宣伝部長こと山本耕史君出演で、黒田アナの活き活きとした突っ込みっぷりが素敵だった昨日のスタパ。黒田アナの「頑張って全話通して見ましたよ」感がそこはかとなく漂ってて、それも含めて可笑しかったです。
メインの副長ですが、その整った容姿にはTVの前でも感嘆する程でした。本当に素でも綺麗ですね。
55分の番組を通じて強く感じたのは、役者としての自負なり自信。そして、「演じること」への貪欲さや執着心に、(変な表現ですが)凄みとともにある「艶」でした。きっと、今まで彼が貪欲に演じてきた「役」が彼自身と溶け合って(黒田アナが言っておられたように)、自信や艶となってるんだろうな、と思わずにいられませんでした。
こういう艶を放つ役者達を揃えて、1年間見せる今回の大河はある意味贅沢の極みだと感じた次第です。
細かな部分はさて置きかなりズレた雑感です。
・堺さんの物真似。微妙に似てるようで似てないと思うんですが、雰囲気だけは伝わるのが素晴らしいです(笑)
・対堺さん。程よい距離感が気持ちいいと思える関係って、良いなと思います。しかし、宴席で互いがトイレに立ってすれ違うたびに握手するって、本当に微妙な関係ですね(笑)。思わず33話の例のシーン思い出しましたよ。
・添い遂げるなら、「山南さん」ですか。嬉しい言葉を有難う、土方(違)。
左之は本当に人気者ですね(嬉)。あの弾けっぷりと時折見せるな男前のギャップが良いんだろうな~と納得してます。局長が一番かと思ったのに、それは意外でした(香取落ち込んでないだろうな/笑)
・この質問をしてくれた黒田アナが大好きです(視聴者の気持ちを良く解っておられる/笑)。
・三谷さんの「(土方は)山本君と思って書いている。土方と山本君どこが違うの」という質問に即答できなかった、という話を聞いた瞬間、何かを抉られてる感触がしました。座付きの脚本家と役者の攻防の一端を見た気がしました(三谷さんのあの茫洋とした容姿の裏にある、怜悧さをも感じました)。
・「モテましたね」との言葉が、自信たっぷりなのに照れが入ってて。副長の年相応の姿を見ましたよ(眼福眼福)
・「リンダ!リンダ!」11月から上演って(驚)
・FAX等の数三谷さんを抜いたんだろうか、そこが非常に気になりました。
・観覧客の女性比率の多さとその渦巻く熱気に、副長人気を再認識しました。
2004年9月10日金曜日
2004年9月7日火曜日
好きだからこそ、足りないと感じる贅沢さ。
某掲示板の某スレに書き込まれる批判が、冷静且つ意外と的を射てる書き込みが多く割と好きだったりします。で先日思わず「これはこれは・・・」とにんまりする書き込みがありました。以下、それを引きつつそれに触発された雑感を。
(文章中、敬称略です)
この一文は、批判を嫌う人にも充分受け入れられる定義かと思います。ただ、愛ある魅力的な批判ほど難しいものは無いな、と痛感もしてます(全否定や全肯定程、楽なものは無いと思いますし)。
(前略)大体なんなんだ、あのカット割とカメラアングル。
セットの広さを画面上から推測しても、もう少し引きの絵が欲しい(不用意なアップが多いのですよ、このディレクターのセンス)。
そうそう(頷)。カメラアングルとカット割には多摩編から気持ち悪いものを感じてます。如何にもNHK的なカット割によるテンポの悪さが時折見えて。「違う・・・」と感じることも多いです。NHKとしては『王様のレストラン』を意識してるんだろうと思わせる画面もあるんですが、それがまた巧く機能してない気がしてもいます。
カメラアングルについて、思い返しても苛々するのがふでが勇に詫びる場面。ふでが居住まいを正し勇に向かい合い、それに勇が対応する事に意味があって、個々人の表情をアップで追うことで見える事は少ないのに…折角の野際陽子の演技が勿体無い、とかなり悔しい思いをしました。
