2007年6月10日日曜日

06/5/5 帰国

 お世話になったG姉宅で最後の朝食をいただき、S家に向かいました。そこでH母とA父に最後のお別れをし、一路空港へ。

 ハノーバ空港で行う免税処理時に「提出したレシートと実物とを照合させてくれ」と言われ、相方のみならずG姉&W氏も吃驚。何度も国外からの旅行客を送ってきた彼らですら初めての経験だったようで、かなり驚いて「なんで今回に限って」と言って首を傾げておりました。ただ、冷静になって考えてみると06World Cap直前だったからじゃないかしらと。彼らも「まぁ大きなイベント直前だしなぁ」と納得してましたし。
 で、税務署の空港出張所らしき場所でスーツケースを開け、中身チェック。若干マズい部分もありましたが(マイセンのレシートの中にG姉とW氏にお土産で渡した品があったんです^^;;)、問題無しとの判断を頂きました。が、やっぱり緊張しました。係員と対応していた相方が、すっかり汗だくになったのは仕方なかったです。
 そんな緊張感に耐えれられず、検査の為開封されたマイセン・カップを元に戻してる検査員に「素敵でしょ?このカップ。私、マイセン大好きなんです☆」と話掛け、検査員さんから「そうだね。素敵だね」と微笑んでもらいました。それを見ていた相方は「何考えてるねん...」と脱力感に襲われたそうです。だって、本当に空気が張詰めていて、このまま帰国したら絶対良い思い出にならないと思ったんですもの(また、どこでも愛想良くが私のモットーですし)。

 そんな緊張の時が終わり友好的に検査員さんと別れ、搭乗手続きも済ませた最後のお茶の時間をする事になりました(半ば恒例と化してます)。お茶を楽しんだ後、ゲート向かうと信じられない表示が!!
 ハノーバ・フランクフルト線が45分遅れとなっているではないですか!その表示見た時、流石に青ざめました...フランクフルトでの乗り継ぎ時間を考えたら、ギリギリ間に合うかどうかの状況でしたし(復路の乗り継ぎ時間は80分でした)。往路の乗り継ぎ時のバタバタを考えると、復路も決して油断は出来ないと思っていたのに、45分の遅れって?と。ただ、ハノーバ・オランダ間が欠航されていた事で若干冷静になり、「まぁ欠航よりマシか。35分あればなんとかなるかもさ」と吹っ切れたのも事実。しかし、相方はそうではなかったようで(苦笑)G姉を伴ってカウンターに向かい、現状と最悪乗り継ぎが出来なかった場合の対処を確認しておりました。

 それを見ていた私とW氏は二人で暢気に座り、「まぁ何とかなるよね〜。私たちの所為じゃないし。航空会社の落ち度だしね、フランクフルトの宿泊費位は出るよね〜」と語らっておりました(笑)。そして、落ち着かない二人を眺めつつW氏が言った事が素晴らしかったんです。「G姉はいつも何か探してるんだ。あの人は探す事が好きなんだよね〜。」と。それを聞いた瞬間大笑いいたしました。えぇ完全に暢気な二人組でございました(^^)

 遅れた原因はG姉曰く「フランクフルトで客が遅れたらしい。45分遅れで確実に飛ぶから安心して」というモノでした。流石、いつも何かを探してるG姉です。結局、45分遅れで飛び立ちギリギリでフランクフルト・関空間には乗れたので、遅れた事も良い思い出になりました。
しかしながら、ハノーバを飛び立つ時の飛行機は正直怖かったです。だって、「急いでる」っていうのが判る位の飛び上がり方でしたから....。また、フランクフルトで予定とは違う場所で降ろされ、空港内を走るバスに乗せられるという何ともトホホな経験も致しました。

 往復路ともフランクフルト空港にやられた...とう感じは否めずでした。

 今度行く時はゆとりのある計画を立てようと、肝に銘じた旅行でもありました。

さて、次回は冬のドイツに行ってみたいんですが、いつ実現できるのやら。

2007年6月9日土曜日

06/5/4 ドイツ 最後の夕食

 S家で待っていて下さったのは、H母とA父そしてH母の一番上のお兄様。勿論初対面でしたが、暖かく迎えて下さったことが非常に嬉しかったんです。全員そろった所で、S家の近くにあるギリシャ料理店で夕食を頂きました。

 お兄様を交えたことで、戦時中後のドイツが辿った歴史を「血が通う」モノとして見れたように感じます。東西冷戦時に親子・兄弟姉妹が否が応でも分断され、連絡が取れなくなった事の辛さについては特に。相方がデジカメで撮ったG家父(H母とお兄様の弟)の写真を、慈しむように懐かしむように見ておられた姿と、お二人が微笑みながら「50年ぶりに顔を見たわ。別れた時はもっと若かったのに。すっかりおじいさんになってしまったわね」とおっしゃた言葉がとても印象的でした。運命を嘆いたり激昂したり声高に非難する事も無く、ありのままの歴史を受け止めている、その強さと美しに打たれました。

 その夕食の席で、相変わらず私はネタにされ倒しました...。ショックだったのは、相方G姉&W氏のいつものトリオだけでなく、A父までがそれに加わった事...。食の細い(といってもドイツの方と比べてです)私に対して、「それだけじゃ足りないだろう?!私のを半分食べなさい。ほらもっと頼もうか?」と笑いながらおっしゃるんです。その上ご自身が空けた食前酒のグラスを私の前に置いて茶目っ気たっぷりに、「ひよはよく飲むね〜」とまで!!!!そして、半ば拗ねてる私の表情を眺めて楽しそうに笑われるんですよ!
 えぇ、打ち解けて下さっているのは十分理解してます。けど、最後の砦だと思っていたA父までもが私で遊ぶとは!!と本当に嬉しいやら悲しいやら複雑な心境でした。勿論、他の方もそれに乗っかっていじりまくってくれました(涙)

 夕食後、S家に戻りお兄様に別れを言い、ドレスデンの土産話をしたりお土産交換をしたりして最後の夜を過ごしました。私達にとってH母とA父が居るS家は居心地が良くて、彼らは大切な「家族」なんだと改めて感じました。

06/5/4 そして 美しすぎる都市ドレスデン 2

 翌日もG家の案内で日中のドレスデン観光。主に、前夜歩いた場所を訪れました。夜と昼と両方の表情を観る事ができたのは、本当に良い思い出になりました。ただ、美術館等々は時間がなく断念せざるを得なかった事が、かなり勿体なかったです。

 昼間のツヴィンガー宮殿(Zwinger)は、夜とは違い健全なまでに美しく、軽やかでした。石造りの手すりに座ってみたり、G姉と小芝居をして遊んでみたりしたのは良い思い出です(G姉は職業柄かちょっとした「遊び」が好きなので、ついつい付合って遊んでしまいます^^;;)。

 そして、「ドレスデンでのお土産を買いたい」という私の強い要望で正十字教会前で開かれている市に連れて行ってもらいました。そこで30分程度の自由時間(笑)をもらい、相方と二人で市を回遊しました。その市、生鮮食品からアイスに典型的なお土産物、カフェにレストランに屋台と何でもありで、吃驚しながらもあちこち冷やかして楽しみました。
 この日は、これまでとは違い暖かな(暑いに近い)気候で、市に出ているジェラートが食べたくて食べたくて仕方なかったんです。相方とW氏達と合流してから買おう!と話し合流地点に戻ったら...W氏が美味しそうにジェラートを頬張ってました...。
 その後、近くのデパートに行きS家のH母とA父へのお土産を無事入手しました。
 
 ドレスデン土産で一番大切なのは、G姉とW氏から頂いたドレスデン復興の為の腕時計。文字盤の中に焼けた聖母教会レンガの欠片が入っているものです。これを貰ったとき、色んな気持ちで一杯になり、それを巧く伝えられないモドカシさに泣いてしまいました。そんな私にW氏が「なんで泣くの?ひよの気持ちは伝わってるから、大丈夫だよ」と言ってくれたのが、凄く嬉しくて安心して、この人たちと出会えて、こうやって一緒に旅行が出来て本当に幸せだと感じました(W氏はいつも必要な言葉をくれるので、ホント年の離れたお兄ちゃんって感じなんです)。
 その後は色々気遣ってくれるW氏に「有り難う。泣いてるんじゃなくて、花粉症の所為で目が変なのよ〜」と笑いながら返す事が出来るようになりました。それで彼と相方は安心し、いつもの様に私で遊び初めてました(笑)。

