2004年12月30日木曜日

【どんとこい 新選組!】雑感

 有り難うNHK!流石本家本元お膝元ですよ!!
 番組が開始してるにも関わらず「鋭意編集中」と言う辺りに、現場の混乱ぶりが伺えましたが、それすらもここまできたら愛おしいです(笑)。しかし、2004年アンコールの第2部としては些かどうかと思う内容ではありましたが(笑)、それでもやっぱり嬉しい楽しい有難い『どんとこい 新選組!』でした。

 座談会そのものは全編ツボだらけでどうしようもなく、益々彼らに対する愛おしさが増しました。これがNHKの罠であっても、こんな罠なら喜んで嵌らせてもらいますよ!

以下雑感の雑感

○NHKに驚いた
・OP、グタグタな藤原君の後で「いちゃついてる」(え)カップル3組。
 OPと言えども「あれ」を電波に乗せた事に吃驚です(最近NHKには驚かされてばっかり)。「皆様のNHK」「受信料で番組作成するNHK」として大丈夫なのかと、流石に心配になりました(笑)
・脚本家の「(山本君と香取君)いっそのこと一緒に生活すれば」とか「土方は近藤に恋をして。山本耕史は香取慎吾に恋をして破れた」発言。それらに引っ張られて各人が「恋か・・・」とか口々に呟いてるのは・・・それは良いのかNHK的に・・・と。TVナビ等で「山本香取愛の軌跡(違)」を知ってる人は良いけれど、初めて知った人はかなり驚く発言じゃないのか?!大丈夫なのか?!と驚きました。
・NHKも大盤振る舞いしたよな〜有り難うって事です。
・何を狙ってるNHK?!(何も狙ってないと思います)

○OP
・藤原君のグタグタな様子が「試衛館」時代の総司を彷彿させて、可愛いったらありゃしませんよ。まったく(笑)
・いちゃつきカップル達(違)。それぞれ特色があってやたら可笑しかったです。
 「局長&副長」一番しっくり見えたのは「流石」というか「やはり」と言うべきか(何?!)。ここまで来たら好きなだけいちゃこいて(え)下さいと思わせたのは、やはり山本君の努力の賜物でしょうか?(違うと思います)
 「左之&新八」は如何にもごつい感じがして、なんとも言えず微妙な雰囲気を醸し出してたような気がしなくもないです(^^;;
 「総長&源さん」いや〜まさかこの二人のあんな場面を見せてもらえるとは!!なんか縁側でのんびりお茶してる近所の世代の違う茶飲み友達な感じがして、和みそうになったんですが、源さんが総長の肩へしっとりしなだれかかってるの見た瞬間、吹き出しました。あの二人もなんかある意味しっくりでしたね〜(何を伝えたい私?!)

○座談会本編
・佐藤浩市氏ネタの局長・副長の仲良し振りが微笑ましくて。そうか・・・打ち上げの確認連絡だったのか、皆仲良かったんだな〜と。しかし、その確認が山本君にあるあたり、彼の宴会部長としての存在感を今更ながら思い知らされました(笑)
・意外にも司会者として頑張ってた藤原君。
・京香さんは皆のアイドル(古っ)だったのが、大変良く解りました。
 そして、山本君が藤原君を焚きつけてたってのは、ホントにもうどうしようもなく土方らしくて微笑ましくも可笑しい。そしてまた、その話を振られた藤原君の何とも言えない表情と体の動きが、可愛くて可愛くて。
・香取君が山本君の頭を叩く様子すら、山本君良かったね・・・としみじみ眺める事になろうとは(周囲の楽しそうな雰囲気も相まって、見てて幸せでした。)
・話の振り方等はぐっさんや山本太郎君は巧いな〜と感心することが多かったです。
・映画『壬生義士伝』で総司を演じた堺さんから見た、藤原沖田はどうでした。の質問に悔しそうな表情で舌打ちした堺さんの小芝居に、「この人このメンバーのことホント好きなんだよな・・・」とふと思ったり。小芝居後の笑顔で「冗談冗談」というのが非常に大好きです(っていきなり告白)
・また堺さんからの言葉をドギマギしながら待ってる、藤原君の表情が素晴らしく可愛らしくて・・・
・役のシャッフルについて、堺さんの「僕は悔いないな」発言がツボでした。だからそんな事を聞いてるんじゃなくてさ・・・と。その後三谷さんに「芹沢鴨」と言われたときの嬉しそうな驚いた表情が!ホントに彼にとって意外だったんでしょうね。しかし、堺鴨も見てみたです。どんな鴨を作ってくれるのか、期待させるモノを持っておられる役者さんですよね。
・香取君から三谷さんへの「3人(局長・副長・総司)の中で誰が一番好きですか」質問から派生した「香取・山本・藤原のなかで誰が一番嫌いか。(間をおかず)山本耕史だね」の三谷氏の発言。この回答は絶対「山本君」だと思ってましたよ(既にネタと化してる感あり/笑)。ただ、三谷さんの場合それが本音じゃないのが、これまたなんとも(恐らく絶対的な信頼関係を築いた上に、言っても大丈夫な相手に言う方だと思うので)。
・藤原君の台詞についての言及に、藤原竜也が持つ「天才性」が作り手に与える影響の一端を見た気がします。
・山本君の「演技は二の次で。香取君がどれだけ楽しめるか(中略)が最優先だった」の言葉に涙ぐみ。その後出演者全員が山本耕史の公私に渡った「仕事」への、最大限の賛辞にまた涙ぐんだ辺り、もうどうしようもなく彼らが大好きだと改めて思いました。


年末の最後までこうやって楽しませてくれた「新選組!」に心からの感謝を捧げたい所存です。

2004年12月29日水曜日

年の瀬にふと

 私にとって本を読む行為は、興味を持った物事に対し近づこうとする際に取る最短の方法なんだと、気づきました(苦笑)。

 というのは、「喪服の似合うエレクトラ」をISBMを頼りに書店で探し、入手できないとなったら速攻図書館に走ったのが、大昔に独眼流政宗に嵌った時や三銃士に嵌った時の行動と一緒やなと思ったんです(多少調べる方法等は進化しましたが/笑)。
 しかもついでに「喪服〜」のベースになってる「ギリシャ悲劇も読んじゃおう」と一緒に探して予約する辺もどうやら一緒のようで・・・。結局、気になるモノに対しては最初に「文字(書籍)」ありきなんですよね、幾つになっても(笑)。それが戯曲であろうと小説であろうと解説本であろうと、気になる要素が含まれてたら読みたくなる。
 もし、手にとって触れて更に魅了されたら、あちこちに手を伸ばしてみて何かしらを「読んでみる」。そうして嵌ればしめたもの。もし途中でこれは合わないかもな〜と思っても無駄は無いと思える。だって、手に入れた本なら「残せる」し、一度だけしか読んでなくても、記憶として辛うじて曖昧で微々たるモノとしてであっても(苦笑)なんとか残る。だから、少しでも引っ掛ったら行ける所まで行って見よう、とことん触れてみよう、読んでみよう。
 気になったもの(や諦めきれないもの)に対しては、そんな風な近づき方しか出来ないんだと、妙に納得しました。

 ふと振り返れば、氷室冴子の小説に散りばめられてる「古典」達に興味を抱き、それらを貪るように読んだりもしたし・・・本に関して言えば、どこでもどんな形でも出会いがある。そんな風に自然と思ってるんでしょうね(ただ、勢いで読んでたので記憶の表に出てこないのが問題です/^^;;)。

 ある時期、物凄く嫌だったんですよ、こういうのが(苦笑)。で、色々試してみた時期もあるんですが、結局、元にに戻りました(笑)。
 色々楽しむのは楽しめたんですが、「本を読む」「文字を追いかける」という快感が何よりも勝ったし、やはり一番しっくりするだろうな、と思ったりしてます(ただ、その時期にLIVEや観劇といった生モノと出会え、違った部分での気持ち良さを味わえた。その事は幸せな出会いだったな〜と思ってます。そこから更に広がっていくことも出来たし)。

【スペシャル編】感想

 近藤勇だけに視点を当てると、これほどまで「オーソドックスな大河」になるんだ・・・と感じました。そして、近藤の物語としては確実に1つの軸があり、その軸は一切ぶれることがなかったと再確認させられたスペシャル編でした。
 色んな要素があったドラマを、(近藤勇にとって)不要な部分を削って必要な箇所を過不足無く編集し、あの時間内に纏めた編集の方の力量には頭が下がる思いすらします。

 ただ仕方ないとは思うんですが、山南さんの死以降駆け足で、河合や武田なんかの死が1ショットだったりしたのは心底勿体ないと思いましたよ。特に山崎や尾形の影すらなかったのは、個人的に寂しかったです(涙)

 初見時には、この台詞があの場面で回収されるんだ、とか、佐久間象山の「30になったら国のことを感がえる」の台詞に「そうか、近藤は『国のことを考えて』死んでいったんだ、これも伏線だったのか・・・」とボロボロ泣いておりました(最近涙腺が弱くて仕方ない)。

