2005年5月17日火曜日

一利用者のタワゴト。

 ここで触れなくても多くの方が色んな視点で書いておられるし、と思ってたんですが、毎日利用してる中で色々考えたり思った事を少し書き留めておきたいなと。

 以下 取り留めが無い上、論旨も何もないただ無駄に長い文章です。

 先に、今回の事故で亡くなられた方、そのご遺族の方たちには心からお悔やみ申し上げます。また、重軽に関わらず負傷された方にもお見舞い申し上げます。

 さて、件の事故以前も以後も私は淡々とJRを通勤として利用してます。利用してる路線が違うからそう違和感も無ければ緊迫感も無いのかもしれません。そんな一利用者が件の加熱する報道を横目で眺めつつ思った事は、
 あぁマスコミってよっぽど自分達が『善良である』って信じてるんやな、ってことと、この事件も「消費」され「風化」して、相変わらずなマスコミの報道姿勢は問題にならないんだろうね、ってことでした。
 また、現場の方たちはこれで益々大変になるだろうな、とも。

 確かに、今回の事故の大きな要因の一つであろう安全対策の不備は、やはり企業としての姿勢を問われるものであると思います。また事故直後の対応の不誠実さ(事故当日の「置石」発表や慰霊祭に関する件等々)は、当然眉をひそめるものであったし、被害者の方々の苛立ちや不信感も尤もだと思います。

 が、直後から始まり、最近(読売さんの一件以来か??な)漸く鎮静化した感がする、集中砲火とういうか執拗と形容したくなる程の一連の報道には首を傾げ、ある種の嫌悪感すら抱いたってのも正直な気持ちです。
 事故後オーバーランの回数等々を事細かに報道したり、一部職員の行動に対して「非人道的」とばかりな報道に至っては(確かに事故当日に如何なものかとは思います)、新聞の一面で報道する事か????と疑問にすら思いました。

 <余談ですが、事故列車に乗っていた職員さんが救援活動に携わらなかったのは、どうしようもないんじゃないかと思ったんです。だって、ぎちぎちに運行決められて少しでも遅れたら他の人に迷惑がかかるとか、給与カットされるとか思ったら・・・しかも組織の中で一番立場の弱い「現場」の人間なら尚更、「管理者」の指示に従うしか無いんじゃないかとか。そして、そういった組織の中で果たして現場(「鉄道マン(=プロ)」ってのも所詮過去の美しき幻想でしかないと思うのは、歪んでますか???)の誇りや権威とやらは通用するんだろうかとか。そんな中で「倫理」を優先できる人の方が稀有なんじゃないかと思ったりもしてます。
(父親がずっと現場で工作機械関係のメンテナンスに従事してたり、前職場で総務関係の業務だったにも関わらず、縁あって現場の係長さんとかの話を聞く機会があったりしたせいか、現場が抱える矛盾や軋轢をなんとなくと思うので。机上だけじゃ片付けられないものが絶対あるし、机上で綺麗に解決できたとしても見えない矛盾は現場が抱え込む現状も薄っすらと見てきた思うから)>

 そして、一番強く思ったのは、果たして多くの「善良なる」利用者や消費者は彼らを責めるに値するのか??ってことでした。
 恥ずかしながら、私自身はJRを声高に、正々堂々と非難できないと思ったんです。
 だって、やはり通勤時に2−3分でも遅れたら「なんでやねん??!」と思うし、正直苛々もします。そして、新快速や普通列車、或は他路線(私鉄・路線バス等含)との接続が悪ければ「接続悪っ。使い難いな〜」とも思う。また、今回の遠因かもしれない「私鉄」との競争にも僅かかもしれないけれど関わってるとも思います(「阪急とJR、どっちが短時間なのか」って移動する時はいつも比較してます)。
 また、何より「時刻どおりに運行されて、定位置に必ず止まる」っていう事は、毎日利用してる方にしたら安心感があるし、それはそれで恩恵を受けてると思ったりもしてます。
 そんな一利用者なので、流石に声高に「利便性を追求した企業が全て悪いんだ!!」とは言えないと、私は思ったりしました。そんな風に「善良なる」利用者が利便性を追求して、企業に求めて、それに対して企業が出した答えは、コストが係る割に利用者には直ぐ見てもらえない(理解してもらい難い)安全面は後回しにして、一番利用者に納得してもらえて、要望に応じたように見える「時間と値段」を削る方法だったんじゃないかと思ったりです。

 勿論そういう企業としての姿勢は問われるべきだと思うし、安全対策を軽視した事で生じたであろう今回の事故でJRは責められるに値するとは思います。
 また今後、消費者も目に見える「効率」とかだけでなく、安全対策と言うような「見えない部分」を含めて企業を評価、選択していく必要があるんだろうな、とも思ったりします。そんな消費者の意識変化によって企業は変化していくだろう筈だし。

 が、報道はもっと冷静に原因や責任を追求すべき事なんじゃないか、とか、(これまでの多々な事件を含め)報道の方法自体に問題は無いのか??とか色々考えさせられました。
( 一例ですが、救援活動してる様をクレーン車を使って撮影してるのを見たとき、火気が使えない状況での救援活動の傍で、クレーン車で上から撮影ですか??と、それは果たして「正しい」報道のやり方なんですか??と妙に嫌なモノが残ったんですよね)

 また、官(政治家)が旗を振ってやる民営化は果たして是なのかとも(苦笑)。今回の事故に関して相方が言った「原因は中曽根元首相やろ。」は冗談にせよ、思わず納得しちまいました(^^;;
(話はズレマスガ・・・民営化されたJRの結果から鑑みるに、郵便局の民営化はやはり不安だと思ったりです^^;;)

 そしてまた、こうやって何かしら自分の「思い」をWebに上げてる以上、やはり自戒や自省を含め様々な思いをも抱きました。傲慢になっちゃいけないとか、文章で人を傷つけないようにしないとか、一方的な見方だけで判断して書かないようにしようとかとか。
 また、物凄く話は変わりますが、マスコミや権威に霞まされて「実」を見逃しちゃいけないと思ってるし、踊らされないようになりたいけれど・・・・果たしてどこまでが「個」の思いか、誘導されて抱いた「思い」か線引きは難しくて。だけれども、玉石混交な情報や報道の波で己を見失わず、取捨選択できるようになりたいと、そんな風にも思ったりしました。
 確かに「真実は常に藪の中」かもしれませんが、極論「私にとっての『真実』」がきちんと見出されればいいんじゃないのか。そうなるためには多くの意見に触れて、「自分の頭」で落ち着いて考えて整理して信頼できる人達と「話を」する事が必要なんじゃないかと。今更ながらそんな事も考えました。

う〜ん相変わらず支離滅裂な文章だわ・・・・ここまで読んでくださった方有難うございました。