2007年6月10日日曜日

06/5/5 帰国

 お世話になったG姉宅で最後の朝食をいただき、S家に向かいました。そこでH母とA父に最後のお別れをし、一路空港へ。

 ハノーバ空港で行う免税処理時に「提出したレシートと実物とを照合させてくれ」と言われ、相方のみならずG姉&W氏も吃驚。何度も国外からの旅行客を送ってきた彼らですら初めての経験だったようで、かなり驚いて「なんで今回に限って」と言って首を傾げておりました。ただ、冷静になって考えてみると06World Cap直前だったからじゃないかしらと。彼らも「まぁ大きなイベント直前だしなぁ」と納得してましたし。
 で、税務署の空港出張所らしき場所でスーツケースを開け、中身チェック。若干マズい部分もありましたが(マイセンのレシートの中にG姉とW氏にお土産で渡した品があったんです^^;;)、問題無しとの判断を頂きました。が、やっぱり緊張しました。係員と対応していた相方が、すっかり汗だくになったのは仕方なかったです。
 そんな緊張感に耐えれられず、検査の為開封されたマイセン・カップを元に戻してる検査員に「素敵でしょ?このカップ。私、マイセン大好きなんです☆」と話掛け、検査員さんから「そうだね。素敵だね」と微笑んでもらいました。それを見ていた相方は「何考えてるねん...」と脱力感に襲われたそうです。だって、本当に空気が張詰めていて、このまま帰国したら絶対良い思い出にならないと思ったんですもの(また、どこでも愛想良くが私のモットーですし)。

 そんな緊張の時が終わり友好的に検査員さんと別れ、搭乗手続きも済ませた最後のお茶の時間をする事になりました(半ば恒例と化してます)。お茶を楽しんだ後、ゲート向かうと信じられない表示が!!
 ハノーバ・フランクフルト線が45分遅れとなっているではないですか!その表示見た時、流石に青ざめました...フランクフルトでの乗り継ぎ時間を考えたら、ギリギリ間に合うかどうかの状況でしたし(復路の乗り継ぎ時間は80分でした)。往路の乗り継ぎ時のバタバタを考えると、復路も決して油断は出来ないと思っていたのに、45分の遅れって?と。ただ、ハノーバ・オランダ間が欠航されていた事で若干冷静になり、「まぁ欠航よりマシか。35分あればなんとかなるかもさ」と吹っ切れたのも事実。しかし、相方はそうではなかったようで(苦笑)G姉を伴ってカウンターに向かい、現状と最悪乗り継ぎが出来なかった場合の対処を確認しておりました。

 それを見ていた私とW氏は二人で暢気に座り、「まぁ何とかなるよね〜。私たちの所為じゃないし。航空会社の落ち度だしね、フランクフルトの宿泊費位は出るよね〜」と語らっておりました(笑)。そして、落ち着かない二人を眺めつつW氏が言った事が素晴らしかったんです。「G姉はいつも何か探してるんだ。あの人は探す事が好きなんだよね〜。」と。それを聞いた瞬間大笑いいたしました。えぇ完全に暢気な二人組でございました(^^)

 遅れた原因はG姉曰く「フランクフルトで客が遅れたらしい。45分遅れで確実に飛ぶから安心して」というモノでした。流石、いつも何かを探してるG姉です。結局、45分遅れで飛び立ちギリギリでフランクフルト・関空間には乗れたので、遅れた事も良い思い出になりました。
しかしながら、ハノーバを飛び立つ時の飛行機は正直怖かったです。だって、「急いでる」っていうのが判る位の飛び上がり方でしたから....。また、フランクフルトで予定とは違う場所で降ろされ、空港内を走るバスに乗せられるという何ともトホホな経験も致しました。

 往復路ともフランクフルト空港にやられた...とう感じは否めずでした。

 今度行く時はゆとりのある計画を立てようと、肝に銘じた旅行でもありました。

さて、次回は冬のドイツに行ってみたいんですが、いつ実現できるのやら。

2007年6月9日土曜日

06/5/4 ドイツ 最後の夕食

 S家で待っていて下さったのは、H母とA父そしてH母の一番上のお兄様。勿論初対面でしたが、暖かく迎えて下さったことが非常に嬉しかったんです。全員そろった所で、S家の近くにあるギリシャ料理店で夕食を頂きました。

