました。
 また、デビュー当時だからこそ見える「野心」とか「戸惑い」や「スター以前の彼女の姿」なんかもあり、現在のMariahの輝きとは色合いが違うことに惹き込まれ、無言で見入る状況でした。

 収録されているLIVE場面全てが鳥肌が立つほど素晴らしく、この時期のMariahがホントあらゆる面での可能性を秘めてるのがよく解ります。ありふれた表現ですが、ダイヤの原石とはこのことかと思う程。しかも、一緒に見ていた相方が「(ハイトーン~通常の音程に直戻り、ぶれないのを聞きながら)この当時の声は凄いな・・・。しかも、ハイトーンの音程も調節できるって凄い才能やな」と呟くほど、完璧な声です(最近は囁き声っぽくなってしまってるので、あの高音から低音に上下する気持ちよさが薄れてるのが哀しい/苦笑)。
 また、「音楽が好き」「歌が好き」と伝わる事はこの当時から今も変わらず。この人から「音」は切り離せない、それが強く伝わります。
 
 その事ががより密接に伝わるであろう、小さなLIVEホールでのツアーやって欲しいなぁと切実に願います(どれだけ高くても絶対行きますから!!)。

 これは以前から思ってることなんですが、JAZZのスタンダードナンバーでアルバムを是非作って欲しいです(今回解説にも書かれてのが、わが意を得たりでかなり嬉しかった)。物凄く雰囲気があり豊かな声で歌唱力もある。となったら、JAZZでじっくり聴かせ、魅せる方が良いじゃないかとこの5年近く思い続けてます。今のHIP-HOP系も良いですが、やはり「しっとり聴かせる」方向に行って欲しいので。
 極東の一FANからのささやかな熱望でした。

2004年11月15日月曜日

最終話近くなって思うこと。

 下で散々感想書いたんですが、ここに来て、「ちょっとこれは、無いよな」と思う事があったので別項設けました(45話のみだけじゃなく、これまでの事も含むので)。

 以下、軽く(なのか?!)毒気ある文章になってると思いますので、それでも良いと思われる方だけ。

 まず、恐らく賛否両論あるであろう「源さんと勇」の場面について。
 手法としては無茶ベタで、まさか三谷がこんなベタな手法使うなんて!?若干驚きました(カットされたらしい、鴨の部屋で悪夢にうなされる伊東センセってのも、あったらしいので驚くことでもないのかも)。また、突拍子も無いといえば突拍子も無い場面だったようにも感じました。更に言うならば、総司と源さんとの関係性は置いてきぼりかよ?と思ったりしたので。そういう意味で若干違和感があった場面ではありました。
 
 が、源さんと勇さんとのこれまでの関係を考えた場合必要な描写だったと思うし、そう納得できる描写に押さえていたと感じています。また、残り話数的に源さんの死をあまり引き摺れないってのもあるだろうし(嫌らしい見方ですみません)、あそこで余韻を絶つのは妥当かと思います。

 次に、恐らく賛否の否が圧倒的に多いと思われる(失笑)源さんが撃たれる場面の特殊効果。
 あれは何やねん!?。
 今更、しかもあの場面で『マトリックス』ですか?!。あの瞬間、涙思いっきり引きました。

 CGや特殊効果を使うことが悪いとは言いません、が使う場所を間違ってませんかと言いたいんです。沖田喀血の時もそうですし、今回の源さんもそう。役者さんの演技だけで充分伝わるし、何も処理しない方が緊迫感なり切迫感があると思うのに。充分それだけの演技をされてますよ。
 正直、あのCGは役者さんの渾身の演技に対して失礼じゃないのか?と怒りを通り越して呆れるばかりす。

 正直、今回の大河「三谷作品」だということで「新しい風を」と思っておられる向きもあるでしょうが、その新しい風ってのは「特殊効果」を入れることだったりじゃ無いと思いますよ。はっきり言わせてもらいますが、無駄な特殊効果や無意味な風景(屋根とか鳥とかの諸々)は要りません。それを入れることで時間が無くなり、その結果「必要な台詞」や「演技」が編集でカットされたとするのなら、本末転倒だとしか言い様が無いです。

 三谷作品は良くも悪くも「舞台」から逸脱してないと思うんです。だからこそ、アナログな手法で画面作りをする方が「綺麗」に纏る筈だと思っています。

 また、役者の顔(表情)ばかり追いかけるのも不自然だと言いたい(前にも書きましたが、この期に及んでもと思うと遣る瀬無さ過ぎて)。大枠の構造が舞台から逸脱してないと思うから、台詞を言ってる役者の全身の「演技」を見たいと思うし、その台詞を受けて「演技」してる様を思うし観たいんですよ、私は。
 確かに、台詞を言ってる人の表情も「大切」だとは思います。が、それを周囲にいる人々がどういう反応をしてるのか?!それも伏線の一つだと思うんです。
 それを、バッサバッサ切ってしまってるから物凄く「中途半端」で「曖昧」な台詞になってる気がしてなりません。その所為で台詞の意図が見えなくなってしまってる。
 で、「解り易く」する意図があるのかは解りませんが、そういう小細工な画を入れたり創ることで益々混沌としてるって間違ってませんか?編集方針が。
 「解り難い」のが最高だ!とは言いません。が、「見てる人全員に解り易い」ドラマなんて真っ平ごめんです(酷)。「万民に解り易いドラマ」ってのを求めるのなら、「三谷幸喜」で「幕末」で「舞台役者」中心にする必要は何処にも無いと思いますよ。彼等は他の役者さんが台詞を喋ってる間も「役」として舞台に居るわけです(そういった脚本でもあろうし)。そういった場に身を置いてる彼等の「持ち味」を見せるのが、プロなんじゃないかと思うわけです。

 で、未だに言われてる「『史実』と違う」に関して(未だにこの部分に拘って掲示板であれこれ文句言う人には吃驚ですよ/笑←すみません。思い切り嫌な奴ですね)。
 私自身が新撰組の「史実」は知りませんし、「ドラマはドラマ」と思ってるので端から文句言う気も無いです。大体「大河ドラマ」は「歴史ノンフィクションドラマ」だなんても露とも思ってないんで(笑)。
 それでも、油小路と今回の「鳥羽伏見の戦い」はあまりも端折りすぎなんじゃ無いかと思えてなりません(意図するところは解るけど)。
 役者さん達の熱演に惹きこまれて細かな部分流されてますが、冷静に思うと辻褄が合わない部分があって。しかも、全体像が殆んど見えないので今彼等がどういう状況に在るのか(陣取り等)が解らず、単に土方や近藤、源さんたちの言動で推し量るしかない(その手法は別に構わないです。逆に好みの手法)。だから、余計に唐突に思えたり、この期に及んですら置いてけぼり感があったりするのはどうなのかと。

 脚本の所為なのか、編集で切られる場面がある所為なのか、その辺は窺い知れませんが非常に気持ち悪いモノがあるのは事実です(三谷ドラマは歴史ドラマには成り得ないし、不向きだと思っているにも関らず、なんですけどね/失笑)。

 けどなんやかや言っても好きなんだよな…このドラマが。

新選組!45話【源さん、死す】感想

 遂に終わりが近づいた、ホントに終わるんだ・・・、と実感させれられた回でした。
 源さんの死で、多摩~京都時代(=駆け上がって行った時期)が幕引かれ、後は落ちるしかないんだと強く実感しました。そして何より、大きな喪失感を感じた回でした。

 それしか感想が無いです。
 何を書いてもこの喪失感は埋まらないような気もしますし、一つ一つ取り上げてみても何も落ち着かない様な気もしてます。それだけ、小林源さんの「存在感」が大きく安定していたって事なんだな…と改めて感じてます。
 今年一杯「井上源三郎で居させてください」とおっしゃっている小林隆さん。なので、この話では「お疲れ様でした」とは言いません!


以下雑感

○源さん
・台詞の一つ一つが重くて、温かくて、最後まで「源さん」でした。
・血気に逸る若者達を押さえる姿に、これまで多くの若者が「逝く」事に対して苦渋の決断をしてきた源さんの姿を見ました。
・沙汰がある度に土方と寄り添い、ともに苦悩して、土方の決断を支え、己を無理矢理納得させてきたのは源さんだけだったんだな…と彼の持つ「強さ」を見ました。
・「大人」が居なくなって「若者」ばかりの組織になって行く事が、怖く哀しくてなりません・・・
・決して目立ちはしなかったけど、要であり支えであり重石であった源さんが大好きです。

○源さんと土方
・土方の血気盛んな部分や、脆さ、強さ、幼さなんかを全部受け止めて、ゆっくり静かに背中を押してたんじゃないかと思います。それを土方も解っていたからこそ、最後まで源さんには甘え、鬼ではない「人」としての「柔らかさ」を保ちつづけていられたのでは無いかと思ったり。
・土方のぐだ泣きはもうこれ以上見たくないです…勘弁してください。なんであんなに子供みたいに泣くかな・・・悲しみや悔いなんかが全身から見えてしまって、堪らないですよ、ホント。
・鬼の決断を下す土方、それをフォローする源さんが居て(其処に冷静な判断を下す総長が居て)なんとかまとまりを見せていたのに・・・。これらの役割を今後は土方一人が背負い込むことになるんですよね…。恐らく今後は「動揺」することすら許されなくなるんでしょうね…
・しかし、土方が徐々に「時勢」を見極める力(視野)を身に付けているのは、初回から比べると隔世の感がありました。恐らく山南さん・伊東先生の死以降、彼なりに思い身に付けていったんでしょうね。ホント、人の死を無駄にしないドラマだと・・・

○源さんと勇さん
・源さんにとって「近藤勇」は最後まで多摩の「勇さん」であり試衛館の「近藤先生」だった。決して、新選組の「近藤局長」では無かったような気がします。(それはある意味凄い愛情だと思う)
・最後の場面。ここに至るまでの源さんと勇の関係性が、きちんと描写されてこその場面だったと思います。細かな挿話の積み重ねがあるからこそ、観てる側も「腑に落ちる」んだと。

○その他
・お考の明るさに随分救われてます。優香は「お考」役のほうが活き活きとして見え、違和感無く物語りに溶け込んでるような気がします。
・総司と近藤の関係性の深さは、言葉にしなくても解るもので。互いに言葉の裏にある「思い」を汲取れるだけの年月を経てきたんだと。
・近藤が総司に告げる「表」の言葉は、単に総司の背中を押すだけの役割。それをちゃんと汲んで対応できる総司の聡さと近藤の深さが愛しいです。
・松本良順先生っ!!この方が画面に居ると、軽やかで穏やかな雰囲気になるような気がしてなりません。
・塹壕から飛び出して行く若者達が楽しそうで、まだまだ大丈夫だと思わせられて。少しだけ救われました。有難う・・・(左之の明るさには救われてます。ホントに)
・このところ島田の言葉に泣かされっぱなしです。混ざり物の無い「まんま」な台詞だから余計に胸打たれます。
・斎藤が「官軍」を斬っていく様子は、弔い合戦を観てるようで・・・。彼の悲しみはああやってしか表現できなかったんだと思うと、更に辛くて(斎藤の表情が痛々しくてどうしようもない)。
・岩倉、大久保、西郷会談は回を追うごとに胡散臭さが薄くなっていってませんか?(胡散臭いのは胡散臭いんですが/笑)。「国を変えるのには古いものを一掃しなくては」という西郷の言葉に、薩摩が長年持ちつづけていた「徳川家への恨み」を感じたりします。決して、薩摩だけが「悪」として描かれては居ないと感じるのもその辺りにあるのかも・・・
・慶喜公、が一番胡散臭かったと(笑)
・しかし、此処に来て容保公の苛立ちや焦燥感や諦観なんかが透けて見えてきて、筒井君の線の細さ(体格ではなく雰囲気)と相まって、何ともいえない悲壮感を感じるようになりました。
・やはり清水一彦演出とは徹底的に相性が悪いようです(苦笑)居心地悪い・・・

来週は・・・佐々木様が・・・(泣)
いやそれより、野田勝再登場を楽しみにしなくては!この一週間持ちませんっ

2004年11月13日土曜日

ぶっ飛びな噂。

 ○ マライア・キャリー、新作情報と引退の噂?(braks)
 再来週結婚する友人と飲んで、かなり良い気分で帰宅したところにこのニュース。お陰ですっかりほろ酔い(幸せ)気分がぶっ飛びました。
帰りに寄ったたこ焼き屋の親父に「彼氏おらんのか?可哀想に。明日から頑張りや」と慰められても幸せ気分続行してたのに(いや…既に相方持ちなんで…見当違いの方向で慰めてくれるなら、おまけして欲しかった/笑)。

 リンク先が時間が経つと消える可能性があるので 記事引用します。
マライア・キャリーのニュー・アルバムに関する情報と、さらに彼女に引退の噂が立っていることをVibe.comが報じている。
まず、'02年リリースの前作「Charmbracelet」以来となるマライア・キャリーのニュー・アルバムは、今年中リリースの噂もあったが、所属レコード会社のアイランド・デフ・ジャムによれば現在のところ、来年3月1日のリリースが予定されている。アルバム・タイトルは未定だが、スヌープ・ドッグとネプチューンズのファレル・ウィリアムをフューチャーした「Say Something」という曲が先行シングルがリリースされるという。
また、ジェイ・Zを始め、早期の引退を宣言するアーティストが増えている中で、マライア・キャリーにもその噂が広がっており、もし次のアルバムが予定通りにリリースされなかった場合に、彼女が即引退する可能性が高いとVibe.comは伝えている。
                                 K.Omae, LA
[BARKS 2004年11月11日]


 引退の可能性って・・・。
 正直、引退して欲しくないような、表舞台から綺麗に去って行って欲しいような、そんな微妙な思いを持ってる私にしたら、何とも微妙な記事です(苦笑)。

 ただ、彼女から「音楽」取ったら何も残らないと思うんですよ。音楽が彼女の全てだと言い切っても良いほど、彼女と音楽は切り離せないものになってるのが伝わるんですよね。
 それこそが、私が彼女の作品に対して抱き続け、1st『Mariah Carey』から『Charmbleslett』まで一度も変わらない「印象」なんです。実際、商業的にどうであろうと、彼女と音楽との関係性は常に密であり蜜月であり、幸せなモノだと思います。だからこそ、彼女が紡ぎ出す声や音が私にとって非常に魅力的なんだと思ってます。

 将来的に万一表舞台の顔である「歌手」としての引退はあるにしても、音楽を「創る」事は止めないだろうし、音楽と共に歩んでいくだろうと信じてるし、どうでもいい記事っちゃ記事なんですけどね・・・(苦笑)
 このニュースはホント色んな感情呼び起こしてくれました。

 しかし、新作は3/1発売で確定みたいですね☆(HipHop色が強くなってたらどうしよう・・・それだけが不安だったり/笑)


2004年11月10日水曜日

ちょっと吃驚

○U2、ニュー・アルバムがネットでリーク(BARKS)
 これのお陰で目が覚めました。ニュースタイトルの件は、昨夜相方より聞き及んでいたので、それ程驚きませんでしたが、「これがMacの噂サイトに載るんやもんな・・・」と明後日方向の驚きを覚えたのも事実。

 何に驚いたかと言えば、次の個所(上記サイトより抜粋)
U2の関連ニュースとして、ドラマーのラリー・マレンは、俳優としてのキャリアをスタートすることに興味を示しているらしい。Ananova.comによると、マレンはミュージシャンは最高の職業だが、何か新しいことにチャレンジしてみたいと話したという。「俳優に挑戦してみるというのは、いいアイディアかもしれない。バンドはいつもやりたいことだったし、今はそれで生活してる。最高の職業だと思うよ。でも、今はみんな家族も持ってるし、いろんな面で変わってきた。以前のような自由がないんだ」


