2005年1月20日木曜日

蜷川版『ロミオとジュリエット』 

 本当に観れて良かった。「蜷川幸雄演出のシェークスピアが観たい」という、中学の頃のささやかな夢が叶っただけで嬉しくてなりませんでした。

 古今東西あらゆる方が演出してきた『ロミオとジュリエット』。私自身も映画で何度と無く観てきたこのお芝居。今回ほど初々しさ、儚さ、愛らさ、疾走感を感じた事はありませんでした。
 そして、物語があまりにもシンプルな構造だったことに驚きを感じました。あくまでも「たった5日間の恋物語」として見せてもらえた事が驚きでもあり、とても新鮮でした。細かな解釈も説明も何も無く、ロミオとジュリエットの「幸福な恋」と「運命の悲劇」だけ抽出した、そんな舞台だったと思います。

 物語がシンプルになった故に、際立つ『恋の輝き』に象徴される『生の輝き』と『死』への絶望感や喪失感を強く感じもしました。言葉(台詞)は音なんだと、昨年RSCの『オセロー』を観た時と同じ感想を抱いたくらい、台詞が発せられるのが楽しいんです。 長い台詞だったり、古めかしい言い回しなのに、台詞の音とリズムが美しく、その為すっと耳に入ってちゃんと意味をなす快感ったら、病み付きになりそうです(笑)。しかも、軽やかなのにどこか官能的ですらあるんですよね〜。
 また、韻に拘るお国柄(言語)だけあって、徹底してリズミカルで聞いてて心地良いほど(翻訳される方も大変だろうけれど、きっと楽しかろうと思わせられる)。
 やっぱり、戯曲は読むのもそれなりに楽しいけれど、やっぱり「人の声」として発せられてこそのものだと痛感しました(言葉が色彩を放つというのか)。

 そして、蜷川演出ということで、どんな趣向がこらしてあるんだろうか、と思ってたんです。が、舞台そのものは、白黒の写真で飾られた3階建のセットのみと、とてもシンプルなものでした。
 そんな舞台で、あのバルコニーの場面や墓場の場面をどう見せるんだろうか?と思うほどでした。そんな事は当然のことながら杞憂に終わったんですが(笑)。
 バルコニーの場面では、写真群が月の光に浮かび上がる石壁に見え、最後の墓場の場面では、まるで古びた石壁のように見えて、重さと暗さをあそこまで醸し出すことになるとは、舞台って本当に不思議です。

 演出で言えば、役者さんが舞台狭しと走るわ登るわ(笑)。しかも、劇場内の通路(最後の席から舞台までの)まで使って駆け抜けるんですよ!!いや〜凄いです。流石、蜷川演出。
 ちょっと横道に逸れますが。今回の席は後ろから2列目左側通路寄りだったんです。今ひとつかな…と思ってたんですが、トンでもなく。
 ほぼ真横を藤原ロミオや鈴木ジュリエット等が駆け抜けてくれました(嬉)。衣が風を切る音なんがリアルに聞こえ、益々疾走感が高まる感じがしました(それにしても藤原ロミオと鈴木ジュリエットが傍に居たと思うとそれだけで満足です/笑)。

 そして、前口上があったこと。これによって、誰に感情移入する事もなく「第3者」として「お芝居」を観ることが出来た気がします。あくまでも「お芝居です」と言わしめることで、違った空間に連れていかれる間が出来た気もしますし。そういった意味では、大変興味深かったりです。

 今回一番感じた事は、少女が見せる「女性性」の多様さ、そして成長でした。
 恋も愛も知らない「女の子」、
 運命と相手と出会い、これから過ごすであろう「豊かな時」を夢見る「少女」、
 殺された近親者の死の悲しみと「夫」への愛の狭間で嘆き悲しむ「少女」、
 愛の為に家族だけでなく自らの「生活」の基盤をも投げ捨る強さと、計画のためには自らをも偽るしたたかさを見せる「女性」。
 そして、最後に自らの死を選んだ「少女」
 と成長する少女と、「女性(もしかすると少女)」がもつあらゆる面を見せてもらった気がします。恋によって成長し、輝きを増す。そして、死と絶望を前にしよりしなやかな感性と持つ。最後に絶望の中で死を選ぶ際には、純粋さとある種の力強さを見せる。そんなジュリエット像でした。

 対するロミオですが。
 少女が成長を見せるのに対し、ロミオは恋をする事によって「少年」へと変わる。
 悩める青年が少女と出会い「恋」をし少年に戻る。
 そして「愛」のために家の確執をも取り壊そうとし、家と友情の狭間で己の責を果たそうと尽くす。が、激情に負け己が追放された時点で、悩める青年から漸く脱皮する。
 しかし結局、己の中の幼さによって命を経つ。
 激しく、大人であっても幼く、恋に翻弄されながらも、しっかり何かを見据えてる。そんな魅力的なロミオでした。

