2011年6月26日日曜日

すずめ対応

某所にて、6/26公開。


 日々暑くなり、そろそろ冷房が欲しいかもなぁと思う今日この頃です。にもかかわらず、我家は暫く冷房はおあずけです。
 巷で話題の「節電」ではなく、タイトル通りスズメさん対応で。


 遡ること、5月後半。スズメさんカップルが、室外機の上に放置してたガラクタに今年2回目の営巣を開始。1回目は4月位でした。今回とは別場所で営巣してたんですが、私の不注意でちょっとした事故で不信感を抱かれたのか抱卵までいかず(洗濯籠が営巣場所に当り若干様子が変わったと推測)。
 
 前回の失敗を繰り返すまじ!と2度目の営巣が始まって以来、相方共々慎重かつ生温く見守っておりました。そんな見守りのなか恐らく先週末くらいに無事孵化したらしく、雛のピーピー声がのべつまくなしに聞こえてます…。そんなの聞かされたら、冷房付けられないよ…と諦めモード。正直、風通しの良い立地にあるので、彼らが巣立つまでは影響なく過ごせるかとは思ってます。が、それでもいつでも使えると思うのと、使えないと思うのではちょっとばかり気分が異なるのは仕方なしと。


 営巣してる最中からスズメさんたちには怒られまくってました、私。洗濯を干す度に「キケン!タイヘン!!」と警戒警報を出され、その上対面の建物から「ハヤクドッカイッテ!」とばかりに騒がれ。にもかかわらず、巣作りの出入りのみならず交尾まで見せてくれるし…一体あんたらどうしたいねん!!と思う毎日でした(笑)


 今も、雛たちがビービー鳴いてらっしゃるんですが…それはキケンじゃないのか?!と相方共々つっこみまくり…。その相方は、ウキウキと写真撮影(カーテンに隠れてまるで似非野鳥カメラマンのようorz)してらっしゃるし。スズメに振り回され日々がしばらく続きそうな感じです。


 無事、子スズメ達が巣立ってくれると良いなぁ。

今月の角川文庫

某所にて、6/25公開。

タイトルどおりの内容ですが、決して角川さんの回し者ではありません(笑)

今月の角川文庫新刊ラインナップ、なんでこんなに充実してるの!?とちょっと嬉し涙が…
『図書館革命』、『ジョーカー・ゲーム』、『チョコレート・コスモス』の三点一気発売って!!ホント嬉しい悲鳴。

以下世迷い言。

今月に『図書館戦争』シリーズ文庫版4巻目『図書館革命』が発売なのは、5月時点で確認済みでした。ので、発売日朝に通勤途中の書店へ。

余談ですが、自分で少ないながらも稼げるようにになって一番の幸せは、好きな本を小説漫画文庫単行本新書に限らず発売日当日に、何の躊躇いも無く購入できるこですよ!小さい喜びですが、ホント毎回噛み締めてしまいます。

話は戻って、新刊棚をみたらば『ジョーカー・ゲーム』が!!2-3ヶ月前に図書館で借りて、スゲェぇ!!面白過ぎ!!久しぶりの大当たり!!と歓喜雀躍した作品が文庫落ちじゃん!(何故関東弁??)と喜び勇んで手に取り、『図書館革命』と共に購入。

で、先ほど折り込み広告でも確認しようかなぁと開いたらば、『チョコレート・コスモス』(by恩田陸)の文字があるではないですか! 
やっとやっと文庫落ち…。後発作品(『中庭の出来事』とか)が次つぎ文庫化されてる中、この作品だけなかなか文庫化してくれなかったので、やや諦めモードだったので余計に嬉しい。 