 いや…確かにラリーは正統派男前な顔立ちです(断言)。DVD(LIVE&PV)でも、映る度に「くらっ」と来る程の「綺麗」な顔立ちだと思います!(一時停止しても充分鑑賞に堪えうる造作って、ホント珍しいと思います。どこで止めても「男前」なんてある意味奇跡的ですよっ)

 けど、彼は絶対俳優向きの個性じゃ無いと思うんです(--;;。強引に系統付けるとすれば、「モデル系」じゃないのかと。だって、今までだって人目が嫌だから辺鄙な場所に自宅作って、その周囲をバリケードで囲って周辺住民と揉めたとか、「『Discotheque』のPVでのやる気の無さとかで判断する限り、絶対衆人環境で「演技」できるタイプじゃないですって(いや、そういった意味ではモデルも難しいと思いますが・・・)。

 ラリーの魅力の一端は、職人さん的に直向にドラムに向き合ってることであって、決して「演技してる」ラリーでは無いです(よく解らない理屈ですが)。
 つうか...突然どうしたんだろう???ボノが何かけしかけたのか?!と少々穿ってみたり(笑)

2004年11月9日火曜日

わんこ撮影会


 相方と一緒にわんこ撮影会をしてきました(笑)。

 実家に来てから約1ヶ月。
少し大きく犬らしくなり、そして当初の「おっとり」さは綺麗さっぱり消えうせ、「やんちゃ」な愛らしさに変わってました(どうやっても可愛いのは変わらない辺りが、馬鹿ですね〜)。

 先週半ば、初シャンプーを体験させてみたのですが、お風呂嫌いが発覚し散々でした(涙)。
お湯に足をつけた瞬間からもがき始め、必死で人の顔を舐め甘えた振りして抵抗し、何とか洗い終えた後は脱兎の如く逃げるという、予想外の展開に母共々呆然とするしかありませんでした。
 今後どうしようか、と次に向けて策を練ってます(笑)
(つうか人に全身撫でられるのは大好きなのに、なんで嫌うかなぁ。ホント謎です)

 で、昨日の撮影大会。
 母がどうやら毎日カメラを向けてるようで(えぇすっかり親馬鹿になってました/笑)、フラッシュにも驚かずカメラに突進してくれるほどの愛想良さ。そして、人が座ってるとすかさず膝の上に乗せろとアピールし、抱っこをせがむ図々しさにくらくらしました(結局可愛い)。
 で、撮影会前日に脱走しご近所の方に捕獲されたらしく、早速綱(引き綱ですが)に繋がれてました。その話しを聞いた私と相方の感想は、「脱走したら『こんなに可愛いんやから』連れてかれるやん」で、その感想を母は満足した面持ちで聞いてました。ほんと親ばかです(笑)。

 首輪と綱への反応は、意外と諦めのいい子で、私達が行った時にはすっかり慣れて気にならない様子でした。ホントに手のかからん子やなと相方共々吃驚する程、普通にうろちょろしてました(抵抗すらしなかったそうですよ。なんとも鈍な)。

 両親ともにメロメロな様子を見て、かなり甘えたなやんちゃお嬢になりそうな予感がひしひししてまして、当初予定とだいぶ違うよなと(笑)
(とは言え、ご近所さんにも「愛想良し」のお嬢として認識されたようなので、ちょっと安心です。)

さぁ今週末は漸く「予防接種」です。彼女の反応が非常に楽しみだったり(^^)

映画【笑の大学】

 観終わった後、もう一度西村雅彦&近藤芳正の"舞台"で見たいと痛切に思った作品でした。
そして、「三谷脚本、大好きっ」と再確認させられた作品でもありました。

以下雑感

 実は幸いにも"舞台版(初演)"を観てるんです。また、自力でチケット取って行った最初の舞台でもありました。今以て、西村&近藤両氏の台詞回しや表情、居住まい、そして劇場を支配していた緊張感、笑いを覚えてるほどの初体験をさせてもらった舞台です(後にも先にもこれほど衝撃を受けた舞台は無いと思います)。

 舞台の印象が余りにも強く、今回の映画化には不安を感じていました。が、杞憂に終りました。
 舞台版では、ほぼ50:50だった向坂と椿の視点を、向坂に重心を移したにも関らず全く違和感がなく、しかも舞台と違う「笑の大学」という作品になっていたと感じます。そういった脚本監督の手腕には、感嘆するばかりです。

 まず役者さんについて。
 向坂役である役所さんが兎に角素晴らしかったです。何が、何処がって表現するのは無理だと思うし、必要ない役者さんであり「向坂」でした。

 一番の不安材料であった椿役の稲垣さん。
 滑舌の悪さは気になりましたし、役所さんと比較するとどうしても技巧や所作なんかは見劣りするんです。ぎこちなさが目立つというか。が、それ故に「映画版 椿一」が存在していたと感じます。決して対等な存在では在りえないのに、同等に近いモノとなってる不思議。そして時折見せる「集中力」だったり、醒めている雰囲気自体が映画版椿として存在し得た理由かと思います。
あと、順撮で良かった…と思わせられました(笑)

 そして脚本
 無駄の無い台詞の数々とか、一つの台詞を状況を変えトーンを変える事によって意味合いを変えたりする辺りは、流石だなと(コメディ部分で使った台詞を最後の場面で持ってきたり等々)。
 ある意味、三谷作品の要素の全てが詰まってると感じたりしました。

 そして、何より「本を書く」そのことに三谷幸喜がどれほど「尽くしてるのか」。その一端を見せられた気がします。どの作品も「創る」事に拘ってるなと思うんですが、「脚本を書く」事そのものを此処まで抽出した作品は無いんじゃないのかと思います。そして、彼なりの闘いを「楽しんでいる」とも思わされる場面の数々。三谷幸喜にとっての「喜劇」とは何なのか、それに対する答えの様な気がしてなりません。

 また、この作品、時代背景が昭和15年であったり当時の検閲制度を狂言回しに使ってたりするので、「すわ社会問題を扱った作品か」と思うんですが。鑑賞中も後もそういった「設定」を意識しないし、忘れてる作品なんですよね。単に「可笑しい」とか「哀しい」とかそういった個人的感情に訴える作品であって、肩肘張って脚本の意図を深読みし「現代」を語るようなそんな作品ではないと思います。
 時代背景やその他の設定は、単にドラマに深みを持たしたり、更に可笑しく(合理的に)なるために必要な借景という意味しか無いような気がします。
(大河も同様の構造か。三谷幸喜が描きたい「ドラマ」に必要な借景が幕末であり、新選組だったと。だから、台詞の一つを取り上げて「現代日本に〜」云々というのは正直違うんじゃなかろうかと思います。確かに台詞は計算されてるし練られてるけれども、それはあくまでも「ドラマ」として必要かどうか。人物に相応しいかどうか等々だけの意図しか無いと愚考してます)

 で、舞台版を思い出しました。
 西村さんの向坂はある種の「冷たさ」や「鋭さ」があり(言うなれば氷の壁)、それが近藤さんの椿の「暖かさ」や「柔らかさ」と向き合うことでどんどん溶けていく、また、対する椿は向坂との遣り取りで「硬さ」なり「熱さ」「鋭さ」を見せて行く、そんな対比が素晴らしかったと記憶してます。
 が、役所さんの向坂には「冷たさ」はあまり感じなかったものの、「硬さ」や「鋭さ」何より向坂が根底に持っているであろう「素朴さ」や抱えてるモノの「複雑さ」なんかを感じました(映像の力だと思います)。それが、椿と向き合うことで表面に現れてくる。そして、椿は全く変わらずなんですよね(苦笑)
それが舞台と映画の大きな違い(三谷さんがパンフレット等でコメントされてる意図は正確に観客に伝わってる筈)。

 どちらが好みかと聞かれたら、やはり「舞台版」の方と答えます(^^;;あの臨場感とか緊張感とかは、舞台向だと思うので。(パルコさんDVD化してくれんかな)

 ただ難を言えば、最終部分が若干冗長と感じました。舞台版のように「本直し」で終幕なのも映画としてはどうかとは思いますが、向坂と椿の頷きあいは私の好みでは無かったです(ここいらは単に好みの問題だけだと思います)。

2004年11月8日月曜日

新選組!44話【局長襲撃】感想

 バラバラだと感じた「組」が纏ったと感じた回でした。そして、組だけでなく幕府側の立っている坂の下り勾配がどんどんきつくなり、加速度的な下りが遂に始まった、とも感じた回でもありました。
 しかも、下り勾配に立っていることだけでしんどい筈なのに、尚も均衡を保とうとする者、見切りをつけつつも出来るだけ傷を負わせないようにする者、そして最後まで支えようとする者の姿。恐らく彼等の力は「歴史に逆行する」ものなんでしょうが、今まで以上に力を尽くそうとする彼等が見せる「様」には、悲劇と滑稽さだけは無い何かがあるような気がしてなりません。

 そしてこんな時勢だからこそ、其々の立場や生き様がどんどん露になってきてる様な気もします。

 こうもじっくり壊れていく過程を見せられるとは、正直予想外でした。回を追う毎に、立ってる場所が不安定になり、積み上げたものが音を立てつつ(しかも静かに)瓦解していく様には感情が揺さぶられっぱなしです。

以下雑感

○水戸藩との諍い場面
・このところ頓に近藤が発する言葉が、重みと凄みを増してきたと感じます。
・二条城での言葉は、これまで5年間に彼が負ってきた傷や痛み。そして、止むを得ず命を奪った者達への「悼み」を感じました。更に、生前の彼等と過ごした時間に対して愛惜をも感じてるんだなと。
・その言葉は、彼が決して土方の傀儡や、だたの「いい人」として無為に過ごしたのでは無く、彼自身が決断し何かを得、喪い、そういった何もかも内包するだけの成長を遂げた。そして、今ある近藤や新選組となったんだと感じた場面でした。
・それ以上に、「死者を愚弄した」という言葉の重さ。隊士だけでなく不逞浪士の「死」すら彼等は背負って前線に立ってたんだと。
・前線に立って「命の遣り取り」をしてきた者達と、高みに立って眺めていた者達の視野の差。同じ幕臣と謂えど此処まで差が生まれるものなのか。それが鴨が居た水戸藩だった事に、僅かながら衝撃を受けました。
・幕藩体制が崩壊した理由の一端を見せた場面だったとも思います。あくまでもお上はお上の論理だけでしか見てないし、末端の動きや意思は見ようとすらしなかった、其処が最後まで求心力を保てなかった理由なのかと思ったり。
・しかし、どこまでいっても「身分(出自)」「立場(肩書)」と個人とを切り離せないことは、今も昔も変わりなく(苦笑)
・土方の「命の遣り取りの方法。お教えしますよ」に、彼の強さと抱えてる傷を見た気がしました。

○沖田総司
・沖田が画面に出てくるだけで痛々しくてなりません。
・素晴らしいよ!!藤原竜也!!
・透明感が更に増し、病床にあるというのにある種の力強さと無邪気さが増したような気がします。
・しかも、あらゆる感性がどんどん研ぎ澄まされていき、人で無い者に成っていってる、そんな風情すらあり。
・お孝と土方との遣り取りが温かく、その温かさが切なくてなりませんでした。
・斎藤との場面。互いが無いもの強請り(表現悪いとは思ってます)で、互いが羨ましくて。それでも互いには成れないし、交わることも無いもの同士が瞬間だけ交差した場面だと思うと。
・久し振りに微笑ましい場面が多く、嬉しかったのも間違いなく(笑)
・皆から「寝てろ」と言われ不承不承戻っていく姿が、余りにも稚くて。皆総司を大切に思ってるんだよっと首根っこ掴んでやりたい気分になりました(間違ってます)

○その他
・伏見に赴く、と隊士達に告げる場面と「新選組誕生」の最後の場面が重なりました。
構図はほぼ同じなのに、夕刻と(恐らく)日中と光の強さも違えば、幹部連の数も違う。本当に黄昏なんだと意識させられた場面でした。
・広沢様と小森様が近藤を頼る。彼等が最後に縋ったのが近藤(新選組)だった事に、会津の置かれた状況の切迫感や幕府内での立ち位置の微妙さなんかを感じました。つうか本当に辛い。
・佐々木と近藤。幕府(=徳川家)に対しての思いは同じ筈なのに、ここまで方法論が異なるのかと。佐々木の論理の方が、幕府の公式論に近いんだろうな…と思ったり。しかし、佐々木の「様」は近藤と同様に不器用だと感じます。きっと、この時代じゃなきゃ誉れ高い武士だったんだろうな。
・左之とおまさちゃん夫妻。ホっントに大好きですよ!
 左之のぞっこん度も相変わらずバカで愛しいし(誉めてます/笑)。
 左之の話しを聞く前に「あんたっどこからちょろまかしてきたん」の一言がでるおまさちゃんが可愛過ぎです(笑)ホント、オアシスですよ。この二人。
・副長の「たまには『仏の副長』って言われたいから」に、彼の人を思い出しました。本当にちゃん彼の人の存在ややり方を認めてたんだと、改めて思い知らされました(所詮私は山南さん好きです/苦笑)
・何時の間にやら、尾形さんが「解説者」役になったんですね。幹部会議の閑散とした様以上に驚きました。
・西郷&大久保&岩倉の怖さなり政治力なりは、本当に大したものだとしか言いようが無く。
・近藤と島田の「帰る場所は無い」は、彼等の在る状況が直参になったとはいえ、どれほど厳しいものなのかを思い知らされ。そして、そういった状況に身を置いた彼等の環境を思うと。
・新選組の名を返上する。それが島田魁の過去の台詞で示された瞬間、島田が新八に連れてこられた場面を思い出し、あれから遠くまで来たんだと改めて感じました。
・過去の台詞を効果的に使う、三谷脚本の思うツボに嵌りまくってる自分がちょっと嫌です(笑)
 あぁ三谷さん大好きですよっ(と悔し紛れに呟いてみます)

・予告...源さん(大泣)
・「ご期待下さい」って...「何言うてんのっナレーターっ」と無駄にに喧嘩売りそうになりました。
・期待も何もあったもんじゃ無く、45話以降お蔵入りにしてもらいたい(それはそれで消化不良で嫌ですが)と思うくらい来週が来て欲しくないです。

2004年11月4日木曜日

ここまできて、と今更ながら

 このところ三谷幸喜作『新選組!』の緻密な作りに驚かされて、今まで以上に踊らされてます(苦笑)。そして、この作品での「近藤勇」は「香取慎吾」じゃなきゃ駄目だったんだと、更にこの作品は「香取近藤」の物語だったんだと、強く強く思い知らされてます。
 まったく、何処まであざといんですかっ三谷さん!て胸倉掴んでがくがく揺す振りたい心境です(心から誉めてます。本当ですよ〜!!)。

(以下かなり右往左往した文章です/汗)

 まず香取近藤について。
 43話を見終わった相方が言う訳です「久し振りに(恐らく池田屋以来かと/苦笑)見たけど、相変わらず香取は『下手』やな」と。「周囲が巧い分『下手』が目立って仕方ない」とまで言う訳です。
 そこで思ったのは、三谷幸喜は香取慎吾という役者に対して「技巧」を求めてないんじゃないかと。ある種の「下手さ」言い換えれば「不器用さ」そのものを求めたんじゃないのかと。

