2004年11月29日月曜日

新選組!47話【再会】感想

 既に軍組織ですらなく単なる「敗者の集団」が持つ暗さ、勝(=旧幕府)の掌を返した様な冷たい切り捨て方と、彼等を迎える故郷の人々の明るさと温かさ、そこにいる彼らの 穏やかさと言ったコントラスに涙するしかありませんでした。

 「もうあの頃には戻れない」の言葉がやけに現実感があり、5年がやけに昔に感じ、多摩時代の「明るさ」が懐かしく暖かいのに、何故か哀しく思います。そして、彼らは本当に彼ら自身の力で「遠くまで」歩き、成長したんだと改めて感じました。
 また、そこに至るまでには多くの犠牲が有り、多くの「友」や「仲間」を喪い、彼ら自身も傷つき歩んできた道程でもあった事を今更ながらに思いました。

 さて、今回最大のお楽しみ(違)であった土方の洋装。余りの格好良さに言葉もなくただ画面を見つめるばかりでした(笑)。洋装の第一場面で、山本土方はやっぱり男前だと駄目押しさせられた気すらしました(黄色い歓声が聞こえそうだった/^^;)

以下雑感

○勝海舟!!
・岩倉や西郷とは、趣と色合いの違う底知れぬ怖さと奥深さ、そして知性と理性を感じます。
・もしかして、この作品で一番「怖い」人物は勝じゃないかと思うくらい、一言一言がじんわりと刺さって抜けないんです。きっと「毒(しかも即効性の物じゃなく、遅効性)のある言葉」ってのを表現したら、今回の野田勝なのではとすら思うくらい。言葉の一つ一つが重いんだよな・・・
・切り捨てる時期の的確さや相手に合わせた言葉を発する勝に、「徳川の幕引きをする」幕臣としての才と器を見せられました。更に相手を受け入れているようで、実は己の意志に沿うよう誘導していく…とてつもなく政治的で嫌らしい行為なのに、どこか清冽さを感じさせらる。それは、勝が見ている物や語る言葉が余りにも「正道」で「大局」だからかも知れません。
・野田さんの飄々とした様子に、冷たさや鋭利さを感じました。
・どなたかが書かれておりましたが、野田勝と中村岩倉の舌戦をほんっとに見てみたい(笑)。その場に、嬉々として居そうな堺山南さん&山本土方、オロオロしてそうな筒井会津公が居てくれたら最高に楽しそうかも・・・(無駄な妄想ですごめんなさい--;;)
・ただ、この方。良くも悪くも己が興味を持った人間には、積極的に関って行くのが好きなんじゃないかと思ったりします。懐が深いというか、好奇心が 勝ってるというのか…。決して感情や知性だけで発言したり、動いたりする人じゃないなというのが感じられて(野田さんのイメージなのかもしれませんが)。対面することで相手の器量を測るというか。相手の器量すら取り込もうとしてるのか・・・
・また見据えてるものが全く違うというか。一人「歴史の渦」に巻き込まれず冷静に見つめてる感すらあって。しかも、その渦から離れた場所から、歴史が求める時に必要な人・モノ・言葉を的確に取捨選択してるようなそんな感じがしてなりません。う~ん、どんどん勝海舟のイメージが妖怪じみてきました(苦笑)
・こんな感じで、野田勝はとても興味深いです。これって、野田さんについてのなのか、勝についてなのか自分でも解ってませんが(汗)
・今度野田さんの舞台が来阪した暁には、絶対チケット取って行ってやる!とか、海音寺潮五郎の「勝海舟」読んでみようかな・・・と思う程に(お二人を分けても充分)興味深いということです(笑)

○洋装土方初お目見え
・なんかもう山本土方の男前度が、これ以上は無理って位UPした瞬間(笑)
・けどネタはどうやら下ネタに近く、良くNHKが放送した、とちょっと吃驚。(山本土方の所作がやけに色っぽいので、どうしようかと思いました←どう もしなくて良いです^^;;)
・近藤と総司の呆れ方が非常にツボで、久しぶりにこの3人で無理なく笑えたなって感じでした。
・やっと「故郷」に帰った彼らに出会えたなとも感じた場面でした。

○おみつさんと総司
・有り難う、貴女が居てくれて本当に良かった……
・おみつさんが名前を挙げる度に、彼らの死に様や生き様を思い出しました。
・そして、おみつさんが最後に「みんな元気で良かった」の言葉に、何処かに居るであろう彼らの姿が浮かび、切なく暖かい気持ちになるなんて。
・おみつさんの気丈さと優しさがこれほど懐かしく、暖かく哀しいとは思いませんでした。
・総司への言葉「しわしわのおじいちゃんになって、昔はいい男だったんだって言われるのよ。あの時死んでればってね。」「私より先に死ぬなんて許さない から」には、ただ涙しか無く。
・また、それを受ける総司の表情が何とも………。きっと姉の思いも己の寿命も何もか「悟って」、だからそこ受け止めて、達観したような表情が…何度も言う ようですが、藤原沖田最高です!!
・しかしこの姉弟でこれほど涙するとは、多摩時代には想像もしませんでした。
・一環の場面は、沢口さんの本領発揮だとすら思いました(そういやこの方、朝ドラ出身だったんだと改めて思いましたよ/苦笑)。
・林太郎さんへ見せる「おきゃん」さは彼女なりの優しさだったんですよね…

○多摩の宴会
・えぇ。「婚礼の日」を思い出しました(涙)
あれから、何かが変わった彼らの姿が誇らしい筈なのに、どこか哀しいと思いました。
・けれど、彦さん(=小日向さん)は相変わらずでホントに大好きっ!あの暢気さや空気の読め無さが大好きですよ(笑)
・小島さんの「挨拶ネタ」が懐かしい(ほろ)
・音五郎さんの阿南さんの「大久保大和は似合わん」という台詞に、「彦馬が行く」の近藤を思い出し…、それでまた涙が零れました(間違ってるとは思うんですがね…それでも、彦馬での近藤@阿南さんが良すぎるので…)
・踊れない近藤の照れくさそうな笑顔が「かっちゃん」で、土方の様子が「多摩の歳」で、声を上げて笑う沖田は「試衛館の総司」だったのが、嬉しいのか哀 しいのか解りませんでした。
・葉っぱ隊…びびる大木…(難しいですね/笑)
 ↑なっぱ隊でした…土スタでのネタバレ見てたくせに、思いっきり間違えてました(^^;すみません。
・捨助は何処に居て雑な扱いしかしてもらえないんですね(笑)。けれど、彼なりに京で何かを得、成長してるんだと(希望含/笑)思います。

○宿での三人
・総司はこれが今生の別れになるんだと…
・土方に打ち込む瞬間に纏っている空気が変わったのには、ただただ息を呑みました。凄いよ藤原君…

○甲府での戦い
・もはや「軍」として機能してない姿に唖然としました。誰も火気を扱えないって…
・近藤の「隊を抜けたら切腹」の言葉に、彼等を引き留める言葉がそれしか残ってなかったのかと思うと、近藤の焦燥感や後のない状況が見えた気がしました。そして鳥羽伏見以降の彼が歩み、これから歩むであろう道の険しさは、彼自身の「思い=誠」だけではどうにもならないんだとも。
・今まで軍議の場で、近藤に「切腹」と言わさなかったのが、この回の為だけだととしたらホント計算された作りだと思います(悔←ヲイ)。
・新八の言い分も気持ちも分かるだけに、彼との別れは辛くて仕様がなかった。
・けれど、山南さんは「近藤さんと土方君の傍にいて『組』の行く末を見届けて欲しい」と言ったのに…。確かに「組」は無くなったけれど、土方も近藤も居るんだよ…と思う私が居ました。
・左之が去ることを決めるまでの表情が「揺れまくって」るのが見てて辛かった。
・「楽しいのがどっちなのか。」「今まで楽しかったし。近藤さんには感謝してる」と飾らない左之らしい言葉。なのに過去形で語られるのが、痛くて辛かった。そして、一度も後を振り返る事無く飛び出して行った姿が、美しいとすら思いました。
・彼らは最後まで「食客」や「仲間」でしかなかったんだなと。それは非常に貴重な関係なのに、近藤は何処かで彼らの思いを斟酌できないままだったのかと。そして、近藤・土方が何をもって変わったのか、それを新八・左之が理解してなかった事。彼らの間に横たわっていた溝の深さを、この期に及んで知り愕 然としました。
・ふと…山南さんの死は一体何だったんだろうか?!彼らの溝を綺麗に埋めることも出来ず、逆に彼らの溝を深めた事になったんじゃないか?と思ったりします。
・そして、新八と左之の居場所を無くした深遠な原因は、もしかして「山南さんの死」だったのかもと思うと。なんだかドンドン混乱してきました(何をやっ てるのか…私)
・斉藤の「この旗に拾われた。この旗を守る」の宣言は、胸が熱くなり。