 市内観光であちこち歩き回り、すっかりお腹が空いた私たちは、ドレスデンの古い建物を利用したレストランでお昼をご馳走になり、昼過ぎには後ろ髪を引かれるながらドレスデンを発ちました。G家には最後まで面倒を見ていただいて、本当に感謝です。

 5時間掛けてハノーバに到着したのは、19:00頃。
その足でS家に向かい夕食と相成りました。

06/5/3 美しすぎる都市ドレスデン 1


 ドレスデンに戻り、G家族と再会。伯父さまの車に乗せられて、ドレスデン観光と相成りました。この伯父さまがドレスデンの歴史に詳しく、話し好きというなんとも有難い方でした。が、お話に夢中になられると運転が疎かになられる癖もお持ちで...少々怖い思いをしました(笑)車で案内してもらったドレスデンは、表現する言葉が無い程「美しい」都市でした!!優美さと落ち着きと存在感と美しさと堅さと繊細さと豪奢さ全てが、見事に調和して本当に「美しい」としか言えない都市でした。

 そんなドレスデンで最初に訪れたのがG姉ご執心の「世界一美しいミルクショップ」
確かに美しいミルクショップでしたが、何故ここまでこういうお店に執着するG姉?!と思わなくもなくでした(マイセン城に行けなかったショックが/笑)。

 その後、一旦G姉が手配してくれていたホテルへ。
 そのホテルは開業2週間目で、なおかつドレスデン復興を象徴する「聖母教会」の真正面という素晴らしい場所でした。夕飯はG家が招待してくださるとの事で、お迎えの時間まで聖母教会のミサに参加することになりました。

 その聖母教会なんですが、二次大戦のドレスデン爆撃とその後の大火災で甚大な被害を受け、戦後も財政難等の理由で瓦礫のまま放置されていたそうですが、東西統一後に漸く市民や世界中の教会を通じての寄付等々で再建されたそうです。再建時には古いレンガ(焼けて煤で黒くなっている)と新しいレンガ(白いレンガ)を組み合わせて使っており、戦前戦中戦後のモザイク模様となっています。古いレンガは瓦解する前の位置に置かれており、どうやって再建したかの説明もあちこちにあり、色々な意味で考えさせられる建物でした。
しかし、美しい教会でした(^^)

 ミサが終わり、G家宅にお邪魔して夕飯を戴きました(あちこちで迷惑をかけております)。夕食後はG伯父さんのコレクション(古いもの蒐集家でした)を拝見し、皆で歩いてドレスデン観光となりました。

 夕闇に浮かぶライトアップされたドレスデンの美しさったら!!!!!
ゼンバー・オーパー(Semper Oper)やツヴィンガー宮殿(Zwinger)やドレスデン美術館。そしてそれらが映るエルベ河と優美な橋。幻想的ですらありました。「美しい」とか「幻想的」ってこういう時に使うんや...と実感した瞬間でもありました。そして、ツヴィンガー宮殿にあるマイセンの鐘で22:00の時報を聞いた時は、今思い返してもただただ幸せな時間です。

 夜のドレスデン市街をG伯父さまや奥様(本職のガイドさん/笑)に説明していただきながら、ドレスデンという町を心行くまで堪能できたことは、本当に感謝だし幸せな事だと思い返しても思うんです。まぁ、4時間近く歩き通しは流石に体力が持たずヘトヘトになったり、加えてホテルが見えてるのに帰れないという「これは何かの罰ですか?!」というような状況もありました。がそれも今となっては良い思い出です。
(疲れた...と思った矢先に「最後に何か飲んで帰ろう!」と言われホイホイ付いて行き、カクテルを頼んで、かなり心配していた相方に「何考えてるねん....」と言われたのも良い思い出か?!)

06/5/3 憧れの町 マイセン


 予てより「行きたいっ!!!」と叫び倒し、漸く実現したマイセン行。実は10年前にマイセンの美しさに魅了されて、指を銜えていた私(マグカップとか細々とは集めてたんですが、如何せんお値段がお高すぎて^^:::)。で、前回彼らの来日時に戴いた「マイセンの小皿」に涙を流さんばかりに大喜びした私に、「今度ドイツに来た時は必ず絶対マイセンに行こう!!」と約束してもらってた企画でした(かなり強引に約束させたとも言います)。

 実は、ハノーバーからだとかなり遠くて、DBで一度乗り換え4-5時間掛かりしまた(ベルリンから行った方が便利でした;;)。その為この日の出発も早朝5時...。私の我侭(=欲望)を叶えてくれ、最後まで付き添ってくれたG姉とW氏には感謝の言葉もありません。

 マイセンへ向かう車内で印象的だったのは、旧東西の明らかな違いでした。駅舎が兎に角違うんです。旧西側は奇麗だし現代的で整備されてる感があるのに対し、旧東側は古くさいというか煤けてるというか...いまいち整備されてないなぁって感じが強くしました。
それらを見遣っていたらG姉が旧東側の状況説明をしてくれたのが、半分以上理解できてないものの(ダメじゃん...)何となく理解できてもの凄く有難かったです。

 そしてそうこうしてる内にドレスデン駅到着。まず出会ったのは、G姉の伯父さまごG家族でした。実はW氏も会うのは初めてという、何とも不思議な状況ではありました....その方達に荷物を託し、一路マイセンへ!

 マイセン行きの電車は「ローカル線ですっ」なもので、少し和んでしまいました。
ドレスデンからマイセンまではだいたい40分位かな?各駅停車でのんびりまったりマイセンに向かうのが気持ちよくて、楽しくてワクワクしてました。

 そして、マイセン中央駅から、脇目も振らずいそいそと「マイセン ビジターセンター」へ向かいまいした。
「マイセン ビジターセンター」は、私にとって夢のような場所でしたよっ!!!見学工房も非常に見やすくて丁寧に説明してくださるし、何よりパンフや解説テープが日本語対応なのが本当に嬉しい(涙)。また、展示物の質量とも当然ながら「素晴らしい(感涙)」の一言でした。良いものが持つ存在感とか、マイセン特有の美しさとか優美さとか...思う存分堪能できました。

 そして、お昼は併設されてるカフェで戴いたんですが。当然の事ながら使われてる食器全てマイセン。最高でした...あっ勿論、お味も最高でしたよ(笑)。ここで戴いたのは飽きもせずに「ホワイトアスパラ」(笑)。マイセンで戴く旬の味覚という最高の組み合わせに、幸せゲージも上がりきっておりまして、そんな私を他3名は生温く見守って下さっておりました...

 食後、ミュージアムショップでお買い物(笑)。多少はお安くなっているとは言っても、腐ってもマイセン一流品は目の保養で終わりました。が、このミュージアムショップの素晴らしさは、工房公認のB級品を扱っているところ。B級品とは言っても素人目には「どこが?!」という品物ばかりで、お値段はかなりお手頃という、なんとも庶民には有難い品です。事実、購入する際店員さんに「何処が駄目なの?」と聞いたら(聞くなよ)、店員さんは暫く眺めて「...多分...点が少ないとか、位置が少し違うとか...だと思いますよ」と微苦笑気味で答えられた程です。なので、自分使いなら申し分無いと思います。

 本当ならマイセン城も訪れたかったのですがG姉の計画には無く、後ろ髪を引かれる思いでマイセンを後にしたのでした。

2007年6月8日金曜日

06/5/2 これってドイツ出身だったんだ!!(Bree Outlet Shopとクノール)

 鉱山見学を終え帰途に着いたんですが、途中ハノーバの外れにあるBreeの工場直営Outlet Shopへ連れて行ってもらいました。ここは、言われなければ気付かないような小さな傷やミスのある商品を定価の50-85%引で売ってるという、かなり幸せなお店でございました(Breeはハノーバ発祥だそうです)。
 閉店まで30分しかなかったものの、精力的に動き商品を探し値踏みしまくる私を、W氏&相方は何とも言えない表情で生温く見守っておりました(いやだって、30分で満足できる買物をしようとするとどうしても^^;;)。ここで、両親’sや近しい方、私自身への土産を全て購入しました。 

 その日の夕食はG姉の手料理。メインの厚切り豚肩ロースのクリーム煮が非常に美味しくて美味しくて。余りにも美味しかったので作り方を聞いてみたところ、G姉曰く「クノールの粉末を使って、オーブンに入れるだけだから」との事。それを聞いた私たちは、「クノールの調理用粉末?!」とかなり驚きました。更に無知な私たちは「クノール=カップスープ=日本の会社」としか思ってなくて、「クノールって凄いな~。ドイツにまで進出してるんや」と喋ってたら、G姉から「クノールはドイツの会社よ」と説明され更に吃驚でございました。(帰国してWebで調べたら 創設者のクノール氏はドイツ人でございました。クノールって氏名やったんやとこれまた驚きでした。)
 G姉に「日本で同じタイプは売って無いの??」と聞かれたので「無いっ!!日本で売ってるのはカップスープの素だけなのっ。何で無いのかわからない!!便利なのにぃ!!」と力強く答え訴えました。だって、その粉末を使えば手軽に美味しく豪華なメインができるんですもの!!

