2005年2月7日月曜日

『なにわバタフライ』大阪公演

 待望の三谷幸喜新作!!

 戸田さんのお芝居とその熱に惹きつけられ、三谷さんが紡いだ「言葉の流れ」に心地よく身を任せ、心が翻弄され、涙が止まらなかった2時間でした。見終わった後、何故か「『ある隊士の切腹』や『流山』や『愛しき友よ』を見終わった感じやな」と思ったんですよ。高揚した気分でもなく、沈んだ気分でもない。ただ静かに「このお芝居を観れて良かった。有難う」と思えた。

 それはこのお芝居が、優しくて温かくて、どこか寂しくて孤独でや絶望感がある。けれど、そんな過去を語りながらも「未来を向いてる」そんなお芝居だったからだと思うんです。
 過去を決して悔いてはないし、過去を己の寂しさや弱さを知ることで、前に進める人間の強さと弱さ、愚かさと賢さが存在してた。言い換えれば「毅然としたお芝居」だったと思うんです。
 冗長になりますがモデルであるみやこ蝶々さんについて、思ってることを少しだけ書いてみたいと思います(そうじゃないと整理が付かない気がしてならならいので)。

 私にとってみやこ蝶々さんと言えば、関西のお昼のワイドショーで人生相談をしていた姿。嫁姑関係、夫婦関係の相談事(再現ドラマ仕立てだった筈)をキツイ口調で突っ込み、それでいて温かく受け止めてる言葉が耳に心地よく響いた記憶があります。特に女癖の悪い亭主問題について、諦観というか「そりゃしゃぁないわなぁ」というか、「その男の性分はどうしようもない。あんたが我慢する事は無い、別れなはれ」て感じの何ともいえない構え方が見ていて気持ち良かったんです。また、ご自身の離婚すらネタにし、それでも言葉の端々から今までの男性への愛情や懐かしさが見える姿。
 今思えば、何より背筋を伸ばしてご自身の「人生」と向き合っておられる姿なんかに、「蝶々さんは他の芸人さんとは何かが違う」と思わせられたような気がします。
 と言いつつ、蝶々さんの「お芝居」は一度も観たことはありません。勿論「夫婦善哉」なんか、懐かしのVTRくらいで垣間見ることしかなく。なので、今回の『なにわバタフライ』の時期は全く知らない時期。

 けれど、『なにわ〜』の戸田さんは、私がTVで観たことのある「蝶々さん」でした。凛として、気風が良く、どこか寂しさを感じさせ、突き放すようなきつい言葉の裏側に優しさと安心できる何かがある。
 そんな蝶々さんが大阪の舞台に居ました。

以下、雑感です(ネタバレ含)。

 席についたのが、開演10分前。座席位置は役者さんと同じ目線になる高さで、尚且つど真ん中という久しぶりの良い場所(後述しますが、大変良いお席でした)。
 席について暫くすると、三谷芝居で或る意味恒例になってる、「諸注意」のアナウンスが流れました。
今回は、「三谷&生瀬 関西弁ver(別名:方言指導と言う名の突っ込み生瀬、似非関西弁を駆使するボケ三谷によるショート漫才/長っ)」という、かなり贅沢な「諸注意」でした。その時点での、お客さんの反応はかなり良く「相変わらず掴みは完璧やね、三谷さん」と妙な感心をする始末。
 これから行かれる皆さん、三谷さんの似非関西弁と生瀬さんの流暢な関西弁での遣り取りは一聞の価値ありです!!

 そうこうしてる間に、パーカッション&マリンバ奏者が舞台に現れ、柔らかな音を奏で始め、その音が響く中、戸田さんが舞台に現れます。

 舞台が動き始めます。ある女優がインタビュアーに自分の過去を話すという設定で、客席をインタビュアーが座ってる位置として見立ててる。で、私の席はまさしく女優がインタビュアーに向き合って話す時に、目線を向ける高さと位置だったんです。そのため、まるで私自身がインタビュアーになって「女優」と向き合ってる錯覚に陥るほど、臨場感や迫力が感じられる良席でした。
 女優がインタビュアーを直視する際の目は、まさに射抜くような視線でした。その視線に迫力を感じ、圧倒されながらも吸い寄せられるそんな感覚がありました。