○その他
・壬生大相撲の手形ネタすら回収するとは思いませんでした(笑)。けれど、あの時の賑やかさや華々しさを思い出し、現状との差を思うと泣けてきて仕方なかった。
・山岡様っ!!この方って、清河といい勝といい、なんか才走った皮肉の巧い(え)タイプの方の傍に居る運命なんでしょうか。もしそうだとしたら、気の毒っちゃ気の毒な運命だな…と思います(笑)
・野田勝&羽場山岡の場面は、緊張と弛緩と品が入り交じった絶品だったかと!!(喜)
・総司が連れて行ってくれと言う場面、前とはまったく色合いが違い…まったくもって三谷って脚本家ってやつは何てことしてくれるんだ!と悔しくなりました…(いや誉めてます)
・お琴さん、やっぱ「…」な感想しかなく。美男美女で見た目は完璧なのに(しくしく)
・今回の清水さんの演出は結構好きかもです(^^;

来週は古田さん登場ですね!!嬉しい!!(そんな事でしか楽しみを見いだせなくなってきてます…)
ところで…例のおねだり山南さん回想場面は来週ですかね…(先週からしつこくてすみませんです^^;)

2004年11月26日金曜日

懐かしく幸せな記憶。

 昨年7月の思い出です(古い話題でごめんなさい/^^;)
 今朝、某所でMariahの写真(子供に向ける笑顔)を見て懐かしくなったので、思わず上げました。

 昨年の来日コンサート。
 最終日(名古屋)の最前列及び終演後のGreets&MeatingがFCで当選するという、今までの人生において最大の僥倖がありました。今思い出しても夢の様だとしか思えない程の、幸せで濃密な時間でした。

 で、写真を見て何を思い出したのかと言うと。
 その時、隣になった方(FC当選者)がお嬢ちゃん2人を同行されてたんです。その方は、LIVE中ずっとお嬢さん達を前面に押し出しておられてました(笑)。
 というのは、Mariahは無類の子供好きでして、子供が居る場所には絶対来る!からなんです。予想通り、満面の笑みでMariahは降りてきてくれまして、周囲は大満足(笑)。
 で、己の欲望(愛情)の為には子供すら利用してしまうFAN魂を見せてもらったな~、と懐かしくなったんです(いや、その方のおこぼれをかなりもらったので、ホント嬉しかったです/笑)。 

 最前列は一度味わうと病みつきになりそうでした。最愛のアーティストと近づけるという事も然ることながら、やたらステージとの一体感が味わえるの事の素晴らしさったら!!感動的ですらありました。

 また、終演後のG&Mに至っては…。至福ってはこういうことを言うんだ・・・と、言葉の意味を噛締めるほどの強烈な幸福感でした。時間的には物凄く短くて、写真もサインも駄目という厳しい規制もありました。それでも、10年以上も想い続けた人と直接出会え、言葉を交わせたことの幸福感は、今以て表現できない程です(言葉っても、単語のみで声を掛けるだけが精一杯でしたが/苦笑)。
 しかも、実際に会ったMariahは想像以上に綺麗で、暖かく柔らかな雰囲気を漂わせていて…感動的ですらありました(すみません、FANの戯言だと思ってください/^^;;)。

 そして、私達(6名の集団でした)の時間が終り退室しようとした瞬間に、予想だにしなかった事が!!
 追い立てられる様に退出する直前、Mariahが私と向き合った形になり、その瞬間「Batterfly.」と私が着ていたシャツにコメントしてくれたんです!!。確かに、最前列だしもしかしたら目にとまるかも知れないし、Mariahが好きなモノを身につけていこう!と言うことで、蝶柄(ラインストーンで描線されてる)のシャツを着てたんです。
 が、まさか本当に気付いてもらって、コメントまでしてくれるとは望外の事で。その瞬間、体がふわふわと浮いた感じになり、何がなんだかわからない状態になりました(今思い出しても幸せで震える程です・・・/笑)

 あまりにも突然の事に愕然とし、気の利いた返答すらできず、ただ涙流しながら「Yes・・・」としか返せませんでした。が、心の中では、「生きてて良かった…今までMariah好きで良かった…」と混乱しつつも叫び続けてました(笑)。単なるFANに対してそういうこまやかな目線を配れるMariahだと解ったのが、何よりも嬉しかったです。

 兎にも角にも、G&Mがあると知った瞬間(受付してる最中)に腰を抜かし、Live中は叫んで踊りまくり、体が常に浮き上がってるような状態で、挙句帰路はずっと泣きじゃくるという、理性以上に感情が暴走した日でした。そしてそんな我が子を見つづけた母(同行しておりました/^^;;)は「大丈夫かいな。この子・・・」と本気で不安になったそうです(しかし、その状況見て大笑いしてたのも母ですがね/苦笑)

 さぁ。来年あると思われる来日公演、どうなるのか?!今度もFCで当ってくれないかな~(笑)

2004年11月24日水曜日

U2とDCの新譜感想

 前提:音楽に関する技術的なことも専門的なことも一切知らない、全く素人です。
    単に聴くのが好き、LIVEが好き、っていう単なる音楽好きなもので、深く語れません。

○『Destiny Fulfilled』by Destiny's Child
 初聴時の感想は、「へっ?これで終り?」と「なんかBeyonceのソロアルバムの構成と似た感じやなぁ」いうものでした。
 これは私が期待していたのが2ndや3rdの様な、「力強い」アルバムだったからだと思います。が、何度か聴くうちに心地よくなってくる曲が多くなりました。
 特に1.Lose My Breath~3.Cater 2 Uの流れがホント心地良くてお気に入りです。

 また、3人の声や歌い方が其々特徴があり独立してるのに、見事に融和してる感じを強く受けました。今までは、Beyonceを際立たせる為に他のメンバーが居るのかと思うくらいだったのに。今回初めて、Kellyの声が心地良く、私の好きな声だと改めて認識しました。
 な訳で、BeyonceとKellyが絡む感じが非常に好みです。

 アルバム全体のイメージも、今までのような「尖った」ものでは無く、変わらない芯はあるけれども全体が柔らかく丸みを帯びた感じに変わった気がします。各人がソロ活動した結果が、こうなったと思うと彼女達の今後が益々楽しみに思えます。

○ 『How To Dismantle An Atomic Bomb』by U2
 Fan歴20年の相方の言葉を借りますと、「Edgeがギターで語ってるアルバムだ!これこそU2」だそうです。
(相方、ごめん。おっしゃってる意味がよく解らないです...)

 私の感想は、好きな曲は物凄く「好き」だし、それ以外の曲は「ふ~ん」って感じのアルバムでした。前作の方がアルバムとしては「好き」かもしれませんです。

 で好きな曲ですが、先行シングルの『Vertigo』に止めを刺します。やっぱり格好良いとしか言いようが無いです。曲全体を支配する何とも言えない疾走感が堪らなく好きです。
 2曲目の『Miracle Drug』と3曲目の『Sometimes You Can't Make It On Your Own』は、生理的に気持ち良い感じがあって好きです。
 今回のアルバムで一番ツボに嵌ったのが、5曲目の『City Of Blinding Lights』。メロディーは綺麗だし、疾走感や若さも感じられるし、なんか懐かしい感じもするし、ホント物凄く好きな曲です。

 歌詞とにらめっこしながら聞き込んでいた相方は、どうやら『Sometimes You Can't Make It On Your Own』と11曲目『Yahweh』の歌詞がお気に召されたようです。

2004年11月22日月曜日

新選組!46話【東へ】感想

 時代の変化する速度に目が回りそうな回でした。正直、途中から感情が付いていかず、呆然としまま次回持ち越しです(苦笑)。
 また、認められるのは時間がかかるけれど、失墜する時は雪崩の様だと「擬似体験」させられた回でもありました。