 豚のクリーム煮の作り方。
 1. クノールの粉末と生クリームを混ぜ合わせる。
 2.厚切り豚ロースを深皿に置き、1.を掛けオーブンに入れる。
 3.180℃オーブンで30分焼く  
 以上。
 なんて素敵な魔法の粉?!って感じじゃないですか!!
日本でも是非発売してくださいませ、クノール社っ。

 余りにも羨ましそうにしていた私に、優しいG姉は2種類(クリーム味とトマト味)の粉末をくれました(喜)。来年彼女が来日する際にも土産に強請る予定です(^^)

06/5/2 中世の面影を残す町 ゴスラー


 当初予定ではハンブルクへ行く筈だったんですが、前日が遅かった所為もありW氏お勧めの町ゴスラーへ。

 ゴスラーはハノーファから車で1時間半位の場所にあり、中世の面影が残る小さな古い町でした。この町には鉱山があり、銀・銅の採掘でかなり栄えた都市らしく、外壁の装飾や街の雰囲気等豊かであった頃の雰囲気が漂っています。
ゴスラーに関する詳細は私が説明するより、
ここ(“Wiki ランメルスベルク鉱山およびゴスラーの歴史都市”) か ここ(日欧協会HP内 ゴスラー)を見て頂く方がより判りやすいかと思いますので、是非行って見てくださいませ。

 この町の第一印象は兎に角「愛らしい」でした。皇帝居城も町並みも何もかもが、「絵本」の様な雰囲気なんです。流れる時間も非常に穏やかで、時間があればもっとゆっくり居たい町でした。また、ブロッケン山麓近くということで、「箒に跨って飛ぶ魔女」の土産物が多くありました。「魔女狩り」という暗い歴史があるのは分ってはいるんですが、その何ともいえない表情の魔女たちに心惹かれておりました。

 最初に訪れた「Kaiserhaus」はかなり小さく、堅牢な作りにもかかわらずこじんまりした感じでした。内部は歴史資料館的だったんですが、当時の館内部を見学できるだけもかなり幸せを感じました。特に、大広間(会議場)は素晴しかったです。3面に飾ってある絵画(ゴスラーの歴史を題材にしている絵画)がとても興味深くて、W氏にあれやこれや解説してもらってました(何せ標記が独だけだったもので^^;;)。

 「ゴスラー博物館」(民家っぽ感じなので、見落としそうでした)でかつての豊かさに思いを馳せ、人生初のスペイン料理に舌鼓を打ち、マルクト広場周辺をのんびり散策し、思う存分中世の町並みと雰囲気を堪能しました。この日は幸いにも天気に恵まれたのも、幸せ度を上げてました。

 その後、「ランメルスベルク鉱山博物館」へ。
 この鉱山現在は閉山されていますが、かつて実際に使われていた坑道の一部が鉱山ガイドツ
アーとして公開され、見学できるようになっています。時間の都合により、私たちは旧坑道のみの見学となりました。
 注: 幾つかのHPを拝見すると、ガイドツアーは何個かのコースに分かれているらしく、私たちが参加したのはどうやら「歴史採掘コース」のようです。
 参考HP:欧羅巴の旅 内 Goslar (9)
     ものづくりネット館  産業観光~ものづくりと出会う旅~   ドイツ世界遺産の旅・ゴスラーの街とランメルスベルグ旧鉱山

 参加者が揃い、かつて使われていた待合ホール(当時の様子が再現されていてかなり面白い)で黄色いヘルメットを取り装着(ヘルメットの被り方が変と相方から散々突っ込まれまれつつ)。先ずは、展示されている鉱山の全容及び鉱山内で使用していた木製巨大水車の模型を見ながら、解説を聞きました。が、当然のことながらドイツ語のみ(涙)。W氏が英語に要約してくれてたんですが、互いに保管しあいつつ模型の助けを借りつつ、それでも良くて5割程しか理解できませんでした。それでも、中世に作られた「水」を利用したシステムの凄さは十分伝わり、相方共々「凄いなぁ」との言葉しか出てきませんでした(水のリサイクルって考え方が既にあった事にも驚きました)。
 
 説明を受けた後、少し歩いて水車の動力源であった「貯水池」に行き、そこでも水の再利用についての説明を受けたと思います(ホント理解できてないです--;;)。その後、旧坑道へ入って行きました。

 坑道内はガイド用の道が整備されていたり、若干の照明あることを除けば、ほぼ当時ままだったと思います。なので、見るものが尽く興味深くて、面白くて。これでガイドさんの説明(若しくはW氏の要約)が分れば、もっと色々解って面白かったのにと己の語学力の無さが悔やまれて為りませんでした(質問したくても出来ないもどかしさったら!!)。それでも現物を前に説明して下さるので、現物の力を借りて4-5割は何とか理解していたとは思われます。
 坑道内で一番驚いたのは、刳り貫いた岩盤に設置されている10m強の木製水車(写真)。掘った土を地上に運んだり、地下水を排出する為に作られた物なんですが、その大きさとシステム(オートリバースになっている)は「凄い」の一言です。しかも、水車の組み立ては坑道内であるとか、10年ごとに取替えを行っていたとか聞くと「ドイツ人の技術力って、もの凄いな...」と深く感じ入った次第です。
 
 それと、炭鉱で発生するガス探査のために犬を使っていた事にも驚きました。「炭鉱のカナリヤ」って世界共通じゃなかったのかと。

 暗い坑道を歩き始めた時、相方が突然「なぁ これって『モリアの洞窟のギムリ(ⓒThe Lord Of The Rings)』な気分やないか」と言い出し、以降二人で「ドワーフ」気分を思う存分味わっておりました(笑)。W氏にその話を振ると「『白雪姫』のドワーフのイメージもこういうところから来てるんだろうね」と言われ、その言葉にここはグリム童話の本拠地だったと改めて認識したり、グリム童話は口承民話を集めたものだという事実を改めて思い出したりしました。(Disneyの『白雪姫』の底抜けの明るさとは無縁の世界だとも思ったり^^;。個人的には、ドイツの情念や暗さや深さを排除してしまったDisney版は好きでは無いかったりします。)

2007年6月7日木曜日

06/5/1 大聖堂とチョコレート博物館なケルン

 「今回は一度くらい観光地として有名な場所に行きたいっ!!」という私の浅ましい(--;;希望により、連れて行ってもらったのが、ケルン。
 が、まさか早朝5:30にハノーバ駅を出発するとは、全くの予想外でした...。同行してくださった、G姉とW氏には本当に本当にごめんなさい、な気持ちで一杯でした。

 移動中の車内では寝まくり(えっと...更に言えば車中で寝惚けた私、かなり失礼なヤツだったようです^^;;)、9:00過ケルン駅着。着いた途端目に飛び込んだのは、天高く聳え立つケルン大聖堂でした。
 写真やTV等では見てその姿は知ってはいましたが、実際に見るとその高さと大きさと美しさにただただ圧倒されるばかりでした。外観に圧倒されつつ、教会内部に入るとステンドグラスからの光の荘厳さと、静謐さにこれまた声を失いました。

 美しさに圧倒されてる私に、三人は二次大戦中ケルンが連合軍側の絨毯爆撃により甚大な被害を受けたと教えてくれました。それを聞いて、「何故??」としか言葉が出てきませんでした。宗派の違いはあるにせよ同じ「神」を信じてるのに、何故教会を爆破するのか??と。私の幼く無知な問いに対する、彼らの答えは「それが戦争。ここを破壊するのが一番効果的やから。第三帝国も同じ事してたんやで」でした。

 内部見学後、尖塔に登りましたが、正直しんどかった(笑)。降りてくる人とすれ違うのもやっとな位、狭い石の螺旋階段を黙々と登るんです。が、登りきれば眺望の美しさは見事です!!それまでの辛さがきれいさっぱり無くなりました(現金です^^;;)。