 途中、年下であるはずのジュリエットが「年上の女性」に思えることが度々ありました。特に、バルコニーでジュリエットがロミオを小鳥に例える場面。
 「愛しすぎて殺してしまうかも」の台詞に何ともいえない色気を感じ、それを幸せそうに聞いているロミオの幼い様ったら。まるで、母子のような雰囲気すらありました。

 しかし、今回はじめて、ロミジュリって結局「ジュリエット」の物語だと思いました。つうか、ジュリエットが魅力的じゃなければ成立しない「舞台」なんだなぁと。

 ただ、う〜ん、ディボルト、マキューシオ、パリスとかの描き方が弱かったかな?! いう気がしなくもありません。
 特にティボルト。
あまりにも薄くて。正直、今回彼らの死が、ジュリエットにあれほどの衝撃を与えるとは思えなかったのは、ちと辛かったです(映画とか訳本で脳内補完できるんですが)。
 マキューシオは、ロミオとの絡みも結構あって分かりやすくはなってたんですが、如何せん、柄の悪い兄ちゃんにしか見えなかったのがちょっと悲しかった(実はマキューシオが結構好きなんで/苦笑)。

 肝心の藤原ロミオ、鈴木ジュリエット共に何の文句もありません(笑)。このロミオとジュリエットは『愛おしい』と思うほど愛らしく、軽やかで儚い存在でした。二人が一瞬にして恋に落ちてから、墓場でジュリエットが死を選ぶまでの時間の濃密さと儚さと美しさったら無いんです。

以下気に入った場面毎の雑感です。

 ○ロミオ登場面
 ロザリンドの恋に悩むロミオ。なんですが、こうマキューシオ達じゃなくても「いい加減にしろよっ」と言いたくなるほどの「重さ」っぷり(笑)。「キューピットの矢が重くて、キューピットの羽位では飛べない。」という台詞がとても現実感がありました。とは言いつつも、藤原ロミオの輝かんばかりの空気には、ただただ圧倒されました。

○ジュリエット登場場面
 可愛いっ!!の一言で終わらせてください(笑)。この瞬間に私は鈴木ジュリエットの虜となりました。

○二人が出会った場面
 互いが引き寄せられてなんていう手続きもなく、本当に『瞬間に恋に落ちた』ってのが空気で分かるんですよね。
 それまで「年上の女性への恋」で思い悩んでいたロミオの空気が、ジュリエットを見た瞬間に「ぱぁぁ」と晴れ渡るというか。こう年齢以上に様々な重荷を抱えて悩めるロミオが、一気に軽やかに年相応なるというのか。

 その後の「聖職者と巡礼」のやり取りは(ロミジュリでも好きな場面です)、なんか初々しいやら、ぎこちないやら、愛らしいやら、そんな雰囲気が伝わってきて、何ともいえない幸福感に包まれました(^^)

○バルコニーの場面
 かの有名な「バルコニー」の場面前ですが、キャピレット家の森に隠れて出てこないロミオに対し「愛ある悪態」をついていたマキューシオ達が去った後、ロミオが靴を投げつける場面があったんです。その時の軽やかさったら、本当にロミオか??と思うほど「お子様」で、思わず笑みを誘われました。

 で、外しちゃならない「バルコニー」(笑)
 いや〜鈴木ジュリエットの告白も、あの瞬間の恋の始まりを見たら至極納得できるものでした。照れも何も感じず、高まる恋心を感情の赴くままに言葉にする様ってのが、これほど「可愛らしい」とは!!
 そして、ジュリエットの純真で優しく情熱的な独白を聞いて、悶える(笑)藤原ロミオがこれまた「幼く」て可愛らしいとしか表現しようがございませんです(笑)。この藤原ロミオはお持ち帰りしたくなるほどの可愛らしさです。行かれる方は是非っお楽しみに(何か違う)。

 で、今まで「キューピットの矢が重くて」とのたまっていたロミオ君ですが、新しく刺さった矢はすっかり軽いようで、その上「恋の羽」まで手に入れたようで良かった良かった。
 と言いたくなるほどの浮かれっぷりには、もう「可愛い」としか言いようがありませんでした(笑)。しかも、息せき切って息も絶え絶えになってる様子が、ロミオの幼さと感情の高ぶりと喜びを更に感じさせてたような気がします。(「はぁっ」と荒い息遣いが聞こえるんですよ。「色っぽ過ぎ、藤原君。杏ちゃんより色気あるって?!どゆことよ??!」と思う程/^^;;)

