2012年1月29日日曜日

『大奥』byよしながふみ 映画&連続ドラマ化

某所にて1/24公開

周回遅れも甚だしいのですが、今日一番驚いた情報が『大奥』の映画化&ドラマ化でした。何が驚いたって。えぇ堺雅人氏が有功(家光時代)と右衛門佐(綱吉時代)の二役ってことですよ。細かく言えば、堺雅人氏が有功役なこと!!

 堺雅人という役者は大好きです。どんな風に演じてくれるんだろうか、どんな表情でどんな感情を映しだしてくれるんだろうか、どんな風に言葉を発し、その言葉にどんな感情や背景を上乗せしてくれるんだろうか、そしてどんな風に裏切ってくれるんだろうか、言葉や表情と感情が異なる姿をどう見せてくれるんだろうかと非常にワクワクドキドキさせてくれる役者さんです。てか、日本の役者さんで一番好きな方です。
 が、今回の有功は違います、絶対違うんです…。有功は堺雅人氏のイメージじゃでないんですぅ(涙)。てか堺君には仕事を選んで欲しいですぅ(←何様)。
 とお昼休み、職場先輩に管を巻いたくらいある種のショックを受けたんですよね(^^;;。

 よしながふみの原作が大好き且つ堺雅人氏好きな私。ホントなら喜色満面になってもいいであろう、この映画化&ドラマ化。ですが、やっぱり配役に納得できない。家光が多部未華子さんで家綱が菅野美穂さんというは、なんとなくしっくりします。が、どう考えても有功と右衛門佐が堺くんってのがホントに違和感なんですよ!!両方共好きなのに。ある意味ファンにはホントに美味しい状況なのに…なんでこんなに管を巻かなきゃいけないのか、私は。

 原作に於いては、家光時代を象徴しその後の大奥に影響を及ぼした存在である有功。その有功の佇まいとか居住まいとかや、理知的で穏やかな姿とか、理性で情を押し殺しつつもふとした瞬間に見せる生々しさとかが大好きなんです。確かに、そういう有功を今油が乗ってる風な堺雅人氏がどう見せてくれるのか、楽しみではあります。きっと、原作ファンもある程度は納得できる「有功」になるとは想うんです。
 けどね。何がネックって…ラブシーン(苦笑)。ホント、堺雅人氏のラブシーンはね…ファンならば首肯いただける筈なんですが、見てるほうが小っ恥ずかしいんですよ(苦笑)。これは、決して決して嫉妬じゃないと断言する!ぎこちないというのか綺麗じゃないというべきなのか。なので、見てるほうが無駄にドキドキするんですよ、トキメキじゃなく「なんでこうなるの!?」というドキドキ(^^;;。
 個人的には、『篤姫』の時のような触れそうで触れない、とか同衾で事後っぽい雰囲気を醸し出すとか(山南さんと明里のように)、映画『ツレうつ』のように微笑ましいチュ♡とかが堺雅人氏に限っては好みです。というか、そっちの方がホントの意味でドキドキときめくんですよねぇ。
 なので、『大奥』スタッフにお願いします。原作通りの艶っぽい場面ではなく、それとなく匂わす程度の醸しだす程度のラブシーンで!!

 兎に角、今年も堺雅人氏に振り回されそうな予感です(笑)

<追記>
 職場先輩に管を巻いていたのはホントです。凄いウザい後輩だと思います、ごめんなさい。けど、やっぱりどう考えてもどう原作を読みなおしても、堺君=有功ってのが納得できないんですよ…。いや、きっとね嫉妬に狂いながらもそれを押し殺す場面とかは嵌るとおもうんですよ。けどね、それまでの還俗するに至る女犯とか、髢をつけて女装して舞うとか、家光と結ばれる時の熱さとかが想像つかないんですよ…。
 先輩と話してたのは、有功を演じるなら谷章とか若い頃の蔵ちゃんとかの薄い系。確かに、堺君も薄いんですけど薄さの方向が違う気がするんですよ。
 とか言いつつ、連ドラと映画は見ると思います。管を巻くんだろうけど…。


エア恋愛 -その後

某所にて1/22公開

先日、某誌より私の意見は不採用だったとの連絡をいただきました。それについては、当然だろうさ!と納得済み。ただしつこいようですが、アンケート内容でそちらが書きたい内容とズレてること分からなかったのだろうか?とはやはり思うわけでして。