 大聖堂を堪能した後、側にある「ローマ・ゲルマン博物館」へ。相方にとっては此方の方がメインだったようで、かなりまったりじっくり滞在してました。非常に美しいモザイク模様の床が復元展示されていたり、当時の日用品や装飾品等々大変充実している博物館でした。ただ、説明が英独語表示のみだったので、ちょっと辛いものがあったのは事実です(^^;;。そこから少し離れた場所では、ローマ時代の市庁跡がそのまま保存・展示されています(“Praetorium”)。正直此方の方が、興味深かったです。少し地下に降りた場所に、発掘された状態での遺跡が見られるだけでも十分素晴しいと思います。博物館とは少し離れており、見つけにくい場所にありますが行く価値は十分あると思います。

 市内で昼食場所を探してるときに出会ったのが、「白雪姫と七人の小人」のモニュメント!!!W氏に「ケルンと白雪姫って関係あるの?」と聞いたら「さぁ?なんかあるのかなぁ」との答え。知ってる方がいらっしゃいましたら教えてくださいませm(_)m
 とは言え、過去2回のドイツ旅行で初めて出会った「グリム」世界に舞い上がり、興味を全く示さない相方に「写真っ。写真撮って」とせがんでしまいました(笑)。

 ステーキハウスでの昼食後、G姉が猛烈に行きたがっていた(行く前から盛り上がっていた/笑)、チョコレート博物館へ向かいました。電車の時間を気にしつつ、G姉に急かされながら小雨が降る中ライン川沿を黙々と歩き(出店が結構出ていたので覗いてみたかったのに、G姉の盛り上がりに誰一人抵抗できずチラ見すら出来ませんでした...)、漸く辿り着いたチョコレート博物館。
 建物の外にまでカカオの香りが漂い、男性陣はその時点で少々辟易しておりました(笑)。そんな彼らを尻目に、建物を見て更に盛り上がるG姉と建物の愛らしさに盛り上がり始めた私が居ました。内部は、チョコレートの歴史と製作過程の展示がメイン。試食もさせてくれたりして、それなりに面白かったんです。が、一番期待していた筈のG姉は期待はずれで消化不良だったようです(^^;;。どうやら彼女が望んでいたような展示ではなかったらしく、途中で盛り上がりがドンドン薄れていっておりました(笑)。
 そんなG姉が再度盛り上がったのが、併設のチョコレートショップ!!!(確かに充実の品揃えで、お土産を買うには最適でした)。ショップ内で楽しそうにあれやこれやを楽しそうに選んでいるG姉の満足そうな後姿、決して忘れる事は無いです。そんなこんなで時間ギリギリまで買物を楽しみ、チョコレート博物館を最後に帰途につきました。

 ハノーファ到着後、S家に戻り夕飯。そこで、ケルンでの土産話をしお互いに買った土産物を交換したりして、楽しい時間を過ごしました。土産物のメインはやっぱりチョコレート(笑)。各々色んなチョコレートを買ってたんですが、中でもW氏購入の「カカオ100%チョコレート」は強烈な印象でした。一片をもらって食べたんですが、絶句でした(^^;;。味なんて無く、ひたすら「苦い」。その上、「口溶け」なんて言葉は何所にも無くて、飲み込む感じが精一杯でございました。しかし、それをみんなで笑いながら、あれやこれや言いながら味わえた事がとても幸せだったと思います。

けど、二度と100%カカオには手を出しません(笑)

2007年6月6日水曜日

06/4/30 再会と私の為のスペシャルDay?!

 この日はS家長男一家と落ち合う為に、ヨーロッパ最大の「鳥公園」Vogal Park Walsrodeへ。

 彼らにとってはS家長男一家と出会う他にも、鳥好きな私のスペシャルデーとして位置づけられてました(笑)。渡独前に何度かあったスケジュール打合せの時からW氏には、「ひよの好きな鳥が一杯居るよ!スペシャルデーだね~(笑)」と言われてた程。

 実際、非常に面白い場所でした。日本ではなかなかお目にかかれない、野外での猛禽類やオウムのショーは「凄いっ」の一言でしたし、展示されている鳥達もヨーロッパ・アフリカ・オセアニアを中心としている為、珍しい種類が豊富でした。小雨と冷たい風の中、野外を歩く辛ささえなければ文句無く楽しかったと思います(--;;。
 
 この場所で特筆すべき点を記すならば、フンボルトペンギンが触りたい放題!!!!(大喜)なことでしょう。
ある温室内にて、何故かフンボルトペンギン2匹が放し飼いになってる上、すこぶる友好的な方たちだったので好きなだけ触れ合わせてくださいます。この機を逃してなるるものかっとばかりに、小さいお子様たちに混じって(って
...)思う存分触らせていただきました。
 やっぱ鳥ですね~首とか腹とか背中の羽毛が幸せになるくらい柔らかく、フワフワしていて抱きしめて持って帰りたくなりました(犯罪です)。
 
 他にも、猛禽類&鸚鵡類の種類が豊富なのも嬉しい事でした。特に梟がこれでもかっ、とばかりに居るのが何より幸せでした(猛禽類の前でうっとりしてました^^;;)。

 またメインイベントであった長男一家との再会も非常に楽しく、幸せな時間を過ごす事ができました。
3年前に出合った坊とお嬢がすっかり大きくなっていて、なんとかコミュニケーションできたのも嬉しかった。特に、お嬢の可愛らしさったら!!!こまっしゃくれた美少女好きな私にとって、理想的な「姫」になっていたのが嬉しかったですわ(アヤシイ)。そのお嬢は8歳になったらしいんですが、子供っぽさと気のきつさ(下の子ならではかと思います)と、ちゃんとした社会性が見事に相まって、見ていて非常に面白いものがありました。

 あと、大人社会に入れない子(妹)と大人社会に入りつつある子(兄/11歳)に対する、大人の扱いの違いが見えてそれもまた興味深いものがありました。
 そして、「子供」が行儀良い事ったら!!!食事場所では走らない、とか、ちゃんと挨拶をする、とか、食事中は(親の許しがあるまで)自分の席から動かないとか、話しかけるときは小声でとか、日本ではとっくの昔に無くなったものがあり、感動でした。
 そして、母親や周囲の大人がきちんと目を掛け、放任しつつも締めるところは締める、そんなメリハリを感じもしました。

 その日は、全員でS家に戻って「ホワイトアスパラガス」の夕食を頂き、再会を願いS家長男一家と別れました。

2007年6月5日火曜日

06/4/29 美しく、二次大戦後の世界を決めた町へ(ベルリン→ポツダム観光→ハノーバ)

 朝から小雨が降って、かなり肌寒い一日でした。
 W氏の車でPotsdam経由Hanoverへ。Hanoverは今回で3度目、毎回S家には本当にお世話になっております、です。

 ポツダムで最初に立ち寄ったのは、ツェツェーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)。
ここは、かの有名な「ポツダム宣言」が行われた場所です。
教科書に太字で「ポツダム宣言受諾」と書かれているのを見て想像していた場所とは、全く違っておりました。文字面だけの印象は、田舎の暗いホテル、とういうもの凄く貧困極まりない想像をしてました。が、実際足を運んでみると...
 風光明媚な高級別荘地で、天気がよければ本当に全てが美しく、穏やかな場所にそれはありました。しかも、流れの穏やかなエルベ川が直ぐ横にあり、建物はこれまた瀟洒で可憐なんです。離宮として使われていたんですから当然と言えば当然なんですが。こんな愛らしい場所で、戦後処理がなされたかと思うと、建物の印象とのギャップの大きさになんとも言えず...。

 建物内部も非常に興味深いものがありました。ポツダム会談が行われた部屋や、米英ソの執務室や控えの間は歴史的な場所に立っている感慨もあり、しばし放心状態になりました(^^;;。
 中でも面白かったのが、英米ソの各執務室。
 執務室の位置関係もなかなか興味をそそられてました。
位置関係を見学順序に沿って記載すると、ソ執務室→ソ控えの間→会議場→英執務室→米執務室順でしたの。このから、対頃立関係が明確にあったんだな~と思うと、この会議後の世界とういのが更に興味を持ってみることができそうでした。
 そして、各国の執務室の調度品。
 日本語パンフによると、執務室は各国がドイツ国内のお城にあった調度品等を使って整えたそうです。なので、各国の色の違いが見えて非常に面白いものがありました。また、違いを出せるだけの調度品を持っていた、ドイツって国にも驚かされましたが。恐るべし王家の財力(苦笑)

 各国の印象を勝手にまとめると、ソ連はゴテゴテというか、派手っなんですよ(笑)。ロマノフ王朝っぽいと言いましょうか...。あぁロシア的だわと納得させられます。言うなれば「のだめ」のターニャのイメージと思っていただければ幸いです。クネクネというのか、濃いというのか(良くわからない表現で申し訳ない限りです^^;;)
 英国は、一言で言えば「渋格好良い」でしょうか。思わず「あぁ大英帝国!太陽の沈まない帝国っ。ビクトリア朝最高っ」と叫びたくなるような、そんな重厚さと気品と格好良さがございました。そして、暖炉と書籍が似合う雰囲気なのが、これまた素敵でございました。(ビクトリア時代のデザインが好きなもので...すみません)
 米国は堅実といいましょうか、英国を少し軽やかにした感じでした。執務室が隣だったので、英国と近い雰囲気にしたのかもしれませんが。(元々英国からの移住者が作った国だから、当然なんでしょうが...)

