2004年10月1日金曜日

思い出したかの様に、【ある隊士の切腹】

 放映時も感じたことなんですが、これって山南さんの思いや「居場所」について「知らなかった」「見えてなかった」ことや、そして「見えなかった」が為に「必要な言葉」を相手に伝えられず、「解らないまま」失ってしまった悔しさがあって出た言葉なんじゃないかと。
「私(この組織)には貴方が必要なんです」と声に出して相手に伝える事の大切さを、近藤は近藤なりに学んだんじゃないかと思うのです。そして、自分の傍にいる人の「今の有様」を理解し受け止めることの必要性と共に。そしてそれが「ひととの繋がり」となっていき、組織や己を守る(育てる)ものだと薄っすらと気づいてるのかもと思ったり(あの瞬間、香取近藤が初めて「付いていくに足る」人間だと思えたので、その意味で穿った考えかも知れませんが/苦笑)。
 ただ、今の伊東にとっては不要(若しくは当り前)な言葉なんでしょうね。この辺りの山南さんと伊東の本質の違いが見えてない近藤は、相変わらず「真っ直ぐ」だと呆れますが(誉めてますよ〜/笑)。
そして、土方の辛さや沖田の覚悟を見切れてない近藤も、非常に近藤らしいと思ったりします。
(「あなたの様な人が居てくれて〜」はもしかしたら伊東に山南さんを重ねた言葉だったのかも、と思う辺り私自身が山南さんを引き摺りまくってる証拠ですね/苦笑)

 次に、河合の「紛失」した隊費を「親」から送ってもらう、その判断に正直?でした(しかもそれを納得してる土方・源さんにも)。公費を私費で補うって考え方は、それこそ公私混同じゃないのか?それは士道に背かないのか?と不穏な事まで思う始末。やはり、左之への対応のように「貸し」て給金から差し引いていく(帳簿に付ける)方法にしなかったのか?と非常に疑問に感じまして。
 そこが、河合の新選組に対する「甘え」だったのかとも思ったり。(山南さんの引継ぎはしっかり押さえておいてよ〜河合)。
 彼もそうだけど松原も結局本人の「甘え」が露呈した結果なのかと、思うと本当に悔しいやら哀しいやら、居た堪れない気分になります。また、河合の死には「武士」でなかった者が士道と時代に呑みこまれていく空しさや遣る瀬無さを、そして何より「死」に向き合う事の難しさ、向き合った時の怖さ感じました。

 38話は新見や山南さんといった「言葉」を残して切腹した人の、台詞がいろいろ浮かんできて、もしかして、あれは伏線だったのか?!とオロオロしてます(笑)。
また、鴨って本当に何も残さず、潔く、ただ組織に変化点だけを与えて散ったな〜とその器の大きさに吃驚したり、なかなか忙しい(笑)