2006年1月11日水曜日

お正月の山南さんと土方君

 『組!!』の中でやたら山南さんの名が土方の口から出てきてたり、山南さんの影響を受けているような言葉があった所為か、両者の関係を又もやいろいろと考えてしまいました。いい加減にしなきゃと思うんですが(苦笑)。

以下、うだうだ言ってみます。

 一番最初に思ったのは、折に触れ土方の口から「山南」と出る度に山南さんの影響の大きさをでした。恐らくああいう形で喪ったからこその大きさだとは思うんですが、それでもその影響を感じるにつれ、土方が彼の死をちゃんと受け止め、かの存在を巧く取り込めていたことが嬉しくて、哀しかった。
 何故、生きてるうちにきちんと向かい合うことで、それができなかったんだろうか??と相変わらずの繰言をつぶやいたのも事実。で相馬や他の事情を知らない新参隊士達に対して、「武士の中の武士だった」と言ってくれた事は嬉しかったし、土方の中で漸く整理できたんだろうと思った場面でした。

 そして一番引っかかったのが、榎本が池田家騒動に関して訊ね、それに対し土方答えた以下の部分でした。

土方が大まかな作戦を立て、山南さんが細かな陣割をしていった。それが新選組のやり方だった。(うろ覚えです)

 だったら何故、31話以降あぁいう関係になったのか?土方が山南さんを(無意識であれ)ああまでも疎外しようとしたのは何故なのか?確かに33話中に答えらしきモノはありました。けれどどうしてもそれだけでは納得できないんです。その辺りはあまりきちんと描かれなかったというか、はしょられたというのか(役者の力で見せられるという判断があったからでしょうが)。それでも消化不良な感じは未だに拭えません。
結局のところ、芹沢暗殺が当初予定より延びたってのが一番の原因なんでしょうね(苦笑)
 なんか、年明けから2年前の大河のあれこれを考えてしまうってもの、どうかと思いますが、ちょっと引っかかったので。ただ、こういった部分もこの作品の魅力のひとつだとは思って、楽しんでたりもしてます。