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2006年1月11日水曜日

お正月の山南さんと土方君

 『組!!』の中でやたら山南さんの名が土方の口から出てきてたり、山南さんの影響を受けているような言葉があった所為か、両者の関係を又もやいろいろと考えてしまいました。いい加減にしなきゃと思うんですが(苦笑)。

以下、うだうだ言ってみます。

 一番最初に思ったのは、折に触れ土方の口から「山南」と出る度に山南さんの影響の大きさをでした。恐らくああいう形で喪ったからこその大きさだとは思うんですが、それでもその影響を感じるにつれ、土方が彼の死をちゃんと受け止め、かの存在を巧く取り込めていたことが嬉しくて、哀しかった。
 何故、生きてるうちにきちんと向かい合うことで、それができなかったんだろうか??と相変わらずの繰言をつぶやいたのも事実。で相馬や他の事情を知らない新参隊士達に対して、「武士の中の武士だった」と言ってくれた事は嬉しかったし、土方の中で漸く整理できたんだろうと思った場面でした。

 そして一番引っかかったのが、榎本が池田家騒動に関して訊ね、それに対し土方答えた以下の部分でした。

土方が大まかな作戦を立て、山南さんが細かな陣割をしていった。それが新選組のやり方だった。(うろ覚えです)

 だったら何故、31話以降あぁいう関係になったのか?土方が山南さんを(無意識であれ)ああまでも疎外しようとしたのは何故なのか?確かに33話中に答えらしきモノはありました。けれどどうしてもそれだけでは納得できないんです。その辺りはあまりきちんと描かれなかったというか、はしょられたというのか(役者の力で見せられるという判断があったからでしょうが)。それでも消化不良な感じは未だに拭えません。
結局のところ、芹沢暗殺が当初予定より延びたってのが一番の原因なんでしょうね(苦笑)
 なんか、年明けから2年前の大河のあれこれを考えてしまうってもの、どうかと思いますが、ちょっと引っかかったので。ただ、こういった部分もこの作品の魅力のひとつだとは思って、楽しんでたりもしてます。

2006年1月4日水曜日

2005年の『紅白歌合戦』等。

 新年早々やっぱり出遅れてる、大晦日の話題です(今年もこんな感じです....)。
 紅白歌合戦をまさか録画してまで観ようとは!!流石『組!』効果です。オン・タイムでも少しだけ観てたんですが、全て見れたのは年明け1月2日でございました。興味のある場面は一応ちゃんと見ましたが、勿論目当ては紅白の司会者のみ。

 番組自体の印象ですが、余りにも纏まりのない演出とういか構成に正直疲れました。大掛かりで気合いが入ってたり、お金が掛かってたり、NHKの威信が掛かってたりするのはもの凄〜く判るんですが、それが会場全体の雰囲気等々と巧く咬み合って無いような気がして、何となく全体が空回りしてたような気がしまいました。あれは、歌手の方達も歌い難いだろうなと思ったりしましたよ。
 司会者はやっぱり、みの氏と山根アナ(大好き!)の捌きはやっぱり巧いと思いましたね。みの氏の起用も賛否両論あったようですが、今回の紅白にはみの氏特有の勢いと「俗」さが合ってた様な気がします。それを山根アナが巧く押さえつつ、NHKらしさも加えておられたと思ったり(えぇ山根アナが大好きですよ!)。

 私にとってのメインである山本君&仲間嬢。
 仲間嬢は意外に落ち着いていたので、安心感も有り、彼女の可愛らしさも出ていて良かったかと(『山田』的なのも期待してたんですが、無くて残念でした)。

 相方の山本君。
 いや、もう初々しいというか落ち着のなさが見え隠れしていて、観ていて妙にドキドキ・ヒヤヒヤ・観てるこっちまで緊張して、手に汗握る司会っぷりでした(笑)。まるで、近所のおばちゃん気分で紅白を観させるとは、流石副長目が離せない男(違)。オン・タイムで観ていた時、傍にいた母に「何でそんなにあんたがそわそわしてるん?!知り合いとちゃうやろ?!」と突っ込まれる程でした。

 また、表情にウソが無さそうなので、ゲストの方との絡みがこれまた不安且つ心配で...。一体どないな司会者やねん!!と画面に向かって突っ込みそうになりました。正直みの氏が居てくれて良かったと何度思ったことか!!(そのみの氏にもかなり振り回れておりましたが/笑)。唯一SMAPとの絡みだけは安心して見ていられたってのは、やっぱり香取君効果なんでしょうか(お魚屋さんの幼なじみとの絡みが無かったのは残念でした)。

 期待は裏切らない、やっぱりやってくれました、釣った魚(ファン)には餌を与えてどこまでも放さない、流石本家本元元祖、NHKっ!!な山本君(&一部視聴者)安らぎの場、「山本君&香取君との絡み」。
 もう色んな意味で涙いたしました。
 初めて見たときにゃ、哀しいかな「良いのかNHK(と香取山本)。世界にこんないちゃつき(別名「愛の軌跡」)を見せつけて」的な、もの凄く歪んだ感想しか思い浮かびませんでした。
 だって、ですよ。山本君の表情がそれまでと全く違って柔和だし、安心しきってるというか嬉しさ大爆発で、大好き光線でまくってるし、おまけに隣の(孫悟空化してた/笑)香取君も妙に穏やかだし、みの氏が語ってる間こそこそ内緒話をしてみたり(注:最終確認or打ち合わせです)、肘で突き合ってるし(注:以下同)。どうみても、お仕事中では無い『組!』撮影終了前後の飲み会の二人のようじゃないですかっ!!(見たこと無い癖に言い切る私って...)。
 すみません、これは言い訳にすらないです(反省)。

 挙げ句、あの香取君に「男の友情です」と言わせる演出には、もう「山本君っ頑張ったねっ。良かったねっっ」の感想しか無かったですよ。
 そういった意味で、あの演出はもの凄く狭い視聴者向だったような気がしてなりません。が、心から「ありがとう」と言いたい(笑)。前作の大河ネタをこうまで振ってやってくれるとは、予想外な展開でホント嬉しくて嬉しくて、この部分だけ何度繰り返し見させていただきました。だた悲しいかなBS-hiで録画していたので、この部分だけ切取→編集ができないことが判りました(悔)。あぁ勿体ないっ。

かなりツボだった場面は、
○前川氏を山川氏と言い間違えて、すかさず「ごめんなさいっ」と潔く謝った山本君。
 大層大役に緊張してる感じが出て、可愛らしいというか年相応な感じで良かったかと。
○半腕組みをしながら「です」と堺さん物真似をした山本君。
 あの口調と顔ってやっぱり堺さん物真似ですよね?!何度か見て確認したんですが、歪んだ目にはそうとしか思えなくて。もしそうなら、どれだけの視聴者が理解したのか(苦笑)
 あれを見た瞬間堺さんの「もう僕ですらないよね」の言葉が浮かびました、です。
○優勝旗を遠慮しながら受け取って、「僕は何もしてないんですが」と照れくさそうに
語る姿が、非常に好感度UP(笑)。しかし、旗が似合う男ですな〜(ちと違)。
○和田あきこさんに抱きつかれた姿。
 あぁ受け入れられてて良かった・・・とホント安心しました。大役お疲れ様、本当に頑張ったね・・・と思った瞬間でした。

その他の方についてちょこっと
○山崎まさよし氏の後で指揮をしておられた服部さん。
 むっちゃお洒落さんで、かなり吃驚しましたよ...服部さんがあんなお洒落さんな格好されてああまで似合われるとは、失礼ながらかなり驚いて目が醒めました。
○「グループ魂」
 亀がドラムだよっっ!!サダヲが歌ってるよ!!と今更ながら大騒ぎしてましたが、恐らく母も相方も理解してないと思います(どれだけの視聴者が理解してたんだろう???謎です)。
 その後も三宅さんが写るたびに「亀だよっ。亀が出てるよ」と一頻り大騒ぎしてたのは、内緒です。
○アリス
 母と二人して「『アリス』と言えば名曲「チャンピオン」じゃないかっ!!!何故ヤラナイんだNHK」とか、谷村氏の格好良さに大騒ぎでしてました(何つう母娘)。
○モー娘。
 初期メンでの『LOVEマシーン』は良かったな〜と思う私は、4期メンバー迄しか判りません(それだけで充分だと思います)。
○ドリカム
 やっぱ良いよな・・・とその一言です。流石に20代と比べて声量は落ちたけれど、巧さや個性は相変わらず素晴らしく、良いLIVE見せてもらえたとしみじみしました。
○渡辺美里
『My Revolution』!!!!!歌詞見なくても歌える程大好きな歌でございます。いや〜久し振りに聞くとやっぱり良いです。この時期の小室哲哉の曲は良いのが多いと思いますよ(としみじみ)。

視聴率も何とか微上昇したようですし、ちょと安心しました。

2005年3月16日水曜日

地味な対談

 待ちに待った三谷さん&堺さん対談掲載の「TV Station」、早速お昼休みに買ってきました!!

 該当ページを開き、お二人が並んでる写真を見た瞬間出た言葉は、「なんと地味な(笑)」でした。お二人のファンとは思えない言葉だとは重々承知してますが、ホント地味だったんですもの(笑)。
 何といいますか、部屋があまりにも質素だった所為なのか、お二人に華が無い所為なのか、「芸能人的」オーラが見えないというか、微笑ましくなるくらい落ち着いた(=地味)な雰囲気のお写真でございましたです。
 えぇ勿論、そんな落ち着いた雰囲気のお二人が大好きですよ!!

