2011年5月28日土曜日

『県庁おもてなし課』感想

 とある場所でも少し感想を書いたんですが、どうやら消化不良のようで(苦笑)。少し長めの感想をこちらで書いてみたいと思う次第です。

 当初、この単行本を購入する予定はありませんでした。文庫落ちしたら買ってもいいかなぁ的な感じ。それを買うことにしたのは、印税を東日本大震災の義捐金にすることを聞いたから。好きな作家さんの作品だし、ささやかな寄付だと思って買おうかな程度。
 
 買って3週間目位に開き、その日に読了。有川浩作品は大体その日に読了しちゃいますので、決して速いペースではないです。てか、相変わらずサクサク読ますよなぁという感じ。

 まず読み始めて感じたのは、下手したら有川浩は頭打ち早いかも、でした。読み終わっての感想は、ここまで作者の顔が見えるのはどうよと。『空の中』や『海の底』で著名な書評家に評価された部分を消してどうするよな身も蓋もないもの。失礼な言い方をすれば、こういう作品・キャラ・設定は食傷気味になったなぁと。

 確かに、県庁と民間の「手法の違い」を見せつつ、民間=住民にも「役所」が慎重を重要視するゆえに硬直化した一因がある、と書く当たりは上手くバランスを取ってるなぁと感じます。決して一方的でヒステリックな「役所批判」になっていない部分にも、有川浩の誠実さを見ます。恐らく、役所が民間を上手く使う事や、役所が民間に上手く使われればいいという結論なんだろうと(この辺、Amazonのレビューで、単に役所批判と受止められてるのが多く、もやっとしたり/苦笑)
 ただ、そこに結論を持っていくのならば、キャラの比重が違う気がするんです。
 清遠だけでなく、内部で奮闘し「役所ルール」の中で手練手管を使おうとしてるであろう下元にもっと焦点を当てるべきだったのじゃないかと。清遠は正直ジョーカーなんですよ。どんな風に書いても動いても「清遠」という個性で、読む側を納得させられる。物凄く現実離れしてるが故に魅力があるんです。
 その反対に下元は然程現実離れしてない気がするんです。役所ルールを知って、その中でギリギリの攻防をして作を弄して「実」を取る術を知ってるタイプ。どんな組織にも一人は居そうな人じゃないかと思います。そういうキャラが、柵の中で「実」を取る(取れない)姿を描いて欲しかった。てか、それをエンタメに落とし込んで描ける作家さんだと思ったんですよね
 有川作品だから、恋愛要素があるのは織り込み済みですが、今作に於いては多すぎやしないか??と。確かに、胸キュンはしました。けど、この作品に於いてはもう少し恋愛要素が少なくても良かったんじゃないのなと思わざるを得ません。

 作者の顔が見える云々について。有川浩のここ最近の作品は、実体験が即作品に反映されてるのが多い気がします。確かに、そういうタイプの作家さんであることを拒否しませんし、上手く乗せてくれて見せてくれたら満足ですし、内輪ネタも作品として昇華してたら良いんですよ。が、なんだろう「私はこういう体験をしたんですよ。それをこんな作品にしたんです。」と押し付けられてるような気がしちゃうんです。最初にそれを感じたのが『StorySeller(雑誌『StorySeller』掲載分。単行本は未読)でした。その時は、実体験を加工して短編で読ませるってのは中々面白いなぁと好意的に受け止めてました(ただ、あの恋愛部分は作者の顔が見えただけに恥ずかしいものがありましたが^^;;)
 それ以降、その手の作品が増えたような気がするんです。そうなると、やっぱり面白さが薄れてしまって。インタビューとかも読まなきゃいいんでしょうが、気になる作家さんだからついつい目を通してしまう。すると、登場人物の一人が作者なんだと分かちゃうという。インタビューを読まなくても、一般読者の相方が『StorySeller』読了後「この主人公の作家って、作者の投影やろ??旦那さんもきっとそうやろうなぁ」と感想を述べたくらい分りやすい。それが続くせいか、少々食傷気味になりました。
 あと、父親の姿は好意的に書かれたりちらついたりするのに対し、母親の描写は無いかネガティブなイメージなのも気になったりするんですよね。実体験が作品に反映されるタイプの作家さんじゃなきゃ気にしないし気にならい部分が、すごく気になってしまう。そうなると、作品を読むんじゃなくて「有川浩」を見てる感じになりつつありまして。一読者にそう思わせるは、職業作家としてどうなんだろうか?と疑問を感じたりしてます。

 私が有川作品に惹かれた理由は、ハードな設定にラブコメを融合させたギャップでした。更に言えば、SFに乙女ちっく路線を融合した眼から鱗の物語。また、大森望とか山本弘らが有川作品を評価したのは、そういう部分であったろうと認識してます(書評とか解説を読む限り)。が、近著ではそういう面がすっかり影を潜めてしまってる気がしてなりません。単なる「ラブコメ」とは言いません。きちんと取材されて、現実が持つ正負や組織や人が抱える負の面も歪めること無く描いて、読ませてくれる作家さんだと信じてます。特に感情の機微とかの描写は、繊細さすら感じるんです。そうい地にラブコメが乗る面白さ。ラブコメが加味される事により敷居が低くなってることは、決してマイナス要素じゃないんです。それが出来るってことは、凄い才能だと思いますし魅力でもあります。
 なのに、ラブコメ要素だけがクローズアップされしまい、『図書館戦争』後あちこちで「ラブコメの女王」と冠されるようなった事に、一ファンとしては非常に違和感を覚えました。それに前後して、SFちっくな作品が減った気がするんです。
 失礼な言い方になりますが、『図書館戦争』シリーズ以降どの作品を読んでも「同じ」な感じがします。似たようなキャラクターと似た恋愛設定、台詞。違うのは、キャラクターが居る場所だけのような。
 『県庁おもてなし課』でも、この恋愛模様は『阪急電車』とか『図書館戦争』でもあったよなぁとデジャヴ感がありまして。確かに、作者が好きなパターンはあるだろうし、作品に出ちゃうのは分かります。けど、似たの多くないか???と。そう思い始めると、作者の「あなた達はこいうの好きでしょ?これでいいでしょ?胸キュンするでしょ?」と言われてる気がしまして。何となく、折角「文章でラブコメ」が書ける作家さんなのに勿体無いと。

