2016年11月27日日曜日

映画『ファンタスティック・ビースト』雑感

昨夜観た『ファンタスティック・ビースト』のネタバレ含む雑感を以下に。

2016年11月5日土曜日

『ドクター・ストレンジ』先行試写会雑感

 11/4の『ドクター・ストレンジ』最速試写会に先輩が当てられて、日々騒いでいる私をかわいそうに思って誘ってくださったので図々しくもご厚意に甘えてご一緒してきました^^

 最速試写会ということで100人規模のスクリーンで2D字幕の上映でした。客電が点いた瞬間「これは画面が大きくて音のいいIMAX3Dで観たい!! これ2Dは勿体無い!! ベネディクト…最高!!!」と同じ感想を漏らしました。
 欧米の試写及び公開後に出てきたレビューの多くがベネディクトの演技と映像に関することに集中していたのが漸く納得。確かに、映像は観てる側(2Dであっても!)の常識や感覚を揺さぶるくらい驚異的だし、公開前に類似性が指摘されていた『インセプション』とは異なるコンセプトとデザインの映像体験でした。ベネディクトがロンドンの15分試写で言った「マジックマッシュルームを食べて来たら〜」は本当にそうだと思います(笑) 
 ベネディクトのドクター・ストレンジに関しては、贔屓引き倒しになるかもなんですが…。完璧!! 人間味と可愛げと鬱屈と才能と孤独感と繊細さがある素晴らしさ。恐らくベネディクトの演技力と漏れ出る可愛さ純粋さがドクター・ストレンジを単なる「上から目線」(ほんとこのキャッチコピーどうなのかと...)のキャラクターでなく、才能と努力の結果手にした名声と内包している恐れから生まれた「傲慢さ」に見え、そりゃ制作陣がベネディクトを望んだの分かるし正解だわ…と心から納得しました。スティーブン・ストレンジの傲慢さが内包する孤独や愛情深さや善なる性質が時間経過と共に伝わり、彼が真のヒーローである事が自然と理解出来るのは偏にベネディクトの見事さに負う部分が大きいと思ったのでした。そして、ベネディクトが大作ヒーロー物の主演をこなんに堂々と張れるようなるとは、2011年夏にBSで『シャーロック』Ep.1を見たときには思いもしなかった…と妙な感慨にも浸ったくらい堂々たる主演でヒーローでした。
 
 肝心要の魔法については、こう理論付けて現実世界と繋げるのか!! と驚き感心しました。この辺は、他作品との兼ね合い含めきちんとなされてる感じだったなぁ。

 折角なのでイベントの感想も。
 セレクトスクリーン前でイベント的なものが行われていました。ドクター・ストレンジの等身大フィギュア(当日到着したばかりとか)の前で写真を撮って「#ドクター・ストレンジ」と付けてSNSで上げたものをその場でカードに印刷してくれるといもの。カードは記念になるし即時発行してくれるので勢いで楽しめるのが良かったような^^ ただ、匿名でSNSやってる身としては顔バレするから抵抗が若干ありました(なのでオープンにしてないけどオープンなSNSで対応しました^^;; 主催者側には一切メリットがないのが申し訳なくもあり…)。
 等身大フィギュアはね、ベネディクトってこんなに顔小さかったっけ??華奢だっけ???となったのは、ファンならではと思っていただけると(何を言い訳してるのか)。  
 




以下にマーベルに詳しくなく、初見で細部を覚えていない、ネタバレ含む雑感を。


2016年10月11日火曜日

2016年イングランド旅行雑記 - サーコンビ舞台鑑賞

何故か今年も行ってきましたロンドンな記録です。
今年は割りと長期間の滞在だったのと、他在中に色々ありすぎたので(笑)覚えてること、見たこと、感じたことを残しておきたいなぁ的な旅行雑記を緩々と。

 最初は二年連続で行くことになった最大の要因である、サー・イアンとサー・パトリックの舞台について。ことの発端から感想含めたまとまりのない雑感を下記に。
 ただし、お二人の舞台『No Man's Land (誰もいない国)』についての予習は戯曲の翻訳を2-3度通して読んだだけ(映像作品もあるそうなんですが廃盤になってるようで見ることが叶わず)の薄っすらとして把握しかしてないので、あくまでもお二人についての印象・感想です。


2016年8月14日日曜日

映画『X-MEN:アポカリプス』雑感

 先ほど観終わった『X-MEN:アポカリプス』のTwitterでは憚れそうな雑感をネタバレ込みで下記に。簡潔に書くとすれば、全てに於いて精彩を欠き、旧シリーズの積み重ねや軸となっていた部分が矮小化(劣化に近いかもしれない)され、枝葉だった部分が重視され意味づけされ前面に出されてた作品でした。
ジーンじゃないけど三作目はなんでこうダメになるかね...と溜息。


