2005年1月6日木曜日

『Angels In America』 第3話〜第6話(最終話)

 年越しになりましたが、感想が中途半端に放置していたので、書いてしまおうかと思います。

 途中、2−3「これは一体どうした事か??(汗)」という映像があったものの、最後まで目が離せず、魅了されたドラマでした。TVだからこそ表現できた映像の力もあるんでしょうが、やはり脚本というか作品そのもの力、そして役者の演じる力を強く感じたドラマでもありました。

 HIV患者と同性愛者、そしてその家族と宗教、当時の政治背景と様々な「問題」を内包したドラマなのに、何一つとしておざなりにされず個々の問題と真摯に向き合っている事が素晴らしいと感じました。確かに劇中では決してどれも「すっきりさわやか」に解決しませんが、それでも「個」レベルでは何かしらの「答え」(これも決して割り切ったものでない。あくまでも次の一歩を歩みだすための「力」となるモノ)が提示される。ある意味物凄く「現実」をそのまま描写したようなドラマではないかと思います。
 その視線は「柔らかく」「優しい」ものである事は間違いと思います。確かに、厳しい現実や選択を突きつけられては居ますが、それは決して厳しいだけのものじゃない。人が元来持ってる「何」かを信じ、人(個人)の強さ、生きる事そのものの美しさと強さを信じてるからこそ描けるんだと、そんな風に思いました。

 また、劇中で自身の生き方や家族、社会への「責任」も「義務」をも果たせなかった人物に対し、許しが与えられなかったのは(彼一人、未来が描かれ無かった)、欧米社会が根本的に持つ「厳しさ」の表れじゃないかと感じました。
 あくまでも個が果たす「役割」なり「責任」が最初にある。そして、それらは神との契約の最も基本的な部分である。そして、それらそ評価し、裁きを下すのは最終的に「神」である。だからこそ、社会や家族、神が与えたもうた「己の生」に対して責任を果たす義務がある。そんな、考え方なんだろうな、とうっすらと感じた場面でした(日本の「因果応報」とは異なった概念なのでは無いのかと)。

 更に、初盤から中盤にかけての「重苦しさ」や「荒々しさ」「不安」が、最後の場面で「清々しさ」に変わり、未来への穏やかな足取りをも感じさせられる、その構成には何ともいえない感動がありました。しかも、最終話に向って緩急自在且つ丁寧に過不足無く積上げらる台詞たち。その台詞がまた縦横無尽に巡らされ一つの世界を織り成す様は、本当に美しいとしか言い様がありませんでした。
 また、巧みな俳優陣から「台詞」として発せられたる際の「音」が、これまた美しくかった。

 しかし、アル・パチーノとメリル・ストリープ、エマ・トンプソンの場面は須く凄みがあり、流石だとしか言葉がありません(特に女優2名は一人何役かこなしてるんですが、雰囲気も声も体も全て異なるという、何とも良いものを見せていただきました/^^)。

 ただ、やはり文化(宗教観)の違いもあって、「天使」や「預言者」の位置するところや意味するモノが如何せん完全に理解できず、歯痒い思いもありました。

 また、これは言っちゃいけなんでしょうが…。この作品を観ながら、「(新選組!に対して)こういう『画』が観たかったんだ。私は」と声を大にして言いたくなりました(苦笑)。戯曲を元にした「TVドラマ」で同じ「台詞劇」なのに、何故こうも『画』の創りが違うのか。
 一番の違いは、人が対峙する場面では、必ずと言って良いほど、台詞を言わない人物の「様」も見せる事。これによって、会話してるもの同士がどういう関係性なのか、彼らがどう言葉を発し、どう受け止めてるのか(或いは拒絶してるのか)等をきっちり見せることができる。だからこそ、全ての言葉が空に浮かず、最後は綺麗に着地していく。やはり、それは「台詞劇」の醍醐味だし「最低限」必要な画だと改めて感じました。
 そして、アップについても多用されること無く、必要な場面で使われる印象を強くもちました。多用されないから、アップにした時に映し出される表情の印象が強くなり、よりその画面や言葉や表情が力を持つんだと(えぇしつこい程にアップ多用で、テンポが遅くなった上会話の妙すら消しこんだ事を思うと。その余りの違いが悔しくて勿体無くて。ホントに/酷)。
 また、TV化されたことでロケが多く、その為画面が開放的で自然光が柔らさや荘厳さをも醸し出すという、何とも贅沢な映像群でした(特殊効果の使い方には多少違和感がありましたが、許容できる範囲かと思います)。

 上の文書を打ちながら、ふと思ったんですが。
 演技の巧い下手って、結局演出家や監督が「画」をどう作りたいか、どう見せたいかに左右されるんじゃないのかと。確かに表現力や発声なんかは、本人の資質や努力、理解力が大きいとは思うんですが。
ただ、「画」として見せられた場合、演出家の力量次第で変わるんだろうな、と今更ながら思った次第です。