 今まで、有川作品は発売日に単行本で買ってきました。が、今後は文庫落ち待ちかと思います。

 色々キツイこと書いてますが、『県庁おもてなし課』の大きな目的である「高知観光へのお誘い」は、十分達してます。触れられてる場所、馬路村とか吾川村(パラグライダー)は絶対足を運んでみたい!!機会を作ってでも行きたい!!と思わせてくれました(多分行くと思います/)。それは、有川浩の「高知県」描写が素晴らしかったからですし、作品が面白かったからなんです。そういう意味では、単行本で買ったことに後悔は全くありません。矛盾しますが、有川作品を初めて読む人に薦めたい一作です(流石に自衛隊三部作とか図書館戦争シリーズはなぁ^^;;)。そう思うからこそ、物凄く勿体無い部分が気になったんだと思っていただければ幸いです。
 
 ただ、今まで発売日に単行本で購入してましたが、今後は文庫落まで待つかなぁな感じになってるのは事実です。

2011年5月10日火曜日

懐メロ 米米クラブ。

某所にて5/8公開

 お弁当屋で出来るのを待つ間に流れたラジオ。丁度、東日本震災で被災された方へのメッセージソング特集でした。聞こえてきたのが、「浪漫飛行」。 

 久しぶりに耳にして、良い歌だなぁと素直に思ったんです。歌詞も曲も躊躇いや衒いがないまま届く感じがしました。帰宅してYouTubeで動画を見つけて聴きました。YouTubeに上がってたのが'90JAL沖縄キャンペーンの動画。華やかかりし頃のJALを思い出して、少しホロリといたしました。あの頃は各方面ホントに元気だったよなぁ。沖縄が丁度リゾート地として注目浴び始めた頃かぁ、等当時を懐かしみました。 
 帰宅した相方に「久しぶりに聴いたら良かったよ。CD持ってる?」と確認作業()。見事に「浪漫飛行」入のアルバムを持ってらっしゃいました!その日はリッピングして就寝。翌日、職場の先輩に「久しぶりに聴いたら良かったんですよ」と話したら、流石相方と同世代!「ベスト盤あるから持ってくるわ」との有難いお言葉。そのお言葉に甘えたのは言うまでもありませんでした。 

 2枚のアルバムを聞いた感想は、なんて贅沢な音。特にホーンセクションの充実っぷりったら!!でした。いや、ホント音の作りは贅沢というか、手が込んでるというか見事です。カールスモーキー石井の歌は巧い方では無いと思いつつも、声に特徴があって色々面白い表現もしてるし、何より艶っぽいのが良いんだなぁと初めて思いました。 
 歌詞は、言葉遊びやダブルミーニングが案外と面白いし、曲もキレが良くて自然と身体を動かしたくなる感じ。そりゃ、売れるわと納得しました。 

 実は米米クラブのアルバムを聞くのは、これが初めて。米米クラブが全盛期の頃、流行りものに飛びつくのが恥ずかしくて、レンタルすらしてないんですよ。 
 なのに、何故懐メロで知ってるのかというと。相方のカラオケ経由です() 

 当時バイトしてた所の社員さんが相方。その職場のカラオケが今思い返しても凄かったんですよ。巧いんですよ、当然。けど、向かう方向が「聴かせる」ではなく「芸」だったんです。どんだけ、芸達者に出来るか、周囲を巻き込みつつ盛り上がれるかが主目的だった気がします。 
 そんな中、米米クラブはノリも良いし若い子(バイト連)受けも良いしで、若手の社員さんの持ち歌だったみたいです。なので、職場の飲み会に参加する機会が増えるに従って、自然と覚えると。しかも、本家本元Verじゃなくカラオケby相方Verでという不思議な出会いでした。 

 しかも、バイトの後輩に米米クラブの追っかけがおりまして。その子が言うわけです。「目を瞑ってたらてっぺいちゃんにしか聞こえませんよ!素敵です!目を開けたらダメですけど」な事を。その時は、それ程似てるとも思わなかったんですが、今回聞いたら「ほんまに声は(強調)似てる」でした。 
 そんな事が思い出されて、あの当時をかなり懐かしく思い出しました。歌が記憶を呼び起こすのは、本当なんですね。 

 人の記憶って物凄く小さなことを、ちょっとしたことで思い出すんだと驚いたりした週末でした、

懐メロ さだまさし。

某所にて5/8公開

 このところ、学生時代に聞いてた曲をYouTubeやiTunesで検索することが増えました。そのキッカケは、耳にしたラジオだったり、友達の「つぶやき」で目にしたことです。 

