2005年1月6日木曜日

『24』 第1シーズン

 年越しネタ第2弾です。

 DVD発売当初、「BOX購入する、しない」で我家で散々物議を醸しだしたこのドラマ。年末年始にかけて地元局で5夜連続放映してたので、漸く全話観ることができました(^^;;

 実は、00:00〜02:59(3話)分のDVDは購入したんですよ。ですが、私が全く嵌れなくてBOX版(全話)購入には躊躇い続けてました。反対にしっかり(でもないですが)嵌った相方が、執拗に「購入」を求めるも、「そんなに欲しいんやったお小遣いで買えば良いやん」と一切取り合わない状況が続いてました(酷い嫁ですな〜/笑)。
 なのに、私はガンガン欲しいDVD(一例:『王様のレストラン DVD-BOX』)を買い漁ってる姿に、相方が疑問を呈するとう状態があったりもしました(一応これはお小遣いで買ってたんで、相方には文句言わせませんでした/^^;;)。

 そんな感じですっかりほとぼりが冷めたと思われた昨年末、ふとTVを付けたら放映してるじゃないですか、『24』を。そんな理由で、思いかけず全話観れた『24』(途中1-2話飛んでたりしますが) 。相方がすっきりたようで、それが一番幸いでした(笑)。

 相変わらず、全く嵌れなかった私は色んな部分で「ながら見」でした。そんなこんなの「24」ネタバレ有りな感想です(今更ネタバレってもな..)。

○相方が何処ぞで聞き及んできた『24』第1シーズンの法則。
「登場人物の使ってるPCがMacなら『味方』、Win機(DELL社製)なら『敵』」。
 これを聞いた時は、「そんな判り易い事する筈ないやん」と少々疑ってましたが、その通りでした(笑)。この点にだけ注視してれば、どんでん返しも何もなく「あぁこの人。裏切り者ね♪」若しくは「この人は、ミスリードする人ね♪」と心安く鑑賞できる法則です(それは、ホントにどうかと思う)。
 例)大どんでん返しであろうと思われるニーナ。彼女は最後の場面以外DELL使用者。メイスン氏は一見かなり怪しくて「内通者か?!」と思わせられますが、デスクトップがPowerMacなので味方であることが判ります(いや、PCが写る度に「あっ今のG4や。この人は味方やで」と機種名と共に説明する相方が一番どうかと思うよ)。

○拉致られ続ける家族
 事件の発端となった娘キムの誘拐は、納得します。が、それ以降のあの母娘の拉致回数は如何なものか?!と。

○ごめんなさい、脚本と相性が悪かったです(--;;
 米連続TVドラマの手法なのは判ってるんですが、放映してる最中に「脚本」を作ることの悪い部分が出たかな?!と思わなくも無いです。この手法、1話完結モノだと比較的「巧いなぁ」と唸らされる事もあるんですが、如何せん時間も事件も何もかもが連続してる作品だと、伏線も何もあったもんじゃなくなるというのが、勿体無いというか、この手法の限界を感じたと言おうか。
(輸入された作品の殆んどは、『新スタートレック』とか『SEX&THE CITY』とか1話完結であっても、割合全体として巧く時系列があってるとは思います。なので一概に「手法が悪い」とは言い切れないですが、この作品には合わなかったと思ったり)。

 特に、事件の発生の仕方がどうにもこうにも「行き当たりばったり」としか思えないのは辛かったです。そのあおりを食ったのが母娘の行動じゃ無いかと感じました。だって、かなり無謀・無計画な行動取っては、拉致られた挙句母の記憶喪失って(苦笑)。なんか、無理矢理事件作って強引に発展させてるという印象が否めませんでした。

 あと、ああいった国家機密機関で自前の携帯電話の使用は良いのか?!
 バウアー氏の行動は非難されないのか?!
 セキュリティは一体どうなってるの?!
 敵、弱っ。っていうか計画性も何にも無いのか!?
 何故、この人が死んであの人が死なないのか軸が見えないぞ。
とか、言い出したら切がないのでこの辺で。

○好きな部分
 大統領候補周辺に関して言えば、言動等は整合性取れてた様に思います。特に、シェリーは素晴らしい!!
彼女の考え方には共感を覚えるし、彼女の行動は確かに疑問に感じる(人として)部分もありますが、それでもあの野心に付随する行動力と思考力、計画性を見たら納得させられます。
 大統領自身も筋が通ってた行動だったと思うので、二人で漸く「大統領」として成立する様な気がするので、ホントあの夫婦が別れたのは惜しいっ。

○総括
 すみません。本当に相性が悪かった作品でした。後半、相方も突っ込みつつ見るという姿勢に変わった程、話は杜撰というか「ツッコミどころ多し」な作品だったと思います。つくづく勢いに任せてDVD買わんで良かった...と思いました。

