2011年4月15日金曜日

舞台『国民の映画』感想 その2

この項は思いついたままの箇条書き感想ですm(__)m

・最前列ど真ん中の席でした。良かった点は、メインじゃない話声が聞こえたり、煙草の匂いが嗅げたりして、より臨場感を感じられた事。細かな表情が伺えて、より物語に没頭できた事。
 悪かった点は、舞台全体が見れなかった…。全体の動きが分からないから、見落としてる事が絶対あるはずです。
・生演奏はやっぱり良いなぁ。効果音も凝ってたし、三谷さんのコダワリが感じられて嬉しくなりますね☆
・大階段奥が死角で、どういうセットなのか、何が行われてるのかが見えなくてちょっと悲しかった(涙)
・『風と共に去りぬ』の略は「風共」でなくて、「風去り」だと思うんですが違うんですか??

 出演者さんについて、これも箇条書きで。

・小日向さん(コヒさん)@ゲッペルス
 コヒさんの為に作られた作品であるのが、ホントに良く分かりました。コヒさんのありとあらゆる抽斗を開けて、隠し持ってる色んな面をこれでもかっというくらい魅せてもらった気がします。
 無駄に可愛かったり、猜疑心の塊だったり、刃物のように鋭い切れ味があったり、知的で冷静沈着で懐の深さを感じさせたり、かなり少人物で隠しているコンプレックが分かりやすかったり、女好きで色っぽかったり、激情化だったり等々。どのコヒさんも素敵で魅力的で凄い役者さんだと、改て感じた次第です。
 可愛かったのは、マグダ奥様との歌とダンス(笑)。『オケピ!』DVDで散々ぎこちなく無駄に可愛いダンス(というのか、あれは/笑)と音程ハズレの歌を観てるので、違和感は無かったです。が、それを目の前で観ることになるとは!!という複雑な心境に陥ったのも事実。けど、ホント可愛かったなぁ、コヒさん(既にゲッペルスじゃないし/笑)。
 ゲッペルスがエルザ(新人女優で愛人)といちゃこらするは、鼻の下が伸びてるコヒさんじゃなく、ゲッペルスのだらしなさがよく理解できた場面でもありました。ただ、ゲッペルスに只なら色気があって、それには自分でも驚きました(笑)
 ゲッペルスが演説する場面は、ものすごい迫力と説得力があり、映画に対する愛情や執着心、そして哀しいかな才能の無さも伝わってきます。そこにいたるまでに積み上げたきた「ゲッペルス」が、一つの像になるというのか、何といえばいいのかわからないんですが、兎に角小日向文世という役者の凄みを感じました。
 けど、2−3回台詞トッチてたよなぁコヒさん(笑)。今回は周囲が見事にそれをも受けて一つの流れに組み込んでたのが、ホントに凄いコンビネーションだと思ったんですよね。これはコヒさんのお陰だ(笑)
 

・段田安則@ヒムラー
 庭師な段田@ヒムラーに萌えました(笑)。なんでこんなにこの人可愛いの?!SSの長官なのに、こんなに可愛らしくて良いのかしら!?と明後日な方向に悩みつつ萌えてましたよ、えぇそれが何か。
 日常の中で淡々と「業務」をこなしてるのがこの人なんだろうな、と思わせるだけの冷徹さ優秀さを思いっきり感じました。身のこなし佇まい、ふとした折に出る台詞で一番冷徹さを感じたのもこの人でした。誰よりも「あの人」を敬愛し、彼らの世界を疑いも信じてる美しさや歪みも見えました。
 段田さんの舞台上の姿は初めて拝見したのですが、素晴らしく存在感があるのに空気のようにその場に佇める方なんだと、その役者としての素晴らしさに感嘆しました。いや、舞台上にいらっしゃるのに「影」のように気配を埋めてしまわれるんですよ!なのに、埋没してないという凄さ…。
 SSの黒服が大変お似合いで、もう何とも眼福な気分でいっぱいでしたよ。段田さんホント素敵だった(ため息)

・白井晃@ゲーリング
 三谷さんの連載「ありふれた生活」で、私の(笑)白井さんが肉襦袢を来て踊り歌うと知ったとき、ちょっと泣きました…。『オケピ!』で味をしめたか三谷幸喜、とまで思いましたよ。私の(笑)白井さんを…と。
 そして、いつ出てこられるのかとわくわくして待ってたのに、出てこられたのが一幕ラスト。最後に出てきて、一番美味しいところ掻っ攫って一幕終了orz。しかも、顔は肉襦袢に負けないくらい丸くなってらっしゃるし、お化粧は濃ゆいし元帥杖はリコーダーのようだし、歌いながら出てらっしゃるし…私の(笑)白井さんがぁぁぁとちみっとばかり悲しくなった次第です。
 相方に至っては「あれが白井さんか?!ソムリエ(by王様のレストラン)と偉い違いやけど…」と絶句する始末。私の白井さんなのに(しつこい)。
 二幕最初の歌って踊る白井晃@ゲーリングは、物凄く素敵でした(ヲイ)。見事にハモリ、軽やかに肉襦袢で踊る白井晃@ゲーリングの姿を最前列で目の間で観ることになるとは、感涙でした。いや~ネタかと思いきや、凄い良かったんですよホントに。曲も良かったしツァラの掠れた声の歌も素晴らしかったんです。そこに、白井さんのちょっと低めの音がきれに嵌り、リタの高音が絡みつき、絶妙な場面でした。あのシーンの為だけにDVD買ってもいいですよ、ホントに。

 ゲーリングとしての白井晃は、真の芸術の理解者であり庇護者であるが故に、上辺をなぞるような芸術愛好家であるゲッペルスを馬鹿にし続ける。それが如実なのが、ゲーリングが芸術監督に任命しゲッペルスが尊敬してやまない老役者・グスタフの理解。グスタフはナチスが存在を否定した「同性愛者」。ゲッペルスはそれを「(私達が希求する世界には相応しく無いので)改めて欲しい」と言うのに対し、ゲーリングは「それであるが故に彼が演じる人物には悲しみがあるのだ」と芸術の前に擁護する。その違いは、非常に大きいと思うのです。芸術を愛するのであれば、それを生み出した背景を想像し庇護するのが「貴族」や「権力者」のあり方であると暗に言ってる気がするんですよね。
 そして、そういうゲーリングを白井晃は決して諧謔味を帯るのでは無く、ある意味自然に演じてらっしゃったように思います。もちろん、ゲーリングが自身を目立たそう!というときはかなり外連味たっぷりに演じてらっしゃいましたし、メリハリが素敵だったなと思うのです。
 風貌とか外連味のあるお芝居に目を奪われがちでなんですが、実は登場人物の中で一番客観的な存在じゃないかと。ある種、やりにくい役柄なのかもしれないなぁと一日経って思いつてみたり(笑)

まだまだ続きます(ごめんなさい)