 佐々木様、山崎、大先生が亡くなった回でしたが、彼等の死は彼等の生き様そのもののだったと思えて仕方ありません。

以下雑感

○佐々木様
 佐々木様が撃たれた場面。その瞬間「な・・に・・・っ?」と言葉を失いました。心棒が無くなった感じがしたのか、余りにも無駄死だと感じたからなのかは、よくわかりません。ただ、最後まで「忠誠」を尽くした(恐らく彼自体が矛盾を抱えながらも)佐々木只三郎の死が哀しかった。
 そして、近藤に「徳川を託す」と言い残した事。そして、その言葉を受け止めた近藤。「奇麗事」だと言われる向きもあるでしょうが、私にとっては佐々木様の生き様が最後まで貫かれた場面だと感じてます。それは、あの場面に無念や潔さ、そして何より近藤への「信頼」が伝わってきたからだと。
 このドラマの中で江戸~京都で佐々木様と近藤が築いてきた「関係性」に、齟齬が無かったからこそ、すっと入ってくる場面だった思います。
 伊原さん、お疲れ様でした。(陽兄ちゃん!!大好きっ/違)

○山崎・・・・・(号泣)
 最後まで「務め」を忘れず、確実に仕事ができる唯一の「隊士」だったと思います(このドラマ内でですが/苦笑)。だから、「顔覚えられてしまいます」の言葉に、傷の痛み以上に「監察方の仕事が出来なくなる」事の悲しみや辛さが伝わってきて、どうしようもなく哀しくてなりませんでした。
 そして船上での静かな死。山崎らしいな・・・と思えてなりません。山崎が斬られた場面から近藤・永井会談の場面に移った時、本当に頭が付いていかず「えっ?!なんで城内????なんで永井様が居るの???」と混乱するくらいで・・・そんだけ山崎って大きかったです。

 桂吉弥さん、本当に本当に素敵な存在感のある、山崎蒸を有難うござました。

○周斎先生
 最期まで田中周斎先生だった(笑)。
 周斎先生が勇に言い残したかったこと、つねちゃんとふでさんが「きれにまとめて」(笑)ちゃんと伝えてましたよ。

○八木さんご一家
・あぁもう、為三郎っってば(泣)
・八木ご夫妻。受け入れたばかりの言葉を思い出しました。 
 今回の「何も悪いことしてへん」の言葉に、近しい人にだけでも彼等が理解され信頼を得ていたことを感じ、嬉しかった。
・ひでちゃん、有難う。あの群衆の中で勇気が要った筈。
・京に登って八木さん家にお世話になったのは、僅かな期間(放映回数としても)なのに八木ご一家が画面に出てくるだけで、懐かしい思いがします。
・試衛館メンバーにとって、八木さん家って明るくて懐と情が深くて一番心地良く安らげた「家」なんだろうなと。そして、もしかして再び京に帰ることがあったら、戻りたい場所なんじゃないのかと。今振り返るとそう思います。だから、左之はおまさちゃんに「何かあったら八木さん家に行ってろ」と言えたんだろうと。

○京の女子衆
・お登勢さんっ!!やっぱり一番男気があるのは貴女ですよ(涙)
 戸田さんがお登勢さんで良かったと、ホント思ってます。大好きですよ~!!
・長州を匿っていた時と新選組を匿った今回、ほぼ同じ台詞。回想場面は無くても充分「回想」できる創りと、戸田さんの巧さに感嘆してます。
・小常の最期の言葉が…。
・「ナース」なお孝が活気付いてて、かなり可愛らしいと思います(笑)。優香のああいう雰囲気は好きだな。

○新選組
・漸く土方が踏ん張りだした事に安堵しました。彼の適応力や勘の良さは相変わらず健在で、それが何より嬉しいです。
・でもね、尾形君が書き留めてた文書は焼いちゃ駄目ですっ(涙)。それは、山南さんの遺志なんだよ・・・あんたは何で山南さんが「託した」ものを、こうも無意識に切り捨てていくかな・・・土方(泣)
・3年前の組織図を大切に持ち帰っても、山南さんの思いは残らないんだよ…
・ふと思ったんですが、ここら辺りで例の藤原君おねだり回想場面があったりしたんじゃないんですか????もしかしてカットですか?????(すっかり疑心暗鬼/苦笑)
・斎藤が過去に対して肯定的な発言をしたのは、もしかして初めてなんじゃないでしょうか。
・船上でのあの物真似は一体?(内輪受けに近いと思うんですが/苦笑)
 山本耕史君(あれはもはや土方では無いです・・・)が活き活きしてたので良いとは思いますが(良いのかホントに/笑)。
・左之とおまちゃんの「お茶目」な遣り取り、今回で最後かと思うと笑ってられないんですが。それでもおまちゃんの「(死んで帰ってくるのは)それはいや」には噴出しました(笑)やっぱこの夫婦は可愛くて、大好きですよっ!!
このまま清に渡って、盗賊の親分(違うかな?)になってくれっと思うくらいです(笑)
・左之が隊服着たの初めて見ましたが、似合わないよ~(笑)
・新八は男前ですね・・・しかし、小常との最後は切なかったです。
・ふでさんと勇の場面は、感無量でした。やっぱ野際さん巧いよなぁ。
・つねちゃんと抱き合ってる場面の勇が、前半とは全く違うことに驚きました。香取、凄いよ…

○幕府
・やっぱり野田勝海舟でしょう!!
・この方は本当に読めなくて、この方一人に周囲が翻弄されてるのが見えて何とも言えず楽しいです(^^;
・そういった意味で野田勝海舟は適役だな~と改めて思います。
・しかしながら「新選組では時代の波を止められない」と勝に言わせた事に、「終り」を感じました。
・兎に角、野田勝海舟の台詞は全部好きです!!あの嫌味な台詞をあれほど絶妙な言い回されたら、もう笑うしかないですよ、ホント。三谷さんの野田さんへの信頼とか好意が見えました(笑)
 (野田さんも脚本の意図を確実に理解されてるからこその、勝海舟像だと思う)
・えっと…。とりあえず榎本については、感想なしってことで良いですか(苦笑)
・会津の追い込まれ方が、切なくなってきました。容保公・・・頑張れ・・・

○その他
・あちこちに落としてた台詞の回収速度が早くなって、回収される度に回想させます。
・回想される場面で発せられる言葉の色合いが「輝くばかりの白」とすれば、今は「灰色がかった白」なんですよね。それらが見せるコントラストに彼等が居る場所の変化を感じます。(こういった辺りの巧さは流石だなと思う)
・台詞が回収されるってことは、今まで「無駄」な台詞が無かった事だと思うんです。そして、役者さんもきちんと意図を理解して「言葉として発してた」から、今になって生きてくる言葉が多いんだと。

来週は遂に甲陽鎮部隊ですか…はぁ


○その他(愚痴)
・演出…清水一彦…って見た瞬間から身構えるようになりました(-_-#)
・しつこいのは判ってますが、何度でも言います。
・やっぱり不安的中で「アップだらけの映像」と「無意味な風景」にげんなりです。
・そんなこんなで、カット場面が多かったりしたら本末転倒だと思いますよ。
・特に勝と慶喜の会見には、はっきり言って苛々しましたよ。なんで、野田の全身写して見せない???表情以上に身体表現してるだろうよっ?!彼等なら・・・
・身じろぎ一つにも意味がある筈だし、それらを受ける容保公他幕臣の身体反応を見せたほうが、どれだけ伝わるものが多いか・・・。それを全部無くしてしまうってどういうこと?!
・今回は今まで以上にテンポが遅く感じました。全体が間延びしてるというか、噛み合ってないというか…
・画面見ずに音声だけ聞いた方が、いろんな事が伝わるって一体どういうことなんでしょうかね(やれやれ)

2004年11月18日木曜日

『First Of Vision』By Mariah Carey

 昔むか~し、VHS版の購入を考えあぐねている間に廃盤したMariah最初の映像作品が、漸くDVD化されたので早速購入しました。

 初見の感想ですが、彼女の色褪せない輝きとその才能に圧倒されました。
 また、デビュー当時だからこそ見える「野心」とか「戸惑い」や「スター以前の彼女の姿」なんかもあり、現在のMariahの輝きとは色合いが違うことに惹き込まれ、無言で見入る状況でした。

 収録されているLIVE場面全てが鳥肌が立つほど素晴らしく、この時期のMariahがホントあらゆる面での可能性を秘めてるのがよく解ります。ありふれた表現ですが、ダイヤの原石とはこのことかと思う程。しかも、一緒に見ていた相方が「(ハイトーン~通常の音程に直戻り、ぶれないのを聞きながら)この当時の声は凄いな・・・。しかも、ハイトーンの音程も調節できるって凄い才能やな」と呟くほど、完璧な声です(最近は囁き声っぽくなってしまってるので、あの高音から低音に上下する気持ちよさが薄れてるのが哀しい/苦笑)。
 また、「音楽が好き」「歌が好き」と伝わる事はこの当時から今も変わらず。この人から「音」は切り離せない、それが強く伝わります。
 