 香取の不器用な近藤勇を中心に置くことで、周囲の面々の個性が際立ち、三谷が考えている群像劇部分の「新選組」が成立するんじゃないのかと感じたんです。
 であるならば、強烈に個性を放つ人が主役(=近藤勇)では「物語」が存在しえないんではないかと。逆に全く「個性」が無い人を据えた場合でも、中心が見えなくなり「物語」が瓦解する可能性もある。
 となると、「個性なり存在感」があり、かといって自己主張するほど強い個性の演技者でないこと。更に、周囲の色を柔軟に受け止めて反射できる人間って事になるんですよね。
 そしてそういった中でも、三谷脚本の意図するところを「正確」に把握し演じることができる(三谷脚本と波長が合うといった方が近いかも)、となるとやはり香取慎吾じゃなきゃ駄目だったんだと。
 このことは、当初より三谷が散々コメントしてることなんですが、今になって漸くコメントの意味が薄っすらと解った様な気がします(ホント、今更なんですがね/汗)。

 そして、このドラマはやはり近藤勇の物語でしかない。
 この作品、人物を対比して描いてることが多々あるとは思うんです。が、近藤だけは「対」になる人物が居らず、彼一人ぽっこり浮いてる感じがするんです。確かに、竜馬(若干土方)辺りは対になる部分はあるかとは思うんですが、竜馬に関して言えばあくまでも狂言回しとしての役割が強く与えられて(最上位に立ってるというべきか)、近藤と対比させられては居ない筈なんです(土方に関しては、明確に山南さんという存在が在った)。
 しかも、近藤という存在は他者にとっての「鏡」であり、他者は近藤にとっての「鏡」という創りをしてるんじゃなかろうかとも。

 他の面々の光や特徴が対比で浮き上がるとすれば、近藤の場合周囲に居る面々と同化しつつも取り込む事で、それらが浮き上がってくる創り方にしているような気がしてなりません。
 巧く表現できませんが、スポットライトの色が一人だけ違うというか。他者は其々が強烈な色だけど、近藤一人が真っ白な感じがするんです。しかもその白さは回を追う毎に強くなってきているような、もしかしたら今まで周囲にあった光の全てが集まり更に白さが増したというか...そんな感じを受けてます(よく解らない表現で、ごめんなさい)。
 同化するが故に他者の「鏡」にもなり得、近藤が各人の何かを内包し、各人がそれを更に反映させてる気もしています。だからこそ近藤勇の物語でありながらも「群像劇」として成立しているように思えます。

 極端な感想に走りますが、「新選組!」は最終話の近藤の一言の為だけに残り48話があるんじゃないのか?そんな気すらし始めてます(長い長〜い助走かもとすら/苦笑)。

[上記から若干ズレますが…
 近藤に関しては、よく言えば「柔軟で多様性に富む」、悪いえば「己が無く、優柔不断」な感じを与えるような創りを故意にしてるんだろうかと穿ってみたり。だから、巷で「近藤が『いい人』すぎて深みがない」と言われるのは、こういった部分からだと思ったり(香取のスケジュールの都合だったり、編集の所為かもしれませんが/酷)。
 しかし、私自身は決して「いい人」だけではない近藤が居ると感じてます(具体的には難しいけど/苦笑)。武田を許す場面にしても、伊東との会談にしても、対峙している人間にとってある部分一番「厳しい」選択を与えてるんだと思うんです。そこに芹沢暗殺以降の「鬼になった」近藤勇があるんじゃないかと。そんな風に感じています。
 しかも、三谷の描く近藤なり土方達は、人を斬る痛みとか斬られるもの痛さ・辛さを解ってるという前提があるから、敢えて「生かす」方向になるのではと、かなり穿ってみたり。]

 こういった部分で、三谷幸喜は「ドラマ」を描いているのであって、「歴史ドラマ」や「人間ドラマ」は決して描いてないと思ったりしてます。何かにもがいて抗って受け入れてる「普通の」人達が紡ぎだす、その様を描いてるんじゃなかろうかと。
 そういった人が見せる「おかしみ」や残酷さ、哀しみ、強さ、弱さ、優しさなんかを描いてるんだろうな、と思ったりしてます。それが偶々「歴史ある『大河ドラマ』」で「歴史」を題材にしなくちゃ駄目だっただけであって。

 三谷ドラマとしての軸は決して揺らいでないし、ズレて無いよな…と思うようになりました。

 といいつつも、「新選組」を下敷きにして、この役者陣で現代に置き換えて『王レス』のスタッフで、1年間の連続ドラマであったなら、理不尽なバッシングも少なかったろうし、無意味な演出・編集で壊されることも無かったろうし、もっとテンポ良く更に面白かったんじゃなかろうか、と思ってみたり(苦笑)。

ホントいつも以上に纏り無く、良く解らない文章だと反省してます。
最後までお付き合いくださった方、有難うございますとすみません(--;;です。

2004年11月1日月曜日

新選組!43話【決戦、油小路】

 今回ほどOPのナレータ(「(時代の)波に乗れなかった」)が的確に突いてきた回はなかったと思います。時代を読んで動いていた筈なのに、「時流」には乗れず時代に斬り殺された伊東。時代にも時流にも取り残されつつある「新選組」。
 惑いながらも疑うことなく「未来」を信じて、そしてある時代に付添い殉死した平助。

 何より、41話以降感じてはいることですが、幹部連の意思(方向)転換(法度の形骸化や、御陵衛士の参加の禁止等々)が隊士達へ伝わっていない状態に、言葉がありません。
 伝わっていないが故に「法度」への畏怖と「幹部(=土方・近藤ライン)」への畏敬が、今以て隊士達を支配している。だから、大石鍬次郎のように「力」で異分子を排除しようとする動きが出てきたんじゃないかと。そして、彼等が個人的に武田を排除した時点で、幹部連は何らかの手を打つべきだったんじゃないのかと?!甚だ疑問に感じました。
 しかも「近藤の意」に反して伊東を斬った大石を、「近藤先生のためにやったことだから」という理由のみで土方が庇う構図は、一体?!。土方があの理由で大石を庇うのであれば、近藤の存在(意思)とは組織にとって何ぞや?!と疑問に感じました。一番の問題は、近藤・土方ラインでかなり齟齬があったり、意思疎通ができてない事なんですが(苦笑)。

 更に、幹部連が隊士への意思通達をきちんとしていれば、平助は死ぬことは無かったんじゃないのかと(涙)。近藤・土方の遣り方(組織運営)の拙さにどうにもこうにも悔しくてなりませんでした。

以下雑感

○平助
・彼は最期まで惑って揺らいで、それでも信じる事の根底は疑うこはなかった。
・彼の戸惑いや揺らぎは彼自身の弱さではなく、優しさや多感な思い(もしかしたら平ちゃんも気づいてない強さ)から出てきていたと思います。だから、平助はどんなに鬼神のような表情であっても、最期まで皆から愛された平ちゃんだった。
・特に、左之に逃がされて戸惑う姿、御陵衛士が斬られる様子を呆然としてる姿、多くの思いを断ちきって新八に最期まで向かっていく姿に、今までの平助と、何かを捨てて大きく成長した平助を見ました。
・彼はその気質故に、伊東からも近藤からも「大切」にされたんでしょうね。
・しかし、平助が持つ幼さでは伊東が平助に対して示される「愛情」なり信頼は解り辛かった。
けれど、最期は伊東の信頼を理解し、近藤の愛情や信頼にちゃんと報いた(誰もそんな形では望んでなかったけど)。
・しつこいようですが、物事に対してある意味柔軟で聡明で、何より誠実であった平助の未来見たかったです(涙)
・前半〜中盤にかけて、平助の存在にどれほど和まされたことか。平助がいるだけで、ほわっとした雰囲気になることに、安心感さえ覚えてました。
・彼の殺陣の瞬間に、回想シーンが全く挿入されない作りにも関らず、それらがフラッシュバックされました(総司とおかず取り合いしてる姿とか、寺で場所取りしてる姿とか)。
・中村勘太郎君、お疲れ様でした。そして、最期まで愛された平助を演じてくれて、本当に有難う。

○伊東先生
・伊東先生は加納さんがいるからこそ、伊東甲子太郎として事由に振舞えたんだな・・・と。
・岩倉との遣り取りは、ホントに胃が痛くなりました。どうやっても岩倉卿の方があらゆる意味で「上手」だと、思い知らされました。
・己への矜持はあるけれど、絶対的に己を信じられず、また他人をも信じられない弱さが彼が時代に振られた要因だったのかな、と思ったり。
・谷原伊東は、巧いな…確かに鏡で表情研究しただけのことはあるな、と。説得力のあるお芝居されますよね(特に、内面と台詞が乖離してる時ほど、説得力が増すというか)。

○近藤伊東会談
・近藤の「それでは(私を)言いくるめられません」は、近藤の持つ深淵を見た気がして「ぞっ」としました。近藤は「他者」と対峙して、対峙した者の何かを「飲み込み」、大きく変化していく存在として描いているんだ、と今更ながら気づいた次第です(笑)
・近藤と伊東先生の違いは、命掛けかどうかだったんですね。そりゃ伊東先生、呑まれるわ。
・この場面で改めて、三谷「新選組!」における軸足のブレが無いことに驚かされました。誰もが、身分なり所属による壁にぶち当たり、もがいている様を描きたいんだとも(そういった意味で坂本は超越した存在で、だからこそあそこまで魅力的だったんですね)。
・しかし、「あなたとはもっと前からこうやって腹を割って話すべきだった」っていうのは、勘弁してください(涙)。それって山南さんの時の教訓じゃなかったんですか?!近藤局長っと、罵声浴びせそうになりました(苦笑)
・伊東先生の「策士、策におぼれる」様が素晴らしく良かったです。(誉めてます)

○平助、総司。
・なんて、暖かい場面なんだろう…
・互いを思いやって、互いを信頼してて、ちゃんと受け止めあってる。このドラマで唯一等身大の関係性を築き上げてきた二人なんだ、そう感じる場面でした。
・平助の「私たちは周囲に心配かけさせる役割なんですね」にほろっとしました。また、それを受けた総司の表情の柔らかい事ったら(涙)
・平助の最後の驚き顔、最高に可愛かった。
・この二人が、心底愛しくてなりません。

○その他
・何かを企んで、実行する時の土方の活き活きした様子って。彼自身、組織が追い込まれ始めてる事を、薄っすら感じてるんだろうか、と思ったりしました。
・今の土方と近藤は、うっすら乖離してることに彼等は気づいてるんだろうか?!とも思ったり。そして、山南さんの時と違うのは、土方が必死で「近藤の意思」を汲取ろうとしてることだけのような。
・皆が平助に「戻ってこい」と言う場面は、切なくて切なくて。そして、「大丈夫ですよ」と笑顔で言い切る平助のあどけなさが愛しくてなりませんでした。
・総司の「貴方達が思ってるほど子供じゃなんだ!」は、精一杯の表現で、大人組にしたら突き刺さる言葉だったんじゃないかと。年下組は年下組なりに、培ってた思いがあったり、それを糧に日々成長してきた。それを一番理解してたのは、一番近しい者同士だった、とそんな事を感じたり。
・戦闘時、左之が冷酷な面を見せつつ、平助にだけは温かい目を向けてたり、新八が平助の剣をきちんと受けつつも「生かそう」としてる姿に、彼等の歩んできた時の長さと絆の強さをひしひしと感じました。
・また土方の中の歳三が泣いてるよ…
・源さんは本当に辛いだろうな…
・この段になって捨助らしさに、救われ始めてます(笑)

来週は局長襲撃で、その次は(大泣)
最終話まで心穏やかに鑑賞できないような気がしてきました(今更ですがね/笑)

2004年10月27日水曜日

まさか本当に出すとは!!

 iPodのカラー液晶化は、きっとそっちの方向に行くだろうと漠然と思っていたので「そうか」って感じです。

がっ!
 某界隈の「噂」で流れていたという、U2バージョンが本当に発売されるとは(@@;;)
 このiPodはApple及びU2FAN(マニアと言い換えても差し支えないかと思ったり)必携の品になるかと思ったりします(特にU2の)。

 で、それに当てはまる相方の現状は、かなり揺れ動いておられるようです(^^;;。
彼が戸惑ってるのは、カラーリングと金額だけみたいで、コレクターアイテムとしては満足な品だそうです(笑)。まっ、あれやこれや考えても彼は「絶対」買うに違いない、と確信してます(笑)

 しかし、私もカラーリングを相方から聞いた瞬間「えっ?!」と思ったし、実際の画像見て引きました(笑)。何故ホイール部分を黒(若しくは銀)にしなかったのか?と。
 ホイール部分、救命用の浮き輪みたいなんだもの(笑)

いや、心底今回のAppleの攻勢には驚かされてばかりです…
(つうかU2のメディア戦略の巧さにも驚いてますよ。さすがボノというかなんというか/笑)

2004年10月26日火曜日

新選組!42話【竜馬暗殺】感想

 『絡新婦の理』の京極堂の台詞では無いですが、全てにおいて「場」と「流れ」が変わり、「江戸」という時代が終わったと感じた回でした。また、時代を作る側と時代に消された側の強さと弱さ、立脚点の違い等が更に明確になったのではないかと。(国を動かす為に「施政者」になろうとする者と、自らの組織なり内にしか「視点」の無いもの違いというか...何と言うか。難しいです...)
 それは「大政奉還」といった政の変化、坂本竜馬の死といった「歴史上」の大きな出来事だけでなく、
試衛館の面々、そして彼等の姿を借りた庶民の僅かばかりの「変化」や動揺も同時に描かれていたからだと思うのです。

以下雑感。

○大政奉還について。
 徳川慶喜の「名君」のイメージを悉く覆してしまうくらいの策士(腹黒)さに、何時の時代にも変らないであろう「為政者としての地位」や「権力」の魔力とそれに対する人の執着を見た気がしました。
 徳川慶喜のみならず、西郷・岩倉の会談を見るにつけ結局、倒幕側であろうと旧幕府であろうと「頭になって思い通りに国を動かしたい」「時代を創りたい」という根底にある欲望は大差ないんだと、決して綺麗事では語れない「政」と「歴史」を感じたりしました。
(西郷さんも慶喜公も大河の題材になってるけど、もっと清廉なイメージだったもんなぁ。描き方見方を変えることで、こうも生臭く奥深くなるんだと、当り前のことを思ったり。)

○竜馬の死。
 一時代が終焉した、そう意識させられたのは「新選組」と平行する者して竜馬を描いた結果だと思います。平行する彼等を同時に見せ、しかも微かに交わらせた事で「幕末」の思想やうねりを描き出したからだと。
 当初、確かに「竜馬と近藤が知り合いって設定、どうまとめるんや?!」と思ってました。が、その初期設定が無理なくちゃんと活かされた事に三谷幸喜の才能に驚くばかりです(途中嫌になった事もありましたが)。
 そして、竜馬殺害の犯人(?!)が見廻組(というか佐々木只三郎なんですが)なのも無理がなく、
しかも当時新選組が殺害したという風説の根拠である「こなくそ」という言葉も割合巧く使ったな〜と感心しました。
 また、新選組が「竜馬を救う」とかなり「無茶」な設定であるにも関らず、1話からの近藤との関係性と幕府高官である永井の憂慮を挿入することで違和感無く纏めたとも思います(確かに幕府側としては組織の弱体化を体感してる分、竜馬が生きてればと思ったろうとは思う人もいたであろうと納得できます)。
 
 何より、最期まで何処にも属さず「好き勝手」に生き、人を信じることで時代を生き、その時代に微笑まれた竜馬はやはり魅力的だと思います(思った以上に江口竜馬が良かったです。あの奔放さは素敵でした)。
 竜馬の台詞は、全てが良かったなと。中でも、「人を信じることが基本。その人が裏切ったら自分の見る目が無かったって事」や「馬鹿話で一生過ごしたい」って台詞は、本当に江口竜馬らしいというか、彼の魅力的「強さ」や「しなやかさ」の象徴の様に感じました。
 最期の「頭をやられた...」もそうですよね。彼は人間的魅力と己の才覚だけで、時代を動かしたんだと言う比喩なんですよね。やっぱ巧いよなぁ。