以下雑感

・「多摩の誇りとは」で近藤が初めて人を殺める場面の香取を見て、大丈夫かも・・・巧くいったら大化けしてくれるかも・・・と思った事を思い出しました(その次が本庄宿での鴨との対峙場面)。
・勇とつねちゃん夫婦の可愛らしさというか初々しさに、ジタバタしたくなりました。なやっぱり、あの二人ホント愛らしい夫婦ですよねぇ。あぁ可愛い。
・佐藤鴨が画面に入ると空気や画面が締まるのを見て、その存在感に圧倒されました。やっぱり佐藤鴨は格好良いです。
・今見ると、相島新見と佐藤鴨の関係が微妙なバランスで成立してるのが何となく見た気がしました。元来鴨はもしかして「参謀」向なのじゃないのか、それが何かの拍子で「頭」に立たなきゃならなかった。鴨のそういう志向を知りつつも「頭」としての役割を支持し、巧く機能させるように働いたのが新見なんじゃないのかも。鴨もその事を理解しつつ新見に任せつつも、志向と現状の矛盾の狭間で二進も三進もいかなくなってるのかも。と今更な事をつらつらと思っておりました(ホント今更です)。
・山南さんの「なんかしらんが浮いてる」感が楽しいのは何故?!(愛だとは思います)
・カット場面が何個かあった様な気がするんですが・・・しかも何故それをカットしてる?と聞きたくなるような・・・
・不評であったと思われる「無意味な」CGが悉くカットされてたのが、嬉しかったですよ!出来ることなら完全版からも省いてもらえないでしょうか?!(酷)
・変わっていく試衛館メンバーの中で、変わらなかったのが左之と新八だった。だから彼らは離反せずには居られなかったんだと、改めて感じました。
・やっぱり、「池田屋大騒動」からの場面はなかったんですねぇ。「みんなそれなりにありがとう」は名台詞だと思うんですが(笑)
・しかし・・・ここまで女気の少ない大河総集編って珍しいかも(笑)
・彼らのコルク。良かった・・・離ればなれのままじゃなくて・・・。おみつさんの手元で共にある、それだけで嬉しくてならないんです。

座談会
・短っとは思いましたが、総集編のおまけと考えるとあの位の時間で良かったのかもと思います(総集編だけ見る人も居ると思うので・・・)。
・藤原君の「剛州」(手書き)シャツには何の意味が?!(笑)
・何故、三谷さん一人が手持ちマイクなんでしょうか??
・頑張って「司会」をしてる藤原君が可愛くて可愛くて。途中からお酒で舌が回ってないのか、言ってることが良く解らない事もありましたが、それはそれで充分可愛いから(え)
・藤原君は出演者やスタッフから可愛がられてたんだろうな〜と思わされる雰囲気が伝わってきて、微笑ましいものがありました。
・堺さんが頑張って話を振って回そうとしてる(のか?!)は、失礼ながら意外でした。
・山本君も堺さんが、佐藤浩市さん話をしてる時の嬉しそうな、ちょっと自慢気な顔ったら(笑)佐藤さんの事、役者として尊敬というか好きなんだな〜
・しかし、何故香取君が山本君の受信履歴を知ってるのか?!その時の二人の受け答えが、余りにも自然過ぎて、非常にツボでした(笑)
・「男の話は良いから」って山本君(笑)その堺さんへの鋭い突っ込みは何故に?!(いや突っ込みたくなる気持ちは判りますがね/笑)。
・で京香さん話で盛り上がる面々。そして、藤原君はやっぱり最強だったということで。
全員が悔しそうな表情だったのが、ホント可笑しいというか微笑ましかったですよ。藤原君一人勝ち誇ったような感じなのも、更に可笑しくてなりませんでした(堺さんは自棄に神妙な表情で腕組みしてるし/笑)
・実は2部後の座談会が一番面白かったです。なんか、前室の雰囲気が一番伝わって来たような。こんな感じで盛り上がって、スタッフ巻き込んでワイワイしてたんだろうな〜ってのが垣間見えた気がします。(つうかホントに男子校って感じで、「こいつらあほや〜」と笑いながら見ておりました)
・3部の最後の香取君の言葉には、涙しました。こちらこそ有り難うと彼らに言いたいです。
・香取君の言葉を神妙な顔で聞いてる面々、中でも山本君の表情には何とも言えないものがありました。
・カメラさん達が段だら姿で、時折スタッフの笑い声が入ってるなんて、大河のみならずNHKの番組としては前例が無いんじゃないのか?!と正直吃驚しました。それだけ「一致団結」して纏まってた現場だったんでしょうね。凄いですよ「チーム新選組!」って・・・

さぁ明日は今年最後の「組!」放映です!
年末まで楽しませてくれる「組!」に感謝♪

2004年12月28日火曜日

秋田旅行記

 12/23-25の2泊3日で、秋田県乳頭温泉に行って来ました。目的は、『関西では味わえない雪見温泉を堪能しよう!in秘湯』でした(笑)。また、お宿にはTVが無く、また山奥の為携帯が私用できずネット環境すら無い、そんなアナログな環境に、とっぷり浸ることが出来ました。。

<初日>
 この暖冬でもしかすると雪には御目文字叶わないかもしれない…と思ってたんですが、出発前日にどうらやどっさりと降り積もったらしく、秋田空港は真っ白な銀世界でした。

 で、レンタカーで秋田市内で昼食を取った後、角館へ移動(ずっと"つののだて"と読んでましたが、"かくのだて"だったんですね/恥)。移動中に見る雪景色には感嘆の声しかなく。車中で「鶴女房とか、笠地蔵とかのお話ってこういう場面なんやねぇ」と呟いてしまうくらい、長閑で美しい風景でした。恐らく地元の方にとっては「辛くやっかいな」時期だと思いつつも、その雪景色の美しさや愛らしさにはうっとりしてしまいました。

雪の角館観光。
 観光シーズンには程遠い季節らしく、閑散としてました(桜の季節がメインシーズンらしいです)。ただ、武家屋敷と桜の木々にほっこり積もってる雪が美しく、雪の季節でも充分角館の町並みの美しさは堪能できると思われます。あと、桜細工(樺細工)がオフシーズン価格で、1〜2割引だったのが嬉しかったです(笑)。
 軽く観光して、田沢湖経由で乳頭温泉へ移動しました。

 移動中も雪は降り続いており、滅多に雪なんぞにお目にかかれない私にとっては、雪の中を走るという経験は珍しくて。車中はずっと「凄いね...綺麗ね...」と通常でさえ少ない語彙が、ますます片言になっておりました。また、山へ近づくにつれて気温の変化とともに、雪質が変わっていくのが非常に興味深かったです。

 立ち寄った田沢湖ですが、ホント人っ子一人居ませんでした(^^;;。積もった雪に足跡すらない情景でして、流石に唖然としました(笑)。密かに「遊覧船観光」計画があったんですが、遊覧船が出るような状況じゃなかったです。
 ただ、日が落ちていく時間に立ち寄ったため、湖と周囲の山々が見せる風景は美しく。来て良かった…と心から感じました。

乳頭温泉郷
 同じ宿に2連泊したんですが、お宿も温泉も申し分なく。思う存分に、のんびりとした時間を過ごすことができました。食事は囲炉裏端で山菜&川魚中心としたお料理でしたが、非常に美味しかったです。何より「味噌鍋」が絶品でした!!(元来味噌好きなもので/^^;;)
 また、初日にエゾシカの刺身という珍しいものを頂きましが、鹿の味って意外に淡白なんだな、としか思わなかった味音痴です(ごめんなさい)。
 2日目は、丁度クリスマス・イブということで、食堂入口にある鹿の剥製が「似非」赤鼻のトナカイになってたり、お宿の方が皆サンタ衣装を着けてたり、お料理もシャンパンや鶏肉が出たりと趣向をこらされてました。そんな雰囲気も相まって非常に楽しく美味しいお食事でした。

メインの温泉。
 ほのかな硫黄臭と濁り湯で「温泉に来た〜」感が非常に高まるものでした(笑)。お湯の温度はそれほど熱くは無く、ゆっくり長時間入ってられ芯から体が温まる感じがします。
 さて、当初目的であった「雪見温泉」ですが、想像以上に素晴らしく、雪が降る中で雪景色を眺めつつの露天風呂は本当に最高でした!!

<二日目>
 早朝露天風呂!と意気込んでたんですが、見事に寝過ごしました(笑)

 朝食後、本日の予定会議を開催。
 会議の結果、観光地である小岩井農場に行き会社関係の土産を買う。小岩井が余りにもシケシケだったら、お宿近くのスキー場に行ってみる、と相成りました。

小岩井農場
 えぇ予想通り観光客は殆んど居ませんでした(^^;;。恐らく通常季節であればやってる筈の、シープドックショー等のイベントも全て無く(楽しみにしてたのに/涙)。犬小屋で丸まってる状態の犬たちや、小屋で集まって暖を取ってる毛狩り後の羊の群れなんかをただ眺めてるだけでした(泣)。小岩井自体は広々とした農場、後ろに聳え立つ岩木山が非常に美しくて、目にも心も満足しました(ただ、余りにも人が少なかったのに呆然としただけです/笑)。

 お土産だけ買って(幸いにもお土産物売り場はやってました!)小岩井を去り、スキー場へ向いました。

 このスキーは全く想定外のことでしたが、初日の移動中に宿付近の「スキー場」と、貸スキーの文字を見つけた相方が反応し、急遽、二日目の予定に組み込まれることになったんです。
 が、実は私が一度もスキーをした事が無く、まさかこんな旅行の最中に初体験となるとは、予想もしてませんでした(泣笑)