 その事ががより密接に伝わるであろう、小さなLIVEホールでのツアーやって欲しいなぁと切実に願います(どれだけ高くても絶対行きますから!!)。

 これは以前から思ってることなんですが、JAZZのスタンダードナンバーでアルバムを是非作って欲しいです(今回解説にも書かれてのが、わが意を得たりでかなり嬉しかった)。物凄く雰囲気があり豊かな声で歌唱力もある。となったら、JAZZでじっくり聴かせ、魅せる方が良いじゃないかとこの5年近く思い続けてます。今のHIP-HOP系も良いですが、やはり「しっとり聴かせる」方向に行って欲しいので。
 極東の一FANからのささやかな熱望でした。

2004年11月15日月曜日

最終話近くなって思うこと。

 下で散々感想書いたんですが、ここに来て、「ちょっとこれは、無いよな」と思う事があったので別項設けました(45話のみだけじゃなく、これまでの事も含むので)。

 以下、軽く(なのか?!)毒気ある文章になってると思いますので、それでも良いと思われる方だけ。

 まず、恐らく賛否両論あるであろう「源さんと勇」の場面について。
 手法としては無茶ベタで、まさか三谷がこんなベタな手法使うなんて!?若干驚きました(カットされたらしい、鴨の部屋で悪夢にうなされる伊東センセってのも、あったらしいので驚くことでもないのかも)。また、突拍子も無いといえば突拍子も無い場面だったようにも感じました。更に言うならば、総司と源さんとの関係性は置いてきぼりかよ?と思ったりしたので。そういう意味で若干違和感があった場面ではありました。
 
 が、源さんと勇さんとのこれまでの関係を考えた場合必要な描写だったと思うし、そう納得できる描写に押さえていたと感じています。また、残り話数的に源さんの死をあまり引き摺れないってのもあるだろうし(嫌らしい見方ですみません)、あそこで余韻を絶つのは妥当かと思います。

 次に、恐らく賛否の否が圧倒的に多いと思われる(失笑)源さんが撃たれる場面の特殊効果。
 あれは何やねん!?。
 今更、しかもあの場面で『マトリックス』ですか?!。あの瞬間、涙思いっきり引きました。

 CGや特殊効果を使うことが悪いとは言いません、が使う場所を間違ってませんかと言いたいんです。沖田喀血の時もそうですし、今回の源さんもそう。役者さんの演技だけで充分伝わるし、何も処理しない方が緊迫感なり切迫感があると思うのに。充分それだけの演技をされてますよ。
 正直、あのCGは役者さんの渾身の演技に対して失礼じゃないのか?と怒りを通り越して呆れるばかりす。

 正直、今回の大河「三谷作品」だということで「新しい風を」と思っておられる向きもあるでしょうが、その新しい風ってのは「特殊効果」を入れることだったりじゃ無いと思いますよ。はっきり言わせてもらいますが、無駄な特殊効果や無意味な風景(屋根とか鳥とかの諸々)は要りません。それを入れることで時間が無くなり、その結果「必要な台詞」や「演技」が編集でカットされたとするのなら、本末転倒だとしか言い様が無いです。

 三谷作品は良くも悪くも「舞台」から逸脱してないと思うんです。だからこそ、アナログな手法で画面作りをする方が「綺麗」に纏る筈だと思っています。

 また、役者の顔(表情)ばかり追いかけるのも不自然だと言いたい(前にも書きましたが、この期に及んでもと思うと遣る瀬無さ過ぎて)。大枠の構造が舞台から逸脱してないと思うから、台詞を言ってる役者の全身の「演技」を見たいと思うし、その台詞を受けて「演技」してる様を思うし観たいんですよ、私は。
 確かに、台詞を言ってる人の表情も「大切」だとは思います。が、それを周囲にいる人々がどういう反応をしてるのか?!それも伏線の一つだと思うんです。
 それを、バッサバッサ切ってしまってるから物凄く「中途半端」で「曖昧」な台詞になってる気がしてなりません。その所為で台詞の意図が見えなくなってしまってる。
 で、「解り易く」する意図があるのかは解りませんが、そういう小細工な画を入れたり創ることで益々混沌としてるって間違ってませんか?編集方針が。
 「解り難い」のが最高だ!とは言いません。が、「見てる人全員に解り易い」ドラマなんて真っ平ごめんです(酷)。「万民に解り易いドラマ」ってのを求めるのなら、「三谷幸喜」で「幕末」で「舞台役者」中心にする必要は何処にも無いと思いますよ。彼等は他の役者さんが台詞を喋ってる間も「役」として舞台に居るわけです(そういった脚本でもあろうし)。そういった場に身を置いてる彼等の「持ち味」を見せるのが、プロなんじゃないかと思うわけです。

 で、未だに言われてる「『史実』と違う」に関して(未だにこの部分に拘って掲示板であれこれ文句言う人には吃驚ですよ/笑←すみません。思い切り嫌な奴ですね)。
 私自身が新撰組の「史実」は知りませんし、「ドラマはドラマ」と思ってるので端から文句言う気も無いです。大体「大河ドラマ」は「歴史ノンフィクションドラマ」だなんても露とも思ってないんで(笑)。
 それでも、油小路と今回の「鳥羽伏見の戦い」はあまりも端折りすぎなんじゃ無いかと思えてなりません(意図するところは解るけど)。
 役者さん達の熱演に惹きこまれて細かな部分流されてますが、冷静に思うと辻褄が合わない部分があって。しかも、全体像が殆んど見えないので今彼等がどういう状況に在るのか(陣取り等)が解らず、単に土方や近藤、源さんたちの言動で推し量るしかない(その手法は別に構わないです。逆に好みの手法)。だから、余計に唐突に思えたり、この期に及んですら置いてけぼり感があったりするのはどうなのかと。

 脚本の所為なのか、編集で切られる場面がある所為なのか、その辺は窺い知れませんが非常に気持ち悪いモノがあるのは事実です(三谷ドラマは歴史ドラマには成り得ないし、不向きだと思っているにも関らず、なんですけどね/失笑)。

 けどなんやかや言っても好きなんだよな…このドラマが。

新選組!45話【源さん、死す】感想

 遂に終わりが近づいた、ホントに終わるんだ・・・、と実感させれられた回でした。
 源さんの死で、多摩~京都時代(=駆け上がって行った時期)が幕引かれ、後は落ちるしかないんだと強く実感しました。そして何より、大きな喪失感を感じた回でした。

 それしか感想が無いです。
 何を書いてもこの喪失感は埋まらないような気もしますし、一つ一つ取り上げてみても何も落ち着かない様な気もしてます。それだけ、小林源さんの「存在感」が大きく安定していたって事なんだな…と改めて感じてます。
 今年一杯「井上源三郎で居させてください」とおっしゃっている小林隆さん。なので、この話では「お疲れ様でした」とは言いません!


以下雑感

○源さん
・台詞の一つ一つが重くて、温かくて、最後まで「源さん」でした。
・血気に逸る若者達を押さえる姿に、これまで多くの若者が「逝く」事に対して苦渋の決断をしてきた源さんの姿を見ました。
・沙汰がある度に土方と寄り添い、ともに苦悩して、土方の決断を支え、己を無理矢理納得させてきたのは源さんだけだったんだな…と彼の持つ「強さ」を見ました。
・「大人」が居なくなって「若者」ばかりの組織になって行く事が、怖く哀しくてなりません・・・
・決して目立ちはしなかったけど、要であり支えであり重石であった源さんが大好きです。

○源さんと土方
・土方の血気盛んな部分や、脆さ、強さ、幼さなんかを全部受け止めて、ゆっくり静かに背中を押してたんじゃないかと思います。それを土方も解っていたからこそ、最後まで源さんには甘え、鬼ではない「人」としての「柔らかさ」を保ちつづけていられたのでは無いかと思ったり。
・土方のぐだ泣きはもうこれ以上見たくないです…勘弁してください。なんであんなに子供みたいに泣くかな・・・悲しみや悔いなんかが全身から見えてしまって、堪らないですよ、ホント。
・鬼の決断を下す土方、それをフォローする源さんが居て(其処に冷静な判断を下す総長が居て)なんとかまとまりを見せていたのに・・・。これらの役割を今後は土方一人が背負い込むことになるんですよね…。恐らく今後は「動揺」することすら許されなくなるんでしょうね…
・しかし、土方が徐々に「時勢」を見極める力(視野)を身に付けているのは、初回から比べると隔世の感がありました。恐らく山南さん・伊東先生の死以降、彼なりに思い身に付けていったんでしょうね。ホント、人の死を無駄にしないドラマだと・・・

