2005年1月24日月曜日

『百年の誤読』

 昨年夏以来、読後感想を10冊分近く書いては捨てたんですが、漸く一つ書けました。
 
 記念すべき第一冊目は、
 『百年の誤読』岡野宏文・豊崎由美 共著 ISBN: 483560962X
 1990-1999年までの100年間(10冊/10年)+おまけとして2000-2004年の4年間(10冊)を加えた「ベストセラー110冊」の書評本、です。

 とにかく、著者二人の「突っ込み」技が冴え渡ってます(笑)。「書評」というよりも、突っ込み本と表現したいくらい素晴らしい突っ込みの数々に、大笑いさせてもらいました。特に、1804-1960年までの突っ込みは素晴らしく楽しく、たまらず噴出してしまいます(外出する際に読んでてとても困りました)。

 正直、豊崎氏の拘りというのか、突っ込み方(あれは『芸』かとも思う)には「好き嫌い」があるでしょうが(私はとても「好き」です)、その「誤読」や「突っ込み」は十分作品に対する『愛』や思い入れがあるからこそ出来る技。
 だから、彼らが『突っ込んだ』作品は読んでみたいと思わせられるんじゃないかと思うのです。確かに好きな作品(例:風と共に去りぬ)への「きつい」言及には、多少は凹みました。ただ、ちゃんと読んだ上での批評なので「こういう読み方も有りだよな」と思うくらいで、怒りは感じませんでした(確かにキャラクター類型的だし、スカーレットは成長しない大馬鹿だし。^^;;それでも好きなんですよ)。

 また、『名作』や『古典』といわれるものに対してこれほど「敷居を低くした」書評ってのは、ある意味貴重かと思われます。特に、過去の作品に対し『今』読んでどうなのか?という視点なのが、非常に分かりやすく、古典達に手を伸ばしやすくなってる気がします。
 更に、引用されてる「文章」の流麗で美しい事ったら!!「日本語ってこんなに美しいのか!」と目から鱗でした。解釈とか時代背景とかを念頭におかなきゃ、という枷のある肩肘張った読み方ではなく、ただ美しい文章と言葉に身(目と頭)を任せるだけで良いいよ、と枷を外された様な気がしました。

 そんな中、今回一番読んでみたくなった「古典」は、漱石の『それから』(豊崎氏の「代助フェチ」ぶりに触発されてるのは言うまでもなく/笑)。あとは、泉鏡花・芥川龍之介・尾崎紅葉(『金色夜叉』)あたりです。昭和に入ると、やっぱり三島由紀夫、村上春樹辺りでした(食わず嫌いだった作家達ばかりなのが、なんとも^^;;)。

 最近の(特に90年以降の)ベストセラー評に関して、「結局『昔は良かった』的な意見やん」と言われる向きがあるようですが。私はそう感じませんでした。私自身ここ10年近く「ベストセラー」本から遠ざかってるのもありますが。
 『窓際のトットちゃん』とか『気配りのすすめ』(懐かしい〜/笑)等、私が実際に触れた80-90年代のベストセラーに関しては、彼らの突っ込みに頷く事が多かったんです。特に、『窓際〜』に関しての「ともえ学園」に対する「誤読」は私のそれと近いものがありました。彼らが奇しくも指摘してるように、当時の学校生活に馴染めない私にとって「トモエ学園(=小林校長の教育指針)」は、憧れて、望んで止まなかったたけれど、決して手に入らない世界(=学校社会・教育指針)だったんです。

 また、『Deep Love』や『失楽園』『ハリーポッター』辺りの「誤読」は個人的には納得できるものです。
正直、ファンの方には申し訳ないんですが『ハリーポッター』は私も「何で?これが?」と思ってるので。
第1作目の『賢者の石』を読んだ時に「あちこちの継ぎ接ぎやな」との印象を強く抱いてしまいましたし(トロルやケルベロスの扱い方とか、魔法の杖とか、寄宿舎生活の様子とかとか。しかも新たな世界の構築も、目新しさもあまり感じられなかったので)。しかし、彼らが『ハリポタ』の項の最後に触れてる、『指輪物語』の最新現代語訳ってのは難しいと思います(^^;;

しかし、一冊目がこの本ってのは・・・どうにもこうにも問題ありかとも思います(^^;;
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05/1/26追記
「窓際のトットちゃん」に関する一文は、私の完全な誤読でした。両氏は『学校になじまない子を持つ親や教師が、「ともえ学園」の様な教育を目指そうとしても、現在の教育現場との乖離を感じるだけ』ということを指摘していました。今手元に元本がないのでまた追記訂正したいと思います。

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05/01/26追記2(訂正)
両氏が指摘してる内容は、次の様なものでした。
・落ちこぼれであったトットちゃんが綴る「ともえ学園」での生活(様子)が、落ちこぼれた子を持つ親や教師に希望を与えるものであった。
・しかし、それは「誤読」であって実際は、子どもの自主性を大事にする教育は余りにも教師と学校に責任と負担がかかる。
・それ故、落ちこぼれた子を持つ親や教師がこの本を読んだ場合、トモエ学園の教育方針が存在できない現状に絶望するんじゃないか。
(『百年の誤読』P289-290参照)
という事です。
彼らの指摘は、あくまでも親や教師からの視点であり、落ちこぼれた子(若しくは学校生活に馴染めない子)からのものではありませんでした。
なので、上記で書いた一文は完全に私の「誤読」でした。
(かといって、彼らの「誤読」が決して間違ってるとは思いません。だた、「落ちこぼれ」という語句に多少の違和感を感じはしますが・・・)
ただ、今後の反省のために修正(削除)はせずそのままおいておきます。