 齢31にしての初スキーは、
板の履き方からリフトの乗り降り、滑り方止まり方等々相方及びスキー場の方たちに迷惑かけっぱなしでした(笑)皆さん親切にして下さって、物凄く有り難かったです。
 ただ、雪が新雪の粉雪で人が少なくて(2-3組しか居なかった)と非常に「超初心者」には快適な環境だったのは幸いでした。思う存分コケテ雪溜りにぶつかり(それでしか止まれない/涙)、意思とは無関係に滑る(え)事ができたのは、ホント幸せでした。きっと、人が多い中だったら大顰蹙な状態であったと、断言します。ホントに(^^;;。
 また、罪悪感を持つことなく思う存分コケテ埋ってもがけたのは、本当に良かったと。実は、腹筋が無いので一度倒れると、自力では起き上がれず、雪の中でもがいて、相方に救ってもらってました(恥)

 また、人の少ない時期にスキー挑戦できたら良いな〜と無謀な野望を抱いております。相方宜しくね〜(勘弁してくれと言う声が聞こえてきそうです)。

<最終日>
 朝食後、宿周辺にあった「自然道」を散策したんですが。まぁ誰一人足を踏み入れてない銀色の世界が広がっておりまして。時折見かけるのは、野兎や狐らしき動物の足跡だけ。膝上まである雪を漕ぎつつ最後の雪を堪能し、冷えた身体を最後の温泉で温めて帰路に着きました。

 帰途中に「遺跡のBIGNAME(By相方)」らしい、「払田の柵」まで行く事になりました。
(余談ですが、相方と国内旅行すると大概「BigName」な遺跡に連れて行かれます。島根旅行の時は「遺跡巡り旅行」と化した位です/涙)
 県埋蔵文化財センターに車を止め、資料館を見学し、調査員さんにお話しを伺った後、復元されてる南門から政庁まで吹雪の中歩きました(^^;;。
 しかし、名前から想像していたものとは全く違って、平安朝が北まで勢力を伸ばす拠点となった場所、というものを強く意識させられる遺跡でした。柵はあくまでも「政庁=中央」を守るためだけに作られてたんだと思うと、なんとなく当時の中央と地方との勢力関係が薄っすらと思えるような気もしたり…

 その後、再度角館に戻り若干観光し、空港に向いました。が、空港に着いたら濃霧。その為、もしかしたら欠航の可能性もあるとのアナウンスが流れましたが、結果何とか10分遅れで出発しました。ただ、待ってる間の緊張感は堪らないものがありました。

 今回の旅行、色んな「初」体験もあり楽しく幸せな時間でした。
そして、温泉は東北に限る!と再認識した旅行でもありました(青森の蔦温泉といい最高です!)。

ノーベル文学賞受賞作品でしたか...

 旅行中、持参していった「喪服の似合うエレクトラ」を読んでました。「ノーベル賞文学全集20」の中の1篇という、ある意味仰々しいご本。Webで調べた岩波文庫版が何処にもなく、図書館で検索したらこれしか無かったんです。
 この本、表紙画がピカソ、編者が川端康成という、何ともまぁ...凄い本でした。借りた瞬間「どうしよう...」と妙にオロオロした程です。堺さんが関っておられなかったら、絶対手にすることはなかった本だと思います(笑)。ただ、何かしらの縁があってこの「本」と出会い、また静かでゆっくりとした空間で読む事ができたのは、幸せだったと思います。
 
 読書感想ですが、アメリカにとって南北戦争は、大きな「瑕」であり「古き良き時代」なのかもな、というのが第一印象です。
 私が不朽の名作と信じて疑わない「風と共に去りぬ」もそうですが、南北戦争を下敷きにした文学には「家の責任」「罪」「死」そして「再生」といったものが強く感じられてなりません。それだけアメリカにとって、古く新しい瑕であり(国土内で且つ国内で戦争した最後じゃないかと思うんですが...。これ以降国際的な戦争はしてるけど、アメリカ国内では戦闘は無かった筈)尚且つ「家族」が家族として機能していた時代でもある。
 だからこそ、家族の繋がりを通して「責任」を語り、罪を語ることができる。その根底があるからこそ、家族が(内部及び外部からの)要因で崩壊させることで、視点を「個」を写し個々の「罪」や「責任」語り得るんだと思うんです。
 また、更に「個が持つ罪や責任」を一度壊す(揺るがす)ことによって、個々の死と再生がある。その事は個の中に確かに存在してるであろう「家」そのもののを再認識させ、死か再生かを選択させる。
が、それらは元来の「家」とは性質が異なった「家」や「個」でしかない。

 それらに「復讐」という味付けを施す事により、更に深く太古からある人の「業」を描いてる重層的な物語なんじゃないかと、そんな気がしてます。

 また、彼等が常に言葉にする「罪」とは家族の「裏切り」という他に、「絶対的な神」の前に人が持つ根源的な「罪」をも意味してるんだろうな...とおぼろげながら感じました(哀しいかな一神教と多神教文化の違いで、やはりすっきり判りませんが...)。

 今、図書館で「喪服〜」の元になっている「ギリシャ悲劇」を予約してるんですが、そっちを読んだ後にはもう少し違った思いを抱けるんじゃないかと思ってます。

 でも、やっぱり堺さんのオリンと大竹さんのラヴィニアは観たかった。感情が上下し気持ちが揺れ動き、変化しつづけるこの二人。どう彼等が演じてどう表現してるのか、どんなテンポで音で「言葉」を伝えてるのか、そして実際に生きて動いてる彼等を体感してどう「感想」が生まれるのか、非常に興味が尽きません(戯曲はやはり「人が舞台で演じてこそのもの」だと思うようになりました)。
本当に観たかった。恐らく今年最大の思い残しかもしれない(笑)

2004年12月21日火曜日

この一年をほんの少し振り返って

 「一年」が、歳と共に年々早く過ぎてく気がする年末です。が、この一年程充実して、気持ちいい早さで過ぎた一年は久し振りでした。何より、何も無い日曜をもてあます様になるとは予想外の一年となったような気がします。

 去年の今頃は、三谷脚本&香取主演で個人的な期待が高まって、それこそ「わくわく」しながら新年を迎えようとしてました。何があっても1年頑張って見よう!という気合もあったし。
 いや正直、期待だけじゃなくて色んな不安もありました(苦笑)。失礼ながら、脚本落とすんじゃなかろうかとか、NHKから横槍入って三谷さんらしさが消えるんじゃないだろうかとか、脚本若しくは主役交代があるんじゃなかろうかとか。今になっては全て杞憂に終ったことをあれやこれや、思ってました(ただ、NHK的演出とは結果として合わなかったのは予感的中というか、何というか/苦笑)

 そうこうしてる内に各種「大河ドラマ」本を取り揃え(笑)、大晦日には三谷審査員目的で紅白を観続け (の癖に隊士達の応援を見逃してる辺り・・・)、元日は「スタジオパーク」を鑑賞ししっかり応援体勢ではありました(その頃は、三谷氏目当てで、堺山南や山本土方は眼中に無かったです。それが今じゃ.../悔)。

 で始まった第一回。
 初っ端の「顔見世御用改め」場面で「見続けられる」確信が持てました(早っ)。あんなに隊士が居るにも関らず、三谷新選組における各隊士個性が見えることに驚いて。
 それまで、新選組隊士の名前は「近藤・土方・沖田」しか知らなかったんです。それが、個性豊かな隊士を見て瞬時に顔と名前がある程度一致し、「これなら面白いかもしれない」と思えた瞬間でした。

 ただ、終始肩で息をする香取の芝居には不安を感じたのも事実(結局この不安や焦燥感みたいなのもは、30話前後まで残りました)。言っちゃ悪いけれど、当初の香取は「担ぎ上げられる人物」には見えませんでした。何処となく不安感や自信の無さが表立ってるという感じがあって。それでも「きっと大化けしてくれる筈」とか「大丈夫 長丁場だからきっとなんとかなる」と祈るような気持ちを抱かせたのは、香取の人徳だったかもと今になっては思います(笑)。
 しかし、その状態で半年以上過ごすことになるとは、ホント辛かったです(苦笑)。大体バッシングの片翼が香取の演技だったりしたし、もっと頑張ってくれと思いましたよ。香取がなんとかなったらこのバッシングも多少は静かになるんだからさ…とまで思った時期もありました。

 それが、秋以降あそこまで化けてくれるとは!!ホント嬉しかったです。もう少しスタートダッシュさえ早かったら、文句無かったのに、と思えるほど大化けしてくれたことが堪らなく嬉しかったし、愛しくさえなりましたよ(^^;;
 今じゃ、香取でよかったと心から言えます!
 