 友達の「つぶやき」経由だと、さだまさし。
 確かに、小中高とさだまさしの世界にとっぷり浸かってました。元々母親が好きだった記憶はあるんですが、なんで娘が小学生にしてハマったのは謎()。意味もわからず、「無縁坂」とか「精霊流し」とか「縁切寺」とか口ずさんでた小学生だったかも(嫌なお子様だよなぁ) 
 その後、TVで垣間見えた面白い語り口と「もーひとつの恋愛症候群」という言葉遊び的な歌詞にハマり、エンタメ的な扱いでさだまさしを聞くようになってた気がします。
 当然小中高なんて時期はお小遣いも少なかったので、図書館でテープを借りてダビングしたやつを延々聞いてたんじゃないかと。そう考えると、昔から図書館にはあれこれお世話になってたんだなぁ、私(笑)。さだまさしのCD買ったのは、アルバイを始めてからじゃないかと思ったりします。 

 MCが面白いと評判のコンサートにも、1度だけ行ったことがあります。その時は、ちょうど「鶴瓶・ざこばの落語のご」全盛期。さだがゲストだった際に「コンサートで三題噺をやってもらおうやなかい」な流れになり、そういう事が大好きなさだが受けた事があります。で、そのコンサートが正に「三題噺で即興歌を作る」場だったと。お陰で、生で鶴瓶と会えたし色々印象深いコンサートでした。 

 今回、iTunesでサビの部分だけを聞いたあと、やっぱり気になりYouTubeで視聴しました。
 改めて人間の記憶の凄さを再確認しましたわ。iTunesで聞いたサビで1曲まるまる思い出し、当時の記憶が走馬灯のように流れました。てか、当時どんだけ聴き続けてたのかと自分でもビックリしたくらい(笑)。
 YouTubeについては、アップしてくださった方に感謝としか言いようがありません。 
  
 今回改めて聞いて感じた、私にとってさだまさしの魅力は歌詞に尽きました。口に乗せて違和感が無く、音と語感が美しく、1つの世界を創造し、余韻をも感じさせてくれるです。コミカルな歌詞であっても、どこか人生賛歌や生を言祝ぐような感じがあったり。勿論、人生の辛さとか暗さを延々語るのもありますが(さだまさしのイメージはこっちが強いかも)。かと言って曲も好きだし。兎に角、好きなことを再確認しました。 

 当時好きだった曲を羅列すると 
◯主人公:これはしんどい時に染み入るんです。上手く行かな時とか、めげてる時でも自分で歩かなきゃと自然と思えてきます。 
◯道化師のソネット:曲名が秀逸だなぁと思う曲。サビの「笑ってよ君のために~」を聞くたびに、涙腺が緩みそうになります。 
◯風に立つライオン:壮大で雄大な景色が目に浮かぶ曲。曲を聞いてたら、アフリカの乾いた風や地面の熱さ、色彩なんかが脳裏に浮かびます。 
◯秋桜:母というより祖母を思い出します。 
◯恋愛症候群:これは巧いっ、と思うんですよ。恋愛の一過性な部分を見事に表現しクスリとさせつつ、恋をするココロを慈しむような最後がたまりません。 
◯関白宣言:男尊女卑だ!!と物議を醸しだしたように記憶してます。最後まで聞くと凄く本当に幸せな幸せな歌です。男性の弱さとか不器用さを感じられたり、こんな風に思われたいし、思いたいと自然に入ってきます。その後、関白失脚という後日曲を出したのが、さだまさしらしい() 

 実家にあるであろうCDを探してみようか、中古CD屋さんに足を運ぶか検討中な日々です。

2011年5月7日土曜日

ハリーポッター『死の秘宝』Part1 感想

某所にて5/7公開

 連休前に職場の方からDVDを貸していただき、この連休中に鑑賞したのでその感想をば

 公開時には「最近お気に入りなビル・ナイが出るみたいだし、ロン&ハーマイオニーの小さな恋の進展もありそうだし」という、相変わらず本筋からズレまくった理由で行く予定でした。が、何となくタイミンが合わず見逃す結果に。

 以前にも書いてたかと思うんで繰り返しになりますが、これまでのハリーポッター映画は主にゲイリー・オールドマンとかアラン・リックマンとかマギー・スミスとかの英国年輩俳優陣目当てで観に行ってました。あと、ハーマイオニー&ロンの小さな恋の物語も。
 基本ハリーがどうなろうと関係ない、という鑑賞姿勢はホントどうかと思うんですが、それはもう嗜好として仕方ないと思ってください。「ハリーの物語」についてはありふれた貴種流離譚でしかない上、彼が行うことすべてが肯定され、評価さされる世界や社会はどうよ?と思ってるので。
 コレに関しては、今回もハリーが言う事がほぼ受け容れられてたのでなんとも…ここまで貫くと凄いぞ!とは思います。ただ、今作に於いては作中でその部分をロンが突っ込んでくれたので、そう思ってたのは私だけじゃないんだ!と少し溜飲が下がったかもです。

 さて本題の、今回借りたシリーズ最終作『死の秘宝』。
 観終わった感想は、ヨーロッパは二次大戦で受けた傷を良くも悪くも抱えてるんだなというモノ。特に、ナチスドイツが行ったホロスコートは、トラウマと言っていいくらいの傷を残してる気がしてなりません。
 ヴォルデモート卿が作りたい「純血種のみが生きる社会」とナチスドイツが理想とした社会には差は無いように思います。違うのはフィクションかノンフィクションかだけ。そういう意味でこの作品、
娯楽映画とか児童文学で見せる比喩的としては、よく出来てるのではないかと思いました。こういところからの「歴史教育」ってあるんだよなぁとか、語り継がれることの大切さや、どう語るかって問題もあるよなぁとか考えたりです。
 こう思うのは、日本での戦前~戦後の扱われ方が、極端な美化・賛美若しくは嫌厭・徹底的な自己批判かに偏ってる気がするからです。こういう形で戦中戦後の罪を、ある種客観的に見せてくれる作品が少な過ぎるじゃないかと…。善悪を一旦無視して平坦化し、事実のみを歴史的に評価し、その上で淡々と表現する地が無いような気がするんですよね。事実、取り扱いが難しい時代故に歴史の授業でも飛ばされるし、その結果知らないままで成長して知らないことが恥ずかしくない土壌になってるんだよなぁと。