そして、藤原沖田。藤原竜也の魅力の一つは、全身で細かな感情を表現できることにあると思うんです。それを、アップで追いかけてどうするよ、折角の演技を編集(及びカメラワーク)で壊してどうするよと(泣)。(舞台役者さんの魅力は全体で表現することなのに・・・と思う訳です;;)
この指摘は、非常に的を射てると感じました。私も三谷が見せたい本質と、NHK側が見てる(見せたい)部分が若干かけ離れてるのではないかと、当初から感じてはいました。その両者の意向が偶然にも巧く噛み合ったのが30話~34話の山南切腹の話でないかと感じてます(34話も山南切腹の話数に含んで間違いないかと・・・)。
ただ、『竜馬におまかせ」』この作品はある意味グダグダだった・・・)ほどグタグタにならずにすんでいるのは、主要キャスト陣の多くが今まで何らかの形で三谷作品(演出)に関って来た事ではないかと(特に、長年関ってきてる小林隆、戸田恵子、伊東四郎辺りの演技は的確なテンポで演じてると感じます)。
また、これまで三谷作品には関係が無くとも作品の本質を理解し、演じられる役者(顕著なのが藤原竜也)らにも救われてる気がします。
これは三谷自身がインタビューの中で「僕の脚本意図を理解して演じてくれる、信頼できる俳優さん達」と何度と無く言ってる事で明確なのではないでしょうか。
三谷脚本を理解し、出来るだけ正確に演じられるキャストだからこそ、ある納得できる作品レベルを保ててる気がします。三谷作品(彼が演出した作品)の面白さは、何気ない日常の台詞や行動が起こす「可笑しみ」や、小さな事が意外な伏線だったりする辺りにあると思ってます。それをNHKは解り易い作りにしてるんじゃないかと思うわけです。
だから、余計な編集で後々辻褄が合わなくなったりするんじゃないかと思ったりしてます(例えば、総司と芹沢の関係とか、土方と山南の関係とか、芹沢と近藤の関係とか…後々必要な場面を斬って中途半端な演出するから「わからない」とか「唐突」とかいう印象を与えてるかと思うと、本当に悔しい)。
また、八嶋智人がスタパ出演の際三谷が意図した個性と、NHKのカット割が合わなかったらしき事を言っていたのを聞くと、役者も若干戸惑いを感じる中での作品作りではないかと感じました(山南切腹について、武田は普通にしてるけど悲しい、って風に演じて欲しいという三谷コメントがあり自分もその様に演じた。けれど、それを見せるカット割がなかったので伝わってないだろうな。という感じのコメント)。
そういった中で、香取・山本は三谷が今回託した役割を巧く演じていると感じてます。
そこで、スタパで三谷が斎藤一に出した駄目出しですが。
解るような気がします。やはり、あそこは深刻に落ち込んでこそ、彼の個性が際立つだろうし今後の立ち位置も違和感無く受け入れられんるんじゃないでしょうか(八嶋に出した駄目だしはからかい半分もあると思うので、コメント無しで/苦笑)。
とは言っても、現場レベルで考えた場合、撮影開始前に全話の脚本が無い状況で、伏線読んで作れってのは難しいだろうな、とは思います。しかも、5話の伏線回収がまさか34話になるとは思わないだろうし(苦笑)。NHKと三谷が試行錯誤した結果がこれだとしたら、充分満足できるよな、というのが偽らざる気持ちです。
けれど、相方がふと漏らした「大河枠で歴史モノじゃなく、新選組の設定を借りた三谷の現代劇で『王レス』スタッフが作成したら、最高のドラマになったろうにな」言葉に「確かに面白いかも」と納得した私がいました。
此処まで書いて、好きだからこそ物足りなく感じるってある意味もの凄く贅沢じゃないかと思ったり(笑)
(文章中、敬称略です)
愛ある批判」をするのは実に楽しいことなのですよ。問題はその対象物にどれだけの《魅力》があるか、なんですがね