○源さんと勇さん
・源さんにとって「近藤勇」は最後まで多摩の「勇さん」であり試衛館の「近藤先生」だった。決して、新選組の「近藤局長」では無かったような気がします。(それはある意味凄い愛情だと思う)
・最後の場面。ここに至るまでの源さんと勇の関係性が、きちんと描写されてこその場面だったと思います。細かな挿話の積み重ねがあるからこそ、観てる側も「腑に落ちる」んだと。

○その他
・お考の明るさに随分救われてます。優香は「お考」役のほうが活き活きとして見え、違和感無く物語りに溶け込んでるような気がします。
・総司と近藤の関係性の深さは、言葉にしなくても解るもので。互いに言葉の裏にある「思い」を汲取れるだけの年月を経てきたんだと。
・近藤が総司に告げる「表」の言葉は、単に総司の背中を押すだけの役割。それをちゃんと汲んで対応できる総司の聡さと近藤の深さが愛しいです。
・松本良順先生っ!!この方が画面に居ると、軽やかで穏やかな雰囲気になるような気がしてなりません。
・塹壕から飛び出して行く若者達が楽しそうで、まだまだ大丈夫だと思わせられて。少しだけ救われました。有難う・・・(左之の明るさには救われてます。ホントに)
・このところ島田の言葉に泣かされっぱなしです。混ざり物の無い「まんま」な台詞だから余計に胸打たれます。
・斎藤が「官軍」を斬っていく様子は、弔い合戦を観てるようで・・・。彼の悲しみはああやってしか表現できなかったんだと思うと、更に辛くて(斎藤の表情が痛々しくてどうしようもない)。
・岩倉、大久保、西郷会談は回を追うごとに胡散臭さが薄くなっていってませんか?(胡散臭いのは胡散臭いんですが/笑)。「国を変えるのには古いものを一掃しなくては」という西郷の言葉に、薩摩が長年持ちつづけていた「徳川家への恨み」を感じたりします。決して、薩摩だけが「悪」として描かれては居ないと感じるのもその辺りにあるのかも・・・
・慶喜公、が一番胡散臭かったと(笑)
・しかし、此処に来て容保公の苛立ちや焦燥感や諦観なんかが透けて見えてきて、筒井君の線の細さ(体格ではなく雰囲気)と相まって、何ともいえない悲壮感を感じるようになりました。
・やはり清水一彦演出とは徹底的に相性が悪いようです(苦笑)居心地悪い・・・

来週は・・・佐々木様が・・・(泣)
いやそれより、野田勝再登場を楽しみにしなくては!この一週間持ちませんっ

2004年11月13日土曜日

ぶっ飛びな噂。

 ○ マライア・キャリー、新作情報と引退の噂?(braks)
 再来週結婚する友人と飲んで、かなり良い気分で帰宅したところにこのニュース。お陰ですっかりほろ酔い(幸せ)気分がぶっ飛びました。
帰りに寄ったたこ焼き屋の親父に「彼氏おらんのか?可哀想に。明日から頑張りや」と慰められても幸せ気分続行してたのに(いや…既に相方持ちなんで…見当違いの方向で慰めてくれるなら、おまけして欲しかった/笑)。

 リンク先が時間が経つと消える可能性があるので 記事引用します。
マライア・キャリーのニュー・アルバムに関する情報と、さらに彼女に引退の噂が立っていることをVibe.comが報じている。
まず、'02年リリースの前作「Charmbracelet」以来となるマライア・キャリーのニュー・アルバムは、今年中リリースの噂もあったが、所属レコード会社のアイランド・デフ・ジャムによれば現在のところ、来年3月1日のリリースが予定されている。アルバム・タイトルは未定だが、スヌープ・ドッグとネプチューンズのファレル・ウィリアムをフューチャーした「Say Something」という曲が先行シングルがリリースされるという。
また、ジェイ・Zを始め、早期の引退を宣言するアーティストが増えている中で、マライア・キャリーにもその噂が広がっており、もし次のアルバムが予定通りにリリースされなかった場合に、彼女が即引退する可能性が高いとVibe.comは伝えている。
                                 K.Omae, LA
[BARKS 2004年11月11日]


 引退の可能性って・・・。
 正直、引退して欲しくないような、表舞台から綺麗に去って行って欲しいような、そんな微妙な思いを持ってる私にしたら、何とも微妙な記事です(苦笑)。

 ただ、彼女から「音楽」取ったら何も残らないと思うんですよ。音楽が彼女の全てだと言い切っても良いほど、彼女と音楽は切り離せないものになってるのが伝わるんですよね。
 それこそが、私が彼女の作品に対して抱き続け、1st『Mariah Carey』から『Charmbleslett』まで一度も変わらない「印象」なんです。実際、商業的にどうであろうと、彼女と音楽との関係性は常に密であり蜜月であり、幸せなモノだと思います。だからこそ、彼女が紡ぎ出す声や音が私にとって非常に魅力的なんだと思ってます。

 将来的に万一表舞台の顔である「歌手」としての引退はあるにしても、音楽を「創る」事は止めないだろうし、音楽と共に歩んでいくだろうと信じてるし、どうでもいい記事っちゃ記事なんですけどね・・・(苦笑)
 このニュースはホント色んな感情呼び起こしてくれました。

 しかし、新作は3/1発売で確定みたいですね☆(HipHop色が強くなってたらどうしよう・・・それだけが不安だったり/笑)


2004年11月10日水曜日

ちょっと吃驚

○U2、ニュー・アルバムがネットでリーク(BARKS)
 これのお陰で目が覚めました。ニュースタイトルの件は、昨夜相方より聞き及んでいたので、それ程驚きませんでしたが、「これがMacの噂サイトに載るんやもんな・・・」と明後日方向の驚きを覚えたのも事実。

 何に驚いたかと言えば、次の個所(上記サイトより抜粋)
U2の関連ニュースとして、ドラマーのラリー・マレンは、俳優としてのキャリアをスタートすることに興味を示しているらしい。Ananova.comによると、マレンはミュージシャンは最高の職業だが、何か新しいことにチャレンジしてみたいと話したという。「俳優に挑戦してみるというのは、いいアイディアかもしれない。バンドはいつもやりたいことだったし、今はそれで生活してる。最高の職業だと思うよ。でも、今はみんな家族も持ってるし、いろんな面で変わってきた。以前のような自由がないんだ」


 いや…確かにラリーは正統派男前な顔立ちです(断言)。DVD(LIVE&PV)でも、映る度に「くらっ」と来る程の「綺麗」な顔立ちだと思います!(一時停止しても充分鑑賞に堪えうる造作って、ホント珍しいと思います。どこで止めても「男前」なんてある意味奇跡的ですよっ)

 けど、彼は絶対俳優向きの個性じゃ無いと思うんです(--;;。強引に系統付けるとすれば、「モデル系」じゃないのかと。だって、今までだって人目が嫌だから辺鄙な場所に自宅作って、その周囲をバリケードで囲って周辺住民と揉めたとか、「『Discotheque』のPVでのやる気の無さとかで判断する限り、絶対衆人環境で「演技」できるタイプじゃないですって(いや、そういった意味ではモデルも難しいと思いますが・・・)。

 ラリーの魅力の一端は、職人さん的に直向にドラムに向き合ってることであって、決して「演技してる」ラリーでは無いです(よく解らない理屈ですが)。
 つうか...突然どうしたんだろう???ボノが何かけしかけたのか?!と少々穿ってみたり(笑)

2004年11月9日火曜日

わんこ撮影会


 相方と一緒にわんこ撮影会をしてきました(笑)。

 実家に来てから約1ヶ月。
少し大きく犬らしくなり、そして当初の「おっとり」さは綺麗さっぱり消えうせ、「やんちゃ」な愛らしさに変わってました(どうやっても可愛いのは変わらない辺りが、馬鹿ですね〜)。

 先週半ば、初シャンプーを体験させてみたのですが、お風呂嫌いが発覚し散々でした(涙)。
お湯に足をつけた瞬間からもがき始め、必死で人の顔を舐め甘えた振りして抵抗し、何とか洗い終えた後は脱兎の如く逃げるという、予想外の展開に母共々呆然とするしかありませんでした。
 今後どうしようか、と次に向けて策を練ってます(笑)
(つうか人に全身撫でられるのは大好きなのに、なんで嫌うかなぁ。ホント謎です)

