2005年7月28日木曜日

夏の読書感想文 「誤読日記」

 「誤読日記」斉藤美奈子(著)

 これは久し振りに衝動買いした本。立読みで済ませなくてホント良かった(^^)

 斉藤さんの書評本は何冊か持ってます。この方のひねくれてる風な切り口や語り口、意地悪なんだけれど大切なツボは外さないってな部分が大好きなんで(あと同じ理由で豊崎由美さんも好き)。
 兎に角相変わらず色んな本が俎上に載せらており、突っ込み加減も丁度良く、毎回巧く料理なさってるな〜とにんまりすることしきりでした。そして、紹介されてる本はその突っ込まれ方故に、「読んでみようかな〜」と思わせられるのは流石だと思います。

 読んだ本は読みっぱなしにせず、こまめにこうやって残しておきたいな、と今更ながら思いました。

夏の読書感想文 「グロテスク」

 「グロテスク」 桐野夏生(著)

 これでもかとばかりに描かれる「悪意(差別)」(或は「社会の縮図」)にただただ翻弄されました。
和恵とユリコとミツル。彼女達を悪意ある眼で見続ける語り手。
 それぞれの「生き様」はある意味「異世界」。にも拘らず描かれる各人の内面は、「自らの内」にも存在し、彼・彼女達を取り巻く悪意ある環境も確かに存在してる。ただ、それらを敢えて見ないよう(気づかないように)してる。だからこそ、ここに描かれる内と外の「悪意(差別)」は現実的で、物語から逃げる事ができないように思います。

 桐野さんの人が抱いている悪意や闇の描き方は秀逸。またその筆致が冷静且つ淡々としていて、心地良さを覚えて心惹かれる作家さんです(あと読後感の良さとか、芯の揺ぎ無さとかも引かれる理由だと)。
 しかしながら、それ以上に現実の厳しさや闇から眼を背けない厳しさや同時にどこかで「救い」を与えるような視線の優しさが感じられてなりません。しかも彼女が示す「救い」は決して「一般的」な形ではなく、ともすれば「間違った生」を彷彿とさせるようなものが多い。でも、作中人物にとってそれらは乾いた砂が水を求めるように欲した根源的な「救い」なんですよね・・・。
 さらに、彼女達は「自らの内」の闇が希求するものを確実に手にする。それが社会的にどうであろうと、人が求めようとする「欲」や「足掻く様」は読んでいて引き付けられます。尚且つ、ちょっと艶(露骨な表現であっても切なさや悲しさ、繊細さが感じられます)もあり、読了後に何かが残る。

 『OUT』にしろ『柔らかな頬』にしろ『グロテスク』にしろ「母性」が、女性の「業」として描かれてる気がしてならないんです(主題ではないですが)。女性が本質的に持つと思われがちな「母性」(母性にしろ父性にしろ子供と一緒に育まれるものだと思ってます)を全否定や全肯定で片付けず、「母親」が抱くであろう「愛情」と同時に「独占欲」や「支配欲」といった負の「情」や「憎しみ」を描いてる。
 特に、「母娘」の関係の描写はホント巧緻だな〜と思うんです。離れたいけれど離れられず、互いに何かを共有し共存つつもその関係を破綻させたいとか...。
 「日常生活」で存在してるんです、そういう感情って。ただそれは余りにも「醜い」から見たくないから眼を背けてるだけなんだ...と(決して我家親子関係悪くないですよ、とちょっと言い訳してみたり^^;;)。

 況や、対社会や対他者、対異性に対しても同じなんです。
 「社会」や「異性」「(距離的に)近くにいる他者」の目も省かずに描かれており、どこまでも容赦なく「現実」を突きつける。そして、それが否が応でも距離感や厳しさを感じさせ、必死になる彼・彼女達の行動思考が嫌悪感を抱きながらももどこか同調してしまう、そんな小説でした。

 上記を書きながらふと思ったんですが、女性作家さんが書かれる作品って、人間関係や社会との関係に対してシビアとういか、現実社会に媚てないといえば良いのか。
 「自己の内」と「社会(他社)」との間に存在する距離感や、距離感があるが故の葛藤や諦観や孤独感とかを見据えてる感じがしてなりません(何を言ってるのやら^^;;)。
 兎に角、そんな感じの視点の作品が多いなぁと。例を挙げるなら、高村薫さんの作品や小野不由美さんの「十二国記」シリーズ・「屍鬼」(「黒祠の島」はちょっと違うと思う)、篠田節子さんの「女たちのジハード」他にもあると思いますが、とりあえず思いついた分だけです^^;;)。