 映画の話に戻ります。今回、大人たちの「物語」が殆ど描かれなかったので、大人たちがどう動き判断したのが見えなかったのが非常に残念でした。長大な原作を4時間程度にまとめる為には已むを得ず切ったのでしょうが、年輩俳優陣を楽しみにしてた私としては、心底残念(苦笑)。
 ただ、それは元子役達の役者としての成長があったからこそ出来た英断であると思います。「物語」を引っ張れる魅力と力が主役の3人にあったのは、否定しませんし凄いことであると評価しました。いや、特にロン役のルパート・グリントは、将来がホント楽しみで仕方ないです(後述)。

 他、気になったのは画の暗さ。意図された暗さなのは分かるんですが、TVの画面で見ると見にくいこと!細部が見えないから、折角作りこまれてる美術とかが分かり難いのが残念でした。映画館で見るとまた違った印象なのかもしれませんが。

 そして、私にとっての唯一の楽しみである「小さな恋の物語」(笑)。
 ハーマイオニーが無闇矢鱈に健気だし、鈍感ロンも漸く何となく「分かって」きてる状況。しかも、お互い以外にはバレバレで無意識な行動が「あんたら‥それはもうね…」と観てる側が照れちゃいそうな雰囲気。とかなり美味しく楽しい鑑賞時間でした。ぶっちゃけハリーよりも後ろの二人を狙って撮って!!と思うくらい、いい感じのハーマイオニー×ロン(ハーが前なのは譲れません/笑)。

 私がツボったのは、
◯序盤ハリーに変身したロンが無事隠れ家に着いた場面。
 そう、ハーマイオニーがロンに飛びついて抱きつく場面です。あの時の、ロンの微妙に嬉しそうで安堵した表情も良かったし、ハーマイオニーの必死さと安堵感も良かったなぁと。てか、あれはもう出来上がったカップルだろうさ…と思ったんですが、違うんでしょうか??
◯ロンの手当を必死で行うハーマイオニー。
 単純にあの必死さが素敵だったと。
◯テント内で無意識に手が重なってる
 前後関係は覚えてませんが、三人がテントで寝てる場面。ハーマイオニーとロンの指先がほんの少し触れ合ってるんですよ!!それを見た瞬間、年甲斐も無くキュンキュンした訳でして(笑)。意地の張り合いで微妙にすれ違ってるけど、きちんと思いが通じ合ってる雰囲気が出てて大好きな場面です。この二人の恋模様は、地に足が着いてて年相応っぽくて、可愛らしくてホント微笑ましいです。
◯嫉妬にかられるロン。
 中盤のロン君=ルパート・グリントが非常に良かった!!暗い目と疑心暗鬼、ハリーに対する屈折した感情、ハーマイオニーの気持ちを測りかねる様とか。あぁこの子ホントいい役者さんに育ったなぁと実感した場面です。あの手の微かに狂気を宿した昏い目や表情が出来る役者さんが、個人的な好みってのもあるんです。が、きっと将来の素敵ないい役者さんになるのかも、とかなり楽しみが増えました。
 しかも、あの場面のロン君は自分の狂気を自分で分かって制御できてない未熟さをも感じられて、更に評価がドドーンと上がったんです。 第一作から「ハリーよりロン役の子の方がいい役者になるよ!」と言ってた私の目は、単なる贔屓目じゃなかった!!と自画自賛したりです(笑)
 特に、ロンがハリーに「皆君のために戦ってるなんて思うな。僕らは違うことのために戦ってるんだ」(うろ覚えです)な事を言った場面は、いろんな意味で好きだったりします。ロン自身のプライドとかハリーへの劣等感とかが一緒くたになった感じが、切ないようでいてロンの男の子の意地を見せたいい場面だったなぁと。
 そして、分霊箱を壊す場面。ロンがヒーローになったのは、分霊箱を壊したからじゃなく彼の不安や劣等感を打ち壊したからなんだよね、と分かりきった青臭いことを書きたくなります。
 一作目のチェス以降ハリーの付随物とかコメディリリーフ的な扱いしかされてなかったロンが、ロンとしてちゃんと扱われたと思うとホント嬉しかったのでした。
◯ロンが帰ってきた終盤のハーマイオニー。
 心配と安心と怒りと喜びが入混ざった結果の「馬鹿っ。ロンの大馬鹿っ。」と罵倒するハーマイオニーが、心底可愛らしかったっ!!おばちゃんは、あの場面だけで十分満足っと思えた程ツボりました(笑)
 それを受けたロンの天然ボケ具合も素晴らしく、なんなんだこの可愛らしいカップルは!!と大喜び。まぁロンが戻ってくるキッカケも、単に惚気としか思えなくなってるのが、もうホント歪んでるちゃぁ歪んでる見方な気がしなくもないです。