 あと、扉を閉め切った会議場がほぼ無音(というか、音漏れが全く無い)になることにも吃驚でした。そういった面もかなり考慮されて、会議場として選択されたんだろうなと思ったりです。

 この宮殿を出て宮殿周囲をほけほけ歩いてエルベ川を望む場所に立った時、W氏が川を指差しながら「あそこに壁があったんだ」と説明してくれました。そして、「想像してみて。壁があった時、ひよが今『綺麗』と言った対岸は見えなかったんだよ」と言われました。私は言葉も無くただ黙って対岸を望むばかりでした....。恐らくこの場所とこの言葉は忘れることはないと思います。想像することで、当時の様子や人々が感じていた痛みをもの凄く僅かではありますが、感じられたかと...。

 その後、サンスーシ宮殿<無憂宮殿>(Schloss Sanssouci)へ。
 ここは、お庭だけを見学しましたが、葡萄棚の緑が美しく輝くであろう初夏に再訪したい場所です。正直、内部も見学したかったんですが先を急いでいた為外観のみだったのが、本当に勿体無かったです(^^;;

 ポツダムに後ろ髪引かれながら、一路ハノーバへ!!

 ポツダム→ハノーバ間は寝てました(笑)。休憩とドライリンデン見学は流石に起きましたが、それ以外は完全に睡眠時間と化しておりました、です。

 夕刻、S家に到着し、A父とH母&G姉と嬉しい再会。夕飯を食べながら4日間の旅行感想を話したり、買った物を見てもらったり、お土産を渡したりと、幸せな時間を過ごしました。

 過去2回は、A父&H母宅に泊めていただいていたんですが、今回は早朝出発が多いこともありG姉宅に滞在してました。なんか、色々あちこちに迷惑を掛けた旅行だと思っております、です。

2007年6月4日月曜日

06/4/28 ベルリン観光と新しい出会い



  ベルリン大聖堂の対岸(って表現で正しいのか??)にあるレストランで昼食。相方曰く「ツォイクハウスに併設してるカフェ」との事なんですが、真相は藪の中(って調べんかい/笑)。
 ここで頂いた「ほうれん草&松の実のクリームスパゲティ」は本当に美味しかったです。量も適量だったで嬉しかった上、お店のも雰囲気も申し分なく、かなりホコホコな気分な食事時間でした。
 
 その後、ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)を歩き各国大使館を眺め、偶々目にしたアメリカ大使館の警備の凄さに驚き「なんかあの重装備は気分悪いわ...なんかイヤな感じ、アメリカって....」とつぶやきつつ向かったのは、連邦議会議事堂<旧帝国議会議事堂)>(Reichstag)。
(他国の大使館は割合のんびりした雰囲気だったのに、アメリカだけが何者も寄せ付けないような閉鎖的な雰囲気がありました。)

 連邦議会議事堂<旧帝国議会議事堂>(Reichstag)の第一印象は、「古い建物に新しいドームが乗っかってるのに、妙に調和があって面白いな~。まるでベルリンみたいやな…」というものでした。とにかく、正面から見る荘厳さ(石造りの重々しさとか)とドームの軽やかさが不思議と違和感無を感じさせませんでした。
 ここで驚いたのは、ドーム見学目的の長蛇の列です。西欧人は余り並ばないというイメージがあったので、珍しく感じました。しかも、行ったその日はかなり寒かったので余計に。しかも、待ち時間が40分と日本ですらちょっと考える様な時間だったにも拘らず、皆さん静かにお喋りしながら待ってる姿は、珍しいもの見た~と失礼ながら思わされました。
 で、私たちもその列に加わり待つこと30分強、漸く建物内部に入ることができました。入館すると直ぐに、空港並みの手荷物検査が待ち受けておりました。流石議会議事堂!!。手荷物検査口に行くまでもかなり面白く、人数制限するためか最初に入ったのはガラス張りの小部屋(なのか??)。そこにある程度の人数が入ったら、後ろのドアが自動的に閉り、前のグループが居なくなるまでそこで暫し待機。前のグループがエレベータに移動したら、漸く進行方向のドアが開き手荷物検査へ進とう、もの凄くシステマッチクな感じのものでした。
 その待機室では、年配の女性や男性からかなり幼く見られたのか「あなたが前に行きなさい」「いや...あなたこそ」とかいうやりとりがあり、かなり和やかな空気があり非常に心地よいものがありました(^^)
 手荷物検査では、如何にもゲルマン人!!といった厳つい男性が座っておられまして、結構緊張して通過したんです(手荷物も大きかったし)、が何事も無くゲートを潜って取りあえず愛想を振っていたら(旅行中は基本的に笑顔で「有難う」と言うようにしていました。)「中国から来たの??イ尓好」と声を掛けられました(笑)。なので、「日本人です」と答えたら、「『こんにわ』は知ってるよ」と微笑まれたので、思わず「ありがとう」と日本語で答えたりという、なんとも友好的な雰囲気となりました。その後、彼に手を振り振りエレベータへ向かったのは言うまでもありません(笑)
  
 ガラス張りのエレベータで最上階の展望ドームへ。
 展望ドームもガラス張りで、自然光が心地よい素敵な空間でした。ドームの中央から階下の会議室が見られるという趣向には驚きました。観光客に見られてると思うと、議員さんたちも恥ずかしいこと出来ないだろうな~とか、本邦の国会議事堂もこういう風にしたら「名物の居眠り」も減るんじゃなかろうか??と無粋なことを考えました(苦笑)。
 また、ここからの眺望もとても素晴しく、40分待った甲斐があったよな~と思うものでした。惜
ただ、風がやたら冷たい日だったので、それさえ無ければもっともっと幸せだったのにと思った次第です(天気だけはどうしようも無いですけれどね)。

 余りに寒かったので、展望ドーム内にあるスタンドでコーヒーを買ったんです。そのスタンドのお兄ちゃんがもの凄く印象に残っております。というのは、その日彼は仕事中に小さな火傷をしたらしく、早く店仕舞するんだ!!とこまめに動き、笑いながらお客さんに話してるんですよ。その様子が可笑しくて可笑しくて。言葉もリズミカルで、楽しそうだし。本当にこの人は店仕舞をしたいのか???と思うほどよく働く方でした。
 で、私がコーヒーを買った後、W氏がそのスタンドでプリッツェルを買ってくれたんです。W氏も「彼は面白いね~良い店員だよ」と言いながら、出てきたプリッツェルは人数+1個の4個。もしかしてW氏の夜食??とか思っていると、「スタンドの彼が『早く商品を売って店仕舞したいから、おまけ』と言ってくれた」と言い出しまして、二人で大笑いいたしました。ホント、印象深い方でした(笑)

 議事堂から出る時も、驚かされました(笑)。やっぱり入り口と同様の (ガラス小部屋に一旦入ってから外に出る) システムがあり、突然ドアが閉まったのでちょっと驚いたんですよ。そうしたら、横に居た職員さんが(年配の小父さん)笑いながら「驚いた??」と聞いてくるので、「少し驚きました」と答えたんです。その後は、手荷物検査の方と同じ展開(笑)。何所から来たの?日本語なら知ってるよ「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」でしょ?と言う感じで、この方とも手を振り振り別れたのは言うまでもありません(笑)
 東洋人が幼く見える所為か、単に私の言動が幼い所為かは不明ですが(恐らく後者)あちらの方たちにはかなり「お子さま」というか「おもちゃ」扱いされておりました(^^;;。もの凄く恥ずかしいことなのかも知れませんが、嫌な思いもなかったし、冷たく邪険にされることも無かったので良いのかなとは思ってます。
(笑顔で挨拶とお礼が言えれば、国外旅行でそうそう嫌な思いはしないと思ってます)