 対談は予想通り、落ち着いたまったりとした大人(老成とも言うかも)な雰囲気が感じられるものでした(笑)。それはそれは、縁側で日向ぼっこをしながらのんびり茶飲話をしてる趣すら感じられるほどです。対談内容は既出の感があるものが多く、それほど目新しい情報はありませんでした。

 ただ、『土スタ 副長が行く!SP in伝通院』(長っ)での堺さんの言葉について、お二人が割合突っ込んだ話をされていたのは新鮮であり、嬉しく感じるものでした。
 読了後は、不思議と温かく穏やかな気分になる対談でした。違うかもしれませんが、堺さんと三谷さんって何処と無く似てる様な気がしたのもの事実です。明瞭に指示することはできませんが、纏ってる雰囲気とか物事に対する見方のちょっとした部分が似てるんじゃないかと。だから、これだけ落ち着いた穏やかな対談になったんじゃないかな~と思ったりしています。

 しかし、ここでも話題になる「山本→香取」(この表現に他意はありません)の様子には、もう笑うしかありません。しかも、ことある毎にコルクを見せびらかし

「これは僕と香取慎吾との友情の証なんだ」


とのたまう山本土方へ

「香取慎吾じゃないだろ・・・」


 と冷静な毒を吐く堺山南さん、って様子には笑わせていただきました。また堺山南さんは、そんなふたりを微笑ましく見つつもやっぱり少しは「うざってぇな」と思ってたのか(笑)とか、意外(なのか?!)な発言も楽しませていただきました。
 あちらこちらでネタになってるこの二人ですが、最近どうやら更なる進展もあったそうですし(笑)、彼らの行く先を堺さんじゃないですが、微笑ましく見守って行きたいと思いますです。
(つうかこれが〆って。一体なんのエントリーなんだろうか???)

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(同日 15:15過 追記)
えっと・・・つい今しがたあちこちのブロクさまを廻って始めて知りました(情報が遅すぎ・・・)。
局長の「うちの土方」(=惚気/違)発言を。
なんや、木10主演者から語られたそうで、こんなところから彼らのあの軌跡を辿れることに驚きを隠しえません(大袈裟な)。そんなことより、その発言の枕詞が頭の中で反芻されて、笑えて笑えて仕方ないんですが(^^;;
 ホントこの二人一体ドコまで行くつもりなんでしょうかねぇ。興味深いような、末恐ろしいような、楽しみなような、ドンドン複雑な楽しい気分になっておりますです(^^;;


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(追記 16:54)

 昨日立ち読んだ「TV Japan」内月9人物紹介について(今更思い出し書きで、すみません)。
 鳥居さんって「議論を吹っかける」んですね(笑)。理想が高くて、議論好きで、屈折したエリートで、子供に懐かれないって。あのぉ まんま山南さんじゃないかと思うんですが??この感想間違ってませんよね?
ってことで
 Viva!!現代の山南さん!!!(喜)

月9と木10が楽しみになってきましたよ!!有難うみんな!!

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(同日 21:25訂正及び追記)
 上記で「既出の話題が多く」と書いていますが、何度か読み直した後、既出の話題は少ないことに気づきました。この部分訂正いたします。

 言い訳になりますが、既出だと感じたのは恐らく今まで三谷さん、堺さん達の個人的なインタビューや発言で僅かに触れられていた部分があったからじゃないかと。そして、今回の対談を拝見し、今まで堺さんや三谷さんの個として表現されていた「言葉」や「感覚」が、お二人が対談することにより更に深みを増し、より具体的に肉付けされ、より鮮明になってる感じがしました。そう言った意味でもとても上質で穏やかで落ち着いた大人な対談だったと思う次第です。

2005年2月18日金曜日

2005年エランドール賞 授賞式

 あちこちらで取り上げられててるのを拝見しつつ、ここで語るほどでもないな〜とか思ってたのですが、2005年エランドール賞 授賞式(Yahoo ニュース)の山本&三谷両氏を拝見し「こいつらは(笑)」と思ったもので。

 まずは、遅ればせながら山本氏&吉川CP受賞おめでとうございます。昨年の今頃激しかったバッシングを思うと、この賞だけなく各TV雑誌上を含め「作品」が評価されてる事が本当に嬉しくてなりません。

 で、受賞コメントに関してですが。

 いや〜山本&三谷両氏には何というか・・・ツボ押さえられてる気すらしてきましたよ(笑)。確かに「山本香取」(この表現やめなさい^^;;)はNHK公認というか公式なんですが(そうなのか?!)、それでもそれはあくまでも『組!』FANや関係者の内輪ネタだったんじゃないのか?。いや、あれだけTV雑誌上で見せつけられたから、充分外野にも浸透してるネタだったんだろうか、とも思ったりと妙に複雑な気持ちになりつつ。
 あんな歴史且つ権威ある賞の授賞式の場で、香取君からの祝コメントを省略し山本氏の反応を楽しむ三谷氏や、式後のコメントで「香取君との『愛』の交流を幸せそうに語る」山本氏(笑)。そんな貴方達が大好きですよ!!(重症です)

 まずは三谷さんの「小芝居」の感想を。
 この方、フットワークが軽いというか何というか、ここ最近のメディア出現率の高さを奥様に叱られて(呆れられて)ないだろうか?!と少ぅしだけ心配になる昨今です(笑)。
 しかし、あの短い時間の中で何回「香取君」と言ったのか?!しかもしっかりの「山本君への愛のコメント」(だからやめなさい)を省略し、ちゃんと山本君の表情を確認してるのが三谷さん&山本君&香取君の関係性を如実に表現してる気がしました(笑)

 で、御大(違)山本氏のコメント。
 受賞時のコメントは素直に「おめでとう!!良かったね〜」と思えるものでした。が、式後のコメントは、「ね・・・ネタですか?!」とPCの前で目が点になった後、大笑いしました。やってくれますよ、流石かっちゃん大好き土方!(似てるけど違)
 共演者と未だに交流があると言うのは嬉しいと思ったり、女優さんが現場に来られた際の男子校生達(だから違)の反応には既出といえども「様子が見える(笑)」と思ったり、極々普通の感想でした。
 が、香取君ネタになってからの嬉しそうな表情が何ともかんとも(笑)。また、誕生日にサプライズで楽屋に忍び込んでたって話に至っては、笑いすぎて感想も何もあったもんじゃありませんでした。しかも香取君に呆れられ「帰れ」と言われた事まで臆面も無く幸せそうに話す姿に至っては、それが嬉しいですか、そうですかと納得するしかなく(笑)
 ただ、未だに「追いかける山本、うざかる香取」が続いてると思うと微笑ましくなります(しかも、少しずつ距離が縮まってる感じもしてとても楽しい/^^;;)。

本当にこんな楽しい幸せな思いを抱かせてくれて、有り難う!!

2005年1月17日月曜日

最近ふと思い出す

 放映直後はそんなに引っかからなかった場面な筈なのに、『組!』のある場面がふと思い出されることがあります。

 『東へ』で土方が新撰組の記録を焼いてる場面。

 「あの書付があったら〜っ」とか「何で焼くの?!史料なのに〜」とかいう忸怩たる思いではないんです(そういう思いもあるのはあるんですが)。

 ただなんとなく、「あぁ。こうやって彼らにとっての過去を消して、彼らは歴史の隙間に埋もれてくんだ。で、時代が変わって、(事実とは違うかもしれないけれども)作家がその歴史の隙間を埋めてくんだ」
とか、書付を焼いたことによって、失った「過去」の重さと事実とか何もかもを、あの時土方は全身で引き受けたんだろうな。
  と非常に当たり前な思い(多少感傷も入ってる気がします)で、振り返ってるような気がしてます。そして、過去なのに止まることが無い時を相手にしてた作家の、静かな闘志を今になって感じてみたりもします。
 とても静かに穏やかに振り返ってしまう、そんな場面のひとつになろうとは。何なんだろう、もの凄く不思議です。

 しかし、終わって1ヶ月経とうとしてるのに、義経始まって2週目なのに(苦笑)。何時まで翻弄させられるんだろうか?
まったく、楽しくて仕方ないですよ(笑)

2005年1月5日水曜日

突然ですが、義父の『組!』評

 年始に相方実家で食事をしてる最中、何の脈絡からか「組!」の話になりました。
 そうそう、大石学著「新選組」を義父が購入して私が勝手に読了した(購入時に「読ませてくださいね」宣言はしてましたが/^^;;)報告から、発展したんだ。
 ちなみに両家の親共、わたしが「組!」にすっかり足元救われてとっぷり嵌ってるのは知ってまして、なんか生暖かい目で見てくれてます(笑)

 全く見てなかった相方交えて、それはもう異様な盛り上がりでした(特に嫁と義父が/笑)。そして、土方役は言うまでも無く「良かった」そうです。山本土方の視線とか佇まいは「土方そのものだったな〜」とこれまた好評でした。
 あぁ流石副長ですよ!!(義母は「綺麗な顔立ちしてたよね」と申してました。流石副長っ、年齢性別関係なしです/笑)
 
 思い起こせば昨年。脚本が三谷幸喜で題材が新選組と知った義父の反応は、「史実通りにやってもらいたい」「大河で三谷的な色はあまり見たくない」「軽い大河は遠慮したい」と言ったものでした(義父は朝日購読者なので、氏連載の「ありふれた日々」も読んでるそうです)。それが、1年経った今年に「良かった」との評を聞けるとは!!意外だったし、それ以上に嬉しさが勝ちました。