・然程期待してなくて、旧シリーズからリアルタイムで見てきたシリーズ最後の作品だし観ようかなでしたが、予想以上に脚本に筋が通ってなかった気がします。これまで積み重ねてきた色んな「物語」が今作では飾り物のような扱いを受けていたようにも感じました。
・特に、旧シリーズで積み重ねてきた教授と磁界王のキャラクターとしての在り方が、今作でこんなにも薄っぺらいものになったことが大変残念で哀しくありました。確かに、前作F&Pで時間軸に変化がありそれ故旧シリーズと世界が変わったことは理解しています。けれど、X-MEN という作品の根幹をなしていて、マイノリティの在り方を象徴しているであろうこのキャラクター達を、あんな単純な行動原理で動かして、知性と鷹揚さと対話で社会と対峙するのでなく「力」を持って解決しようとするキャラクターにするなんて...。演じている役者の年齢(経験)の差と言い逃れできるのかもしれませんが、繊細で複雑な演技ができるジェームズ・マカヴォイとミヒャエル・ファスベンダーであれば、見事に知性で対峙する姿を見せられたと思うんです....。そういう意味でも非常に残念でありました。

・今作のチャールズとエリックの器の小ささがね!!!!!!! 腹が立つレベルだったんですよ。
 確かに家族を失う怒り苛立ち悲しみに捕らわれた結果、より大きい力に取り込まれてしまうエリックっていうのは分かる。わかるけど、物語としてあまりにも直情的じゃないですか?? FCとF&Pと今作の間で経験して蓄積したものに対して向き合うことも逡巡も後悔も無く、一足飛びに取り込まれてしまうのってどうなのですか? そして、レイブンの申し訳ないけどあんな簡単な説得でそれまでやってきた所業に対して反省も躊躇も悔悟も一切なく「目が覚めて仲間に戻る」ってどうなの、エリック??? と本気で思いました。対するチャールズもマインドパレス内で「打ちのめしてやる!」とばかりに腕力で勝負つけようとするし...。チャールズって只管言葉で懐柔・説得していくタイプじゃなかったの?? ほんとこの辺りのキャラ改変は酷すぎて(泣)

・今回登場した旧シリーズで登場したキャラクター達についても同様。旧シリーズのナイトクローラーが持つ、己の能力や容姿に対するある種病的なまでの自虐的な自己認識や自傷癖、周囲から蔑まれるも迫害されても失わない純粋さ、神への敬虔さ。それを見事に表現してくださったアラン・カミングの繊細さと豪胆さが本当に大好きだったんです。それが、今作では神へ祈る場面はあったけれどあくまでも表面的にしか描かれていないように思えて。(これは役者さんのせいでなく脚本&演出のせいであると思ってます。あの役者さんは最大限丁寧に繊細に演じてらしたと感じてます)

・ストームが(泣) ハリ・ベリーの包容力と格好良さが見えなかったんですがね...。あれほんとどうなんですか?? 旧シリーズから言われてるけど、監督ってストームもしかして嫌いなのか? 
・ジーン最強は旧シリーズでも目をむいた部分だったから...。まさか新シリーズでも見せられるとは思ってなかったから...。

・それなのに(いくら時間軸が変わったといえ)旧シリーズやFCへの雑な目配せがあちこちに散りばめられているが癇に障って仕方なかったです。
 中でもジーンとサイクロプスとローガンの三角関係やエリックのチャールズに対する思い入れとか辺りは、ファンサービスなのかもしれないけどもう十分じゃないのか? と言いたくなってしまい...。それで満足してる方がいるから成功なんでしょうが、それがなければもっと上映時間短くなったんじゃない? と意地悪なことを思うんですよ。

・この映画は当初の「マイノリティが社会と巧くやっていくにはどうしたらいいか」「マイノリティの有り方と社会の受容とは?」なテーマからずいぶん遠くに来た気がします。キツイ言い方するならば、マカヴォイとファスという人気も実力ある役者が演じるチャールズとエリックのBLを彷彿させるような濃い関係とニコラス・ホルトや新ナイトクローラー役のような可愛く美しい役者を愛でる作品になったのだなぁと。

・もう一つキツイ言い方するならば、前作F&Pでシリーズ最終のほうが美しかったと思います。


一通り吐き出したのですっきりしました。

2016年7月9日土曜日

野村萬斎版『マクベス』鑑賞雑感

 びわこホール上演された野村萬斎演出・出演『マクベス』を観てきた雑感です。
『マクベス』自体にちては、舞台は去年の佐々木蔵之介一人舞台版が初めて、映像作品はサー・イアンとデンチ様の作品をちまちま眺めて、戯曲については松岡さん版を2-3読した程度の理解しかなド素人です。
 なので間違った感想が大半かと思います。すみません...。