 で戻って、第一回終了後に案の定、雨後の筍の如く出てくるバッシング。目にする批評にほとほと疲れて(何故に?!)、「マスコミ」では見えない「評価」を求めてネットを彷徨い始めたのが2月頃でした。
 それが、今以て頻回させていただいている、ブロクさんと出会えた契機でした。そこで数々のレビュや考察、史実の新選組の姿についての文章達を拝見し、より深くドラマを楽しめ、何より人知れず連帯感を抱かせていだいた事は、私にとって大きな支えであり収穫だったと思っています。

 そして勢いの余りブロクを始め(笑)「好きとういう想い」を共有することや、繋がっていく楽しさを知ることができました。飽き性の私が半年近く続けられたのは、お世話になってるブロガ-の方達、足を運んでくださる方達のお陰だと感謝してます。皆さん本当に有難うございますm(_)m

寄り道な思いをつらつらと。

 撮影開始から絶え間なくあったバッシング。特に「史実」(若しくは「過去のとの創作物」)との兼ね合いについて、あちらこちらの掲示板に書かれ続けた様な感すらあります。

 昨年のこの時期、まだ始まってもいないドラマへのバッシングが余りに理不尽に感じ、歴史関係の仕事に携わってるしてる相方(史学科出身)に連日「史実とは何ぞや?!」、「歴史と歴史を扱う『創作物』との関係とは如何にあるべきなのか?!」と食って掛かっていた時期でもありました。(相方には当初から迷惑掛けてるな、私)

 1年経った今でも「史実」と「虚構」の兼ね合いとか、虚と実の関係について私なりの答えは出ないままです。ただ、これは当初から思ってることなんですが、所詮歴史ある大河と謂えども「ドラマ」でしかない。そして、描ける範囲(時間や時間軸)が限られてるんだったら、今ある「実」を巧くつかって「虚」を描けば良い。
 その虚構の世界で描かれる「人物や出来事」生きてると思えるのであれば、その世界は成功なんじゃ無いのか。巧く「人」が描ければ、巧く「世界」が構築(勿論最低限の「事実」や「歴史の時間軸」の中で)されれば良いんじゃ無いのか、と。
 今回の大河はそういった意味で、良く出来た「ドラマ」だったと思うのです。

 大上段から「史実とはこう」「歴史とはこう」と言わずに、細かな「実」を「虚」に織り交ぜることで「歴史」の曖昧さ、人が作るからこそ見える歴史の「面白さ」(学問としても、事象としても)なんかを久し振りに味わわせてくれたドラマだったと思います。また、ナレーションが無いが故に「人物」の本音と建前を慮ることが出来、より作られた世界に入り込めたドラマだったとも思うんです。
 だからこそ、此処まで楽しく、満足しながら深みに嵌ることができた。

 ただ矛盾してた思いもあることはあります。
 それは、「歴史ドラマ・時代劇」というには、今一つ違和感、乃至、消化不良な感が残った事は否めない事。こうダイナミックさが足りなかったからなのか、時代のうねりが見えなかった所為なのか、視点が余りにも「ミクロ」的過ぎたのか、拮抗する勢力内部が描かれなかった所為なのか、編集の所為なのか解りませんが。結果として、恐らく時代劇としての「評価」は為されないドラマだろうとは感じました。

 相方がこの1年言い続けた「これならなんで『時代劇』にする必要がある。歴史的背景や設定だけ巧く借りて、変化させた『現代劇』にした方がより切迫感も出ただろうし、物語としてもより面白くなったんじゃ無いのか。三谷の才能ならそれくらいできるだろうに」という言葉が離れませんでした。
 また、その言葉に対して「時代劇」である意義なり根拠を示して、理論立てた抗弁が出来なかったことが、ある意味このドラマの私なりの評価かもしれません。
(ちょっと穿ってみたら、三谷氏が描きたかった何かが、現代劇ではなく「時代劇」という枠を借りてしか表現し得なかったのかも、とふと思ってみたりもします)

 ただこうやって、あれやこれや思いを馳せられるドラマであることは間違いないし、こういった事ができるドラマに出会えたことが嬉しく、幸せなことなんだと実感した週明けでした。

2004年12月15日水曜日

なんとなく呟いてみたい。

 最終話から3日経ちました。悲嘆に暮れてどうしようもなくなるかと思ってたのに、落ち込んでも凹んでも浮ついてもない、普通の状態なのに驚いてます。
 でもこの状態なのは、「新選組!」が綺麗な終わりであったからこそだと。
 ある意味、物凄く幸せな最後を見せてもらえ、充分満ち足りてるからなんだと、そう思ってます。

 「近藤勇の斬首」という史実なり結果は決して「幸せ」ではないし、彼にとっては哀しく無念だったろうし、残された者にとっては辛い結果だったと思います。それは間違いではない。ただ、大河で三谷幸喜が描いた「香取近藤の斬首」は、静かで美しく穢れがなかった。
 誤解を招く言い方かも知れませんが、天命によって定められた生を悔いなく生きた後に訪れる「満ち足りた死」のような趣すら感じられます。

 近藤の斬首直前の表情に、「未来」と「希望」「安らぎ」を見た気すらしました。それほど満ち足りた「死」だったと思うのです。

 更に、残された者誰一人として「近藤の死」を悔いていない。それは「諦め」では決してなく、彼等の未来の糧になってると思うんです。近藤の生き様そのものを「受け止めて昇華」し、己の中で再生産してる。
だからといって、近藤の死を彼等は決して忘れることは無い。
 そんな確信すら抱かせられました。

 そう思える最後だったから、土方が転戦する意義や意思や思いが、島田が生涯「新選組」を忘れなかった事が、永倉が近藤らの慰霊碑を建てたのが朧気にでも解るような気がするんです(遥か遠くに霞んでる蜃気楼を見てるような、そんな遠い遠い感覚です)。

 最初から最後まで、「史実を捻じ曲げてる」とか「史実と違う」とか、果てには「実際の人物はもっとこうだった」とまで言われ続けた、物凄く珍しい(苦笑)大河であったと思います。多少の虚構があったり、史実と異なる部分はあったにせよ、彼等は決して「史実」を蔑ろにも無碍にもしてはいない。逆に史実やこれまで創られた物語に対して、このドラマの作り手は謙虚であったり、敬意を払ってるとすら思います(愛情すら感じる)。
 キャストの発言からでもそう感じます。実際に生きてた人の「生」と「死」を演じることの「深さ」や「重さ」を理解し、彼等の「生と死」に対して敬意を払ってる。だからこそ、役と同化し得「抜けない」という言葉が出てくるんだと。じゃなきゃ、たった1年のドラマで、実際の土方や島田や永倉が残したエピソード等に対して思いを馳せる事はできないです。それも「畏敬の念」を抱きながらなんて事できません。

 そんな最終話だったから、あのカーテンコールで幕を下ろせたんだと。大河枠でなきゃ作られなかったであろう「新選組」という物語を、TVという「劇場」を使った「舞台」を、心行くまで堪能出来た事が本当に満足だと思えることが嬉しいです。
(そうか・・・TV「ドラマ」じゃなくTVを使った「舞台」だったんだよね。やっぱり・・・)

2004年12月13日月曜日

良くやったテレ朝。

 有り難うテレ朝!
 これはNHK制作か?!と思うような『新選組!』映像を使いまくった番組作り(つうかNHKが良く許可したよな、放映中だったのに)、あ〜んど、FANのツボを押さえ尽くした、充実且つ見事な「スマステ4」を有り難うございましたm(_ _)m
 しかも、全員スーツ姿という眼にも麗しい姿を堪能させて下さるなんて!(堺さんのスーツはやっぱり微妙でした/^^;)

 地方公演中の魅惑の「総長&副長コンビ」は、中継ではありましたが(やはり荒技は無かったか/^^;)それでも充分満足でした。副長の心底寂しそうな様子、総長の相変わらず「知的」なのに「天然」な発言なんかを、あそこまで徹底的に見せてくれるなんて…何と言っていいのか…嬉しい(え)

 ツボは全部ですよ!
 冒頭の香取局長の何とも言えない「嬉しそうな」笑顔や山本土方やぐっさん(三谷氏)に楽しそうに突っ込む様子とか、堺さんが話すたびに「山南さんだ…」といちいち反応する姿とか。
 堺山南さんの皆(特に年少組)を見守ってるような微笑と腕組みと、「(山南さんが切腹された部屋を訪れた際)何も感じなかった」とか、役が抜けてるか聞かれてるのに「確かに声が遅れるのが気になる」という、何処まで「天然」なのか解らないご発言(笑)とか。
 山本土方の「ぐったりしてる(by香取局長)」状態で、現場の乗りが掴めず寂しさと相まって少々憮然とした感じなのに、飲み会の話になると「俺が仕切るから!」と突然積極的になる様とか。
 藤原総司の無邪気さ、ちょこちょこ落ちつきなく、堺山南さんが写ってるモニターに悪戯してる様とか(彼はホントに総司だよ…)。
 勘太郎平ちゃんのやっぱり「平ちゃん」な笑顔で礼儀正しい様とか。
 ぐっさん新八の物真似やさり気ない鋭い突っ込みとか(ずっと「ここはテレ朝」と言ってるのが可笑しい)。
 山本左之の豪放磊落で、此処まできて三谷さんに駄目だしされてる様とか。
 小林源さんのさり気なく皆の傍にいて穏やかに見守ってる「源さん」な様とか。
 照英島田の熱い思いとか「時代劇」に対する思いとか(笑)。
 吉弥山崎の不可思議なスーツ姿(笑)とか、やっぱり木曜に飲みに行った話とか。
 三谷氏のラメ入りスーツとか(最近のブームなんでしょうか?あの手のスーツ。『なにわバタフライ』の発表の時もラメ入りだったような…妙に似合ってない気がします/苦笑)、「お金が無かった」発言とか、この期に及んでも駄目出ししてる様子とか。

 一昨日の晩大阪で「朝まで」飲んだ吉弥山崎の「暴露」が可笑しかったです。つうか、大阪まで『新選組!』のビデオ持参するって事も大概驚きましたが、一晩で5回も見る山本君って…何者?! 君は今「はらはら時計」のリーダーじゃないのかい?!
 それにお付き合いされた吉弥さん、お疲れ様でした(そりゃ「この人」呼ばわりもしたくなるわ/^^;)。