 男性作家さんもそういった作品あるとは思いますが、直ぐに思いつかなかったんで、もう訳ありません。

夏の読書感想文 「もしも月がなかったら」

 通勤時に携帯する本(=読む本)が尽き、毎夜毎夜本棚を漁っては読むホンを見繕ってたこの2ヶ月近く(お陰で京極堂シリーズ 4周目に突入しました^^;;)。
 で、時間にゆとりが出来たので、読んでみたいけれど・・・どうしようかな〜ってな本を図書館で借りる事にしました。

 以下、そんな本の感想とういか雑感です。

「もしも月がなかったら」
ニール・F・カミンズ(著)、増田まもる(翻訳)
 三菱パビリオン@愛・地球博の基礎本。
 パビリオンで抱いた数々疑問が綺麗に氷解しました。

 私がパビリオンの映像を見ながら抱いた疑問は、「なんで月が無いのに生命が誕生してるんだろう?」とか「月が無いのに何で地球と同じ進化を辿ってるんだろう??」といったものでした。それが、本書ではきちんと説明がなされてる。その1点だけも読んで良かったと思えた本です。

 本書の基本は「『今』の地球と『もしも月が無い』場合(他10例)とを比較して、月や太陽等と地球との関係を分かり易く説明する」でした。確かに、「仮定」を積み重ねて論じるのなら、私達が知ってる(居る)地球を基に比較した方がより分かり易く、月や太陽等との関係(からの影響)も理解しやすくなる。
 なので、必ず章の頭に「月が地球に無いと仮定する以外は、今の地球と同じ条件とする」ときちんと書かれています。勿論何故そういった条件を与えるのかも、詳しく書かれているので違和感なく「月が地球に無い場合」や「月が地球に近い場合」他8例の世界を想像することができました。

 そして、各章で必ず条件及び「地球と惑星との関係(影響)」について説明がなされてるのが、久し振りにこういった「宇宙関係」の本に触れる私にとってはホント有難かったです(^^;;

 一言で「仮定」と言いますが、その「仮定」を与えるための条件設定もかなり詳細且つ綿密で、複雑かつ微妙かつシンプルな関係で成り立ってる宇宙の素晴らしさや美しさをも感じました。
 何より数式や専門用語が殆ど出てこない為、文系一筋(って)の私にも充分理解できました。

 三菱パビリオンは説明不足だったと改めて感じました。時間が限られてるのは充分わかりますが、せめて「比較のために敢えて条件を同じにしてる」位の説明はあるべきだったんじゃないかと思いますです(しつこいですか。そうですか^^;;)

2005年7月26日火曜日

夏の恒例行事なのか??

 週末、買い物や映画と半日遊んで、帰宅したら・・・洗面所が水浸しでした(涙)

 昨年夏には風呂が壊れ、4年前の夏にはシンクが傷み水漏れ。なんか水周りのトラブルが夏の風物詩化してる気がしなくもなく。びしょ濡れの床を拭きながら「そんな風物詩は要らないやぃ!!」とひとりごちた週末の夜でた。

 今回の原因は、洗面台の配水管の亀裂&蛇口のコマの消耗でした。
 春先に洗面台の配水管から水漏れがあり相方に「パッキンが痛んでるかも・・・一度確認して取替えて〜」とお願いしていたんです。が、共に何かと忙しく(殆ど遊びでなのがどうしようもない夫婦でございますが--;;)、バケツ等を置いて水漏れ防止の応急処置しておりました。
 で、更に当の週末にどうやら蛇口が閉まりにくくなっているのに気付き、「これはちょっとやばいか」と思いつつも渾身の力で締めていったんですが、やっぱり出水は止まっておらず、半日以上蛇口からポトポトと水漏れし続けてたみたいです。
 結果、応急処置で置いていた洗面器とバケツでは対処しきれず、洗面台下はしっかり浸水してたという訳です。確かに私の不注意なんですが、遣り切れなさと怒りの矛先は当日飲み会だった相方に向かいまして。しなくても良い喧嘩までふっかける始末でした。

 幸いにも、市水道局に電話して日曜でも修理してくださる指定行社さんを教えていただき、週明けを待つことなく修理してもらえました。
 が、週末に水周りのトラブルだけはホント勘弁して欲しいと痛切に願います。対処の仕方が限られてるんですもの・・・お願いしますっ(って一体誰にお願い?)