兎に角、今月の角川さんについては「よくやった、ありがとう」です。週明には『大奥』の最新刊もでるし、今月の書籍代にいくらになるんだろう…。


 世迷い言2。
 『図書館革命』について、ちょっと思ったこと…。シリーズ文庫化にあたって「おまけ」が二つ。その一つが児玉清さんとの対談です。文庫化刊行さてるなかで、児玉さんが故人となられました。一読者として、児玉清さんという「小説読巧者」がいらっしゃらなくなったことは、非常に残念で悲しいことだと感じます。
 で、先月刊行された『図書館危機』でその件に触れられなかったのは、無理なのかなとは思いました。が、この『革命』において何もなかったのが、とてもとても残念でした。勿論、有川浩さんのブログでは追弔が書かれてましたが、それをどれだけの読者が見るのかと思うのです。媒体として一番大きい書籍上で、なんらかの形で触れられるべきでなかったかと。出版スケジュールやご遺族の意思で記載がなかったのかもしれませんが…。
 その辺、なんとなくモヤモヤ感が残りました。



2011年6月19日日曜日

表現・さわやか『15♡0』 大阪公演

 家&職場(といっても私と先輩のみ/^^;;)で大人気なイケテツこと池田鉄洋主宰の「表現・さわやか」大阪公演に行ってまいりました!!


 まず、行くことになったきかっけから。
 火曜日に池鉄ネタを毎度のごとくしてたんですよ。内容は、TRICK グッズ電話応募で池鉄が喋ってたんですよ~耳元で池鉄が池鉄だったんですよ~なホント毎度のごとくクダラナイもの。てか、その話題で盛り上がるってどうよ、私たちな気分ですが。
 したらば、先輩が言うわけです。池鉄が大阪に来るの知ってる??なんかHEPで公演するらしいんだ、e+観てみて~と。その先輩は舞台鑑賞とは遠い方だったんですよ…。なのに、何故その情報を持ってる?!と驚いたんですよ。どうやら、阪急グループの広報誌とか新聞とかに出てたらしく、先輩曰く「ちょっと運命感じた」そうです。
 その先輩、普段物凄く大人でそういう事を口にする方じゃないんです!!確かに、ちょっと面白がりな面はお持ちですが、私に比べたら全然大人で一般常識もある素敵な方なんです。そんな方が「運命」って…。どこまで池鉄好き?!とビックリでした。


 休み時間にこっそり調べてみたら、確かに大阪公演がある。しかも、池鉄女装で少女漫画ネタ、値段もお手頃で金曜公演が空いてる。それなら、行ってもいいかもしれないと思った私もかなりキテると思いますです。お昼休みに、先輩に「行きましょう!チケは私が手配しますよ」と言いましたらば、「相方さんも一緒しませんかねぇ(笑)」と。
 一体この展開は?!な感じで、ウキウキと相方に電話。電話した時点で、私たちの罠を感じ取った相方には「行かない。二人で行ってきて」と冷たくあしらわれてしまいましたが(_;;。ただ、相方の回答も妙で「二人の趣味を追っかけたら歯止め掛からへんからな。今回はやめとく」なもの。えっと…、もしかしたら生池鉄観たかった??と大笑いいたしました。


 でその日のうちにチケットを入手。公演当日を迎えたのでした。


 私にとっても初めての小劇場公演で、とても新鮮でした。手作り感満載というのか、アットホームというのか、兎に角スタッフの方達も気さくで心地良かったです!!特に、グッズ販売がもう(笑)。
 文化祭のサークルかっな感じで、売手と買手が和気あいあいな雰囲気でした。何を買うか思案してた私たちに、値下げ(笑)してたクリアファイルとストラップを薦めてくれたり。しかも、「どうです?池鉄が拭いてくれるクリーナー、どうです?池鉄が携帯画面拭いてくれるんです!!!値段も下がってますし、意外に人気なんですよ。池鉄が拭いてくれるクリーナー」な宣伝句。物凄く可笑しくて、お値段も非常にお安かったので購入させていだきました(笑)。


 公演自体については、出来不出来がハッキリしてたなぁと。すごく練られてて面白い!バカだねぇな素敵なコントもありました。が、これって…単なる一発芸だよね…今ひとつだなというのもあり。もう少し統一感が欲しかったと思った次第です。