○新選組
・屯所の移動は、「直参になったから、間借ではなんですやろ」と如何にも京都人的な表現で、追い出されたと。恐らく寺側(京の人)は幕府の弱体化を肌で感じたからこその、出来事だったんじゃないでしょうか。しかし、その後ちゃんと寺側から建築費等々出させたのは土方の才覚の為せる技なんでしょうね。
・政権返上そのものを憂う近藤と、今後の財源を気にする土方。二人の「気質」なり、今まで組織を創り上げてきた役割や過程の差が出た場面だったかと。
(その場で窘める近藤を見て、非常に現実感覚の無い人物だと感じもじました)
・お孝(新しい人)に深雪(懐かしい人)の面影を重ねる近藤は、幕藩体制に寄り添おうとする「新選組」という組織の比喩かと、穿ってみたり。
・沖田は周平に己の「未来」を漸く託し始めたのかもしれないな、と。そして、周平も漸く「己」の居場所なり立位置を見つけ、それに背負って「生きる」決心がついたのかと。
若人二人の変化は、静かで透明感があって美しいとすら思いました。(特に藤原沖田の透明感ったら、言葉が見つかりません)
・お多福での新八、島田、左之の遣り取りは、恐らく当時の庶民が感じていたことなんだろうと思いました。上では「王政復古」と言う名で「仕組」変化させようとしてたり、それを阻止しようとしてる。しかし、庶民レベルでは「何も変わらない」という事だった。
しかし、不安や期待だけが煽られてるそんな状況だったんだろうな…と。
・新八と島田の「説明してくれる人がいたんだよな...」。お願いだから不意打ちは勘弁してください(涙)。小首傾け微笑しながら時勢を語るあの方が見えた気すらしました。
・近藤もご家老直々に密命を受けるまでになったんですよね、傾きかけた屋台といえど凄い出世だとは思います。そして、傾きかけた屋台を盲目的に支えようとする近藤の揺るぎない「誠」は、最後まで一貫するんでしょうね。
・平助の著しい成長。それは、非常に微笑ましくて嬉しい場面だったんです。が、伊東や近藤の下でも出なかった新たな芽だったことに、なんともいえないやり切れなさを覚えました。逆に竜馬が持つある種の影響力を感じすらしました。
 そして、平助の「あったであろう」未来が描かれる度に、切なくなります。彼と沖田だけは史実と違っても良いから、来年の桜も見てもらいと痛切に願うのです。
・平助の表情が伊東を前にすると途端に、硬くなるのが痛々しいです。それでも平助は伊東を「慕って」るのが分かるだけに、余計辛いです。
・兎にも角にも平助は、ややこしい人たちに振り回される立場なのは変わりなく(笑)
・斎藤は斎藤で、竜馬に揺さぶりを掛けられ戸惑うようになりましたね…彼は彼なりに己の未来を考えだしたんんだと。
・土方の「何で新選組が坂本を救わなきゃならないのか」は、視聴者の代弁かと思ったり。しかし、その後きっちり人選して配置する才覚は相変わらず冴えてるな、と。
・沖田の死期が近づいていく藤原の表現には、唸るしかなく。

○その他
・捨助は漸く己の判断で「信じるに足る相手」かどうかを見極め始めたんですね。それもこれも竜馬に信じてもらい、佐々木様に裏切られた経験からだと思うと。なんともかんとも(苦笑)
・左之のピンクな前掛け姿とアヤシイ店主っぷりに、客はきっと引いたに違い有りません(笑)。それにしても、やはりおまさちゃん尻に敷いてますね〜(あぁ可愛い過ぎですよ。この夫婦)
・竜馬が以蔵の話をした瞬間、竜馬の後ろに(一度も出てきたことの無い)以蔵の姿が見えた気がしました(汗)。なんなんだろう…この感覚
・回想場面が一切無いのに、過去の映像が思い出せるくらい創りこんでるドラマだと思います。
・今回、一番辛かったのは実は「予告」でした。こんなんで来週まともとに見ることができるのか不安です(苦笑)

2004年10月21日木曜日

わんこが遂にやってきた!

 10/19 静かに降る雨の中、我実家に念願であった柴犬(名:まる 生後約40日)がやってきました。
 小さき彼女には「My母の老化防止」という、遠大かつ重大な使命が既に与えられております(笑)。
 昨年から今年にかけて、出不精&社会性がまるっきり無い母親の老化(&痴呆)予防になればと、相方&父と共謀し「家に柴犬を!」一大キャンペーンを貼りました。

 <余談ですが、母の社会性の無さからくる言動は、身内にとっては迷惑以外の何物でもなく。好い加減に身内及び世間様との距離感考えて、発言及び行動してもらいたいと痛切に思ってます。で、これをわんこ生活を機にご近所等々の犬仲間と触れ合うことで社会性が身についてくれればと、藁にも縋る思いもあり(苦笑)。そして、更に言えば好い加減子離れしてくれと。>
 
 飼育担当者になる母の夢見がちな意見は全て棚上げし、実行部隊が決定したことは。
○飼う時期は、母が退職する今春以降。
○犬種は、手間がかからず、適度に運動量(≒お散歩量)が多く、お利口(且つ仔犬が最高に愛らしい)な柴犬。
(はっきり言って実行部隊の好みそのものです/笑。ちなみに母の希望犬種は小型犬長毛種だったらしいです。これだから「イメージ先行型」の人って/苦笑)
○飼主の体力に合わせて、女の子(男の子は力が強いらしいので)。
○近くの信頼できる柴犬繁殖所で予約購入する。

 で、漸くやってきた 柴の仔犬、まる嬢。
いや〜丸々として小顔で(え)将来絶対「美犬」になりそうなお嬢です(笑)
 気性は、どうなんだろう。
 一見おっとりさんみたいですが、好奇心はやたら有りそうで。自ら移動用ゲージに入ってみたり、家中を探索してみたりとなかなか探究心旺盛です。
しかも、何をされても「じっ」としており肝が据わっても居るようでもあり。また、人が居る場所だと安心するのか割合コロンと寝たし、かなり良い気性かと思います。
(初体験の「ブラッシング」ですら、じっと為すがままにされておりました/笑)

 流石に夜鳴きはしてるようですがそれは通過儀礼だし、電話を通じて聞こえる声は「おぉ元気に鳴いてる鳴いてる」って感じです(母は2日目にしてうんざりしてるようですが/苦笑)。

 何より、当初予定の「補助はするけど、手は出さない」の決意が脆くも崩れそうな位、まる嬢の愛らしさに撃沈されました(笑)。暫くは、足繁く実家通うんだろうな、やれやれ。

2004年10月18日月曜日

新選組!41話【観柳斎、転落】感想

 見終わった後、何ともやりきれない気分になりました。
 何故、武田が平隊士の手によって殺害されなくてはならなかったのか。自分の犯した罪を「生きること」で償おうとした矢先であったのに。
 今回は「人」が犯した罪の重さ、死と生の重さをひしひしと感じました。改めて、自分の意志で命を絶つことが出来た山南さんは「幸せ」で「卑怯」だったとつくづく。

 とりあえず主題であった武田の転落について一言でまとめると、武田の流転振りが素敵でした、です(ヲイ)。最後まで人間味のある「武田」でだったと思ったり。

 八嶋武田ならではの「小狡さ」や「卑屈さ」があるのに何故か「屈託がない」様に、救われたような気がします。彼なりの「意地」が最後まであって、それは決して清々しかったり許されるべきものでは無いですが、それでも「一人の人間の生き様」だったり「生きる上での業」であることは変わりなく。それを最後まで崩すことなく見せてくれた、八嶋武田は素晴らしかったと思います。
 
 特に、近藤に「生きて罪を償え」「這い上がって来い」といわれた時の八嶋武田の表情は、素晴らしかったです。武田は近藤の言葉で「生まれ変わった」とすら思いました。
(そう思わせるだけ、近藤の言葉に説得力が生まれたんでしょうね。凄いよ香取ッ/感涙)

 しかも、人の弱さと優しさと矜持が綯交ぜになった、絶命の場面。彼は、河合の死をや自刃した隊士を彼なりに悼んで、自らの行いを悔いていた。そして、近藤に「与えられた生」が彼の最後の拠所になったのではないでしょうか。だからこそ、河合の墓前で近藤からもらった生を奪われたくなかった、「生きることで」しか己の罪を償えないと悟ったからこそ、初めて刀を抜き「生」を守る行動になったのだと思うのです。

 とは言え、最後まで「保身」で立ち回るのはやはり「武田」としか言い様が無く(笑)、どうしようもない小物っぷりを見せ付けてくれました。
 あの谷原伊東や宇梶西郷との会談は「見事」でした。三人三様の「胡散臭さ」や「胡乱」さがあって、ホント「大河ドラマ」とは思えない空気が漂っていたと思います(笑)。
 兎にも角にも八嶋武田 お疲れ様でした。彼が登場して醸し出される大河らしからぬ雰囲気は、八嶋の醸し出す「煩さ」にあったと思います(むっちゃ誉めてます/笑)。

 そして、新選組が対外的に「頂点」を迎えたその時期に、内部は結束力を失い崩壊してる現状。更に、幕府がお墨付きを与えたことで「居場所を失う」隊士達が居たことに、新選組内部での「身分」の違いを見せ付けられた気がしました。
 近藤、土方ら幹部は何処まで行っても「武士」ではなかった。脱藩者を抱える事で、生まれる矛盾に誰も気が付くことはなかった。武士にとって君主とは、藩主でしかない。それ以の藩主に(例え直参であろうと)尽くすことはそれこそ「士道に背く」ことなんだということを、近藤らは頭では解っていても、
その「士道」が持つ本質は理解できてなかったのではないかと思いました(幕末の時期、そこまで「士道」を重んじる武士が居たかどうかは棚上げしてます)。

 そして、漸く組織のために己のために人を「生かす」事を選択した近藤達と、「歴史」のために人の命を奪おうする西郷達。
 それは幕府なり新選組が持つ「甘さ」と、倒幕側の持つ「怜悧さ」の比喩だと思うのです。そして、選択されたのは倒幕側の「怜悧」さだった。そのことにこの時代の「冷酷さ」を考えざるを得ません。

以下雑感

・冒頭の「かっちゃん!」「歳っ!」は、多摩の二人がここまで上り詰めたんだ!と嬉しくなりました。そして、非常に可愛らしい二人を久々に見せてもらいました(笑)
・山南さんと河合の死は、形は違うにせよ新選組全体に何かを「残し」たのは同じだったかと。
・新見から始まった「粛清」は組織や近藤ら個人にとって、無駄ではなかった。
 そのことは、三谷さんが「無駄な死」は一切描いていなかった証なんだと思います。
・三谷さんが人の死を無駄にしなかったことで、一切の回想場面がなくても思い出せるんです。それぞれの死を。それは、凄いことだと感じます。
・沖田が益々透明度を増してきて。この期に及んで未だ「変化」するのか?藤原沖田は、と固唾を飲むばかりです。
・このところの山本土方の精彩の少なさは、香取近藤が成長したことに伴う恣意的な変化かと思ったり。
・伊東センセの胡散臭さは、竜馬の前では霧散するのが意外でした。智恵はあるし、時勢も確実に読めてるのに本当に「詰めが甘い」だけで「時代に取り残されてた」人なんでしょうね。ホント谷原伊東は、色んな部分で魅力的だと思います。
・平ちゃん、竜馬の護衛になるの(苦笑)。いや〜互いに北辰一刀流だから良いんですが(良いのか/笑)。平ちゃんを連れ歩ける竜馬が少し(かなりか?!)羨ましかったり。
・宇梶西郷は、本当に底が見えない感じがして「恐ろしい」と思いますよ。
 今までの大河に無い「政治家」な西郷を、巧く創り上げたなと。
・竜馬が登場すると、途端に軽やかである種の透明感すら感じる雰囲気になるのは、凄い。
・大旦那な山崎さん。やっぱ良いよな〜桂山崎。けど、今回のは使われ方間違ってると思います(悔涙)

予告で気になったこと。
公家衣装の岩倉さん(笑)
あの衣装で胡散臭さ倍増したのは気のせいでしょうか?似合わね。

今更なんですが。
深雪太夫とお考の挿話って必要だったんでしょうか?ものすごく疑問だったりします。

2004年10月17日日曜日

未だ噂の範疇でしかないんですが…
Mariah Careyの新譜発売が今年末〜来春に延期されたみたいです。

 新作が遅れることについては「中途半端な作品を、何の宣伝もなく発売されるより良い」と思ってるので、吝かではないです。
 正直、彼女の新譜リリース間隔は他のアーティストと比べて短すぎるともすら思ってます(FANとしては嬉しいことなんですが/^^;)。なので、ここらで間隔が開いても良いからじっくりと吟味した「良い作品」発表してもらって、世間を「あっ」と言わせて欲しい、と思ったりしてます。(いや、彼女の作品は総じて好きだし、良いと思ってるんですが。世間様の評価ってのが、どうしても「例の事件」以来辛口なのので…/苦笑)

そして、もう一つの噂。
【MARIAH CAREY JAPAN TOUR 2004 “Christmas Night”】と称した来日ライブがあるらしいです。
 これはどうなんだろう、非常に微妙なんですが(苦笑)。来春以降に新譜を主体にしたワールドツアーの一環で来日してくれるんなら本望なんですが、何故にこの時期に?!
 更に、今回の会場もホール中心みたいなんですが、タイトルから予想される内容であれば小さな箱の方が良いんじゃないのか、と思ったりもしてます。BlueNoteクラスの音響の良い箱で、本当に彼女を好きな人たちの前で「Christmas Song」(アンプラグドっぽく)を聞かせた方が絶対良いのに、と思わなくもなく。

 横道に逸れますが、ここ数年(『Rainbow』以降)のプロモーションの迷走振りは一体どうなってるのか!?ともどかしいものがあります(素材は良いのに、勿体ないよ〜/ジタバタ)。
 この状況を見るに付け、やはり元夫トミー・モトローラの戦略は的確だったし、巧かったと思うようになりました。彼のやり方がMariahが公私共に与えた苦痛を思うと、離婚して正解だったとは思いますが、プロモート面だけを切り取ってみると、その損失は大きかったと思わざるを得ません。本当に難しい。

〔追記〕
 上記ツアーやはり延期になったみたいです。が、2005年に新アルバム引っ提げてのツアーは行うようです。しかし、2005年ツアー 国内巡業っちくになりそうらしいです(苦笑)
あまりあちこち巡業して欲しくないんとういのが、正直な気持ちで一杯です。ええやん東京・名古屋・大阪・福岡だけでさ(酷)
 で小さな箱でやろうよ。11月に大阪BlueNoteでBabyFaceがLiveするのを知って以来、その方が皆が幸せになれる筈だと信じて疑いません。
 まぁ今回のアルバムの出来如何だろうけれど、今の彼女にはホール級満員にすることは難しいんじゃ無いかと思ってる部分もあるので…(きつい事言ってますが、本当にMariah大好きなんです。だからあまり手酷い失敗してはして欲しくないというか…。複雑な心理露呈しまくってますね…すみません)

U2&DCの新譜

 U2の先行シングル、『Vertigo』が iPodの新CMに使われ、両者のFAN(信者)である相方はホクホクです(笑)。このニュースが発表されて直ぐ、AppleのiPod+iTunesでCMを見ました。