 流石に多摩編は「軽い」と思ったそうなんですが、それでも見続けていたのは「台詞がおもしろかった」からだそうで。その言葉には、Viva三谷!!と叫びそうになりましたよ、本当に(感涙)。今まで良質な時代劇や大河を見てきたであろう、古希の義父に「台詞がおもしろいから、見続けた」と言わしめた三谷氏は流石ですよ!!更に、今作で三谷氏の才能にも驚いたらしいです(今まで「権威好きな、皮肉なんだけど重みに欠ける文章書き」という印象だったそうです)。

 また台詞のおもしろさも然ることながら、配役の魅力も大きかったようです(特に佐藤鴨と堺山南)。
鴨亡き後「しまりがなくなるんじゃないのか」と思ったがいい意味で裏切られ、その後の堺山南さん切腹後「緊張感がなくなるんじゃないのか」と思ったら、それもいい形で裏切られた事が、彼にとっては非常に良かったそう(やたら佐藤鴨と堺山南さんの最期を絶賛してましたよ/嬉)。

 ただ、沖田総司と勝海舟は彼のイメージとは違ってたそうです(他はかなりイメージ通りだったようです)。特に総司は「もっと『大人』な狂気じみた感じだと良かったな。今回のは余りにも『幼い』感じがし過ぎたな。」そうです。
 勝については「あんなフットワークの軽い感じはどうも違う。こうどっしり落ち着いた重みのある人物象じゃないと」と非常に不満気ではありました。ただ、不満がそれだけだったと思うと、その不満すら「ありがたい」と思える自分がホント可笑しいです(あくまでも個人のイメージを伝えてる意見だし、頭から非難されてなので物凄く受け入れられるんです)。
 勝に関してだけ言えば、全く観てない相方のイメージが野田勝そのものだったことに吃驚しました(暫く親子で沖田と勝のイメージ論を喧喧諤諤やってました/笑。いいネタ提供したもんだ、私)。

 しかもですよ、あの『どんとこい 新選組!』まできっちり観てたんですって(笑)。いや〜一般視聴者の反応がここまで良いとは、本当に嬉しくなりましたよ(^^)v

 しかし、義父母共に藤原君を「アイドル」と思ってたのは、どう捉えたらいいのか(笑)。特に義母の「香取君より可愛いのに。アイドルとちゃうの?!舞台役者さんなん!?!」な発言は、色んな意味でツッコミどころ多しだと思わなくも無く(笑)
 義父は『どんとこい 新選組!』内で三谷氏が「藤原君の台詞を書くのが一番緊張した」の言葉がとても不思議だったそうですが、藤原君が蜷川氏の秘蔵っ子で「蜷川幸雄に天才と言わしめた役者」と説明すると、得心してくださいました。

 ただ、相方曰く義父と私の『見方』が噛み合ってる様で全く噛み合ってなかったそうです(笑)。義父は「歴史」としての見方で、私は「舞台や演劇」としての見方だそうで、その間には深い河が流れてるらしいです(^^;;

「良かったな、同士が二人も増えて」と慰めともなんとも形容しがたいお言葉を、相方からいただいた帰省でした(ちょっと悔)

2004年12月21日火曜日

この一年をほんの少し振り返って

 「一年」が、歳と共に年々早く過ぎてく気がする年末です。が、この一年程充実して、気持ちいい早さで過ぎた一年は久し振りでした。何より、何も無い日曜をもてあます様になるとは予想外の一年となったような気がします。

 去年の今頃は、三谷脚本&香取主演で個人的な期待が高まって、それこそ「わくわく」しながら新年を迎えようとしてました。何があっても1年頑張って見よう!という気合もあったし。
 いや正直、期待だけじゃなくて色んな不安もありました(苦笑)。失礼ながら、脚本落とすんじゃなかろうかとか、NHKから横槍入って三谷さんらしさが消えるんじゃないだろうかとか、脚本若しくは主役交代があるんじゃなかろうかとか。今になっては全て杞憂に終ったことをあれやこれや、思ってました(ただ、NHK的演出とは結果として合わなかったのは予感的中というか、何というか/苦笑)

 そうこうしてる内に各種「大河ドラマ」本を取り揃え(笑)、大晦日には三谷審査員目的で紅白を観続け (の癖に隊士達の応援を見逃してる辺り・・・)、元日は「スタジオパーク」を鑑賞ししっかり応援体勢ではありました(その頃は、三谷氏目当てで、堺山南や山本土方は眼中に無かったです。それが今じゃ.../悔)。

 で始まった第一回。
 初っ端の「顔見世御用改め」場面で「見続けられる」確信が持てました(早っ)。あんなに隊士が居るにも関らず、三谷新選組における各隊士個性が見えることに驚いて。
 それまで、新選組隊士の名前は「近藤・土方・沖田」しか知らなかったんです。それが、個性豊かな隊士を見て瞬時に顔と名前がある程度一致し、「これなら面白いかもしれない」と思えた瞬間でした。

 ただ、終始肩で息をする香取の芝居には不安を感じたのも事実(結局この不安や焦燥感みたいなのもは、30話前後まで残りました)。言っちゃ悪いけれど、当初の香取は「担ぎ上げられる人物」には見えませんでした。何処となく不安感や自信の無さが表立ってるという感じがあって。それでも「きっと大化けしてくれる筈」とか「大丈夫 長丁場だからきっとなんとかなる」と祈るような気持ちを抱かせたのは、香取の人徳だったかもと今になっては思います(笑)。
 しかし、その状態で半年以上過ごすことになるとは、ホント辛かったです(苦笑)。大体バッシングの片翼が香取の演技だったりしたし、もっと頑張ってくれと思いましたよ。香取がなんとかなったらこのバッシングも多少は静かになるんだからさ…とまで思った時期もありました。

 それが、秋以降あそこまで化けてくれるとは!!ホント嬉しかったです。もう少しスタートダッシュさえ早かったら、文句無かったのに、と思えるほど大化けしてくれたことが堪らなく嬉しかったし、愛しくさえなりましたよ(^^;;
 今じゃ、香取でよかったと心から言えます!
 
 で戻って、第一回終了後に案の定、雨後の筍の如く出てくるバッシング。目にする批評にほとほと疲れて(何故に?!)、「マスコミ」では見えない「評価」を求めてネットを彷徨い始めたのが2月頃でした。
 それが、今以て頻回させていただいている、ブロクさんと出会えた契機でした。そこで数々のレビュや考察、史実の新選組の姿についての文章達を拝見し、より深くドラマを楽しめ、何より人知れず連帯感を抱かせていだいた事は、私にとって大きな支えであり収穫だったと思っています。

 そして勢いの余りブロクを始め(笑)「好きとういう想い」を共有することや、繋がっていく楽しさを知ることができました。飽き性の私が半年近く続けられたのは、お世話になってるブロガ-の方達、足を運んでくださる方達のお陰だと感謝してます。皆さん本当に有難うございますm(_)m

寄り道な思いをつらつらと。

 撮影開始から絶え間なくあったバッシング。特に「史実」(若しくは「過去のとの創作物」)との兼ね合いについて、あちらこちらの掲示板に書かれ続けた様な感すらあります。

 昨年のこの時期、まだ始まってもいないドラマへのバッシングが余りに理不尽に感じ、歴史関係の仕事に携わってるしてる相方(史学科出身)に連日「史実とは何ぞや?!」、「歴史と歴史を扱う『創作物』との関係とは如何にあるべきなのか?!」と食って掛かっていた時期でもありました。(相方には当初から迷惑掛けてるな、私)

 1年経った今でも「史実」と「虚構」の兼ね合いとか、虚と実の関係について私なりの答えは出ないままです。ただ、これは当初から思ってることなんですが、所詮歴史ある大河と謂えども「ドラマ」でしかない。そして、描ける範囲(時間や時間軸)が限られてるんだったら、今ある「実」を巧くつかって「虚」を描けば良い。
 その虚構の世界で描かれる「人物や出来事」生きてると思えるのであれば、その世界は成功なんじゃ無いのか。巧く「人」が描ければ、巧く「世界」が構築(勿論最低限の「事実」や「歴史の時間軸」の中で)されれば良いんじゃ無いのか、と。
 今回の大河はそういった意味で、良く出来た「ドラマ」だったと思うのです。

 大上段から「史実とはこう」「歴史とはこう」と言わずに、細かな「実」を「虚」に織り交ぜることで「歴史」の曖昧さ、人が作るからこそ見える歴史の「面白さ」(学問としても、事象としても)なんかを久し振りに味わわせてくれたドラマだったと思います。また、ナレーションが無いが故に「人物」の本音と建前を慮ることが出来、より作られた世界に入り込めたドラマだったとも思うんです。
 だからこそ、此処まで楽しく、満足しながら深みに嵌ることができた。

 ただ矛盾してた思いもあることはあります。
 それは、「歴史ドラマ・時代劇」というには、今一つ違和感、乃至、消化不良な感が残った事は否めない事。こうダイナミックさが足りなかったからなのか、時代のうねりが見えなかった所為なのか、視点が余りにも「ミクロ」的過ぎたのか、拮抗する勢力内部が描かれなかった所為なのか、編集の所為なのか解りませんが。結果として、恐らく時代劇としての「評価」は為されないドラマだろうとは感じました。

 相方がこの1年言い続けた「これならなんで『時代劇』にする必要がある。歴史的背景や設定だけ巧く借りて、変化させた『現代劇』にした方がより切迫感も出ただろうし、物語としてもより面白くなったんじゃ無いのか。三谷の才能ならそれくらいできるだろうに」という言葉が離れませんでした。
 また、その言葉に対して「時代劇」である意義なり根拠を示して、理論立てた抗弁が出来なかったことが、ある意味このドラマの私なりの評価かもしれません。
(ちょっと穿ってみたら、三谷氏が描きたかった何かが、現代劇ではなく「時代劇」という枠を借りてしか表現し得なかったのかも、とふと思ってみたりもします)