2005年7月25日月曜日

『姑獲鳥の夏 -映画-』感想

 「本と映画は別物なんだ」と分かっていながらも、期待≦不安な状態でドキドキしながら映画館まで足を運びました。

 予想外にも枝葉を上手く(丁寧に)取り払われており、大きな流れだけを追った展開で話としては綺麗に纏まっておりました。また、個人的に物凄く危惧していたキャストも主要人物については、「意外にはまってる」と思えました。関係者も若干違和感がある方は居るものの、それはなんとか呑み込める(諦められる)モノでした。
 そういった意味で、映画としては概ね満足でした。

以下、色々な雑感です。

 今回一番満足したのは、セットと小道具でした。冒頭の「眩暈坂」から始まり「久遠寺医院」や「榎木津ビルヂング」等々見事に「見せて」くれてます。特に鳥肌が立ったのが「眩暈坂」。多少想像していたのとは違いましたが(石畳だと思ってのが、乾いた地面だったりとか)、それでもきちんと作りこまれてるなと感じました。小道具で「おっ」と思ったのは、『鉄鼠の檻』の舞台となる箱根・仙石楼付近の地図です。  ちゃんと「明慧寺」って寺名が記載されてたり細かいお仕事されてるな〜と嬉しくなりました。あそこまで再現してくれた背景やセット・小道具を見れたのは、幸せだったな〜。

 次に話に関して。上でもちょっと書きましたが、主となる幹と必要な枝葉を巧く組み合わせてきちんと作ってると思いました(枝葉の取捨選択が巧いな〜と)。勿論原作のボリュームとは比べ物にならないし、要の一つである「オショボ憑の筋」の背景説明もあっさりし過ぎてどうかとは思ったりもしました。が、「関君と京極堂の物語」としたら過不足なく纏まってると感じました。また「川赤子」から引っ張ってきたと思われる場面や、猫目洞の挿話も意外に綺麗に入っていて違和感がありませんでした。
 ただ、里村医師や鳥口君の扱いはどうよ・・・・とちょっと思わなくも無かったです(笑)

 また、映画だけを見た方にとっては「判り難いんじゃないか」(巧くあの面白さが伝わったのか)と思ったのも事実。実際、画面の話を追いながら原作を思い出して補完しながら見るとういう、物凄く失礼な作業をして漸く細かなニュアンスが掴めた気もしますし。この世界を初体験された方の感想を是非聞いてみたいものだとも思った次第です。

 ただ、映像とは徹底的に相性が悪かったようです。途中幾度と無く「この映像や効果は一体??」と戸惑うことがありました。例を挙げれば、多用されるピンスポットと姑獲鳥が飛ぶ映像。これには正直うんざりというか、何でこんなに使うの??と苛立ちすら覚えました(最後の久遠寺医院延焼も長すぎたと思う)。
 それに加えて映像(や効果)がどうにも無意味な部分が多く、無駄な映像(効果)で原作の「現代的な部分」を殺いでいるとすら思えてしまって、脚本が原作の持ち味を活かしててそれ程悪くなかったと思えるだけに、脚本や配役の良さが勿体ないな〜と思った次第です。
(ウルトラマンとかを撮られた監督さんなんですね。それを知ってあの映像・効果は「然もありなん」と納得しました^^;;。決して否定してるわけではないです)

 配役について思った事を配役毎に。
 京極堂@堤さん:冒頭の長台詞(関君に滔々と「不思議」について説明する場面)は、お疲れ様ですと思わず言いたくなるほどです。また澱みない口調と堤さんの声の良さが加味された所為か、ホント説得力がありまして、関君の気持ちに少し同調しました(^^;;
 恐らく作品中一番台詞量が多い京極堂ですが、不安を抱くことなく違和感を感じさせること無く「言葉を操る」憑物落としを見せてもらった気がします。憑物落としの迫力、妖怪を語るときの生き生きとした表情、対関君榎さんの表情の違い、愛妻家の風情等々をきっちり見せてくれた堤@京極堂にはホント満足です。
 が、憑物落としの着物は、絶っ対違う!!確かに鼻緒は赤かった。けどねけどね「全身が闇」な筈なのに、色映りの理由かもしれないけれどあの濃い臙脂にはどうにもこうにも納得いきませんでした(涙)

 関君@永瀬さん:上映時間の間に次第に「サル」っぽく見えてくるから不思議ですね〜(笑)。そして、ちゃんと「胡乱」でした(って表現はどうよ)。それだけで私は充分満足です。関君の不安定さとか彼岸に行きそうな様子とか、きちんと見せてくれたと思います。個人的に一番ツボだったのは、京極堂から暗に「薔薇十字探偵」行きを勧められる場面です。なんかホントに嫌そうな感じが出てて。

 榎さん@阿部さん:あの上田教授を彷彿とさせる部分が無きにしも非ずでしたが、申し分ないちょっと男らしい(むさくるしいとも言う/笑)榎さんでした。とりあえず、何を着てもそれなりに「似合う」のは物凄く稀有で、その一点だけでも榎さんらしいよな〜と納得した次第です。というか、「陶磁器人形」や「色素の薄い眼」とかの表現に固執しなければ、充分「榎木津礼二郎」を見せてくれたと思います(観てるうちに徐々にはまってくる感じすらしました)。
けど、阿部ちゃんホント格好良かったな〜(結局ソコですか・・・)