 不覚にも格好良いと思ってしまいました(^^;;
 楽曲だけでも(2週間前かな?YahooでPV先行公開してたのを視聴しました)充分「格好良い」と思ったんですが、iPodのCMは予想外に格好良いです。
 ボノだけがノリノリで、エッジはボノに頑張って付き合ってる(しかも懐かれる/笑)パターンは相変わらずで安心感があります(笑)。が、今回一番格好良いと思ったのが、アダムでございました。ラリーとアダムがこの手の映像ものでは珍しく「頑張ってる」のに本当に吃驚ですよ(特にアダムっ)。

 相方は「この曲だけが良いかも…」と妙に不安がってますが、杞憂に終わると予言します(笑)。恐らく11/17以降、通勤に始まり移動中の車内のBGMは『How To Dismantle An Atomic Bomb』な筈です(今でも相方選曲U2Bestがかかってるんで、必然かと/苦笑)。

 相方のお陰でドンドンU2に染まっててるのが、なんともかんともだったりです。

 さて、アルバム『DESTINY FULFILLED』が当初予定より1週間延期され、U2と同日発売になったDESTINY'S CHILD。
 余談ですが、Beyonceがボノを尊敬してると聞いたときは、色んな意味でクラクラしました(笑)。しかも、南アフリカ共和国のチャリティーコンサートで、ボノと共演して幸せそうにしてしてる彼女の姿がやたら可愛いくて、どうにもこうにも複雑な心境になりました(^_^;)。

 でこちらの先行シングル『LOSE MY BREATH』はDESTINY'S CHILD 公式HPで視聴(Beyonceパートのみ視聴可)しました。やはり、今のDCは勢いがあるな、と思わせるようなノリと出来かと思います。
ROCKとは違う「格好良さ」があって、アルバムが本当に楽しみです。

 しかし、あの三人のアニマルな格好はどうにかならんのだろうか?造作が良いんだから、もっとシックかもっとシンプルな感じな格好の方が良いんじゃないんだろうか?と思ったり。そう言った意味では、BeyonceのLive@Wenbryでの衣装は総じて好きです(^-^)

2004年10月11日月曜日

新選組!40話【平助の旅立ち】感想

 幹部会議の場面での人の少なさに、もの悲しさを覚えました。しかも、居るのは試衛館メンバーばかりで「外から入隊」したものはおろか、頭脳となるであろう総長、参謀格が居ない。この陣容では「内ばかりに向いている」と言われるのも仕方ないかと。
 また、これから新選組が進むであろう「悪路」を思うにつけ、この陣容では舵取りは難しかろう…とも思わせられました。
 こういった場面を見せられるにつれ「本当に『落日編』なんだ…」と、実感します。それを、解っているのに何故か辛く感じるのは、『多摩編』の明るさ、『芹沢編』以降の勢いを同じ目線で見てきたからだと思います。

しかし、平助の旅立ちが穏やかで暖かく僅かですが「未来」を与えられた事、本当に嬉しくて救われた気がしました。

 今回もある意味盛りだくさん過ぎて、纏まりませんでした。
  以下雑感です

○まずは香取局長。
この数回で急成長したのが「香取近藤」だったと思われてなりません(山本土方、藤原沖田は別扱いとして/笑)。
 それを強く感じたのが、伊東との会談場面。
 あの場面、近藤は敢えて伊東に「言い負かされ」、呑まれたんだと画面を通じても解りました。相手の言い分を呑むことで、穏便に事を終わらせたり変化させる。それは、土方が望む(期待する)方向とは違うだろうけれど、確かに近藤は一軍の将足る人物になった。その事は、近藤勇が経験した多くの「辛い出来事」があったからこそ身に付いたものだと思うのです。
 そして、それを身につけさせたのは、矛盾するかもしれませんが、新見・芹沢・山南さん達の死、土方の「鬼」としてのやり方では無いかと。彼らが居てこそ、単に担がれてるだけの存在ではない「局長」が今になって漸く生まれたと思ったりします。そして、土方の暴走を止められる唯一であろう存在感と自信が見えて。もの凄く「大きな要」になったと改めて思いました。

 正直、今まで香取近藤に魅力を感じたことはなかったし、「何故『近藤さんについて行きたい』と思うのか」と疑問を感じて見てきました。しかし、この数回で試衛館メンバーが「惹かれた」という近藤勇の魅力を感じることができました。今の彼なら「付いて行くに足る」人物だと思います。
(本当にここまで長かったよ…香取君。また此処にきてのこの変化は、香取君の現実の一杯一杯さと巧く同調した結果だとは思いますが/笑)

○主題であろう、平助と総司。
 この子達も試衛館時代の子犬っころコンビから思うと、確実に成長しましたよね。しかも、弛むことなくすくすくとまっすぐに。
 特に、平助が素直さを失わないままであったことは、何よりも凄いことだし奇跡だと思いたい。そして、総司との友情も確かに変化はしたけれども変わらないモノを保っていた事が本当に嬉しかった。

 この二人が語り合う場面、(清水さん演出の割に/酷)静かで暖かくて大好きな場面になりました。
 特に沖田が平助に「労咳」と告げる所は、藤原沖田の空気がどんどん開放されてきて、平助との(気持ちの)距離感が縮まって行く様なんかは、藤原君勘太郎君とも巧いな……と唸ってしまいました(受け側の勘太郎君も見事としか言いようが無く)。
 で、振り返った沖田の表情が吹っ切れた、暖かい茶目っ気のある昔の「総司」に戻った様な良い表情で(涙)この二人、(平助からしたら)同じ立ち位置になれんたんだろうな、と思います。
恐らく沖田は「(命あることが)羨ましい」と言った事で、平助は「沖田さんには適わない」と相手に告げることで抱えて居たであろう何かを吹っ切ったのかと(沖田は一時的であるにせよ)。

 しかし、平助の「せめて相打ちで」はこの期に及んでも可愛くて可愛くて仕方ないです(^-^)
 この二人だけは「来年の桜も。再来年の桜も」一緒に見て欲しいし、見せてやりたいと無理だとは解っていても、強く思ってしまいます。(総司…平助は「来年の桜」見られないんだよ…/泣)

 今更ですが、この二人は「対比」ではなく「合わせ鏡」な存在だったんだな〜と。沖田が気づかない部分を平助は気づき、平助が見えないモノが沖田には見えて。かと言って補い合うといった大仰な存在ではなく、傍に在ることに違和感を感じ得ない存在だったんだろうなと思ったり。

○やるせない土方(笑)
 近藤には先に言葉を持って行かれ、今まで自分が敷いてきた路線を緩やかに形骸化され、捨てぜりふを吐く土方。まだ幼いよな…と少々苦笑してしまいました。あの場面、土方一人が空回りしてる感が強くて、彼の(近藤に対する)苛立ちや焦りを感じましたよ。
 一生懸命「かっちゃんのため」と思ってやってきたのに、結局それが「かっちゃん」をも傷つけてた。そのことに今更ながら思い当たったのかもと思うのは穿ちすぎでしょうか?

 けれど、斉藤に「平助の傍に居てくれ。平助だけは助けたい」と言った時、土方の優しさと甘さ、何より平助を「可愛く」持ってる事を感じ嬉しくなりました。仲間に対して一番「甘い」のは土方自身なのを、気づいているのかいないのか(笑)そして、御陵衛士から新選組に戻ることはさせない という条件を呑むときの一瞬ひるんだ表情も、平助・斉藤の今後を考えると苦渋だったんだろうな。ホント甘いというか…
しかし、伊東センセ、武田(&捨)への矛先の鋭さは相変わらずで。その辺は頼もしい限りかと(笑)

○伊東センセ一派
 「策士策に溺れる」伊東センセが非常に魅力的でした(笑)
 この方、加納さんと鷲尾さんが居てくれてるから自身を保ててるんだろうな…と優秀な側近の必要性の大きさを、この方見て感じております。ご本人もかなり優秀なんでしょうが、理と策に走り過ぎな部分を巧くフォローして、実利に変えてるのは恐らく加納&鷲尾さんコンビと見ました(笑)
 首筋に刀を当てた時は、一世一代の「演技」で丸め込むつもりが、逆に「見限られ」た。その事を認めたくないが故に、「強情な奴らだ」という新八達に転嫁させるという言葉になったんでしょうね…(その言葉を聞いた時の平助の複雑な表情が。哀しかった…)
伊東センセ、修羅場くぐってきたであろう百戦錬磨の彼らには「真剣勝負」で行かなきゃ駄目ですよ。しかも殺気のない演技は更に駄目かと(酷)

○その他
・局長、平助への「辛かったらいつでも戻って来い」は娘を嫁に出す時の台詞だよ〜(^^;;
・餞別の隊服を抱きしめた時、近藤の言葉に頷いた時の心底嬉しそうな平助が、本当に可愛らしくて(以下リフレイン)
・斉藤&新八を気遣う平助が、どうやっても幹部とは思えず、どうにもこうにも「一番年下の後輩」の雰囲気なんですが…それはそれで良いのかと思ったり。(今回、皆さんの口から「八番隊組長」と連呼されて初めて「そうだ平助も幹部だったんだ…」と再認識しました/酷)。
・伊東センセが首筋に刃を当てた時、全く動揺しなかた新八、左之、斉藤は彼に殺気がなかったから「演技」だと見抜いたんでしょうね。全員、だてに修羅場潜って無いわ…
・そして、一人だけ動揺してた平助。あの辺彼の「甘さ」なんでしょうね…
というか、こんな事で「命を絶つ」人かどうかって、近くにいる平助が一番理解してなきゃいけないんじゃ…その平助が一番動揺してどうするよ。とちょっと情けなく思ったり。だから、沖田に「甘い」って言われるのよ………(涙)
・左之、怒る場所はそこ(何で俺を誘わない)じゃ無いから。
・お多福営業してたんですね!(嬉)
・おまさちゃん一緒になって以来、左之が小綺麗になったような。けど、My箸は相変わらず持ち歩いてるようで(笑)おまさちゃんが取り上げてなかったことにも吃驚です。本当に良い夫婦だよな〜
・左之、伊東センセに対しては妙に辛辣という感じすらするんですがね。どこまで解ってるのか、全く解ってないのか…謎です(笑)
・新八!「山南さんとの約束がある」って言ってくれて有り難う!ちゃんと覚えてくれて実行してくれるんだね!(嬉)
・斉藤から「恩があるから」の言葉が無くなって、彼は彼自身の「思い」で動き始めたんですよね。凄い成長だと思います。
・沖田の「言葉にしなきゃ解らないのか」って台詞は、私の胸にも突き刺さりました。なんで弱いところをこうザックリ斬るかな三谷幸喜は(筋違いの文句です)
・山崎さんの太鼓持(ですよね?!)な変装と巧みな舞に、目も心も奪われました。ホント毎回良い仕事なさいますよね、桂山崎さんって。一度桂吉弥さんの古典が聞きたい!!(それより、北村薫さんの「わたしと円紫さん」シリーズを映像化することがあれば、是非 円紫さんを演じて欲しいです/熱望)
・捨&佐々木様。すっかり「浪人街」の赤牛&母衣権な雰囲気で(違)
・捨が居るといきなり、多摩の勇&歳&捨の幼なじみトリオな雰囲気になるのが凄いっちゃ凄いです。勇&歳の突っ込みも冴え渡るし(笑)
・歳の「おまえ馬鹿か」は視聴者の大半の気持ちを代弁したモノかと。有り難うトシ、すっきりしたよ〜(笑)
・勇&歳の「帰れっ!」は素晴らしく良い感じでした。ホント、寸分の違いなく綺麗に揃ったよな〜(きっと間違った感想だと思います)
・孝明帝死去の報以降の容保公が痛々しくて、これから彼を巻き込むであろう「渦」の大きさを思うと「今から役目放棄しちゃいなさい!」とすら思いました。筒井君こういう感じ巧いよな…(お暢気な感じも「そのまま」っぽくて良いんでが/酷)
・慶喜公の一筋縄ではいかない人柄が、今井さんの読めない表情と相まって非常に「胡散臭」を倍増してるように思います。しかも、怜悧な知性と揺るぎない合理性、非情さなんかを感じさせもして、キャスティング最高ですよ!
・清水さん演出って………なんでこう中だるみが多いというか、締まりが無いんでしょうか?特にお幸の表情アップってあれだけの時間必要でしたか?と思ったり。あの場面何故に、近藤とお幸を同時に写さないかと非常に疑問。
更に、近藤・伊東会談もアップ使い過ぎかと……思います。
清水さんの演出とはどうやら相性悪いみたいで、いつも違和感あります。

2004年10月6日水曜日

4G iPod ケース

 昨日、My iPodケースを手に入れました。
 Mac信者の相方に唆されて、第2世代から第4世代に移行したのが8月中旬。本体購入後、ケースを探してWebとあちこちのお店をウロウロし、辿り着いたのがDiral>でした。
 ここに辿り着くまでホント長かった(笑)

 iPod第4世代(以下「4G」)のケースって国外では有名ブランド含め色々発売されてます。例えば、LOUIS VUITTONとかGucciとかPaul Smithとかとか。この辺は、もう高価すぎて手を出そうって気すら起きません(大体、本体より高いケースってのが納得出来ない!!)。そのお高いブランドの中で、Paul Smithが唯一私にも買える価格だったんですが、心斎橋の直営店にも無かった時点で諦めました(苦笑)

 有名ブランドではないと思うのですが(疎くてすみません)、これは!と思ったのがVaja
 価格も手頃で、皮の質感、デザイン、色と非常に好みだったんです。が、ここは国内に直営店が無さそうで、手続きが全て英語(若しくはイタリア語?!)なので万一の時不安があった、そして何より受注生産ということで納品がやたら遅いとか聞いたので避けました(根性無しです)。

 国外品はそんなこんなで諦めて、国内で探し始めましたが...。本当に無いんですよ(泣)。
 勿論、mini用はある程度出てきてますが、4G用が殆んど無いんです。あったとしても、3G用が漸く発売された様な感じで・・・。

 厚みと操作面が違うの事を強引に無理矢理納得して、無理は承知で3G用でも良いかすら思い始めました。そして、妥協の3G転用を視野に入れて最初に行き着いたのがCYPRISでした。デザイン・皮的には非常に好みで、価格も(高いけれど)射程範囲だったんですが、
どうやらAppel 直営店-銀座店-のみの販売でした(心斎橋店まで行きましたが影も形もございませんでした。どいうことなのか!/怒)。
 更に、小物を取扱ってる百貨店でも一応「取り寄せできますか?」と聞こうとしたら、「I..Pod...ですか?それは一体...」と聞き返される始末で、すごすごと引き下がってきました(泣)。関西ではそんなこんなで、ほぼ入手不可の状況でした。

 他ネット等でまれに見かける4世代用は、私の好みとは程遠い代物ばかりで(見た瞬間「はい?!」となるのが多いのは何故?!)、結局触手が動かないまま悶々と時間が経過していきました(なのに、mini用はデザインも色も非常に「洒落」てるときたもんだ)。

 そして最終的に、辿り着いたのがDiral。
 ここも、第3世代と共用デザインなんですが、意外にすっきりして違和感無く使えます。皮の質感も発色も申し分無いです。
 発色はWebで見た感じより、ファンキーさは少なく落ち着いた感じだったのは、嬉しい誤算でした。購入したのはサックス×イエローとかなりファンキー(笑)な組み合わせですが、それでも皮の質感が勝った感じの良い色合いです。
何より嬉しかったのが、注文してから2日で届いたこと。
支払いも、Web決済ではなく佐川のe-コレクト対応。現物と引き換えで且つ現金支払いも選択可能だった為、セキュリティーの心配がないのも有難かったです。