 よかった(好きだった)のは、『テニミュ』ならぬ『将棋ミュージカル』、『女性車両』ネタ、『擬音祭』、グダグダになってた桜と野茂の二人コント、おまけ。
 ネタが分かった漫画は、『花より男子』(冒頭のF4ネタ)、『君に届け』(タイトルのみ)、『ガラスの仮面』、『西洋骨董洋菓子店』、『テニスの王子様』(テニミュ版)位。他にもコネタがあった気もするんですが、忘れました(笑)


 『将棋ミュージカル』は、凄かった!!全部観たことないけど、ダイジェストとかYouTubeとかで何となく見たことのある『テニミュ』のエッセンスを上手く入れて、見事にパロってました。てか、『テニプリ』本編すら知らないのに『テニミュ』を知ってる時点で、大概だよな…私、な感じでスミマセン。キレのないダンスも駒の着ぐるみも、歌詞もすべてがホント見事にツボでした。これだけで、観劇料半分の価値がありましたよ。
 『女性車両』ネタ。恐らく下敷きとして『電車男』らへんから一般に知られるようにになった、2ちゃん特有の言い回し「衛生兵!」があるんだろうなぁと推察。同じ女性としてあの状況は、よぉぉく分かるので面白さが上乗せされた気がします。そして、あの戦場っぽい言い回しが上手くい効いてて、無駄にバカバカしく面白かったなぁ。
 『祇園祭』。始めは流石に関西でそれはナイと冷めてたんですが、擬音と知って一気に納得→バカウケしました。日本語って確かに擬音語(オノマトペ)多いもんなと再認識させてもらいつつ、大笑い。見事でした!
 グダグダになった桜と野茂のコント。
 殆ど脚本から外れてたんじゃなかろうか、というくらい素の喋りが可笑しくて可笑しくて。女子高生である池鉄が年齢相応のおじさんになってたし。兎に角、これについては「池鉄…北村一輝さんがやるから、それは素敵に見えるんであって…」と悲しくなりつつツッコミを入れるのが正解だと思います(笑)。


 テニプリ以外の漫画ネタは、やっぱりネームバリューに頼る分しんどかったかなと感じました。
 『花男』のF4ネタはねぇ。掴みはよかったのに、あの落ちであれだけしつこいとシンドいなと。
 『ガラかめ』は、月影先生は素晴らしかったし、亜弓さんとまやの白目登場もよかった。のに、延々引っ張りすぎた気がしなくもないです。
 『西洋骨董洋菓子店』は、う〜ん。確かに、ちーちゃん、小野、橘な雰囲気は上手く作ってたし、そこは評価するんですが…。魔性のゲイは小野だけで十分だったかも…(原作準拠)。よしながふみの原作は、雰囲気がエロいのであってね…とか、ある割合の女性が腐ってると言ってもそれは結局のところ脳内であれこれ関係性をネタに腐ってるだけであってね、決してリアルを見たいとは思ってないんだよ…とか冷静に突っ込んでました。キスも回数が少なけりゃよかったのにな(遠い目)。


 そして、メインの池鉄女装!!
 不覚にも「可愛いっっ」と思いましたorz。女子高生の動きとか仕草や表情とかが見事で、こんな女子高生どこかに居る気がするぞ!なリアル感。何をしてもしてなくても、池鉄が(キモ)可愛くて可愛かった2時間でした。
 役者さんとしての力量も、やっぱり頭ひとつ抜けてらっしゃいますし、安心というか安定感がありました。


 で、及川奈央さん!!むっちゃ可愛かった(^.^)。華奢なのに凛としてて男装が良く似あってらっしゃって、美男子というに相応しい佇まいでございました。ホント真剣に可愛いかったんですよ。帰宅して相方に「昔の作品観たいと思った!」と言って思いっきり引かれました(苦笑)。


 先輩が、「来年の公演が大阪であったら来るかもしれない…。」とおっしゃてたのが一番ビックリした観劇でした。


 ところで、池鉄の何が私たちを惹きつけるのか、ホントに本当に謎です(笑)