 結論:みんな仲良し過ぎ(笑)きっと前室もこんな感じだったんだろうな、と思わせられました(あんな状態じゃ確かに女性陣は入れませんよ/笑)。こんな半プライベートな映像を公共放送で流して良いんでしょうか?と思うほど、皆さんリラックスしてたような(笑)

 ところで、香取の京都ロケ中の言葉には胸を打たれました。
 偉そうな表現ですが、「何か変わった。一皮どころか何皮も剥けた香取慎吾が現れたんじゃ無かろうか…」とすら思うほど。特に三条河原でのコメントは言葉を失いました。晒された近藤首級と己の今の姿を重ね合わせられる、そしてその状況を思いながら橋の上の人々を眺められる。その「強さ」には脱帽しました。

 そして、VTRを食い入る様に見つめる出演者の姿に「プロ」としての姿勢と、作品に対する愛情や誇りを感じましたよ(そして「香取局長」に対する愛情も)。

 しかし、やっぱりお金なかったんですね…NHK(涙)。山崎の水葬は映像として見たかったぞ!!
 けど、今回は地方ロケも群衆シーンも馬の数も例年と比べて少なかった筈だし、ロケセットも余り組まなかったと思うんですが…一体何故そこまでお金がなかったのか?疑問です(苦笑)

さぁこの様子だと、座談会期待できそうですよ!!(期待の方向が違うのは解ってます^^;)

新選組!最終話【愛しき友よ】感想

有り難う。
有り難う。
有り難う。
一年間、本当に有り難う。
その言葉と涙しかありません。

いつも以上に感情だだ漏れの纏まりのない感想です。

○香取近藤
・冒頭の近藤の静謐な佇まいから最後の「とし」まで涙溢れて仕方なく。
・最後まで託された役割と期待から目をそらすことなく、ただまっすぐに実直に、死すらも己に託された役割と受け入れる近藤。
・そして、軟禁されてるお宅の娘さんを見て、僅かながらも「生きよう」とする姿に、残さざるを得ない「家族」への思いを感じてしまいました。そして、まさか拳骨を口に入れる場面が、これほど切なくなるとは春先には思いもしなかった…。
・徳川からは切り捨てられ、勝のみならず西郷にも「意味ある死を託され」た時の近藤の表情があまりにも、透明で全てを受け止める、そんな言葉では表現できない何かもっと大きな器を見た気がします。
・ただ一番切なく哀しかったのは、転がるコルクでした。何故、ここまでの孤独を香取近藤に与えるのか…せめてせめてコルクだけでも…愛しそうに懐かしそうに慈しむようにコルクを持ち眺めてる近藤の目と、転がったコルクを見るなんと言えない瞳が切なく哀しかった(この場面、声あげて泣きました…)。
・つねちゃんと無言で見つめ合う場面。京へ旅立つ時と同じ構図は止めて下さい…切なさが倍増するから…と呟いたほどです。つねちゃんと近藤にとって、京へ向かうも刑場へ向かうのも同じ重さだった。ただ、「確実に」戻ってこれない事しか違いは無いのでは。
・左之の「尽忠報国の志あっぱれなり!新選組は不滅だ!」に懐かしく暖かく僅かの時間でも「安堵」を与えられたのでは。
・そういえば「尽忠報国〜」って、桜田門外の変で鴨が亡くなった浪士達に言った言葉なんだよな…それを左之が近藤に掛ける…なんかもう
・「とし」
・解釈も感想もありません。ただ、彼が発した言葉を受け入れて残しておくだけです。

 前回からですが香取近藤の姿や纏う雰囲気全てに、ある種の神性すら感じました。これこそ一年間描いてきた「香取近藤」が揺るがず、貫き通した結果だと思います。
 三谷が何処まで計算して描いてきたのかは解りませんが、この最終回が香取と三谷の描く近藤像が巧く合致した結果だと。長い長い助走を経て、走り切った場所が「此処」だと思うと。感慨深いのか着地が見事すぎる所為なのか、言葉がありません。
 香取君、ホントによく頑張ったと思います。最初〜初夏まで「どうなる、香取慎吾。このままで行くのか?頼むわ…」とどうしようもなくマイナスな印象しかありませんでした。それが、ここまで新選組局長「近藤勇」になってくれるとは。大河ドラマ常とは云え役者の成長するときの勢いなり、求心力をまさざまに見せてくれたこと感謝します。
 有り難う。そして、お疲れ様でした。

○山本土方
・最後まで戦って、何かにぶつかって、けれど絶対喪わない「柔らかな、大切な部分」が魅力的でした。
・勝に助命嘆願する歳の表情が、最初から泣いてるんですよね…なのに、勝に「死に場所=生きる意味」を与えられた時は、近藤と同じように勝の言葉の裏を理解し受け入れる。そして、拠を与えられたことに安堵を覚えた感のある表情が、絶品でした。
・逆に、実兄の前で「土方家に泥を塗った」と辛い心情を吐露し、兄に京の出来事や今や未来を肯定されて、受け入れられた瞬間の静かな涙。かれの6年間が昇華した瞬間じゃないかと思います。
・これがあったから、彼は「変わること」を許され、函館まで「指揮官」としてやっていけたのかとすら感じました。
・戦場で総司に馬鹿にされると呟き、コルクを眺める姿が漸く何かから解放され、本来の土方として成長を始めたと思わせられます。あぁ続編見てみたくなりました(笑)
・しかし、女性を見る目は相変わらず細かいことも忘れず描写され、僅かですが癒されました。

 この土方は、休むこと(歩みを止めること)を許されない役だったと思うんです。しかも感情の振り幅も割合大きく、多くの顔も見せなきゃいけなかった。そんな土方を1年以上にも渡って「三谷脚本」と「演出」と「己の演技」とを見事に摺り合わせた技量には脱帽します(恐らく彼の基準は「三谷脚本」だったとは思いますが…)。本当に素晴らしい吸引力と魅力的な土方を有り難う。
そして何より『チーム新選組!』の要で居てくれて有り難う。
 長丁場、ホントにお疲れ様でした!

○藤原総司
・救いのない孤独
・誰からも愛されて、才能もあって本当なら幸せな生涯の筈なのに。
・過去も今も皆、総司の臥せっても喪われない明るさや、無邪気さ、聡さに癒されてるんです。ただ、総司自身が余りにも生き急ぎ、聡すぎるから。最後には救われない彼自身が痛々しく切なくてなりません。
・刀を奪われた孤独と、心通い始めた矢先に「大切な女性を」喪った孤独、仲間が去って行く孤独、誰からも真実を告げられない孤独。けれど、彼が感じる孤独は皆が彼を「大切に」掌中の玉の如く慈しみ、愛してるからこそだと、彼が識ってる事が一番彼の幸せであり不幸な所なんだろうな…

 藤原君については、これまでも散々書いてきてますが。天才だよ…とか決してTVに収まる役者ではないよな…と納得させられた1年でした。あらゆる矛盾と成長を混ぜ合わせた「沖田総司」を、なんとも軽々と演じてる藤原竜也を見れただけでもこの1年嬉しかったです。
 撮影初盤と終盤には蜷川シェークスピアの舞台と重なっていたそうで、お疲れ様でした。そして有り難う。

この調子で書いていくとキリが無いので…

・新八の「近藤さんを悪く言って良いのは、苦楽を共にしたものだけだ」は、新八最後の名台詞だと思います。そして、新八が新選組に対して抱いてる思いの複雑さも感じました。ぐっさん、大人な新八、お疲れ様でした。ぐっさんの物真似ネタで裏話がどれだけ楽しかった事か(新八への思いとは違う方向に行きそう…)。有り難うございました!
・左之。左之の明るさに近藤は救われたはず。本当に有り難う…山南さんの遺志を大切にしてくれて。本当に本当に有り難う。きっと、大河の左之は馬賊の首領になってると思います。
じゃなきゃ、おまさちゃんと茂があんなに暖かで穏やかな表情してないもの…
山本太郎さんお疲れ様でした。そして、楽しい突っ込みどころの多い左之を有り難うでした!
新八&左之コンビにどれだけ楽しませてもらったことか!お二方お疲れ様でした。
・つうか山南さん卑怯ですよ…あんな所に何時の間にあんな落書きしたんですか…(大泣)
・斉藤一。容保公から虎徹を押し頂く姿に涙しました。そして、関で名乗りを上げる姿が「人」として生まれ変わった斉藤を見た思いを強く。
 自らの意志で何処にも属さなかった一ちゃんが、誇らしげに名乗りを上げた。そして、恩でも義理でもなくただ自らの思いを軸に、京へ向かう。胸が熱くなりました。
 オダギリ君、可愛くて頼もしい斉藤一役お疲れ様でした。当初「捨て犬や…わんこや…」としか思えなかったのが、どんどん「人」として生まれ変わって行く。そんな不思議な過程を見せて貰いました。有り難う。
・捨助。最後までどうしようもなかったけれど、かっちゃんが大好きで、傍にいたかったのに居れなかった
。哀しいけれど、滑稽な役だったと思います。獅堂さん、お疲れ様でした。
・野田勝。幕引き役としては最高でした…野田さんが勝で良かったとしか云えません。
・宇梶西郷。懐の深さと深謀遠慮と「情」が見える台詞。最高でした!正直、宇梶さんで西南戦争を見てみたい気がしてます。
・古田有馬。最後まで「武士」として近藤を扱い、旧来の武士階級が持っていた「情け」を捨てること無かった有馬が格好良いとすら思いました。そして、己の力が及ばなかった悔しさも含めて「古田有馬」は強烈な印象を残しました。あぁ古田さん(熊さんみたいだけど)格好良かったです。
・筒井容保公。筒井君の「人の好さ」が最後が近づくに連れ悲劇的に見えて仕方無かったです。
・石黒桂(木戸)。まさか最終話に出てくるとは思ってなかったので、吃驚しました。これで見てる方も綺麗に落ち着きました。
・今は亡き源さんこと、小林源さん、お疲れ様でした。

