2012年3月31日土曜日

名探偵ポワロ『オリエント急行の殺人』(BS-Premium放映)

某所にて3/18公開

 言わずと知れたアガサ・クリスティーの名作『オリエント急行殺人事件』。
 私にとっては中学生時代に原作を読み、あの結末に呆然とし思わず本を取り落とし、以降アガサ・クリスティーを避けるようにになった曰くつきの作品です(苦笑)。
 苦手意識をいつまでも抱いていても仕方ないし、英国産ミステリーに免疫もつきはじめてると思われる昨今。いいタイミングでNHKさんが放映してくれたので、録画して視聴しました。
 
 初めて面白いと思った!!!
 謎解き部分は確かに「それはありなのか?!」と思うし、ポアロが見聞きしたこと全てが解決に絡むってどいうこと?!とも思います。しかし、正義とは信仰とは何か、人が拠り所とするべきものとは何なのか、人が人を裁くというのはどいうことなのか、といった内容が織り込まれてて非常に見応えがありました。

 冒頭でポワロが抱えた「重石」が、最後にああいう形で昇華されたことに予想外の驚きがありました。冒頭の「重石」が作品に陰影を与えていて、なるほどアガサ・クリスティーの作品はこういう部分で評価されてるのかと目から鱗が落ちた瞬間でもありました。

 ポアロが冒頭で抱えた「重石」とは、彼が出した真実により死を迎えた人がいること。
彼が真実を明かさなければ失われなかった命。それを目の当たりにし、真実が全てなのかと図らずとも自問することになった。
 そこには、正しい「解」や「真実」が必ずしも善や正義であるとは限らない現実がありました。況や、導きだされた「真実」や「正解」が時として「罪」とうか「生を奪う」結果になる場合もある。そのことを目の前での自殺という形で付きつけられてしまい、果たしてポアロが彼の信念に基づいて明らかにしたことが「正しかったのか」という疑念が生じた。そう私は捉えました。 

 正義とか真実とかは、裁きの場に神の意志や文化なりが介在するのであれば、何が「罪」で「真実」で「正義」がさらに見えなくなる。それを、誰が何を基準にどう「裁く」べきなのか。どういう「裁き」であれば、真実や正しい結末なのかを突き詰めることできるのかと。 
 そんなことをウダウダ見ながら考えておりました。

 正直、初読時の印象は「全員が犯人ってどういことよ?!」しかなくて、なんでこれが名作なのかとすら思ってたんです。が、今回のドラマで上のような事が描かれてるに気づいて、こりゃ凄い作品だぞ、と恥ずかしい話今になって理解した次第です。

 信仰や神、正義、真実について、やはり欧米とアジアでは随分文化的に捉え方が異なるので、どこまで理解できているかはわかりません。が、それでも非常に考えさせられた視聴時間でした。

 しかし、この話の結末がああだったとはちょっと本当に吃驚です。欧米人にとって神との対話がどれほど重要なのかが伺えて、そういう部分でも非常に面白かった作品でした。やっぱり、原作を再度読むべきなんだろうか…。新訳も出てることだし…(最近そればっかりだな^^;;)