 

映画『ブラック・スワン』感想(二回目)

某所にて6/19公開。


前置き:前段でも書いた映画『ブラック・スワン』の感想です。ただ、時間を置いて打った感想のため、若干冷静になってるかもです。そのため、一応こちらにも載せておこうかと。グダグダっぷりは変わらず(苦笑)


公開前から気になっていた映画『ブラック・スワン』を漸く鑑賞。 

 巷で言われてる程サイコ・ホラーには思いませんでしたが、映像とナタリー・ポートマンが素晴らしくてそれだけでも映画館で見た価値はありました。 
 サイコ・ホラーと感じなかったのは、その手の映画にしてはネタ割が分り易かったせいじゃないかと。ホラーとかミステリーの枠組みにしてはちょっと大雑把な気がします。強引にカテゴライズするのならば、「母殺し」の物語なのかなと。 

 『オイディプス王』に代表される男児の父殺しは、あちこちで形を変えて描かれてのに対し、女児の母殺しを扱った作品って少ない様に感じます(浅学な私が知らないだけだと思いますが)。なので、その意味ではインパクトがあった映画でした。 
 また、信田さよこ氏が母娘関係について書かれてる内容と重なる部分もかなりあったのも、興味深かったです。 
  
 女児の母殺しを扱った作品が少ないのは、一卵性母娘の存在が近代的なものだからかもしれません。 
 一卵性母娘が生まれる理由として、社会が経済が成熟し、女性が子育てに専念できる環境が生まれる。なのに、女性の社会的地位は旧時代とそれ程変化が無く、一旦家庭に納まってしまうと社会への再加入(金銭交換される社会であり、地域活動は別)が難しく、それ故に子育て=母親の評価(若しくは叶えられなかった夢の再実現)になる。それに加えて、母親と対の存在である父親が家庭内で希薄であった場合、母子同一幻想が肥大化するのだと理解してます。 

 父親の存在が希薄だと、母娘の関係は狭く密接になりがちなんですよ(実体験/苦笑)。極端な言い方をすれば、生殺与奪権を握ってる母親の「かわいい子」でなくては生き延びられない状態。母親の「かわいい子。愛しい子」である限りは、拒絶もされないし衣食住も満たされる以上のものを与えられる。それは確かに愛情だし慈愛です。が、見方を変えれば真綿の様な檻。 
 ニナと母親の関係性てまさにこれなんだと思うのですよ。自分の夢をそのまま娘にスライドさせ、助力を惜しまない母の姿。母の夢を自分の夢と思い込み努力する娘。けれど、娘が母以上の成功や幸せを掴むことを無意識に拒み邪魔をする母。本当に信田さよ子氏の本に書かれたままだよ...と。 
 映画のテーマであろう「自己の解放」は、あの母娘関係では余程の才能があるか、周囲が手助けしなくては出来ないと思います。その手助けは、映画にあったような自慰行為とか同性との云々というセクシュアルなものでなく、ニナ自身に色々なことを選択させること。そして、自分という存在を認めさせることだと思います。そういう部分では、造りが粗雑というか男性目線な残念でした。 

 また、これは「失敗した母殺し」だと思いました。「主役を演じる」という他者からの承認を得、漸く母の娘から脱却しようとしたニナ。その方法が善きにせよ悪しきにせよ(セクシャルなものである必要は無いと思うが)、母が作った繭(檻)を壊そうとした。結果、確かに彼女が望みうる「完璧」(これも呪いかもな…)を手に入れた。ここまでは、成功なのかもしれません。が、精神のバランスを崩し、不安に苛まれ、自傷する。それって、母を殺す前に自分を殺してると思うんですよ。言い換えれば、自分を殺すことだけが「母の娘」から逃れる術だったと。そして、結果残るのは「母」のみ。これが、失敗と言わずなんというのかとゾッとし、もの凄いホラーだよなとそこで感じた訳です。もし、ニナがあのまま公演を続けていれば、壊れるのは「母」だったと確信してます。壊れ方は分らないのですが、違った形で依存するか、ヨソヨソシクなるか…。互いが互いを認め合って、大人な関係を築く姿が想像できないんですよ(苦笑)。その辺が、一卵性母娘の難しいところだと深いため息をつくのです。 

