以下まとまりのない雑感
・大恐慌時代の物語ではあるにもかかわらず、彼らが抱き求める夢や希望が「今」のそれらとも重なるように思えて。多分、優れた作家が紡いだ、優れた物語が持っている普遍性なんだろうなぁとかウロウロ。
・目の前に大きな人参をぶら下げられて(富の再分配等)必死で労働するものの、置いたり病気等で役に立たなくなったら、お払い箱にされて何の保証もなく生きていくことが困難になる。それって、今の日本と何が違うんだろう??と思ったんです。
・知的障害(でいいのかな)であるレニーとおそらく他の人より頭の回るジョージの関係は、トムハとベネディクト主演のドラマ『Stuart:A Life Backwards』を思い出しもして...。ただ大きく異なるのは、レニーとジョージはより絆が深くて強い。二幕開幕前の解説でも「レニーはジョージの心」という表現がされていて、それに深く頷く次第です。(あと、なんとなくですがブロマンス風味も感じました^^; 映画化されてるのを見てないのでなんとも言えないのですが、この辺は今風の解釈・味付になったのかなぁと勝手に思ってます)
それ故に、レニーの命を自らの手で奪ったジョージのそれからがとても気になってしまって...。心を自らの手で殺したってことは...となって心が痛みこれはジョージとレニー共に悲劇であるんだと納得。
・ふと思ったんですが、心や子供っぽさや柔らかいふわふわした部分を自ら殺さなきゃ「労働」できないって暗喩なのか?? (どんどん怖い考えになっていく)
・ジョージとレニーの存在や語ってることが比喩的なものだとすれば...とかウロウロしだしたので、原作と映画化作品(ジョン・マルコヴィッチが出演してる方)に触れて、ゆっくり考えてみたいです。
とこんな風に気になる作品って良い作品なのですよね^^;
・気になって検索したら、悲劇しか生まない罪と罰【その4】二十日鼠と人間 とうブログさんに
Of Mice and Men”はスコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩「ハツカネズミ」の第7節から拝借したもの。「ハツカネズミと人間のこのうえもない計画も、やがては狂い、あとに残るはただの悲しみと苦しみ、約束のよろこび消えはてぬ」というあまりにも作品の内容そのもの。2人の対比が“二十日鼠”と“人間”に喩えられている。と書かれており、確かにそのままなではあるのだけど、そこに社会風刺性を持たしたのが『二十日鼠と人間』という作品なんだろうかとか...これまたウロウロ。
・カーテンコールで役がすっかり抜けてらっしゃる役者さんを見て、役者って魔物...!!と本気で慄きました。