 話は女優と5人の男性との関係を軸にし、女優の過去を描きます。
 最初から最後まで女優と共にあるのが「おとうちゃん」。私にとってこの「おとうちゃん」の存在が一番心に沁みました。

 芸事に打ち込みつつ、どこかそれに疑問を感じる女優。
 何度も恋をし、その度に捨てられ傷ついていく女優。
 そんな女優を黙って受け止める「おとうちゃん」の姿。
 ふと、「芸事」と「おとうちゃん」が重なったように感じた瞬間でした。恐らく女優にとって、「芸事」と「おとうちゃん」は唯一裏切らない存在だった。だからこそ、逃げる「振り」ができたんじゃないかと、そんな風に感じました。

 他の男性で印象深いのは、「師匠」と「ぼくちゃん」。
 師匠については、師匠と女優の関係よりも師匠の奥さんと女優の関係が強く印象に残っています。師匠の奥さんが女優に言い残した「言葉」。その場では明かされない「言葉」ですが、後になって女優の心情や人との関係性においてじわじわと効いてくる。
 女優が感じてる寂しさや弱さ孤独感、そして彼女の本質であろう「可笑しみ」をも感じさせる言葉として使われていた気がします。

 で、「ぼくちゃん」。このモデルである南都雄二とみやこ蝶々の関係は、ほんの少し知ってるんです。彼のことを語る蝶々さんの少し誇らしげな、アカンたれな子やけど愛しいんや、というなんともいえないニュアンスは覚えています(ええ男やった、とか、優しいひとやった、と表現されてた記憶があります)。だから、「ぼくちゃん」の表情が見えた気がしたのかもしれません。
 特に、「ぼくちゃん」の最期。舞台上には存在しない「ぼくちゃん」の表情が、確かに見えました。

 印象に残ってる場面は。ヒロポン中毒になった場面、夜行列車での「ぼくちゃん」との会話の場面、自身の「闇」と向き合う場面、なんです。
 痛さや辛さ、孤独や絶望、そして怖さを三谷さんの舞台でこんなにも感じるなんて。本当に予想外でした。だけれど、暗い淵に置かれても笑いがあり、救いがあるんですよね、三谷さんのお芝居って。
 勿論、これらの場面の次にもそれがある。
 例えば、「おとうちゃん」と「ぼくちゃん」の優しさ、「ぼくちゃん」の新しい女性との対話、過去の男性たちとの対話、なんかがそれだと思う。
 必ず「今」を肯定する強さがあって、「未来」を語る姿がある、そんな気がしてます。そして、その温かさがあるから「三谷芝居」が好きなんです。

 確かに舞台上には女優しか居ない。なのに、女優と会話してる人たちの姿や表情が見え、時には彼らが発しているであろう台詞も聞こえました。それはすべて女優の表情や目の動き、台詞が起点となってる。
 特に視線の動かし方は、計算されてるなぁと感嘆しました。
 視線だけでなく、言葉も体も声も表情も何もかも一切疎かにされてない「お芝居」の凄みと熱を感じた気がします。

 小道具の使い方や照明も「巧い(笑)!!」としか表現できません。何度拍手させていただいたことか!!とりあえず、見て驚いて下さいっとしかいえません(笑)

 音楽。
 パーカッションとマリンバの豊かで暖かな音色が、素晴らしく心地良かったんです。そして、トーキング・ドラムの絶妙なボケも(笑)生演奏だからこそ味わえる贅沢な空間だったと思います。

 生瀬勝久先生指導の関西弁(笑)
 時折「ん?!」と思う部分はありましたが、全体的には「綺麗な」関西弁やったなという印象です。方言も違和感無ありませんでしたし、すっと耳に馴染んだので問題ないかと。
 しかし、生瀬さんverを物凄く見たいんですが(笑)。DVD発売の際、副音声で付けてくれないかしらと思ったりです。

 また、パンフ内の鼎談で「10年以内に生瀬さん用に一人芝居を書く」と宣言された三谷さん。今から楽しみにしておりますm(_)m
 しかし、三谷さんはこうもう無謀で魅力的な計画を次々に出して、自らの首を絞めてる気がするのは気のせいでしょうか??!