○以下最終回のくせに愚痴ってます(愛溢れるあまりの…だと思ってもらえたら嬉しいです^^;)
・捨助の最後に関して。捨助の存在狂言回しというか、道化役という理解をしてます。ただ、最終点が「死」であった、その事は殉死と捉えざるを得ないとは思うんですが、それでもやはり唐突感が拭えず。もの凄く勿体なかったな…と感じてます。
・最後までしつこいようですが。今回はもっと全体というか、ロングショットで見たかったです。こうも「顔・顔・顔」ばかりのアングルだと、リズムが悪く感じるし折角のお芝居が…で、画面の切り替えも違和感があって…言葉は悪いですが、紙芝居みたいだと何度か感じました。ホント最後だけに勿体ないし、悔しくて仕方ないんですよ…
・最後まで三谷脚本とNHK的演出が咬み合わなかったんだろうな…と思ったりします。ドラマ半ばにはこれは相性良いやん、と思う演出家さん達も居たのにな〜何で最終回が…
・最後までしつこいようですが、その2。藤原君おねだり山南さん追加撮影場面は結局カットでしたか?!それとも藤原君の悪戯か?!その辺どうなんでしょうか…

と愚痴ってはみましたが、心から満足し素晴らしいと云える作品だと思ってます。
ふでさんの「近藤勇良く戦いました」ではありませんが。
三谷さんとキャスト、スタッフの皆さんに…
「チーム新選組!素晴らしい作品を有り難う!」と申し上げます。
視聴率という「記録」には残らないでしょうが、視聴者の心に「記憶」に刻まれた作品だと思います。
そんな作品を有り難うございました。
そして、一年間以上に渡っての制作お疲れ様でした。

最後に、三谷さん!
お疲れ様でした、そして有り難うございます。
なんか、ホントこの一年間三谷さんが紡ぎ出す言葉の流れに飲み込まれ、翻弄されました。
それが心地よい流れで、思う存分翻弄されたことが嬉しくてなりません。
そして、素晴らしい役者さんを集めて下さった事も感謝です。

みんな大好きです!!!

『リンダ・リンダ』

 一言で纏めるなら、副長もといヒロシに魅了された3時間でした(笑)。山本君のお芝居のみならず、説得力のある歌、声、アクロバティックな動き、ダンス全てが魅力的で視線を外すことが出来ないほどでございました。水を得た魚の様な姿を見るに付け、彼は「舞台」の人で、舞台でこそ「輝く」人だと改めて感じることが出来ました。
 また、役者さんの勢いと絶え間なく流れる音楽に飲み込まれて、感情も何もかも翻弄され良い疲労感の残った舞台でした。

 話については、あらゆる場所で詳細且つ丁寧なレビュが上がってるかと思うので、省略します。
 鴻上さんの舞台初めてだったんですが(サードステージの舞台はDVD等で鑑賞してますが、鴻上さん作・演出ではなかった)、テーマ深さと舞台の明るさが対照的で衝撃を受けました。何より、台詞が度々突き刺さって。鴻上氏が持つ「柔らかい鋭さ」が己が触れたくない部分を的確に刺激してるから感じる、痛さ、それらを再認識する心地良さすらありました。
 恐らく精算されないまま今日まで残され、うやむやになってる学生闘争、過激派の過去と現在。その後の経過や現状が表舞台から消えた感のある、(諫早湾干拓に代表される)公共事業の在り方。
 男女の関係性。
 才能と限界。
 個人の過去の精算。

 決して簡単に答えは出ず、個にも社会にも還元できそうなそんな事が織り交ぜられながら、個の集まりであるバンドを軸にし、個々の動きを追う視点がぶれない。個々の動きも「矛盾が無い」事、そんな「当然」の事に驚きを感じます。また、物語であるのに、個や舞台で語られる事情の「現実感」に鳥肌が立つ程でした。特に諫早湾の堤防が落とされる映像には眼をそらしたくなるほどの、恐怖を感じました。と同時にそれらを「一時の話題」として扱い、今はすっかり「過去」の出来事として扱っている私自身に腹立ちすら覚えました…。

 出演者ですが、山本耕史の一人勝ち(笑)状態はさておき。もう一人の主役でもある、松岡君。流石歌手!ソロで歌うときなんか「美しい」とすら思えました。けど、哀しいかな山本君の艶と説得力の前にはもう「少し頑張れ!」と思うほど生彩を欠いていたかと思ったり(初舞台であれなら「素晴らしい!」とは思いますし、底力はある方とお見受けしたので…今後の飛躍を期待する意味での言葉だと思って下さいませ^^;)。

 この舞台、舞台を生業とされてる方と、そうで無い方の「柔軟性」や「瞬発力」の違いを垣間見た気がしました。恐らく「何かトラブル」があった際の対処は当然ながら「舞台役者」さんの方が慣れてる分、タイミングを誤ることなく流れを元に戻せるんだろうな…、と何度か思わせられました(台詞を噛んでも巧く誤魔化す山本君とか/笑)。

 で何度も出てきてる山本耕史君、一人勝ち状態(笑)ですが。舞台が小さく思える程、動き回って人一倍多いであろう台詞を言い、ここぞとばかり歌い踊る。そして、奥の方で小芝居(笑)も忘れない。ホント、舞台(ミュージカル)役者でした。歌も決して技巧的では無いと思うんですが、何かしら説得力があるんです。恐らく「芝居」の流れに乗り、その役として歌ってるからだと思うんですが。思わず聞き惚れる、そんな感じの歌でした。

 踊りは、流石「体作り師匠(って何?)」。体の動きでしっかり魅せてくれました!バック転に始まる一連のアクロバティックな動きも、流石だ〜と(笑)妙な感動すら覚える程。しかも、時折「強気」で「俺様」な台詞や様子がある度に、「土方がおる」「俺様何様土方様ヒロシ様山本様がおる」と的外れな感想を抱くほど素晴らしかったです(何処が素晴らしいのか?!)。というか、まだ「土方」抜けてないのとちゃうのか?と思う瞬間が度々ありました(翌日のスマステ4で抜けてないことが発覚しましたが/笑)。

 そして、カーテンコール。都合4回ありまして。一番最後には山本君が「もう終わりで〜す」と言う程でございました(あまりにも可愛らしい様子で嬉しかったのは内緒です/^^;)

 しかし、今回何が一番印象強いって…。斜め後ろの席に鴻上さんが座られた事ですよ(笑)。開演直前に座られ、思わずサイン求めに行き「サインはお断りしてるんです。握手でも良いですか」とおっしゃって下さり、図々しくも握手していただいた事が一番嬉しかったです(あんな間近で演出の方見たのはホント初めてで、吃驚しましたよ…)。
 しかし、斜め後ろに鴻上さんが居られると思う、やたら緊張した観劇時間ではありました(笑)

2004年12月9日木曜日

古典芸能初体験とな。

 昨夜、山崎蒸こと桂吉弥さんに引き寄せられ、行ってきました「駅寄席 第6弾」。

 前売りどころか当日券も開演前には売切れだと知った時には、恐るべし「『組!』効果」と思いました(笑)が、予想に反して客層は老若男女と幅広く(桂山崎効果で若い女性ばかりかと思っていたもので^^;;)、皆さん「落語」そのものを楽しみにされてた感じがあり、とても落ち着いた感じを受けました。
 また、会場自体は旅行会社の受付周辺の一角を使っており、時折電車の音が聞こえたりもしましたが、50
席とこじんまりとしており、それが寄席が持つ身近な雰囲気を醸しだしてるようで、居心地の良い空間となっていたかと思います。
 あと、お囃子が(当然ながら)生だったのが嬉しかったです。

 で、肝心の演目。
 最初に高座に上がられたのは、桂阿か枝さん。噺は「牛誉め」。
 粗筋(っていうのか?)は、物覚えと口の悪い「あほ」が、普請されたばかりの家の大黒柱にある節の隠し 方を教えて駄賃をもらおうとする(子供のお使い程度の小遣いです)。で、友人(若しくは目上の知りい)に教えられたとおり(カンペを見つつ)屋敷を誉め節の隠し方を教え、計画(そんな大層なものではないですが・・・)どおり駄賃をもらう。で、最後に誉めた牛に…
 という、噺でした(解り難い粗筋ですみません)。

 この噺、何が凄いって、滔々と出てくる「誉め言葉」の数々。特に普請に対する言葉は、こんなにあったのか?!と驚く程でした。言葉自体は30%くらいしか理解できなかったんですが(苦笑)、言葉の音とリズムだけで「その場に立って見てる」ような感覚になったのが、これまた凄いというかなんというか。