 ただこうやって、あれやこれや思いを馳せられるドラマであることは間違いないし、こういった事ができるドラマに出会えたことが嬉しく、幸せなことなんだと実感した週明けでした。

2004年12月15日水曜日

なんとなく呟いてみたい。

 最終話から3日経ちました。悲嘆に暮れてどうしようもなくなるかと思ってたのに、落ち込んでも凹んでも浮ついてもない、普通の状態なのに驚いてます。
 でもこの状態なのは、「新選組!」が綺麗な終わりであったからこそだと。
 ある意味、物凄く幸せな最後を見せてもらえ、充分満ち足りてるからなんだと、そう思ってます。

 「近藤勇の斬首」という史実なり結果は決して「幸せ」ではないし、彼にとっては哀しく無念だったろうし、残された者にとっては辛い結果だったと思います。それは間違いではない。ただ、大河で三谷幸喜が描いた「香取近藤の斬首」は、静かで美しく穢れがなかった。
 誤解を招く言い方かも知れませんが、天命によって定められた生を悔いなく生きた後に訪れる「満ち足りた死」のような趣すら感じられます。

 近藤の斬首直前の表情に、「未来」と「希望」「安らぎ」を見た気すらしました。それほど満ち足りた「死」だったと思うのです。

 更に、残された者誰一人として「近藤の死」を悔いていない。それは「諦め」では決してなく、彼等の未来の糧になってると思うんです。近藤の生き様そのものを「受け止めて昇華」し、己の中で再生産してる。
だからといって、近藤の死を彼等は決して忘れることは無い。
 そんな確信すら抱かせられました。

 そう思える最後だったから、土方が転戦する意義や意思や思いが、島田が生涯「新選組」を忘れなかった事が、永倉が近藤らの慰霊碑を建てたのが朧気にでも解るような気がするんです(遥か遠くに霞んでる蜃気楼を見てるような、そんな遠い遠い感覚です)。

 最初から最後まで、「史実を捻じ曲げてる」とか「史実と違う」とか、果てには「実際の人物はもっとこうだった」とまで言われ続けた、物凄く珍しい(苦笑)大河であったと思います。多少の虚構があったり、史実と異なる部分はあったにせよ、彼等は決して「史実」を蔑ろにも無碍にもしてはいない。逆に史実やこれまで創られた物語に対して、このドラマの作り手は謙虚であったり、敬意を払ってるとすら思います(愛情すら感じる)。
 キャストの発言からでもそう感じます。実際に生きてた人の「生」と「死」を演じることの「深さ」や「重さ」を理解し、彼等の「生と死」に対して敬意を払ってる。だからこそ、役と同化し得「抜けない」という言葉が出てくるんだと。じゃなきゃ、たった1年のドラマで、実際の土方や島田や永倉が残したエピソード等に対して思いを馳せる事はできないです。それも「畏敬の念」を抱きながらなんて事できません。

 そんな最終話だったから、あのカーテンコールで幕を下ろせたんだと。大河枠でなきゃ作られなかったであろう「新選組」という物語を、TVという「劇場」を使った「舞台」を、心行くまで堪能出来た事が本当に満足だと思えることが嬉しいです。
(そうか・・・TV「ドラマ」じゃなくTVを使った「舞台」だったんだよね。やっぱり・・・)

2004年12月13日月曜日

良くやったテレ朝。

 有り難うテレ朝!
 これはNHK制作か?!と思うような『新選組!』映像を使いまくった番組作り(つうかNHKが良く許可したよな、放映中だったのに)、あ〜んど、FANのツボを押さえ尽くした、充実且つ見事な「スマステ4」を有り難うございましたm(_ _)m
 しかも、全員スーツ姿という眼にも麗しい姿を堪能させて下さるなんて!(堺さんのスーツはやっぱり微妙でした/^^;)

 地方公演中の魅惑の「総長&副長コンビ」は、中継ではありましたが(やはり荒技は無かったか/^^;)それでも充分満足でした。副長の心底寂しそうな様子、総長の相変わらず「知的」なのに「天然」な発言なんかを、あそこまで徹底的に見せてくれるなんて…何と言っていいのか…嬉しい(え)

 ツボは全部ですよ!
 冒頭の香取局長の何とも言えない「嬉しそうな」笑顔や山本土方やぐっさん(三谷氏)に楽しそうに突っ込む様子とか、堺さんが話すたびに「山南さんだ…」といちいち反応する姿とか。
 堺山南さんの皆(特に年少組)を見守ってるような微笑と腕組みと、「(山南さんが切腹された部屋を訪れた際)何も感じなかった」とか、役が抜けてるか聞かれてるのに「確かに声が遅れるのが気になる」という、何処まで「天然」なのか解らないご発言(笑)とか。
 山本土方の「ぐったりしてる(by香取局長)」状態で、現場の乗りが掴めず寂しさと相まって少々憮然とした感じなのに、飲み会の話になると「俺が仕切るから!」と突然積極的になる様とか。
 藤原総司の無邪気さ、ちょこちょこ落ちつきなく、堺山南さんが写ってるモニターに悪戯してる様とか(彼はホントに総司だよ…)。
 勘太郎平ちゃんのやっぱり「平ちゃん」な笑顔で礼儀正しい様とか。
 ぐっさん新八の物真似やさり気ない鋭い突っ込みとか(ずっと「ここはテレ朝」と言ってるのが可笑しい)。
 山本左之の豪放磊落で、此処まできて三谷さんに駄目だしされてる様とか。
 小林源さんのさり気なく皆の傍にいて穏やかに見守ってる「源さん」な様とか。
 照英島田の熱い思いとか「時代劇」に対する思いとか(笑)。
 吉弥山崎の不可思議なスーツ姿(笑)とか、やっぱり木曜に飲みに行った話とか。
 三谷氏のラメ入りスーツとか(最近のブームなんでしょうか?あの手のスーツ。『なにわバタフライ』の発表の時もラメ入りだったような…妙に似合ってない気がします/苦笑)、「お金が無かった」発言とか、この期に及んでも駄目出ししてる様子とか。

 一昨日の晩大阪で「朝まで」飲んだ吉弥山崎の「暴露」が可笑しかったです。つうか、大阪まで『新選組!』のビデオ持参するって事も大概驚きましたが、一晩で5回も見る山本君って…何者?! 君は今「はらはら時計」のリーダーじゃないのかい?!
 それにお付き合いされた吉弥さん、お疲れ様でした(そりゃ「この人」呼ばわりもしたくなるわ/^^;)。

 結論:みんな仲良し過ぎ(笑)きっと前室もこんな感じだったんだろうな、と思わせられました(あんな状態じゃ確かに女性陣は入れませんよ/笑)。こんな半プライベートな映像を公共放送で流して良いんでしょうか?と思うほど、皆さんリラックスしてたような(笑)

 ところで、香取の京都ロケ中の言葉には胸を打たれました。
 偉そうな表現ですが、「何か変わった。一皮どころか何皮も剥けた香取慎吾が現れたんじゃ無かろうか…」とすら思うほど。特に三条河原でのコメントは言葉を失いました。晒された近藤首級と己の今の姿を重ね合わせられる、そしてその状況を思いながら橋の上の人々を眺められる。その「強さ」には脱帽しました。

 そして、VTRを食い入る様に見つめる出演者の姿に「プロ」としての姿勢と、作品に対する愛情や誇りを感じましたよ(そして「香取局長」に対する愛情も)。

 しかし、やっぱりお金なかったんですね…NHK(涙)。山崎の水葬は映像として見たかったぞ!!
 けど、今回は地方ロケも群衆シーンも馬の数も例年と比べて少なかった筈だし、ロケセットも余り組まなかったと思うんですが…一体何故そこまでお金がなかったのか?疑問です(苦笑)

さぁこの様子だと、座談会期待できそうですよ!!(期待の方向が違うのは解ってます^^;)

2004年12月6日月曜日

一夜明けて。

 年末に向けてカタルシスを味わうのが、大河ドラマの本来あるべき姿なんじゃないのか?!
 こんな風に一場面一場面に声をあげて泣きたくなるような終盤じゃなくてさ...
 もっとこう紗が掛かった過去を穏やかに「回想」するのが、大河の終盤じゃないんですか?!
 そんな回想場面すらなく(いや・・・回想場面が挟まるたびに「冗長じゃないか・・・」と思う私が言う事じゃない)、この期に及んで「未来」を語る大河って・・・。
 しかも、台詞や役者の佇まいだけで過去が振り返れる、しかもそれらが全て「明るい」ってどういう作りなんですか?!

 何度も言うようですが、多摩編と鴨編に費やした半年は決して無駄じゃなかった。あの時期が緩やかで明るかったからこそ、今のドラマがある。
 死んでいった隊士達のみならず、生き延びる者達も、死に赴く人達も、敵である筈の薩長側の面々も、全員が活きてる。誰一人として無駄にせず、どの台詞も無駄じゃない。
 近藤・土方・沖田の中で全てが息づいて、新しい何かを産んでる気すらしてます。

 あぁ、もう・・・三谷さんに平伏しますよ。ホント…ホント色んな部分で悔しくてなりません(何者)。
 
 確かに、新選組!は紛れも無く「大河ドラマ」でした。
 当初吉川チーフプロデューサががおっしゃっていたという、「古い器に新しい酒を入れる」の言葉通りの大河だったと思います。この新酒はホント美味しかった。器に負けない美味しさと品格があったと思います。
 けど、結局「鬼っ子」な存在であることには変わりないと、そうも思います。鬼っ子で在るが故に、強烈な存在感と吸引力があった。だから、ここまで深く受け入れられ愛された存在に成り得たんじゃないかと。
作り手と受け手との関係が、信頼と密接な愛情を保ちつづけた大河は珍しいんじゃないかと思います。
 なんか、双方向の関係というのか、互いに受け止めあったというのか、そんな気すらしてます。

 大きな河の流れに翻弄されつづけた、この一年。楽しかった!! 
 まだまだ総集編もDVDも残ってる!
 今月一杯といわず来年も充分翻弄させてもらいます!!