 Part2では、多分待ちに待ったKISSがあるんだろうと思うので、それだけを目当てに映画館に足を運ぶかもしれません(馬鹿モノ)。

 本編&特典映像に関する感想を箇条書きで。
・ヘドウィクはあれで亡くなってしまったんでしょうか?!?そうだとしたら、作品中での彼の扱い悪すぎ…。
・7人のハリーなロン君帰還。ロンの活躍を観たかった…てかせめて聞かせてくれっ!!(翻訳本読む気無しなのが、申し訳ないです)
・魔法省大臣=ビル・ナイの出番あれだけですかい?!勿体無いことこの上ないぞっ。
・スネイプなアラン・リックマンは相変わらず素敵なお声で、うっとり。ご本人がかなり男前なため、フィルターがかかりスネイプも男前に見えてくる不思議(笑)。『ダイ・ハード』の敵役なアラン・リックマンは、心底男前なので是非一見下さい!!ホント男前過ぎてビックリしますよ!
・今回、マクゴナガル先生=マギー・スミスが出演されておらず残念。
・ルーピン先生=デヴィッド・シューリスの枯れ具合が好みで非常に満足(笑)
・結婚式のテント場面は、唯一華やかで軽やかで優美なので好き。
・ロンの「ハーマイオニーがいなきゃ、2日ももたない」な台詞は、今から尻に敷かれてどうするロン!と突っ込みそうになりました。まぁその情け無さがロン君の魅力っちゃぁ魅力なのですがね(笑)
・そんなロンの情け無さをも受け止める、ハーマイオニーの男前っぷりに拍手(笑)。不安のあまりラジオを聞き続けるロンを擁護するハーマイオニーの姿に、慈愛とか諦めとか垣間見ました。あの年齢で出来た子だわ。
・両親の記憶を消すハーマイオニーの覚悟に、彼女が一番辛くてキツイ経験をしてるんだよなと。マグルであるが故の差別もあるし、早く大人になるのも道理だよなぁとか。
・特典映像でロンの美味しい場面がm尽くカットされたのが分かりちょっとどうかと。特に野うさぎの場面は、彼らでも持っている「残忍性」や遊びから生れた小さな「殺意」など、深めるにはもって来いだったのに何故と、疑問に思わざるを得ませんでした。時間の制約では仕方なかったのかもしれませんが、ホントに何故あれを。
・駆けっこレース。3人の勝気さが垣間見えて面白い特典映像でした。
・分霊箱のロケットが、『tLotR』の一つの指輪にしか思えなかった(_;;。かの作品(原作)は、現在のファンタジーに影響を与えてるとは言っても、あれはちょっとやり過ぎじゃないのか?と。なんかもっと違う表現、モノ無かったのかなぁ…。
・屋敷妖精が、やっぱり『tLotR』のゴラムにしか見えない件。特典で「これぞ」みたいに制作秘話やってましたが、あれはゴラムと同じ手法です…。今更それを大声で語られてもなぁ…10年近く前に『tLofR』がやったよなぁとしか。そう思っちゃうのはあの映画を飽きるほど観てるからだと思いますです。



2011年5月5日木曜日

某作家さんについて最近思うこと

某所にて5/5公開
 
 好きな作家さんの一人です。なんですが、このところ色々思うことがあったりしてます(苦笑)。

 有川浩の作品を知ったのは、例に及ばず『図書館戦争』単行本発刊時。趣味の書店回遊(笑)をしてた際、タイトルに興味を惹かれ図書館で借りたのが始まりでした。図書館で借りた後、結局単行本を購入しちゃったのはあの勢いにのまれたからだと。
 『内乱』以降は『図書館戦争』シリーズ以外の新刊単行本も発売日当日朝には入手、読了なハマったときのサイクルまんまな状況。
 それが落ち着いたのが、『Story Seller』と『フリーター家を買う』の単行本が出た時だったと思います。実際、この2冊については文庫落ちしても買わないだろうな。
 何故かというと、有川浩の展開に飽きた事、設定が甘い、著者の顔が透けすぎるとというのが理由。そして、書店や出版社の押しが強すぎると感じることも。

 各々の理由を細かく考えると…
◯「展開に飽きた」というのはキツイようですが、彼女のべた甘路線は嫌いじゃないし文書だからこそ楽しめるラブコメであることは評価してます。ただ、この2作品については、雑誌やWebで掲載されておりそれを追っかけてると「いつものべた甘な有川か」としか思えなくなったんです。
 有川浩という作家が面白いのは、ハードな(若しくはぶっ飛んでる)世界設定と甘い恋愛関係が同居してるからだと思うんです。確かに『阪急電車』のように、会話から伺える「人」模様を描いても巧いんですよ。それが、上記2作には感じられませんでした。
 だから、物凄く展開だけが目についてしまったのだと思うのです。

◯「設定が甘い」
 これは、上と重なる部分があるんですが…。『図書館戦争』になんでハマったかというと、図書隊が単なる「正義の味方」でなく軍組織である以上抱える「負」の面を描いてた事があります。個人ではなく組織の維持が優先される世界で、個人の恋愛模様をあんだけベタベタに甘く描いて生れたギャップ。そこに思いっきりハマったんですよね。他の自衛隊三部作も同様。軍組織で個ができる事は何か、組織と個の両方を活かす方法は何かを薄く見せてくれます。そして、個が潰される様も薄く描いてもいます。そのなかで、究極の個人関係である「恋愛」や「家族」を照らいなく描くのが、魅力的だったんですよね。
 なのに、『フリーター家を買う』や『Story Seller』は細部すっ飛ばしてる感がありました。

◯「著者の顔が透けて見える」
 特に『Story Seller』で思ったことです。主人公の作家がどうも著者と重なって仕方なくて。手法としては「有り」とは思うんです。が、綺麗に落ちなかった感覚がありまして…。そこに、べた甘を重ねられるとなんか粘っこいというか…。