 ただ、時代設定が今一つ安定してなかったのが僅かですが辛かったです(^^;;。言葉使いや普請の様子、小道具からして、恐らく昭和初期までなんだろうと思ったんですが、もらったお駄賃の金額が、1000円だったのが..。これは噺家さんの苦肉の策なんだろうな、と解るだけに本当に惜しまれました。
 確かに、貨幣価値なんかは時代によって大きく変わるし、「○銭」と言われても実際如何ほどの価値があるかなんて瞬時に解りません。なので、そういった部分は変化しても良いと思うんです。けど、折角の雰囲気がなぁと思ったのは事実でした(偉そうですみせん)。
 その部分以外は、本当に楽しませていただきました(^^)

 次が、我等が(え)桂吉弥さん。噺は「蛇福草」。
 粗筋は、夏真っ盛りに餅好きな男が立ち寄った友人宅で、売り言葉に買い言葉の結果「餅箱一箱の餅」を食べる羽目になり、帰宅後もらった蛇福草(人を呑んだうわばみの胃腸薬で人を溶かす草)を飲んだら...、
というある意味ファンタジックともホラーともいえるような不思議な噺でした。

 吉弥さんに関しては、長くなります(笑)。
「米朝一門のルー・大柴。桂吉弥です」(そう言われれば確かに似てる/笑)から始まった吉弥さんの高座。
吉弥さんの大師匠であり人間国宝でもある桂米朝さんの話から、米朝さんのところで修行されてた際の弟子と師匠との遣り取り(師匠への気遣いだったのに、突っ込まれたみたいな)の話。そして、寒くなってきたらイルミネーションが多くなりますね、という時候の話をされた後、「寒いので真夏の噺を」との一言で、一気に季節も時代も飛び越えました。

 浅はかながら、『組!』関係のお話されるかな〜と思っていたんですが、一切ありませんでした。それはそれで、「駅寄席」という場では当然だと思うので「何で無いの〜」消化不良にはなりませんでした(ちょっと残念でしたが/笑)。

 で、生吉弥さんを見た印象は、当然ながら「山崎やない」でした。
 あの役は「吉弥さんの抽斗の一つ」でしかないことや、落語家さんとしての「何か」をきちんと持って構築される方なんだと思った事が、なんかとても嬉しくて。本職に対して「真摯」できちんとされてる方の存在感や、凛々しさは美しいと思うので、それを見させていただいたのが、嬉しくてなりませんでした。

 落語をされてる桂吉弥さんは、予想以上に「動く」方でした。特に、「餅の曲芸食べ」を披露されるんですが、それが非常に大振で(曲芸だから仕方ないです)さも楽しそうにされてる姿なんかは、上半身がお座布団の外にあった程です。
 そういうのを見ていて、恐らく見当外れとは思うんですが、なんか桂枝雀さんっぽいな〜という印象を受けました(枝雀さんの高座での行動範囲の広さとか、表情豊かななのに「きちんと」されてる噺が好きでした。全集欲しいな/え)。

 しかし、餅の食べ方が本当に美味しそうで美味しそうで。思わず、「今すぐ、焼きたてのお餅を食べたい...」と思うくらい美味しそうでした(笑)。それより何より、無いはずのお餅が見えるんですよね〜
落語の表現力って凄いな…と感心しました。

 で総括(え?)
 枕から小噺、そして噺に入っていく意味が、生で聞いて初めて理解できました。導入部で、やる噺の大まかな構造や補足的な事を説明するから、噺が始まったら「違和感無く」「すんなり」その世界に身をおけるんだな…と体感させてもらいました。
 更に、落語は下地が要ると改めて感じました。特に「江戸〜戦後」までの風俗を知ってるか知らないかでは、楽しさ(可笑しさ)が絶っ対違う筈(今回のだと、和風建築の作りとか装飾とか)。ただ、決して堅苦しい「伝統芸能」では無い。噺家さんが連れって行ってくれる、世界で「遊ぶ」事が一番大切なんだな〜と思えたこと。
それが一番の収穫でした。

また、こういう機会があったら「寄席」に足運んでみようと思ったり。

2004年12月6日月曜日

むっちゃ複雑な気分です。

「まるごと 川原泉」第3号を捲って驚きました。

 『笑う大天使<ミカエル>』映画化ですって!しかも、実写で...。2006年公開予定らしいですが。

 喜ぶ前に「ネタじゃないのか?!」と疑うあたり駄目ですね。ってか、何で今頃映画化なんでしょうか?
 肝心のキャスティングは、史緒だけしか載ってなくて上原樹里嬢。映画『スゥイング・ガールズ』での彼女を見る限り、なるほどな、良いかも、と納得です。

 が、その他のキャストは??。ねぇ??
 身長154センチでコロッボクルな柚子は?
 ぼーっとしたオスカルの和音は?

 和臣殿下は?
 サー・ロレンスは?
 アンドレこと(違)俊介は?

 なによりダミアンは一体どうするんだ?!

 と物凄く気になって仕方ないです…。

 実写だと、あのお呑気な世界や珠玉の言葉達はどうなるんだろうか、と非常に複雑な心境です。蓋を開けてみないとどうとも言えないのは、重々承知してるんですが、川原作品の中でも、一番好きな作品だけに。
複雑な気分です。

 あぁ。キャストが気になります。せめてせめて猫かぶり3人組だけでも早く知りたい・・・

一夜明けて。

 年末に向けてカタルシスを味わうのが、大河ドラマの本来あるべき姿なんじゃないのか?!
 こんな風に一場面一場面に声をあげて泣きたくなるような終盤じゃなくてさ...
 もっとこう紗が掛かった過去を穏やかに「回想」するのが、大河の終盤じゃないんですか?!
 そんな回想場面すらなく(いや・・・回想場面が挟まるたびに「冗長じゃないか・・・」と思う私が言う事じゃない)、この期に及んで「未来」を語る大河って・・・。
 しかも、台詞や役者の佇まいだけで過去が振り返れる、しかもそれらが全て「明るい」ってどういう作りなんですか?!

 何度も言うようですが、多摩編と鴨編に費やした半年は決して無駄じゃなかった。あの時期が緩やかで明るかったからこそ、今のドラマがある。
 死んでいった隊士達のみならず、生き延びる者達も、死に赴く人達も、敵である筈の薩長側の面々も、全員が活きてる。誰一人として無駄にせず、どの台詞も無駄じゃない。
 近藤・土方・沖田の中で全てが息づいて、新しい何かを産んでる気すらしてます。

 あぁ、もう・・・三谷さんに平伏しますよ。ホント…ホント色んな部分で悔しくてなりません(何者)。
 
 確かに、新選組!は紛れも無く「大河ドラマ」でした。
 当初吉川チーフプロデューサががおっしゃっていたという、「古い器に新しい酒を入れる」の言葉通りの大河だったと思います。この新酒はホント美味しかった。器に負けない美味しさと品格があったと思います。
 けど、結局「鬼っ子」な存在であることには変わりないと、そうも思います。鬼っ子で在るが故に、強烈な存在感と吸引力があった。だから、ここまで深く受け入れられ愛された存在に成り得たんじゃないかと。
作り手と受け手との関係が、信頼と密接な愛情を保ちつづけた大河は珍しいんじゃないかと思います。
 なんか、双方向の関係というのか、互いに受け止めあったというのか、そんな気すらしてます。

 大きな河の流れに翻弄されつづけた、この一年。楽しかった!! 
 まだまだ総集編もDVDも残ってる!
 今月一杯といわず来年も充分翻弄させてもらいます!!

2004年12月5日日曜日

新選組!48話【流山】感想

 彼らの過去や関係を重ねながら終焉に向かっての下地を作り、それぞれの最後の「歩み」を意識させられた回でした。

 最終回に近づくのがこんなに辛く哀しい「大河ドラマ」になるとは、当初は思いもしませんでした。これまの「大河」は「栄華」を極めた余韻がある中、どちらかと言えば「大往生」に向かう流れがあったと思うんです。なのに今回と言えば、栄華を極めた時も短ければ、その余韻すらくただただ「破滅と死」に向かっていくのみ。それなのに、彼らの歩んだ過程(人生)に対して、どこかで「満たされた」感すら抱いています。哀しく辛いけれど何かに満たされた最後を共に歩んでいる、最終回を目前にそんな不思議な思いを抱いています。

以下雑感

○旗の後
・何も変わらない歳の姿が、愛しい。
・そしてそれを呆れつつ眺めてるかっちゃんも愛しいです。
・場所の由来を説明する周平が、水を得た魚のように活き活きとしてて、近藤ならずとも目を細めますよね。彼にとっての京都〜勝沼の日々は辛かったんだろうな、と思わせられる場面でした。
・幹部会議の人数の少なさが…。空間の広さが…。もう勘弁して下さいです。
・斉藤は注目されることにも慣れてなくて、話題になるのも慣れてなく、感情のまま動くことも無かった。それが見える場面が微笑ましくてなりませんでした。
 だからと言って、照れを誤魔化すために尾形君に向かっていっちゃ駄目ですよ(^^;;。尾形君が余りにも可哀想だから。
・近藤に「流山」と、しかも期待感を込めて言わしますか(涙)

○勝meets西郷
・良いモノ見せていただいて、お腹いっぱいです(^^
・勝の言わんとしてることを、無言で察し答える西郷に、政治家というより「人」としての器の大きさを感じます。そして、それが出来るであろうと「確信」し相手の懐(陣地)に飛び込んだ勝の肝の据わり具合や、才覚にも「凄さ」を感じます。
・「器」の素材も質感も違う二人なのに、人としての「器」が近似してるが故に多くの言葉を費やさなくても、分かり合えるんだろうなと感じる場面でした。