 発売日に店頭でどういう内容になってるのか?と立読したところ…。ちょっとだけ腹が立ちました。腹が立つという言葉の真意を濁さずに言うならば、ふざけんな!!AE◯Aっ!!中途半端な編集するなよ!!!なもの♡

 何が一番ムカついたって、エア恋愛対象者に私が答えた対象者が入ってたことですわ!私の意見を採用しないのなら、私の意見が「恋愛じゃないと判断しました」とまで書いて連絡してきたのならば、それを文書に入れるのは間違ってないか?しかも、本文の文脈から想像されるような「エア恋愛」じゃないのに名前だけを書くってどういうこと!?それしか読まない人には「そういう」対象と物凄く曲解されるよね!?その名前を上げる以上、こっちの「片思い」状態にも少しは触れるべきなんじゃないのか?!てか、その人の隅っこの方のファンとして物凄く物凄くその人に申し訳ないよ!!!
 と書いてて息切れするくらい軽くキレましたよ、私は。

 兎に角、今回取材とやらを電話で受けて掲載誌を読んで思ったのは「誠実さ」が無いなぁってこと。確かに、時間に追われてアイデアを出して記事にするのは大変だと思います。その上、少ないパイを奪い合うかのような部数競争があるのも分かります。余談ですが、雜誌の裏事情とかを読む度に、うわぁぁ壮絶とか思います。付録商法の激化とか柳の下のどぜうの数をよんでみたりとか、広告主への気遣いとか(広告収入が支えてるってはなぁ)とか。ホントに本筋以外の部分での配慮なり、マーケティングなりが必要なのは分かります。
閑話休題。だからここ10年でAE◯Aが劇的な方向転換をして、広告をバンバン載たり、長期間煮詰めたような記事が減った代りに女性誌へシフトしたのも理解します。が、ここ数年はホント安易じゃないか?後追いじゃないのか?今頃これを載せるのか?というのが多くないですか??それって、物凄く雜誌としての「誠実さ」を失ってないですか???と思うんですよ。
 そして、今回のこれ。編集者としてどう考えてこういう記事にしたの?取材を受けた側への配慮はあった?対象者として名前を上げるリスクやメリット、その人のイメージなんかをきちんと理解してやってるの???
 百歩譲って、対象者として名前を上げるのはいい。それだけ知名度があるっていうことだから。けど、それなら被取材者がその人に抱いてるイメージを文章中に書いておくのが最低限の礼儀じゃないの???と思うんです。それらを含めて「誠実」じゃないと感じた次第です。

 まぁAE◯Aそのものについては、発刊当時はホントに面白くて好奇心を刺激される週刊誌だったのに、ここ15年くらいは知的キャリア女性週刊誌→働く女性週刊誌→ちょっと賢い女性誌という感じに変わってきて…。変わるのはいいけれど、それがあまりにも安易すぎるきらいがあって美しくないと感じてます。
 週刊誌というか雜誌の命であろう情報面でも、えぇ今頃コレを!?なのが増えてるしね…。例を上げれば、この特集の1号前にBBCシャーロックドラマネタを掲載してた体たらく。NHKの放映が昨年夏で、本国では2シーズンが放映されたタイミング。しかも、昨年秋と年末に発刊されてた『海外ドラマnavi』や昨年末の『このミス』で取り上げられた後。それだけ遅かった掲載なのに、内容といえば、『このミス』の足元にも及ばない薄さ…。それを読んでも、迷走さがうっすら見えた次第です。

<追記>
 いい記事やコラムも掲載されてるんですよ、AE◯A(伏字にする意味が無いですが^^;;)には。
 けど、ここ数年韓流スターネタ多かったりするのを見ると、どの年代・どの層を狙ってるの?と聞きたくなるんですよね…。それに関してはただ単に私の周辺に韓流スターファンが居ないから、分からないだけなのかもしれないですが…。
 
 

『90ミニッツ』三谷幸喜作/演出 大阪千穐楽感想

某所にて1/23公開

2回目に行って来ました!しかも、三谷作品で初楽日(笑)
 ちなみに…2回とも平日昼公演。なので、間を置かずな感じで休暇を取ってる状況。ダメ社員=社会人失格決定です(_;;

 今回は西村・近藤両氏のテンポが前回観た時より変化した?感じがありました。西村氏がテンポを上げて、近藤氏が落としてる気がしたんですよね。そのせいなのか、2人に対する印象が若干違ったかもです。何処がどう、と説明できるような大きな差異ではないので、ホントに言葉にするのが難しいのですが…。
 西村氏に対してはより生身の人間らしさを、近藤氏に対してはより大きな苦悩を感じました。特に、近藤さん演じる父親の姿が前回より解りやすく、より解りにくくなった気がしてなりません(何を書いてるのか本人にも謎…)。
 その辺については、もう少し書きながら整理したいと思いますのでお付き合い頂ければ幸いです(ってヲイ)。