 木場修@宮迫さん:見る前に一番不安だったのがこの方(^^;;
 正直なところ、良かったです。あれやこれや文句たれてすみませんでした、と謝りたくなったほど。無理やり「生粋の江戸の言葉」を使ってることで、木場修の無骨な感じとか彼が抱えてるもどかしさとかが上手く出てたんじゃないかと思ったりしました。阿部@榎さんとの絡みも充分満足だったし(鬱陶しそうな感じが良く出てた/笑)、関君と対面する場面も良かったと(個人的にこの場面は好みです。関君と木場修との関係性が一目できちんと伝わってきて、巧いな〜と)。

 主要メンバーはこんな感じで、充分満足しております。
 脇に関しては、物凄く良かった方と肩透かしを食らった感のある方が混在しておりました(^^;;
 良かった方を役名挙げていくと、牧郎、お潤、千鶴さん、雪ちゃん、久遠寺医師、菅野、青木君、里村医師、和寅です。特に、牧郎役の恵さんはホント良かったです。
 細君のお二人は申し分なかったです(千鶴さんと雪ちゃんの笑顔だけで充分ですよ!!←馬鹿)。作中では名前すら呼ばれなかった里村医師と和寅(お潤さんも鳥ちゃんも呼ばれませんでした^^;;)ですが、見てる人には判る存在感やお芝居で妙に嬉しくなりました。

 肩透かしを食らった方
 敦ちゃん@初代なっちゃん:私のイメージとはかなり違いました(涙)。気のきつさだけが鼻についてしまって、謙虚さとか可愛らしさとかがあまり感じられなかったのが大きい。映画版敦ちゃんに扱き使われてる、探偵殿や小説家が不憫にすらなりました(単なるヒステリーとしか思えなかった)。予告だけでみてたら良かったのにな〜

 久遠寺姉妹@原田さん:えぇ黙っていたら良いです。が少しでも「演技」なさると、台詞回しの拙さとか表情(感情表現の引出)の乏しさとかが、気になって一気に現実にひきもどされました(酷)。なので、関君と二人きりの場面や梗子と涼子の場面は辛くて辛くて、DVDなら早送りすることは確実だと思われます(失礼ですが)。
 見終わった後友人と「涼子・梗子は雪ちゃんだった篠原涼子さんが演じた方が良かったんじゃないのか???」と失礼極まりない感想を口にしたほどです・・・・

今後シリーズ化されるそうですが、楽しみなような不安なような・・・複雑な気持ちです(笑)
でも、今作は充分満足できたので、次作(『魍魎の匣』)があればもしかしたら文句言いながらも観に行くかもしれません。

2005年7月20日水曜日

音楽機器の選び方

 大層なお題ですが、内容はしょぼいです(自分で言うな/笑)。

 先日相方実家に帰った時の事です。
 玄関を上がるや否や、挨拶もそこそこに義父が「ポータブルMDの録音再生機を買ったけど、思ったほど録音時間が短いんやけど、何でや」と相談されました。それを聞いた時、今頃MD??。MPGの間違いじゃ???と思ったんです。で、実物を相方と確認したら。

 S社のポータブル「Hi-MD」でございました(--;;;

 正直、こんな所で「Hi-MD」と対面するとは思わず、相方共々少々固まりました...。だって、お義父さんPC使ってるんですもの。何故に「Hi-MD」と思うのは間違ってませんよね??(誰に確認??)

 しかも義父はCD再生機から等速録音という、物凄い面倒且つ手間のかかる作業をなさっておられました。
 
 取扱説明書を読むとPCにも繋いで録音できるようなんですが、対応OSがWindowsのみ。義父の愛機は相方の趣味(笑)によりeMac(OSX)。もう、どうにこうにも手も足もでません、いやもう始めから及びでないって感じです(^^;;。

 確かにその状況なら、CD→Hi-MD(等速録音)しか方法は無いです。けど、このご時勢にそんな手間のかかる事を・・・と思わなくも無く。

 それに、義父が購入を決定した要因の一つで、且つ質問の要点でもあった「CD45枚分録音」。
 結論から言えば、確かに出来ます。
 けれど、そのために必要な録音モードの設定が兎に角ややこしいんです。また、初期設定がそれ様のモードにないのも正直「どうか」とは思います。
 動作環境に関して、この際はっきり言いましょう(何様?)。
 ボタンが小さくて押し難い上、本体にあるJダイヤルが使いにくくて仕方がない。更に言えば画面も見難いしホント分かり難い。

