2007年6月5日火曜日

06/4/29 美しく、二次大戦後の世界を決めた町へ(ベルリン→ポツダム観光→ハノーバ)

 朝から小雨が降って、かなり肌寒い一日でした。
 W氏の車でPotsdam経由Hanoverへ。Hanoverは今回で3度目、毎回S家には本当にお世話になっております、です。

 ポツダムで最初に立ち寄ったのは、ツェツェーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)。
ここは、かの有名な「ポツダム宣言」が行われた場所です。
教科書に太字で「ポツダム宣言受諾」と書かれているのを見て想像していた場所とは、全く違っておりました。文字面だけの印象は、田舎の暗いホテル、とういうもの凄く貧困極まりない想像をしてました。が、実際足を運んでみると...
 風光明媚な高級別荘地で、天気がよければ本当に全てが美しく、穏やかな場所にそれはありました。しかも、流れの穏やかなエルベ川が直ぐ横にあり、建物はこれまた瀟洒で可憐なんです。離宮として使われていたんですから当然と言えば当然なんですが。こんな愛らしい場所で、戦後処理がなされたかと思うと、建物の印象とのギャップの大きさになんとも言えず...。

 建物内部も非常に興味深いものがありました。ポツダム会談が行われた部屋や、米英ソの執務室や控えの間は歴史的な場所に立っている感慨もあり、しばし放心状態になりました(^^;;。
 中でも面白かったのが、英米ソの各執務室。
 執務室の位置関係もなかなか興味をそそられてました。
位置関係を見学順序に沿って記載すると、ソ執務室→ソ控えの間→会議場→英執務室→米執務室順でしたの。このから、対頃立関係が明確にあったんだな~と思うと、この会議後の世界とういのが更に興味を持ってみることができそうでした。
 そして、各国の執務室の調度品。
 日本語パンフによると、執務室は各国がドイツ国内のお城にあった調度品等を使って整えたそうです。なので、各国の色の違いが見えて非常に面白いものがありました。また、違いを出せるだけの調度品を持っていた、ドイツって国にも驚かされましたが。恐るべし王家の財力(苦笑)

 各国の印象を勝手にまとめると、ソ連はゴテゴテというか、派手っなんですよ(笑)。ロマノフ王朝っぽいと言いましょうか...。あぁロシア的だわと納得させられます。言うなれば「のだめ」のターニャのイメージと思っていただければ幸いです。クネクネというのか、濃いというのか(良くわからない表現で申し訳ない限りです^^;;)
 英国は、一言で言えば「渋格好良い」でしょうか。思わず「あぁ大英帝国!太陽の沈まない帝国っ。ビクトリア朝最高っ」と叫びたくなるような、そんな重厚さと気品と格好良さがございました。そして、暖炉と書籍が似合う雰囲気なのが、これまた素敵でございました。(ビクトリア時代のデザインが好きなもので...すみません)
 米国は堅実といいましょうか、英国を少し軽やかにした感じでした。執務室が隣だったので、英国と近い雰囲気にしたのかもしれませんが。(元々英国からの移住者が作った国だから、当然なんでしょうが...)

 あと、扉を閉め切った会議場がほぼ無音(というか、音漏れが全く無い)になることにも吃驚でした。そういった面もかなり考慮されて、会議場として選択されたんだろうなと思ったりです。

 この宮殿を出て宮殿周囲をほけほけ歩いてエルベ川を望む場所に立った時、W氏が川を指差しながら「あそこに壁があったんだ」と説明してくれました。そして、「想像してみて。壁があった時、ひよが今『綺麗』と言った対岸は見えなかったんだよ」と言われました。私は言葉も無くただ黙って対岸を望むばかりでした....。恐らくこの場所とこの言葉は忘れることはないと思います。想像することで、当時の様子や人々が感じていた痛みをもの凄く僅かではありますが、感じられたかと...。

 その後、サンスーシ宮殿<無憂宮殿>(Schloss Sanssouci)へ。
 ここは、お庭だけを見学しましたが、葡萄棚の緑が美しく輝くであろう初夏に再訪したい場所です。正直、内部も見学したかったんですが先を急いでいた為外観のみだったのが、本当に勿体無かったです(^^;;

 ポツダムに後ろ髪引かれながら、一路ハノーバへ!!

 ポツダム→ハノーバ間は寝てました(笑)。休憩とドライリンデン見学は流石に起きましたが、それ以外は完全に睡眠時間と化しておりました、です。

 夕刻、S家に到着し、A父とH母&G姉と嬉しい再会。夕飯を食べながら4日間の旅行感想を話したり、買った物を見てもらったり、お土産を渡したりと、幸せな時間を過ごしました。

 過去2回は、A父&H母宅に泊めていただいていたんですが、今回は早朝出発が多いこともありG姉宅に滞在してました。なんか、色々あちこちに迷惑を掛けた旅行だと思っております、です。