2004年12月29日水曜日

年の瀬にふと

 私にとって本を読む行為は、興味を持った物事に対し近づこうとする際に取る最短の方法なんだと、気づきました(苦笑)。

 というのは、「喪服の似合うエレクトラ」をISBMを頼りに書店で探し、入手できないとなったら速攻図書館に走ったのが、大昔に独眼流政宗に嵌った時や三銃士に嵌った時の行動と一緒やなと思ったんです(多少調べる方法等は進化しましたが/笑)。
 しかもついでに「喪服〜」のベースになってる「ギリシャ悲劇も読んじゃおう」と一緒に探して予約する辺もどうやら一緒のようで・・・。結局、気になるモノに対しては最初に「文字(書籍)」ありきなんですよね、幾つになっても(笑)。それが戯曲であろうと小説であろうと解説本であろうと、気になる要素が含まれてたら読みたくなる。
 もし、手にとって触れて更に魅了されたら、あちこちに手を伸ばしてみて何かしらを「読んでみる」。そうして嵌ればしめたもの。もし途中でこれは合わないかもな〜と思っても無駄は無いと思える。だって、手に入れた本なら「残せる」し、一度だけしか読んでなくても、記憶として辛うじて曖昧で微々たるモノとしてであっても(苦笑)なんとか残る。だから、少しでも引っ掛ったら行ける所まで行って見よう、とことん触れてみよう、読んでみよう。
 気になったもの(や諦めきれないもの)に対しては、そんな風な近づき方しか出来ないんだと、妙に納得しました。

 ふと振り返れば、氷室冴子の小説に散りばめられてる「古典」達に興味を抱き、それらを貪るように読んだりもしたし・・・本に関して言えば、どこでもどんな形でも出会いがある。そんな風に自然と思ってるんでしょうね(ただ、勢いで読んでたので記憶の表に出てこないのが問題です/^^;;)。

 ある時期、物凄く嫌だったんですよ、こういうのが(苦笑)。で、色々試してみた時期もあるんですが、結局、元にに戻りました(笑)。
 色々楽しむのは楽しめたんですが、「本を読む」「文字を追いかける」という快感が何よりも勝ったし、やはり一番しっくりするだろうな、と思ったりしてます(ただ、その時期にLIVEや観劇といった生モノと出会え、違った部分での気持ち良さを味わえた。その事は幸せな出会いだったな〜と思ってます。そこから更に広がっていくことも出来たし)。