 私もかつてはS社のポータブルMD機が大好きでした。S社のはデザインもシンプルで綺麗だし、音も良いし、使いやすいし、再生時間は長いし、何よりリモコンのJダイヤルの使い勝手の良さに惚れ込んでました。けれど、本体についてるJダイヤルがあれほど使い難いとは、想像を超えておりました(--;;;

 当面の問題であった録音モードの変更は、取扱説明書とにらめっこしつつ、あれやこれやと試行錯誤した結果、なんとか変更はできました(取扱説明書の書き方も不親切極まりなかったです/少々怒)。

 そんな私達の心中は、「『Mac』なら『iPod』じゃないかっ!!曲の移動も操作も簡単だし、値段も手頃になったし、再生時間だって『iPod Mini』なら遜色ないのに〜(ジタバタ)」でした(笑)。ただ、流石にお義父の心境を慮るとそう率直には言い難く、相方と苦笑せざるを得ない状況に陥っておりました。
 とは言え、「お義父さん・・・デジタル機器購入時は我家に一言ご相談下さい(--;;。的確なモノ選びますから」と申し上げずにはいられませんでした(苦笑)。
(大袈裟でもなんでもなく、義父のデジ関係の物すべて相方が把握してる現状だったりするのです^^;;)

 お店の方も勧める時は、使用PCを確認して薦めてくださいませ〜
 つうかお義父さんもMac利用者の肩身の狭さ(笑)を解っていただきたです(^^;;
(いやそれ以上に・・・・あの田舎でMac薦めて買わせた相方が大元の原因だとは思います/笑)

2005年7月19日火曜日

『STAR WARS episode3 -REVENGE OF THE SITH-』感想

 思い起こせば、遥か昔。それは恐らく『episode1』の製作及び公開時期が大々的にPRされた年のことだったかと。
 旧三部作の公開に衝撃を受け、何かと思い入れのあった相方(つきあってた時期^^;;)に、「『STAR WARS』旧三部作が連続して映画館で見れるんや!!鑑賞パスポート買ったし見に行こう!」と半ば強引に連れて行かれた記憶があります(笑)
 それが、私の『STAR WARS』初体験でございました。(時折深夜に放映していたのをなんとなくチラっと見てたような気はするんですが、真っ当に見たのはそれが初めてだったと思います)

 そんなこんなで意外にも長いお付き合いとなり、「ここまできたら最後までお付き合いせねばなるまい!!」というなんとも妙な義務感と責任感と適度な思い入れで見に行って参りました。

以下ネタバレだらけの雑感です。

 見終わった後、どうやらすっかりルーカスの罠に掛かったようで、『旧三部作』を見返したくなりました(笑)。だって、あれやこれやちゃんと流れがあってるか、整合性が取れてるかとかの確認作業をしたくなったんですもの(←物凄く失礼な反応です^^;;)。
 とか言いつつも、上映時間中は充分楽しませてくれるし、時間を忘れる事ができたり、見終わった後何も引き摺らずただ「楽しかった〜」と思えるのは凄いと思います。所謂娯楽作品としては充分満足できる作品だと思うし、6作全てにおいて質を落すことなく、観客を楽します術や見るものを飽きさせない術をこれでもかっとばかりに尽くしてる姿勢には感嘆します(そして大局で齟齬が無いきちんと作り上げられてる世界観も凄いと)。
 また、個人的に『episode2』が色んな部分で辛かっただけに、今回の話は単純に楽しかったと思えたのがホント幸いでした。

 今回もヨーダは素晴らしい動きです!!彼の手がもう少し長かったらきっとあの世界の歴史は違っていたかも?!(絶対間違った感想だと思います)と思うほどでした。いや〜ヨーダは最高です!!

ヨーダvs皇帝は別格として、他印象に残ってる場面。
・ジェダイの騎士達が掃討される場面
『指令66』が議長より発せられて以降、味方であった者達が粛々と裏切り背後から殺していく。
 細かな部分を気にしたら突っ込めるんでしょうが(確かに突っ込みたくはなります。実際相方は突っ込みまくってたし^^;;)、それよりも効果音も台詞も無く、ただ音楽が鳴る中で見せられる場面に何とも言えない「怖さ」と「冷たさ」、そして妙な「現実感」というか「生々しさ」を感じました。
 この現実感や生々しさが何に拠る物かきっちり把握はできてないのが、モドカシイんですが・・・

 あの世界でのジェダイ達がある意味担っていたかもしれない、信仰的な部分や神聖性や誇りなんかが「戦時下」において「排除されるべきモノ」に転化し、「堕ちた」瞬間を見た気がしたからなのか。それとも、彼らの「個(性)」が本来的に簡単に環境(周囲)から「孤立」し得るものだったと思ったからなのか。ふと、ジェダイが置かれていた(る)位置というのを考えずにはいられなかったからなのか。よく解ってないことをグタグタと申し訳ないです。
 しかも今一、こう「フォース」とか「ジェダイ」とか基本的な部分をきっちり理解してないんで(Webで調べろ>自分)、間違った認識だとも思います。

