2005年9月19日月曜日

「吾輩は猫である」

 恥ずかしながら、『吾輩は猫である』を齢30を過ぎて読了しました。

 以下に纏まりのない雑感をつらつらと

 思い起こせば、『猫』に初めて触れたのは小4でした。が、あの脚注の多さに辟易し結局数ページで諦め、時折「読まなくては!!」とばかりに開いてはみたものの、やはり脚注とその脚注の意味すら分からない(えっ)ことに嫌気がさし諦める事数知れず、そういった意味では思い出深い本の一つでした。
(『坊ちゃん』は読了した覚えはあるんですが、今ひとつ記憶に残ってないんですよね^^;;)。

 また、一度腰を据えて「古典」を読まないとな〜と言った気持ちはあったんですが、やはり敷居が高かったのも事実。

 が先月下旬遂に読む本が無くなり本屋を彷徨ってた折に、たまたま岩波文庫の前を通りかかり、目に付いたのが漱石先生。『百年の誤読』を読んで以来「それから」が気になってたこともありまして、漱石先生でも読んでみるかと思った次第です。ただ、いきなり『それから』や『こころ』はどうか、と思ったりもしまして、リベンジの意味合いも含みつつ、一番読みやすそうな『猫』を手に取りました。

 で読み始めると意外にも「面白い」んですよ!!
 テンポが非常に良くて、当然文章も美しい。淡々としているのに、風景や様子が脳裏に浮かぶ描写の巧さ。一番驚いたのが、兎に角「可笑しい」んです。漱石先生で笑えるとは!!ホントいい意味で裏切られました。

 何が可笑しいって、苦沙弥先生やそれを取り巻く人物が皆さん個性的というおか、かなり一癖も二癖もある面々で、その方々の言葉や発想がじんわり(突拍子もなく)可笑しいんです。そして、それを冷静に観察してる筈の「猫」が少しずつ感化されてる様子と、理屈っぽく淡々としつつも諧謔あるその語り口がまた可笑しくて。
 また、猫の生態(っていうのかな??)ついての漱石ならではの分析(なのか??)も結構見受けられるのまた楽しいんですよ。
 そういった意味でお気に入りの場面は、

吾輩の尊敬する尻尾大明神を礼拝してニャン運長久を祈らばやと、ちょっと低頭して見たが、どうも見当が違うようである。なるべく尻尾の方を見て三拝しなければならん。尻尾の方を見ようと身体を廻すと尻尾も自然と廻る。追付こうと思って首をねじると、尻尾も同じ間隔をとって、先へ駆け出す。なるほど天地玄黄を三寸裏に収めるほどの霊物だけ会って、到底吾輩の手に合わない、尻尾を環る事七度び半にして草臥れたからやめにした。  夏目漱石著「吾輩は猫である」 岩波文庫 120頁より。


 この箇所は、通勤車内で読んでたにも拘らず噴出しました(恥ずかしい)。ホント猫の動きをしつこいくらい観察して、お馬鹿な分析(誉めてます)してるよな〜と微笑ましくなりました。また、この挿話の箇所が資本家の金田さん宅で偵察してる場面でして、普通ならもの凄く緊張感あふるる(いや対象が猫だから)場面になるなのに、この文が差し込まれたが為に、そこはかとなくそれ以降の金田さん宅探察場面が馬鹿馬鹿しさとか間抜けな感じがします(恐らく計算された上での挿話だと思います)。
 で、相方に早速「わんこの尻尾には『大明神』があらっしゃるらしいよ〜」と更に馬鹿な報告までした程(その時の相方の反応は「漱石先生がおっしゃるなら間違いないな。けど猫限定とちゃうの」とこれまた馬鹿なモノでした^^;;)。
 以来、わんこがくるくる回るたびに「おぉぉ!!!大明神に挨拶なさっていらっしゃる!!!」と喜んでおりますです(ホント馬鹿な夫婦だわ^^;;)


 時折「猫」と「作り手」の語り(視点)が綯交ぜになる部分もあり、あたかも漱石先生の私生活を覗き見してるような気分になるのもまた楽しくてなりませんでした。

 読み手の教養の無さが思いっきり露呈しますが、この作品が世に出た際の時代感や空気を感じることはあっても、授業で習った「猫の目を通しての現代文明への批判」ってのはあまり感じませんでした。確かに「時代に対する憂い」なんかはあるんだろうけれど、あまり表立っては表現されてなくてどこか「滑稽さ」に転化されてる気がします(資本家の金田家の描写とか)。
 また苦沙弥先生(≒漱石)の場合、抱えてるであろう鬱屈が外に向かわずに、内に向かってうだうだ、ぐちぐち、あれやこれや屁理屈こねてるのが可愛らしいやら可笑しいやらです(そりゃ胃も悪くなるだろうよ...と納得^^;;)。

 また、意外だったのが女性描写の豊かさでした。現在の老齢の作家殿より(特に某新聞に連載される某御大)女性をみっちり観察しておられるなと思うと同時に、生き生きと等身大の女性を描かれてるな〜と強く感じました。
 細君殿とか御三とか金田家の細君とかの会話はホント巧いです。特に奥様と苦沙弥先生、細君と雪江嬢、雪江嬢と苦沙弥先生の会話は、なかなかユーモラスで微笑ましくありました。また漱石先生の細君は、悪妻と言われてるそうですが、私からしたら可愛らしい良い奥さんじゃないかと思えます^^;。ああも的確な突っ込みできる(違)女性像が明治に描かれてるとは!!と嬉しくなりました(その辺りが当時の価値観からしたら、「悪妻」なのかもしれませんが...)。

 あと、当時の知識人と評される方たちの教養の広さと深さにはただただ感嘆するばかりでした。また、これが「読書人」の平均レベルだとしたら、現在とは比較にならん位凄い...としか言いようがありません。
 今になって漸く前後の文脈で判断できる言葉が多い事!とは言え、禅用語なんか『鉄鼠の檻』読んでたても、漸くどうにか見覚えがあるな〜って程度だったのがどうにも悲しかったです^^;;


 次は「こころ」に挑戦してみようかと思ったりです。(芥川とか谷崎も読んでみよう!!と決意を新たにしておりますです。)