2007年6月2日土曜日

06/4/26 首都ベルリン到着 そして 夜の観光

関空よりフランクフルト経由でベルリンに向いました。搭乗時間は、延べ13時間(^^;;

往路での懸案事項は、フランクフルト空港での乗り継ぎ時間が50分と短かったこと。
旅行前に空港内の地図を入手し、機内で移動経路をイメージトレーニング(笑)して望んだものの....
表示が解り難かったり、係員との意思疎通が巧く図ることが出来ずかなり戸惑いました(- -;;;
幸いにも地下通路を無事走り(苦笑)抜けたので、搭乗時間には無事(ギリギリ)間に合いましたが。

敗因は、国内線乗り換え時に再度手荷物検査があった事です。
国際線に乗る際に検査しているんだから、良いんじゃないかと思うんですが・・・・
どうやら、ドイツ(シェンゲン条約)国内線利用者と乗り継ぎ利用者の入場ゲート(っていうですか??)が同じで、その結果乗継者も手荷物検査しなくちゃいけない様になってるみたいです。あと考えられるのがテロ対策か・・・・。しかし、ここで一番時間とった様な気がしてなりません、です。

何やかんや言っても最終的には「国際」空港を甘く見ていた私たちが悪いんです・・・・
(関空が小さいと言われるのが大っ変よくわかりました)

ベルリン着。
出口の向こうに知人W氏(昨年北海道旅行に同行した、ドイツの方)の姿が見え、やたら嬉しく懐かしい思いに。そして、彼の指示でカートを使う事に(一旦ゲートに出たにもかかわらず、再度入れてくれた係員さんに感謝☆)。
荷物をカートに乗せ、改めてW氏と再会を喜びつつも、相方が早速「とりあえず一服したい」と言い、喫煙者なW氏が同情する表情をしつつ「勿論!!」と言った風情で外に出て一服。つうか・・・君ら意気投合し過ぎ・・・・一服しながら喫煙者の悲哀を互いに語ってる様子は、可笑しいやら情けないやらでした。
後、空港内で両替と再会を祝うお茶。お茶の後喫煙者共が一服してる間に、私は軽くウィンドショッピング。「『Steiff』の充実度が違う!!!!!」とにんまりしておりました。

W氏の車にてホテルへ向ったんですが・・・。何度も道を間違うW氏を見て、彼が地図の読めない人だと判明(笑)。まぁ車内で有名どころを見れたので、それはそれで良かったんですが。
ホテル(CLARION BERLIN)にチェックイン。今回初めてバウチャーを使用したため、不安があったんです(小心者)がW氏が付いててくれたので安心でした。ただ、団体旅行客との到着と重なった為、結構時間は掛かってしまいました。が、それは仕方ないかと思われます。

ホテルは余り期待してなかったんです。が、非常に快適なホテルでした。部屋の設備も申し分なく、滞在中不快な思いをしたことは一度もありませんでした。
3日目の朝食リストに部屋番号が無いという不備があり、フロントに申し出たらその場で確認してくれて「問題ない」との回答も得られましたし、対応も問題なかったと思います。
つうか、確認した相方の方が大きな問題ありでした。何せいきなりフロントで「クエスチョン」と言い出すんですから・・・・(- -;;。そんな非常に失礼な日本人の問いかけに対して、(多少「むっ」としつつも/笑)丁寧に対応してくれたホテルマンは流石でした。しかし、普通なんかもっと言い方あるだろうよ>相方、傍らで聞いててホント吃驚しましたよ(噴出しかけた)。

30分後W氏とベルリン観光へ向いました。
ベルリン・フィルの本拠地を眺め(当日はベルリン・フィルのコンサでした・・・行きたかったな・・・)、富士山型の屋根を持つソニーセンター内を突っ切り、旧東西ドイツ境界へ。

・『ベルリンの壁』が少しだけ当時まま残ってる場所。
ベルリンの壁崩壊はTV中継で見て「知って」はいましたが、その場に立って「壁」の高さ、厚さを目の当たりにし、私が「知った」と思っていることは「つもり」でしかなかったと強く感じました。
その場に立って、質量や展示されている写真、旧東西の近さ、何よりその近さが「壁一枚」あるが為に「遠くて違う国」になっていたという事実を、初めて「知った」様な気がしました。それ以上に、今なら一跨ぎして行ける場所に、決して遠くない昔は行く事が叶わず、それどころか向側に行く為に命を落とした人が居た「事実」に、言葉を無くしてしまいました。
(余談ですが、説明書が独英語しかなかったのはかなり辛かったです…英語は本当に辛うじてなんとか努力して読めますが…、こう詳細が掴めないもどかしさがありました。日本語でも記載して欲しかったと思うのは、我侭なんでしょうか??それ以上に日本人観光客は来ないから必要ないのか??と妙に悲しくなったり。)

・欧州ユダヤ人犠牲者への慰霊碑
 ベルリンの壁跡を経て、ブランデンブルグ門までにありました。
この慰霊碑についてはここ を参照下さい。
私達が訪れた時間には、地下の情報センターは閉っていたので上層部のみの観光です。しかも、W氏がこの慰霊碑に関して説明してくれてはいたんですが、辛うじて大意が掴めるのみで・・・言葉の壁って厚い・・・。
ただ、この慰霊碑が持つ「重さ」や「威圧感」や何ともいえない息苦しさ、違和感を感じることができただけも良かったんじゃないかと。それらは、ドイツの歴史(現在も続く)が抱えてるモノであろうから。
自国が犯した罪を形にして残す、100%完璧な形でなくても「残す」事や「認識してる」と表わす事に大きな意味があるんじゃなかろうか、と思った次第です。

・ブランデンブルグ門
 そぞろ歩くこと約1時間にして、漸くやっと有名観光地に辿り着きました(笑)
 義理父より「ブランデンブルク門は大したこと無かったわ~」という感想を聞いていたので、それ程期待はしておりませんでした。が、壮大さと薄闇に白く浮かぶ美しい姿に、えぇ息を呑みましたよっ!!ホント、美しいというか力強いといいましょうか・・・素晴しかった。
が、昼間に見たら今一つだったのでここは夕方~夜がお勧めです!!ホント、ライトアップが映えて美しいったらありません、です。
しかし、こちらの説明版も独英伊仏・・・・(涙)頑張って英語読ませていただきました・・・

その後、大使館の警備員さんに周辺の美味しいお店を聞き(聞いてくれたのは当然W氏/笑)、その店で夕食を済ませ、夜のポツダム広場をそぞろ歩きホテルに戻りました。
大使館の警備員さんの馴染みやすさに、思わず微笑を誘われておりました。