この一文は、批判を嫌う人にも充分受け入れられる定義かと思います。ただ、愛ある魅力的な批判ほど難しいものは無いな、と痛感もしてます(全否定や全肯定程、楽なものは無いと思いますし)。
(前略)大体なんなんだ、あのカット割とカメラアングル。
セットの広さを画面上から推測しても、もう少し引きの絵が欲しい(不用意なアップが多いのですよ、このディレクターのセンス)。
そうそう(頷)。カメラアングルとカット割には多摩編から気持ち悪いものを感じてます。如何にもNHK的なカット割によるテンポの悪さが時折見えて。「違う・・・」と感じることも多いです。NHKとしては『王様のレストラン』を意識してるんだろうと思わせる画面もあるんですが、それがまた巧く機能してない気がしてもいます。
カメラアングルについて、思い返しても苛々するのがふでが勇に詫びる場面。ふでが居住まいを正し勇に向かい合い、それに勇が対応する事に意味があって、個々人の表情をアップで追うことで見える事は少ないのに…折角の野際陽子の演技が勿体無い、とかなり悔しい思いをしました。
そして、藤原沖田。藤原竜也の魅力の一つは、全身で細かな感情を表現できることにあると思うんです。それを、アップで追いかけてどうするよ、折角の演技を編集(及びカメラワーク)で壊してどうするよと(泣)。(舞台役者さんの魅力は全体で表現することなのに・・・と思う訳です;;)
三谷脚本の読み違い演出は日テレのドラマの時にも感じたが、彼のシナリオの場合、バラエティーを良く知っている演出家が《あえて正統派ドラマ》に挑むという心理的手続きをとらなくては、目先のギャグに振り回されてしまい、スカスカの演技指導をしてしまう。
三谷脚本は演技者もディレクターも笑わす演出をしない方がいいのであって、普通に撮影することで笑いが倍増するのだと思う。
(中略)
いかにドラマにおける笑いの演出というものが難しいか。
スタッフはコメディーを撮る時には「笑って」はいけないのだ。
その微妙な温度がわからないから、中途半端なバラエティーみたいな演出が多いのだ。(以下略)
この指摘は、非常に的を射てると感じました。私も三谷が見せたい本質と、NHK側が見てる(見せたい)部分が若干かけ離れてるのではないかと、当初から感じてはいました。その両者の意向が偶然にも巧く噛み合ったのが30話~34話の山南切腹の話でないかと感じてます(34話も山南切腹の話数に含んで間違いないかと・・・)。
ただ、『竜馬におまかせ」』この作品はある意味グダグダだった・・・)ほどグタグタにならずにすんでいるのは、主要キャスト陣の多くが今まで何らかの形で三谷作品(演出)に関って来た事ではないかと(特に、長年関ってきてる小林隆、戸田恵子、伊東四郎辺りの演技は的確なテンポで演じてると感じます)。
また、これまで三谷作品には関係が無くとも作品の本質を理解し、演じられる役者(顕著なのが藤原竜也)らにも救われてる気がします。
これは三谷自身がインタビューの中で「僕の脚本意図を理解して演じてくれる、信頼できる俳優さん達」と何度と無く言ってる事で明確なのではないでしょうか。
三谷脚本を理解し、出来るだけ正確に演じられるキャストだからこそ、ある納得できる作品レベルを保ててる気がします。三谷作品(彼が演出した作品)の面白さは、何気ない日常の台詞や行動が起こす「可笑しみ」や、小さな事が意外な伏線だったりする辺りにあると思ってます。それをNHKは解り易い作りにしてるんじゃないかと思うわけです。
だから、余計な編集で後々辻褄が合わなくなったりするんじゃないかと思ったりしてます(例えば、総司と芹沢の関係とか、土方と山南の関係とか、芹沢と近藤の関係とか…後々必要な場面を斬って中途半端な演出するから「わからない」とか「唐突」とかいう印象を与えてるかと思うと、本当に悔しい)。
