2015年3月23日月曜日

距離感についてぼーっと思ったこと。

 昨日から今日にかけて、TLでチューリング役で素顔のべディクトが見えて物語に入れなかったというのをちらほら見かけました。それが切っ掛けでファンとしての距離感について昨日からぼーっと考えてます。また、日々TLで流れてくるベネディクトについてだけでなく好きな役者さんの素(だと思われる顔を)見ることで、作品鑑賞にどう影響があるのかもウロウロと。
 案の定、結論は出ないのですが、自身の気持ちを整理するために思いくまま書き散らかしてみようかと。また、あくまでも自身の感じ方見方でしかないので不快に思われる方がいらしたらすみません。
 いくつかのTwで「ベネディクトの素や過去作品の役柄や演技の癖が透けて見える」と仰ってることについては、なんとなくわかる部分もあります。が、それらの呟きを拝見して「えぇ...そうなの?? 」とちょっと驚いたんです。と言うのは、私も勿論ネットや雑誌等でベネディクトの素顔やら何やらを積極的に沢山見てます。が、それは作品鑑賞中には全く思い出しもしなかったからなんです。多分、クレジットが流れる段階で無意識に切り離してるんじゃないかという気がします。
 また、今作に関してのみ言えば、私はあまりそれを感じずに鑑賞してたように思い返してます。どちらかというと、ベネディクトを通して作品が描きたい「アラン・チューリング像」の方をより強く観ていた感じです。

 私が鑑賞中の作品に役者本人や過去の役柄を投影する(思い出す)時は、作品や役が魅力的でなかったり役が作品で生きてないと思う時が多い気がします。そう言った意味では、『イミテーション・ゲーム』におけるベネディクトは、作中で見事にアラン・チューリングとして存在していたし、素や過去演じた役柄を感じさせる要素はあまりなかったように思いました。
 細かく表情や仕草を追っていけば、当然「役者としての癖」も出てるだろうし、過去に演じた役柄から共通する何か、役柄に引きずられたことで出てる 「素」も見える気もします。が、作品を観る上でそこまでする必要があるのかと...いう疑問も浮かび。
 限られた時間内で描かれる「物語」内で確かな立体感をもって存在していれば、そんな微細な共通項なんて個性の一つとして処理できるんじゃないかと。
 と同時に矛盾してるかもしれませんが、役者がいろんな役柄を演じることで身に着いた「何か」が、違う役柄に反映されるのも個性になりえるんじゃないかと思うんです。同じことしかできない役者でない限り、一つの役柄は次に出会う役の糧となるんじゃなかろうかとも。だからこそ、ファンは常に新鮮な気持ちや驚きをもって新しい役や作品を観れるのではないかとも思ったりして...。
ただ、ほんとそう思えるのは距離感次第な気もします。

 ベネディクトの婚約結婚妊娠(妊娠は語弊がある...^^;;)で見受けられた様々な反応を眺めつつ、私は対象者と距離があるんじゃないかと思うようになりました。勿論、ベネディクトは大好きだし、ヘタしたら遠縁の婆さんや小さい時を知ってる近所のおばちゃんみたいな心境になる事も度々ありますが、この数ヶ月の慌ただしい(笑)出来事に対しては喪失感や悲しさは全くと言っていいほどなかったんです。
 そして、TLに流れてくる可愛いベネディクトもしつこいほど見てるけど、それが作品に投影されない距離感なような...。どんなに可愛い素顔を垣間見ても、直接の知り合いになれるわけでも、本当の「ベネディクト・カンバーバッチ」を深く知ることができるわけじゃないのも分かってる。だって、所詮はモニターやスクリーン越しの人なんですもの。それさえ弁えておけば、作中の役と本人が易々繋がりはしないような気がしてます。
 逆に、プロの演者に対して「素が、前にやった役が見えてるから入り込めなかった」と言うのは、ちょっと失礼なのかなあと思わなくもなくて...。勿論、箸にも棒にもかからないくらい下手だっり、過去作品で自らが演じた役の深化の見えない模倣であったりしたら、それは批評の一つとして有りだと思いますが、今作でそれは当てはまらないんじゃかとその辺ではモヤモヤしてます。
 ほんと距離感って難しい...と改めて感じさせられました。

  (余談になりますが、ファンとしての距離感という意味において、イベントや街で偶然出会って等というとても幸せな機会があって、直接会って話してという素晴らしい出来事は自身の範囲で可能ならば積極的に行きたいしそういう偶然に恵まれてみたいし、行ってる方や出会われた方達を羨ましく微笑ましく思ってます。てか、直接会って声にならない声上げたいですよ!!! 笑)

 強引に結論付けるなら、自分がしんどくない範囲で適度な距離感をもってキャーキャー好きな人を追っかけられたらいいなってことですかね^^

2015年3月1日日曜日

蜷川幸雄演出『ハムレット』鑑賞雑感

 とある事情で急遽、蜷川『ハムレット』2/27昼公演に行ってきました。折角なのでまとまらない雑感などを残したいと思います。

 蜷川版のみならず『ハムレット』を生で見たのが初めてなので、解釈など間違っているかとは思いますがご容赦いただきたくお願いします(蜷川幸雄演出の両手で数える程度、『ハムレット』の映像物は数種類、戯曲は数度再読してはいますが、如何せんライブは異なるものだと思うので^^;)。