2011年5月5日木曜日

『クララ白書』&『アグネス白書

某所にて5/5公開

 旅行の日程を決めてる際、有田の「深川窯」の文字を見つけました。そこから思い出して読みたくなり、図書館で借りたのが氷室冴子の『クララ白書』と『アグネス白書』。
 何故「深川」で『クララ白書』&『アグネス白書』なのかと言えば、マッキーの「美貌の次に大切な深川の茶器」だからです。知らない人には全く何のことかさっぱり、なネタなんですが知ってる人は「懐かしいぃ」と思ってもらえると嬉しいです。
 作中で「清水の深川の茶器」とあり、有田とは全く縁が無いことが分かった瞬間有田に興味を失ったのは別の話ってことで(笑)
 
 今回、久しぶりに『クララ』&『アグネス』を読み返して感じたのが、仕込まれてるネタの豊潤さでした。出てくるコネタや言葉が、古今東西の文学だけでなく映画・音楽いずれも普遍的なものばかり。何より、それを中3~高2の少女たちの言葉遊びとして使ってる知識の贅沢さと豊かさ。それらになんとも言えない凄さを見たんですよね。
 私が読み始めた時期(小5か6)には、それらは中学高校になれば自然と身につくものだと思って憧れてました。しかし、全く身につかなかったです(苦笑)。確かに歳を加えるに従って色々断片の知識としては覚えます。が、未だに作中の彼女たちのように、会話の潤滑油として自然に出てくるまでには至ってませんし、身について無いです。
 そう考えると、発刊当時の少女たちってインテリだったんだとしか思えないんですよね(コバルトが生れた背景を考えると)。しかも、この手の小説は文芸とは思われてなかったといいますし…。どんだけインテリやねんと思わざるを得ません。

 懐かしさで贔屓目が入ってるかもしれませんが、今回読んでも「古さ」を感じ無かったのも凄いと思いました。確かに、今時のライトノベルからしたら文体は古いだろうし、派手な作風でもない。しかし、だからこそ何度読み返してもその都度見える「面白さ」があるんだと思うんですよね。

 二年間を全四巻でまとめたコンパクトさも好ましい。構成がしっかりしてるので、あれやこれやエピソードを詰め込んでるにも関わらずとっちらかりません。大きな筋もあるようでなく、単に学園&寮じゃなく寄宿舎(笑)の生活の騒々しく楽しく不穏な様子を描いてるだけ。なのに、少女賛歌として成立しちゃってるという…。
 少女賛歌と表現しましたが、少女の美理想的な美しい部分なんかほんの少ししか描かれてません(笑)。殆は、同性にミーハー的に憧れる姿や、喧騒や権力闘争や小さなことで右往左往しちゃう姿。男性が読んだら少女幻想なんざ打ち砕かされるかもな、ある意味等身大の少女像です。それらを氷室冴子は「美しいもの」として見て、表現した作品がこれらなんだと初めて思いました。

 氷室冴子が少女小説や少女を主人公にした小説を書き続けたのは、どんな時代でもどんな姿をしようとも「少女」である「瞬間」を慈しんでたからなのかもと。

 引越しの際に古本屋さんに持って行った事を、ホント毎年のように後悔しております(馬鹿)。