 その後、何故かしら組み込まれていたG姉の友人との会食場所に向かいました。何故会うのかは、最後まで良くわからなかったんですが、まぁそれはそれで(^^;;
 その方は、旧東ベルリンで教師をされていた方らしく、当時の様子やかの有名なトラバント!!等興味深いお話を色々を聞かせ下さいました。朗らかで穏やかなお人柄の方で、初対面にもかかわらず非常に盛り上がり、夕食は非常に楽しいものでした。(連れて行ってもらったイタリアレストランも美味しかったし☆)

 その方と駅で別れ、ホテルに帰る途中で街娼婦を見かけました。
男性2名内現地の方1名が一緒だったお陰で恐怖感や嫌悪感は全く感じず、映画『プリティ・ウーマン』で冒頭ジュリア・ロバーツがしていた様な姿に「ホンマにああいう格好なんや~。う~ん、なんて機能的なんだろうか」と妙に感心したてみたり、寒い夜中にあんな薄着で大丈夫かしらん??と的外れなことを思った次第です。
(但し、男性陣は妙に緊張感がありました。また、全く緊張の欠片も無くマジマジと見ようとする私を、一生懸命制しておられました...ごめん。そして、彼女たちにも失礼な行動だったと反省しています)

 ベルリン最後の日は、盛りだくさんで思い出深い一日になりました。

06/4/28 ベルリン 観光名所あれこれ

この日は朝から色々ややこしい事が続きました。
最初は、朝食場所でルームナンバーが無いと言われたこと。これに関しては、ビュッフェ形式だったことや担当のお嬢さんが半ば面倒がったこともあって、大きな問題ではなかったんです(朝食後にフロントでちゃんと問題の無いことも確認もできたし)。
その後に待っていたのに比べれば...
 相方のトランクが開かなくなったんですよ(--;;。相方のトランクは義父のでして(ちなみに私のは義母の^^;;)、このトランクはかれこれ10年近く使ってる老兵だったりします。しかも、義父母は必ず年1-2回は国外に出る程の旅行好きでして、利用頻度もかなりのものです。その老兵が今回の旅行でどうやら寿命を迎えられたらしく、全く言う事を聞いてくれなくなりました。結局、ロビーで待ち合わせしていたW氏に部屋まで来てもらい男性二人の力でどうにこうにかこじ開け、こじ閉め(って言葉は無いですが)ました。
 その様子を眺め思ったことはたった一つ、「出かける直前にあれやこれやしようとするからやっ」>相方でございました。

 さてこの日は、ベルリン観光!!な一日でした。ベルリン滞在中最も天気が良かった日でもあります。

最初に向かったのは、ジャンダルメン・マルクト Gendarmenmarkt。
ドイツ観光局の日本サイト(http://www.visit-germany.jp/)のベルリン案内によると、
 ◇ジャンダルメン・マルクト Gendarmenmarkt
広場を囲む建物群のアンサンブルが素晴らしく欧州で最も美しいと称される広場。中央にコンサートホールのシャウシュピールハウスとシラー像、南側にドイツ大聖堂、北側にフランス大聖堂が立つ。

という場所です。えぇ。本当に本当に建物群が美しくて美しくて!!!!感嘆の溜息しかでませんでした。

 ドイツ大聖堂とシャウシュピールホール内は見学が叶いませんでしたが、幸いな事にフランス大聖堂のオルガン演奏付きミサに出席することが出来ました。また、ミサの時間まで少々あったので、シャウシュピールホールのカフェでコーヒータイムとなったのも、幸せ度を倍増させました。
 
 観光気分且つ教義について全く無知な者がミサに出席する事に、正直躊躇いました。が、いざ始まってみると言葉は判らないものの、静かで穏やかな空気が心地よくて。そして、こういうミサを体験した事で、ほんの少しですが「信じる」事や「祈る事」、「教会」や「神の言葉」が彼らにとって「当たり前」に「在る」、その感覚が理解できたように思えました。
  
そして、フンボルト大学の外観をゆっくり眺め、周辺を散策。
フンボルト大学周辺で印象に残ってるのは、17冊の本積んだ形をしたモニュメント。背表紙に彫られている名前は、Heine、Luther、Kant、Hegel、Schiller、Hesse、Brüder Grimm、Marx、Goethe等と錚々たるもの(極東の私ですら知ってる!!)。これはW氏の説明によると、フンボルト大学が輩出した人たちの業績を示すものらしいとの事(間違っていたらすみません・・・)。このモニュメントには私だけがやたら反応してました。だって、世界に名を馳せた哲学者に文学者ですよっ!!盛り上がらるのは、当然でしょう(って何者?!)。
 また傍らで古本市が開催されていて、ふらふらと引き寄せられ冷やかしたりしてたんですが、この時程ドイツ語が読めない己が不幸だと感じたことはなかったです(ドイツ語以前に英語どころか、日本語もどうにかした方がいいレベルなのに^^;;)。
 
 そんな本好き、図書館好きな私のために次に向かったのは、国立国会図書館(もしかしたらフンボルト大学の図書館かも...)。が、入り口のみの見学で終了。それでもアカデミックな雰囲気に大満足しておりました。えぇ図書館大好きですよっ!!(新婚旅行で訪れたウィーンでも図書館に行き、天井まで届きそうな本棚にと大量の本に言葉を失い、幸せの余り泣きそうになりました^^;;)

 その後、ノイエバッ
フェ(Neue Wache)を見学。此処は「国立戦争犠牲者追悼所」で、建物内部は何とも厳粛且つ敬虔な空気が支配してました。日本語での案内も掲示されている事でも、この追悼所の重要さが解っていただけるかと思います。
 
 次に向かったのが、ベルリン大聖堂(Berliner Dom)
 何度かの増築が行われ、先の戦争で甚大な被害を受けたものの戦後修復された建物だそうです。
いや~素晴しく美しいし、華麗でした。そして、何よりその大きさに圧倒されました。で、天蓋の上まで階段をえっちらおっちら上がっていくと、ベルリンが一望できます。運動不足の体には辛いものがありましたが、眺望の素晴しさで打ち消される気分でした。本当に美しいの一言です。
 内装はフランス大聖堂とは異なり、豪華で贅沢。また、地下に安置されてある王家の棺群の装飾がこれまた「贅沢」というか「お金かかってるな~」とかの言葉しか出ないほどです。

2007年6月3日日曜日

06/4/27  Pergamon Museum(ペルガモン博物館)編


 ベルリンに3泊4日したにも関わらず、数多ある博物館の内1館しか見れませんでした。これは全て私が買物に時間を使ったせいです(深く反省)
「次きた時は絶対博物館巡り!!」と固く固く決意してしまいました。
というのは、一館の展示が日本と比べ物にならないほど充実しているので、駆け足で観るには勿体んですよっ。

でベルリンで唯一訪れたのが、博物館島にある「Pergamon Museum」。
館内に足を踏み入れるまでは、「ペルガモンって何??何が凄い博物館なの??」と無知をさらけ出しておりました。
が、一歩館内に足を踏み入れた瞬間、神々の戦いのレリーフ群に圧倒され、目を奪われました。その素晴しさと、荘厳さと、美しさと迫力等々に、思わず平伏してしまいたくなる程。えぇ「此処から出たくないっっ」と駄々をこねたくなりました。
 そして口から出る言葉は無く、餌を強請る鳥の子の様に口を空けたまま「ほぅ....」とか、「はぁ...」とか「へぇ...」としか出てきませんでした。
 この博物館は幸いなことに「日本語ガイド」が常備されておりました!!!!えぇ、本当に痒い所にまで配慮して下さって、嬉しすぎて言葉が無いです。Viva ペルガモン!!

