2006年3月27日月曜日

ドラマと原作 その1 『出雲の阿国』

 この3ヶ月は、1年振りに週5本ペースでドラマを見てました。内、原作があったのが『出雲の阿国』・『神はサイコロを振らない』・『功名が辻』の3本。
 『西遊記』も原作若しくは原典があるといえば言えるけれど、それからはすっかりかけ離れて日本オリジナルな話になってる気がします。それに今回のドラマは、旧『西遊記』がベースとなってる気がするので除きました。

 原作があるものについては、やはりきちんと原作を読まなければならない!!という(あまり大したことのない)信念の下に『阿国』と『神は〜』の2冊を読んでみました。 『功名が辻』については、過去、司馬遼太郎に嵌っていた時期に読んだ気がするのでまぁ良いかということで(笑)。

 以下 『出雲の阿国』のドラマと原作に関する感想です。多少毒吐いてる部分もあります(^^;;

 ドラマに関しては途中まで別項を設けて、色々悶えて(え?!)ますが全話を流し(飛ばし)見した感想含めつつ。

 この作品は、当然のことながら「原作」の方が素晴しかった。有吉佐和子さんの作品を拝読したのは、恥ずかしながらこの作品が最初でした。が、柔らかな雰囲気を纏いつつも、その内実は骨格がしっかり作られている「物語」に魅了されました。特に、「城造り」と「阿国」と「男」を絡ませながら、その時代に存在していたであろう「息吹」や「空気」を描き出されていたのには感嘆するしかありませんでした。

 阿国が「城(=権力)」という物を仰ぎ見ながらもどこかで嫌悪を抱いている「感情」と、野心を持つ「男」が抱く「城」に対する執念や熱情のあからさまな「差」により、阿国の「芸」が生まれた土壌を作っていくのがなんとも魅力的でなりませんでした。

 また「城」が象徴する、時代と権力の移り変わり。権力者がその力を誇示する為に造られる「城」。その住人たちは、物語中には顔を出すことはありませんがいつも阿国達の傍らに存在する。それらに惹かれ、より近づき出来うることなら掌中に手に入れたいと焦がれる思いを抱く男たち。それらに疑問を抱き、出来うることなら彼らの手から逃れたいと思う阿国。

 阿国に魅了され、阿国と共に大衆の文化を生み出した「男たち」ですら抱き続ける、権力への渇望や執着や憧憬。河原という自由な場に心惹かれながらも、「城」に恋心を抱く。そんな彼らが「人生の伴侶」として選ぶのは、決して彼らの思いが受け入れられぬであろう、「城」とその住人。
 対して、経験を通じて「城」や権力に懐疑を抱き、「踊る」事により苦悩や自身を昇華させる阿国。彼女の原始的ともいえる生命力の力強さと美しさには、登場人物ならずとも魅了されました。そして、阿国と城を対比することで、男たちの葛藤や悲哀が浮かびあがる様子には、美しささえ感じました。

 また当たり前のことながら、登場人物全てが生き生きと描かれ、彼らの「生」を一つとして疎かにせず、況や個々の魅力を余す事無く描いているのは流石としか言い様がありません。どの登場人物も印象深くありました。

 転じてドラマですが、あの長い原作を巧く消化していたとは思います。ただ如何せん、放映回数が少なかった。その所為で、城と阿国と男たちの関係がいまひとつきちんと描ききれて無かった様に感じられました。また、演じての力量に配慮してでしょうが(失礼極まりないな)、阿国の抗えない宿命として存在している「踏鞴の血」の描写が少なかったのは、勿体無いと思いました。だって、踏鞴を踏むリズムや、炎、そういったモノが阿国に無意識的に影響を与えているのに。

 演者に関しては、男衆は文句無く良かった。時代と阿国に翻弄される様子が悲しくも滑稽だと感じさせたのは、流石だと思います。
 女衆はなぁ….意外と良かったのがお菊でした。単に好みだってのもあるんですが、阿国に対する鬱屈した想いとか嫌らしさとかありつつも、どことなく幼い雰囲気があり、非常に見ていて楽しゅうございました(笑)
阿国に関しては、「弱かった」とだけ書かせてもらいます。