2012年6月3日日曜日

『QED ベイカー街の問題』とBBC版『SHERLOCK』

某所にて6/3公開、7/16転記
 
 BBC版『SHERLOCK』と関連すると思われる雑感を以下に。



 制作陣はホントにシャーロキアン達が長年に渡り議論してきた、「疑問」や「矛盾」上手く処理してるなぁと思いました。
 そう思えたのは偏に、S1放映後にジョンの傷とターナーさんに関して説明して下ってた多くのサイトさんのお陰です。そういった方々が説明してくださらなければ、この作品の「本当の」面白さとか楽しさは分かりませんでした。Webがあって広がった世界の一つです。こんなところでですが、皆さんにはホント感謝してます。ありがとうございますm(__)m
  一応自身の整理のために、今更な上記2点について。かなり曖昧な記憶と雑な内容です。なので、詳細や丁寧な解説はちゃんとしたサイトさんで御覧ください。

 まずジョンの傷。
 原典では傷の位置が「肩」にも関わらず「足を引きずってる」。この矛盾をどう解決するのか、が決着の付かないテーマだそうです。 シャーロキアンの間でも「ワトソンが足を引きずってるのは心因性じゃないか」とも言われていたそうです。それについてBBC版は「負傷は肩。足を引きずるのは心因性」とマイクロフト兄を通じて解を与え、シャーロックに心因を取り除かせることで矛盾なく説明できたとのこと。
 次にターナーさん問題。BBC版『SHERLOCK』だとハドソン夫人のお隣さん。ハドソン夫人にPCを貸したり、ジョンのブログに自らコメント残したりする友好的な関係っぽいお隣さんです。が、原典では一度221bの大家さんとして出た名前だそうです。それをこいう形で出したため、やっぱり界隈で評価されてました。

 長い前置きはここまでにして、『QED ベイカー街の問題』で言及されてた謎についてです。 S2の内容に触れてます。それでも問題ないという方は御覧ください。

 前項1の説について。
 シャーロックが落ちる瞬間、モラン大佐が狙ってるのはジョンでした。そのため、モラン大佐自身はシャーロックの生存を確認してません。S3Ep1でなされるであろうトリックでどう解説されるのかは解りませんが、S2時点では確実にモラン大佐はシャーロックの「死」を疑えない状況に置かれてます。もしかしたらバーツ内に協力者が居て(ヤードに居たからおかしくない)、偽装であることを伝えてるかもしれないですが。
 ただ、シャーロックの協力者がモリー一人だと思えない部分もあって…。どの範囲までシャーロックの偽装死に関わってるのか?? その辺も気になってます。
 また、BBC版ガイ・リッチー版共、落下をジョン&ワトソン君に目撃させてるのは原典の矛盾解決なのかと気づきました。

 入替り説そのものは、BBC版では扱わないと確信があります。それは、偽装死のヒントを作中に入れてるから。何度も書いてますが、ゴムボールは やっぱり一つのヒントだとしか思えないんです。落下トリックについては、S3放映を待つしかないのですが、多分作中にヒントが有るはずなんですよね (^^;;。だから、入替り説は絶対取らないと思います。まぁ最悪中の人のスケジュールが合わなかったり、降板したり(ベネディクトのインタビューとかを見てるとそれは無いと思う)しない限り、あり得ないよなぁと。

 次に2。
 これを読んだ瞬間、BBC版『SHERLOCK』製作者達ってなんて恐ろしい子!と慄きました(笑)。S2Ep3は、コレに解を与えるためにあるような気がしたくらいです。

 マスメディアを媒体にして、シャーロック=モリアーティとして描き、その結果としシャーロックの自殺がある。若しくは、シャーロック=モリアーティを「ジムの最終問題」として描き、その結果として「シャーロック=Fake→自殺」が矛盾なく成立する。
 この発想の転換はホント見事。一連の場面を思い返して、その見事さに鳥肌が立ったくらいです。

 シャーロック=モリアーティは、モリアーティがシャーロックに雇われて「犯罪コンサルタント」として「演技」してた。これでこの説に一つの答えを与えてると思います。しかも、実際はそれすらもジム・モリアーティの策略であり、モリアーティは現実に存在してる。けれど、それを「現実」と知ってるのはシャー ロックとモリアーティだけ。シャーロック≠モリアーティであると証明する材料は、周囲の人物には無い。だから、=か≠かが非常に重大になってくるんですよねS2では。
 こう設定されてるが故に、ジョンがシャーロックを全く疑ってないのが重要になる。なぜなら、「シャーロック・ホームズ」の語り手である、ジョ ン・ワトソンが≠を信じてる事こそが、「シャーロック・ホームズ」である大前提であるから。そこが全く揺ぎ無く描かれてるからこそ、どれだけ設定や二人の関係性を現代に置き換えても「シャーロック・ホームズ」の世界が歪められない。
 いや色んな意味で、凄く用意周到に練られた脚本だったんだと改めて感じました。

 シャーロックの自殺。いやもうこれはヤラレタ感一杯でした。シャーロック=モリアーティであることに疲れたorコカイン中毒の結果としての自殺 (シャーロキアン説)を、モリアーティの最終問題の解決であるシャーロックの喪失(BBC版設定/シャーロックとジムしか知らない事実)と、シャーロック= モリアーティでありそれが暴かれた結果の自殺(BBC版設定/公に語られる事実)としたのは凄いとしか言いようないです。
 そして、"I'm a fake."から始まるシャーロックのLast Noteがあれである意味。あぁこれもシャーロキアンの説を受けての台詞だったんだと思うと、かなり用意周到に考えて作られてる作品であることが伺えまし た。なんて、シャーロキアンの集団なのかととにかく驚きました(笑)。みんな愛情過多だよ!!と微笑ましくもなるんですが(^^)

 BBC版ではS1S2(共にEp3)でジョンはモリアーティと対面してるため、原典と齟齬が生まれるかと思いきや、ドラマ設定を活かしたまま整合性を与えてるんですよね。ジョンもシャーロックに騙されたんだとモリアーティが言うことで、原典とドラマ設定に生じた齟齬を回避したという。なのに、 ジョンがモリアーティを「知らない」という原作設定を活かしてもいる見事さ。
 確かに、ジョン視点だとジムが語る内容を信じても問題ない状況なんです。けど、ジョンはシャーロックを全く疑わない。どんだけ皮肉めいて表現しようが、シャーロックへの信頼と忠誠心が揺るがないジョンがきちんと描かれてます(激昂するシャーロックと、穏やかに当たり前のように且つ皮肉めいて 「君が本物ってことは知ってる」と言い切るジョンの場面は大好き)。

 原典、GRANADA版だけでなくシャーロキアン説をも盛り込んでる、BBC版『SHERLOCK』。そりゃ何度見返しても、原典読んだ後や GRANADA版視聴後に見返しても面白いはずだ。毎回、新しい発見や見えなかった事に気づくんだもん。なんて泥縄なドラマなのか!!と恐れおののいてる 次第です。勿論、丁寧に愛情持って注意深く作られてるからこそ、こういう楽しみ方ができるんですけどね☆

 とはいえ、こんだけ長年に渡り世紀を超えて「研究」「議論」されるのは、単にコナン・ドイルが行き当たりばったりだったからなんですが (^^;;。その行き当たりばったりが非難されず「謎」として「研究」されるのは、やっぱり作品そのものに魅力があるってことなんでしょうね。