2004年12月9日木曜日

古典芸能初体験とな。

 昨夜、山崎蒸こと桂吉弥さんに引き寄せられ、行ってきました「駅寄席 第6弾」。

 前売りどころか当日券も開演前には売切れだと知った時には、恐るべし「『組!』効果」と思いました(笑)が、予想に反して客層は老若男女と幅広く(桂山崎効果で若い女性ばかりかと思っていたもので^^;;)、皆さん「落語」そのものを楽しみにされてた感じがあり、とても落ち着いた感じを受けました。
 また、会場自体は旅行会社の受付周辺の一角を使っており、時折電車の音が聞こえたりもしましたが、50
席とこじんまりとしており、それが寄席が持つ身近な雰囲気を醸しだしてるようで、居心地の良い空間となっていたかと思います。
 あと、お囃子が(当然ながら)生だったのが嬉しかったです。

 で、肝心の演目。
 最初に高座に上がられたのは、桂阿か枝さん。噺は「牛誉め」。
 粗筋(っていうのか?)は、物覚えと口の悪い「あほ」が、普請されたばかりの家の大黒柱にある節の隠し 方を教えて駄賃をもらおうとする(子供のお使い程度の小遣いです)。で、友人(若しくは目上の知りい)に教えられたとおり(カンペを見つつ)屋敷を誉め節の隠し方を教え、計画(そんな大層なものではないですが・・・)どおり駄賃をもらう。で、最後に誉めた牛に…
 という、噺でした(解り難い粗筋ですみません)。

 この噺、何が凄いって、滔々と出てくる「誉め言葉」の数々。特に普請に対する言葉は、こんなにあったのか?!と驚く程でした。言葉自体は30%くらいしか理解できなかったんですが(苦笑)、言葉の音とリズムだけで「その場に立って見てる」ような感覚になったのが、これまた凄いというかなんというか。

 ただ、時代設定が今一つ安定してなかったのが僅かですが辛かったです(^^;;。言葉使いや普請の様子、小道具からして、恐らく昭和初期までなんだろうと思ったんですが、もらったお駄賃の金額が、1000円だったのが..。これは噺家さんの苦肉の策なんだろうな、と解るだけに本当に惜しまれました。
 確かに、貨幣価値なんかは時代によって大きく変わるし、「○銭」と言われても実際如何ほどの価値があるかなんて瞬時に解りません。なので、そういった部分は変化しても良いと思うんです。けど、折角の雰囲気がなぁと思ったのは事実でした(偉そうですみせん)。
 その部分以外は、本当に楽しませていただきました(^^)

 次が、我等が(え)桂吉弥さん。噺は「蛇福草」。
 粗筋は、夏真っ盛りに餅好きな男が立ち寄った友人宅で、売り言葉に買い言葉の結果「餅箱一箱の餅」を食べる羽目になり、帰宅後もらった蛇福草(人を呑んだうわばみの胃腸薬で人を溶かす草)を飲んだら...、
というある意味ファンタジックともホラーともいえるような不思議な噺でした。

 吉弥さんに関しては、長くなります(笑)。
「米朝一門のルー・大柴。桂吉弥です」(そう言われれば確かに似てる/笑)から始まった吉弥さんの高座。
吉弥さんの大師匠であり人間国宝でもある桂米朝さんの話から、米朝さんのところで修行されてた際の弟子と師匠との遣り取り(師匠への気遣いだったのに、突っ込まれたみたいな)の話。そして、寒くなってきたらイルミネーションが多くなりますね、という時候の話をされた後、「寒いので真夏の噺を」との一言で、一気に季節も時代も飛び越えました。

 浅はかながら、『組!』関係のお話されるかな〜と思っていたんですが、一切ありませんでした。それはそれで、「駅寄席」という場では当然だと思うので「何で無いの〜」消化不良にはなりませんでした(ちょっと残念でしたが/笑)。

 で、生吉弥さんを見た印象は、当然ながら「山崎やない」でした。
 あの役は「吉弥さんの抽斗の一つ」でしかないことや、落語家さんとしての「何か」をきちんと持って構築される方なんだと思った事が、なんかとても嬉しくて。本職に対して「真摯」できちんとされてる方の存在感や、凛々しさは美しいと思うので、それを見させていただいたのが、嬉しくてなりませんでした。

 落語をされてる桂吉弥さんは、予想以上に「動く」方でした。特に、「餅の曲芸食べ」を披露されるんですが、それが非常に大振で(曲芸だから仕方ないです)さも楽しそうにされてる姿なんかは、上半身がお座布団の外にあった程です。
 そういうのを見ていて、恐らく見当外れとは思うんですが、なんか桂枝雀さんっぽいな〜という印象を受けました(枝雀さんの高座での行動範囲の広さとか、表情豊かななのに「きちんと」されてる噺が好きでした。全集欲しいな/え)。

 しかし、餅の食べ方が本当に美味しそうで美味しそうで。思わず、「今すぐ、焼きたてのお餅を食べたい...」と思うくらい美味しそうでした(笑)。それより何より、無いはずのお餅が見えるんですよね〜
落語の表現力って凄いな…と感心しました。

 で総括(え?)
 枕から小噺、そして噺に入っていく意味が、生で聞いて初めて理解できました。導入部で、やる噺の大まかな構造や補足的な事を説明するから、噺が始まったら「違和感無く」「すんなり」その世界に身をおけるんだな…と体感させてもらいました。
 更に、落語は下地が要ると改めて感じました。特に「江戸〜戦後」までの風俗を知ってるか知らないかでは、楽しさ(可笑しさ)が絶っ対違う筈(今回のだと、和風建築の作りとか装飾とか)。ただ、決して堅苦しい「伝統芸能」では無い。噺家さんが連れって行ってくれる、世界で「遊ぶ」事が一番大切なんだな〜と思えたこと。
それが一番の収穫でした。

また、こういう機会があったら「寄席」に足運んでみようと思ったり。