2016年8月14日日曜日

映画『X-MEN:アポカリプス』雑感

 先ほど観終わった『X-MEN:アポカリプス』のTwitterでは憚れそうな雑感をネタバレ込みで下記に。簡潔に書くとすれば、全てに於いて精彩を欠き、旧シリーズの積み重ねや軸となっていた部分が矮小化(劣化に近いかもしれない)され、枝葉だった部分が重視され意味づけされ前面に出されてた作品でした。
ジーンじゃないけど三作目はなんでこうダメになるかね...と溜息。


・然程期待してなくて、旧シリーズからリアルタイムで見てきたシリーズ最後の作品だし観ようかなでしたが、予想以上に脚本に筋が通ってなかった気がします。これまで積み重ねてきた色んな「物語」が今作では飾り物のような扱いを受けていたようにも感じました。
・特に、旧シリーズで積み重ねてきた教授と磁界王のキャラクターとしての在り方が、今作でこんなにも薄っぺらいものになったことが大変残念で哀しくありました。確かに、前作F&Pで時間軸に変化がありそれ故旧シリーズと世界が変わったことは理解しています。けれど、X-MEN という作品の根幹をなしていて、マイノリティの在り方を象徴しているであろうこのキャラクター達を、あんな単純な行動原理で動かして、知性と鷹揚さと対話で社会と対峙するのでなく「力」を持って解決しようとするキャラクターにするなんて...。演じている役者の年齢(経験)の差と言い逃れできるのかもしれませんが、繊細で複雑な演技ができるジェームズ・マカヴォイとミヒャエル・ファスベンダーであれば、見事に知性で対峙する姿を見せられたと思うんです....。そういう意味でも非常に残念でありました。

・今作のチャールズとエリックの器の小ささがね!!!!!!! 腹が立つレベルだったんですよ。
 確かに家族を失う怒り苛立ち悲しみに捕らわれた結果、より大きい力に取り込まれてしまうエリックっていうのは分かる。わかるけど、物語としてあまりにも直情的じゃないですか?? FCとF&Pと今作の間で経験して蓄積したものに対して向き合うことも逡巡も後悔も無く、一足飛びに取り込まれてしまうのってどうなのですか? そして、レイブンの申し訳ないけどあんな簡単な説得でそれまでやってきた所業に対して反省も躊躇も悔悟も一切なく「目が覚めて仲間に戻る」ってどうなの、エリック??? と本気で思いました。対するチャールズもマインドパレス内で「打ちのめしてやる!」とばかりに腕力で勝負つけようとするし...。チャールズって只管言葉で懐柔・説得していくタイプじゃなかったの?? ほんとこの辺りのキャラ改変は酷すぎて(泣)

・今回登場した旧シリーズで登場したキャラクター達についても同様。旧シリーズのナイトクローラーが持つ、己の能力や容姿に対するある種病的なまでの自虐的な自己認識や自傷癖、周囲から蔑まれるも迫害されても失わない純粋さ、神への敬虔さ。それを見事に表現してくださったアラン・カミングの繊細さと豪胆さが本当に大好きだったんです。それが、今作では神へ祈る場面はあったけれどあくまでも表面的にしか描かれていないように思えて。(これは役者さんのせいでなく脚本&演出のせいであると思ってます。あの役者さんは最大限丁寧に繊細に演じてらしたと感じてます)

・ストームが(泣) ハリ・ベリーの包容力と格好良さが見えなかったんですがね...。あれほんとどうなんですか?? 旧シリーズから言われてるけど、監督ってストームもしかして嫌いなのか? 
・ジーン最強は旧シリーズでも目をむいた部分だったから...。まさか新シリーズでも見せられるとは思ってなかったから...。

・それなのに(いくら時間軸が変わったといえ)旧シリーズやFCへの雑な目配せがあちこちに散りばめられているが癇に障って仕方なかったです。
 中でもジーンとサイクロプスとローガンの三角関係やエリックのチャールズに対する思い入れとか辺りは、ファンサービスなのかもしれないけどもう十分じゃないのか? と言いたくなってしまい...。それで満足してる方がいるから成功なんでしょうが、それがなければもっと上映時間短くなったんじゃない? と意地悪なことを思うんですよ。

・この映画は当初の「マイノリティが社会と巧くやっていくにはどうしたらいいか」「マイノリティの有り方と社会の受容とは?」なテーマからずいぶん遠くに来た気がします。キツイ言い方するならば、マカヴォイとファスという人気も実力ある役者が演じるチャールズとエリックのBLを彷彿させるような濃い関係とニコラス・ホルトや新ナイトクローラー役のような可愛く美しい役者を愛でる作品になったのだなぁと。

・もう一つキツイ言い方するならば、前作F&Pでシリーズ最終のほうが美しかったと思います。


一通り吐き出したのですっきりしました。