2012年6月17日日曜日

映画『ジェーン・エア』雑感

某所にて6/17公開、7/17転記

  先週末(6/9)に観たのですが、なかなか感想がまとまらないままです。感情が上手く言葉にならない感じです。
 
 原作は氷室冴子/著『シンデレラ迷宮』・『シンデレラ ミステリー』で興味をいだいて中学時代に初読。その後、2-3回読んだ記憶がある程度。なので物語の全体像は掴めてるものの、細かな描写や台詞等はすっ かり脱落してる一読者です。が、今作の視聴中に幾度か「あぁこのセリフ(情景)はあった!!なるほど、こういう表情で語るんだ」と思ったのは、我ながら ビックリでした。 覚えてないようでいて、意外に印象深い台詞や描写って残ってるんですね。人間ってホント不思議です(笑)。
 
 映画全体の印象としては、美しい「恋愛物語」であると当時に、己の力(才能)を頼りに「自立しようともがく女性」を描いた作品だったと思います。

 あちこちの批評で書かれてい た「女性の自立」や「強い女性」というよりも、聡明であるが故の悲哀とか必死 さを強く感じました。物語の結末については、時代背景を考えれば「仕方ない」のかなと思いますし、あれはあれで色々な解釈がなされてる部分だった筈 (ジェーンが遺産相続しロチェスターが財と視力を 失ったことで対等になった 云々)。なので、素人で原作も読み込めてない私があれこれ言えない…ということで(^^;;。 

 
 そんな「恋愛物語」であったにもかかわらずこうやってごちゃごちゃ書いてるのは、 描かれてる「恋愛」が非常にとてつもなく「美し」かったからです。 そしてその「美しさ」が、台詞や映像だけではなかったからです。

 この物語が持つ精神性や骨格が凛としているからこそ、「美しい」のだと初めて感じましたと 。それは私にとって非常に嬉しい収穫でもありました。砂糖掛のような甘いだけの恋模様でなく、ジェーン・エアという「凛」として「運命 に立ち向かう」女性が、出会い選びとった恋であり愛であるからこそ、切なさと美しさをがそこにあったのではないのかと。
 また、運命的というよりも「魂の片割れ」というのか、「魂が惹かれあう」 とか言いたくなるような関係性。互いが埋め合い分ち合うことで完成形になるかのような関係というのか…。巧く表現できないのがもどかしいのですが、そんな 恋愛物語でもありました。魂の片割れを求め続ける辛さと孤独。それと出会い見つけたたときの喜びや多幸感。別れるときの引き裂かれんばかりの嘆きや痛み。 それらが二人の間で流れてる様子が、美しくもあり痛々しさをも感じました。
 で、こういう関係性って、当時の信仰や宗教観と密接に結びついてるのかな?? とふと思ったりです。その辺も浅学にして不明なので、図書館のお世話にならなきゃかなぁと(苦笑)

 恐らく映画のテーマであると思われる、女性の「自立」や「強さ」については、各映画評で書かれてるので省いた方がいいかなと思います。が、少しだけ思ったことを。

 今作は、フェアファクス夫人(ジュディ・ディンチが絶品!!)やアデル嬢といっ た女性陣が魅力的で存在感がありました。女性の輪郭がはっきり描かれてるが故に、当時の女性が 置かれていた状況が「空気」として感じられました。それだからこそ、野心家で聡明なジェーンという存在がどれほど希少で特異あったのか。その違和感が「美しさ」として画面から浮かびあがり、彼女の魅力として映っていたように思います。
 

 映画で表現されるジェーンの「自立心」や「強さ」は、決して目新しくはないと思います。が、それでも、いやそれであるが故に「普遍性」を強く感じました。 眦を吊り上げたり、激昂したりする「強さ」でなく、ありのままの自身を見つめ続け 「運命」に寡黙に、そして恐れることなく立ち向かう「強さ」を描ききっててた気がします。『キネ旬』で「強い女性云々」と表現されてたのは納得です。 ただ、その辺の詳細な考察等は、原作を再読して改めて考えてみたい部分だったりします。
 余談ですが、『キネ旬』で強い女性としてスカーレット・オハラが挙げられてました。が、彼女はものすごく「弱い」女性じゃないのかと思うのです (^^;;。強いのはメラニー・ウィルク ス夫人じゃないんでしょうか???。