◯「書店や出版社の押しが強すぎる」
 確かに売れっ子になりました。言祝ぐべきだとは思います。が、正直有川浩ってそんなに売れる作風の作家か?と。初期の作品を読む限り、本好き小説好きが楽しんで、そいう人たちが評価する作家さんであるように思うんです。売れないと言われるSFとかで評価されて、地味だけどぶっ飛んだ面白い発想の本を出す。そういうタイプだと思ってたんですよね…。それが、あれよあれよという間に、平積み且つ本屋大賞ノミネート常連作家さんに…。
 特に、本屋大賞については…今回の大賞もあれだったし回を重ねる毎に、期待値が下がってきてるんですが…。どこを目指してるのかだんだん分からない賞になってきたよなぁと思わなくもなく。
 それはさておき、売れるから出版社が押すのか、押すから売れるのかは不明なんですが最近の売り方は凄いものが。あれだけされたら、マイナー志向の私は引いちゃってます(__;;;。ああいう売り方してたら、潮が引いたとき何も残らないだろうなとも思っちゃうんですよ。

 あれやこれや書いてますが、多作でアイデア豊富な作家さんであるのは間違いないし、今後どう変化するのか楽しみな作家さんの一人です。だからこそ、売れ売れ!!イケイケ!!な現状に違和感があるのだと理解いただければ幸いです。

『クララ白書』&『アグネス白書

某所にて5/5公開

 旅行の日程を決めてる際、有田の「深川窯」の文字を見つけました。そこから思い出して読みたくなり、図書館で借りたのが氷室冴子の『クララ白書』と『アグネス白書』。
 何故「深川」で『クララ白書』&『アグネス白書』なのかと言えば、マッキーの「美貌の次に大切な深川の茶器」だからです。知らない人には全く何のことかさっぱり、なネタなんですが知ってる人は「懐かしいぃ」と思ってもらえると嬉しいです。
 作中で「清水の深川の茶器」とあり、有田とは全く縁が無いことが分かった瞬間有田に興味を失ったのは別の話ってことで(笑)
 
 今回、久しぶりに『クララ』&『アグネス』を読み返して感じたのが、仕込まれてるネタの豊潤さでした。出てくるコネタや言葉が、古今東西の文学だけでなく映画・音楽いずれも普遍的なものばかり。何より、それを中3~高2の少女たちの言葉遊びとして使ってる知識の贅沢さと豊かさ。それらになんとも言えない凄さを見たんですよね。
 私が読み始めた時期(小5か6)には、それらは中学高校になれば自然と身につくものだと思って憧れてました。しかし、全く身につかなかったです(苦笑)。確かに歳を加えるに従って色々断片の知識としては覚えます。が、未だに作中の彼女たちのように、会話の潤滑油として自然に出てくるまでには至ってませんし、身について無いです。
 そう考えると、発刊当時の少女たちってインテリだったんだとしか思えないんですよね(コバルトが生れた背景を考えると)。しかも、この手の小説は文芸とは思われてなかったといいますし…。どんだけインテリやねんと思わざるを得ません。

 懐かしさで贔屓目が入ってるかもしれませんが、今回読んでも「古さ」を感じ無かったのも凄いと思いました。確かに、今時のライトノベルからしたら文体は古いだろうし、派手な作風でもない。しかし、だからこそ何度読み返してもその都度見える「面白さ」があるんだと思うんですよね。

 二年間を全四巻でまとめたコンパクトさも好ましい。構成がしっかりしてるので、あれやこれやエピソードを詰め込んでるにも関わらずとっちらかりません。大きな筋もあるようでなく、単に学園&寮じゃなく寄宿舎(笑)の生活の騒々しく楽しく不穏な様子を描いてるだけ。なのに、少女賛歌として成立しちゃってるという…。
 少女賛歌と表現しましたが、少女の美理想的な美しい部分なんかほんの少ししか描かれてません(笑)。殆は、同性にミーハー的に憧れる姿や、喧騒や権力闘争や小さなことで右往左往しちゃう姿。男性が読んだら少女幻想なんざ打ち砕かされるかもな、ある意味等身大の少女像です。それらを氷室冴子は「美しいもの」として見て、表現した作品がこれらなんだと初めて思いました。

 氷室冴子が少女小説や少女を主人公にした小説を書き続けたのは、どんな時代でもどんな姿をしようとも「少女」である「瞬間」を慈しんでたからなのかもと。

 引越しの際に古本屋さんに持って行った事を、ホント毎年のように後悔しております(馬鹿)。

九州旅行 3日目

3日目:由布院街歩きと吉野ケ里遺跡&九州国立博物館

 お宿が由布院の中心街から離れていた場所にあったので、最終日の朝一番に中心街まで行って街歩きでした。由布院の町…好きな子は好きなんだろうなぁ…女性同士で来たら楽しいかもしれないなぁとか思った時点で(苦笑)。ドイツの温泉保養地(バーデン・バーデンとか)を目指してるのは分かるんですよ。確かに、風景はそれっぽい所もあるし、目指す方向性は間違ってないと思います。けど、如何せん統一感が無い。観光地化がメインになってしまってて、昭和レトロな見世物があったり、大正風の建物&お土産物屋さんがあったり、ヨーロッパ風な喫茶店や建物があったり。どこに焦点があるのかが見えないがゆえに、雑多な印象を拭い去れませんでした。相方とは、「結局あれやこれや詰め込んで、『嵐山』になった訳やね」と結論が落ち着いたくらいでした。いやぁ、確かに好きな子は好きだと思うし否定もしないけれど、何か物凄く勿体無いよなぁな感じが残った町でした。まぁ一応、実家&相方実家へのお土産が入手できたんで立ち寄ったのは正解でした。
 しかし、朝9:00で喫茶店に待ちが出ててたのにはビックリでした(^^;;。ああいう観光地は朝一番に行ってとっとと帰るべきだね…と痛感いたしました。