 で、昨日の撮影大会。
 母がどうやら毎日カメラを向けてるようで(えぇすっかり親馬鹿になってました/笑)、フラッシュにも驚かずカメラに突進してくれるほどの愛想良さ。そして、人が座ってるとすかさず膝の上に乗せろとアピールし、抱っこをせがむ図々しさにくらくらしました(結局可愛い)。
 で、撮影会前日に脱走しご近所の方に捕獲されたらしく、早速綱(引き綱ですが)に繋がれてました。その話しを聞いた私と相方の感想は、「脱走したら『こんなに可愛いんやから』連れてかれるやん」で、その感想を母は満足した面持ちで聞いてました。ほんと親ばかです(笑)。

 首輪と綱への反応は、意外と諦めのいい子で、私達が行った時にはすっかり慣れて気にならない様子でした。ホントに手のかからん子やなと相方共々吃驚する程、普通にうろちょろしてました(抵抗すらしなかったそうですよ。なんとも鈍な)。

 両親ともにメロメロな様子を見て、かなり甘えたなやんちゃお嬢になりそうな予感がひしひししてまして、当初予定とだいぶ違うよなと(笑)
(とは言え、ご近所さんにも「愛想良し」のお嬢として認識されたようなので、ちょっと安心です。)

さぁ今週末は漸く「予防接種」です。彼女の反応が非常に楽しみだったり(^^)

映画【笑の大学】

 観終わった後、もう一度西村雅彦&近藤芳正の"舞台"で見たいと痛切に思った作品でした。
そして、「三谷脚本、大好きっ」と再確認させられた作品でもありました。

以下雑感

 実は幸いにも"舞台版(初演)"を観てるんです。また、自力でチケット取って行った最初の舞台でもありました。今以て、西村&近藤両氏の台詞回しや表情、居住まい、そして劇場を支配していた緊張感、笑いを覚えてるほどの初体験をさせてもらった舞台です(後にも先にもこれほど衝撃を受けた舞台は無いと思います)。

 舞台の印象が余りにも強く、今回の映画化には不安を感じていました。が、杞憂に終りました。
 舞台版では、ほぼ50:50だった向坂と椿の視点を、向坂に重心を移したにも関らず全く違和感がなく、しかも舞台と違う「笑の大学」という作品になっていたと感じます。そういった脚本監督の手腕には、感嘆するばかりです。

 まず役者さんについて。
 向坂役である役所さんが兎に角素晴らしかったです。何が、何処がって表現するのは無理だと思うし、必要ない役者さんであり「向坂」でした。

 一番の不安材料であった椿役の稲垣さん。
 滑舌の悪さは気になりましたし、役所さんと比較するとどうしても技巧や所作なんかは見劣りするんです。ぎこちなさが目立つというか。が、それ故に「映画版 椿一」が存在していたと感じます。決して対等な存在では在りえないのに、同等に近いモノとなってる不思議。そして時折見せる「集中力」だったり、醒めている雰囲気自体が映画版椿として存在し得た理由かと思います。
あと、順撮で良かった…と思わせられました(笑)

 そして脚本
 無駄の無い台詞の数々とか、一つの台詞を状況を変えトーンを変える事によって意味合いを変えたりする辺りは、流石だなと(コメディ部分で使った台詞を最後の場面で持ってきたり等々)。
 ある意味、三谷作品の要素の全てが詰まってると感じたりしました。

 そして、何より「本を書く」そのことに三谷幸喜がどれほど「尽くしてるのか」。その一端を見せられた気がします。どの作品も「創る」事に拘ってるなと思うんですが、「脚本を書く」事そのものを此処まで抽出した作品は無いんじゃないのかと思います。そして、彼なりの闘いを「楽しんでいる」とも思わされる場面の数々。三谷幸喜にとっての「喜劇」とは何なのか、それに対する答えの様な気がしてなりません。

 また、この作品、時代背景が昭和15年であったり当時の検閲制度を狂言回しに使ってたりするので、「すわ社会問題を扱った作品か」と思うんですが。鑑賞中も後もそういった「設定」を意識しないし、忘れてる作品なんですよね。単に「可笑しい」とか「哀しい」とかそういった個人的感情に訴える作品であって、肩肘張って脚本の意図を深読みし「現代」を語るようなそんな作品ではないと思います。
 時代背景やその他の設定は、単にドラマに深みを持たしたり、更に可笑しく(合理的に)なるために必要な借景という意味しか無いような気がします。
(大河も同様の構造か。三谷幸喜が描きたい「ドラマ」に必要な借景が幕末であり、新選組だったと。だから、台詞の一つを取り上げて「現代日本に〜」云々というのは正直違うんじゃなかろうかと思います。確かに台詞は計算されてるし練られてるけれども、それはあくまでも「ドラマ」として必要かどうか。人物に相応しいかどうか等々だけの意図しか無いと愚考してます)

 で、舞台版を思い出しました。
 西村さんの向坂はある種の「冷たさ」や「鋭さ」があり(言うなれば氷の壁)、それが近藤さんの椿の「暖かさ」や「柔らかさ」と向き合うことでどんどん溶けていく、また、対する椿は向坂との遣り取りで「硬さ」なり「熱さ」「鋭さ」を見せて行く、そんな対比が素晴らしかったと記憶してます。
 が、役所さんの向坂には「冷たさ」はあまり感じなかったものの、「硬さ」や「鋭さ」何より向坂が根底に持っているであろう「素朴さ」や抱えてるモノの「複雑さ」なんかを感じました(映像の力だと思います)。それが、椿と向き合うことで表面に現れてくる。そして、椿は全く変わらずなんですよね(苦笑)
それが舞台と映画の大きな違い(三谷さんがパンフレット等でコメントされてる意図は正確に観客に伝わってる筈)。

 どちらが好みかと聞かれたら、やはり「舞台版」の方と答えます(^^;;あの臨場感とか緊張感とかは、舞台向だと思うので。(パルコさんDVD化してくれんかな)

 ただ難を言えば、最終部分が若干冗長と感じました。舞台版のように「本直し」で終幕なのも映画としてはどうかとは思いますが、向坂と椿の頷きあいは私の好みでは無かったです(ここいらは単に好みの問題だけだと思います)。

2004年11月8日月曜日

新選組!44話【局長襲撃】感想

 バラバラだと感じた「組」が纏ったと感じた回でした。そして、組だけでなく幕府側の立っている坂の下り勾配がどんどんきつくなり、加速度的な下りが遂に始まった、とも感じた回でもありました。
 しかも、下り勾配に立っていることだけでしんどい筈なのに、尚も均衡を保とうとする者、見切りをつけつつも出来るだけ傷を負わせないようにする者、そして最後まで支えようとする者の姿。恐らく彼等の力は「歴史に逆行する」ものなんでしょうが、今まで以上に力を尽くそうとする彼等が見せる「様」には、悲劇と滑稽さだけは無い何かがあるような気がしてなりません。

 そしてこんな時勢だからこそ、其々の立場や生き様がどんどん露になってきてる様な気もします。

 こうもじっくり壊れていく過程を見せられるとは、正直予想外でした。回を追う毎に、立ってる場所が不安定になり、積み上げたものが音を立てつつ(しかも静かに)瓦解していく様には感情が揺さぶられっぱなしです。

以下雑感

○水戸藩との諍い場面
・このところ頓に近藤が発する言葉が、重みと凄みを増してきたと感じます。
・二条城での言葉は、これまで5年間に彼が負ってきた傷や痛み。そして、止むを得ず命を奪った者達への「悼み」を感じました。更に、生前の彼等と過ごした時間に対して愛惜をも感じてるんだなと。
・その言葉は、彼が決して土方の傀儡や、だたの「いい人」として無為に過ごしたのでは無く、彼自身が決断し何かを得、喪い、そういった何もかも内包するだけの成長を遂げた。そして、今ある近藤や新選組となったんだと感じた場面でした。
・それ以上に、「死者を愚弄した」という言葉の重さ。隊士だけでなく不逞浪士の「死」すら彼等は背負って前線に立ってたんだと。
・前線に立って「命の遣り取り」をしてきた者達と、高みに立って眺めていた者達の視野の差。同じ幕臣と謂えど此処まで差が生まれるものなのか。それが鴨が居た水戸藩だった事に、僅かながら衝撃を受けました。
・幕藩体制が崩壊した理由の一端を見せた場面だったとも思います。あくまでもお上はお上の論理だけでしか見てないし、末端の動きや意思は見ようとすらしなかった、其処が最後まで求心力を保てなかった理由なのかと思ったり。
・しかし、どこまでいっても「身分(出自)」「立場(肩書)」と個人とを切り離せないことは、今も昔も変わりなく(苦笑)
・土方の「命の遣り取りの方法。お教えしますよ」に、彼の強さと抱えてる傷を見た気がしました。