2004年11月15日月曜日

最終話近くなって思うこと。

 下で散々感想書いたんですが、ここに来て、「ちょっとこれは、無いよな」と思う事があったので別項設けました(45話のみだけじゃなく、これまでの事も含むので)。

 以下、軽く(なのか?!)毒気ある文章になってると思いますので、それでも良いと思われる方だけ。

 まず、恐らく賛否両論あるであろう「源さんと勇」の場面について。
 手法としては無茶ベタで、まさか三谷がこんなベタな手法使うなんて!?若干驚きました(カットされたらしい、鴨の部屋で悪夢にうなされる伊東センセってのも、あったらしいので驚くことでもないのかも)。また、突拍子も無いといえば突拍子も無い場面だったようにも感じました。更に言うならば、総司と源さんとの関係性は置いてきぼりかよ?と思ったりしたので。そういう意味で若干違和感があった場面ではありました。
 
 が、源さんと勇さんとのこれまでの関係を考えた場合必要な描写だったと思うし、そう納得できる描写に押さえていたと感じています。また、残り話数的に源さんの死をあまり引き摺れないってのもあるだろうし(嫌らしい見方ですみません)、あそこで余韻を絶つのは妥当かと思います。

 次に、恐らく賛否の否が圧倒的に多いと思われる(失笑)源さんが撃たれる場面の特殊効果。
 あれは何やねん!?。
 今更、しかもあの場面で『マトリックス』ですか?!。あの瞬間、涙思いっきり引きました。

 CGや特殊効果を使うことが悪いとは言いません、が使う場所を間違ってませんかと言いたいんです。沖田喀血の時もそうですし、今回の源さんもそう。役者さんの演技だけで充分伝わるし、何も処理しない方が緊迫感なり切迫感があると思うのに。充分それだけの演技をされてますよ。
 正直、あのCGは役者さんの渾身の演技に対して失礼じゃないのか?と怒りを通り越して呆れるばかりす。

 正直、今回の大河「三谷作品」だということで「新しい風を」と思っておられる向きもあるでしょうが、その新しい風ってのは「特殊効果」を入れることだったりじゃ無いと思いますよ。はっきり言わせてもらいますが、無駄な特殊効果や無意味な風景(屋根とか鳥とかの諸々)は要りません。それを入れることで時間が無くなり、その結果「必要な台詞」や「演技」が編集でカットされたとするのなら、本末転倒だとしか言い様が無いです。

 三谷作品は良くも悪くも「舞台」から逸脱してないと思うんです。だからこそ、アナログな手法で画面作りをする方が「綺麗」に纏る筈だと思っています。

 また、役者の顔(表情)ばかり追いかけるのも不自然だと言いたい(前にも書きましたが、この期に及んでもと思うと遣る瀬無さ過ぎて)。大枠の構造が舞台から逸脱してないと思うから、台詞を言ってる役者の全身の「演技」を見たいと思うし、その台詞を受けて「演技」してる様を思うし観たいんですよ、私は。
 確かに、台詞を言ってる人の表情も「大切」だとは思います。が、それを周囲にいる人々がどういう反応をしてるのか?!それも伏線の一つだと思うんです。
 それを、バッサバッサ切ってしまってるから物凄く「中途半端」で「曖昧」な台詞になってる気がしてなりません。その所為で台詞の意図が見えなくなってしまってる。
 で、「解り易く」する意図があるのかは解りませんが、そういう小細工な画を入れたり創ることで益々混沌としてるって間違ってませんか?編集方針が。
 「解り難い」のが最高だ!とは言いません。が、「見てる人全員に解り易い」ドラマなんて真っ平ごめんです(酷)。「万民に解り易いドラマ」ってのを求めるのなら、「三谷幸喜」で「幕末」で「舞台役者」中心にする必要は何処にも無いと思いますよ。彼等は他の役者さんが台詞を喋ってる間も「役」として舞台に居るわけです(そういった脚本でもあろうし)。そういった場に身を置いてる彼等の「持ち味」を見せるのが、プロなんじゃないかと思うわけです。

 で、未だに言われてる「『史実』と違う」に関して(未だにこの部分に拘って掲示板であれこれ文句言う人には吃驚ですよ/笑←すみません。思い切り嫌な奴ですね)。
 私自身が新撰組の「史実」は知りませんし、「ドラマはドラマ」と思ってるので端から文句言う気も無いです。大体「大河ドラマ」は「歴史ノンフィクションドラマ」だなんても露とも思ってないんで(笑)。
 それでも、油小路と今回の「鳥羽伏見の戦い」はあまりも端折りすぎなんじゃ無いかと思えてなりません(意図するところは解るけど)。
 役者さん達の熱演に惹きこまれて細かな部分流されてますが、冷静に思うと辻褄が合わない部分があって。しかも、全体像が殆んど見えないので今彼等がどういう状況に在るのか(陣取り等)が解らず、単に土方や近藤、源さんたちの言動で推し量るしかない(その手法は別に構わないです。逆に好みの手法)。だから、余計に唐突に思えたり、この期に及んですら置いてけぼり感があったりするのはどうなのかと。

 脚本の所為なのか、編集で切られる場面がある所為なのか、その辺は窺い知れませんが非常に気持ち悪いモノがあるのは事実です(三谷ドラマは歴史ドラマには成り得ないし、不向きだと思っているにも関らず、なんですけどね/失笑)。

 けどなんやかや言っても好きなんだよな…このドラマが。

2004年11月4日木曜日

ここまできて、と今更ながら

 このところ三谷幸喜作『新選組!』の緻密な作りに驚かされて、今まで以上に踊らされてます(苦笑)。そして、この作品での「近藤勇」は「香取慎吾」じゃなきゃ駄目だったんだと、更にこの作品は「香取近藤」の物語だったんだと、強く強く思い知らされてます。
 まったく、何処まであざといんですかっ三谷さん!て胸倉掴んでがくがく揺す振りたい心境です(心から誉めてます。本当ですよ〜!!)。

(以下かなり右往左往した文章です/汗)

 まず香取近藤について。
 43話を見終わった相方が言う訳です「久し振りに(恐らく池田屋以来かと/苦笑)見たけど、相変わらず香取は『下手』やな」と。「周囲が巧い分『下手』が目立って仕方ない」とまで言う訳です。
 そこで思ったのは、三谷幸喜は香取慎吾という役者に対して「技巧」を求めてないんじゃないかと。ある種の「下手さ」言い換えれば「不器用さ」そのものを求めたんじゃないのかと。

 香取の不器用な近藤勇を中心に置くことで、周囲の面々の個性が際立ち、三谷が考えている群像劇部分の「新選組」が成立するんじゃないのかと感じたんです。
 であるならば、強烈に個性を放つ人が主役(=近藤勇)では「物語」が存在しえないんではないかと。逆に全く「個性」が無い人を据えた場合でも、中心が見えなくなり「物語」が瓦解する可能性もある。
 となると、「個性なり存在感」があり、かといって自己主張するほど強い個性の演技者でないこと。更に、周囲の色を柔軟に受け止めて反射できる人間って事になるんですよね。
 そしてそういった中でも、三谷脚本の意図するところを「正確」に把握し演じることができる(三谷脚本と波長が合うといった方が近いかも)、となるとやはり香取慎吾じゃなきゃ駄目だったんだと。
 このことは、当初より三谷が散々コメントしてることなんですが、今になって漸くコメントの意味が薄っすらと解った様な気がします(ホント、今更なんですがね/汗)。

 そして、このドラマはやはり近藤勇の物語でしかない。
 この作品、人物を対比して描いてることが多々あるとは思うんです。が、近藤だけは「対」になる人物が居らず、彼一人ぽっこり浮いてる感じがするんです。確かに、竜馬(若干土方)辺りは対になる部分はあるかとは思うんですが、竜馬に関して言えばあくまでも狂言回しとしての役割が強く与えられて(最上位に立ってるというべきか)、近藤と対比させられては居ない筈なんです(土方に関しては、明確に山南さんという存在が在った)。
 しかも、近藤という存在は他者にとっての「鏡」であり、他者は近藤にとっての「鏡」という創りをしてるんじゃなかろうかとも。

 他の面々の光や特徴が対比で浮き上がるとすれば、近藤の場合周囲に居る面々と同化しつつも取り込む事で、それらが浮き上がってくる創り方にしているような気がしてなりません。
 巧く表現できませんが、スポットライトの色が一人だけ違うというか。他者は其々が強烈な色だけど、近藤一人が真っ白な感じがするんです。しかもその白さは回を追う毎に強くなってきているような、もしかしたら今まで周囲にあった光の全てが集まり更に白さが増したというか...そんな感じを受けてます(よく解らない表現で、ごめんなさい)。
 同化するが故に他者の「鏡」にもなり得、近藤が各人の何かを内包し、各人がそれを更に反映させてる気もしています。だからこそ近藤勇の物語でありながらも「群像劇」として成立しているように思えます。