 その後、
吉野ケ里遺跡へ。吉野ケ里遺跡のダダ広さには驚きでした。復元建物や遺構の現状保存等興味深いものも多く、駆け足で回ったのは悔しかったなぁ。特に、集合墓の遺構現状保存は見ごたえがありました!!甕棺墓の大きさとか、当時の発掘状態を見れたのは面白かった。ただ残念だったのは、連休前に発表されて黄金週間中一般公開されてた住居焼け跡の発掘現場が、お天気のせいで見られなかったこと。お天気さえよければ見られたのになぁと未だに残念がってます。

 吉野ヶ里の次に向かったのが、九州国立博物館。開館5周年という新しい国立博物館です。特別展が黄檗展だった為、1Fエントランスでは京都銘店イベントが催されてました(笑)。始め、九州の銘店が集まってると思ったんですよ。けど、見覚えのある商品ばっかりで「??」となりました。えぇ知ってるお店ばっかでしたよ…流石銘店イベント…。てか、これから京都に帰るのになんでここで京都イベントとぶち当たるか私はと(苦笑)
 そんな事はさておき、九州国立博物館では小一時間しか見れませんでした(涙)。常設展のみ観たんですが(黄檗をここで観てもなと)、展示の仕方が秀逸!!巧いんですよ、これが。展示室も決まったルートで見せるのではなく、好きな所から見ることができるフレキシブルさがありました。展示遺物も国立博物館である以上、当然国宝級なり教科書で見たぞコレなモノがゴロゴロしてるわけですよ。小一時間じゃ到底足りませんってば…。相方も「ここなら一日中居れる。居てくれといわれんでも居れる」というくらい充実っぷり。なのに、なんで小一時間と二人とも後ろ髪引かれる思いで九州国立博物館を後にしたのでした。
 と言いつつ、これで国立博物館コンプリートと相成りました(笑)。関西の2箇所は興味あるイベントがあると行ってるし、東京はU2ライブの時に行ったし。どれだけ好きなのか、国博がとは思います。

総括。
唐津さえ行かなければ、九州国立博物館と吉野ケ里はゆっくりできたと思います。記念品さえ無ければ…と(笑)
その二箇所が慌ただしかったことが唯一の心残有りで、後は十分満足&満喫できた九州旅行でした。次は、宮崎とか鹿児島の方に機会を作って行ってみたいと思います。

九州旅行 2日目

 2日目:別府・鉄輪(地獄巡りと温泉)と臼杵、長湯温泉

 地獄巡りは、国指定史跡である「」「白池」「血の池」「竜巻」の4箇所だけを訪れました。この4箇所で印象深いのが「海」と「竜巻」。
 「海」はコバルトの蒼さと湯気の多さに驚きました。「竜巻」は間欠泉の面白さと私たちのタイミングの良さ(笑)。間欠泉の間隔が3-40分なのだそう。なので、下手をしたら見えなかったか、待つ必要もあるかもな条件でした。なのに、私たちが竜巻前に着いたと同時に、吹出したのにはビックリ(笑)。観光に関するタイミングの良さを再認識した次第です(不思議と日常ではタイミング悪いのに、旅行だと妙にうまいタイミングにハマルんですよ…)。
 間欠泉も解説文を読む限り、サイフォンの原理かと。自然って面白くて怖いよなぁと思うだけの迫力がありました。ただ別府の地獄については、観光地化され過ぎてるきらいがあるような気がしました。登別の地獄的な火山地帯のダイナミックさとか地球の凄さを体感出来る方が、私は好みかなぁと。

 地獄巡りをした後、鉄輪の別府ひょうたん温泉で入湯。300円追加で砂風呂が出来るとのことなので、面白がって入ってみました(笑)。ここの砂湯はセルフサービスな砂湯。なので、自ら穴を堀り自分で自分を埋めるという、ある意味シュールな感じもしなくもない砂湯です。正直、職場で墓穴を掘りまくってる私にとっては、自虐以外のナニモノでもないという感じで、穴を掘りながら少々凹んでみた次第です(^_^;)
 で、掘って埋めてしてるうちにドンドン汗が滲んできます。そして、完全に埋ったらもう最高!!!上下からじわぁぁっと熱温かくなる上、上からの丁度良い重みが心地良く感じます。10分程度埋まってたんですが、浴衣がかなり汗で湿ってる状態でした。いや、あれはやみつきになる気持よさでした!!機会があればもう一度埋まりたいっ!
 鉄輪で印象深いのが、足蒸し。足を温泉卵を作る要領で蒸すんですよ。確かに確かに気持ちはイイです。が、温度高すぎ(涙)。利用注意書には「10-15分蒸すと」とあるんですが、すみませんそれだけの時間持ちませんでしたorz。けど、気持よさは文句なしです!!