失敗したな〜と思ったのは、ストラップを購入しなかったことくらいでしょうか(無くても全然問題ないですが/笑)。あと、イヤホンプラグ用の穴がApple純正品対応みたいで、現在使用してるAudio-technicaと若干大きさ&位置が合わない位です。ただ、これも差し込む時に多少違和感がある程度で、大きな問題ではないです(皮だからそのうち合ってくるだろうし)。

最後に、デザイン等々で文句言ってる私に相方が言い放った一言。
「40GBのiPod買う女性が少ないねんて。」
確かにね(苦笑)

2004年10月4日月曜日

新選組!39話【将軍 死す】 感想

 掬った水が指の隙間から漏れて行くような感じがした回でした。大切に扱って、漏れないようにしていた筈の水がゆっくりゆっくり漏れて行く過程を、これから見ていかなくっちゃならないのかと思うと本当に痛いです。

 恐らくこれが最後になるであろう「幸せな」試衛館時代を彷彿させる場面。
 沖田と山南さんが居ないことで、あれほど不安定感を醸し出すとは。本当に「人一人の居場所」って大きいんだと改めて感じました。三谷幸喜が描きたかったであろう「人が居なくなることの喪失感」は、こういうことだったのかと回を追うごとに強く思うようになりました
 そして、そこに居る人の佇まいが「あの頃」とは違った事、皆「あの頃」を懐かしみ、戻れない「今」を忘れるかの様な雰囲気が感じられ、それぞれ変わらざるを得なかった事象の大きさと、時間経過を感じされられました。
 正直、あの頃の彼等と比べて「今」彼等が得たものと喪ったものどちらが大きいんだろうか、と思わずには居られません。

 そして此処に来て、時代を動かした人間と、時代に翻弄された人間の違いが何処にあったのかよく解らなくなりました。時代(=歴史)を己が手で動かしたいと熱望し「時代」に微笑まれた人間と、同じく熱望したにも関らず素気無くされた人間の違いって何なんでしょう。
 一橋公の「余が時代を動かす」を聞いてそう、ふとそんな事を思いました。
後世から見たらその違いは「先見性の有無」とか色々言えるのでしょうが、もしかしたら単なる「時代」の気まぐれなのかもしれない、と思いました。

 以下雑感。

○沖田の焦燥感や苛立ち
 ・残された「生」への執着、「生きること」への渇望、目の前に迫った死への諦観等が綯交ぜになっている姿が痛々しくてなりませんでした。
・反面「死」見据えて「今」を急ぐように生きる姿が、透明感と凄みを増してどんどん鬼神さながらになっていく様には言葉すらありません。
・周平に対する「厳しさ」は、「生」と「継嗣」ということに対する「嫉妬」でなかったかと思います。もしかすると、それらは初めて自覚した己の「弱さ」や「醜さ」ではないでしょうか。
・沖田については、余りの変動に感想も何もあったもんじゃ無く。ただ、藤原沖田の圧倒的な存在感と、彼の映し出す光と闇のコントラストに引きこまれるばかりです。
・此処に来ての藤原竜也は物凄い表現力だと思います、本当に(『八墓村』は思いっきり手抜きしてたとしか思えない/酷)。

○源さん
・「優しさ」が際立って描かれていた回だったかと思います。
・正直、源さんは「変わった」とは思います。ただ、根っこの部分は何も失わないまま「変わった」のだと思うのです。やはりそれが一番深くて怖いと思うのは変わりなく。
・源さんもこれ以上、誰も「死なせたく」なかったんだと。死なせた事を悔いているのが痛々しい位伝わってきて。
・自分の裁量が許されるなら、誰一人失いたくなかったろうな、源さんは。
・葛山・河合の切腹に苦しんでいたのは、土方ばかりでは無かったと。土方を傍にいながらも止められなかった自身を悔いていたんだ、と思えてはいたけれども、それをこうやって見せられると哀しいです。
・源さんの強さとしたたかさ、そして何より「勇」への愛情が見えました。周平の処断をああすることで、勇が傷つくことをも防いだんだと。ご隠居の望む通りの「「お目付け役」だと思います。
・周平と浅野件を土方に告げなかったのは、源さん精一杯の抵抗だったんでしょう。そして、これ以上土方の手を汚させたくなかったという気遣いでもあったと。
・姉さん被りの源さんは、久し振りに本当に嬉しそうな笑顔で。小林さん似合い過ぎですよ〜(笑)
○土方
・久し振りな、相変わらずの素敵な突っ込みっぷりに心和ませてもらいました(笑)
・沖田を気遣う余裕が僅かでも在ったことに、ホッしました。
・新八と気まずいから、と宴席でも居心地悪そうにしてる姿に歳相応の中身を見ました(これも久し振りだわ)。
・やはり「内緒」で遊んでるんですな…(いや〜「悪い笑顔」付けてくれて有難う、山本土方/笑)
○平助
・姉さん被りで団扇持ってる平助が、可愛くて可愛くて(笑)
・平助の「誰もが沖田さんみたいになれる訳じゃないんですっ」は、血を吐くような叫びに思えて切なくてなりませんでした。
・沖田になりたくて、努力したけれどなれなくて、己の才能を見切ることで違う視点を得た平助。そして、その時の悔しさや痛さを踏み台にして、分相応の「居場所」を見つけた平助だからこそ、伝えられる言葉だと思います。
・「仔犬コンビ」からここまで成長したものだと、しみじみしました。
・予告で大泣きしたのは、31-32話以来です。

○その他
・坂本とお竜の会話が、山南さんと明里の草津と最後の逢瀬が重なりました。なんで同じ言葉使うんや〜三谷(見当違いの怒りぶつけないように)
・ある意味主題だった、左之&おまさちゃん。いや〜良かった。
・「何時の間にやらこんな事になってしもて...」と此処まで来ても容赦無いおまさちゃんが本当に可愛いです。
・ちゃんと良妻&尻に敷き始めてる感たっぷりなおまさちゃんと、それを如何にも楽しんでそうな左之は、お似合いですとも!しかし、金屏風前の左之は違和感たっぷりでしたな〜(笑)そして何より、ご両親にどんな挨拶したのか非常気になります(番外編作ってやってもらえないでしょうか?/無理です)。
・伊東センセと岩倉の胡散臭さ対決(違)。どうやっても、岩倉の方が役者が上でしょう、胡散臭さも腹黒さも含めて(誉めてます)。そして、岩倉が出てくると途端に「陰謀」っちくというか「只ならぬ」雰囲気が漂うのは、なんと言うか流石ですか?(何故に疑問符)
・その胡散臭さ直球の中村岩倉に「胡散臭い」と言わしめた、谷原伊東って(笑)
・確かに伊東センセ胡散臭いんだけれど、底が浅いというか必死さが無いというか。あらゆる事を飲み込んでカオス状態になってる岩倉と比べたら、やはり「甘い」というか「稚い」というか。
・谷長兄は何処までいっても、腑抜けだったということですね(酷)
・周平の強さと「あかんたれ」さは、ある意味義父譲りかと思ったり。けど、本当に真っ直ぐで良い子だよな…
・斎藤が浅野を逃がして、沖田がそれを咎めるって、今後の二人の対比が楽しみになってきました。
・沖田と斎藤がそれぞれ「年相応」の表情になっていくのが、面白いと思います。役者に触発されて書いた脚本を、役者が的確に演じるとこんな風な相乗効果を生み出すんだ、と妙に感心してます。
・一橋慶喜公。「理に勝ちすぎる」イメージ通りです。あの神経質さが好みだったり(え)。如何にも坊ちゃんな会津公とのコントラストが見事です。しかし、ここに来て容保公が殿様らしく見えてくるのは不思議です。

2004年10月1日金曜日

思い出したかの様に、【ある隊士の切腹】

 放映時も感じたことなんですが、これって山南さんの思いや「居場所」について「知らなかった」「見えてなかった」ことや、そして「見えなかった」が為に「必要な言葉」を相手に伝えられず、「解らないまま」失ってしまった悔しさがあって出た言葉なんじゃないかと。
「私(この組織)には貴方が必要なんです」と声に出して相手に伝える事の大切さを、近藤は近藤なりに学んだんじゃないかと思うのです。そして、自分の傍にいる人の「今の有様」を理解し受け止めることの必要性と共に。そしてそれが「ひととの繋がり」となっていき、組織や己を守る(育てる)ものだと薄っすらと気づいてるのかもと思ったり(あの瞬間、香取近藤が初めて「付いていくに足る」人間だと思えたので、その意味で穿った考えかも知れませんが/苦笑)。
 ただ、今の伊東にとっては不要(若しくは当り前)な言葉なんでしょうね。この辺りの山南さんと伊東の本質の違いが見えてない近藤は、相変わらず「真っ直ぐ」だと呆れますが(誉めてますよ〜/笑)。
そして、土方の辛さや沖田の覚悟を見切れてない近藤も、非常に近藤らしいと思ったりします。
(「あなたの様な人が居てくれて〜」はもしかしたら伊東に山南さんを重ねた言葉だったのかも、と思う辺り私自身が山南さんを引き摺りまくってる証拠ですね/苦笑)

 次に、河合の「紛失」した隊費を「親」から送ってもらう、その判断に正直?でした(しかもそれを納得してる土方・源さんにも)。公費を私費で補うって考え方は、それこそ公私混同じゃないのか?それは士道に背かないのか?と不穏な事まで思う始末。やはり、左之への対応のように「貸し」て給金から差し引いていく(帳簿に付ける)方法にしなかったのか?と非常に疑問に感じまして。
 そこが、河合の新選組に対する「甘え」だったのかとも思ったり。(山南さんの引継ぎはしっかり押さえておいてよ〜河合)。
 彼もそうだけど松原も結局本人の「甘え」が露呈した結果なのかと、思うと本当に悔しいやら哀しいやら、居た堪れない気分になります。また、河合の死には「武士」でなかった者が士道と時代に呑みこまれていく空しさや遣る瀬無さを、そして何より「死」に向き合う事の難しさ、向き合った時の怖さ感じました。

 38話は新見や山南さんといった「言葉」を残して切腹した人の、台詞がいろいろ浮かんできて、もしかして、あれは伏線だったのか?!とオロオロしてます(笑)。
また、鴨って本当に何も残さず、潔く、ただ組織に変化点だけを与えて散ったな〜とその器の大きさに吃驚したり、なかなか忙しい(笑)

2004年9月28日火曜日

同じ場所をくるくると

 38話になって落日編(だっけ?)に突入ましたが、31-33話の山南さん土方の関係、山南さんの死、そして山南さんが残したモノなんかを、整理がつかないままずるずると引き摺ってます。34-36話ではそれほど気にしなかったのに、松原・河合の死で再び舞い戻った感じです。
そんな折、日参しております猫右衛門さまの「ろくでなしの日々」こっそり昔を振り返るの巻の、

山南サンにとってみたら、そう言うことで、歳三に山南サンのことを綺麗に捨てて欲しい気持ちもあったんじゃないだろうかとも思う。
悔やむ必要のない正しいことだったのだから、囚われることはないのだと。
そういう意味もたぶんに含んでいただろうと思う。
けれど、“情”を残された方はそうはいかないわけで。
山南サンがあそこでもし歳三を“否定”したなら、歳三は山南サンを引き摺らなかったんじゃないだろうかと思えるのです。


 部分に琴線を弾かれたと言いましょうか。私も土方は山南さんの死を「昇華」仕切れてないと感じてお り、何かやもやしてる部分を整理できるかもと思い、相変わらずまとまりの無い文章をつらつらと重ねてみようと思った次第です。

 当初、土方の変わりようを見て(ある種の凄みある透明感な佇まい)、彼だけは山南さんが残した「想い」を理解し(くみとり)彼なりに昇華したんだと思ってました。
 が、37-8話の土方を見て感じたのは、もしかしたら彼一人が「囚われたまま動けない」んじゃないかという事でした。他の幹部(特に近藤)はそれぞれに山南さんの死を(それに至るまでの過程も含んで)、曲解しつつも(したが故に)昇華したんだと思えたのとは対照的でした。

 土方は「自ら命を絶つ事を目前に」全てが昇華された山南さんに(生涯で最も「綺麗で透明な」山南さん言い換えても良いかも)情をかけられ、土方の行為や想い(感情)を受け止められたが故に、思いを捨てれなかった。
 そして、一番辛い時に思いがけず「抱きしめられた」が故に惑わされ、山南さんが本来伝えたかったり示したかったであろう「意義」や「言葉」が伝わらなかった。それ故、土方はずっと山南さんの死を「昇華」できず、未だに「山南さんの死」の中でもがいているんじゃないのかと、そんな事を37-38話で思いました。
 土方は山南さんから何かを「許された」ことで、本当の逃場を失った気がしてます。
 
 じゃあ山南さんが土方へ残したかったことは何かと考えると。

 山南さん自身は、土方に新選組の未来を「託した」と思いたいのです。
 彼の死で土方の激流を止めたかった(方向転換や流れを緩めたかった)のではと。彼の激流を変えることが、新選組の未来を変えることになる。新選組を動かし変化してくのは、共に基礎を作り上げてきた土方にしかできないと思ったからこそ、最後に彼を許し抱き止めた。

 けれども、山南さんが望んだ新選組の姿は、38話現在の土方が強固に作り上げようと(守ろう)としてる組織ではなかった。もっと、柔軟で未来を築く組織であって欲しかったのでは。
更に言えば、彼の死を持って「法度」の成立過程を見直し、本来「法」が持つ「幅」を取り戻そうとしたのではないかとすら思います。
 言い換えれば、法だけで縛り付けることの「怖さ」や「脆弱さ」を彼等に知って欲しかったのかもしれません。

 しかし、あの時の土方にとっては「許され、抱きしめられた」ことで「彼の道」を許された事になってしまった。また、その事で土方は「修羅の道」から引き返せなくなり、その道幅にゆとりがなくなった状態で規定された瞬間だったかもなと。
 そして、土方にとっては「山南が法度を守って死んだ」その事が強烈に焼きついた。だから「山南の死が無駄になる」という言葉になるんじゃないかと。

 38話現在「法度」が一人歩きし、土方ですら制御できないものとなったことに、誰一人気づいていない様なきがします。今の土方を見てると、本当なら制御する為の手綱を持ってる人間が、法と言う名の「馬」から振り落とされそうになってる気がします。

 新見が死ぬ間際に山南さんに言った「(法度に)足元を掬われないようにな」が、今になって重く感じます。もしかしたら山南さんは、新見によって「法」の怖さを知ったんじゃないのかと、今更思い当りました。そして、制御してる筈が縛られることになる事も。
 だから、土方がまるで覚えての言葉を知った子供のように、事あるたびに「法度に背いたら切腹」と言う事が不安になった。土方はその不安に気づくことが無く、徐々に二人の溝が広がっていったんじゃないかと思いました。

 山南さんが身をもって示しても、尚この溝は埋まることが無かったんだと…。
それは最後の最後で山南さんが「許し」てしまったからだと思うと、なんてすれ違いばかりの二人なんだろうかとむっちゃ腹立たしくなりました。

2004年9月27日月曜日

新選組!38話【ある隊士の切腹】感想

 感想...。感想...。
 
 ただただ呆然とするばかりで、個々の場面については色々はあるものの、全体についての纏った感想は思い浮かびませんでした。これなら【友の死】の方がよっぽど感情の整理がついたよ...と思わずにはいられません。