 極端な感想に走りますが、「新選組!」は最終話の近藤の一言の為だけに残り48話があるんじゃないのか?そんな気すらし始めてます(長い長〜い助走かもとすら/苦笑)。

[上記から若干ズレますが…
 近藤に関しては、よく言えば「柔軟で多様性に富む」、悪いえば「己が無く、優柔不断」な感じを与えるような創りを故意にしてるんだろうかと穿ってみたり。だから、巷で「近藤が『いい人』すぎて深みがない」と言われるのは、こういった部分からだと思ったり(香取のスケジュールの都合だったり、編集の所為かもしれませんが/酷)。
 しかし、私自身は決して「いい人」だけではない近藤が居ると感じてます(具体的には難しいけど/苦笑)。武田を許す場面にしても、伊東との会談にしても、対峙している人間にとってある部分一番「厳しい」選択を与えてるんだと思うんです。そこに芹沢暗殺以降の「鬼になった」近藤勇があるんじゃないかと。そんな風に感じています。
 しかも、三谷の描く近藤なり土方達は、人を斬る痛みとか斬られるもの痛さ・辛さを解ってるという前提があるから、敢えて「生かす」方向になるのではと、かなり穿ってみたり。]

 こういった部分で、三谷幸喜は「ドラマ」を描いているのであって、「歴史ドラマ」や「人間ドラマ」は決して描いてないと思ったりしてます。何かにもがいて抗って受け入れてる「普通の」人達が紡ぎだす、その様を描いてるんじゃなかろうかと。
 そういった人が見せる「おかしみ」や残酷さ、哀しみ、強さ、弱さ、優しさなんかを描いてるんだろうな、と思ったりしてます。それが偶々「歴史ある『大河ドラマ』」で「歴史」を題材にしなくちゃ駄目だっただけであって。

 三谷ドラマとしての軸は決して揺らいでないし、ズレて無いよな…と思うようになりました。

 といいつつも、「新選組」を下敷きにして、この役者陣で現代に置き換えて『王レス』のスタッフで、1年間の連続ドラマであったなら、理不尽なバッシングも少なかったろうし、無意味な演出・編集で壊されることも無かったろうし、もっとテンポ良く更に面白かったんじゃなかろうか、と思ってみたり(苦笑)。

ホントいつも以上に纏り無く、良く解らない文章だと反省してます。
最後までお付き合いくださった方、有難うございますとすみません(--;;です。

2004年10月1日金曜日

思い出したかの様に、【ある隊士の切腹】

 放映時も感じたことなんですが、これって山南さんの思いや「居場所」について「知らなかった」「見えてなかった」ことや、そして「見えなかった」が為に「必要な言葉」を相手に伝えられず、「解らないまま」失ってしまった悔しさがあって出た言葉なんじゃないかと。
「私(この組織)には貴方が必要なんです」と声に出して相手に伝える事の大切さを、近藤は近藤なりに学んだんじゃないかと思うのです。そして、自分の傍にいる人の「今の有様」を理解し受け止めることの必要性と共に。そしてそれが「ひととの繋がり」となっていき、組織や己を守る(育てる)ものだと薄っすらと気づいてるのかもと思ったり(あの瞬間、香取近藤が初めて「付いていくに足る」人間だと思えたので、その意味で穿った考えかも知れませんが/苦笑)。
 ただ、今の伊東にとっては不要(若しくは当り前)な言葉なんでしょうね。この辺りの山南さんと伊東の本質の違いが見えてない近藤は、相変わらず「真っ直ぐ」だと呆れますが(誉めてますよ〜/笑)。
そして、土方の辛さや沖田の覚悟を見切れてない近藤も、非常に近藤らしいと思ったりします。
(「あなたの様な人が居てくれて〜」はもしかしたら伊東に山南さんを重ねた言葉だったのかも、と思う辺り私自身が山南さんを引き摺りまくってる証拠ですね/苦笑)

 次に、河合の「紛失」した隊費を「親」から送ってもらう、その判断に正直?でした(しかもそれを納得してる土方・源さんにも)。公費を私費で補うって考え方は、それこそ公私混同じゃないのか?それは士道に背かないのか?と不穏な事まで思う始末。やはり、左之への対応のように「貸し」て給金から差し引いていく(帳簿に付ける)方法にしなかったのか?と非常に疑問に感じまして。
 そこが、河合の新選組に対する「甘え」だったのかとも思ったり。(山南さんの引継ぎはしっかり押さえておいてよ〜河合)。
 彼もそうだけど松原も結局本人の「甘え」が露呈した結果なのかと、思うと本当に悔しいやら哀しいやら、居た堪れない気分になります。また、河合の死には「武士」でなかった者が士道と時代に呑みこまれていく空しさや遣る瀬無さを、そして何より「死」に向き合う事の難しさ、向き合った時の怖さ感じました。

 38話は新見や山南さんといった「言葉」を残して切腹した人の、台詞がいろいろ浮かんできて、もしかして、あれは伏線だったのか?!とオロオロしてます(笑)。
また、鴨って本当に何も残さず、潔く、ただ組織に変化点だけを与えて散ったな〜とその器の大きさに吃驚したり、なかなか忙しい(笑)

2004年9月28日火曜日

同じ場所をくるくると

 38話になって落日編(だっけ?)に突入ましたが、31-33話の山南さん土方の関係、山南さんの死、そして山南さんが残したモノなんかを、整理がつかないままずるずると引き摺ってます。34-36話ではそれほど気にしなかったのに、松原・河合の死で再び舞い戻った感じです。
そんな折、日参しております猫右衛門さまの「ろくでなしの日々」こっそり昔を振り返るの巻の、

山南サンにとってみたら、そう言うことで、歳三に山南サンのことを綺麗に捨てて欲しい気持ちもあったんじゃないだろうかとも思う。
悔やむ必要のない正しいことだったのだから、囚われることはないのだと。
そういう意味もたぶんに含んでいただろうと思う。
けれど、“情”を残された方はそうはいかないわけで。
山南サンがあそこでもし歳三を“否定”したなら、歳三は山南サンを引き摺らなかったんじゃないだろうかと思えるのです。


 部分に琴線を弾かれたと言いましょうか。私も土方は山南さんの死を「昇華」仕切れてないと感じてお り、何かやもやしてる部分を整理できるかもと思い、相変わらずまとまりの無い文章をつらつらと重ねてみようと思った次第です。

 当初、土方の変わりようを見て(ある種の凄みある透明感な佇まい)、彼だけは山南さんが残した「想い」を理解し(くみとり)彼なりに昇華したんだと思ってました。
 が、37-8話の土方を見て感じたのは、もしかしたら彼一人が「囚われたまま動けない」んじゃないかという事でした。他の幹部(特に近藤)はそれぞれに山南さんの死を(それに至るまでの過程も含んで)、曲解しつつも(したが故に)昇華したんだと思えたのとは対照的でした。

 土方は「自ら命を絶つ事を目前に」全てが昇華された山南さんに(生涯で最も「綺麗で透明な」山南さん言い換えても良いかも)情をかけられ、土方の行為や想い(感情)を受け止められたが故に、思いを捨てれなかった。
 そして、一番辛い時に思いがけず「抱きしめられた」が故に惑わされ、山南さんが本来伝えたかったり示したかったであろう「意義」や「言葉」が伝わらなかった。それ故、土方はずっと山南さんの死を「昇華」できず、未だに「山南さんの死」の中でもがいているんじゃないのかと、そんな事を37-38話で思いました。
 土方は山南さんから何かを「許された」ことで、本当の逃場を失った気がしてます。
 
 じゃあ山南さんが土方へ残したかったことは何かと考えると。

 山南さん自身は、土方に新選組の未来を「託した」と思いたいのです。
 彼の死で土方の激流を止めたかった(方向転換や流れを緩めたかった)のではと。彼の激流を変えることが、新選組の未来を変えることになる。新選組を動かし変化してくのは、共に基礎を作り上げてきた土方にしかできないと思ったからこそ、最後に彼を許し抱き止めた。

 けれども、山南さんが望んだ新選組の姿は、38話現在の土方が強固に作り上げようと(守ろう)としてる組織ではなかった。もっと、柔軟で未来を築く組織であって欲しかったのでは。
更に言えば、彼の死を持って「法度」の成立過程を見直し、本来「法」が持つ「幅」を取り戻そうとしたのではないかとすら思います。
 言い換えれば、法だけで縛り付けることの「怖さ」や「脆弱さ」を彼等に知って欲しかったのかもしれません。

 しかし、あの時の土方にとっては「許され、抱きしめられた」ことで「彼の道」を許された事になってしまった。また、その事で土方は「修羅の道」から引き返せなくなり、その道幅にゆとりがなくなった状態で規定された瞬間だったかもなと。
 そして、土方にとっては「山南が法度を守って死んだ」その事が強烈に焼きついた。だから「山南の死が無駄になる」という言葉になるんじゃないかと。

 38話現在「法度」が一人歩きし、土方ですら制御できないものとなったことに、誰一人気づいていない様なきがします。今の土方を見てると、本当なら制御する為の手綱を持ってる人間が、法と言う名の「馬」から振り落とされそうになってる気がします。

 新見が死ぬ間際に山南さんに言った「(法度に)足元を掬われないようにな」が、今になって重く感じます。もしかしたら山南さんは、新見によって「法」の怖さを知ったんじゃないのかと、今更思い当りました。そして、制御してる筈が縛られることになる事も。
 だから、土方がまるで覚えての言葉を知った子供のように、事あるたびに「法度に背いたら切腹」と言う事が不安になった。土方はその不安に気づくことが無く、徐々に二人の溝が広がっていったんじゃないかと思いました。

 山南さんが身をもって示しても、尚この溝は埋まることが無かったんだと…。
それは最後の最後で山南さんが「許し」てしまったからだと思うと、なんてすれ違いばかりの二人なんだろうかとむっちゃ腹立たしくなりました。