・議長が皇帝となる場面
 万雷の拍手の中で、共和国が帝国に変わる。そこでパドメが呟いた言葉がどうにも印象深かったんです。実はこの場面では、第三帝国(ナチス党)を思わず重ねました。製作者の意図がどの辺りにあるのか判らないんですが・・・。
 で、更にパドメの言葉「万雷の拍手の中で、自由は死んだ」(だったかな??)には、ふと『銀河英雄伝説』の序章を思い出しもしました(苦笑)。なんか民主主義と帝国主義っていう括りの物語に接するたびに、色々と考えを巡らしてしまいます(上手く言葉にできませんが)。

・ヨーダの説話(って・・・)
 ヨーダがアナキン青年を諭す場面ですが、恐らく、これまでにも再三説明があったことなんでしょうが、丁度『鉄鼠の檻』を再々読中だった所為か物凄く印象に残りました。
 「己を律する」事で、何かを会得する。その方法(考え方)がある部分東洋的な哲学(と表現して良いのか判りませんが)だな〜と改めて認識しました。

その他色々と。
・パドメ役のナタリー・ポートマン嬢が相変わらず凛とした美しさで、うっとりしました。ただ、やはり匂い立つような色気とか艶があまり無い女優さんだと思うので、アナキンとのラブシーンは少々辛いものが・・・(^^;;。
 そういった部分で、前作と今作は、なんか彼女が勿体ないよな・・・と思う部分もあったりして(凛とした台詞や仕草や雰囲気の時は「ぴったりやん」と思うんですが)。
・クリストファー・リー様(様付けかいっ/笑)演ずるドゥークー伯爵が早々に亡くなれた場面では、一瞬だけ「見る方(役者)が居なくなってしまった。どうしようこれから」と思ったのは内緒です。
・アナキン役のヘイデン・クリステンセン君を初めて「男前」だと認識しました(笑)。特に、野望を隠してる表情とか、憎しみと悲しさとが渦巻いてる表情(特に眼)は素晴らしくて、ゾクゾクしました。
・今作はどうやらオビワン=ケノビの物語だったんですね。いやユアン・マクレガー氏大好きなんで嬉しいんですが(笑)。しかし、オビワンは良い味だしてたよな〜(軽妙な台詞も多かったし)
・R2とC3POの出番(特にC3PO)が思ったより少なくて、かなり寂しかった(涙)とは言え、R2は笑いを取りつつ大活躍したから良しとします(って何様)。
・この映画に関しては重箱の隅は突いちゃいけない(苦笑)とは思うんですが、一つだけ言わせてください。チューバッカとヨーダって知り合いだったんですか!???!と。思い起こすにも旧三部作でそれを匂わす場面は無かったと思うんですが???!
 ちなみに相方の見解は、「ハン=ソロと一緒に居たのは『チューバッカ=チューバッカ』と言って、今作に出てたチューバッカの息子なんやて」らしいです(・・・・)。観客にそういった見解を抱かすのはどうかと思うんですが(笑)
・御大の字幕・・・素人でも違和感(戸惑い)を感じる訳って如何なものかと。なんか相変わらず雑な訳だよな〜としみじみしちゃいました(^^;;
 『指輪物語』の御大のお仕事のお陰で、最近、できるだけ耳で聞いて理解できる部分は理解しようと努力するようになりました。信頼の置けない字幕ってのもホント問題だと思います・・・・(一番信頼置けないのは自分の耳なんですが/苦笑)

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上映前の予告で『キング・コング』を見たんですが・・・内容はともかく監督のPJがかんなり痩せていて、あのホビットチックな面影が全く無かったことに驚きましたよ。一体どうしたPJ!!
こんな事が気になって気になって仕方がなく、今もって『指輪物語』から帰って来てないことが発覚しましたです(笑)

2005年7月5日火曜日

愛・地球博 見学記

 去る 7/1(金)時折激しく降る雨の中、行ってきました「EXPO 2005 愛・地球博」。

 以下、予習も何もせず、見学ルートも何もかも行き当たりばったりな見学記です。

 気合を入れて早朝(05:30)に自宅を出発し、名神→東名を直走り長久手駐車場に着いたのが07:50でした。雨足が強かったため早めに運行を始めたシャトルバスに乗り、西ゲートに到着したのが08:30。えぇ、開門まで約30分間降りしきる雨の中ただ只管に立って待ってました(苦笑)。
 そんな中、アナウンスされるのは「雨のため足元が悪いため決して走らないで下さい」や熱中症対策等の諸注意ばかりでした・・・。正直、当日の気温や天候で「熱中症の注意はいらんやろう」と突っ込みつつ、そんな事より周囲の傘から落ちる水滴をどうやったら避けられるか、とか、屋根が無いところで待ってる人への言葉は無いのか??とか色々思ってました。
 ただ、激しい雨の中傘もささず雨合羽も着ず、列の間を縫ってペットボトルの回収等を行っておられたスタッフの方たちには頭が下がりました。彼らへの雨対策を何より優先で行って欲しかったです。ほんと濡れまくってて可哀想になりました。