○総司と近藤
・来るはずのない未来を楽しそうに語る二人。儚くて暖かくて優しくて、だから哀しい。
・そういえば野試合。助太刀の総司、楽しそうだったよね…。左之が勢いで参加しちゃうくらい楽しそうで。きっと、そんな過去を共有してて相似形の未来を二人で描けた事が、あの瞬間の二人にとっては濃密で幸せな時間だったんだろう。
・そんな時間を共有させてくれて、有り難う。
・あれは過去を振り返ってるんじゃなく、これから続いて行く未来への約束なんだと思います。

○総司と斉藤
・彼らの間にも「友情」が存在していた事。そこに救われました。
・彼らの友情は、総司と平助が築いたモノとは違うけれど、同じ目線で語れるモノになったことが嬉しいのか、語れる期間が余りにも短いことが哀しいのか…。ただ涙が溢れた場面です。
・斉藤の優しさと総司の覚悟。斉藤の覚悟と総司の優しさ。どれも京都の過酷な日々で培われたもので。それが瞬間でも交叉して、互いをまっすぐ受け止めている彼らが「汚れない」存在に見えました。
・願わくは斉藤が再び訪れる時まで、総司の命が喪われないように…(涙)

○流山
・歳の前向きな態度が、痛々しいのか喜ばしい事なのか良く解らなくなってきました…。ただ彼にとって、組織作りはある種生き甲斐となってるんだろうな、とも思ったり。

○古田さん登場!
・すみせん…………振り返った瞬間、何とも言えないあの格好と表情に笑ってしまいました(^^;無茶無茶インパクト大きかったです、古田さん…
・しかし、独特の存在感や眼力は素敵です。

○新八&左之
・この二人も別れ別れになるんですね…
・宇八郎の挿話も浮いたままにならず、きっちり着地したことに安堵しました(苦笑)
・左之。おまさちゃんと茂が京都で待ってるから!寄り道せずに帰って〜(涙)

○流山その2
・有馬と近藤の駆け引きが始まり、画面中の空気が引き締まった事に吃驚しました(この期に及んでまだ香取の力量を見誤ったようです/謝)。
・大久保大和が有馬に「近藤勇の想い」を伝える場面。古田有馬の受け方も素晴らしかったんですが、まさか香取近藤があれほど感情を抑えつつも迸る何か含みつつ、切迫感と緊張感、怒りや諦めなんかを綯い交ぜにした表現をするとは思いませんでした。
 あの場面中ずっと体が震えており、それ程の衝撃を香取近藤から受け、心から素晴らしいと思いました。
・捨ちゃんが出てきたときには、土方じゃないですが。ほんとこいつどうしようか…(笑)
・しかし、捨ちゃんも成長したよな…あそこであれだけの口上述べるなんて!(失礼な驚きです)
・捨をこっそり撃とうする土方に、笑みを誘われるって、すっかり末期症状かと思います。
・周平との別れが、穏やかで良かった。周平の未来が幸多きモノであるように…
 近藤の言葉が「遺言」だと周平は理解してたんだろうな。聡い子だから…
 香取近藤と浅利周平が親子に見えました。それって凄いことだよね、ホント。

○かっちゃんと歳
・近藤の前に平伏隊士達と立ちつくす近藤・土方。あぁ彼らは多摩の百姓から「直参」になってたんだと。 隊士達にとって彼らは仰ぎ見る存在だったんだと、改めて感じました。
・最後まで近藤の「未来」は土方が見て、土方は近藤の未来へ続く路を整備してる。
 これからも、土方は近藤の前後を警戒しつつも、共にその道を歩んでいくつもりだったんでしょうね。
・一人柱に向かってる歳。覚悟が決められないのは、かっちゃんに対する思いが強すぎるから。かっちゃんと歩んだ道が険しくても、彼にとって満たされたモノだったんだろう。
・かっちゃんの覚悟を聞く前から、目が赤くなっている歳。以心伝心って言葉が浮かびました。
・縁側でコルクを見せ合う二人の姿。それだけで泣けて仕方なかったです。
・縁側の二人の台詞は、三谷が香取に対して聞きたい言葉でもあり、一年間近藤・土方を演じた二人への労いの言葉のような気がしてなりませんでした。
・かっちゃんと歳が語ってるのか、香取と山本が語ってるのかが解らなくなり。よく分からない…何が何だか解らない…と泣きながら呟き続けてました。
ホント、何でこんな風に入り混じって見えるのか。全くもって悔しいです(泣)

○大久保大和
・門前で立っている有馬の姿が清々しく感じ。近藤や土方が追い求めた「武士」の姿はこういうモノだったのかも、とすら思わせる雰囲気がありました。
・加納と大久保はどう処理するのか。加納が一方的に近藤と宣言するのか、と思ってたんです。なのに…
・加納の表情が揺らいでるんです。きっと、伊東先生の最期とか新選組にいた日々とか思い出してるんだろうな、そして辛くても幸せだった頃を振り返ったが故に、彼は「近藤です」と言えなかったんだろうと思えるんです。
・加納にとって新選組局長であった近藤勇は、恨んではいるけれど憎むべき相手じゃなかったのかと。きっと、伊東先生の遺志を彼は思ったんじゃないかと。
・加納を認めた香取近藤の表情が…徐々に笑んでいく、その表情が…何かを下ろした様な安堵した表情だったのが印象的でした。
・「加納君ご無沙汰」との言葉が何の邪心も無く、己の運命をただあるがままを受け入れた感じがして。表情、空気、眼等何もかもが「澄み切ってる」としか表現できません。
・加納が跪き「局長 ご無沙汰しております」と言わざるを得なかったのが、辛い。

遂に…来週、最終回なんですね…
山南さんが遂にご出演だそうで、それを楽しみに乗り切りたいと…
(書いてて虚しい/苦笑)

『ANGELS IN AMERICA』

 Wowowで昨夜から放映されてる『ANGELS IN AMERICA』、全6話中2話の感想です。

 このドラマを見ようと思ったきっかけは、主演がアル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソンらアカデミー俳優。作品が舞台原作で、トニー賞、ピュリッツア賞、エミー賞を受賞。
 という、如何にも権威に弱い日本人的な発想でした(笑)。

 ただ、テーマが非常に重いといいますか、レーガン政権時下でのHIV患者(同性愛者)と、彼らの周辺の人々の人間模様が描かれてます。
 単にカミングアウト出来ないとか社会から疎外されるという描写ではなく、彼らの内面と信仰との葛藤、家族との生半可で無い関係、司法内部での権力抗争等も描かれるため非常に見てて引き込まれる作品でした。

 やはりアル・パチーノは名優だと唸らされます。何なのかあの俳優は…。彼演じる弁護士は法曹界のフィクサーであり、いわば権力の頂点に位置する存在。で隠れゲイでもある。権力への執着や誇示する際に見せる「闇」と「迫力・怖さ」。対して、寵を与えようとする時に見せる「艶」。それらが、分離せずに「同居」してる瞬間ってのがホント素晴らしいです。しかも「声色」すらも様々で…。
 正直、たかだたTVドラマでここまで演じていいのか?!と思うほど。

 また、この作品が元は舞台で演じられてた事にも衝撃を受けました(見せ方も脚本も多少変えるんでしょうが、それでも凄いです)。ブロードウェイって一言では括れない場所だと、認識を新たにしました。

 問題は来週。スマステと20分被るんですよね。しかも我が家、ビデオ経由じゃないとWowow観れないし。
困った…

2004年12月2日木曜日

わんこ 順位決まる

 昨日、母から「田舎から蜜柑が送られてきたので取りにおいで」との呼び出しがありました。で、仕事帰りに相方と「わんこと戯れられる!!」と大喜びで行ってきました。

 で、一日5食なわんこはすっかり大きく(丸々と)なり、やんちゃパワーも倍増してました(^^;;。相変わらず、人の手(指)&靴にじゃれてまくり、其処にあんた専用のぬいぐるみあるやんか・・・と思い。
 ハタと気づきました。手と足を「しつこく」かまれてるのは私だけだということに・・・
 そうです、彼女にとって私は「彼女より下」だと認識されたようです。

 彼女の順位付けが、母→父→相方→わんこ→私 となってると気づいたときの物悲しさったらありませんでした(泣)。両親の順位には異論を挟む余地は無いと思ってます(餌をやってるのが母なので)。
 が、なんで私が相方より下やねん・・・(悔)。しかも最下位ですか…(涙)

 そりゃ確かに相方は、会ってる時は思う存分遊んでくれて、教育的指導もしてくれる「上位者」かもしれません。けど、2週間毎しか来ないのに・・・。それでも上位者なんですか?

 私なんか、毎週通院に付き合って、彼女の犬小屋を組み立てて、シャンプーまでしてるっていうのに。これって、彼女の嫌なことの大半だわ・・・。それを私が主体でやってるって事ですか(愕然)
 この状況が余りにも悔しいので、相方に「良いよな~良いよな~」と絡みまくってました(とりあえず迷惑です)。だって、相方ってば、彼女に足元で遊んでくれるっていう可愛らしいオプション(違)まで体験したんですよ~、羨ましいじゃありませんかっ(>^<)

 今度の注射の待ち時間には、絶っ対足元で遊んでもらうんだ!
(既に主体がわんこなあたり、すっかり駄目です)