 この作品最大の謎は、なんであんなに話題になったのかでした(笑)。と文句言いつつも、第2シーズンも連夜放映してたらきっと見るとは思います(^^;;

『Angels In America』 第3話〜第6話(最終話)

 年越しになりましたが、感想が中途半端に放置していたので、書いてしまおうかと思います。

 途中、2−3「これは一体どうした事か??(汗)」という映像があったものの、最後まで目が離せず、魅了されたドラマでした。TVだからこそ表現できた映像の力もあるんでしょうが、やはり脚本というか作品そのもの力、そして役者の演じる力を強く感じたドラマでもありました。

 HIV患者と同性愛者、そしてその家族と宗教、当時の政治背景と様々な「問題」を内包したドラマなのに、何一つとしておざなりにされず個々の問題と真摯に向き合っている事が素晴らしいと感じました。確かに劇中では決してどれも「すっきりさわやか」に解決しませんが、それでも「個」レベルでは何かしらの「答え」(これも決して割り切ったものでない。あくまでも次の一歩を歩みだすための「力」となるモノ)が提示される。ある意味物凄く「現実」をそのまま描写したようなドラマではないかと思います。
 その視線は「柔らかく」「優しい」ものである事は間違いと思います。確かに、厳しい現実や選択を突きつけられては居ますが、それは決して厳しいだけのものじゃない。人が元来持ってる「何」かを信じ、人(個人)の強さ、生きる事そのものの美しさと強さを信じてるからこそ描けるんだと、そんな風に思いました。

 また、劇中で自身の生き方や家族、社会への「責任」も「義務」をも果たせなかった人物に対し、許しが与えられなかったのは(彼一人、未来が描かれ無かった)、欧米社会が根本的に持つ「厳しさ」の表れじゃないかと感じました。
 あくまでも個が果たす「役割」なり「責任」が最初にある。そして、それらは神との契約の最も基本的な部分である。そして、それらそ評価し、裁きを下すのは最終的に「神」である。だからこそ、社会や家族、神が与えたもうた「己の生」に対して責任を果たす義務がある。そんな、考え方なんだろうな、とうっすらと感じた場面でした(日本の「因果応報」とは異なった概念なのでは無いのかと)。

 更に、初盤から中盤にかけての「重苦しさ」や「荒々しさ」「不安」が、最後の場面で「清々しさ」に変わり、未来への穏やかな足取りをも感じさせられる、その構成には何ともいえない感動がありました。しかも、最終話に向って緩急自在且つ丁寧に過不足無く積上げらる台詞たち。その台詞がまた縦横無尽に巡らされ一つの世界を織り成す様は、本当に美しいとしか言い様がありませんでした。
 また、巧みな俳優陣から「台詞」として発せられたる際の「音」が、これまた美しくかった。

 しかし、アル・パチーノとメリル・ストリープ、エマ・トンプソンの場面は須く凄みがあり、流石だとしか言葉がありません(特に女優2名は一人何役かこなしてるんですが、雰囲気も声も体も全て異なるという、何とも良いものを見せていただきました/^^)。

 ただ、やはり文化(宗教観)の違いもあって、「天使」や「預言者」の位置するところや意味するモノが如何せん完全に理解できず、歯痒い思いもありました。

 また、これは言っちゃいけなんでしょうが…。この作品を観ながら、「(新選組!に対して)こういう『画』が観たかったんだ。私は」と声を大にして言いたくなりました(苦笑)。戯曲を元にした「TVドラマ」で同じ「台詞劇」なのに、何故こうも『画』の創りが違うのか。
 一番の違いは、人が対峙する場面では、必ずと言って良いほど、台詞を言わない人物の「様」も見せる事。これによって、会話してるもの同士がどういう関係性なのか、彼らがどう言葉を発し、どう受け止めてるのか(或いは拒絶してるのか)等をきっちり見せることができる。だからこそ、全ての言葉が空に浮かず、最後は綺麗に着地していく。やはり、それは「台詞劇」の醍醐味だし「最低限」必要な画だと改めて感じました。
 そして、アップについても多用されること無く、必要な場面で使われる印象を強くもちました。多用されないから、アップにした時に映し出される表情の印象が強くなり、よりその画面や言葉や表情が力を持つんだと(えぇしつこい程にアップ多用で、テンポが遅くなった上会話の妙すら消しこんだ事を思うと。その余りの違いが悔しくて勿体無くて。ホントに/酷)。
 また、TV化されたことでロケが多く、その為画面が開放的で自然光が柔らさや荘厳さをも醸し出すという、何とも贅沢な映像群でした(特殊効果の使い方には多少違和感がありましたが、許容できる範囲かと思います)。