 それが、こういう(表面的ではあるにせよ)映画として描かれたっていうことは、近代化が進んだ結果なんだろうなと思った訳です。言い方を変えれば、女性の自我が漸く普遍的なものとして扱われ始めたのかもなぁとか。 

 てか、なんで娯楽映画を見てジェンダー的なことをツラツラ考えなきゃならんのかと(苦笑)。 

 単純に映画作品として考えた場合、この映画ってそんなに良いか??と思うのですよ。確かに、映像は奇麗だったし、ナタリー・ポートマンは絶品でした。が、正直それだけの映画でした。 
 とは言え、引っ掻き傷を残してくれた映画だった事に変わりなく。ある意味、世界中どこでもあるんだね、この母娘関係は、と妙に安心させてもらえた映画でした。 
 

2011年6月11日土曜日

映画『ブラック・スワン』感想というか覚え書き

以下ネタバレ含んだ感想になります。その旨、ご了承下さい。



 巷ではサイコ・ホラーだとか女性同士の描写がどうたらとか言われてますが、話は非常に薄いです。映像は確かに奇麗ですし、見せ方も工夫してると思います。が、虚実が入り組んでる風にも関わらず、早々に枠組みが見えちゃうのはどうかと。サイコ・ホラーと言うにはその枠組みの甘さが致命的ですし、エロティックな場面も話題になるほどか??なあっさり風味。かといって、ミステリーでもバレエを見せる芸術的な作品とも言い難い。人間関係も割合ベタで然程ドラマ性が無い。色々な要素を齟齬なく組み合わせて、奇麗な映像とささやかな仕掛けで作った感じでした。

 特に、作品の勘所になる虚実の部分。ホント早々にニナの妄想って分るんですよ。それが分ってしまうと、ホラーとしてもミステリーとしても面白みが薄れるのにも関わらずです。その辺もう少しどうにかならんかったのか、と勿体なく思った次第です。



 そんな文句ばかりなのに、こんな長文を上げたのは偏に母娘関係がリアルだったから他ありません。


 鬱状態(というか、治まっていた「構って病」がここ最近再発=悪化してる)の実母から電話があった日に鑑賞。お陰で、非常にホラー風味を堪能させていただきましたです(_;;;。


 私にとってこの映画は、母娘問題若しくは娘の「母殺し」の物語でした。それも、父親の存在が非常に薄く、結果、母子分離が出来てない母娘の物語。極端に言えば、「私」の物語。相方も観賞後「これはひよの映画やったな。ひよやったな。ひよと生活してなかったら、全く理解できんかったわ」と言った程でした。
 見ている間身につまされ、見せられる母娘関係、娘の言動、全てがリアルで架空の物語とは思えませんでした。お陰で気持ちがドッと疲れたような...。


 ニナと母親の関係性が、私と実母の関係に似てるんです。というか、恐らく多くの一人娘と実母の関係がああなんだろうと思ったりするんですが(^^;;。それ故、ニナの言動が痛いくらい分る気がするし、恐怖心を感じたんです。


 総括的な感想が書けないので、記憶に残ってる場面について触れることにします。


 最初に「これって...私とおかん??」と思ったのが、序盤の母親がニナに服を着せてる場面でした。いつまでも「かわいい、小さな」娘として見てる。それは確かに愛情です。が、束縛だし鎖です。それを拒めないニナは、受け入れざるをえないのだろうと。母娘という小さな世界で生きる為には、仕方ないと諦めてるんじゃないかと思えたんです。