 お兄様を交えたことで、戦時中後のドイツが辿った歴史を「血が通う」モノとして見れたように感じます。東西冷戦時に親子・兄弟姉妹が否が応でも分断され、連絡が取れなくなった事の辛さについては特に。相方がデジカメで撮ったG家父(H母とお兄様の弟)の写真を、慈しむように懐かしむように見ておられた姿と、お二人が微笑みながら「50年ぶりに顔を見たわ。別れた時はもっと若かったのに。すっかりおじいさんになってしまったわね」とおっしゃた言葉がとても印象的でした。運命を嘆いたり激昂したり声高に非難する事も無く、ありのままの歴史を受け止めている、その強さと美しに打たれました。

 その夕食の席で、相変わらず私はネタにされ倒しました...。ショックだったのは、相方G姉&W氏のいつものトリオだけでなく、A父までがそれに加わった事...。食の細い(といってもドイツの方と比べてです)私に対して、「それだけじゃ足りないだろう?!私のを半分食べなさい。ほらもっと頼もうか?」と笑いながらおっしゃるんです。その上ご自身が空けた食前酒のグラスを私の前に置いて茶目っ気たっぷりに、「ひよはよく飲むね〜」とまで!!!!そして、半ば拗ねてる私の表情を眺めて楽しそうに笑われるんですよ!
 えぇ、打ち解けて下さっているのは十分理解してます。けど、最後の砦だと思っていたA父までもが私で遊ぶとは!!と本当に嬉しいやら悲しいやら複雑な心境でした。勿論、他の方もそれに乗っかっていじりまくってくれました(涙)

 夕食後、S家に戻りお兄様に別れを言い、ドレスデンの土産話をしたりお土産交換をしたりして最後の夜を過ごしました。私達にとってH母とA父が居るS家は居心地が良くて、彼らは大切な「家族」なんだと改めて感じました。

06/5/4 そして 美しすぎる都市ドレスデン 2

 翌日もG家の案内で日中のドレスデン観光。主に、前夜歩いた場所を訪れました。夜と昼と両方の表情を観る事ができたのは、本当に良い思い出になりました。ただ、美術館等々は時間がなく断念せざるを得なかった事が、かなり勿体なかったです。

 昼間のツヴィンガー宮殿(Zwinger)は、夜とは違い健全なまでに美しく、軽やかでした。石造りの手すりに座ってみたり、G姉と小芝居をして遊んでみたりしたのは良い思い出です(G姉は職業柄かちょっとした「遊び」が好きなので、ついつい付合って遊んでしまいます^^;;)。

 そして、「ドレスデンでのお土産を買いたい」という私の強い要望で正十字教会前で開かれている市に連れて行ってもらいました。そこで30分程度の自由時間(笑)をもらい、相方と二人で市を回遊しました。その市、生鮮食品からアイスに典型的なお土産物、カフェにレストランに屋台と何でもありで、吃驚しながらもあちこち冷やかして楽しみました。
 この日は、これまでとは違い暖かな(暑いに近い)気候で、市に出ているジェラートが食べたくて食べたくて仕方なかったんです。相方とW氏達と合流してから買おう!と話し合流地点に戻ったら...W氏が美味しそうにジェラートを頬張ってました...。
 その後、近くのデパートに行きS家のH母とA父へのお土産を無事入手しました。
 
 ドレスデン土産で一番大切なのは、G姉とW氏から頂いたドレスデン復興の為の腕時計。文字盤の中に焼けた聖母教会レンガの欠片が入っているものです。これを貰ったとき、色んな気持ちで一杯になり、それを巧く伝えられないモドカシさに泣いてしまいました。そんな私にW氏が「なんで泣くの?ひよの気持ちは伝わってるから、大丈夫だよ」と言ってくれたのが、凄く嬉しくて安心して、この人たちと出会えて、こうやって一緒に旅行が出来て本当に幸せだと感じました(W氏はいつも必要な言葉をくれるので、ホント年の離れたお兄ちゃんって感じなんです)。
 その後は色々気遣ってくれるW氏に「有り難う。泣いてるんじゃなくて、花粉症の所為で目が変なのよ〜」と笑いながら返す事が出来るようになりました。それで彼と相方は安心し、いつもの様に私で遊び初めてました(笑)。

 市内観光であちこち歩き回り、すっかりお腹が空いた私たちは、ドレスデンの古い建物を利用したレストランでお昼をご馳走になり、昼過ぎには後ろ髪を引かれるながらドレスデンを発ちました。G家には最後まで面倒を見ていただいて、本当に感謝です。

 5時間掛けてハノーバに到着したのは、19:00頃。
その足でS家に向かい夕食と相成りました。