 2回観たけれどやっぱり「答え」は出ませんでした。しかも、前回あっさり流してた台詞にハッとさせられたりして、困惑は深まるばかりです。一体どうしてくれる三谷幸喜!!、とちょっと怒りをぶつけたい気持ちになってる今現在。

 助かる命を助けたい。
 これが医師と父2人の命題でありその場で与えられる唯一の答え。
 けれど、それぞれの寄って立つ場所から出される方法は、その「答え」を否定しなねないもの。それが、それぞの倫理やエゴというならばそうなのかもしれないです。が、そんな大仰な言葉じゃなくて「立場」だったり「怖さ」の話なんだよなぁと今回思ったりしました。

 医師は患者を助けたいし、そうするのが医師の「立場」。けど、患者の許諾なく手を差し伸べた結果、その患者が不利益を被ったと訴えられるのが「怖い」。
 父親は息子の命が救われて欲しいと願う、そのためには必要な処置を願うのは親としての「立場」。けど、そのことで世間から疎外されたり、息子自身が負い目を背負わせることになる「怖さ」がある。
 どちらの立場も怖さも恐らく私たちは知ってるはず。知ってるから、もしかしたら自分も同じ立場になるかもしれないと思うから、もしかしたらこのお芝居は失敗なのかもしれないと思います。凄い飛躍なんですが、こういう怖さを見せるならば三谷幸喜の「覚悟」が見たかったです。どんな形であれ、整理されてなくてもいいから作家三谷幸喜が今現在表現しうる、「それに対する何か」を舞台上で見せて欲しかった。そんな風に今思いました。

 作品としては決して駄作ではないと思ってます。非常にコンパクトで緊張感が感じられたし、況や西村・近藤両氏も素晴らしかったです。けど、ホントに本当に分からないんですよ、このモヤモヤの正体が。
 ただなんとなくですが、『新選組!』の30話以降や『国民の映画』とか『コンフィダント-絆-』鑑賞後のモヤモヤとは、根本的に違ってる気がするんです。腑に落ちない感じがあるというのか…。
 このあたりついては、時間を掛けて考えていきたいところではあります。

 さて、西村・近藤両氏です。
 西村さん演じる医師は西村雅彦さんらしく、小市民で善良で出世欲や保身を考える「普通」の人。医者の倫理やモラルを正しく持ちあわせ、医療と患者両方の利益を懸命に考える人。更に、海堂尊小説で見られる「法と医療」の歪を過不足無く見せてくれます。いやもうね、あんな風に思ってたり、ああやって真摯に患者さんに向き合いながらも常に「医療裁判になったら…」と怯えてる医師の方多いだろうなと思います。それ故に、承諾書にサインを!と訴える姿がリアルなんですね…。

 次に近藤さん演じる父親。いやもうね、近藤さんの真骨頂かもしれないと思いました(特に2回目に感じた)。息子の命をどうにかして救いたい、その純粋な思いと同時に存在る保身や体面、世間から疎外される恐怖。だから、自分では決断できない。その愚かさなんかが緩々と見えてきました。自分が無いわけでなく、より強い存在(電話の向こうの奥さん)に判断を託すことでより安心感を得る人なのかもしれない。もしかしたら、彼は心から好んで彼の集落で暮らしてるわけじゃ無いのかもしれない、と2回目は感じました。それは、近藤さんの演じられたテンポが変わったからなのかもしれません。
 でもやっぱり、「三秒を後悔」という台詞はあて書きの妙だと今回も思った次第です。

 今回、久しぶりに同じ舞台を2回観ましたが、やっぱりナマモノ故の面白さはあります。短い時間でお芝居が変化するの事は勿論、観客の雰囲気でも随分印象が変わるとうアタリマエのことに気付かされました。

 そして今日の怒り。最終版の緊張感溢れる場面で携帯を鳴らした女性!!!何を考えてるねん!!携帯鳴っただけでも最低なのに、鞄に入れた場所を憶えてなくて延々まさぐって延々音鳴らし続けるってどういこと?!音が鳴った時点で即外に出るかしろよ!!!

 正直、大阪のお客さんはドンドン質が下がってる気がします。これだから、大阪公演減るんだよ…。