2012年9月4日火曜日

2年前の話題-PJ

某所にて9/4公開、10/18転記

PJと言っても、映画『ラブリーボーン』の雑感です。



◯映画及び原作小説「ラブリーボーン」感想
 この映画は、非常に好き嫌いが分かれるかもしれないな、というのが鑑賞後の素直な印象。原作小説も読む人を選ぶ作品だなというのが、読了後の印象。どちらも異なった部分と同じ部分で「鑑賞者を選ぶ」と感じたのは面白いなあと、感じました。なので、この作品については、映画&原作を合わせて感想を書きたいと思います。
 
 映画については、「The Lord Of The Ring」(以下「tLotR」と表記)三部作を撮りきったピーター・ジャクソン監督らしい作品でした。大切な軸をずらさず、冗長になりがちな原作小説を 枝葉を綺麗に刈り込んみ映画としての作品に仕上げたのは、流石「tLotR」のPJだと。
 私は、不覚にも何度か涙腺が緩みました。号泣というのではなく、何故か分からないけれどただ切なく悲しかった。それは恐らく、スージーの理不尽 な死から起こる家族の緩やかな崩壊、それをただ静かに見ているしかできないスージーの悲しさだったり、父親の行き場の無い悲しさと怒りを隠しつつも日常を 送らなければならない苦しみ、母親の深い悲しみと逃避に向かう気持ち等が非常に辛かったからだと思います。
 そして、「間」の世界が美しく幻想的で「あぁPJらしいよな」とにんまりしてしまいました。「間」(当時ここまでで止めてました^^;;) 





ここから思い出し感想です。
 
 映画と原作の最大の違いは、少女が受けた理不尽さと母親の心理描写の描写だったように記憶してます。原作はどこまでも少女が受けた「理不尽」を 突き放しつつも痛みと怒りを隠さずに書いてました。そして、彼女の死で母親が逃げていく様も冷徹とも言える視線を基本にして捉え、彼女がとった行動を許すことがなかった様に思います。が、映画版はその辺をボカして、あくまでも少女と父親の物語として昇華させた気がします。果たしてそれが正しい解釈なのか今 もってわかりませんが、あの時期のPJにとってはそれを描きたかったのかもしれないと思います。

< 12/9/4
追記 >
 PJの映画も何だかんだ言いつつ劇場で観てます。オタクの王様と言いたくなる、あの拘りに上手くのれれば彼の映画は楽しめる気がします。ホントに原作が好きで、あれやこれや詰め込んで、自分が「見たい画」と「物語」を思いっきり表現してるのが分かるのは、ある意味凄いと思います。そういった方向で、今冬公開される『The Hobbit』が楽しみで仕方ないです。その前に原作読まなきゃな…。

 しかし過去の作品でも読んで観たことって、大雑把ながらも残ってるんだなぁと今回改めて思いました。うん。やっぱり何でも糧になるんだよね。 


< 10/18 追記 >
 ホビット』の撮影が始まって以降、またもやリアル・ホビット化したPJ(笑)。ビデオブログを見る度に、この人は映画とか原作が凄く好きで仕方ないんだなぁと思います。好きで大好きで仕方ないのが周囲に伝わるから、サー イアンとかケイト・ブランシェットとかも再登場してくださるんだろうなぁと。そういう作品にあの二人が同時に参加するっていう僥倖を噛み締めてます。