2004年9月10日金曜日

宣伝部長な土方副長@スタジオパークでこんにちは

 宣伝部長こと山本耕史君出演で、黒田アナの活き活きとした突っ込みっぷりが素敵だった昨日のスタパ。黒田アナの「頑張って全話通して見ましたよ」感がそこはかとなく漂ってて、それも含めて可笑しかったです。
 メインの副長ですが、その整った容姿にはTVの前でも感嘆する程でした。本当に素でも綺麗ですね。

 55分の番組を通じて強く感じたのは、役者としての自負なり自信。そして、「演じること」への貪欲さや執着心に、(変な表現ですが)凄みとともにある「艶」でした。きっと、今まで彼が貪欲に演じてきた「役」が彼自身と溶け合って(黒田アナが言っておられたように)、自信や艶となってるんだろうな、と思わずにいられませんでした。
 こういう艶を放つ役者達を揃えて、1年間見せる今回の大河はある意味贅沢の極みだと感じた次第です。

 細かな部分はさて置きかなりズレた雑感です。

・堺さんの物真似。微妙に似てるようで似てないと思うんですが、雰囲気だけは伝わるのが素晴らしいです(笑)
・対堺さん。程よい距離感が気持ちいいと思える関係って、良いなと思います。しかし、宴席で互いがトイレに立ってすれ違うたびに握手するって、本当に微妙な関係ですね(笑)。思わず33話の例のシーン思い出しましたよ。
・添い遂げるなら、「山南さん」ですか。嬉しい言葉を有難う、土方(違)。
 左之は本当に人気者ですね(嬉)。あの弾けっぷりと時折見せるな男前のギャップが良いんだろうな~と納得してます。局長が一番かと思ったのに、それは意外でした(香取落ち込んでないだろうな/笑)
・この質問をしてくれた黒田アナが大好きです(視聴者の気持ちを良く解っておられる/笑)。
・三谷さんの「(土方は)山本君と思って書いている。土方と山本君どこが違うの」という質問に即答できなかった、という話を聞いた瞬間、何かを抉られてる感触がしました。座付きの脚本家と役者の攻防の一端を見た気がしました(三谷さんのあの茫洋とした容姿の裏にある、怜悧さをも感じました)。
・「モテましたね」との言葉が、自信たっぷりなのに照れが入ってて。副長の年相応の姿を見ましたよ(眼福眼福)
・「リンダ!リンダ!」11月から上演って(驚)
・FAX等の数三谷さんを抜いたんだろうか、そこが非常に気になりました。
・観覧客の女性比率の多さとその渦巻く熱気に、副長人気を再認識しました。

2004年9月7日火曜日

好きだからこそ、足りないと感じる贅沢さ。

 某掲示板の某スレに書き込まれる批判が、冷静且つ意外と的を射てる書き込みが多く割と好きだったりします。で先日思わず「これはこれは・・・」とにんまりする書き込みがありました。以下、それを引きつつそれに触発された雑感を。
(文章中、敬称略です)

 
愛ある批判」をするのは実に楽しいことなのですよ。問題はその対象物にどれだけの《魅力》があるか、なんですがね

 この一文は、批判を嫌う人にも充分受け入れられる定義かと思います。ただ、愛ある魅力的な批判ほど難しいものは無いな、と痛感もしてます(全否定や全肯定程、楽なものは無いと思いますし)。

 (前略)大体なんなんだ、あのカット割とカメラアングル。
セットの広さを画面上から推測しても、もう少し引きの絵が欲しい(不用意なアップが多いのですよ、このディレクターのセンス)。

 
 そうそう(頷)。カメラアングルとカット割には多摩編から気持ち悪いものを感じてます。如何にもNHK的なカット割によるテンポの悪さが時折見えて。「違う・・・」と感じることも多いです。NHKとしては『王様のレストラン』を意識してるんだろうと思わせる画面もあるんですが、それがまた巧く機能してない気がしてもいます。

 カメラアングルについて、思い返しても苛々するのがふでが勇に詫びる場面。ふでが居住まいを正し勇に向かい合い、それに勇が対応する事に意味があって、個々人の表情をアップで追うことで見える事は少ないのに…折角の野際陽子の演技が勿体無い、とかなり悔しい思いをしました。
 そして、藤原沖田。藤原竜也の魅力の一つは、全身で細かな感情を表現できることにあると思うんです。それを、アップで追いかけてどうするよ、折角の演技を編集(及びカメラワーク)で壊してどうするよと(泣)。(舞台役者さんの魅力は全体で表現することなのに・・・と思う訳です;;)

 
三谷脚本の読み違い演出は日テレのドラマの時にも感じたが、彼のシナリオの場合、バラエティーを良く知っている演出家が《あえて正統派ドラマ》に挑むという心理的手続きをとらなくては、目先のギャグに振り回されてしまい、スカスカの演技指導をしてしまう。
三谷脚本は演技者もディレクターも笑わす演出をしない方がいいのであって、普通に撮影することで笑いが倍増するのだと思う。
(中略)
いかにドラマにおける笑いの演出というものが難しいか。
スタッフはコメディーを撮る時には「笑って」はいけないのだ。
その微妙な温度がわからないから、中途半端なバラエティーみたいな演出が多いのだ。(以下略)



 この指摘は、非常に的を射てると感じました。私も三谷が見せたい本質と、NHK側が見てる(見せたい)部分が若干かけ離れてるのではないかと、当初から感じてはいました。その両者の意向が偶然にも巧く噛み合ったのが30話~34話の山南切腹の話でないかと感じてます(34話も山南切腹の話数に含んで間違いないかと・・・)。
ただ、『竜馬におまかせ」』この作品はある意味グダグダだった・・・)ほどグタグタにならずにすんでいるのは、主要キャスト陣の多くが今まで何らかの形で三谷作品(演出)に関って来た事ではないかと(特に、長年関ってきてる小林隆、戸田恵子、伊東四郎辺りの演技は的確なテンポで演じてると感じます)。
 また、これまで三谷作品には関係が無くとも作品の本質を理解し、演じられる役者(顕著なのが藤原竜也)らにも救われてる気がします。
これは三谷自身がインタビューの中で「僕の脚本意図を理解して演じてくれる、信頼できる俳優さん達」と何度と無く言ってる事で明確なのではないでしょうか。
 三谷脚本を理解し、出来るだけ正確に演じられるキャストだからこそ、ある納得できる作品レベルを保ててる気がします。三谷作品(彼が演出した作品)の面白さは、何気ない日常の台詞や行動が起こす「可笑しみ」や、小さな事が意外な伏線だったりする辺りにあると思ってます。それをNHKは解り易い作りにしてるんじゃないかと思うわけです。
 だから、余計な編集で後々辻褄が合わなくなったりするんじゃないかと思ったりしてます(例えば、総司と芹沢の関係とか、土方と山南の関係とか、芹沢と近藤の関係とか…後々必要な場面を斬って中途半端な演出するから「わからない」とか「唐突」とかいう印象を与えてるかと思うと、本当に悔しい)。

 また、八嶋智人がスタパ出演の際三谷が意図した個性と、NHKのカット割が合わなかったらしき事を言っていたのを聞くと、役者も若干戸惑いを感じる中での作品作りではないかと感じました(山南切腹について、武田は普通にしてるけど悲しい、って風に演じて欲しいという三谷コメントがあり自分もその様に演じた。けれど、それを見せるカット割がなかったので伝わってないだろうな。という感じのコメント)。
そういった中で、香取・山本は三谷が今回託した役割を巧く演じていると感じてます。

 そこで、スタパで三谷が斎藤一に出した駄目出しですが。
解るような気がします。やはり、あそこは深刻に落ち込んでこそ、彼の個性が際立つだろうし今後の立ち位置も違和感無く受け入れられんるんじゃないでしょうか(八嶋に出した駄目だしはからかい半分もあると思うので、コメント無しで/苦笑)。

 とは言っても、現場レベルで考えた場合、撮影開始前に全話の脚本が無い状況で、伏線読んで作れってのは難しいだろうな、とは思います。しかも、5話の伏線回収がまさか34話になるとは思わないだろうし(苦笑)。NHKと三谷が試行錯誤した結果がこれだとしたら、充分満足できるよな、というのが偽らざる気持ちです。
 けれど、相方がふと漏らした「大河枠で歴史モノじゃなく、新選組の設定を借りた三谷の現代劇で『王レス』スタッフが作成したら、最高のドラマになったろうにな」言葉に「確かに面白いかも」と納得した私がいました。

 此処まで書いて、好きだからこそ物足りなく感じるってある意味もの凄く贅沢じゃないかと思ったり(笑)



2004年9月2日木曜日

三谷さん@スタジオパークでこんにちは

 脱稿、おめでとうございます\(^-^)/。そして、2年間の執筆お疲れ様でした。

 いや~録画視聴だったにも関わらず、思わず拍手したくらい嬉しいです。失礼な話、香取君・藤原君が「収録が延びた」と雑誌上でコメントしていたので、「大丈夫か・・・三谷さん」とちょっと不安になってました。が、そんなのは本当に余計なお世話&心配でした。年末まで三谷版「新選組」を思う存分楽しませてもらいます♪

 以下 感想を箇条書きで。

・黒田アナへの「佐藤浩市氏」ネタ他、容赦無い突っ込み有り難うございます(笑)。彼女が途中見てないのは一視聴者にもバレバレだった(そんな黒田アナが大好きさ/笑)ので、そこへの突っ込みに「でしょう?!思う存分突っ込んで~^0^」と笑わせてもらいました。本当にいじめっ子だわ(大笑)。 