 そして、プリマ就任を祝うケーキの場面。ここは本当に痛かった(苦笑)。母親がケーキを捨てようとして、ニナが慌てて止めたのは良く分ります。決して、ケーキが勿体ない訳でも、食べたくなった訳でもない。単に、母親を怒らせた事に罪悪感を覚えるから。いや、ホント形は違うものの似た様な場面を経験してるわ私、と思った場面でもありました(苦笑)。
 少しでも貴女が与える好意(愛情)を受け取らなければ、捨てられるんだよね...。そのケーキはケーキという食品じゃなく、貴女の気持ちであり愛情なんだから、貴女が望む受答をしなきゃいけなかったんだよね、それを忘れてた私が悪い子です。だから、それみたいに私を捨てないで、嫌わないで。私が悪いから、貴女の愛情に間違った反応をした私が悪いんだから。と思いまして...。こうやって、罪悪感が植え付けられてるんだよなと、我が身を振り返りました。そういう意味で、もの凄く痛かった場面。


 「主役に選んで欲しい」」と監督(なのか?)に言いに行くものの、監督に「説得して」と言われると何も言えないニナの姿。彼女は母親と真っ当な「喧嘩」をしてないんだろうなと思った場面でした。感情のぶつかり合い(若しくは母親のサンドバックの役割)はしてるかもしれない。けれど、自分の意見を言って相手の意見を受け入れてという、普通の喧嘩はしてないんじゃないのかと。だから、ああいう時に必要な「自分の言葉」が出ないんじゃないのかと思ったんです。


 夜遊びの翌朝寝過ごしてる娘を放置し、無視する母親。そして、起こされなかった事を詰る娘。これはMy実家ですか?!と(苦笑)。前夜の売言葉に対しての答えがそれですかい?!と。デジャブでした...。


 公演当日。勝手に「休み」と連絡を入れる母親。これはもう本当にホラーとしか言いようがありませんでした。


 物語を通して描かれてるのは、母=娘。母親は娘を自分の分身として見てて、娘もその枠から逃れられない。娘の心身は全て母親のモノであり、他者が干渉する事は許されない事。許されるのは母親が「許可」した人だけ。それ故に物語の中心にあると思われる「ニナの抑圧された感情」が形成される。てか、ああいう母娘関係であったら当然なんですよね。


 端から見たら、間違いなく娘を思いやる「優しい」母親と一人では何も出来ない娘の姿。けれど裏を返せば、もの凄く過干渉で一方通行でしか無い押しつけ。無意識のうちに娘が成長することを拒んでるというか、自分以上の成功や幸福を娘が手に入れるのは許せない思い(歪んだ嫉妬とも言える)。


 私が何より怖かったのは、呪文の様な「かわいい子」。それは愛情であるし呪いだと思うんです。いつまでも小さな「母の娘」であることを選ぶようにされてるというか...。選ばなけば延々罪悪感を抱き続けるというか...。言葉が鎖となって縛り付けられる、小さな小さな母娘の世界で縋らざるを得ない言葉というか...。
 これに類する言葉に、監督の「小さなお姫様」。これも、束縛と鎖だよなと。母の言葉から離れても、次の檻に入るんだよなと寒くなったのです。


 そして、爪。爪を切るのと噛む場面。私も恥ずかしいですが爪噛みが治ならままです。心理学的に言えば色々あるんだろうなぁと思いつつ、やはり不安だったり緊張したりすると噛むんですよ。結婚するまで、かなり深爪状態まで噛んでて、血が出る事も多々有りました。なので、爪から血を流す場面は、痛いしのが分る上に彼女の気持ちが見える様な気がしてなりませんでした。これについては、上手く表現できないんですが...軽い自傷行為なのかなと思ったりする部分もあります。


 映画のラスト。私はニナは「母殺し」に失敗したのだと思います。結局、母親の呪縛や檻から抜け出せなかった。というか、自分を殺すことでしか母子分離ができなかったんだと。
 もし、私が今も実家に居たのなら...と思うと本当に本当にホラーなんですよ。今は、少しですが物理的にも辛うじて気持ち的にも距離があります。それだからこそ、こうやって文章にできるだけの冷静さがあるんだと思えるんです。だた、やはり吞込まれそうになるときもあって、母娘ってのはホント難しいです。