 二人がバルコニーで互いの愛情を確かめ合う場面。
 これは、鈴木ジュリエットが垣間見せる「色気」にうっとりしておりました(笑)。で、すっかりジュリエットの掌で転がされるロミオなのが、何ともいえず可笑しくて可愛らしくて。この二人、ガラスケースに入れて永久保存して良いですか?! と聞きたくなるほどです(誰に聞けば良いんだろう??)。

○ロレンス神父の庵
 ロレンス神父に懐く、抱きつく、甘える藤原ロミオがぁっっ(悶絶)。ロレンス神父がロミオのことを可愛がってるのが、とってもよく分かる場面でした(笑)。親子というより爺と孫な感じで、聡明で甘え上手な出来の良い孫を見守る爺様って感じがして、とにかく楽しい場面でした。それより何より、恋に浮かれて神父の話を聞いちゃいないロミオのお馬鹿加減が本当に素晴らしいです。

○乳母とロミオ→乳母とジュリエット
 ロミオの聡明さと少年さが一番出てた場面かと。
 軽やかに「言葉」の応酬をする藤原ロミオ達。言葉とか演技は結構「猥雑」なんですが、それでも「下品」にならないのは流石だと思った場面でもありました。で、乳母の頬に喜びのあまりキスをするロミオ。乳母の気持ちがかなり分かりました(笑)

 乳母に甘えたおすジュリエットの幼さと、まるで太陽のような空気にただ「可愛い」としか言葉がありませんでした。こんな可愛いお嬢様だったらあの乳母じゃなくても自慢するよ、とここでも乳母の気持ちが良く分かりました(笑)

○ロレンス神父の庵
 まったく神父の話を聞かず、ただただ手を取り合って見つめあう二人の様子、幸福感に見惚れました。
(流石に神父がお気の毒になりました/^^;;)

○ティボルトの死、ロミオの追放を嘆き悲しむジュリエット
 初夜を迎える不安や喜びを語る様子が愛おしく、また官能的な言葉の音に酔いしれました(実はここの台詞も好きなんです。それをあれだけ愛おしく、慈しみ、喜びを湛えて語られたらもう)。
 其処から一転して、『死』と『追放』を知り慟哭する様が切なくて、痛々しくてなりませんでした。が、そんな中でも『希望』を捨てないジュリエットの強さにものすごく惹かれました。

○初夜後の別れ
 ここの「あれはナイチンゲール。雲雀ではない〜」以降のやり取りが一番好きなんですよ(訳本等でもやっぱりここの台詞たちは素晴らしく美しいと思います)。別れを惜しむ二人の様子が、本当に切なくて寂しくて愛おしさに溢れてて。堪らないものがありまして、初めてロミジュリで泣きました。素晴らしく美しい場面です。

 あとはこの流れで一気に悲劇に雪崩込んでいくので、感想もあったもんじゃないです(苦笑)

 で、今回一番意外だったのが、実はジュリエットの母親でした(乳母はそのまんまで嬉しかったよ〜)。彼女は戯曲を読んでも、映画(特にディカプリオ版)でもあまり母性が感じられなかった人物でした。
が、今回の彼女はジュリエットに対して愛情を注いでる感じが強く出ていて、本当に意外でした。彼女の母性が見えたため、ジュリエットの「愛らしさ」や「悲劇」が現実的になった感すらあります(家族からも周囲からも慈しみ愛された幸せな娘、な感じが強調されたかと)。

 特筆すべきはジュリエット。
 たった3時間(物語では5日間)に女の子から少女、そして女性へ絶え間なく変化する時間の濃さと美しさったら!!正直、鈴木杏ちゃんにはあまり期待せずに行きました。
 が、もう舞台に出たときから「可愛い」んですよ。等身大のお人形を抱えて、フワフワのドレスを纏って小走りに登場してくる場面で、心臓射抜かれました(笑)。しかも、ただ可愛いだけじゃなくて見事な成長(=変化)を見せてくれる。悲しみにくれて泣き叫んでるのにも関わらず、ジュリエットが持つであろう「愛らしさ」は決して無くならない。
 最後まで聡明で、強くしなやかで可愛らしく美しいジュリエットでした。
 あぁ。彼女のオフィーリアを見逃したことが悔しい・・・・

 藤原ロミオは言うまでもなく、素晴らしかった。
 あの幼さに彼の「素(組!関係のTV番組で見せてた)」、「試衛館時代〜浪士組の沖田総司」を思い起こされました。素晴らしい役者だとしみじみ。
そして、彼は舞台でこそ「活きる」役者なんだと改めて認識しました。彼の舞台は絶対次も行こう!!と堅く心に誓ったのでした(笑)。「ハムレット」DVD化してくんないかな、心底観たくてなりません。