○沖田総司
・沖田が画面に出てくるだけで痛々しくてなりません。
・素晴らしいよ!!藤原竜也!!
・透明感が更に増し、病床にあるというのにある種の力強さと無邪気さが増したような気がします。
・しかも、あらゆる感性がどんどん研ぎ澄まされていき、人で無い者に成っていってる、そんな風情すらあり。
・お孝と土方との遣り取りが温かく、その温かさが切なくてなりませんでした。
・斎藤との場面。互いが無いもの強請り(表現悪いとは思ってます)で、互いが羨ましくて。それでも互いには成れないし、交わることも無いもの同士が瞬間だけ交差した場面だと思うと。
・久し振りに微笑ましい場面が多く、嬉しかったのも間違いなく(笑)
・皆から「寝てろ」と言われ不承不承戻っていく姿が、余りにも稚くて。皆総司を大切に思ってるんだよっと首根っこ掴んでやりたい気分になりました(間違ってます)

○その他
・伏見に赴く、と隊士達に告げる場面と「新選組誕生」の最後の場面が重なりました。
構図はほぼ同じなのに、夕刻と(恐らく)日中と光の強さも違えば、幹部連の数も違う。本当に黄昏なんだと意識させられた場面でした。
・広沢様と小森様が近藤を頼る。彼等が最後に縋ったのが近藤(新選組)だった事に、会津の置かれた状況の切迫感や幕府内での立ち位置の微妙さなんかを感じました。つうか本当に辛い。
・佐々木と近藤。幕府(=徳川家)に対しての思いは同じ筈なのに、ここまで方法論が異なるのかと。佐々木の論理の方が、幕府の公式論に近いんだろうな…と思ったり。しかし、佐々木の「様」は近藤と同様に不器用だと感じます。きっと、この時代じゃなきゃ誉れ高い武士だったんだろうな。
・左之とおまさちゃん夫妻。ホっントに大好きですよ!
 左之のぞっこん度も相変わらずバカで愛しいし(誉めてます/笑)。
 左之の話しを聞く前に「あんたっどこからちょろまかしてきたん」の一言がでるおまさちゃんが可愛過ぎです(笑)ホント、オアシスですよ。この二人。
・副長の「たまには『仏の副長』って言われたいから」に、彼の人を思い出しました。本当にちゃん彼の人の存在ややり方を認めてたんだと、改めて思い知らされました(所詮私は山南さん好きです/苦笑)
・何時の間にやら、尾形さんが「解説者」役になったんですね。幹部会議の閑散とした様以上に驚きました。
・西郷&大久保&岩倉の怖さなり政治力なりは、本当に大したものだとしか言いようが無く。
・近藤と島田の「帰る場所は無い」は、彼等の在る状況が直参になったとはいえ、どれほど厳しいものなのかを思い知らされ。そして、そういった状況に身を置いた彼等の環境を思うと。
・新選組の名を返上する。それが島田魁の過去の台詞で示された瞬間、島田が新八に連れてこられた場面を思い出し、あれから遠くまで来たんだと改めて感じました。
・過去の台詞を効果的に使う、三谷脚本の思うツボに嵌りまくってる自分がちょっと嫌です(笑)
 あぁ三谷さん大好きですよっ(と悔し紛れに呟いてみます)

・予告...源さん(大泣)
・「ご期待下さい」って...「何言うてんのっナレーターっ」と無駄にに喧嘩売りそうになりました。
・期待も何もあったもんじゃ無く、45話以降お蔵入りにしてもらいたい(それはそれで消化不良で嫌ですが)と思うくらい来週が来て欲しくないです。

2004年11月4日木曜日

ここまできて、と今更ながら

 このところ三谷幸喜作『新選組!』の緻密な作りに驚かされて、今まで以上に踊らされてます(苦笑)。そして、この作品での「近藤勇」は「香取慎吾」じゃなきゃ駄目だったんだと、更にこの作品は「香取近藤」の物語だったんだと、強く強く思い知らされてます。
 まったく、何処まであざといんですかっ三谷さん!て胸倉掴んでがくがく揺す振りたい心境です(心から誉めてます。本当ですよ〜!!)。

(以下かなり右往左往した文章です/汗)

 まず香取近藤について。
 43話を見終わった相方が言う訳です「久し振りに(恐らく池田屋以来かと/苦笑)見たけど、相変わらず香取は『下手』やな」と。「周囲が巧い分『下手』が目立って仕方ない」とまで言う訳です。
 そこで思ったのは、三谷幸喜は香取慎吾という役者に対して「技巧」を求めてないんじゃないかと。ある種の「下手さ」言い換えれば「不器用さ」そのものを求めたんじゃないのかと。

 香取の不器用な近藤勇を中心に置くことで、周囲の面々の個性が際立ち、三谷が考えている群像劇部分の「新選組」が成立するんじゃないのかと感じたんです。
 であるならば、強烈に個性を放つ人が主役(=近藤勇)では「物語」が存在しえないんではないかと。逆に全く「個性」が無い人を据えた場合でも、中心が見えなくなり「物語」が瓦解する可能性もある。
 となると、「個性なり存在感」があり、かといって自己主張するほど強い個性の演技者でないこと。更に、周囲の色を柔軟に受け止めて反射できる人間って事になるんですよね。
 そしてそういった中でも、三谷脚本の意図するところを「正確」に把握し演じることができる(三谷脚本と波長が合うといった方が近いかも)、となるとやはり香取慎吾じゃなきゃ駄目だったんだと。
 このことは、当初より三谷が散々コメントしてることなんですが、今になって漸くコメントの意味が薄っすらと解った様な気がします(ホント、今更なんですがね/汗)。

 そして、このドラマはやはり近藤勇の物語でしかない。
 この作品、人物を対比して描いてることが多々あるとは思うんです。が、近藤だけは「対」になる人物が居らず、彼一人ぽっこり浮いてる感じがするんです。確かに、竜馬(若干土方)辺りは対になる部分はあるかとは思うんですが、竜馬に関して言えばあくまでも狂言回しとしての役割が強く与えられて(最上位に立ってるというべきか)、近藤と対比させられては居ない筈なんです(土方に関しては、明確に山南さんという存在が在った)。
 しかも、近藤という存在は他者にとっての「鏡」であり、他者は近藤にとっての「鏡」という創りをしてるんじゃなかろうかとも。

 他の面々の光や特徴が対比で浮き上がるとすれば、近藤の場合周囲に居る面々と同化しつつも取り込む事で、それらが浮き上がってくる創り方にしているような気がしてなりません。
 巧く表現できませんが、スポットライトの色が一人だけ違うというか。他者は其々が強烈な色だけど、近藤一人が真っ白な感じがするんです。しかもその白さは回を追う毎に強くなってきているような、もしかしたら今まで周囲にあった光の全てが集まり更に白さが増したというか...そんな感じを受けてます(よく解らない表現で、ごめんなさい)。
 同化するが故に他者の「鏡」にもなり得、近藤が各人の何かを内包し、各人がそれを更に反映させてる気もしています。だからこそ近藤勇の物語でありながらも「群像劇」として成立しているように思えます。

 極端な感想に走りますが、「新選組!」は最終話の近藤の一言の為だけに残り48話があるんじゃないのか?そんな気すらし始めてます(長い長〜い助走かもとすら/苦笑)。

[上記から若干ズレますが…
 近藤に関しては、よく言えば「柔軟で多様性に富む」、悪いえば「己が無く、優柔不断」な感じを与えるような創りを故意にしてるんだろうかと穿ってみたり。だから、巷で「近藤が『いい人』すぎて深みがない」と言われるのは、こういった部分からだと思ったり(香取のスケジュールの都合だったり、編集の所為かもしれませんが/酷)。
 しかし、私自身は決して「いい人」だけではない近藤が居ると感じてます(具体的には難しいけど/苦笑)。武田を許す場面にしても、伊東との会談にしても、対峙している人間にとってある部分一番「厳しい」選択を与えてるんだと思うんです。そこに芹沢暗殺以降の「鬼になった」近藤勇があるんじゃないかと。そんな風に感じています。
 しかも、三谷の描く近藤なり土方達は、人を斬る痛みとか斬られるもの痛さ・辛さを解ってるという前提があるから、敢えて「生かす」方向になるのではと、かなり穿ってみたり。]

