2004年9月7日火曜日

好きだからこそ、足りないと感じる贅沢さ。

 某掲示板の某スレに書き込まれる批判が、冷静且つ意外と的を射てる書き込みが多く割と好きだったりします。で先日思わず「これはこれは・・・」とにんまりする書き込みがありました。以下、それを引きつつそれに触発された雑感を。
(文章中、敬称略です)

 
愛ある批判」をするのは実に楽しいことなのですよ。問題はその対象物にどれだけの《魅力》があるか、なんですがね

 この一文は、批判を嫌う人にも充分受け入れられる定義かと思います。ただ、愛ある魅力的な批判ほど難しいものは無いな、と痛感もしてます(全否定や全肯定程、楽なものは無いと思いますし)。

 (前略)大体なんなんだ、あのカット割とカメラアングル。
セットの広さを画面上から推測しても、もう少し引きの絵が欲しい(不用意なアップが多いのですよ、このディレクターのセンス)。

 
 そうそう(頷)。カメラアングルとカット割には多摩編から気持ち悪いものを感じてます。如何にもNHK的なカット割によるテンポの悪さが時折見えて。「違う・・・」と感じることも多いです。NHKとしては『王様のレストラン』を意識してるんだろうと思わせる画面もあるんですが、それがまた巧く機能してない気がしてもいます。

 カメラアングルについて、思い返しても苛々するのがふでが勇に詫びる場面。ふでが居住まいを正し勇に向かい合い、それに勇が対応する事に意味があって、個々人の表情をアップで追うことで見える事は少ないのに…折角の野際陽子の演技が勿体無い、とかなり悔しい思いをしました。
 そして、藤原沖田。藤原竜也の魅力の一つは、全身で細かな感情を表現できることにあると思うんです。それを、アップで追いかけてどうするよ、折角の演技を編集(及びカメラワーク)で壊してどうするよと(泣)。(舞台役者さんの魅力は全体で表現することなのに・・・と思う訳です;;)

 
三谷脚本の読み違い演出は日テレのドラマの時にも感じたが、彼のシナリオの場合、バラエティーを良く知っている演出家が《あえて正統派ドラマ》に挑むという心理的手続きをとらなくては、目先のギャグに振り回されてしまい、スカスカの演技指導をしてしまう。
三谷脚本は演技者もディレクターも笑わす演出をしない方がいいのであって、普通に撮影することで笑いが倍増するのだと思う。
(中略)
いかにドラマにおける笑いの演出というものが難しいか。
スタッフはコメディーを撮る時には「笑って」はいけないのだ。
その微妙な温度がわからないから、中途半端なバラエティーみたいな演出が多いのだ。(以下略)



 この指摘は、非常に的を射てると感じました。私も三谷が見せたい本質と、NHK側が見てる(見せたい)部分が若干かけ離れてるのではないかと、当初から感じてはいました。その両者の意向が偶然にも巧く噛み合ったのが30話~34話の山南切腹の話でないかと感じてます(34話も山南切腹の話数に含んで間違いないかと・・・)。
ただ、『竜馬におまかせ」』この作品はある意味グダグダだった・・・)ほどグタグタにならずにすんでいるのは、主要キャスト陣の多くが今まで何らかの形で三谷作品(演出)に関って来た事ではないかと(特に、長年関ってきてる小林隆、戸田恵子、伊東四郎辺りの演技は的確なテンポで演じてると感じます)。
 また、これまで三谷作品には関係が無くとも作品の本質を理解し、演じられる役者(顕著なのが藤原竜也)らにも救われてる気がします。
これは三谷自身がインタビューの中で「僕の脚本意図を理解して演じてくれる、信頼できる俳優さん達」と何度と無く言ってる事で明確なのではないでしょうか。
 三谷脚本を理解し、出来るだけ正確に演じられるキャストだからこそ、ある納得できる作品レベルを保ててる気がします。三谷作品(彼が演出した作品)の面白さは、何気ない日常の台詞や行動が起こす「可笑しみ」や、小さな事が意外な伏線だったりする辺りにあると思ってます。それをNHKは解り易い作りにしてるんじゃないかと思うわけです。
 だから、余計な編集で後々辻褄が合わなくなったりするんじゃないかと思ったりしてます(例えば、総司と芹沢の関係とか、土方と山南の関係とか、芹沢と近藤の関係とか…後々必要な場面を斬って中途半端な演出するから「わからない」とか「唐突」とかいう印象を与えてるかと思うと、本当に悔しい)。

 また、八嶋智人がスタパ出演の際三谷が意図した個性と、NHKのカット割が合わなかったらしき事を言っていたのを聞くと、役者も若干戸惑いを感じる中での作品作りではないかと感じました(山南切腹について、武田は普通にしてるけど悲しい、って風に演じて欲しいという三谷コメントがあり自分もその様に演じた。けれど、それを見せるカット割がなかったので伝わってないだろうな。という感じのコメント)。
そういった中で、香取・山本は三谷が今回託した役割を巧く演じていると感じてます。

 そこで、スタパで三谷が斎藤一に出した駄目出しですが。
解るような気がします。やはり、あそこは深刻に落ち込んでこそ、彼の個性が際立つだろうし今後の立ち位置も違和感無く受け入れられんるんじゃないでしょうか(八嶋に出した駄目だしはからかい半分もあると思うので、コメント無しで/苦笑)。

 とは言っても、現場レベルで考えた場合、撮影開始前に全話の脚本が無い状況で、伏線読んで作れってのは難しいだろうな、とは思います。しかも、5話の伏線回収がまさか34話になるとは思わないだろうし(苦笑)。NHKと三谷が試行錯誤した結果がこれだとしたら、充分満足できるよな、というのが偽らざる気持ちです。
 けれど、相方がふと漏らした「大河枠で歴史モノじゃなく、新選組の設定を借りた三谷の現代劇で『王レス』スタッフが作成したら、最高のドラマになったろうにな」言葉に「確かに面白いかも」と納得した私がいました。

 此処まで書いて、好きだからこそ物足りなく感じるってある意味もの凄く贅沢じゃないかと思ったり(笑)