 09:00丁度に開門され、持ち物検査&ボディチェック(金属探知)が行われた後ゲートを通過。噂の手荷物チェックは予想以上に徹底されており、ペットボトル等の持込禁止物は容赦なく没収されておりました(笑)

 事前学習で、企業パビリオンはかなり混むと聞いていたので一路北ゲートへ。
 ただ、余りにも雨足が強かったりしたのでIMTSを選択いたしました。このIMTSお一人様200円取られるんですが、デザインが円みを帯びて愛らしく、動きも静かで乗り心地が良かったので満足でした。
 ただ、運転席にぬいぐるみを置いてるのはどうかと思いました(苦笑)。折角の近未来的でスマートで繊細な雰囲気が、ぬいぐるみのお陰で台無しになってる感がどうしても拭えませんです(^^;;

 北ゲートに到着し、走って向かったのは「三菱未来館 もしも月がなかったら@earth」。
 ここはテーマを聞いたときから見てみたかったパビリオンでした。月の影響なくては現在の地球も生命も存在し得なかった、それをどういう形で見せてくれるのか、とか、新しい説なんかも随所に取り入れられてるんだろうな〜とかなりワクワクしてたんです。
 ごめんなさい。色々突っ込みどころが多くて、見終わった後は「ネタ本読もう」でした(それってどうよ)。
 少し突っ込ませていただくとですね。
・入場前のロボット漫談は、はっきり言って要らないかと思います。
・えっとコンパニオン(違)のお姉さん方は一体どういう役割があるんですか???
・前段の「お子様科学教室」みたいなアニメーションと説明は一体・・・
・今更地球と月の距離・質量等々の長々とした説明は要らんし、説明するならもっと違う展示方法があるだろうよ・・・
・そのアニメーション。何故地球が「オヤジ」で月が「子供」なんだ???????と(--;;;
・月が無くて「生命の誕生」は可能だったんだろうか???

 とか色々複雑な思いに駆られてしまった内容ではありましたが、映像は美しかった。
 日本の風景なんかを万華鏡の如く映し出してるのは、溜息が出るほど美しかったし魅了されました。こういう方向性で見せてくれたら大満足だったのに・・・

 で、日立館へ向かう途中「JR東海 超伝導ラボ」の「らっしゃいっ!今なら待ち時間無しで見られるよっ」な客引き(大きく違)に引き寄せられて、入りました。
 「超伝導」の説明は大変解り易く、物理音痴の私でもすっきり綺麗に理解できましたです。でもね、もう少し迫力在る実験を見せてもらいたかったな〜と思うわけです。

 その後急ぎ日立館に向かったんですが、時既に遅し。
 10:30過で待ち時間が3時間30分以上になっておりました(涙)。長蛇の列を具現しているかの様子に、並ぶ気力も失せすごすごと引き下がりました。もし行かれる方が居られたら、最初に「企業コモンB」から攻める事をお勧めしますです。

 その後、雨足が更に強まりグローバルコモンまで徒歩で行く事は諦め、グローバル・トラムを利用する事にしました。このトラムの待ち時間が長いこと長いこと・・・。しかも、その場でチケット購入(お一人様500円也)しなきゃならいと非常に手間のかかる方式で、はっきりいってトラムを待って乗るより歩いた方が早いと思われます。特に雨だと、厚手のビニールで視界が遮られるので目で楽しむ事も出来ず。また、待合場所には屋根も何も無いのでただ雨に打たれて濡れつつ、何時来るとも知れないトラムを待つという何とも中途半端な状況でした(--;;
 炎天下でもアレはちょっとしんどいかもと思ったりです。

 グローバル・コモン3に着き目指すはドイツ館。
 が、やはりここも時既に遅しで、待ち時間は120分でございました・・・。建物を取り囲む列を見た瞬間に勢いも萎え、結局諦めました。ただお昼はそれほど待つことも無くドイツ館併設のレストランで取ることができたのが、幸いでした。

 で、ドイツレストランは店内の雰囲気等々「らしさ」が見事に再現されててたのが、ホント嬉しくて仕方なかったです(笑)。金額は若干高めかとは思うんですが、量も味も申し分なくてかなり楽しく食事をさせていただきました。
 しかし、追加注文でコーヒーを頼んだ際、「ケーキ(←かなり大きい!!)も勿論食べるでしょ。大丈夫食べれるよ」と言うのは約束事なのか??と(笑)。と言うのは、例のドイツの友人や新婚旅行で行ったウィーンの人たちにも同じ冗談を言われまくってたので(^^;;