 幼い頃より大好きだった、ギリシャ神話の神々が生き生きと、力強くも美しく華麗に存在している場に居れたことが何より幸せで嬉しかったのです。しかも、その神々の魅力たるや!!!私の語彙・文章力では到底表現できません。
 
 ペルガモン神殿からの展示物以外の展示物も、それはそれは素晴しいものでした。何故此処にこれがあるんだ?!と思うような物も多くて、一日居ても飽きないと思われます。ホント、駆け足で(と言っても3時間強鑑賞していましたが...)回るのが勿体無い空間でした。

 印象に残っている展示物は数多くあるんですが、中でも「メディアの物語」が彫刻されてる棺は美しかったです。これが印象に残っている理由は、単に「『王女メディア』を見てて良かったよ、蜷川幸雄氏有難う!!大竹&生瀬のお陰で理解できてるよっ!!」という余りにも単純なものです(^^;;

 この博物館で思ったことは、「ギリシャ神話。もう一回読もう、つうか買おう」でございました。すっかり物語忘れてましたもの(をい)。

06/4/27 ベルリン買物三昧編

この日は、小雨が降っていたため「お買物デー」となりました。
目当ては出国前からチェックを入れていた、trippen(日本語サイトはこちら)とStieff。
 そして、やはり外せない博物館島。時間が余り取れず訪れることが出来たのはPergamon Museum(ペルガモン博物館)だけでした(時間が無くなったのは私の所為。とは相方の言葉。確かに...深く反省してます)。
 
最初に訪れたのが、trippenのあるMITTE地区 ハーケンシャ・ホーフ。
 個性的なお店が多くて、飽きませんでした。相方だけだったら、半日以上ウロウロしてたと思います(断言)。が、男性2名連れでは流石の私も無理でした(^^;;。ここで見たのは trippenとGalerie・Shopだけ。
 ・Galerie・Shop
 このshopは歩行者信号機のマークをデザインした雑貨屋さん。かなりお薦めです。シンプルで可愛らしいデザインと、POPな色使いが印象的。また、文具の種類が多くお値段も手頃だった為、お土産物を購入しました。

 ・trippen
 店内は想像していた以上に広く、明るく、どちらかといえば開放的な雰囲気でした。靴のディスプレイも見やすく、試着も自由、店員さんも必要な時意外は纏わりつかないと本当に嬉しいお店。
 目当ての靴は速攻で見つかり、懸念していたサイズ等々は全く問題なかったのでそれだけを買って終わればよかったんですが、店内と店員さんの雰囲気が良く、また種類豊富な靴達を目の前にしたら色々試してみたくなる女心(違)で、気なるデザインをことごとく試履きすることにいたしました。
 えぇどれもこれも素晴しく心地良くて...うっとり、盛り上がりっておりました。
お供の男性2名(相方とW氏)はそんな私の盛り上がりに引きまくり、退散して店外で一服しておりましたが(苦笑)
 試履の時でも店員さんは本当に纏わり付かないんですよ(嬉)。かと言って完全無視ではない。こちらが声を掛けるまで放っておいてくれるし、たまに声を掛ける時は程よく良いタイミングでサイズとか色とか聞いてくれるしで、非常に快適でした。
 何より嬉しい驚きだったのが、こちらがデザインで迷って「どれが良いと思います?」と聞いたら、足の形と靴の形をきちんと見て、触って判断してくれたこと。二人の可愛らしいお嬢さん達のプロ精神やブランドに対する愛を感じた瞬間でもありました。
 あれやこれや目移りし散々試履したにもかかわらず、買ったのは当初目的のデザイン。そういうもんですよね~お買物って(笑)。
 試履が終わる頃男性2名が戻って、二人とも店員さんと楽しくお話してるんですよ~。それだけ、お店と店員さんの雰囲気が良かったってことだと思います(^^)。最後には、店内で店員さんと記念撮影してしまう程、三人とも満足しておりました。
 ベルリンに行かれることがあれば、是非一度行ってみてくださいませ~。
 
 ・bonbon
 別のホーフ内にある手作りキャンディ屋さん。どうやらドイツでは有名らしく、W氏がいそいそ入店したのが印象的でした。店内の甘~い香りと、陳列してある飴のPopでCuteな色彩に思わずニッコリしてしまいました。また飴作りの工程を傍で見せてくれるので、時間を忘れて見入ってしまい店員さんに笑われたのも良い思い出になっています。
 この時W氏が買ってくれた飴(150g??)は
程よく甘く大層幸せな味で、ドイツ滞在期間中の良き供となりました。

この後、博物館島に行きPergamon Museumに寄りましたが、それについては別項にて叫びたいと思います。

第二の目的地であるSteiff。
 ベルリンの目抜き通りにありましたが、うっかりすると見過ごすような店構えを情熱と愛だけで見つけ、男性陣から「おぉぉ…」と賞賛と呆れとため息の入り混じった声が上がりました。
 店内に足を踏み入れれば、ソコは天国(大袈裟な)。Steiffのぬいぐるみ達が私を待ち構えています!!しかも、日本と違って触りたい、抱えたい、抱きしめたい放題(除くアンティーク&限定品)!!!!これを天国と言わずして、何と言いましょうや!!!!日本で見たことの無い子達も勢ぞろいしているし!!
勿論、限定品はガラスケースに大切に仕舞われてますが、限定品やアンティーク品にはあまり興味が無いと言うのか、恐れ多いので触れなくても問題なしです(笑)。
 ここでも、男性陣は店外で喫煙タイム。お陰で、彼らの「まだかっ?!」視線を浴びる事無く、並み居るぬいぐるみ達を堪能することができました(笑)。
 店内をあらかた物色した後、友達に頼まれていた「小さめのテディ」と、Myコレクションなペンギン(若しくは鳥類)を再確認。テディの方は、「Vino Bar」という新作ワインを記念して造られた子を(本来ならワインとセット売りだったらしんですが、ワインは売り切れテディだけ残ったのでセール品でした^^;;)。私は、アデリーペンギン属(恐らくジェンツー)だと思われる子&小さな小さなテディを日本に連れて帰ること決定。幸せ~(馬鹿)
 もっともっと時間があれば、男性陣が居なければ(をい)あれやこれや色んな子を物色できたのにぃ、と思う私は我侭ですか??

Steiffの次に向かったのが、高級百貨店であるKaDeWe(カー・デー・ヴェー)
 W氏の姉G氏ご推薦の店で、否が応も無く連れて行かれたデパート。G姉は仕事の都合でベルリンには来なかったんですが、ベルリン観光のスケジュールは彼女の指示によるものだったらしいです。とにかく、定期的にW氏に電話がありその度に彼は「今何所に居て、次は何所に行く予定」というのを報告しておりました・・・いや~姉弟間の力関係を目の当たりにして、中々楽しいものがありました(つうか、W氏が少し可哀想になった/苦笑)。
 そんな事はさて置き、KaDeWe。
 身も蓋も無い言い方をすれば、日本にでもあるような普通の高級百貨店です。確かに、高級品から一般食料品まで揃うので時間が無い方にはお勧めかもしれませんが、正直行かなくても良いかな??って感じです。但し、6Fは行ってみる価値ありです(どっちやねん)。
 6Fは日本で言うデパ地下、所謂食料品フロアなんです。が、何が面白いかというと、カウンター式のレストランが併設されてる店があるんですよ。売ってる食材をその場で調理して食べさせてくれる、という感じです。パスタ、コーヒー、チーズ、ワイン、ビール等々専門店ならではの雰囲気が漂い、美味しそうな香りがフロアに広がっています。が不思議なことに、香りが混じることはないんですよね~。その前を通ったら確かに香るんですが、少し離れると全く感じない。それだけ、各店が広いってことなんでしょうね~。

その他の観光記録としては、
・カイザー・ウィルヘルム教会
 観たかったのに、KaDeWeに行った為時間が無くなりました...(大泣)翌日訪れる筈がそれも叶わず、結局外観だけを見るに止まりました...くそぅ(>-<)。ベルリン観光において、最大の心残りです。 さて、その日の夕食は、待望の「ホワイトアスパラガス」!!!!!  気温が低く生産が
例年より遅くれていたドイツ国内産では無かったんですが、ギリシャ産の旬をいただきました。
 とは言え日本ではなかなかお目にかかれないので、本当に嬉しくて幸せでございました。

2007年6月2日土曜日

06/4/26 首都ベルリン到着 そして 夜の観光

関空よりフランクフルト経由でベルリンに向いました。搭乗時間は、延べ13時間(^^;;

往路での懸案事項は、フランクフルト空港での乗り継ぎ時間が50分と短かったこと。
旅行前に空港内の地図を入手し、機内で移動経路をイメージトレーニング(笑)して望んだものの....
表示が解り難かったり、係員との意思疎通が巧く図ることが出来ずかなり戸惑いました(- -;;;
幸いにも地下通路を無事走り(苦笑)抜けたので、搭乗時間には無事(ギリギリ)間に合いましたが。

敗因は、国内線乗り換え時に再度手荷物検査があった事です。
国際線に乗る際に検査しているんだから、良いんじゃないかと思うんですが・・・・
どうやら、ドイツ(シェンゲン条約)国内線利用者と乗り継ぎ利用者の入場ゲート(っていうですか??)が同じで、その結果乗継者も手荷物検査しなくちゃいけない様になってるみたいです。あと考えられるのがテロ対策か・・・・。しかし、ここで一番時間とった様な気がしてなりません、です。

何やかんや言っても最終的には「国際」空港を甘く見ていた私たちが悪いんです・・・・
(関空が小さいと言われるのが大っ変よくわかりました)