また、八嶋智人がスタパ出演の際三谷が意図した個性と、NHKのカット割が合わなかったらしき事を言っていたのを聞くと、役者も若干戸惑いを感じる中での作品作りではないかと感じました(山南切腹について、武田は普通にしてるけど悲しい、って風に演じて欲しいという三谷コメントがあり自分もその様に演じた。けれど、それを見せるカット割がなかったので伝わってないだろうな。という感じのコメント)。
そういった中で、香取・山本は三谷が今回託した役割を巧く演じていると感じてます。
そこで、スタパで三谷が斎藤一に出した駄目出しですが。
解るような気がします。やはり、あそこは深刻に落ち込んでこそ、彼の個性が際立つだろうし今後の立ち位置も違和感無く受け入れられんるんじゃないでしょうか(八嶋に出した駄目だしはからかい半分もあると思うので、コメント無しで/苦笑)。
とは言っても、現場レベルで考えた場合、撮影開始前に全話の脚本が無い状況で、伏線読んで作れってのは難しいだろうな、とは思います。しかも、5話の伏線回収がまさか34話になるとは思わないだろうし(苦笑)。NHKと三谷が試行錯誤した結果がこれだとしたら、充分満足できるよな、というのが偽らざる気持ちです。
けれど、相方がふと漏らした「大河枠で歴史モノじゃなく、新選組の設定を借りた三谷の現代劇で『王レス』スタッフが作成したら、最高のドラマになったろうにな」言葉に「確かに面白いかも」と納得した私がいました。
此処まで書いて、好きだからこそ物足りなく感じるってある意味もの凄く贅沢じゃないかと思ったり(笑)
2004年9月6日月曜日
新選組!35話【さらば壬生村】感想
京都編 全中半が終了した感じの回でした(しかも久し振りに「まったり」とした回だったし/乾笑)。半年近く八木家と共に浪士組~新選組があっただけに、近藤の「このご恩は生涯忘れません」と八木さんの「いつでも帰っておいで」の言葉には、感慨深いものがありました。また、最後挨拶した中に芹沢・新見・山南さんが居ない事に時の「新選組」の平坦ではなかった道程を意識しました。
何より、箒。逆箒だった頃を振り返ると、流れた時間を感じずには居られませんでした。八木家の皆さん、お疲れ様でしたm(_)m
これで益々「ほわっ」とした雰囲気からは遠ざかっていくんだろうな・・・と思うと悲しいです。
今回一番感じたのは女性の強さだったりします。
お幸、おひで、お初、小常、おまさちゃん、お勢登そして京には居ないつねちゃ、明里。
みんな、しなやかな強さを持って決して「流されない」。そして、ちゃんと「男」と己を支える聡明さと、男を自由にさせてやってる「自負」なり「懐の深さ」がある。そんな女性達が美しいと思ったし、その姿に感嘆しました。現代の表に出て行く「強さ」や「賢さ」も美しいと感じるし憧れもします。けれど、旧来の枠の中でしっかりと根っこ張って生きてる女性達も、美しいと感じました。
それに引き換え、局長を始めとした男性陣の情けなさ(^_^;;;。
山南さんが命を賭してまで伝えたかった事、残したかった事は「心に火を付ける」事じゃない。恐らく山南の遺志を理解してるのは、土方と沖田だけの様な気がしてきました(「託」された坂本は別枠で)。確かに山南さんは明里と出会って癒され、彼女が安らぎの場となったでしょう。けれど、彼が最期に選んだのは明里との穏やかな生活ではなく、組織の礎になることで自分の居場所を見つけた事の筈。自分が最期に望んで得られたものがあったから、彼は穏やかに「武士」として綺麗に潔く逝けた筈。なのになのにこいつらは!!(悔涙)
そして局長(等)の公私混同(苛)。
女性が「本音・建前」や「公私」の区別を付ける必要や、その重要性を理解してる分余計に発想が幼く感じます。男性が「自分のモノ」と思った際におこす「公私混同」ってやってるほうは気持ちよいし「善意」かもしれないけれど、やられた方や傍から見てるほうからしたら「勘違い甚だしい」としか思えず。その温度差に気づかない近藤達が非常に馬鹿馬鹿しくも哀れだと感じます。