 お昼は、宿の方お薦めの「天丼が美味しい」お店で。お昼ちょっと前だったのにも関わらず、既に行列が出来ていてビックリ!!思ったよりも待たずに入店できたのは、店員さんの差配が良かったからでした。お薦めの天丼ですが、凄い!の一言。680円で器から天ぷらがはみ出してるし、食べ応えはあるのに油っこくなく、美味な天丼でした。もし機会があればもう一度行きたいお店です。そして、天丼の他に折角だし豊後鯵のお刺身を頼みました。こちらもぷりっプリッな食感と甘さに大満足でした。お値段も一人前1700円と良心的かな?と思います。

 お昼を終えて向かったのが、臼杵の磨崖仏。相方の希望で訪れることにしたのですが、予想外に美しく荘厳な仏様で行ってよかった場所です。国宝の阿弥陀如来像は勿論、それ以外の仏像も素晴らしく自然と手を合わせたくなるような空気や雰囲気を纏っておられました。正直、あんな辺鄙な場所にあれほど美しく優美な仏像が作られたことに驚きました(失礼極まりない言い草ですが__;;)。

 臼杵を後にして向かったのが、長湯ラムネ温泉。炭酸泉自体、関西ではあまり聞かないし、信州東北などでもあまりお目にかかった事ないなぁということでいそいそと向かった次第です。
 長湯の炭酸泉は立ち寄り湯が一軒しかないようで、行ったらもうかなり人が来られてて…相方と「どうする??」と。まぁ来た以上は入りましょうかね…な感じで入りました。女湯は脱衣場が狭い為かなり混雑しており、脱いで衣服を置く場所を確保するのがちょっと大変な感じでした。内湯も露天も混んではいましたが、思ったほどでは無かったのが幸いでした。
 炭酸が身体に付くラムネ温泉は、露天ということでウキウキと外へ。空いてる場所を見つけ浸かってみたらば、微温いというより冷たい(笑)。案内板には「湯温32℃」と書いてありまして、そりゃ冷たく感じるわと納得。入った瞬間に炭酸っぽさが分かるのではなく、浸かってしばらくすると面白いくらい体中に炭酸の泡がくっついてきます。そのままじっくり浸かってると、手足の指先がじんわり温かくなり、身体も中から温まってくる感じです。普通の温泉みたいに、入って直ぐほっかほか☆では無いのでちょっと違和感はあります。が、小一時間浸かってても上せないし湯疲れしないお湯でした。ただ、やっぱり上がると寒い(笑)ので、内湯(高温炭酸泉)や蒸し風呂(サウナ)で体表を温めてから出ました。湯上がり後は、炭酸の効果かじんわり温かいのが持続します。汗が出るような温まり方でなく、ほんと芯からじんわり温いという感じ。夏場には最適かもしれないとか思います。

 そして、ラムネ温泉を堪能した後再び別府市内に戻り、これも宿の方が教えて下さったお店で夕食をいただきました。このお店は、別府の飲み屋さん街にある小じんまりした居酒屋さん。お薦め理由は、漁師さんが釣った魚を提供してくださるので魚が美味しいのは当然ながら、関アジ&関サバが良心的な値段かつ美味しいというもの。
 で、頼みましたよ一尾4,200也な関鯖(笑)。目の前で造って下さった鯖のお刺身。初めてでした、鯖の姿造りって。鯖の生食自体が初めてでかなりドキドキ(鯖って怖いイメージがありまして^^;;)してましたが、一口頂いてみたらば!!歯ごたえも良く、ふんわりといい香りがして、甘いんですよ、これが!!生姜と相性がよろしくて、なんかもう美味しいとしか表現できません。兎に角、ホント美味しかった!!
 カウンター席だったので、お店の方と色々お話させてもらったり、かなり面白く楽しい食事となりました。惜しむらくは、帰路の運転があった相方が飲めなかったくらいかな(笑)


九州旅行 初日

 鬼のように忙しく過ごした卯月の〆は、2泊3日の九州旅行。本来人混みが苦手で避ける連休旅行なんですが、今回は相方共々平日に休める状況じゃなさそうだったので、黄金週間に予定を放り込みました。旅行を決めたのは、2月後半だったんですが(^^;;。それが、結果的に良かった。命の洗濯できました(大げさ)。

 旅行の基本路線は、
1.新幹線で博多まで(not3月にお目見えした九州新幹線)。
2.博多でレンターカーを借りて、九州内の移動は車。
3.相方両親の金婚式記念品(__;;を、有田or唐津で購入する。
4.温泉三昧!!土地の美味しい物を食す!!
5.立寄り先に、遺跡&博物館は欠かせない!!by相方
なものです。4と5については、私たちの旅行には欠かせない条件だったりなのが、全然若くないしお洒落くないと思う所以です(笑)

 今回の旅程としては、
1日目:博多市内で博多ラーメンの昼食。博多駅から直ぐ近くにある、キャナルシティ博多のラーメンスタジアムに入ってた、初代秀ちゃんで食べました。本当なら、個人のお店を探したほうが良かったんですが、時間を考えるとその選択もできず…。
 とは言え、ラーメンスタジアムとは言え博多ラーメンのお店が何軒かあり、見比べができたのは嬉しかった。

 昼食を終え一路唐津へ!!唐津の町は意外と小じんまりしてまして、懐かしい感じがする町でした。唐津焼の焼締は私が、挑戦唐津は相方が気に入ってました。が、結局購入せずでした。ただ、お祝いの記念品として心惹かれるモノは少なかったんです。正直、焼締陶器だったら信楽の方が良いかも…絵付唐津もなぁと。とは言え、最後に入ったお店で相方共々「これっ」と思えた記念品を購入できたのは幸いでした。記念品については、後日零すかも(苦笑)
 そして、鏡山展望台で「虹の松原」を鑑賞。この日の天気がピカイチで、壱岐まで望めたのは幸いでした。九州と韓半島の近さを少しだけ体感でき、陶のルーツとか文化の入り口だった古代九州なんかを、ちょっとだけ理解できたかもです。
 その後は、高速道路を走り宿泊先である湯布院へ。