2011年4月16日土曜日

舞台『国民の映画』感想 その3

・石田ゆり子@マグダ
 彼女の最後に呟く台詞のためにこの方を選んだとしたのなら、三谷幸喜は凄いと思います。
 
「フリッツがいなくて寂しくなるわ。ユダヤ人の割に感じが良かったのに」

 無邪気で無知で優しく思い込みが強い女性が、最後の最後で呟く言葉の怖さ。あの台詞の為だけに彼女は3時間強私たちの前でその姿を見せてたのかと思った瞬間、鳥肌が立ちました。
 この台詞で時代の空気、一般人をも巻き込んで動いていく「狂気」、一部の民族に対する一般人の感情視点が浮き彫りになっりました。これを、その直前までフリッツに詫びていた、優しく世間知らずの女主人が何気なく呟けるのことの「恐怖」。彼女が特別冷淡なわけでも無く、それが当たり前で「普通」であった時代と社会。それをこの台詞で見事に表現してみせた、三谷幸喜の手腕に感嘆します。

 で、石田ゆり子さん。やっぱ弱いんですよね(^^;;;。容姿とか身のこなしは美しいし、ため息ものなんですが如何せん何かが物足りないという…。周囲が達者なかたばかりだから仕方ないのかもしれないのですが、ちょっとキツイかなと思わなくもないです。

・シルビア・グラブ@ツァラ
 当時の人気女優さんを演じられた、シルビア・グラブさん。初めて拝見した方でした(TV・映画・舞台いずれでも)が、掠れた声と頽廃的な空気が魅力的でした。
 この方が居るだけで、舞台上が華やぐんです。それも才能の一つだと感心した次第です。
 役どころは、最後のキッカケ作りかなという感じです。が、そこに到るまできちんと組み立てられてたので違和感は、ありませんでした。この人の見せ場は、二幕頭の歌!!白井さんの項でも書いてますが、素晴らしい声と歌でした。

・新妻聖子@レニ
 当時一番有名だった女性映画監督・レニ。出てきた女性の中で、一番強く賢い女性。
 彼女の姿は、均等法世代前後のキャリア女性を彷彿とさせます。男性に伍するために必死になり、強さを纏い、女性という性をも利用しながらも決して決定権を相手に与えないことで地位を築き保つ。更に言えば、女性であるが故に拭えない異性同性からの嫉妬をも、のし上がる手段の糧とするような強さ。己の才能のみを過剰なまでに頼み、能力のない人々をあからさまに見下す。その姿が美しく魅力的ある同時に、痛々しさや脆さ弱さをも感じたキャラクターでした。
 ある意味、時代に愛され愛した人の具現化なのかもしれません。党が示す施策を躊躇いもなく受け止め、そから何が生み出せるのかだけに興味がある人。ある種の潔さがありました。

 三谷作品は、こういう女性がホント魅力的!女性的な女性はあまり上手くないのになぁと、相方と苦笑してしまうくらい魅力的でした。
 新妻聖子さんが硬質な感じで演じられていたからかもしれませんが、彼女が舞台にいると糸が張り詰める感じがあり良かったです。何よりも、歌で聴かせていただいたソプラノ(なのかな)が美しくて!!素晴らしかったです。

・今井朋彦@ケストナー
 児童文学で馴染み深いケストナーを、今井朋彦さんが演じるってだけで満足ですよ(笑)
 今井朋彦さんの舞台を拝見するのは2回目。前回もドイツネタのお芝居という、何ともこう縁があるのかないのか分からないんですが(^_^;)
 兎に角とくにかく、天才であるがゆえの反骨精神や皮肉&諧謔的な台詞、躁っぽい挙動、観察者としての佇まい&台詞が見事に嵌っておられました。登場人物の中で唯一体制に批判的な姿勢を明確にしているのに、最後の最後で「生き延びること」「書き続ける欲望」を選択する時に見せた凄み。生きること=書くこと=それを世間に発表すること、がどれだけ彼にとって根源的な欲望であったのかと。決して派手なセリフ回しでも動きでもないのに、彼がそれを選択する意味、それを選択せざるを得ない状況に対する諦め、選択することで捨てたものと得たもの、意図せず時の権力者を才能で屈服させた優越感、そういったモノが見事に伝わってきます。
 この場面、今井さんのお芝居を受ける小日向さんも素晴らしいんですよ。ケストナーという才能を得たものの、決して彼は自分に平伏した訳でない事実。それを受け容れなければ、自分の望む『国民の映画』は成立しない。彼は作品を書くといったけれど、本質的に彼は自分が望む形で屈服した訳でない。その隠しているんだけれども意図せず滲んでくる屈折した感情が、ただよう様といったら!。
 そういう二人のその絶妙な駆け引きを、最小限の台詞と動きで見せていただいたと思ってます。いや~ホント凄かったです。

 今井朋彦さんが時折見せるすっとぼけたり、困惑してたり雰囲気が、とてもとっても意外で可愛らしかったんですよ☆誠実なのか計算なのか分からない部分を残しつつもあるのが、これまた好ってな感じでした(笑)。

・小林隆@フリッツ
 影の主役といってもいい、執事フリッツ。
 小林隆さんだからこそ醸しだされる雰囲気だと思うのです。コバさんいい役者さんだったんだなぁ。てか、三谷さんは昔の劇団員にこういう役作るのは卑怯だよなぁとすら思うくらい、素晴らしかったです(コンフィダントの相島さんもすごく良かったし)。
 フリッツは、理想的な執事。すべての状況を把握し、主人のために己を殺して存在する。それが最後に効いてくるんですよね(涙)。最後の方で彼が語る言葉は、執事として使う言葉であるから故に静かな怒りと悲しみが感じられました。どんな時でも静かでプロであった人物が、だた一回のみ激昂し大声を張り上げる場面がとても印象的でした。
 そして何よりも、執事として「居る」のにも関わらず、彼らの処分を職務として日常会話の延長として話す高官達の様子に、当時の彼らが置かれていた立場、状況、恐怖、怯れ、諦め、悲しさ、怒りがみえました。フリッツ役の小林隆さんは、ただ立っているだけなのにも関わらずです。あの場面は、小林隆さんという役者を得て成立するのだと強く思いました。それほど、小林隆さんのフリッツは終始「執事」であったのです。

 あぁ小林隆さんは執事だなぁと感じたのが、ゲーリング閣下(@白井さん)が台詞(恐らく呼ぶ人)を間違えられて、「フリッツ」と呼んだ時。小林隆さんがすぅと動かれたんです。何の違和感も無く、閣下に呼ばれたからという風情で。勿論、それを受けた白井さんも「いや」という感じで手を動かされ、本来の台詞を言われたのも流石ですが。とかく、巧い人達が織りなすアンサンブルってのは、すごいよなと再認識した場面でした。

 フリッツの台詞で印象深いのが「執事ですから。主人を守るのが私の仕事ですので」。
 色んな事を飲み込んで仕事に徹する姿が格好良いと。しかもその仕事は「自分を殺す」事でしか成立し得ない仕事である。その一言で、そういった背景を一切合切感じたんですよね。いや、ホント影の主役はコバさんでした。