暢気だけれども日本の行方見定めて権謀術数張り巡らしてる方達と、せかせかと見えないうねりを感じそれを動かす準備をしてる人たちが居るのに、京のお方達の余りの鈍感さ、錯誤さ温度差に今までとは違う可笑しみを見た気がします。
以下雑感
・桂先生、それでお金とってたら詐欺ですよ~(つうかお金払う人が居たことに吃驚です/苦笑)身を窶すなら窶すで、できる職業考えて窶しましょうよ・・・(そんな桂も好きだったり)
・捨助を捨石にして逃げる桂に逃げの小五郎の本髄を見ました。あの小狡さがたまりませんな(笑)。けど、釣瓶を動かしたのは何の意味があるんでしょうか?謎でした。
<9/7追記:余所様の感想拝見してたら、答えありました。釣瓶を動かすことで塀が持ち上がる仕掛けだったんですね。あんな大層な仕掛けに気づかなかったの、私だけのような(恥)>
・坂本の移動距離と行動力には、感心するばかり。
・岩倉具視の胡散臭さ、得体のしれなさ、腹黒さが非常にツボでございます。
しかしながら、倒幕側の人物の方がすこぶる魅力的って、居たたまれない気分になります。
・「で、できる」 って一ちゃん(^_^;)貴方本当に剣の達人ですか?!
・伊東先生の如才なさが山南さんにあったら、と思うと(涙)。けど、伊東先生の如才なさは嫌いではないです。
・引越の挨拶品配ってたんですか(笑)。しかもあんな恥ずかしい標語付の手拭いって無粋なような。京の人は嫌がるんじゃなかろうかと危惧します(苦笑)。ところで、デザイン担当は河合でしょうか(河合か?/笑)。この辺、「歴史ファン」からは突っ込まれそうだな…
・左之の「当たって砕けろだ」からおまさちゃんの可愛い笑顔の「かんにん」って、いや~桜散っても青春って良いですね(違)
・おまさちゃんの可愛い拒絶が見られるなら、左之にはこのまま当るだけ当って砕けまくってもらいたい(酷)
・「井上源三郎 嘘を吐きました」「内緒だよ」の源さん 素敵です。京都に来て一番深くなったのはこの人じゃないかと思います。良い意味で清濁併せ呑んだ上の凄みと優しさがあるというか。
・ひで嬢の「かんにん」は本当に切なくてなりません。
・ひで嬢の言葉と態度から全てを察する沖田の表情が素晴らしく。あれは、ただただ藤原君の演技の賜物だと息を飲みました。藤原沖田バンザイ!だっ(何者)
・「その時は逃げるんだよ」の言葉と抱く仕草のきごちなさに沖田の万感の想いが込められてる様な気がして。
・土方はどう転んでも辛い立場なのには変わりなく。ひで嬢に見せる不器用な優しさが救いでした。
・容保公と孝明帝の場面、必要だったんでしょうか三谷さん(爆)
・お登勢さん(=戸田さん)僅かな時間で、美味しい表情してましたね~さすがコメディエンヌ抜かりがないです(違)
何より、箒。逆箒だった頃を振り返ると、流れた時間を感じずには居られませんでした。八木家の皆さん、お疲れ様でしたm(_)m
これで益々「ほわっ」とした雰囲気からは遠ざかっていくんだろうな・・・と思うと悲しいです。
今回一番感じたのは女性の強さだったりします。
お幸、おひで、お初、小常、おまさちゃん、お勢登そして京には居ないつねちゃ、明里。
みんな、しなやかな強さを持って決して「流されない」。そして、ちゃんと「男」と己を支える聡明さと、男を自由にさせてやってる「自負」なり「懐の深さ」がある。そんな女性達が美しいと思ったし、その姿に感嘆しました。現代の表に出て行く「強さ」や「賢さ」も美しいと感じるし憧れもします。けれど、旧来の枠の中でしっかりと根っこ張って生きてる女性達も、美しいと感じました。
それに引き換え、局長を始めとした男性陣の情けなさ(^_^;;;。