 こういった部分で、三谷幸喜は「ドラマ」を描いているのであって、「歴史ドラマ」や「人間ドラマ」は決して描いてないと思ったりしてます。何かにもがいて抗って受け入れてる「普通の」人達が紡ぎだす、その様を描いてるんじゃなかろうかと。
 そういった人が見せる「おかしみ」や残酷さ、哀しみ、強さ、弱さ、優しさなんかを描いてるんだろうな、と思ったりしてます。それが偶々「歴史ある『大河ドラマ』」で「歴史」を題材にしなくちゃ駄目だっただけであって。

 三谷ドラマとしての軸は決して揺らいでないし、ズレて無いよな…と思うようになりました。

 といいつつも、「新選組」を下敷きにして、この役者陣で現代に置き換えて『王レス』のスタッフで、1年間の連続ドラマであったなら、理不尽なバッシングも少なかったろうし、無意味な演出・編集で壊されることも無かったろうし、もっとテンポ良く更に面白かったんじゃなかろうか、と思ってみたり(苦笑)。

ホントいつも以上に纏り無く、良く解らない文章だと反省してます。
最後までお付き合いくださった方、有難うございますとすみません(--;;です。

2004年11月1日月曜日

新選組!43話【決戦、油小路】

 今回ほどOPのナレータ(「(時代の)波に乗れなかった」)が的確に突いてきた回はなかったと思います。時代を読んで動いていた筈なのに、「時流」には乗れず時代に斬り殺された伊東。時代にも時流にも取り残されつつある「新選組」。
 惑いながらも疑うことなく「未来」を信じて、そしてある時代に付添い殉死した平助。

 何より、41話以降感じてはいることですが、幹部連の意思(方向)転換(法度の形骸化や、御陵衛士の参加の禁止等々)が隊士達へ伝わっていない状態に、言葉がありません。
 伝わっていないが故に「法度」への畏怖と「幹部(=土方・近藤ライン)」への畏敬が、今以て隊士達を支配している。だから、大石鍬次郎のように「力」で異分子を排除しようとする動きが出てきたんじゃないかと。そして、彼等が個人的に武田を排除した時点で、幹部連は何らかの手を打つべきだったんじゃないのかと?!甚だ疑問に感じました。
 しかも「近藤の意」に反して伊東を斬った大石を、「近藤先生のためにやったことだから」という理由のみで土方が庇う構図は、一体?!。土方があの理由で大石を庇うのであれば、近藤の存在(意思)とは組織にとって何ぞや?!と疑問に感じました。一番の問題は、近藤・土方ラインでかなり齟齬があったり、意思疎通ができてない事なんですが(苦笑)。

 更に、幹部連が隊士への意思通達をきちんとしていれば、平助は死ぬことは無かったんじゃないのかと(涙)。近藤・土方の遣り方(組織運営)の拙さにどうにもこうにも悔しくてなりませんでした。

以下雑感

○平助
・彼は最期まで惑って揺らいで、それでも信じる事の根底は疑うこはなかった。
・彼の戸惑いや揺らぎは彼自身の弱さではなく、優しさや多感な思い(もしかしたら平ちゃんも気づいてない強さ)から出てきていたと思います。だから、平助はどんなに鬼神のような表情であっても、最期まで皆から愛された平ちゃんだった。
・特に、左之に逃がされて戸惑う姿、御陵衛士が斬られる様子を呆然としてる姿、多くの思いを断ちきって新八に最期まで向かっていく姿に、今までの平助と、何かを捨てて大きく成長した平助を見ました。
・彼はその気質故に、伊東からも近藤からも「大切」にされたんでしょうね。
・しかし、平助が持つ幼さでは伊東が平助に対して示される「愛情」なり信頼は解り辛かった。
けれど、最期は伊東の信頼を理解し、近藤の愛情や信頼にちゃんと報いた(誰もそんな形では望んでなかったけど)。
・しつこいようですが、物事に対してある意味柔軟で聡明で、何より誠実であった平助の未来見たかったです(涙)
・前半〜中盤にかけて、平助の存在にどれほど和まされたことか。平助がいるだけで、ほわっとした雰囲気になることに、安心感さえ覚えてました。
・彼の殺陣の瞬間に、回想シーンが全く挿入されない作りにも関らず、それらがフラッシュバックされました(総司とおかず取り合いしてる姿とか、寺で場所取りしてる姿とか)。
・中村勘太郎君、お疲れ様でした。そして、最期まで愛された平助を演じてくれて、本当に有難う。

○伊東先生
・伊東先生は加納さんがいるからこそ、伊東甲子太郎として事由に振舞えたんだな・・・と。
・岩倉との遣り取りは、ホントに胃が痛くなりました。どうやっても岩倉卿の方があらゆる意味で「上手」だと、思い知らされました。
・己への矜持はあるけれど、絶対的に己を信じられず、また他人をも信じられない弱さが彼が時代に振られた要因だったのかな、と思ったり。
・谷原伊東は、巧いな…確かに鏡で表情研究しただけのことはあるな、と。説得力のあるお芝居されますよね(特に、内面と台詞が乖離してる時ほど、説得力が増すというか)。

○近藤伊東会談
・近藤の「それでは(私を)言いくるめられません」は、近藤の持つ深淵を見た気がして「ぞっ」としました。近藤は「他者」と対峙して、対峙した者の何かを「飲み込み」、大きく変化していく存在として描いているんだ、と今更ながら気づいた次第です(笑)
・近藤と伊東先生の違いは、命掛けかどうかだったんですね。そりゃ伊東先生、呑まれるわ。
・この場面で改めて、三谷「新選組!」における軸足のブレが無いことに驚かされました。誰もが、身分なり所属による壁にぶち当たり、もがいている様を描きたいんだとも(そういった意味で坂本は超越した存在で、だからこそあそこまで魅力的だったんですね)。
・しかし、「あなたとはもっと前からこうやって腹を割って話すべきだった」っていうのは、勘弁してください(涙)。それって山南さんの時の教訓じゃなかったんですか?!近藤局長っと、罵声浴びせそうになりました(苦笑)
・伊東先生の「策士、策におぼれる」様が素晴らしく良かったです。(誉めてます)

○平助、総司。
・なんて、暖かい場面なんだろう…
・互いを思いやって、互いを信頼してて、ちゃんと受け止めあってる。このドラマで唯一等身大の関係性を築き上げてきた二人なんだ、そう感じる場面でした。
・平助の「私たちは周囲に心配かけさせる役割なんですね」にほろっとしました。また、それを受けた総司の表情の柔らかい事ったら(涙)
・平助の最後の驚き顔、最高に可愛かった。
・この二人が、心底愛しくてなりません。

○その他
・何かを企んで、実行する時の土方の活き活きした様子って。彼自身、組織が追い込まれ始めてる事を、薄っすら感じてるんだろうか、と思ったりしました。
・今の土方と近藤は、うっすら乖離してることに彼等は気づいてるんだろうか?!とも思ったり。そして、山南さんの時と違うのは、土方が必死で「近藤の意思」を汲取ろうとしてることだけのような。
・皆が平助に「戻ってこい」と言う場面は、切なくて切なくて。そして、「大丈夫ですよ」と笑顔で言い切る平助のあどけなさが愛しくてなりませんでした。
・総司の「貴方達が思ってるほど子供じゃなんだ!」は、精一杯の表現で、大人組にしたら突き刺さる言葉だったんじゃないかと。年下組は年下組なりに、培ってた思いがあったり、それを糧に日々成長してきた。それを一番理解してたのは、一番近しい者同士だった、とそんな事を感じたり。
・戦闘時、左之が冷酷な面を見せつつ、平助にだけは温かい目を向けてたり、新八が平助の剣をきちんと受けつつも「生かそう」としてる姿に、彼等の歩んできた時の長さと絆の強さをひしひしと感じました。
・また土方の中の歳三が泣いてるよ…
・源さんは本当に辛いだろうな…
・この段になって捨助らしさに、救われ始めてます(笑)

来週は局長襲撃で、その次は(大泣)
最終話まで心穏やかに鑑賞できないような気がしてきました(今更ですがね/笑)