 閑話休題。

 とかいう真面目な(?)感想はここまでにして。
 物語の軸であるロチェスター卿とジェーンの会話はときめきました(笑)。台詞と視線のやりとり、掌の動きだけであんだけ魅惑的に情熱的に官能的になるなんて!!!と劇場でドギマギしてました。あからさまな表現より、抑え気味の表現が やっぱり好きだよなぁ萌えるよなぁと己の嗜好を再確認いたしました (^^;;。 あそこまでドギマギしたのは、演じる方達が見事だってのも当然あるんです。特に恋愛部分を担いまくってらっしゃったロチェスター卿の色っぽさについては、後でたれ流します。
 
その他、役者さん関係の雑感等箇条書きで以下に。

・冒頭の映像を見た瞬間思ったのが、今作を氷室冴子が観たならばどういう感想を抱くんだろうか?というモノでした。本末転倒なのかもしれませんが、私が抱く「ジェーン・エア」のイメージは、氷室冴子が『シンデレラ迷宮』で描いた 「ソーンフィールドの奥方」だったりします。

 なので、今作のミア・ワシコウスカのジェーンは凄くしっくりきました。苛烈な精神を持ち、寡黙。常に哀しみと愛情深さが同居し、聡明で頑なさと穏やかさを併せ持つ、そんなジェーン・エアだった様に感じました。
 正直、今作のミア・ワシコウスカは非常に理知的で美しい。なのに、華やかさとは無縁で地に足がついてる感じがあって、かなり好きです。このジェーンならば、ロチェスター卿が「妖精」と表現するのも理解できます。
・今作のジェーンは、常に「観察者」だった気がします。周囲だけでなく、己をも観察してるイメージ。だから、ロチェスター卿が彼女に惹かれるのが 凄くしっくりきました。
・観察者であったから、ロチェスター卿と結ばれること、別れること、彼の元に戻ることができたのだろうなぁ。←意味不明すぎてすみません.... 語彙が欲しい。
・フェアファックス夫人を演じられた、ジュディ・ディンチ!!!劇場予告でこの方を見た瞬間「行かねばなるまい!」になりましたが、大正解!! フェアファックス夫人の皮肉めいた一言や、苦笑した表情、思いやりある佇まい等にどれだけくすぐられたことか!!この方を見るだけでも劇場に足を運んだ甲斐がありました。
・アデルが無駄に可愛いんだっ。美少女でないのに、アデルが画面に居るだけで和らぐ空気が好きでした。

・ロチェスター卿役のマイケル・ファスベンダー。『X-Men:first class』のエリック役だった方だそうで。正直、すっかり忘れてました(^^;;。が、今作でバッチリ顔と名前と声が一致した!もう大丈夫!まかせて! です(笑)。

・恋愛パートの大部分をロチェスター卿が担ってた感じです。それだけ、色っぽくて艶っぽくてドキドキいたしました。多分、視線とか身体の動きとか 声が凄く繊細なんだと思います。
・ロチェスター卿がジェーンのことを「魂の片割れ」とか「妖精」とか言うたびに、凄い…、感情駄々漏れ…、精神的に思いっきり跪いてるよなこれって…とか思って、無駄にドキドキしてました。いや、それを観客に思わせるって凄いよねと。
・なのに肝心のジェーンは気付かないときたもんだ!なんて好みな展開!!!大好きだこういう関係性!!と劇場で一人静かに大喜び。
・ロチェスター卿が理想の男性!とかいう人の気持ちが分かる、と初めて思いました。だって、あんだけ想ってくれて愛してくれて、ありのままの「自分」を躊躇いなく受け止めてくれる男性ってそう居ないですよね...。しかも、心に傷を負ってて癒せるのが「自分」だったら、そりゃ完璧「理想の男性」に もなるわなぁと。
・ロチェスター卿が「理想」と叫んでたのは、『アグネス白書』のしーのだったような…。結局、氷室冴子に戻る辺り…(苦笑)

・一緒に行った相方は「結局、男前得かいっ!!男前やったら重婚も許されるのか!!」と明後日方向でクダ巻きでした(苦笑)。一応、原作じゃジェーンもロチェスター卿も美女でも美男でもないんだよ、と説明したんですが聞く耳持たずでしたorz。

・DVD発売されたら買います!こうやって、BBCの罠に嵌まるんだ…泥縄ってこのことなのかもしれません…。