 ただ、この映画を見て「私だけじゃなかったんだ!!!世界共通なんだよ!!!」と思えたのは、もの凄く大きな救いとなりました。ありがとう。





 


 
 

2011年6月10日金曜日

白馬の王子さま

最初に、小っ恥ずかしかいタイトルですみません(^^;;
ちょっと目が泳いじゃうようなタイトルですが、内容は愚痴とういか吐出しネタです。ホントにすみません。しかも、こっそりしたいので意図的に日付を変えちゃうぞ!です(どこまでヘタレ)。

 愚痴というのは実母のこと。恐らく、毒親とか言われる人と比べたら、全然たいしたことないのかもしれませんが、私自身ちょっとシンドくなってきたので文書にして吐き出したいなと。そんな訳でとりとめもない内容になるかと思います。

 母について。基本、物凄く善人だし賢いし努力家で救いようがないくらい優しく愛情深い人。娘である私に対して惜しむこと無く気遣い、世話を焼き、母なりの愛情を思いっきり掛けてくれました。お陰で、社会人になってから然程苦労もせず、上手くなんとか誤魔化しつつ生活できてます。また、年配の方に「両親が大事に育てたんやなぁ」と言われることが多い(それだけ野放図とも言う^^;;)から、きっとそうなんだろうなとも思うんです。
 私と母の関係は、傍から見たら「仲良し母娘」「友達母娘」に絶対見える自信があります。ただ、少し親しくなった人からは「一卵性母娘」「親離れ子離れできてない」と言われた事が多々ありました。

 母は恐らく、欝だったと思います。
 母や叔母からの昔話を聞くと、思春期に大病を患い入院生活を余儀なくされ、祖父母(母の両親)がかなり大切にお蚕ぐるみで見守ってたらしいです。どうやら、母の願いはすべて叶ったらしい、というのでかなり甘やかされたと想像します。そこから、父と結婚し田舎からちょっと大きな田舎に出てきた。その環境の変化と昔の義実家関係で少し身体を壊したりしたそう。で、私が生まれ…。恐らく、のめりこんだんだろうなぁ(苦笑)。そんなこんなで、真面目かつ神経質な気性が先鋭化され、結果欝になったのかなと想像してます。
 また、とても真面目な人だから子育てに没頭したのは想像に難くないです。そこで、強固かつ甘美な母子同一を味わったんだろうなぁと。とは言え、母の身体が弱い、ということもあり子育ても祖母、叔母が結構助けたそう。そのせいか、叔母と祖母には未だに頭が上がりません(てか、末の叔母曰く「あんたは私の妹」^^;;)。その分、完全な母子同一とならなかったのが今となっては救いのような気がします。

 そんな母は、今思うにずーっと「白馬に乗った王子様」を待ちわびてる人。王子様は異性でも同性でも良いんですよ。兎に角「今の環境から救い出して」くれる人であれば。本当なら父がその役割を果たせれば良かったんでしょうか、悲しいかな不器用な父にはできなかったみたいです。というより、父と母の価値が異なってた上、本来やるべきはずの擦り合わせすらできなかったという感じ。更に言うなら、互いに違う理想を求めて裏切られた感じ(当然です)。父は母に自分の母親像を求め、母は自分の父親像を求めた夫婦だと思うんです。それじゃぁ上手くいくわけ無いですよ(__;;。なので、幼少から互いの愚痴は聞いてました…。特に母の父に対する愚痴。今思えば、そんなことを子供に愚痴るなよ…なこともあったような気がします。
 父は父なりに努力してたと思うんですよ、今になって思えば。けど、母にとっては父の気遣いや努力は全くの方向違いであり、自分を傷付けるモノとしてしか捉えてなかったみたいです。まぁ現在進行形なんですが…。
 