2016年5月2日月曜日

映画『アメリカン・キャプテン / シビルウォー』雑感

 公開初日からTwitter上で賛否両論、アイアンマンとキャプテン・アメリカ陣営の代理論争、談論風発が巻き起こってた作品を数日遅れで漸く鑑賞しました。マーベル・シネマティック・ユニバース(以下MUC)作品については、全作品を微細にも見ておらず況や回数も各作品1回しか見ていないあまり熱心なファンでなく、どちらかと言えば門外漢なのですが、今作は非常に興味深く感じ鑑賞中のみならず鑑賞後にあれこれ考えたりしたので、その覚書というか雑感を下記に。

 熱心なファンの方には申し訳ない雑感です^^;;


2016年4月10日日曜日

NTLive『橋からの眺め』

 今年3作目のNTLive『橋からの眺め』を4/8(金)に鑑賞。アメリカの知性と言われたアーサー・ミラーの名前は知っていたものの作品を観るのは初めてでした。観終わった直後は脳内を鋭い何かで掻き混ぜられて「目の前で何が起こっているのかを考えろ!」と言われたような感じになり、「アーサー・ミラーの映像化されてる作品見なきゃ! 戯曲読まなきゃ!!」と焦燥感に駆られました。

以下まとまりのない雑感





・『橋からの眺め』は1950年当時のアメリカ(おそらくNYとか一部の富が集中する地域な気がする)であった不法移民の問題と近親相姦の罪を絡めてるんだろうなぁと思うんです。が、今作だけの印象だとマーク・ストロング演じるエディが姪に抱く感情って、彼女だけでもここから抜けだして欲しいという想いと行き過ぎた庇護欲が最初にあったのが(違法移民を密告するような)誰が監視してるかわからない緊張感と不況を肌で感じる中違法移民に仕事を取られる不安感なんかが重なって「愛情を注ぐべき無垢な相手」への愛情を錯覚したのではないのかと。そして、狭い地域に住まい違法移民を匿う状況下で生じる閉塞感が感情を狂わせる方向に働いた気もして。どちらかというと、エディの性衝動はそういった過剰なストレスからっていう解釈なのかなぁとかウロウロと。
・確かに冒頭の場面からキャサリンとエディの濃い親密さは「若い奥さん????」と思わせるものであったのでその部分は違和感無かったんですが、なんとなくそれだけかなぁと。
・家族内の閉塞感がこれでもか! と描かれていた

・ロンドンで上演された時期が時期だけに違法移民とそれを受け入れる側の変化を主に見てしまったのもあります^^;
・移民側にも移民する理由があり、国と家族を捨てたことに対する後悔とこの地で稼がなければすべてを失ってしまうという切迫感、そこに家族の期待が乗せられている。しかも、違法だから常に行動が制限され人の目を樹にしなくちゃいけない緊張感、いつ密告されるかわかならい不安と恐怖、差別される屈辱が加わってくる。そんな状況だと鬱屈が生まれるもの当然だし、匿ってもらってる人との軋轢も生まれるのも必然なのだろうなぁと。

・全体の印象としては、閉じた世界が破綻する緊張感が半端無かったです。どこかを突いた途端に爆発するような、一歩間違えば奈落に落ちちゃうような不安定感とかが最初から最後まで途切れずあった。その中心であり縁を目隠しで歩くエディのマーク・ストロングが全身で不安、不信、閉塞、社会からの束縛を体現していて!!!! ほんとに本当に素晴らしかった。2015年のオリヴィエで主演男優も宜なるかなと納得しました。

・いろいろ考えさせれた作品だし、じっくり戯曲を読んで咀嚼したいです。

4/10 22:29追記
(作品とは直接関係ない余談を白地で)
 他のNTLive作品で劣るのがベネディクト『ハムレット』な意見をTLで見かけて、果たしてそこまで劣るのだろうか?? と疑問が離れない。確かに、演出面では意図がはっきりしない(特にガートルードの最後)部分はあったけれど、他のNTLive作品と比較してそんなに見劣りするのかと...。
 ベネディクトのハムレット解釈はそれなりに理論的であったし、存在が右往左往してるわけでもなかった。それはあの作品において必須であるけど簡単な作業では無いと思うんです。刺さるものがあることがいい作品なのかと言われれば、それは違うだろうしそれだけで判断してしまうのは怖いなぁと思ったりもして...。確かに、「刺さる」作品のほうが評価されるのは分かっているけど、然程海外の作品を観ていない一観客がそれを基準に優劣を語るのはどうなのかなぁと思ったりしてます。



2016年4月9日土曜日

映画『ルーム』雑感感想

 久しぶりにこちらを更新。個人的にとても重くて辛いと感じた部分があったので、Twitter(ふせったーの追記)を使ってあげてしまうのは抵抗がありこちらで長々と書きます。

 以下 映画『ルーム』(公式HP: http://gaga.ne.jp/room/ )のネタバレ含む箇条書き雑感。