 その原因はきっと、余りにも河合の「死(=切腹)」に至るまでの過程が理不尽だし哀れだったことかと。
 山南さんの時は、切腹までの経過が「個」として、或いは「組織(=法度)」としてもその意識が合致していた。言い換えれば、「個の意思(意識)」が「組織の倫理」を作り上げる過程を見た気すらしました。そして、個と組織が(強引ではあるけれど)「理に適って」た有様を見せていたので、整理できたんです(感情的にはボロボロでしたが)。

 【追記:周囲が彼等の死を「理不尽だ」と感じているのは同じなんです。誰も納得してないのも同じ。ただ山南さんの場合は、彼の裡だけでは「死=切腹」は理に適ったものとして納得し、達観していた。それが、法度の精神と最終的に寄り添い、法度そのものを「唯一無二」にさせた。そういう「理屈」で考えられそうなものが彼の死にはあったと思うんです...。ごちゃごちゃとすみません】

 けれど、河合の死には「法度」の歪みや、個と組織が寄り添えない現実をあからさまに見せ付けれらたかのようでした。放映中ずっと「何で?何で?」が離れることは無く、視聴後もそれは残っています。確かに、河合の「様」は土方が求める「士道」とは違ったと思うんです。そして、土方が「職務を疎かにした」という意味も理解できます。更に言えば「山南の死が無駄になる」そこも(解りたくないけど)解るんです。また、河合自身が「飛脚を待つ」「河合耆三郎は何一つ恥じることはしておりません」と言うのも理解できるし、尤もだと思う。
 全員の言動なんかは解り易いほど解るんです。正しいとも思うんです。けど、土方に対しても河合に対しても「それは違う...」とか「なんで?」と思うんです。
 そして、原因となった武田に対しては、不思議なことに「厭なやつ、卑怯なやつ」とは思えませんでした。それどころか、土方より河合よりもより「自分はこっちに近い」とすら思えてしまって(苦笑)。「哀れ」を感じこそすれ、腹立ちはなかったです。
 武田は彼なりの(ブレない)価値観で動いてるから。そこに、虚栄心が目立ったりや卑怯なやり方ではあるにせよ、「組織」「自分」のためという目的が明瞭だから、その一点で「誠」があると思うから、憎みきれないのかも知れません。

 ただ、誰かが(法度で)逝く度に、土方は静かに深く傷ついて己を責めてるんだろうなと思うと、本当に辛い。
 そして、山南さんの死が土方にとって外せない枷となってしまったんだと思うと、本当にどうして??と山南さんを責めたい気分になりました。あの人が居てくれたら、もっと違った形で土方も組も成長しえたかもしれないのに、本当に悔しい(←結局山南さん好きの戯言になるあたり、駄目駄目ですねぇ)。

 転じて、今回見事な対比だなと思ったのが沖田と斎藤でした。
 組で人と関係を築く事によって、感情が生まれ「人」に変わろうとしてる斎藤。
 生の短さを自覚したが故に、「人」としての感情を(無理矢理)殺して土方や近藤の役立つ「モノ」になろうとする沖田。
 介錯のしくじりの際、二人の動きが余りにも対照的に描かれていたと思います。僅かですが動きを躊躇い、戸惑った表情を見せた斎藤。斎藤より早く動き、無表情に河合を楽にしてやった沖田(何もできなかった平助も居ますが)。これまでとは違った二人が確かに其処に居ました。
 この二人は、一度もすれ違うことなく真逆の道を歩んだんじゃないかと思ったりしました。

 以下思いつく場面(人)に対する雑感を箇条書きで。

○寺田屋事件
・OPにこれをもってくる辺り、ある意味贅沢な作りだなと思いました。そして、そうかこの大河は「新選組」が主題だったんだと、再認識しました(この2回ばかりは、倒幕派に目移りしてたので/苦笑)。それにしても、拳銃を楽しそうに撃ちはなつ竜馬の男前なこと(笑)
・お登勢さんの交渉術と肝の据わり方は、なんなんでしょう?!。以前から好きな女性ではありましたが、戸田さん効果で益々好きになりましたよ(笑)
・お龍の例の有名な場面、NHKどう扱うのか?!と思ってましたが、綺麗に処理したな~と変に感心してました。麻生さんのサバサバ感が良い感じで。
・捨助…お前かよっ。この発端は(--;;。伏見奉行所もエライ者抱えたな~と同情してみたり(苦笑)

○河合と武田
・この身長差は一体(笑)
・八嶋と大倉二人っきりの場面は、本当に「歴史ある大河」の場面とは思いませんでしたよ(大好きさっ二人とも)。
・見たいと思ってた「チーム三谷・動きが五月蝿い二人」の競演がこんな時に適うとは(涙)。確かに、この二人が一緒だと五月蝿いし濃い、と思ってしまいました(笑)
・ただ、「五月蝿さ」の軍配は僅差で八嶋に挙がるかと(どんな勝負やねん/苦笑)
・色んな意味で癒されました。有難うです。
・二人とも、底力のある役者さんだと改めて認識しました。
・河合の不断さ優しさ実直さ、武田の狡さ向上心。それらは、人なら誰しも持ってる部分で良くすると「美点」にすらなるのに。それが「弱さに」になったことに哀しさを覚えました。
・土方の凄烈さ、沖田の達観と対峙した時は弱いかもしれませんが、彼等が持つ「誠」は弱くも無く嘘でもなかったと強く感じました。

○斎藤 あれこれ
・かつては「人を切るのは、飯を食うのと一緒だ」と言い放ったのに。山南さんの切腹以来どんどん感情が生まれて、「人」になっていく斎藤は本当に「綺麗な」子なんだと思います。
・大切な人を失う怖さを知って、人を斬る怖さを覚えたんだろうと思うと。
・斎藤の眼に今の土方はどう映るんだろうか。
・ただ、感情が生まれてくるにつれ「これまで」が余計辛くなるだろうな…
・「河合を喜んで介錯するやつなんて居ない」と「近藤さんにできることなら、あんたでもできる」は、土方にとっちゃぁ厳しい言葉だったろうに。それを言った斎藤も辛かったろうなぁ(土方を信じてるから言えた言葉だと思うから)

○土方と源さん
・土方に関しては、これ以上は頑張らなくて良いから、充分だから、とどれほど言いたいことか。
・傷ついて、その傷に蓋をして、それでもじくじくと痛む傷を抱えて、そこに気づかないよう自分を騙して。そういった意味で、土方は修羅の道を迷わず進んでると思います。
・辛いと言えない、逃げたい止めたいと言えない道を必死で歩いてる姿が痛々しいです。その退路を断ったのは、彼自身であり山南さんであり、近藤だと思うんですよ。この3人は本当にどうしようもなく大馬鹿者達だと。
・源さんが一番「鬼」になったと思う昨今。土方に寄り添えたり、気持ちを汲めるのは同じ「鬼」になった源さんだけだと思います。
・けれど、土方が必死になって「人」である事を捨てようとしてるけど、源さんは「人」でありながら「鬼」になったのかと。そっちの方が、より怖いし強いと思うのです。
・土方の「かっちゃん.....」と柱に頭をぶつける姿は、捨てきれない「本来の柔らかさ」で。それを見たり聞いたりする度無理してる事や、彼の限界(=いっぱいいっぱいさ)を感じてしまって、やりきれなくなります。
・昨日の土方を見て、何かで弾かれたら瞬間に切れてしまいそうな糸が思い浮かびました。
・「それは俺の役割じゃない」。確かにそうなんです。けど、役割なんてどうにでも後付の理由が成立するでしょうよ。何を原理原則論だけで動いてるの?!と腹立たしくなりました。反面、そう言わざるを得ない土方の心象が辛くてなりません。
・土方の幼さ(幼い言動を含む)が余りにも哀れでなりませんでした。
○沖田
・藤原沖田に完敗です(T^T)
・「あと5年で良いんです」には、涙腺やられました。なんて、透明で綺麗で凄みのある佇まいと声と表情をするんだろう…
・「命を粗末にする人には同情できないんだ」沖田の我侭であり、悲鳴でしょうね。
・苛立ちをぶつけられるのが孝庵先生ただ一人なのが、悲しいです。今の土方では沖田は受け止めきれないし…近藤も無理だろうなぁ
・孝庵先生とのコンビは最高かと(違)
○河合の死
・平助が平助がっ
・ここまで切腹をきっちり描くって...。三谷さんは人の死を等閑にしたくないんだと、痛感しました。
・河合の「飛脚は・・・・・まだですか・・・・・」。あぁ河合は最後まで信じる物があったんだと。
・河合から目を逸らす武田があまりにも辛くてなりませんでした。彼はこれが「重荷」になっていくんだろうと。
・谷長兄に関しては、救いがないのでコメント無しで(苦笑)
・飛脚の鈴音があれ程哀惜を帯びたものとは…

○その他
・西本と河合 この二人は、やはり高杉と俊ちゃんなんですよ(『彦馬が行く』見直しました/馬鹿)
・それでも、まったく違う雰囲気のお二方は流石です。良い役者さんたち揃えたよな、悔しくなるくらい。
・香取近藤の器がドンドン大きくなってる気がします。当初期待通り(一時諦めかけましたが)、大化けてしてくれそうな予感が漸くしてきました。
香取に関しては今からが楽しみでワクワクしております。
・佐藤B作さんが出てきた途端、胡散臭い空気になるのは流石かと(笑)
・伊東さんってなんとも掴み所の無いお人ですこと(誉めてます)。

2004年9月23日木曜日

映画版『笑の大学』予告編について

 映画館で見れたのは嬉しかったです。映画全体の印象を掴むこともできたし。
 何より、懸念していた不安がある程度払拭されたことは嬉しかったです。
 
 正直この映画化を知って以来、一番懸念している(たの)が稲垣吾郎の椿。予告で流れた僅かな場面での第一印象では、それほど酷くないと感じられました(私にとっての椿は、近藤芳正さんなんです。だからどうしても点数厳しくなってると思います)。

 が、予告の作り方に一言。

 何故 向坂が笑うところを流す!!
 あれは最後のある意味「肝」の部分だろうがよっ?!と憤りを感じました(涙)。素人考えですが、この映画の予告は無声映画みたいな感じの方が時代性とか雰囲気とか伝わるのに…とすら思いました。

 言っても詮ない事ですが、舞台そのままのキャストで映画化してほしかったとつくづく思います。この際向坂は役所さんで充分文句はないですが、せめて椿は近藤芳正さんが演じて欲しかった。それか、ラジオVerの三宅さんか...あぁ初演でも再演でも良いから、DVD化してくれんかな。

2004年9月21日火曜日

『SWING GIRLS』 感想

 久し振りの邦画鑑賞でした(『みんなのいえ』以来じゃないかと思います)。鑑賞後「すっきりした~楽しかった~」と素直に思えた映画でした。確かに「ご都合主義」的な部分も無きしも有らずなんですが、それが気にならないくらいの勢いと面白さがありました。

 話は、「東北の高校生がある事を契機にしてJazzバンドを始め、そして...」だけです(むちゃむちゃ端折ってるな/笑)。なのに、非常に可笑しい、巧い話運びになってます。
 先ず、バンドを始める理由からして可笑しいんですけど、理由付けとしては非常に解りやすい。私もその場になったらそうするかも、思わせる妙な説得力があります。それぞれの場面も、これはありえないだろう...と思う部分も若干あるんですが、結局なんか知らんけど納得させられる理由付けがなされてて、あまり気になりません。兎にも角にも、全編通じてGIRLSの勢いと妙な理論(理由)に力技で納得させられます。
 そして、次から次へと主要メンバーを襲う難題や壁(半分以上自業自得の)があり、それを巧く(狡く/笑)時にはご都合主義的に乗り越えた先にある、あの爽快感は素晴らしいとしか言い様がありません(多少展開が先読みできますが、それが嵌るときのバランスが楽しいとすら思いました)。

 恐らく主題であろう音楽ですが、門外漢の私でも聞いたことのあるJAZZのスタンダードが流れまくってくれてます。特にルイ・アームストロングの「素晴らしき世界」の使い方は、絶品です(笑)。こんな使い方しても良いんや…と新たな認識をさせてもらいました。この辺りのセンスは非常に好きだなぁと思う次第です。
 何より凄いことは、JAZZって難しくないんだ!と見終わった後に胸を張って言いたくなるくらい、音を楽しませてくれる事です。小難しい理論や薀蓄なんて関係なく、楽しくて体が自然と揺れるのが音楽(=JAZZ)なんだと全編通じて感じさせてくれる、そんな音の使い方でした。
 そして、吹替え無しでの演奏は、流石に迫力がありました。通から見たら非常に拙い演奏なんでしょうが、音楽の楽しさは一層伝わったんではないかと思います。

 最後にキャスト。
 主要5人の魅力的なことったら!!。
 取り立てて綺麗だったりするわけではないけれど、彼等の表情や雰囲気は素晴らしく豊かで魅力的です。しかも、何処にでも居そうな感じの子達で、身近に感じられるのも素晴らしいと思いました。演技が巧い下手ではなく、彼女達が画面にいるだけで「楽しい」と思えるそんな稀有な存在感がありました。
 一応主役と言えるのが、上野樹里嬢なんでしょうが。この子がまぁ、狡い狡い(笑)。その狡さが、日常良くあるレベルなんで更に可笑しい。ただ、演奏してる時の生き生きとしてる様子とか、自業自得な壁にぶち当たってる様子とかは巧い子やなと思いました。
 他の4人もそれぞれ個性豊か。
 よく一目惚れする子、普段はぼーっとしてるのに冷静且つ容赦無い突っ込みいれる子、目立たないけど実力がある子、そして、紅一点ならぬ黒一点の気弱な頼りない巻き込まれ型の少年。本当に、絶妙のコンビネーションでした。
 で、その子達をきっちと〆てるのが大人キャスト。竹中直人筆頭に、濃くて芸達者なメンバー揃ってました(笑)。小日向さんと大倉くんもご出演なんですが、この二人どうにもこうにも画面に居るだけで可笑しいのは、何故??(笑)。特に大倉くん、相変わらず不可思議な雰囲気だし(←大好きですよ、もう)。
谷啓さんが出ておられるのは、妙に嬉しかったです。一瞬ですが演奏しておられましたし。

あらゆる部分で充分楽しませてくれてた映画でした♪

新選組!37話【薩長同盟締結!】感想

 放送当日に両家に梯子帰省してたため、総合を実家で見てたものの台詞が殆んど聞き取れませんでした(母と相方が散々大声で喋ってくれたお陰で/悔)。録画鑑賞しましたが、台詞が聞き取れない状況で観て改めて、このドラマは本当に台詞が命だと思い知らされました。見てはいるものの、流れについて行けないことに苛立ちすら覚えまし。いや、何をやってるのかのは掴めるんですが、台詞で繋がれていく部分がさっぱりわからないので、どうにもこうにも把握できないんです。

 今回は、「松原の死」と「薩長同盟締結」の2つが主題でした(前回から約9ヶ月。すっ飛ばすよな~)。

 先ずは、松原(まっちゃん)の死から。
 この話は、この時期の土方と他隊士の軋轢や温度差を描きたい(見せたい)ために持ってきたのかな、と穿った思いをいだきました。確かに松原の生真面目さや「優しさ」が自身の死を招いたことは、哀しいと思いました。ただ、一番印象に残ってるのが、土方だったりするんですよ(何かある度土方に、感情まるまる振り回されてる気がしてきました/苦笑)。