山南さんが命を賭してまで伝えたかった事、残したかった事は「心に火を付ける」事じゃない。恐らく山南の遺志を理解してるのは、土方と沖田だけの様な気がしてきました(「託」された坂本は別枠で)。確かに山南さんは明里と出会って癒され、彼女が安らぎの場となったでしょう。けれど、彼が最期に選んだのは明里との穏やかな生活ではなく、組織の礎になることで自分の居場所を見つけた事の筈。自分が最期に望んで得られたものがあったから、彼は穏やかに「武士」として綺麗に潔く逝けた筈。なのになのにこいつらは!!(悔涙)
そして局長(等)の公私混同(苛)。
女性が「本音・建前」や「公私」の区別を付ける必要や、その重要性を理解してる分余計に発想が幼く感じます。男性が「自分のモノ」と思った際におこす「公私混同」ってやってるほうは気持ちよいし「善意」かもしれないけれど、やられた方や傍から見てるほうからしたら「勘違い甚だしい」としか思えず。その温度差に気づかない近藤達が非常に馬鹿馬鹿しくも哀れだと感じます。
暢気だけれども日本の行方見定めて権謀術数張り巡らしてる方達と、せかせかと見えないうねりを感じそれを動かす準備をしてる人たちが居るのに、京のお方達の余りの鈍感さ、錯誤さ温度差に今までとは違う可笑しみを見た気がします。
以下雑感
・桂先生、それでお金とってたら詐欺ですよ~(つうかお金払う人が居たことに吃驚です/苦笑)身を窶すなら窶すで、できる職業考えて窶しましょうよ・・・(そんな桂も好きだったり)
・捨助を捨石にして逃げる桂に逃げの小五郎の本髄を見ました。あの小狡さがたまりませんな(笑)。けど、釣瓶を動かしたのは何の意味があるんでしょうか?謎でした。
<9/7追記:余所様の感想拝見してたら、答えありました。釣瓶を動かすことで塀が持ち上がる仕掛けだったんですね。あんな大層な仕掛けに気づかなかったの、私だけのような(恥)>
・坂本の移動距離と行動力には、感心するばかり。
・岩倉具視の胡散臭さ、得体のしれなさ、腹黒さが非常にツボでございます。
しかしながら、倒幕側の人物の方がすこぶる魅力的って、居たたまれない気分になります。
・「で、できる」 って一ちゃん(^_^;)貴方本当に剣の達人ですか?!
・伊東先生の如才なさが山南さんにあったら、と思うと(涙)。けど、伊東先生の如才なさは嫌いではないです。
・引越の挨拶品配ってたんですか(笑)。しかもあんな恥ずかしい標語付の手拭いって無粋なような。京の人は嫌がるんじゃなかろうかと危惧します(苦笑)。ところで、デザイン担当は河合でしょうか(河合か?/笑)。この辺、「歴史ファン」からは突っ込まれそうだな…
・左之の「当たって砕けろだ」からおまさちゃんの可愛い笑顔の「かんにん」って、いや~桜散っても青春って良いですね(違)
・おまさちゃんの可愛い拒絶が見られるなら、左之にはこのまま当るだけ当って砕けまくってもらいたい(酷)
・「井上源三郎 嘘を吐きました」「内緒だよ」の源さん 素敵です。京都に来て一番深くなったのはこの人じゃないかと思います。良い意味で清濁併せ呑んだ上の凄みと優しさがあるというか。
・ひで嬢の「かんにん」は本当に切なくてなりません。
・ひで嬢の言葉と態度から全てを察する沖田の表情が素晴らしく。あれは、ただただ藤原君の演技の賜物だと息を飲みました。藤原沖田バンザイ!だっ(何者)
・「その時は逃げるんだよ」の言葉と抱く仕草のきごちなさに沖田の万感の想いが込められてる様な気がして。
・土方はどう転んでも辛い立場なのには変わりなく。ひで嬢に見せる不器用な優しさが救いでした。
・容保公と孝明帝の場面、必要だったんでしょうか三谷さん(爆)
・お登勢さん(=戸田さん)僅かな時間で、美味しい表情してましたね~さすがコメディエンヌ抜かりがないです(違)
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