2006年1月17日火曜日

1月開始ドラマあれこれ。一巡目(『西遊記』)

○『西遊記』

 夏目雅子・堺正章版『西遊記』は、再放送がある度にしつこくしつこく見ていた程大好きな作品です。今でも深夜枠で再放送してくれたら確実に見続ける自信ありますよ!!ただ、初回版(猪八戒:西田敏行)も続編版(猪八戒:左とん平、新メンバー白馬:藤村俊二)のどちらも好きで好きだったりします。とはいえ、変更された時は幼心にショックではありましたが。
 未だに、私にとっての弁財天は「研ナオコ」で鬼子母神は「和田あき子」だったりするのはこの作品の所為です(笑)。この二つの話は物凄くインパクトが強くて、子細まで覚えております(特に研ナオコと堺正章の掛け合いは絶品だった)。

 当然、三蔵法師といえば夏目雅子さんに止めを刺します。この世のものとは思えないくらい美しくて凛々しく色っぽいお坊様でございました...。何話か忘れましたが、洞窟内で孫悟空が三蔵に膝枕してもらってる場面があり、見ちゃいけない場面を見たかのようにドキドキしておりました(今思い出してもドキドキするのは何故?!)。

 そして、高峰三枝子さんのお釈迦様!!!なんとも気高く案外茶目っ気のあるお釈迦様でございました。

 ってな古い話はさておき(延々書いてしまいそうなので/苦笑)、最新版『西遊記』です。冒頭のまるっきりコントだった「キムタクVS孫悟空」に一瞬腰が引いたものの、深津三蔵と内村沙悟浄のお陰で態勢を立て直すことができました(って何)。初回を見ながら思ったのは、「懐かしい〜!!!」でした。
 三蔵の伝家の宝刀「破門です」とか、「破門」といわれ凹みつつも無駄な反抗を示す猿とか、それを傍観者な立場で眺めつつ、きっちり突っ込む豚河童とか、猿豚河童の馬鹿な掛け合い&「お師匠(っしょ)さま」とか、「齊天大聖孫悟空さま」ってな言葉とか、「緊箍児」をちょっと嬉しそうに使う三蔵とか、そんな細かな要素がきっちり残っていた事が単純に嬉しくて、懐かしかったんです。
 こういう感想を抱かせてしまったことは作品として、良いのか悪いのか判りません。ただ、過去作品に対する「愛情」を感じたのは事実で、それが懐かしさに繋がったんだろうなと好意的に解釈してます。
けれど....「なまか」という言葉センスはちょっと苦手かもです(^^;;;

 特筆すべきは深津三蔵と内村沙悟浄。
 深津三蔵は線の細さは否めないものの、それがちゃんと個性になっている。また、雰囲気とか声に決して守られるだけの「お師匠さま」じゃなく、修行者としての誇りや芯・威厳も感じられ、可愛らしい三蔵だと思います。しかし、三蔵がお姫様抱っこされるってのはどうよと、微笑ましく思ったりです(物凄く可愛らしくて好みなんです/笑)。
 内村沙悟浄は、あんなに内村氏の動きが綺麗だとは!!あちこち拝見していると、内村氏のアクションって定評があったんですね。寡聞ながら全く知らず、驚いてしまいました。勿論、一人冷静キャラってのも活きてるし。
 あと、ナレーターが永井一郎さんで、あの芥川さんのナレーターっぽくしてくれててるのは、嬉しいものでした。

 香取悟空ですが、良いじゃないかと。粗野な感じや(悟空としての)一生懸命さも感じるし。冒頭の場面で思ったのは、キムタクと香取の違いだったりします。贔屓目による思い込みかもしれませんが、木村氏は何を演じても「木村拓哉」でしかないのに対し、香取君は未完成であっても「役」として存在してると。他の巧い役者さんと比べたら色んな意味(技術的な面を含)で未熟だろうけれど、巧く行ったら良い役者さんになるのは、香取君なのかな〜と。
 伊藤猪八戒。えぇ仔豚君、確かに良いキャラですな〜(笑)。前作の「ちょっとずるい」系も見え隠れするし、弄られるのは猪八戒役の常ということで、良いと思います。
 大倉老子。いや、楽しくて良いんですが、できれば大倉君のもっと違った面を見せてもらいたかったと勿体無く思う次第です。
 
 多分、大きな破綻や台詞の恥ずかしさが無い限り最終話まで見ます。しかし....たった3ヶ月で天竺まで行くのか、本当に?!