 その後、グローバル・コモンに居続け各国のパビリオンを堪能しました。
 どの国もそれぞれ特色があって楽しかったんですが、特に印象に残ってるのが次の館です。
・イタリア館
 「踊るサテュロス」像が圧巻でした。力強さと優美さと繊細さを目の当たりして、その造形美に目を奪われ言葉をなくしました。あとは工業品や各地方の特産物等を展示してあるんですが、その色彩の艶やかさや形の美しい形状には目を奪われました。
・北欧共同館
 北欧デザインはかなり好きなので、それを思い存分見れたのは幸せでした。
 館内もシンプル且つ木の温もりが感じられるようで、居心地の良い空間だったと思います。
・オーストリア館
 入り口で女性スタッフとウィーン・ワルツを実施体験させてもらいました。が、恥ずかしかった・・・・けど、楽しかったですよ〜行かれたら、是非体験してみてくださいませ☆
・カナダ館
 ここは相方一押しのパビリオンです(笑)
 待ち時間は多少あったものの、スタッフの方が退屈させないよう常に気を配ってたり、会話を積極的に交わしたりできる雰囲気があり、それほど苦にはなりませんでした。
 館内の映像もホント考えられていて、カナダの人と自然と生活をシンプルに解りやすく見せる工夫がされていたと思います。何より映像が素晴らしかった!!
 また、行った日が丁度カナダの建国記念日と言うこともあり、イベントも行われていたり、それに合わせたスタッフ達の盛り上がり(盛り上げ方)が見ていて楽しいものでした。受動的にならざるを得ないパビリオンが多い中、見学者も参加してるって感じがした数少ないパビリオンの一つでもありました。
・中国館
 ここは展示されてる遺物や壁のレリーフが、中国の歴史を物語っておりやはり彼の国が持つ歴史や文化の奥深さなんかを感じました(やっぱり文字や活版の発明ってのは凄いとしか思えない)。
 また、中国物産展も独自色が発揮されておりまして、思わず欲しくなったのが「印」。手彫りの印は非常に魅惑的です(笑)ちなみに相方は、扇子をご購入され「扇子はやっぱり中国か日本よな〜」と悦に入っておられました。
 それと・・・中国館と韓国館が間を置いて隣接してました。で、その間にこれ見よがしにパトカーが駐車されていたのが、非常に昨今の日韓・日中関係を表しているようでなんとも複雑な気分になりました。
・オーストラリア館
 ここは何をおいても巨大カモノハシ!!ですよ(笑)もうあれを触れて、あれに凭れ掛けられただけで充分満足でございます(それって・・・・)

 最後までドイツ館と日立館が諦めきれずに待ち時間を携帯で確認しておりました。が結局120分以下にはならず、後ろ髪引かれる思いで会場を後にしたのが、18:30過ぎ。

 見学終わった感想は、テーマ・パークに不向きな私達にとっては、ある意味しんどかったです(^^;;。そして、パビリオン自体どうしても受動的になってしまいがちだったのが、勿体ないと思いました。
 特に企業パビリオン。ロボットや機械が対応している姿が目立っており、正直味気なさを感じました。そういった意味では各国のパビリオンの方が、人が対応していた為、こちらから話しかけたりとか、質問できたりとか、より能動的に関わることが出来たのが楽しく、より強い印象を残したと思うんです。

 また、長蛇の列が出来てるパビリオンが軒並み「乗り物」系だったのが・・・なんとも(^^;;。それを見た時点で思った事は、期間限定の「テーマ・パーク」だわ・・・でした。

 今回の万博はテーマは、「地球環境」や「自然と人間との係わり」だと思ってるんですが、それがどうにも中途半端な印象を受けました。
 極論だとは思いますが、丸一日滞在した中で過去も未来も自然も感じることはありませんでした。万博という方法が限界にきてるんじゃないだろうか・・・とふと感じることもありましたし。

 そして、もう一つ。
 会場内の移動手段に関しては、もっと他に方法あるんじゃないかと感じました。例えば一日パスポートで乗り放題にするとか、チケットで何を利用したのかカウントして退場時に精算するとか、とりあえず旧来然とした方式だったので、手間がかかってる割に効率上がってないよな〜と思ったので。
 で、スタッフの方も客を捌くので手一杯で交流を図るとかいう雰囲気でもなく・・・いろんな意味で勿体ないと思った次第です。

まぁ、色々と楽しめたし、考えることもできたので行って良かったとは思います。