2011年6月11日土曜日

映画『ブラック・スワン』感想というか覚え書き

以下ネタバレ含んだ感想になります。その旨、ご了承下さい。



 巷ではサイコ・ホラーだとか女性同士の描写がどうたらとか言われてますが、話は非常に薄いです。映像は確かに奇麗ですし、見せ方も工夫してると思います。が、虚実が入り組んでる風にも関わらず、早々に枠組みが見えちゃうのはどうかと。サイコ・ホラーと言うにはその枠組みの甘さが致命的ですし、エロティックな場面も話題になるほどか??なあっさり風味。かといって、ミステリーでもバレエを見せる芸術的な作品とも言い難い。人間関係も割合ベタで然程ドラマ性が無い。色々な要素を齟齬なく組み合わせて、奇麗な映像とささやかな仕掛けで作った感じでした。

 特に、作品の勘所になる虚実の部分。ホント早々にニナの妄想って分るんですよ。それが分ってしまうと、ホラーとしてもミステリーとしても面白みが薄れるのにも関わらずです。その辺もう少しどうにかならんかったのか、と勿体なく思った次第です。



 そんな文句ばかりなのに、こんな長文を上げたのは偏に母娘関係がリアルだったから他ありません。


 鬱状態(というか、治まっていた「構って病」がここ最近再発=悪化してる)の実母から電話があった日に鑑賞。お陰で、非常にホラー風味を堪能させていただきましたです(_;;;。


 私にとってこの映画は、母娘問題若しくは娘の「母殺し」の物語でした。それも、父親の存在が非常に薄く、結果、母子分離が出来てない母娘の物語。極端に言えば、「私」の物語。相方も観賞後「これはひよの映画やったな。ひよやったな。ひよと生活してなかったら、全く理解できんかったわ」と言った程でした。
 見ている間身につまされ、見せられる母娘関係、娘の言動、全てがリアルで架空の物語とは思えませんでした。お陰で気持ちがドッと疲れたような...。


 ニナと母親の関係性が、私と実母の関係に似てるんです。というか、恐らく多くの一人娘と実母の関係がああなんだろうと思ったりするんですが(^^;;。それ故、ニナの言動が痛いくらい分る気がするし、恐怖心を感じたんです。


 総括的な感想が書けないので、記憶に残ってる場面について触れることにします。


 最初に「これって...私とおかん??」と思ったのが、序盤の母親がニナに服を着せてる場面でした。いつまでも「かわいい、小さな」娘として見てる。それは確かに愛情です。が、束縛だし鎖です。それを拒めないニナは、受け入れざるをえないのだろうと。母娘という小さな世界で生きる為には、仕方ないと諦めてるんじゃないかと思えたんです。


 そして、プリマ就任を祝うケーキの場面。ここは本当に痛かった(苦笑)。母親がケーキを捨てようとして、ニナが慌てて止めたのは良く分ります。決して、ケーキが勿体ない訳でも、食べたくなった訳でもない。単に、母親を怒らせた事に罪悪感を覚えるから。いや、ホント形は違うものの似た様な場面を経験してるわ私、と思った場面でもありました(苦笑)。
 少しでも貴女が与える好意(愛情)を受け取らなければ、捨てられるんだよね...。そのケーキはケーキという食品じゃなく、貴女の気持ちであり愛情なんだから、貴女が望む受答をしなきゃいけなかったんだよね、それを忘れてた私が悪い子です。だから、それみたいに私を捨てないで、嫌わないで。私が悪いから、貴女の愛情に間違った反応をした私が悪いんだから。と思いまして...。こうやって、罪悪感が植え付けられてるんだよなと、我が身を振り返りました。そういう意味で、もの凄く痛かった場面。


 「主役に選んで欲しい」」と監督(なのか?)に言いに行くものの、監督に「説得して」と言われると何も言えないニナの姿。彼女は母親と真っ当な「喧嘩」をしてないんだろうなと思った場面でした。感情のぶつかり合い(若しくは母親のサンドバックの役割)はしてるかもしれない。けれど、自分の意見を言って相手の意見を受け入れてという、普通の喧嘩はしてないんじゃないのかと。だから、ああいう時に必要な「自分の言葉」が出ないんじゃないのかと思ったんです。


 夜遊びの翌朝寝過ごしてる娘を放置し、無視する母親。そして、起こされなかった事を詰る娘。これはMy実家ですか?!と(苦笑)。前夜の売言葉に対しての答えがそれですかい?!と。デジャブでした...。


 公演当日。勝手に「休み」と連絡を入れる母親。これはもう本当にホラーとしか言いようがありませんでした。


 物語を通して描かれてるのは、母=娘。母親は娘を自分の分身として見てて、娘もその枠から逃れられない。娘の心身は全て母親のモノであり、他者が干渉する事は許されない事。許されるのは母親が「許可」した人だけ。それ故に物語の中心にあると思われる「ニナの抑圧された感情」が形成される。てか、ああいう母娘関係であったら当然なんですよね。


 端から見たら、間違いなく娘を思いやる「優しい」母親と一人では何も出来ない娘の姿。けれど裏を返せば、もの凄く過干渉で一方通行でしか無い押しつけ。無意識のうちに娘が成長することを拒んでるというか、自分以上の成功や幸福を娘が手に入れるのは許せない思い(歪んだ嫉妬とも言える)。


 私が何より怖かったのは、呪文の様な「かわいい子」。それは愛情であるし呪いだと思うんです。いつまでも小さな「母の娘」であることを選ぶようにされてるというか...。選ばなけば延々罪悪感を抱き続けるというか...。言葉が鎖となって縛り付けられる、小さな小さな母娘の世界で縋らざるを得ない言葉というか...。
 これに類する言葉に、監督の「小さなお姫様」。これも、束縛と鎖だよなと。母の言葉から離れても、次の檻に入るんだよなと寒くなったのです。


 そして、爪。爪を切るのと噛む場面。私も恥ずかしいですが爪噛みが治ならままです。心理学的に言えば色々あるんだろうなぁと思いつつ、やはり不安だったり緊張したりすると噛むんですよ。結婚するまで、かなり深爪状態まで噛んでて、血が出る事も多々有りました。なので、爪から血を流す場面は、痛いしのが分る上に彼女の気持ちが見える様な気がしてなりませんでした。これについては、上手く表現できないんですが...軽い自傷行為なのかなと思ったりする部分もあります。


 映画のラスト。私はニナは「母殺し」に失敗したのだと思います。結局、母親の呪縛や檻から抜け出せなかった。というか、自分を殺すことでしか母子分離ができなかったんだと。
 もし、私が今も実家に居たのなら...と思うと本当に本当にホラーなんですよ。今は、少しですが物理的にも辛うじて気持ち的にも距離があります。それだからこそ、こうやって文章にできるだけの冷静さがあるんだと思えるんです。だた、やはり吞込まれそうになるときもあって、母娘ってのはホント難しいです。


 ただ、この映画を見て「私だけじゃなかったんだ!!!世界共通なんだよ!!!」と思えたのは、もの凄く大きな救いとなりました。ありがとう。