 母にとっての「白馬に乗った王子様」は色々居たなぁと振り返るわけです。父の同僚とか後輩、お世話になった某先生、職場で知り合ったオバ様方、わんこ散歩で知り合った散歩友達、病院の先生方。けど、結局誰一人として母の望む形では救い出してくれなかったんだと思います。てか、当然無理です!!母の望む形は「私の思うとおりに事が運ぶ世界」なんですから。それは「実現不可能」な世界です。もし、実現するのであれば、自分から積極的に関わって変わらなきゃ絶対無理。受身で世界が変わるわけがない。けど、それを求め続けて雁字搦めになってる気がします。
 勿論出会った時の王子様達は、母に同情するし時間も費やしてくれる。けど、少しずつ母のやり方や考え方を変えなきゃ「世界は変わらない」と諭しはじめる。すると母はそのタイミングで切っちゃうんですよね。だから、何一つ変わらない上鎖が増える一方。

 で、そんな今の王子様は娘です(涙)。確かに、昔は「私がお母さんを助けなきゃ!!」と思ってました。確かに今も年老いてきた両親に対して何らかの手助けをしなきゃとは思いますし、それが一人娘のご奉公だよなと諦めてもいます。が、無理なんですよ。母の母親役は…。
 数年前に泣き落として母をメンタルクリニックに連れて行きました。その時も限界だったんです。毎日電話で泣かれ、死にたいと言われる。気晴らしに買い物に行けば口から出るのは愚痴か、私や父の不満ばかり。流石に見かねた相方から「一度病院連れて行った方がいいんじゃないかと」と言われ行った経過があります。通院して暫くは落ち着いてました。が、やはり何かのタイミングで逆鱗に触れたんでしょうね、突然通院をやめちゃいました。そこから、また繰り返し。
 暫くして、ご近所の内科が心療内科もやってるとのことで、母自ら通院しはじめたのはホント幸いでした。その病院にお世話になって以来再度落ち着きをみせてたんですが…。ここ数カ月はまたもう以前のようになってまして…。
 きっかけは恐らく祖母の施設入所。今まで愚痴の受け口であった祖母が、叔母達の尽力の甲斐あり漸く入所できたんです。これまで世話をしていた叔母と祖母にとっては何よりな事ですし、叔母達にはトコトンおんぶに抱っこだったと思ってます。が、母にとっては最後の堤防を失った感じだったんでしょうね…。祖母の入所先すらメモってないことから考えても。入所確認後、電話の回数が増えました。内容は、体の不調、友達関係の愚痴、日常の些細なことの確認、父への愚痴等々という昔から延々繰り返してるものばかり。相方と二人で「こういう考え方、やり方があるよ」と言っても、「私には無理。興味がない。」の一言で却下されます。母にとっては「私の全てを受け容れて。私を構って」なんでしょうが、ホント無理です。

 電話の話も毎回「こんなことがあって、こんなふうに言った(やった)んだけどそれで良かったよね?」とか「お友達がこういうからこうしたけど良いよね?」とか、私に一体どうせいっていうねん?!なこと。その判断を私に委ねて一体どうするよ!?と毎回毎回モヤモヤしてしまいます。挙句、その間に父やお友達の愚痴不満が挟まれるという…。全く楽しくも先も見えないものばかりで…。しかも、私が体調崩してても「私(母)の方がもっとシンドイの!!」と言わんばかりの態度だと、いい加減にしてくれ…そんなに自分だけが可愛いか!?と思ってしまうのもやむなしな状況。母にとっては、最大限依存してた祖母がいなくなって寄る辺無い心持ちなんでしょうが、それをそのまま娘にシフトするなよと娘としては思うんですよね。
 母が望む「白馬の王子様」役や「母の母親役」は絶対無理なんですってば…と電話を切るたびに疲れつつ思うのです。

 しばらくちょこちょこ母ネタで愚痴りそうな予感(苦笑)

 2011/7/10