 上の文書を打ちながら、ふと思ったんですが。
 演技の巧い下手って、結局演出家や監督が「画」をどう作りたいか、どう見せたいかに左右されるんじゃないのかと。確かに表現力や発声なんかは、本人の資質や努力、理解力が大きいとは思うんですが。
ただ、「画」として見せられた場合、演出家の力量次第で変わるんだろうな、と今更ながら思った次第です。

2005年1月5日水曜日

突然ですが、義父の『組!』評

 年始に相方実家で食事をしてる最中、何の脈絡からか「組!」の話になりました。
 そうそう、大石学著「新選組」を義父が購入して私が勝手に読了した(購入時に「読ませてくださいね」宣言はしてましたが/^^;;)報告から、発展したんだ。
 ちなみに両家の親共、わたしが「組!」にすっかり足元救われてとっぷり嵌ってるのは知ってまして、なんか生暖かい目で見てくれてます(笑)

 全く見てなかった相方交えて、それはもう異様な盛り上がりでした(特に嫁と義父が/笑)。そして、土方役は言うまでも無く「良かった」そうです。山本土方の視線とか佇まいは「土方そのものだったな〜」とこれまた好評でした。
 あぁ流石副長ですよ!!(義母は「綺麗な顔立ちしてたよね」と申してました。流石副長っ、年齢性別関係なしです/笑)
 
 思い起こせば昨年。脚本が三谷幸喜で題材が新選組と知った義父の反応は、「史実通りにやってもらいたい」「大河で三谷的な色はあまり見たくない」「軽い大河は遠慮したい」と言ったものでした(義父は朝日購読者なので、氏連載の「ありふれた日々」も読んでるそうです)。それが、1年経った今年に「良かった」との評を聞けるとは!!意外だったし、それ以上に嬉しさが勝ちました。

 流石に多摩編は「軽い」と思ったそうなんですが、それでも見続けていたのは「台詞がおもしろかった」からだそうで。その言葉には、Viva三谷!!と叫びそうになりましたよ、本当に(感涙)。今まで良質な時代劇や大河を見てきたであろう、古希の義父に「台詞がおもしろいから、見続けた」と言わしめた三谷氏は流石ですよ!!更に、今作で三谷氏の才能にも驚いたらしいです(今まで「権威好きな、皮肉なんだけど重みに欠ける文章書き」という印象だったそうです)。

 また台詞のおもしろさも然ることながら、配役の魅力も大きかったようです(特に佐藤鴨と堺山南)。
鴨亡き後「しまりがなくなるんじゃないのか」と思ったがいい意味で裏切られ、その後の堺山南さん切腹後「緊張感がなくなるんじゃないのか」と思ったら、それもいい形で裏切られた事が、彼にとっては非常に良かったそう(やたら佐藤鴨と堺山南さんの最期を絶賛してましたよ/嬉)。

 ただ、沖田総司と勝海舟は彼のイメージとは違ってたそうです(他はかなりイメージ通りだったようです)。特に総司は「もっと『大人』な狂気じみた感じだと良かったな。今回のは余りにも『幼い』感じがし過ぎたな。」そうです。
 勝については「あんなフットワークの軽い感じはどうも違う。こうどっしり落ち着いた重みのある人物象じゃないと」と非常に不満気ではありました。ただ、不満がそれだけだったと思うと、その不満すら「ありがたい」と思える自分がホント可笑しいです(あくまでも個人のイメージを伝えてる意見だし、頭から非難されてなので物凄く受け入れられるんです)。
 勝に関してだけ言えば、全く観てない相方のイメージが野田勝そのものだったことに吃驚しました(暫く親子で沖田と勝のイメージ論を喧喧諤諤やってました/笑。いいネタ提供したもんだ、私)。

 しかもですよ、あの『どんとこい 新選組!』まできっちり観てたんですって(笑)。いや〜一般視聴者の反応がここまで良いとは、本当に嬉しくなりましたよ(^^)v

 しかし、義父母共に藤原君を「アイドル」と思ってたのは、どう捉えたらいいのか(笑)。特に義母の「香取君より可愛いのに。アイドルとちゃうの?!舞台役者さんなん!?!」な発言は、色んな意味でツッコミどころ多しだと思わなくも無く(笑)
 義父は『どんとこい 新選組!』内で三谷氏が「藤原君の台詞を書くのが一番緊張した」の言葉がとても不思議だったそうですが、藤原君が蜷川氏の秘蔵っ子で「蜷川幸雄に天才と言わしめた役者」と説明すると、得心してくださいました。

 ただ、相方曰く義父と私の『見方』が噛み合ってる様で全く噛み合ってなかったそうです(笑)。義父は「歴史」としての見方で、私は「舞台や演劇」としての見方だそうで、その間には深い河が流れてるらしいです(^^;;

「良かったな、同士が二人も増えて」と慰めともなんとも形容しがたいお言葉を、相方からいただいた帰省でした(ちょっと悔)