ベルリン着。
出口の向こうに知人W氏(昨年北海道旅行に同行した、ドイツの方)の姿が見え、やたら嬉しく懐かしい思いに。そして、彼の指示でカートを使う事に(一旦ゲートに出たにもかかわらず、再度入れてくれた係員さんに感謝☆)。
荷物をカートに乗せ、改めてW氏と再会を喜びつつも、相方が早速「とりあえず一服したい」と言い、喫煙者なW氏が同情する表情をしつつ「勿論!!」と言った風情で外に出て一服。つうか・・・君ら意気投合し過ぎ・・・・一服しながら喫煙者の悲哀を互いに語ってる様子は、可笑しいやら情けないやらでした。
後、空港内で両替と再会を祝うお茶。お茶の後喫煙者共が一服してる間に、私は軽くウィンドショッピング。「『Steiff』の充実度が違う!!!!!」とにんまりしておりました。

W氏の車にてホテルへ向ったんですが・・・。何度も道を間違うW氏を見て、彼が地図の読めない人だと判明(笑)。まぁ車内で有名どころを見れたので、それはそれで良かったんですが。
ホテル(CLARION BERLIN)にチェックイン。今回初めてバウチャーを使用したため、不安があったんです(小心者)がW氏が付いててくれたので安心でした。ただ、団体旅行客との到着と重なった為、結構時間は掛かってしまいました。が、それは仕方ないかと思われます。

ホテルは余り期待してなかったんです。が、非常に快適なホテルでした。部屋の設備も申し分なく、滞在中不快な思いをしたことは一度もありませんでした。
3日目の朝食リストに部屋番号が無いという不備があり、フロントに申し出たらその場で確認してくれて「問題ない」との回答も得られましたし、対応も問題なかったと思います。
つうか、確認した相方の方が大きな問題ありでした。何せいきなりフロントで「クエスチョン」と言い出すんですから・・・・(- -;;。そんな非常に失礼な日本人の問いかけに対して、(多少「むっ」としつつも/笑)丁寧に対応してくれたホテルマンは流石でした。しかし、普通なんかもっと言い方あるだろうよ>相方、傍らで聞いててホント吃驚しましたよ(噴出しかけた)。

30分後W氏とベルリン観光へ向いました。
ベルリン・フィルの本拠地を眺め(当日はベルリン・フィルのコンサでした・・・行きたかったな・・・)、富士山型の屋根を持つソニーセンター内を突っ切り、旧東西ドイツ境界へ。

・『ベルリンの壁』が少しだけ当時まま残ってる場所。
ベルリンの壁崩壊はTV中継で見て「知って」はいましたが、その場に立って「壁」の高さ、厚さを目の当たりにし、私が「知った」と思っていることは「つもり」でしかなかったと強く感じました。
その場に立って、質量や展示されている写真、旧東西の近さ、何よりその近さが「壁一枚」あるが為に「遠くて違う国」になっていたという事実を、初めて「知った」様な気がしました。それ以上に、今なら一跨ぎして行ける場所に、決して遠くない昔は行く事が叶わず、それどころか向側に行く為に命を落とした人が居た「事実」に、言葉を無くしてしまいました。
(余談ですが、説明書が独英語しかなかったのはかなり辛かったです…英語は本当に辛うじてなんとか努力して読めますが…、こう詳細が掴めないもどかしさがありました。日本語でも記載して欲しかったと思うのは、我侭なんでしょうか??それ以上に日本人観光客は来ないから必要ないのか??と妙に悲しくなったり。)

・欧州ユダヤ人犠牲者への慰霊碑
 ベルリンの壁跡を経て、ブランデンブルグ門までにありました。
この慰霊碑についてはここ を参照下さい。
私達が訪れた時間には、地下の情報センターは閉っていたので上層部のみの観光です。しかも、W氏がこの慰霊碑に関して説明してくれてはいたんですが、辛うじて大意が掴めるのみで・・・言葉の壁って厚い・・・。
ただ、この慰霊碑が持つ「重さ」や「威圧感」や何ともいえない息苦しさ、違和感を感じることができただけも良かったんじゃないかと。それらは、ドイツの歴史(現在も続く)が抱えてるモノであろうから。
自国が犯した罪を形にして残す、100%完璧な形でなくても「残す」事や「認識してる」と表わす事に大きな意味があるんじゃなかろうか、と思った次第です。

・ブランデンブルグ門
 そぞろ歩くこと約1時間にして、漸くやっと有名観光地に辿り着きました(笑)
 義理父より「ブランデンブルク門は大したこと無かったわ~」という感想を聞いていたので、それ程期待はしておりませんでした。が、壮大さと薄闇に白く浮かぶ美しい姿に、えぇ息を呑みましたよっ!!ホント、美しいというか力強いといいましょうか・・・素晴しかった。
が、昼間に見たら今一つだったのでここは夕方~夜がお勧めです!!ホント、ライトアップが映えて美しいったらありません、です。
しかし、こちらの説明版も独英伊仏・・・・(涙)頑張って英語読ませていただきました・・・

その後、大使館の警備員さんに周辺の美味しいお店を聞き(聞いてくれたのは当然W氏/笑)、その店で夕食を済ませ、夜のポツダム広場をそぞろ歩きホテルに戻りました。
大使館の警備員さんの馴染みやすさに、思わず微笑を誘われておりました。 

2007年6月1日金曜日

一年以上抱えていた、旅行記(06/4/26-06/5/6)

 昨年4/26-5/6の黄金週間を利用して行ってきました、北ドイツの旅。
観光&友人との再会が目的だったにも拘らず、終わってみたら「旧東西ドイツの歴史を辿る旅」になっておりました。加えて「私の無知を思い知らされた旅」といおうか、「知らないことが恥ずかしいと思った旅」と言おうか、「近現代史の重要さを認識した」と言いましょうか。
兎に角ドイツ滞在中ずっと、「近現代史をちゃんと知らなきゃ。学ばなければならない」と強く思った旅でした。

こういう旅になったのは、相方の「近現代史好き」な部分もかなりもあるんでしょうが・・・
訪れた街が、ベルリン、ポツダム、ドライリンデン(アウトバーンで西側に行く為の検問所だったらしい)、ケルン、ドレスデンと旧東側だったり、戦後史に大きな意味を持つ場所だったり、二次対戦中の被害が大きかった場所だったからに他なりません。
 恥ずかしい話ですが、歴史の授業は余程の事が無い限り駆け足で通り過ぎる近現代史に全く興味が持てませんでした。ただ、教科書に記載されている事象のみ「何となく」覚えている程度。それ故、二次大戦でどういう出来事があり、各国がどういう動きをし、どんな被害があったのかも知らない。
そして、ベルリンの壁。崩壊はTVを通して知ってはいました。が、結局「何も知らなかった」事が本当に解り・・・もの凄く恥ずかしくて。
更に言えば、「旧聞」とか「もう昔の話やわ~」と愚かにも思っていた(知った振りしていた)、東西ドイツは「今」も根を張っている事が現実だと、感じた時には・・・己の無知が恥ずかしく、みっともなくて仕方ありませんでした。

恐らく、友人らの言葉のお陰でより一層「現実」だと思えたのだと思います。

特に、ベルリンで彼らの友人やドレスデンに住む彼らの親戚と出会い、彼らから「当時のドイツ」を聞かせてもらったことは大きかったと思うんです。また、友人のお母様がおっしゃった言葉とか・・・
ドレスデンでお母様の従兄弟家族と出合った写真を見てもらっていた折に何気なく、「従兄弟と最後に会ったのは50年前。その後東西に別れてしまったから。最後に会った時は彼、とっても若かったのよ」と微笑みを浮かべながらおっしゃいました。その時初めて、家族や親しい人たちが東西で分断されるってこういう事なんだと、実感したんです。そして、決して遠い昔話じゃないんだと。

知らないことは確かに「力」になるのかも知れない。知らないことが「当たり前」で良いのかもしれない。
けれど、大きな事実を目の前にして、近しい人から話を聞いた時「知らないこと」がモドカシクて、恥ずかしいと感じた事は、私にとって大きな意味を持つような気がします。
そして、「何の為に歴史を知らなきゃいけないのか」が、漠然とですが見えた様な気がしても居ます。「今」を知るために必要なんじゃないのかとも。

そんな風に考えた旅行でした。

行く前に散々っぱら「南に行きたい!!!!観光名所に行きたいっ!!」と叫んでいたとは思えない・・・

次からは、こまごまとした呑気な旅行記(というか徒然)です。