・印象に残ってる言葉<1回の視聴後、記憶を頼りに書いてるので、正確では無いことお詫びします>
 「舞台・バラエティーを見て初めてその人が解る」
 「(キャストが決まらないと書けないのは)脚本家としては駄目な方だと思う」
 脚本家としての揺るぎない自信と不安が垣間見えた気がしました(垣間見せようとしてるのかも?と疑ってしまいますが・・・)。
 「中途半端だから良い(哀しい)。完璧な人なんて居ない」
 これって、三谷作品の真髄というか本質を一言で言った言葉だよな・・・と思ったりします。
 「人が死ぬ事をなおざりにしたくない」
 これは「優しい」ではなく「厳しい」言葉だよなと思ってます。
 巧く表現できませんが、死に行く者と残された者共に、その事の影響が常に念頭に無くてはいけない(説得力も)。単に「回想」で思い出すだけじゃなく、演技として表現しなくてはならないし、観る方も役者さんから受け取らなくてはならない。そういった事をを強いてる気がなりません。現実の人の死と同様に・・・凄く厳しいなと思います。
「だからチャンバラを期待した人には不評みたいです」
でしょうね・・・(苦笑)

・そういった部分からでもキャストへの信頼感は、言葉以上のものを感じました(コメントが無かった人も含め)。
・「人」を観察して、それを表現することが心底好きな人ですね。しかも確かな観察眼を以って観てるから、観られた方は心地良い反面堪らないものがあるだろうなとも思ったり(苦笑)
・けど、本心は全く見えない(見せない)人だという印象は変わらず。かなり複雑なお人です(笑)
・奥様の話になると、途端に無口になるのは好感持てました。かなり恥ずかしいんだろうな(^-^)
・相島さんからのメッセージ及び香取君からの質問は、無茶苦茶照れてああいう発言になったんだろうな~
・相島さんからのFAX用紙、眺めてる時の表情はかなり嬉しそうでしたね。皆マメですね~
・堺さん、藤原君よりメッセージ&質問が多かったのにはちょっと吃驚しまた。しかし、役者さんと妙に張り合ってる三谷さんが可笑しすぎ。あっ山本君には負けると思いますよ(^^;;

・年末の舞台、楽しみにしてます。大阪公演も期待してるので、是非来阪願います!!


2004年8月30日月曜日

04年大河に関して思うこと。

 このドラマ、ナレーターが一切入らないので、見る側が感覚を全開にしなくては取り残されることが多いです(フル回転させても理解できてない私は、この際放置しておいてください/苦笑)。
 一話見るだけで精根尽き果て、挙句次の週まであれやこれや自問自答しながら悶々と過ごさなきゃならい事がしばしばだったりします(特に鴨・新見が死んだ回とか29話以降とか)。時代劇(しかも「大河」)で悶々とさせてどうします???。これは、「次回をワクワクして待ちわびる」大河じゃないですよ、三谷さん。
 お茶の間に優しく無い大河だよ...三谷さん。

 と、この際(どの際何でしょう?)理不尽な怒りをぶつけてみました(すっきりした〜)。

 その辺りに今までの『大河ドラマ』が「お茶の間」に浸透してきた理由と、今回の三谷脚本が受けない理由が薄っすらと理解できた気がしてます。何が一番の差違かというと、1日1話形式や劇中にナレーションが入らない事。これだと、否が応でも「流れ」自分で補う必要が出てくる。もし補わないまま見てると、益々「間」が見えず置いてけぼりになる可能性が出てくる。連続ドラマにしたら物凄いリスクだと思いますよ。

 しかも、劇中で心象が具体的な「言葉」として語られることが、ほとんど無い。確かに、時折漏らす事はあるけれど、決定的な言葉としては語られない。
 特に、30話以降ときたら最小限の「台詞」と役者の表情だけで、時間の流れとそれに伴う感情の変化を推量しなくてはならないという、お茶の間ドラマとしては無茶な要求を視聴者にしてる気すらします。そして、その正解は示される事なく、何もかもひっくるめて「流れ」に飲み込まれる様な気がしてなりません。

 転じて今までの『大河』は、お子様からご老人までを対象にしてるんで、非常に解り易い&取っ付き易い形式だったと思うんです。予め答えは用意されてて、それを俯瞰することで歴史なり人生を追体験するという、心地よい解り易さがあった様に思います。
 シナリオ集まで読んだくらい嵌った「独眼竜」例えに出しますが。
 お東の方と政宗の和解とか、小十郎殺害の政宗の慟哭とか、政宗毒殺時のお東の方とか...絶対に「この場面の彼等はこういう事を思ってるんだよ・考えてるんだよ」って「答え」が用意されてたんです(ナレーション含め)。それも話を跨ることなく。それに、「悪」が明確だったし(最上義明とか石田三成とかある時期までの秀吉とか)「理想」「目的」も明確に描かれてた。

 ところが、三谷さんはそれをしてくれない。どうかすると首根っこ捕まれて歴史の真っ只中に押し込まれる感覚すらある。当事者達と近い目線で見る事を強いられる、そんな思いすらします(34話のコメディタッチですら、それを感じます)。
 しかも、絶対悪や「壁」が存在しない。新見や鴨、長州勢ですら「一人の人間」として描かれてるから、常に「何故」「何がずれてこうなったのか」と疑問を抱えて見なきゃいけない様な気になる。その上、理想ときたら当時の時代同様揺れ捲くってるし、非常に据わりが悪く感じる。

 そんなこんなで、歴史(ドラマ)を俯瞰で見ることに慣れた多くの人に、今回の『新選組!』は嫌われるのだろうなと思ったりします。答えが明示されて無いし、見えないんだもの。たかがドラマでシンドイよね(苦笑)
 しかも、随時に「笑い」があるから「歴史ある大河」や「偉大な歴史上の人物」を馬鹿にされてる気がする感覚もあるんだろうな...と思えるようになりました。
 (ただ、三谷批判で間違ってるなと思うのは、三谷「ギャク」と捉えてること。決して、無茶な言葉で無理やり笑いを取る作品を造る脚本家じゃ無いのに。三谷さんは人が当り前に持つ「可笑しさ」を見せる場を作る脚本家なのにな、と思うわけです。「コメディ」と安い「お笑い」を混同しちゃ駄目だと思いますよ、本当に)

 〔上記、誤解されそうな表現だと思ったので追記です。私も「お笑い」は大好きです。地元柄、幼い頃からベタな吉本新喜劇に親しんできたし、好きな分野でもありす。お笑い芸人さんの方が色んな意味で達者な方多いとも思ってます。ただ、最近のTV芸的なインスタントな感じのお笑いと、それらは一緒にしちゃいけないと思ったりもしてます。で敢えて「安い」を付けさせて表現しました。分かり難い表現で気分害された方、本当にごめんなさい〕

 そして、三谷さんの描く人物の小さや弱さ・狡さ・情けなさが愛しく可笑しいと思えるのは、その視線が優しいからだと強く信じて疑いません。しかも、ちゃんと活きてるし。だから、なんと言われようと三谷作品が大好きなんだよな、私。

しかも、優しいけれど、どっぷり浸る甘さはなくて、むちゃむちゃ醒めて突き放す眼があって。そのバランスや揺らぎが絶妙に心地良い温度感だったりするんだ、私にとっては

2004年8月27日金曜日

八嶋武田@スタジオパーク

 総司と平助出演の回が録画できず、武田の時にちゃんとできたのか??非常に謎です(笑)。思い入れは、前2者の方が強いはずなのに(失礼です)
そんな事はさて置き、とりあえず感想です。


 55分間、充分楽しませてもらいました♪あのサービス精神には「お見事!ヤッシー」としか言い様が無いです。それに、非常に頭のよい方ですね。
 会話のテンポの良さ、言葉の使い方の的確さに「嫌味」のない「賢さ」を感じました。また、役者になろうと思った契機を聞いて、「この人ホント頭良いわ・・・」と感じました。普通、中2で「絶対は『死』しか無い」とは思わないですよ(^^;;;。で、そこから「多くの人の記憶に残ってたいから『役者』になりたい」って発想も凄い。流石、奈良女付属中・高卒業・・・(確か、ここ国立の筈なので、むっちゃ凄いです)

 けど、やっぱり「動き」が五月蝿かった(笑)。本当に落ち着きが無いのか、煩いキャラを作ってるのかは謎ですが、兎に角動きが気になる男、ヤッシー。

 武田役に関しては、三谷さんの狙いはほぼ当ったかと思います。小狡くて鬱陶しいけど憎めないキャラは、八嶋だからこそですよね、ホント。ただ、八嶋も幾度か言っててましたが編集・カット割で実際の放映時には伝わらない部分があるんだろうなと、やはり思います。
 例えば、武田面接の際の説明台詞は、バッサリ斬ったらあかんかったやろう・・・NHK(泣)。33話の三谷の演技指導は、やはりどうにかしても活かすべきだったんじゃなかろうかと(そうか、武田は悲しかったんだな~と昨日知りましたよ。NHK・・・伊東との比較も面白かったのに全くもって勿体無い事を。ブツブツ)。

 で、三谷からの「愛」ある手紙。
 いや~八嶋の突っ込み炸裂で非常に笑わせてもらいました。良いもの見せれくれて有難うです(笑)。しかし、相島@スタパとか生瀬@おしゃれ関係とか、作・演出した俳優さんに対する、三谷さんの思い入れは凄いな~とつくづく思います。できることなら堺さんの時にも「何か」して欲しかった・・・と思うのは贅沢なんでしょうかね(ズレてきてますよ~)。
 タパ等々で三谷が「信頼する役者」という方たちの素顔を、垣間見ることができるのは本当に嬉しい限りだな~と昨日はつくづく感じました。