 松原については、生真面目で優しいけれど、傍に居る(大切にしたいと思っている)人の想いや言葉の奥を知るべきだったと。また、松原の「不憫だと思ったから」に個人的な引っ掛かりを覚えました。お初にしたら「あんたに不憫やと思われとうない」と思ったんじゃないのかと。もしかしたら、あの言葉によってお初は「決めた」んじゃないのかと思ったりしました。間違った認識なのかもしれませんが、「不憫」(若しくは「同情」)って言葉は「優位者」のものだと思うんです。彼の優しさから来る「無意識の優越」がお初を静かに傷つけ、その結果が、「死」ではなかったのかと思ったんです。
 松原の有様は全てが「誠」で何の裏もなかった。だからこそ招いた悲劇なんでしょうね…好きだったな、松原。甲本松原の最後までぶれなかった「誠実」さは、感嘆しました。甲本さんお疲れ様でした。

 で、土方です(苦笑)。
 山南さんが逝って以降、凄烈になったと言えば良いのか、鬼度が増したと言えば良いのか解りませんが、兎に角「変化」した気がします。土方を見ていて、何を焦っているのか、どこまで先を見ようとしているのか、実際に見えてる部分はどこまでなのか、気に掛かって仕方ありません。何よりもここまで「ゆとり」が見え無い土方が辛くて仕方なかったり。
 しかし、引っ掛ったのは彼が詰める「士道」とは何ぞや?です。山南さんが土方に見せた「士道」は、今の土方が進もうとしている方向には無いと思うんです。土方が「士道」や「切腹」と口に出すことで、左乃や新八との差が広がっていくような気がします(それは、元来の身分差なのかも知れません)。土方自身が「士道」や「法度」に囚われて身動きできなくなってる、そんなイメージすら浮かんできました。山南さんが「切腹」したことで、益々行動規範が軌道修正できなくなった。今まで修正する契機となってたのが、山南さん存在だったのかと今更ながら思ったりする部分もあったり。
 今の土方にとっては、近藤も沖田も源さんも寄掛れる場所じゃ無くなってる。それを肌で感じて案じてるのが唯一沖田だけなのが、本当に辛いです。

 転じて薩長同盟締結。
下関及び薩摩藩邸での桂さんの取り乱しっぷり、予想通り素敵でした(笑)。インテリ&お坊ちゃんが持つプライドと理屈そしてそれらがぶっ飛んだ時の身も蓋も無い取り乱し(=拗ね)っぷりが大好きです。いや~小さい小さい(笑)と言いつつ、こんな桂いや木戸さんが好きです、私。
 
 それはさて置き、一大転換期です。
 薩摩(西郷)と長州(桂)の政治力と強かさ腹黒さに、ワクワクさせてもらいました。何より間に立つ坂本の柔軟さと調整能力の高さには、良いもの見せてもらった~と大満足です。
 そして、坂本の背後にちゃんと勝海舟の存在が見えるのがこれまた。キャスティングの勝利でしょうね(1回しか登場してないのに、勝のイメージきっちり付いてるのは、流石です野田さん)。

 坂本の「自分が大事、それでええ」と近藤の「鉄の結束と人を思いやる心」が余りにも対照的だと感じました。坂本や薩摩・長州は自藩なり「個」の利益有りきで動く、だから「大儀(=理論)」さえあれば方向転換がある程度は容易なんでしょう(しかもその「大儀」すらも交渉の中で生み出し、後付で構わないんだから大したものだと)。
 が、近藤達の場合「大儀」が先にあって動くから、大儀を浸透し維持する為に組織の結束が必要になるし行動範囲が狭まる。その差は歴史の転換期にあっては大きな差であったと、画面を通じて見せられた気がしました。

以下雑感。
・河合の口からお金の話が出る度、ドキドキするんですが(泣)。大倉河合が純朴で抜けてそうなイメージだけに(酷)
・左乃、総司、平助トリオ(笑)。そりゃ、近藤じゃなくても君等しか思い浮かばないって面子でしょうよ(笑)
・左乃の時折見せる男気には感心してばかり。ところで、左乃「後家倒し」って何(笑)。
・西村寺侍(でしたっけ???)の本間さんを見るにつけ、『彦馬が行く』の高杉晋作・伊藤俊介コンビを思い出して妙に可笑しいです(きっぱり間違ってます)
・近藤さんも息子達の始末、お疲れ様です(笑)
・「気持ちをケチったらあきません」は至言だと思いました。
・山崎さんは毎回本当にいい仕事なさってますよね(見習え浅野!!!)。しつこいようですが、毎回うっとりさせてもらってます。
・ロケって良いですよね...
・沖田の細かな動きに最近、感嘆してばかりです。
・お登勢さんと近藤の遣り取りは時の流れを感じ、寺田屋(坂本)と新選組との関係性の変化がはっきり見えた場面だったと。
・捨はどうやってもあのままなんでしょうか?(笑)そろそろ多摩に帰った方が良いじゃないかと思うんですが、何故何時までも京にいるんだろう(笑)
・今回始めて、会津公(筒井君)が殿様に見えました(酷)苦境に立たされて初めて自覚が出てきたんだろうか??と酷い事を思ったり。
・お久し振りの広沢様と良順先生が…良いなぁと。地味だけどいい雰囲気醸し出されてるお二方なんで…
・桂(いや木戸/苦笑)西郷の握手場面は、大男3人組なもんでやたら迫力ある画面というか…今回のキャストは全員身長が高いからなぁと改めて感心しました(何か違います)
・邪まな感想を抱かせない頬ずり場面って、非常に珍しいかと思ったり(普通抱きません)。西郷と桂の思いっきり厭そうな顔が、何とも楽しかったな~
・楽しそうなのは、坂本だけなのが如何にもで。あれだけでも三人の色の違いが浮き上がってた気がします。
・坂本以上にせっかちそうな中岡と、いまだ世慣れて無さそうな雰囲気の大久保利三の今後が楽しみだったり。
・来週は佐藤B作さん登場なんですね~どれだけ胡散臭い空気になるのか、今から楽しみです(笑)

2004年9月16日木曜日

11月に向けて?!の音楽ねた

 一昨日に話題になっていた「Utadaが洋楽史上最高のスタートで首位!」が契機となって、ふと湧いたかなり小さな疑問(謎?)。

 記録を作った事に対しては、素直に「凄い」と思います。けど、これを「洋楽」に分類しちゃって良いのかと、ふと思ったんです(Mariahの記録が抜かれたことは、「記録なんて所詮何時かは抜かれるもの」だと思ってるんであまり気にしてません)。
 で疑問とは、洋楽と邦楽の基準が何処にあるのか、です。もしかしたら、楽曲の所有権が国内か海外かで分類してるんだろうか?とも思ったりしてるんですが。きっと明確な線引きはあるんでしょうが、今まで気にならなかった分余計気になるんでしょう(例えば、Mariahが日本国内のレーベルから日本語のアルバムを出した場合、それは邦楽とされるのか?とか、考えたら謎は深まるばかりで/苦笑)。

 しかし、Mariahの記録が今まで抜かれてなかった事にもかなり吃驚しました。とっくにAvirilとかDestiny's ChildとかBeyonce辺りにとっくの昔に抜かれてると思ったので(笑)。お陰で、当時のMariahの勢いやパワーは凄かったんだと再確認いたしました。
 余談ですが、この時期のMariahは本当に充実していたな~と遠い目して語りたくなる程素晴らしいと思ってます。 『Dayderam』・『MusicBox』・『Butterfly』は、完璧且つ最高に充実してるアルバムだと信じて疑わない私
(それ以降も、悪くは無いんですが一般受けという面では、う~んと思ってるので。いい楽曲は多いんだけどな~イメージ変わっったしなぁ。ブツブツ)

 次に、11月発売の新譜について。
やっと、U2のNewアルバムタイトル発表されましたね。
「ニュー・アルバムのタイトルは『How To Dismantle An Atomic Bomb(原題)』に決定!」Univeral Mucic Japan内U2サイトより

 日本語訳で「原爆の除去の仕方」ってタイトルは流石U2らしいと言うか、何というか(^^;;。肝心の内容は、漏れ聞くところによるとエッジのギター中心。しかもエッジの怒り(政治活動をするボノに対しての/笑)のエネルギーが素晴らしいとのボノコメントがあったので、怖いような楽しみなような複雑な期待感があります。
 更に、U2FANの相方はどんな反応をするだろう、と興味津々だったりします。

 これより1週間前にリリース予定なのがMariahとDestiny's Childの新譜です。が、タイトルのみならず詳細が未発表なのは何故?(苦笑)せめてCCCDかどうかだけでも情報欲しいです(爆)
 しかも、MariahとDestiny's Childが同日発売って。
 正直、今のDestiny's Childにチャート(及び勢い)で勝てるアーティストいるのか?!と思うんですが。UniversalJapanはMariahのことちゃんと考えてくれてるだろうか?と少ぅし疑問に思ったりしつつ。
けど、アルバムそのものは余程の事が無い限り外れないと、信頼(という名の贔屓)してるアーティスト達なので非常に楽しみではあります(マスコミさえゴチャゴチャ報道しなけりゃね)。

こんな感じで11月は私にとっては、音楽漬けな日々になりそうです。
(「新選組!」も終盤だし忙しい日々を過ごせそうです/ワクワク)

2004年9月13日月曜日

新選組!36話【対決 見廻組】感想

 歴史が大きく動き始めた瞬間に立ち会ったかのような、高揚と緊張を感じた回でした。
何よりも、坂本と西郷の腹の探り合いの魅力的なこと(笑)。坂本と西郷の会談場面は緊張と弛緩と探り合いがあり、ぞくぞくしました。特に坂本の「同じ火の粉を被るんなら、火事の真中で被った方が良いきに」(すみません台詞うろ覚えです;)の言葉に、時代を動かそうとするものの行動力と勢い、覚悟を見ました。そして、火事の中心がどこかを明確に判断できる、情報収集力と分析力に舌を巻きました。
 それを受けて立ち、更に呑んでいこうとする西郷(薩摩)の懐の深さにも驚愕しました。

 転じて、新選組と見廻組ですが。
 今回は、新選組(及び見廻組)の本来の意義が「京の治安を守る」である事を強く意識させられました。不逞浪士を捕縛するのも、池田屋騒動も禁門の変でも、「天子様が居られる京の町を警護する」の一つであったと今更ながら認識しました(理解力が無いことを露呈してます)。
 また、新選組の「組織としての」機動力の高さも初めて見たような気がします。
 これは、組織としての柔軟さ機敏さを、幕府直参組織である「見廻組」と対比することでより明瞭になっていたと感じました。そして、機動力は組織としての意思決定権が「近藤(若しくは土方)」のみに在る事。更に、決定後の評議は割合開放的で各人(幹部に限りますが)に遺恨を残させない方式や、瑣末な部分は幹部の資質に委ねられている事で出来上がったのだと感じました。土方が理想とした「組織」がこの時点で、ある程度完成しようとしていたと考えると、彼の先見性や実行力たるは素晴らしいと思わざる得ません。
 しかしながら、土方・近藤と坂本や西郷の面々を比べると、やはり小粒感は否めず。彼等の悲喜劇は「幕府」や「武士」への拘りを捨てきれなかったことかとも思ったり…

 新選組以上に器の小さいと思われる、幕府組織の硬直さには苦笑しかなく。
 佐々木個人は身分や組織に対する拘りは無さそうなのに、組織の一部となるととたんに「頑固」にそれらを前面に押し出す辺り、非常に現代の硬直した会社組織を見ているようで、妙に身につまされました(苦笑)。本音(個)と建前(組織)の狭間に居るのが佐々木なり見廻組なんだろうな、と思ったり。

 「組織」が重要であった幕末(現在もそうかもしれません)において、「個」で動いた坂本なり中岡、また「組織」にあっても「個」の印象が強い佐久間・勝が魅力的に映るのは仕方無いことだと、つくづく思った36話でした。

 次回はいよいよ薩長同盟締結なんですね。予告での桂さんの取り乱し振りに期待を煽られてます(酷)

以下、雑感。

・捨助、すっかり長州浪士からも見限られてましたね。「仕方ないか捨助じゃ」と思わせるあたり中村獅堂の巧さですよね。
・驚き役に徹してる感のある、沖田(笑)。「どこかで見た気が...」って、近藤先生の幼馴染くらい覚えてやってくださいな。
・捨助の「近藤・土方に言うなよっ」って、言ってくれと同意かと。絶対沖田は嬉々として言うに決まってるやんっ、そこを読めないのが捨助たる所以ですが(苦笑)
・「捨助も不思議な人生歩んでるだなぁ」。「捨助も」って局長(笑)。局長も色々お疲れのようで。
・「あいつは尊王でも攘夷でもなかっただろう」って、副長。あなたもそんな感じでしたよね?!つうか、貴方の口から「尊王・攘夷」って言葉を聞くとは予想外でしたよ(酷)
・沖田君、源さん→土方って誘う人選間違ってますよ(笑)
 沖田が「持ち続けようとする」何か。それは「多摩の長閑さ」だったり「八木家の穏やかさ」なのかもしれず。また、彼にとってそれらは最後の拠所じゃないのかと感じました。だから、皆に忘れて欲しくないし、その部分で変わって欲しくないと切望するんじゃないのかと思ったりしました。ただ。一番変わったのは沖田なんでしょうが、そこに気づいてないのがまた沖田らしい。
・聡明さと何も考えてない(言い換えるならお馬鹿さ/笑)無邪気さを、瞬時にして切り替えられる藤原竜也は素晴らしいです。
・伊東を前にしたときの平助が辛くてなりません。願わくば、おちゃめ三人組のような平助を長く見続けていたいです。
・伊東先生の薀蓄は、憎たらしいほど弁説爽やかで(誉めてます)。けど、西郷の腹を見抜けないのは「書物」の知識だけだからだろう、と思わず突っ込んで見たくなりました。伊東も充分詰めが甘いと思いますよ(笑)
・佐々木が止めた伊東の薀蓄。その瞬間、心底嬉しそうに「嫌な」笑顔だった土方が素晴らしい。本当に嫌いなんだね、納得するまでおやり...と諦めに似た境地になりつつあります(笑)
・蛙の面に水な伊東の態度も素晴らしい。参謀としての能力は山南さん以上だよな、と悔しいながらも納得しました。
・浅野~お前って奴はどこまで腰抜けで卑怯者なんだっっ(握拳)
・河合&松原コンビの穏やかさが好きなのに・・・・
・それひ引き換え、山崎さんは素敵です。地味だけど良い仕事しはるよな、桂吉弥さん。とうっとりしてしまいます。
・お登勢と坂本会談は、テンポが良くて大好きです。何より「ふっかけますけどなぁ」と坂本の「三百両」→「お越しやす」のお登勢ってば気風の良さと商売根性が相まって、非常に大好きな場面です。戸田さん最高ですよ!(笑)
・今回の局長は、NIN×NINな方とは思えませんでした(酷)。肝が据わってきたというか、漸く近藤自身が「局長」の器に合ってきた感じがしてきました。漸くですよ、漸く。けれど、漸く身にあった(つけた)器なのに、哀しいかな坂本、西郷らには遥か及ばないんですよね。
・今回ほど土方が補佐役に徹してるのも珍しい。
・おまさちゃんと左乃。すっかり良い雰囲気なのにな~(笑)「うちもええ人みつけよ」は、わざとですよねおまさちゃん(笑)この二人、このままでも良いかも、充分楽しいし♪と酷いことを思ったり。
・佐々木は、(あのお馬鹿な)陽兄ちゃん@彦馬が行くに見えないよ。伊原さんって巧い役者さんだわ、と失礼な感想を抱きました(すみません)。
・宇梶西郷の人が良さそうなのに、実は腹の読めない政治家ぶりが非常にツボです。冷徹な駆引きができる政治家の強さは、怖さと魅力を併せ持つと感じます。
・こう考えると、近藤(新選組)は政には徹底して不向きというか、歴史を作る側には為り得ない「器」だったんだと…。

・伊勢田さんの演出は、個人的に好きかもしれません。